ほっこり茸

ほっこり茸

茸のファンタジーです。


 昨日やっと待望の雪が降った。一晩降っていたので、林の中は雪でおおわれただろう。明後日あたりが楽しみである。林の中で動物たちが集まって幸せな顔をしているのに出会うことができる。カピバラが湯の中でじっと気持ちよさそうにしているのを報道番組で見たことがあるだろう。我が家のある林の中では、動物たちがみなそういう幸せな顔をしている。
 山小屋の窓を開けた。木々の下は雪で白くなっている。
 私は今年、喜寿を迎える。ちょうど五十年前にこの町に来た。仕事の関係でこの地に赴任して、とある出来事から永住を決めたのである。

 当時、この地にある支店に、営業主任として転勤を仰せつかり、栄転だと皆にもてはやされた。それはいいのだが、鹿児島育ちの人間にとって、寒さに耐えられるかどうか不安な面があった。ところが来てみたら、会社が自分のために用意してくれた一軒家は、暖房設備が東京の住んでいたマンションよりしっかりしていてむしろ快適だった。大学卒業後、実家を離れてからはじめて、このように広々とした家に住んだ。
 社宅のある山の麓には、個人の注文住宅が建ち並んでいる。私が住むことになった社宅は地元の人の持ち家だったが、外国勤務になり貸し出していたところを、会社が社宅として五年間借りたのである。裏庭から山の斜面に広がる林に入っていける。隣には退職した老夫婦、反対隣には共稼ぎの若い夫婦が住んでいる。
 食べ物も自分の口にはよくあっている。このあたりは蕎麦が美味いし、果物も豊富、豊富な山菜なんて天ぷらにするとビールに最高である。裏山の斜面の雑木林にちょっと入ると、秋には食べられる茸がたくさん顔をだす。
 何よりも猫がいることになったのは嬉しかった。実家には一緒に大きくなった猫がいたのだが、東京では飼うことができなかった。赴任した年の夏、開け放した縁側からぶちゃけた茶虎の猫が入ってきた。キッチンまでうろついて、やけになれなれしく餌をねだった。猫餌などなかったので、白い飯に削り節をかけてやったら喜んで食った。雄は出歩くものである。どこかの飼い猫で夜になれば帰るだろうと思っていたら、そのままいついてしまった。誰も探しに来ないので、自由にさせていた。
 この猫は私が仕事で留守のときは外に出て庭や裏山で遊んでいた。八月も終わりに近くなり、ちょっと冷たい風が吹き始めた途端、外に出なくなった。トイレの時だけ裏の納屋の隙間から出て行く。
 猫に名前をつけてやった。家にきたときは茶虎と呼んでいたのだが、秋のはじめになって電気炬燵をだしたら、炬燵の中か布団の上で丸くなって外に出なくなった。夜は当然のように自分が寝ている布団に潜り込んできた。そういうことで寒がり坊主と名を変えた。結局、面倒くさいので坊主と呼んでいる。
 この地に赴任して三年目。長野と山梨にまたがるこのあたりは秋田や青森ほどひどい雪が降るわけではない。ところがその冬はやけに寒く、雪が深くなった。十二月になると週の半分は雪が降っていた。
 ところが坊主は今までの冬と違った。あの寒がりが会社から帰っても家にいないのである。夜遅く帰ってきて餌をねだった。抱き上げると雪の中を歩いてきたはずなのにあまり冷たくない。そのときはよその家に上がり込んでかわいがられ、ぬくぬくしていたのだろうと思っていた。
 とある日曜日、坊主は私よりあとから起きてきて、朝の餌を食べ終えると、居間のガラス戸から外を見つめた。何かを見つけたようで、二本足で立ち上がるとガラスに両手をかけ、振り向いて私の方を見てにゃーと鳴いた。外に出たいときは母屋続きの納屋の戸を開けてくれとせびるのだが、今日はどうしたことか。ガラス戸を少しばかり開けてやった。
 雪はちらほらと降っているだけだが、冷たい風が部屋の中に吹き込んできた。出ないだろうと思った坊主が躊躇せずに雪の積もった庭に飛び降りた。ガラス戸を閉めて見ていると、雪の上を喜喜として歩いて椿の下で鼻をふすふすさせ何かをかいでいる。しばらくすると、あきらめたように家の裏の方に回って行った。なぜ裏に続く納屋からでなかったのだろう。てっきり表の道からどこかの家にでも向かうのかと思ったのだが、雪だらけの裏山に行ってしまった。
