この手を引いて、連れ出して
篠塚ひろむ氏の漫画原作のアニメ作品「わがまま☆フェアリー ミルモでポン!」より、アニメオリジナルキャラクター「ワルモ団」の二次創作小説です。
青い参謀と赤い首領のなれそめ(
※※以下の注意書きを必ず読んでください※※
◇【登場人物】メインはイチローとジロー。ワルモ団は全員出ます。
◇一応は原作に沿った話です。擬人化前提です。
◇イチロー×ジローのCP要素を含んでいます。苦手な人はご注意を。
◇全体的に盛大なねつ造とキャラ崩壊があります。
◇時系列はアニメ本編でいえばわんだほう~ちゃあみんぐのどこかのつもりです。
◇後半に性的描写があります。割とがっつりめの予定です。
注意書きから少しでも嫌な予感がした方はそっとこのページを閉じましょう。
「何でも来い‼」な心優しいお方はどうぞゆっくりしていってくださいませ。
1,すれ違い
分かっている。“この想い”を認めたらいけないと。
認めれば最後、俺はきっと耽溺してしまう。“この想い”は、王国打倒の荷物になるだけだ。だから俺は、それを拒み続ける。必要のないもの、一時の気の迷いと片付けて、認めてなるものかと思っていたのに。そうすればするほど、それは膨れ上がり、自分ではどうしようもないくらい大きくなっていった。持て余したそれをどうすればいいのか分からなくて、整理が付かなくて、ただただ息苦しさに参ってしまいそうだった。
あいつの姿を見ると隠れたくなる。あいつの声を聴くと心が忙しなくなる。あいつに微笑みかけられると胸が苦しくなる。まるで細波が立つような、終始落ち着きの無いその感覚が何故だか末恐ろしくて、最近はあいつと話すのを避けるようになった。誤解を生んでいると分かっていても、面と向かって話す勇気が出ないのだ。
どうすればいつものように冷静でいられるだろう。どうすれば前のようにあいつと他愛ない会話が出来るだろう。いっそ仲間に相談できればよかっただろう。だが、これは決して一般的な悩みとは程遠く、下手に打ち明けることもためらいを感じる。
(もう嫌だ……最低の気分だ……)
頭を抱え、俺は今日も苦悩する。
一番伝えたいのに、一番伝えてはいけない“この想い”を、言葉を、胸に抱えたままで時を過ごす。
◇◇◇
ふと目を上げると、壁に掛かった時計は十二時を過ぎていた。リビング兼会議室で本を読んでいた俺は、ようやくそれに気が付いて「しまった」と呟いた。また日付けが変わるまで熱中してしまった。読書が何よりの趣味である俺は、一度本に没頭すると止まらなくなってしまう。休憩も忘れて耽読し、はたと気が付くと次の日になっていた、というのは日常茶飯事だ。
早いところ風呂に入って寝なければ。独りごちて、本に栞を挟むとソファーから立ち上がった。自分の部屋、というよりは五人の共同部屋へと向かう。
俺たちワルモ団が人間界で居としているアジトは、世辞にも広い家ではない。大人の男五人が住むには幾分か狭いといえよう。ゆえに自分の部屋というものは無く、五人で雑魚寝をする広間が五人の各部屋の代わりなのだ。寝巻きなどの私物もその広間に五人分に分けて収納してある。もちろん、俺の本もだ。先程まで熱中していた本の内容を何気なく反芻しながら、部屋へ向かっている時だった。
「―――――ジロー!」
名が呼ばれた。同時に、くいっと腕が引かれたため、反射的に足を止めた。低く、力強く、どこか癖のあるそのしゃがれ声の主は見なくても分かる。一瞬振り向こうか否か迷ったが、腕を掴まれているので無視も出来まい。仕方なく、視線だけを背後に向ける。
そこにいたのは、思った通りの彼。緋色の長髪に、鮮やかな深紅の瞳、強気さを象徴するような濃い上がり眉。口許を隠すのは、インナーと一体化した、五人で共通の黒い口布。彼はワルモ団の(俺たちは四人は完全に認めてはいないが)頭的存在、イチローだ。五人でほぼ共通のフード付き黒羽織、その下には尻端折りした暗い赤の着物、そして黒いもんぺ、という出で立ちからしてまだ風呂は済んでいないと見える。
