六月うまれ
沼には、おかあさんがいます。ぼくは、おとうさんのおなかのなかから、うまれたタイプのひとで、ぼくらは、なまえをもたず、にんげん、という種類のものに属されているのかどうかも、ちょっと、はっきりしていないような、存在です。七つ刻に、空が、勿忘草の色に染まる頃、ぼんやりと、おとうさんのおなかのなかにいたときのことを思い出して、ぼくも、もしかしたら、こどもをうめるようになるかもしれない、と想うと、なんだか一瞬、胸の奥が、きゅっ、と引き締まるのでした。沼には、さまざまな性質のおかあさんたちが、群れています。街には、おとうさんと、こどもたちが住んでいて、ときどき、おかあさんに逢いに行かないと、おかあさんの顔を、声を、忘れてしまいそうになるのでした。おかあさんたちは、いつも、はつらつとしていて、それから、怒ると怖いのですが、おかあさんのうでのなかは、冬の寒い日に包まるブランケットのように、あたたかいのでした。
ぼくのからだも、いずれ、おとうさんとおなじように、しらないあいだに、だれかにつくりかえられてしまうのか、それとも、うまれたときからすでに、そういうふうにからだが、できあがっているのか。これは、実際に、あいするひとと、まじわってみなければわからない、というのが、やっかいなところでした。あと、なまえがない、というのも、けっこう、多々と、不都合であり、ぼくは、じぶんに、ロク、というなまえをつけて、うっとりしていました。六月うまれだから、ロク。おとうさんが、どこかのしらないおとうさんと、ひそひそ、ごそごそしているあいだにも、ぼくは、じぶんでつけた、ロク、というなまえを、つぶやいて、何度も、くりかえし、つぶやいて、ロクというなまえがにあう、ぼくに、なろうとするのでした。
おかあさんたちがいる沼は、いつもにぎやかしいです。
ぼくたちが暮らす街は、耳鳴りがするくらい静かで、冷たいです。
ぼくはきまぐれに、おへそのしたあたりを、なでてみます。そおっと、なでてみます。
まったらいで、かたくも、やわらかくもありません。
あたりまえですが、まだ、なにもいません。まだ、なにも。
六月うまれ