 椿の木の下に何かあるのかと、玄関から外に出て庭にまわってみたが、雪が丸く凹んでいるだけだった。おしっこでもしたかったのだろうか。
 裏の斜面の雑木林には、秋になるといろいろな茸が生えて、見ているだけでも楽しい。三年目にもなると、地元の人から教わり、食べられる茸も少しはわかるようになった。おかげで茸が食卓をにぎわせてくれた。だが雪が積もった山に入はいったことがない。雪だらけで猫が行くようなところではない。どこに行くのだ。
 坊主が戻ってきたのは昼過ぎである。そんなに長い間おしっこをしているわけではないから、どこか気に入ったところがあるのだろうか。
 雪が小やみになっていたその次の日の朝、隣の家のおばあさんが入口前の雪をかいていた。
「おはようございます」
「おはようさん、雪が多くていやになっちまう」
「そうですねえ、うちの猫はこの雪なのに裏山に遊びに行くんですよ」
「おや、お宅の猫ちゃんも、うちの黒も朝になると外に出してくれってせがみおるんです、それで昼になると腹へってもどってくるけどね」
「全く同じです」
「今までそういうことはなかったね、猫だけは元気だわ、お宅の坊主と一緒に遊んでいるのかもしれんね」
 そう言いながらおばあさんは家に入っていった。 
 裏山に雪が降っても猫にとって居心地のいい場所があるのだろう。猫の感覚で暖かい場所を探し当てたとすると、どこの猫もそこに行くかもしれない。もしそんな場所があるなら、このあたりの猫が集まっているかもしれない。見てみたいものである。
 まさかのチャンスがだいぶ経ってからおとずれた。あと三日で新年という晦日のことである。珍しく朝から晴れ渡り、青空に太陽がまぶしいほどである。会社がその日から休みに入り、新年の準備に町に買い物に行こうかと思って、ガレージ前の雪をどかしていると、隣の黒猫が裏山に行くところだった。うちの坊主はとっくに家から出て行ってしまった。
 町で暮れと正月に必要なものを買って家に戻っても、坊主はまだ戻っていない。山に続く裏庭に回ってみると、雪の上に猫の足跡が雑木林の中に続いている。足跡を追っていけば、坊主のやつをみつけることができるかもしれない。ブーツを長靴に履き替えた。足跡を追っていくことにした。
 林の下の雪は十センチほどである。天気がいいので雪が陽の光反射し、まぶしいほどだ。雑木林の斜面の足跡は道の上に沿ってついているようだ。足跡の脇を上っていくと、横から来た猫の足跡が合流したところにでた。きっと黒だ。
 二匹の足跡はやはり林の中を上にいく道に沿っているようだ。秋にはこのルートをいくと、茸がよく生えるところに行きつく。
 林の中は雪があっても、風がないせいか寒さを感じない。ときどき雪がぱらぱらと落ちてくる。たまにどさっと音がして固まって目の前に落ちたりする。久しぶりの陽の光に動物たちが動き回っているようだ。鳥が木から飛びだって、木の枝に積もっている雪が降ふってきた。
 足跡が登り道からはずれて右に曲がった。二匹とも同じ方向に行っている。この先に木に囲まれた広場がある。秋にはその広場に水溜りもできて、茸がその周りに集まって生える。なんだか暖かく感じられようになってきた。歩いたからだろうか。
 雪の中に、雪が溶けて地肌がでて、茶色に枯れている草が現れているところがあることに気付いた。いくつもある。大きさはまちまちだが、どれもそろってまん丸である。白い雪の原に茶色の玉模様が点々とある。このあたりは雪が少なかったのだろうか。
 広場に着く手前で、足跡が二つに分かれた。ちょっと小さい足跡と大きい足跡である。隣の黒は雌でまだ若い。うちの坊主はデブ雄である。大きい方の足跡は広場のほうに向かっている。追いかけていけば坊主に会えるかもしれない。
 やっぱりだ。広場の雪の中に茶色の猫の後ろ姿が見えた。坊主だ。尻をこちらに向けて頭を垂れて眠っている。なんだろう坊主のいるところは直径が一メートルほどの円の中で、そこだけ雪がなく、土がはだけて、緑の草が生えている。その円のそばによると、ふっと暖かい空気が顔をおおった。坊主は熟睡中だ。
 「寒がり坊主」
 猫のフルネームを呼んだ。坊主のやつ目をトローンとさせてこちらを向いた、まだ半分寝ている。輪の縁にいって、頭をなでてやった。坊主の頭が温かい。むーっと暖かい空気が私の顔を包んだ。まるで炬燵の中だ。地熱か?