いや、そんなことよりも気になったのは、俺を見つめる彼の表情だ。俺の腕を掴んでいるイチローは、心なしか固い表情をしている。見かけたから呼び止めた、などという軽い理由でないのは明白だった。
「……何だ」生憎、今は彼とはあまり喋りたくなかった俺は、わざと素っ気なく返事をし、イチローからふいと顔を背けた。
「二、三訊きたいことがあるんだ、少しいいか?」
「……手短にしてくれ」
「お前、最近様子がおかしいぞ。元気が無いというか……どこか過敏になっているというか……一体どうしたというのだ?」
怪訝そうな声。普段の陽気で賑やかな雰囲気、或いは飄々とした雰囲気はそこには無く、代わりにその声にはどこか心配しているような響きがあった。
「別に、どうもしない。ただ、王国打倒が思うように進まないせいでナーバスになっているだけさ」
適当に思いついた当たり障りのない理由を返す。王国打倒が上手くいってないのも、ナーバスになっているのもあながち嘘ではないのだが。現に今日だって、五人で練りに練った作戦と黒魔法を引っ提げて、王子であるミルモに勝負を挑んだもののあと一歩のところで敗北を喫している。あの憎たらしいガキンチョ王子にしてやられたのはこれで何度目だろうか、思い出せないくらいの敗北率だ。
「……本当か?本当にそれだけか?」
「本当にそれだけだから。お前は気にしなくていい」
普段のイチローなら、俺の返事をそのまま信じたか、何かを察してさりげなく身を引いただろう。俺の知るこの男はそんな奴だ。しかし今夜は違った。珍しく、納得いってなさげに尚も俺を引き止める。手短にしてくれと言ったじゃないか、と心中で呟いて、顔を背けているのをいいことにこっそり眉間にしわを寄せた。ここから一刻も早く離れたい、そんな焦燥感が俺の神経をちりちりと刺激する。
「……訊きたいことはこれだけじゃないぞ」
いまいち腑に落ちていなそうな声音だったが、イチローは気を取り直したように一呼吸置き、次の質問を投げてきた。
「ジロー、近頃はやけに俺に対してだけ冷たくないか?」
……気が付かれていたか。イチローの放った問いかけに、俺は口布の下で唇を噛んだ。
彼の言うように、俺はいつの頃からか徐々にイチローとの接触を避けるようになっていた。最初こそ、多少の会話くらいは交わしていた俺たちだったが、最近はそれすらも俺にとっては何となく避けたいものとなってしまっており、今では本当に必要な連絡事項など事務的なことしか話した記憶が無い。
無論、理由あっての行動なのだが、何もイチローが嫌いだからそんなことをしているわけでは断じて無い。尤も、事実として彼を避けていることは否定しようがないので、本来ならこの場を借りて説明の一つでも挟めばよかったのだろう。それでも、そう分かっていても、俺にはその理由を言い出せない事情があった。イチローはおろか、他の団員にすら話すことが憚られる事情が。
何も言わずに避け始めたのだから、周囲から誤解されるであろうと腹は括っていた。だが、最も気が付いてほしくなかった人物に何となくでも気付かれていると分かると、やはりその現実に舌打ちしたくなるものだ。
「……そんなの、イチローの気のせいじゃないか」
「……俺、お前に何かしたか?お前の神経を逆撫でするような何かを」
一蹴しても効果は無く、イチローの問いは続く。溜息が出そうになるのを飲み込んで、「別に何もされてない」と淡々とした返答を寄越す。これ以上問いかけないでくれ、そんな切実な気持ちを込めて。しかし、言葉にしない気持ちは無言と同じ。伝わるはずもなく、イチローはさらに疑問をぶつけてきた。
「ならば、何故未だにそんな態度なのだ?今だってそうだ、せめて俺の方を見てくれよ」
