審判

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もしもし、ああ、こんな時間に申し訳ない。
仕事中だったか、それとも3時休憩を取っていたかな。看護師ってのも大概軽視されがちだが重労働だよな。お医者様にこき使われて毎日腰が痛くて堪らない。知ったふうな口を聞くなって?そんな怒らないでくれよ。こっちもその重労働の看護師だ。仲間同士いがみ合わずにやろうよ。そうだ、今日の昼飯は美味かったか?完全配給制で番号札まで置いてある親切仕様の昼飯だな。手間は掛かってるらしいが事前にメニューの中から食べたいものを選んでおけば、選んだ日に選んだものが食べられるシステムは画期的だと思ったよ俺は。なに、忙しい?つれない事を言わないでくれよ、こっちだって用事があって電話をかけたんだ。少しは慮ってくれないか。
ああ、そう。この電話、外部の人に聞かれてるからあんまり余計な事を言うと後で恥をかくかもしれないぞ。言っている意味が分からない?そこは俺の電話と雰囲気で察してくれ。死んだ祐子の事だ。

祐子は駄菓子屋の一人娘だった。店の軒先の椅子に座って、下校中の学生に向かって菓子を買わないかと催促していた。細身で大人しい、けれど芯はしっかりと持っている、そんな少女だった。
ああ、すまない。先に祐子の身の上話でも聞いてくれないか。この際なんだ。ちょっと長話に付き合えよ。

その店は年中人の少ない寂れた店だった。登下校中の子供を狙って店を構えたが、付近の学校では登下校中には商店に立ち入ってはならないとキツく注意されていたからだ。そんな影響で、店は年中寂れていた。
俺は、そんな寂れた駄菓子屋に下校後毎日のように通っていた。最初は戦隊ヒーローのチップスが欲しかったからだったが、その目的は段々と裕子に会うためになっていた。毎日、裕子に会うために駄菓子屋に通っていた。どうして好きになったのかはもう覚えていないけれど、彼女の事はその時からずっと好きだった。
同じ高校になったのは偶然だった。同じ教室になったのも偶然だった。隣の机に彼女が居たのも、ただの偶然だと思い込みたかった。吐きそうなほど緊張して、彼女の隣なのに居心地が悪かった。
程なくして俺に彼女が出来たのは、偶然ではなく、勇気を振り絞ったからだった。
幸せだった。幸せだった。幸せだった。その頃は、祐子が死ぬなんて微塵も考えていなかった。

裕子には夢があった。看護師になりたい、と彼女は言った。俺はその夢の隣に立ちたいと思った。2人で看護師になる。それが2人の夢になっていった。
勉強した。家で、学校で、身を削って勉強した。1人ではなにものにもなれない俺だけど、裕子が居れば折れはしないとそう感じていた。信じていた。一歩づつ踏みしめながら進んでいく感覚が、とても気持ちが良かった。楽しかった。
地元の病院に就職が決まったのはそれから4年後の冬だった。2人で大喜びして、部屋の中を駆け回った。幸福だった。こんな幸福な時間がずっと続けばいい、そう思っていた。
春、2人で一つ屋根の下で暮らし始めた。ぎこちなくだけれど、同じ時間を共に歩み始めた。ゆっくりとゆっくりと、けれどしっかりと2人で歩み始めた。

仕事の方は、1年目は辛かった。研修とは天と地の差があって、指示も厳しく果たさなければいけない役割も明確だった。飛んでくる指示に体が追いつかなかった。キリキリと体が軋んでいた。がむしゃらだった。ただ、彼女と同じ事をしている、同じ事が出来ている。それだけが心の支えになっていた。
2年目の春、彼女は俺に子供が出来たと言った。

俺は大喜びした。幸福の頂点とまで思った。仕事はどうしようか、1年ほど休憩を取ろうか。このタイミングで家も変えてみようか。そんな、幸せに塗れた言葉を口走ったような気がした。
彼女は複雑な表情をしていた。俺はそれが仕事への不安から来るものだと思った。ここで仕事を休めば支障が出るのではないか。夢が叶った直後に休む事になった一抹の後悔もある、そう感じているんだと思った。俺が守るから、出来ることがあればなんでも言って欲しい。子育ては俺がやってもいい。
そんな言葉を言った。

夏、彼女は流産した。そのまま飛び降り彼女は死んだ。


ああ、すまない。夢中になってしまった。そうだな、この話題はもう少し後にしよう。なんだ、声がカラカラだがどうした?ああそうそう、この前相談してきた目の痛みはその後どうなんだ?視界がぼやける?そうか、…なるほど。あ、いや深い意味は無いよ。別にただの雑談さ。……。
そうだ、話を変えよう。お前は進行性多巣性白質脳症、という病気を知っているか?特定疾患に認定されている難病なんだ。知らない?なら少し話してやろう。後学のために知っておいて損は無いはずだろ?看護師なんだし。
この病気はjcウイルスが体の中に入り、運悪く免疫機能不全が起こっていると発症する脳の病気だ。ん?ああ、脳の病気だ。症例は主に認知症や性格変化、視野障害や手の痙攣、体の麻痺なんかが挙げられ、最終的には死に至るな。まあ一般的な脳の病気に起こりがちな症例ではある。
特徴は人間の約70%に不顕然感染をしていて、免疫機能が悪化すると稀に発症してしまう場合があるらしい。寝不足や体調不良、薬物依存なんかが免疫機能の低下を招くものとして挙げられる。
治療方法は今のところ確立されていない。抗ウイルス薬の投与などで進行を遅らせることは出来るが、根本的な解決方法はないらしい。ん、どうしてそんな事を知ってるのかって?いや、俺は看護師だ。病気の事なら知ってて当然だろう。なんてな。身近にその病気に罹ってそうな人が居てね。色々調べるうちに覚えてしまったんだ。それとこの後の話にも繋がるから聞いておいて損はないと思うぞ。