 輪のほぼ真ん中に茶色の茸が生えている。高さが一五センチほどで、天狗茸に似ているが柄が太くどっしりとしている。手を近づけたらかなり熱い。茸が熱を出している。猫にとって、ストーブの脇にいるようで気持ちがいいだろう。
 「帰ろう」
 声をかけたが、体を丸くしてしまって顔を自分の手で隠してしまった。抱き上げて持って帰ろうかと思ったが、あまりにも気持ちが良さそうなのでやめた。写真機を持ってくるべきだった。次はそうしよう。
 「お昼にはかえりなさいよ」
 と坊主に言ったのだが、振り返りもしない。
 来たところを戻りながら、雪が丸く溶けているところをのぞくと、真ん中に必ず一本の茶色い茸が生えていた。手をかざすと暖かい。ホットスポットだ。
 ホットスポットの広さは茸の大きさに比例しているようだ。
 小さな足跡も追ってみることにした。黒い猫が坊主と同じように雪の溶けているところにいることは想像できる。
 案の定、ちょっと歩いたところで、黒も丸く雪の溶けたホットスポットの中にいた。やっぱり真ん中に茶色の茸が立っている。驚いたことに、黒の脇に小柄な三毛猫が寄り添っていた。どちらも雌だ。三毛の足跡がなかったのは違う方角から上ってきたからだろう。近くの家の飼猫に違いない。
 林の中に猫の好きな暖かい場所があるとは驚いたものである。しかも、茸が生えていて、それが暖かい。
 黒と三毛には声をかけずに家に引き返した。家の近くまで降りる途中にも茸のホットスポットがいくつもあった。上ったときには気がつかなかったようだ。どれもまだ小さい。真ん中の茶色い茸も小さなものである。手をかざしてもそんなに熱くはない。傘に直接触れてみた。弾力があり、ふれた指先が少しばかり熱かった。育つと大きなホットスポットを作ることになるのだろう。
 もしやと思って、裏庭から表の庭に行って、椿の木の下を見てみた。朝、坊主がのぞいていたところだ。小さなすり鉢状の雪の凹みがあり、まだ小指にも達しないような小さな茸の頭がのぞいていた。坊主にはそれがわかっていて庭に飛び出したのだ。
 坊主はお昼だいぶ過ぎてから家に戻ってきて餌をねだった。
 それにしてもあの熱い茸はどういう茸なんだろう。熱をだすのも不思議だが、真冬に生えるとは、普通の茸の常識に反するものである。

 大晦日の朝も雪がちらついていた。坊主は朝御飯を食べるとそそくさと納屋から出たがった。冬は寒いので納屋に続く廊下の戸は閉めてある。坊主は出たいときにおねだりをする。出た後は猫が通れるくらい開けておく。戸を開けてやると嬉しそうに尾っぽをおっ立てて納屋に入って行った。行くところは分かっている。
 大した雪ではないので、写真機を持って行ってみることにした。ホットスポットで茸と猫が一緒のところを写真に撮ろう。来年誰かにそんな茸のことを聞いてみることにしたい。
 坊主がでてから一時間後にカメラをもって裏山を登った。昨夜も雪が降っていたので坊主の足跡だけがくっきりと残っている。
 足跡は一昨日と同じ方向なので行先は同じだろう。場所がわかっているので安心してゆっくりと歩くことができた。家の近くのホットスポットが少し大きくなっている。ほんの手の平ほどの広さの丸いスポットに小さな茶色の茸が立っている。写真を撮った。手を近づけると熱が伝わってきた。
 歩きながら大学で生物学の先生が言っていたことを思い出した。人間や猫、すなわち哺乳類や鳥は体で熱を作ることができるが、それ以外の動物は作ることができない。
 
卒業した経済学部では一般教養がまだあって生物学を受講した。生物学では動物ばかりでなく人の体のことも教わり、知識がひょっと役立つことがある。植物や茸は熱を作るとは教わらなかった。とするとこの茸はかなり珍しい。
 物理学で、黒は太陽の光を吸収して熱くなり、白は跳ね返すので中は涼しいことの原理を教わったが忘れた。この茸は濃い茶色である。天気のいいときに熱をためて、放出するのか。だがここでは雪や曇りの日が多いから無理だろう。熱は摩擦でも生じると習った。しかし、茸は単独で生えていて擦れ合う相手がいない。自分の知識では茸が熱を出す仕組みは皆目分からない。
 そんなことを考えながら登っていくと、茸が育っているとみえて、大きなホットスポットが目立ち、丸く雪の溶けた場所がはっきりと見えた。
 坊主はやはり広場にいた。茶色の茸はもっと背が高くなっており、離れていても暖かさが感じられるほどだ。
 茶虎の坊主が茸のそばにいる。ところがふさふさしたもっと濃い茶色の猫が寄り添っている。友達ができたようだ。坊主は家に来たときすでに去勢されていた。だから友達は雌とは限らない。
 近づいて行くと、友達のほうが先に気づいて立ち上がると、溶けているところから飛び上がって反対側の雪の上に飛んだ。ずいぶん太い尾っぽだ。脅かしてしまったようだ。坊主はあくびをしながら自分を見た。友達が振り返った。
 ありゃ狸だ、猫じゃない。あわててカメラを向けてシャッターを押した。狸は名残おしそうに振り返った。あわてていたのは私の方だ。狸には迷惑だったろう。
 下に降りる途中で、前に隣の家の黒がいたホットスポットによった。
 近づいていくと、茸のところに白い猫がいた。白い猫が私に気づいて飛び出した。あれ違った、今度は兎だった。写真を撮り損ねた。
 ホットスポットに林の中の動物たちも集まるようだ。兎はちょっと離れたところからこっちを見ている。早く戻ってやろう。
 すぐ引き返した。ちょっと歩いて後ろを振り返ると、兎はホットスポットの茸の脇にもどっていた。暖かいところがいいのだ。そのままひき返すと、帰り道のホットスポットの中には鼠や天道虫などの虫たちがたむろしていた。みんな暖かいところが好きなのだ。
 家の近くの林の中で、小さなホットスポットの茶色の茸を摘まみ上げてみた。ちょっと熱く感じたが土から引っこ抜くのに力はいらなかった。そのまま持って家に帰った。家に入る前に庭の椿の下を見ると、ホットスポットがはっきりしていて、茶色の茸が立っていた。
 茸の名前を調べるためコンピューターを開いた。茸の研究所や研究家たちが立ち上げているブログ、個人で茸の写真を乗せているブログがいくつもある。素人の中には茸の名前だけではなく、種別に分類し学名までのせている専門家はだしのものもある。かなりのブログを見たが、この濃い茶色の熱を出す茸の名前はなかった。
 机の上においておいた茸を手にとってみたら、もう暖かくはなかった。土から生えていないと熱がでないようだ。
 撮った写真は東京の友人に送った。本社の同僚で、輸入課の食品担当をやっている男である。農学部を出て海外の作物や産物の買い付けをやっている。仕事柄もあり植物や茸のことをよく知っている。私は輸出課にいて、日本の道具や工芸品の売れそうなものを探して海外のマーケットを広げることをやっていた。本社にいたときにはネットで売れそうなものを自分から探したり、会社に売り込んでくるものを査定することをやっていた。なかなかいいものが関東に近い長野や山梨に多かったので、支店に配属され、直接よい商品を選ぶ仕事をすることになったわけである。
 写真をメイルに張り付けて、茸の周りの雪が溶けるほど熱を出していて、猫や動物がその場所に集まっていることを書いて同僚に送った。
 程なく返事が来た。
 「名前はわからない、熱を出すような茸は見たことも聞いたこともないが、採ってしまうと熱を出さないのなら、土の中から熱を吸収して放出しているのじゃないだろうか。土の中にはその茸の菌糸が網の目のように延びているのだから、菌糸が熱を集めて茸に伝えているのだろう」