「…………」
「俺の記憶が正しければ、ジローは他人と話す時は決まって目を見て話してくれる奴だ。今のように、顔も見ずに返事をするような淡泊な男じゃない……違ったか?」
(……そんな細かなところまで見ていたのか、こいつ)
他人事のようにそう思った。今の雰囲気には少々場違いな感想が浮かんだのは、この緊張した空気から無意識に逃げたがっているのかもしれない。
「もし何か、悩みや俺に対しての不満があるのならはっきり言ってくれ。いくら俺でも言葉にしてもらわないと分からない……だから」
「――――っ、何でもないって言ってるだろ!!」
早くこの会話を終わらせたくて、独りになりたくて、こらえきれず俺は大声を上げた。突然のことに驚いたのだろう、イチローが息を呑んだ気配がした。
「……ジロー……」
数秒の間を置いて、小さく名前を呼ばれた。さっきよりもやにわに勢いを失った声が気になり、ちらっと振り向くと、イチローは驚きも露わにこちらを見つめていた。その赤い瞳にはどこか申し訳なさそうな後悔の色が滲んでいる。それが分かって、俺はようやく我に返って、望ましくない応対をしたことを思い知った。
普段から滅多に大声を出さないことは自分でもよく分かっているし、イチローも普段の俺の大人しさをよく知っているはずだ。さっきのことはさぞかし彼を驚愕させただろうが、何よりもこの俺自身も信じがたいことだった。
「…………すまん」
俺は再びそっぽを向いて、零すように呟いた。ひどくばつが悪い。今すぐにでも消えてしまいたいほどだ。
「……いや、俺の方こそ……ごめん……」
明らかに沈んだ低い声の後、そっと俺の腕から手が離れたのが分かった。だらん、と力無く下がる自分の腕。そんな些細なことだけでも、今は無性に胸が痛んだ。
「…………風呂、入ってくる……」
「あ、ああ、うん……」
ぎこちなく発した、その場から離れる言い訳にイチローは曖昧な返事を寄越した。それを聞いたか否かもよく分からないうちに、俺はさっさと歩き出していた。まるでイチローから逃げるように、足早に。そのまま振り返ることもせずに五人の寝室に入った。
寝室では、五人分の布団のうち二つが膨らんでいた。とっくに夜の支度を済ませたらしいシローとゴローだ。二人は寝巻の浴衣姿で隣同士の布団にもぐっていたが、何やら談笑しているのを見るにまだ眠る気は無いようだ。
「あ、ジロー、お風呂これから?」
先に俺に気が付き声をかけてきたのはゴローだった。普段はきちんとまとめた三つ編みをほどいているので、その童顔も相まって一見すると女性と見間違ってしまう見てくれだ。
「ああ……うん、まあな」
できれば怪しまれないようにきちんと返事をしたかったのだが、今の俺にはそんな余裕すら無かった。曖昧な返事だけを返すと、手早く入浴の準備をする。
この時、俺は背を向けていたので気が付いていなかったのだが。俺の表情の固さから鋭くも何かを察知したかのように、ゴローは一瞬驚いたように目を丸くし、俺の背をじっと探るように見つめていた。
「あははっ!参謀ったらまーた本の世界にどっぷりだったんだろ~?もう日付変わっちゃったよ?」
俺が自分の枕元に本を置くのを見て、シローが陽気に笑った。うつ伏せに寝そべり、ゴローと楽しそうに喋っていた延長線だからだろうか、とても機嫌がよさそうだ。こちらも顔を見て答えたかったが、表情を悟られまいという気持ちの方が勝ってしまった。
「うん、分かってる。風呂から出たらすぐ寝る」
それだけ答えると、寝巻を持ってそそくさと部屋を後にした。
◇◇◇
「……ありゃ、もしかしてジロー、お疲れ気味だったかな。何かいつにも増してテンション低い感じだったけど……」
風呂の準備にと戻ってきた我らが参謀は、何故だか受け答えの間ずっとこちらの顔を見もしなかった。普段であればきちんと目を合わせてものを言ってくれる姿を知っているだけあって、今日は少々素っ気なかったジローに、シローは苦笑を隠せなかった。「なあゴローどう思う?」と、隣に寝転んでいる親友に話しかけると、ゴローはうーんと唸りながら思案顔をしている。
「どしたの?」
「……ねえシロー」
ふと、ゴローが静かに口を開いた。シローが何?と首を傾げると、ゴローは続ける。
「最近さ、ジローの様子が変だと思わない?」
普段の高めで柔らかな声が、今はやや低く落ち着いた響きをしていた。彼がこの声で話をする時は、決まって何かを察知しているのだ。一緒に行動することの多いシローはそれをよく知っていたからこそ、表情を改めて真面目な態度になった。
「んー……言われてみれば確かに。不機嫌?っていうか……何かにイライラモヤモヤしてるって感じするよな」
「そうそう。特にイチローとは、まるで話すこと自体避けてるように見えるよ。おれたち他の三人にはそこまであからさまじゃないけど」
ゴローの向日葵色の瞳が、ジローの不可解な態度を訝るように細められた。
普段は呆れてしまうほど天然ボケで鈍いゴローだが、本来は鋭い観察眼の持ち主で、意外なところで物事を見抜いていたりする。あまりわいわい騒ぐ性格ではない分、彼は物事を観察しているのだろう。他の団員が見落としてしまう部分にも気が付ける洞察力は、シローも密かに尊敬しているところだった。
「イチローにだけ冷たくしてる、ってこと……だよな?喧嘩でもしたのかな」
そう口では言いながらも、シローは心中で(まさかな……)とその考えを打ち消していた。
イチローとジローは、団員の中でも特に冷静沈着かつ理知的で、年齢を経た大人の落ち着きを持った二人だ。荒事に走ることもそうそう無いし、何より二人は特によく一緒に行動していることが多い。だから少なくともシローは、イチローとジローはとても仲がいいのだと思っていた。今までワルモ団全体で諍いが起きたことは何度かあったが、この二人に限ってはこちらが心配するほどぎくしゃくしたことは今まで無かった。
「それもありえないとは言い切れないけど……喧嘩したっていう雰囲気ではなさそうだよ。上手く言えないけど、二人の気持ちがすれ違ってるように見えるな」
「気持ちがすれ違ってる、かあ。確かにイチローもきちんと説明しないことあるし、ジローもジローで無口だし、その線はありそうだな」
「まあ、何にせよおれたちが首を突っ込んでいいことじゃないのは確かだね」
二人の若人は苦笑いを見合わせた。二人のぎこちない雰囲気は心配ではあるが、あくまで本人たちの問題である以上、余計なお節介は事故のもと。ましてや普通の喧嘩とは違った何かを秘めた複雑な問題であるならば、なおさらこちらは静観するしかない。こういう時は時間の経過に任せる他は無いだろう。
(……早く二人が前みたいに和やかになるといいな)
悪の秘密組織を名乗りながら、本来は感受性豊かで心優しいゴローは、自分の仲間がぴりぴりしているというだけで切なく思ってしまう。それにゴローは、イチローとジローの間に感じる、見ていると心がすっと冷静になれるような落ち着きや、確かに通じ合っていると言わずとも分かる揺るぎの無い信頼感が好きだった。そんな二人が、今はどうしようもなく揺らいでしまっていることを思うと、それもまたゴローの胸を寂しくさせた。
心の中でそっと事態の好転を祈りながら、ゴローはシローに「そろそろ寝よう」と促して布団にもぐり込んだ。
◇◇◇
レバーを下げると、熱めのお湯が降り注いだ。頭から浴びると、緊張した心身がほぐれていく気がして溜息が漏れた。そのまま、熱いシャワーに体をさらす。
「……ああもう……」
ふと、嘆きにも似た声が零れる。俺は俯いて、顔を両手で覆った。
