僕は星、君は薔薇

 オアシスを求めて砂漠を彷徨い歩く旅人とはこのような気分だろうかと想いながら輪郭の見えない何かを渇望している。
 僕らは星の一部となった。
 思考回路をやんわりと撫でられて重い腰を上げるようにようやく働き出すほどの拙さにけれど虚しさも感じない。君が白い薔薇の苗床になった日が世界の終わりだったことははっきりと記憶している。春だった。
 商店街のお肉屋さんのおじさんを怖いと思ったことがある。ガラスのショーケースに触れてその冷たさとショーケースの向こう側のおじさんが浮かべるにこやかな微笑みにじんわりと汗が滲んだ。その頃の僕は豚肉と牛肉の区別が曖昧で、鶏肉だけがこの二つとは違うということを理解していた。豚肉と牛肉では確実に豚肉の方を多く消費している家庭だったと後の僕は気づくこととなる。思い返せば牛肉を用いた料理はどことなく普段の献立とは異なる小さな違和感のようなものはあったが、母の調理の方法であるか牛肉そのものの味や食感のせいであるかは幼かった僕には判然としないところだった。明確だったのは、豚も、牛も、鶏も、生きている動物であり、人間はそれらを殺して食べているというざっくりした知識だけで、僕はお肉屋さんのおじさんの存在を恐れていたのだ。ショーケースのなかの肉とにらめっこをする母(今思えば肉よりも母は財布の中身に見合った価格を吟味していたのだが)の手を、僕は精一杯の力を込めて握りしめていた。お肉屋さんのおじさんと目が合わないよう必死だった。愛想の良い笑顔を絶やさないおじさんの背後に大きな包丁が見え隠れしていた。おじさんがしていたビニールのエプロンのツヤも、どこか不気味に思えた。
 あれから十三年。
 日々退屈ではあるが思い悩む事柄が少なくなったのはストレスフルな環境から脱しているからだろうか。星の一部となり心身の機能が鈍くなったとはいえ魂は健在で自我は失っていない。僕は僕という人間のまま星に取り込まれ、君は君という人格を保った状態で白い薔薇に肉体を侵食された。終わりがあれば始まりもあるように、あの日が僕にとって世界の終わりだったのならば誰かにとっての始まりでもあったのだ。僕が星と同化しようが君が白い薔薇に侵されようが誰かにとってはハッピーバースデー、新しい人生の幕開けでありそれは世の生き物たちが生まれて死ぬようにできているこの世界の宇宙の理なのだと朧気な頭で巡らせていた。一部となって分かったことだが星の鼓動は緩やかだ。生温かいものに包まれている感覚はそこまで不快ではなく、寧ろ何か懐かしいような気がしている。君は今日も僕の知らない誰かに愛されながら、大輪の白い薔薇を咲かせている。

僕は星、君は薔薇

僕は星、君は薔薇

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-29

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND