母なる海で
アイスクリームをたべながら、愛とは、などと考えるものではないと言って、きみが、海におとした、だれかのかなしみの種は、おかあさんのうでのなかでねむる、やすらかに。かなしみは、おかあさんのぬくもりに抱かれて、静かに、そっと、やさしさに、すりかわってゆく。こわいくらいに、夜空を埋めつくす星が、燃えるとき、ぼくらは世界のすみっこで、ふるえているだけの生きものになるかもしれない。
朝の、白い霧がたちこめる森でみた、鹿の親子が、ぼくらに問いかけた、にんげんどもは、等しいことが、正しいと思っているのか、という、それに、ぼくは、まるで、寝惚けているかのような調子で、わかんない、と答えた。にんげんども、なんて、にんげんを、みんな、一緒くたにしないでほしい、とは、幽かに思っていて、けれども、鹿の、とくに、立派な角を生やした、親の鹿の方は、にんげんども、という言葉が、いやにしっくりくるなぁ、とも思っていた。海の、おかあさんは、それはもう、果てなく、無限の愛を、もちあわせており、ぽちゃん、ぽちゃん、とおちてくる、かなしみの種を、その、おおきなからだで抱きこんで、子守唄をきかせる。波はゆりかご。かなしみからこぼれた涙は、海にとけて、つまり、おかあさんがそれらをすべて、抱擁する。かなしみを失った種に、やさしさが息吹き、ふたたび、だれかにすくわれる瞬間を、待っているのだ。アイスクリームをたべている、きみが、なんにもわずらわしいことのない、まっすぐな愛がほしい、と呟いて、はだしで、波を蹴った。
母なる海で