またイチローにあんな態度を取ってしまった。普通に返事がしたかったのに、穏やかな言葉をかけたかったのに、口から転がり出たのは素っ気なく淡々とした誤魔化しの言葉。何一つ本心を伝えられなかったことを思い返すと、幾度目かも分からない自己嫌悪に襲われた。
違う、違うんだ。俺はただ、いつも通りに、自然体でいたいだけなのに。些細なことで笑い合ったり、軽口を叩き合ったり、そんな今まで通りのやり取りを交わしたいだけなのに。けれど現実は、まるでそのやり方を思い出せなくなったかのように、今の俺は体も心も緊張して思い通りに動けなくなっていた。
もしかしたら、心のどこかで甘えているのかもしれない。イチローなら、こんな態度を取っても許してくれる、理解してくれると思って、気持ちの面で凭れている部分があるのかもしれない。だが、そんな甘えは彼を困らせるだけだ。いくら彼が仲間に対して寛容で心優しいとはいえ、彼も一人の妖精。甘えられて鬱陶しく思うことも、身勝手な振る舞いに辟易することもあるだろう。
(……このままこんな態度でいたら、幻滅されてしまう……)
不意に、苦く冷たい感情が胸の奥でぞわりと不快に蠢いた。一瞬嫌な寒気が走り、体がぶるりと震えた。落ちてくるシャワーのお湯は確かに熱いのに、体はすうっと冷えていくような、矛盾した感覚に眩暈を覚えた。
「幻滅される」だなんて、柄にもない弱気な考えだ。幻滅されることなんてもうとっくの昔に慣れたはずだ。痛くも痒くもないはずだ。だのに、あいつに幻滅されるかもしれない可能性を少しでも考えると、何だか無性に恐くて心臓が締め付けられるようだった。
「……はあ……」溜息交じりにレバーを上げてシャワーを止めた。俯いたままの俺の前髪から、ぽたぽたと雫が涙のように滴り落ちていく。
(この雫と一緒に、このもやもやも流れ落ちてしまえばいいのに)
子供のような比喩交じりの本音を、しかし声に出すこともなく心で呟いて、俺は静かに湯船に肩まで沈んだ。程よい温度が心地いいはずなのに、残念ながらそれだけではこの胸の重たいものは溶けていかないようだった。立ち上る湯気をぼんやりと眺めながら、俺は再び溜息を吐いた。
◇◇◇
足早に去るジローを見送り、一人残された俺は肩をすくめていた。遣る瀬の無い気持ちでいっぱいだった。
俺がジローの異変に気が付いたのは一週間ほど前のことだ。何か大きなことがあった覚えは無いのだが、何故だかジローは徐々に俺と話すことを避けるようになり、精神的に不安定なことが増えた。
最初こそ、王国打倒作戦の失敗が続いていることもあって焦っているのかと思った。以前にもそうして、一人で焦って抱え込んでいたことがあったからだ。しかし、二日三日ならまだしも、四日五日と経てども一向に元気を取り戻さない。それどころか、俺との会話を意図的に避けるような素振りも見せるようになった。今となっては本当に事務的なことを二言三言交わす程度しか彼と話した記憶が無い。喧嘩のような対立をした覚えも無いし、これは明らかに何かが違う。そう考えを改めるのにさして時間は要らなかった。
確かにジローは昔から神経質というか、完璧主義かつ精神的に脆い部分がある。だが、俺が知る限りでは決して立ち直りが遅いわけではない。それに、失敗を引きずるといっても一週間以上は流石に長すぎるだろう。このことから、作戦失敗や敗北での落胆や苛立ちという線は無いと思っている。
それに、未だ俺と話すことを避けている様子を加味すると、もしかすると彼の異変の原因はこの俺、イチローかもしれない。俺が無自覚にジローに何かをしてしまったか言ってしまったか、考えられない話ではないのが正直なところだ。
不本意ながら、よく団員に「すっとぼけている」とか「何を考えているか分からない」とか言われてしまうこともままあったため、言葉や配慮が足りずにジローの神経を逆撫でしてしまったかもしれない、と踏んだのだ。かといって、別段心当たりがあるわけでもなく、俺はジローの取る素っ気ない態度にただただ戸惑うばかりだった。仮に俺に非があるとしても、その非が一体何であるのか分からない以上は謝罪のしようも無い。だから本人の口からそっくり話してもらおうと思って話しかけたのが先刻のことだった。