 とあった。
 空中から熱を吸収するより地中から吸収するほうが理にかなっている。
 お礼のメイルを出したらまた返事が返ってきた。
 「茸より菌糸の方が熱く、丸く土の中で延びているので、そのように雪が溶けたのじゃないかな、面白いね、見てみたい、それと君の住んでいるあたりは地熱の温度が高いのじゃないかな」
 なかなか理論的である。確かにこの地では地熱発電なども試みようとしている。地熱発電装置を開発している会社もあって、輸出商品としてどうか調べているところでもある。
 「年が明けたら遊びにこいよ」
 とメイルを書いた。
 そのとき坊主が帰ってきて足に擦りついた。餌がほしいのだ。
 薄茶色の背中に濃い茶色の毛がついてる。あれから狸が戻って寄りかかっていたに違いない。動物の世界は平和だ。
 「おい、あの狸は雌か」と意味のないことを聞いた。
 猫が答えるわけはない。まあいい、餌をやろうと茸を持ってキッチンに行った。坊主はかりかりを器いっぱい食べ、お代わりを要求した。至極健康だ。
 俺も腹がへってきた。
 この茸は食べられるのだろうか。
 自然に生えていた茸は食べる前に塩水に漬ける。赴任したての時、近所の人に引っ越し挨拶で東京のお菓子を持って行ったら、逆に干した茸と凍った茸をもらって、食べ方を教えてくれた。干した茸は杏の匂いのする名前もそのもの杏茸だった。氷った茸は真っ黒で、名前は黒皮、渋みのあるうまい茸といわれた。どちらも初めての茸だった。家に帰って言われた通りに料理して食べた。本当にうまかった。東京で味わったことはない。実家の九州では特産の椎茸ばかり食べさせられてきた。
 挨拶に行った近所の人は、採ってきた茸は二、三十分塩水に漬けておくと茸に入っている虫がでるのでそうしなさいと教えてくれた。それ以来、自分で茸を採りに行くようになってから、採ってきた茸は必ず料理する前に塩水に漬けることにしている。茸の傘の襞に虫がいることが多いが塩水につければみんな出てしまう。ホットスポットの茸は熱を出して暖かい。ということは虫が喜んで住み着く。ボウルにいれた水道水に塩を少々いれ、そこに茶色の茸を放り込んだ。
 坊主がまた餌をねだったので、新しい袋をとりだして器に入れてやった。食欲旺盛すぎる。そのとき、キッチンテーブルの上で蒸気があがった。
 あっと、あわてた。何か危ないものがあったのだろうか。
 猫の餌を取り落として、立ち上がって、テーブルの上を見た。
 茸をいれたボウルの水が沸騰して煮立っている。
 なにが起こったのか始めわからなかった。ボウルに触ってみると熱い。塩水が沸騰している。
 茸が水を吸って熱をだしているようだ。自分でゆだっている。ということは、この茸は地熱を菌糸が吸収して、それを発散していたのではないだろうか。菌糸は積もった雪の冷たさを吸収して、熱に変えている。だから、雪が降らないと熱くならない。ということなのではないだろうか。
 とりあえず、ぐつぐつ沸き立つ塩水の中から箸で茶色の茸を挟みだして、テーブルの上に置いた。ゆだった茸から湯気がでていたがすぐにおさまた。触れてみたらもう熱くない。
 この茸を鍋に入れれば、コンロの火の上にくべなくても炊けてしまうということになる。天然の燃料である。猟師町の海辺で、熱く焼いた石を鍋に放り込み、魚の鍋を炊くのを見たことがある。その石の代わりになる、茸が毒でなければ燃料が食えることになる。
 そうだ、湯たんぽに水をいれ、この茸をいれれば熱くなる。坊主が喜ぶだろう。
