薔薇と共に堕ちて

薔薇と共に堕ちて

 あれを形容出来る気の利いた表現を、私は知らない。美しい脚でした。真赤なピンヒールをかつかつと鳴らして歩む姿、きゅっと締まった足首から膝裏に掛けてのカーヴ、脹脛の肉付きに私はひと目奪われた儘、帰って来やしなくなってしまいました。

 其の女性の元に跪き、私が乞うたのは二ヶ月程前の事だったでしょうか。貴女の脚に、かぶりついてみたいと。無論乍らあちらは大きな目をぱちくり、暫し睫毛を開閉させておりましたが、更に願えば彼女は、構わないわ、と答えてくださいました。

 翌日より、彼女と私の奇妙な関係が始まったのです。私が血液を糧に生きる者だと明かしたなら、然して喫驚の様子も見せず。若しかすると、私が脚をねだった時には悟っていたのかもしれません。此方が甘えた風に腿へと頬擦りを寄せるのが、ことの合図。彼女は其の度、私が欲した脹脛へとナイフを滑らせます。すると皮膚の内部に隠れている私が欲してならないものが一本の線となり、そうして真新しい傷の下部へと溜まったそれが、薔薇の花弁の如く、足首へと垂れ落ちてゆきます。毎度私は此れを有り難く頂戴しておりました。

 ですが矢張り、私の求む量には足りやしませんでした。何度も、何度も、彼女はナイフで傷を作り、終いにはロングブーツでしか外を歩けない程に捧げて貰えたというのに。求めてやまない私は遂にあの脹脛に尖った歯を立ててしまいました。瞬時、私の強い本能が瞼から燃えゆくのが分かりました。

 此の感情は、恋なのでしょうか。或いは更なる乞いなのでしょうか。いづれにせよ、食らい付いた対象を逃してやる気は私には御座いません。更に彼女をばらばらに、薔薇薔薇に、砕いて何もかもを啜る時は、そう遠くはないように予見が届きます。けれどもあちらは、僅かたりとも抵抗の素振りも寄越しやしない。ですから私は彼女に甘え切り、今度は頸に噛り付きました。あ、あ、と断末魔だか嬌声なのだか判断の難しい声が、確かに鼓膜を揺らしました。やはり此れは、此の感情は、恋であったのだと、ぐったりと私の腕に崩れ落ちる姿の重みを得て、私は確信致しました。

 切掛は何であったか。其の時の私はもう、憶えておりませんでした。唯々、彼女を伴侶としたい。互いの脚に傷を残しつつ、愛で合いたいとの願いだけが、彼女の献身を受ける毎に薔薇の如く赤く染まっていった私の瞳に、刻み込まれておりました。

薔薇と共に堕ちて

薔薇と共に堕ちて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-18

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