だが、結果は「何でもない、気にするな」の一点張り。半ば取り合ってくれない上に目も見てさえくれなかった。これはさしもの俺でもなかなか応えた。それでもめげずに問いただすと、何とジローはいつになく大声を上げて否定をしてきた。そんな彼の姿は出会ってから初めて見たので呆気に取られてしまった。そんな俺を他所に、ジローはまるで逃げるように俺の前から去ってしまった、というわけだ。
素っ気ないのは同じでも、先程のジローの態度には何か引っ掛かるものを感じる。例えるなら、俺に何か言いたいことがあるのに、何故かは分からないがそれをひた隠していて、俺にばれてしまわないように躍起になって誤魔化しているような。上手く言えないがそんな必死さともどかしさ、或いはじれったさをうっすらと感じていた。しかし、やはりどうして淡泊な態度を取り続けるのか、怒鳴ることなど滅多にない彼に何がそうさせたのか、解せないことは増えるばかりであった。
(……ああ、今だけでいいから、心を読む魔法が使えればいいのに)
ジローが語ってくれない心の声が知りたくてそんなことをふと思ってしまったが、すぐに頭を振った。妖精の魔法は多くの不可能を可能にするが、決して万能の神の御業ではない。それに、そんな不躾な魔法があったとしても、仮に使われた方の心情を思うと、さすがになけなしの良心が痛んだ。まして相手が親しい者ならなおさらだ。
とにかく、ここで立ち尽くしていても仕方がない。溜息を吐いて、踵を返しかけた時だった。
「――――チェストォォォォッ!」
ドムッ!!
「のわぁぁァッ!?」
背後から肩を思い切り打ちつけられ、俺は衝撃と痛みに野太い声を上げてつんのめった。
「へっへーーん!イチロー仕留めたり~!」
次いで聞こえた誇らしげな男の声。痛む肩を押さえ、恨みがましい気持ちで声の主を振り返った。
暗い草色のセミロングヘアに、独特なコントラストの翠緑の目。左頬に残るかすり傷の痕が野性的な印象を受けるこの男はワルモ団の一員、サブローだ。普段来ている短い丈の羽織と尻端折りした着物ではなく、落ち着いた緑色の浴衣を着ていることから恐らく就寝前だろう。素肌に浴衣のみゆえか、入団前はガテン系の仕事をしていたという経歴の証、その筋肉質で逞しい肉体がよく分かる。
「おいサブロー……貴様、背後から奇襲をかけるとは一体どんな了見だ?頭に対してずいぶんとご挨拶だな?」
俺はサブローがかざしたままの手刀を睨め付けた。この手こそ、奴が俺の肩を打ち据えた何よりの証拠だ。
「けっ、だァれが頭だよ阿保んだら。ただテメェが目に入ったから、寝る前の景気づけに一発喰らわせてやろうと思っただけだ」
「理不尽以外の何物でもないな……俺は貴様にとってどういう存在なんだ」
「決まってんだろ、お誂え向きのサンドバッグ」
「三途の川に沈めてやろうか?」
「あいででででッ!!痛ぇ痛ぇ痛ぇ馬鹿このやめろって……ッだぁあああギブギブギブ!!」
拳でサブローの頭を挟み込んでぐりぐりとねじ込むように喰らわせてやると、サブローは悲鳴交じりに喚いた。普通に喋っていても良く通る声なので声量が上がると余計に喧しいので近所迷惑も甚だしい……って俺のせいか。まあ周りに我らの声を聞きつけて文句を言いに来る同胞は住んでいないし問題ないのだが。五秒ぐらい痛めつけたところで俺はぱっと手を離し、頭を押さえるサブローを睨む。
「参ったかこのガキ。悪ふざけも大概にするのだな」
「ってて……ちっ、容赦ねえの。ちょっとからかっただけじゃねえか、冗談の通じねえジジイだぜ」
「ほう?まだ制裁が足りないと見えるな」
「ひぇっ、その拳下ろせよ!悪かったってば!」