 水にいれたら茸はいつまで熱を出すのだろう。そう思って、ボウルの湯を捨てて水を入れ、もう一回茸をいれてみた。あっという間にボウルにいれた水が沸騰した。蒸気がもうもうとあがった。中の茸が縮んでいるようだ。
 そのまま一時間おいておいた。茸がずいぶん小さくなった。
 この茸は水分がつくと熱を出す。ということはエネルギーを出してしまうので縮む。だけど土から生えていれば、すなわち菌糸とつながっていれば茸の熱は菌糸を発達させ、茸も大きくなり、より高い温度の熱を出すことができる。
 こんなにロジカルにものを考えたことがなかったので、思いついたときには嬉しくなった。
 茸を乾燥させたらどうだろう、その粉を水にいれたら水が熱くなるのではないだろうか。
 やってみよう、もう一度裏山に行ってホットスポットの茶色の茸を採ってきた。その茸に糸を通し納屋につるした。乾燥するのに数日かかるだろう。そのあと粉にして水にいれて沸騰するかどうかみてみることにしよう。
 沢山食った坊主は満足して電気炬燵の脇で丸くなっている。

 年が明けた。といっても毎日の生活が変わるわけではない。ただ六日間の休暇の半分が終わったということである。いつも年の瀬と新年はそんなことだが、今回は熱を出す茶色の茸の発見がある。もしかすると、これがこの地域の新たな産業になるかもしれない。
 元旦、雪が降っているが、ひどい降りではない。寒がり坊主はすでに外に出ていった。また裏山の茸のストーブでほっこりしているのであろう。
 今日も写真を撮りに行ってみることにした。
 もう猫の足跡を追っていく必要がない。行くところは決まっている。裏の林の中にもホットスポットがたくさんある。背の高くなった茶色の茸が雪の上に点々と顔をだしている。寒がり坊主が家からでるようになってまだ一月経たない。きっとそのころ茸が広がり始めたのだろう。今年は気候条件がよく、生えてきたのかもしれない。真冬のしかも雪が程々に降ることがほっこり茸の生育に必要ということだ。動物たちが幸せそうな顔をしていることから、ほっこり茸と名付けてみた。
 坊主が行くあたりにはずいぶん大きく育ったほっこり茸があちこちに見られる。茸の周りの雪が広く溶けて、枯れた下草と土が露呈している。土や草を触ってみると、かなり乾いている。これなら動物たちにとってとても気持ちのいい場所である。
 ホットスポットには猫だけではなく、なにかの動物がいることが多い。真冬に野性の動物写真が撮れるとはラッキーである。
 生まれたての子供と一緒のウサギがいた時にはちょっと驚いた。動物の繁殖時期は子供の育てやすいとき、それは餌が豊富で体が楽なときだよと、大学の教養の先生が言っていた。ウサギの繁殖時期は知らないが少なくとも寒い冬ではないだろう。それでも子供がいるということはこの茸が暖かい場所を提供しているわけだ。
 家畜を飼育しているところでこの茸が生えていると、冬でも暖かくでいいかもしれない。いろいろな利用価値がある。
 いつものホットスポットに坊主がいた。今日は一匹で茸のそばでうっとりとしている。まさにストーブにあたっている猫である。近寄ろうとしたとき、小さな黒いものがいくつか雪の上をかけてきて、坊主の暖まっているホットスポットに走り込んできた。何だろうと見ていると子猫だった。真っ黒い子猫が三匹、坊主の脇に来てじゃれている。坊主もそばに来た子猫の耳をなめてやっている。去勢された坊主の子供のはずはない。隣の家の猫は黒猫である。黒猫のいる場所はちょっと離れている。そこに行ってみた。
 黒はいつものところにいた。ところがちょっと大きめの真っ黒い猫と一緒である。明らかに夫婦のようだ。とすると坊主のところに遊びに行っていた黒い子猫はこの二匹の黒猫の子供だろう。
