朝の海がすべてのはじまり

 海の生命が、たぶんいちばん、やさしい。
 恋をすることは、じぶんの一部を切り取り、捧げることに等しく、けれども、捧げたものにつりあうものがかえってくる可能性は低い、ということを念頭に置いて恋をするなんて、ばかみたいじゃん、と吐き捨てたのは、となりの席の、いつも、だれかに恋をしているような、おんなのこだった。恋は、するのではなく、おちるもの、などと、素面で言えるようなおんなのこが、ぼくは苦手だったし、はやく、右手から、どうか、せんせいの好きなチョコウエハースになりたいと、祈るばかりだった。恋とは、一方通行で行き止まってもいい、という考えが基本であるけれど、とつぜんの迂回路や、抜け道の出現を、ひそかに期待している、のが、慎ましく恋をしているおんなのこたちの、本音、であって、とにかく、恋とは、厄介なものであるなぁと、海の生命たちのなかでも、ひときわちいさな砂浜のかにが、つぶやいていた。朝の海。水平線がきいろく光って、あたらしいきょうのはじまりだと、波打ち際のさかなたちが、とびはねる。
 きのうという日は、もう、おとずれないのだね。
 きょうという日をむかえて、あしたという日をまっているんだよ。
 それが、にんげんというやつなんでしょ、と囁きあう、かに、さかな、えび、貝殻のなかのなにものかの、声に、そっと耳を傾けて、ぼくはあの、となりの席のおんなのこのことを思い出す。おんなのこが、じぶんのからだの一部を切り取り、恋をする相手に捧げる姿を想像して、なぜだろう、すこしだけ、かなしくなった。

朝の海がすべてのはじまり

朝の海がすべてのはじまり

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-29

CC BY-NC-ND
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