俺が再び拳をすっと上げると、流石に懲りたのかサブローが焦ったように身構えた。分かればいいのだ、と拳を下ろし、ひとまずこの件はこれで許してやることにした。俺が手を出してこないと分かるや否やサブローはほっと安堵の溜息を漏らした。が、すぐに表情を改めて俺の顔を真っ直ぐに見てきた。
「……ところで、おめぇらどうしたんだよ」
「ん?何のことだ、どうもしないぞ」
「とぼけんなよテメェ。突っ立ったまま溜息吐いて難しい顔とか、どうもしないわけねえだろうが。どうせどこぞの旦那サマと一悶着あったんじゃねえのかよ」
「……!」ハッとして息を呑むと、こちらを見つめる目がすっと細められた。
「図星だろ」
「……お前、どこから見ていたのだ」
「ジローがどっか行っちまった辺りから。でもあいつの大声も聞こえたし、ジローがいなくなってからのテメェも浮かねえ顔してるし、何か変だなと思ってさ」
喧嘩でもしたのか?とサブローは怪訝そうに眉を寄せた。
「う、うむ……喧嘩、ではないのだが……」
「おいおい、歯切れ悪ぃな。こりゃちっとばかしワケアリか?」
顔をずいっと覗き込まれる。大きくはっきりとした印象の翠緑色の眼が、俺を見透かすように見つめてくる。口調こそやや乱暴だが、その目は紛れもなく俺を心配しているのが分かった。目は口ほどにものを言う、とはよく言ったものだ。何だか、犬が飼い主を案じて下から覗き込んでくるのに似てるな、なんて言ったらきっとサブローにまたどつかれてしまうだろうな。
兎にも角にも、この目に真っ直ぐ見つめられるとどうも誤魔化せない。俺は観念し、頷いた。元より誤魔化す気も無いのだが。
「……話してみろよ」サブローの静かな促しに、俺は口を開いた。
「最近、ジローの様子に違和感を覚えたりはしないか?」
「あー……そうだなあ。何か知らねえけど、イチローにだけ素っ気なくなったよな」
「……やはりお前もそう思うか」
「だってあからさまじゃん。少し前まで旦那サマときたら、何かにつけてテメェに作戦の相談とか他愛ない話とか色々してたじゃねえか。それがここ最近、むしろあいつの方からイチローと喋るの避けてるように見えるぜ?」
サブロー曰く、俺とジローのぎくしゃくした雰囲気には、サブローだけでなくシローもゴローも気が付いており、それぞれに心配した気持ちを持っているという。
「んで、さっきは何があったんだよ」
「ああ……ジローの異変は、ひょっとしたら俺が原因かもしれないと思ってな。俺がうっかり何かしたのではないか、と本人に訊いてみたんだ。尤もジローは『何でもないから気にするな』と言うばかりだったが……」
「んだよ、ならいいじゃん。気にすんなって」
ここでサブローはけろりとしたように頬を緩めた。さっぱり気質の彼らしい反応だが、無論俺は納得がいっていない。腕を組んで唸っていると、サブローは言葉を続けた。
「仮にテメェが原因だったとしてもよ、テメェが気に病むことなんてねえだろ。あの偏屈眼鏡のことだ、きっと一人で勝手にうだうだ考えて勝手に悩んでるだけだって。こういうのはほっとくのが一番だろ、あいつだって自分の面倒も見れないガキじゃあるめえし」
要は「そっとしておけばそのうち自分で解決するだろう」と言いたいのだろう。言葉が少し突き放し気味だが、サブローはサブローなりに俺のことを気遣っているのだと分かった。
しかし……彼には申し訳ないが、やはりそれが最善だとはどうしても思えない。ジローの明らかな異変に気が付いていながら何もしないという選択には納得がいかない。俺にどうにかできる問題ではないのかもしれないが、それでもできる限りその胸に淀む悩みだとか不満だとかを知りたいし、何か行動せねばと思う。ジローは俺にとって大事な親友であり、かけがえのない団員なのだから当然の気持ちだ。
(――――親友だから?団員だから?)