 坊主は狸に好かれたり、子猫に好かれたりなかなか性格のいい猫なんだ。餌をたっぷりやろう。
 林の中を見て回ると、他のホットスポットにも猫がいた。三毛猫や白黒猫、なんだか上等そうな毛の長い猫がいる。一匹でほっこり茸にあたっているのもいれば、二匹でいるのもいる。温泉に浸かっている動物たちのようだ。カピバラだ。
 そのような様子を写真に収めた。
 
 正月休みはあっという間に過ぎた。
 会社にでると、周りの者も張り切って出社してきた。
 「主任、正月はどうでしたか」
 はじめからこの支店に就職した営業マンである。近隣の昔ながらの道具を作る老人を捜して、特産品を作らせているなかなか有能な男である。竹細工や木製の道具をハンドメイドの品としてヨーロッパ向けに輸出している。
 「家で猫と遊んでいただけだよ、君はこのあたりの出身だったよね」
 「そうです、隣の町ですけど、大学もこっちです」
 彼は自宅から通っている。
 「冬の茸って知っている」
 「木にくっついている奴ですか」
 「いや、土から生えるの」
 「知りませんね、雪の中で生えるのはありませんよ、猿の腰掛けのたぐいが木にくっついているのはよく見ますけど」
 「この辺の人なら、僕が住んでいる社宅のことは知っているかな」
 「ええ、俺が紹介したのですよ、支店長からどこか社宅として借りることができるところがないか不動産屋にあたってくれって頼まれまして、知り合いの不動産屋から情報もらってあそこを社宅に借りたんです、なにか不都合がありましたか」
 「いや、とても満足している、逆でいいとこだなと思って」
 「あれはいいですよ、あの山の地主さんが開発した団地で、当時このあたりではハイクラスの場所でした。賃貸住宅でした。二十年前のものですけどね、俺がまだ七つの時かな」
 「地主さんはどこに住んでいるの」
 「団地を作った地主さんは亡くなって、今お子さんが地主さんだけど、アメリカにいるので、知り合いの不動産屋が管理しているんですよ、どうしてですか」
 「なんか気に入ってね」
 「でも、主任は五年したら本社の偉い人になるんだって、支店長が言ってました」
 「冗談だろ、支店長そんなこと言ってたの、戻るつもりではあったけどね」
 支店長は今日東京に会議に行っている。四十半ばの独身女性である。 
 「今、あの団地の家に住んでいる人は地主さんから安く譲ってもらって、自分のものにしています、いい場所ですから」
 「アメリカに行っている地主さん、向こうでなにしている人なの」
 「学者さんです、もしかすると、アメリカにずーっといるかもしれないという話ですよ」
 「あの裏山もその地主さんのものなの」
 「そうです」
 「あの社宅はもし買うとするといくらぐらいなのかな」
 「百二十坪ですから、家はもう古いものでただ同然だから、五百万くらいですよ」
 「そんなに安いの」
 「都心と比べてはいけませんよ」
 確かに鹿児島の実家は二百坪もあるかもしれないが、ローカル線でかなり行くので、同じくらいかもしれない。
 その日、家に帰って納屋につるしておいたほっこり茸を見た。とてもよく乾燥していた。手でつぶすと粉になった。それをコップの水にいれた。だがなにもおきなかった。やっぱり生きている茸でないと熱は出ないようだ。
 裏山のホットスポットはまだまだ増えていて、茸も大きくなっている。雪の中の動物の写真はずいぶん撮れた。大きな動物はやってこないが、狸、狐、兎、貂(てん)、穴熊、鼬、栗鼠、それが雪の中にできているホットスポットでぬくぬくしている。
 何本か茸を引っこ抜いたが、ホットスポットはしばらくそのままである。ただ去年暮れに抜いたところは雪で覆われはじめている。菌糸も熱を出す。だけど茸がないとだんだんと弱るということだろう。
