夜の水中遊泳

 えいえんと、エクレア。
 なんだかすこしだけ、音が似ているので、あんしんしますね。ぼくたちは、あの、かたどられた夜のせかいに、います。ぼくと、きみだけしかいない、小劇場で、天井にうつる映像を、じっと観ている。撮影者が、水のなかをさまよっているだけの、もの。くりかえしている、のではなく、映像は、おそらく、撮影者の、カメラのテープがおわるまで、つづくのだろうと思います。きみは、ときどき、あくびをしている。ぼくは、だんだんと、ねむたくなってくる。じぶんも、水のなかを、漂っているような、無重力で、浮遊しているような、そんな感覚で、小劇場の、かための椅子に、すわっている。模造の、夜のせかいは、えいえんに夜であると、小劇場の支配人が云っていました。エクレアは、小劇場の、チケット売り場のとなりの、学校の机くらいのカウンターで、ひそかに販売していました。カスタードが絶品ですよと、ちいさなカウンターの向こうで、みつあみのおねえさんが微笑んでいました。
 そういえば、ぼくは、前向きな愛、というものに嫌気がさして、こうやって、にせもののせかいに、きたのでした。みんなが共感するような、恋の歌、ってやつに、一ミリも、心うごかないで、音楽番組をぼんやりとながめているだけのじぶんが、ほんとうにいるべき場所について、かんがえていた気がします。恋愛、というものが、よく、わからないし、今後、じぶんができるのかも、わからないし、けれども、ぼくがいたせかいのひとびとは、にんげんは、だれかを好きになることが当然、のようにできていた。好きなひといるの、という、詮索。結婚しないの、という、圧力。
 エクレアは、透明の、ちいさな冷蔵庫に、おさめられていました。きみは、ひとつ買いました。ぼくは、ふたつ買いました。みつあみのおねえさんは、おまけにひとつ、エクレアをつけてくれました。きみが、ふたつとなり、ぼくが、みっつとなり、席に着くなり、無言でひとつずつたべました。ぼくたちは、まだ、水のなかをさまよっています。撮影者といっしょに、おわりのない旅を、しています。首はつかれてきたし、ねむけも、いよいよ本格的にやってきているけれど、この、何者かによってつくられた夜のせかいは、あんがいと、居心地がいいものです。きみがいて、ぼくがいて、あたりさわりのない、小劇場の支配人と、エクレアを売るみつあみのおねえさんがいるだけの、かたちも、おおきさもわからない、せかい。
 あおい。

夜の水中遊泳

夜の水中遊泳

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-30

CC BY-NC-ND
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