冷静に考えれば、サブローの言うことも一理だ。ジローは頭だけで考えすぎるあまり、自分で自分を追い詰めて半ば自滅してしまうことが確かにある。今回もその可能性は無きにしも非ずだ。それならば、こちらが下手に気を揉むより落ち着くまで様子を見ることも一つの手だろう。今回は偶然立ち直るのが遅いだけ、という線もありえるのだから。
(詮索すること、構うことだけが気遣いではない。頭では分かっている……はずなのに……)
その相手がジローだから。そう考えると、冷静なはずの思考が一瞬揺らぐ。彼の心の内が分からないだけで無性に落ち着かなくなる。彼が本音を打ち明けてくれないことに些かの苛立ちや不満、寂しさを覚える。その見えない心の内を、余すところなく全て知り尽くしたいという下世話な気持ちすら覚えることもある。
(……何だか、らしくないな)
口布の下で苦く笑った。眉間を押さえ、静かに溜息を吐いた。
どうしてこんなもやもやした気持ちになってしまうのか。実はその見当は付いている。原因は俺が兼ねてよりジローに抱く“或る想い”のせいだ。それを拒む気も、否定する気も、嫌悪する気も無く、むしろ不思議なことに自然と受け容れてすらいる。しかし、それは一般的と呼ぶには確実に逸脱していた。これを包み隠さずジローに伝えれば混乱させてしまうことは明白だった。だから俺は、さも何事も無いように今まで“或る想い”を胸の奥にしまい続けてきたのだ。
そんな俺を、サブローは黙ってじっと見つめていた。まるで何かを思案しているかのように。
「なあイチロー」しばらくしてから、そっと俺を呼び、言葉を続けた。
「ほっとけねえんだろ、ジローのこと」
「……まあな」
「だったらさ、一つ提案があるんだ」
にやりと笑って、サブローはその提案とやらを語った。聞き終えてから、俺も「それはいいやもしれん」と頷く。
「しかし、お前たちはそれでいいのか?」
「いいっていいって。俺もあいつらも一日くれぇどうにかなるさ。テメェは旦那サマとのこじれをどうにかすることだけ考えりゃいいんだよ」
屈託無く笑い、俺の背中をぺしぺしと軽く叩くサブロー。あっけらかんとしたその様子に、俺は参ったな、と頭を掻いた。
普段はべらんめえ口調で乱暴なサブローだが、その根は(人間の言葉を借りるなら)いわゆる江戸っ子気質なのだ。悪の秘密組織の一員ではあるものの、義侠心に富んでいて情に厚い性格なので、身内が困っているとどうも放っておけないらしい。そんな彼の気遣いは純粋に嬉しかったが、仮にも俺より歳下で舎弟のような存在から気遣われることは、やはりどこか情けなく面映ゆい気持ちもあった。
それでも、信頼する団員であり弟分である彼がせっかく提案してくれたことだ。素直にお言葉に甘えるとしよう。
「……すまない、ありがとうな、サブロー」
微笑みを向けると、さっきまでからりとした笑みだったサブローは急に照れ臭そうになり、ぷいっと俺から顔を逸らした。
「……へんっ、テメェがシケたツラしてっと調子狂うからな」
言葉こそやや乱暴だったが、確かにその横顔には安堵の色が見て取れた。
「では、明日は一つよろしく頼んだ」
「おうよ。んじゃ、俺ぁもう寝るわ。あ、ガキどもにゃきっちり話しとくから安心しな」
欠伸を噛み殺してそう言うと、サブローはひょいと手を上げて俺の横を通り過ぎていった。向かうは五人で雑魚寝をしている寝室だろう。
再び一人になった俺も、早めに風呂に入らねばと寝室に向かいかけた……が、すぐに思いとどまって足を止めた。そういえば先刻ジローが風呂に向かったのを思い出したのだ。彼は長風呂だから、まだしばらく出てこないだろう。それに、今日は互いのためにもこれ以上は顔を合わさない方がいい。
仕方ない、三味線の調律でもして時間を潰そう。俺は寝室とは反対にある居間へと足を向けた。
この手を引いて、連れ出して