さて、お勉強も済んだことだし昔話に戻ろう。
彼女の遺書を見つけたのは彼女が死んだ次の日の朝だった。泣き腫らしてぼやけた目でそれを見つけた俺はそれが遺書だと最初は分からなかった。ただの、日記のようなものだとすら思った。そう、日記のようなものだった。1番初めに日付、今日あった出来事、明日あるであろう出来事。これが随分と古い時から、つい最近や更には未来の事まで続いていた。
20**年9月17日、私の12歳の誕生日。お父さんお母さん今までありがとう。これからもよろしくね。
20**年7月2日、運命の日、この日に私は西野くんから告白された。嬉しかった。ずっと好きで、狙って同じ学校に進んだくらい好きだった彼からの告白だった。答えは勿論、はいだった。
20**年3月9日、合格発表の日、夢の2歩目は彼と同じ部屋で祝った。
20**年3月21日、同棲を始めた日。同じ時間を刻み始めた日。
20**年7月11日、私が死ぬ日、お父さんお母さん、西野くん、殺してしまった私のたった1人の娘。ごめんなさい。
20**年9月17日、私の誕生日。この時生きていたら、私は私になんて言うんだろう。
20**年11月8日、娘の0歳の誕生日。誕生日。産めなくてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
そんなふうに、未来の出来事が続いていた。彼女の思い出せるだけの過去と、その続きと、後悔とが続いていた。何度も泣いた。彼女は、未来の事を考えながらそれでも死んだのかとそう思った。俺に言ってくれれば、少しは楽になったんじゃないかとも思った。そんな気休めのような自分の妄想に吐き気がした。自分の無力さと不甲斐なさに泣いた。頭の中で、裕子の声が伽藍堂のように響いていた。

そんな頭で、知らない事を読んだ。
20**年2月24日、同期の田村さん飲みに誘われた。2人でいこう、と声を掛けられた時は断ろうと思ったが、父と母の問題を知っていると言われ断れなかった。問題とは何だろう。その日の仕事は手につかなかった。
飲みながら、彼は衝撃の事実を私に話した。父と母は2人で隣町にあるヤクザへ麻薬売買をしているらしいという話だった。寂れた駄菓子屋だった家だが、経営が立ち行かなくなった結果そんな手を使っているとは思いもしていなかった。柔和な父と母の事だろうから、ヤクザの側から声を掛けられそのまま返事をしてしまったんだろうか。定期的に家に帰っていればそんな事にはならずに済んだのでは無いか。これから2人はどうしていくんだろうか。警察に御用になってしまうのか。グルグルと頭の中で色んなことを考えた。考えながら、この男はそれを私に話してどうしようとしているのかとも考えた。疑問を口に出した私に彼は、警察に黙っておく変わりに私との一夜を望んだ。
20**年2月25日、次の日の朝アパートへ帰ると、西野くんから叱られ、介抱された。何をしていたのか聞かれ飲んでいたと答えると、それ以上は何も聞いてこなかった。信頼されていた。信用されていた。自分からなんて言えるはずがないから、しつこくても追求して欲しかった。彼はそれをしなかった。この時だけはその信頼を憎く思った。
20**年7月10日、育休中のアパートに田村さんが来た。思っていた通り、娘の話だった。彼は怯えているようだった。怒ってもいるようだった。大きな声で、堕せと言った。万が一自分の子だとしたら大問題になるからだ。私は堕ろす気など一切なかったが、耳に届いていないようだった。私は最終的に、お腹を力一杯蹴られた。苦しく、辛く痛く、悲しかった。何故私がこんな事にならなければならないのか、そう思って、そう言った。彼は黙ったままアパートから出ていった。

田村、お前、最近昼ごはんの時間か待ち遠しくはなかったか?毎日夕方6時7時頃になると精神的な苦痛は起きなかったか?幻覚は?幻聴は?ついこの間も耳鳴りが酷いと俺に相談をしてきたな。それは大丈夫か?何故そんなことを聞くのかって?そりゃそうだろう。国内では大変に貴重な麻薬依存患者なんだから。昼ご飯に忍び込ませるのは極端に容易だった。ナンバープレートが置いてある皿にガラス管3cm程度の透明な液体をかけるだけ、ただそれだけの作業だった。ただそれだけで人間はこうも狂えるのかと驚嘆した。ああ、田村。お前は麻薬中毒だ。依存しろ。俺に乞い願え。麻薬を渡してくれと懇願しろ。今ならガラス管1本1万円から売ってやる。
麻薬の苦しみは地獄だ。それは看護師であるお前もよく知ってるだろう。幸せだな。これで辞めたいと言い続けていた仕事から開放されるじゃないか。はは。
更に、俺はついていた。幸運だった。憎き彼女の仇はゆっくりと死に向かって進んでいるらしい。
進行性多巣性白質脳症、さっき説明した病気の事だ。聞きながら思い当たる節があるような反応をしていなかったか?そうだ、ご明察の通り、お前はその病気に恐らく罹っている。きしくも、じわじわと嬲り殺しにする事が出来るみたいだ。せいぜいその自らのやった事を薄暗い独房の中で悔いと反省をしながらゆっくりとゆっくりと死んでいってくれ。

審判

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  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-26

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