 本社の友人から電話があった。急に忙しくなって、遊びに来れないということだった。彼に菌糸について話した。
 「茸は菌糸のかたまりだよ、茸が熱を作ると言うことは菌糸が熱をつくるということだよ、だけどそんな茸あるわけないから、やっぱり偶然熱を吸収しただけだろう」
 そう言った。なるほど、そういうことだったんだ。ほっこり茸は菌糸そのものが水を吸うと熱を出す性質を持っているわけである。茸があった方がより強い熱が発せられるということだろう。だから干してしまって、死んだ状態では熱は作れないとわけだ。それにしても友人は茸が熱を出すことを信じていないようである。まあそれが当たり前だな。

 一月も半ばになり、相変わらず、坊主は裏山に出かけてなかなか帰ってこない。
 庭の椿の下のホットスポットがだいぶ広がっている。ちょっと大きくなった茸に手をかざすとふーっと暖かい。そうだ。他の山にこの茸は生えていないのだろうか。裏山の周りも調べてみる必要があるだろう。
 裏山はそんなに高い山ではない。尾根まであがって歩いていくと、もっと大きな山に続く。夏にはとてもよいハイキングになるが、雪の降っているときには行ったことがない。今はそんなに雪が深くないので、ほっこり茸がどこまで生えているのか見に行くことにした。
 日曜日に山登りの準備をしてでかけた。途中で相変わらず坊主や黒がホットスポットでほっこりしている。そからもっと上に登り尾根に出た。そこまではホットスポットがいくつも見られた。高いところのものほど大きいような気がする。尾根を歩いてみたがそこにホットスポットは無かった。尾根の反対側の斜面にもなかった。住宅のある側、南向きの斜面になるが、そこにしかないようである。
 尾根を歩いて、そこから大きな山に登る道に入った。もちろん雪に覆われているが、何度か来たことがあるので、大体分かる。しかしホットスポットはなかった。程ほど歩いて引き返した。
 会社の仲間と秋になると茸狩りに出かた場所が何カ所かあるが、雪の降っているときに行ったことはない。そういうところにも日曜日になるたびに行ったが、ホットスポットはみつからなかった。
 茸は日のあたり具合、風の具合、温度の変化、湿度、相当気むずかしいということだ。ということは、自分のすんでいる住宅地から裏山までがほっこり茸には適した場所なのだろう。
 雪は二月になっても降るが多くはない。遠くに連なって見える高い山は雪で覆われていても、この辺りでは少なくなる。雪がなくなってくるということは、ほっこり茸はもう半月もすると見られなくなるわけである。
 今のうちにいろいろ試してみた。大きな茸を一本、水を張った風呂桶に入れると十分ほどで41度になった。そのままにしておくと一時間経ったらぶくぶくと沸騰寸前になった。危ないと思ってトングでつまみ出したら茸は小さくなっていた。
 水を入れた鍋に茸を入れれば沸騰するので味噌汁などはすぐにできた。長く入れておけば煮物も簡単だ。飯ごうに米と茸を入れたらすぐ炊けた。調節するには使う茸の大きさを変えればいいわけだ。暖房は無理にしても料理や風呂などは問題なくできることがわかった。ずいぶん経済的な茸である。
 裏山を散策すると雪が溶けても茸は立っていた。ただ少し皺が寄っているように見える。手をかざすとやっぱり暖かいが、一月の時のような勢いがない。一月には新たなホットスポットができていたが、二月になると減るだけのようだ。新たな菌糸の発達がないのだろう。しかし普通の茸は一週間で萎びるが、ほっこり茸は一月から二つ以上だ。
 二月の末になると、坊主は家で遊んでいることの方が多くなった。ホットスポットが少なくなったからだろう。我家の庭にあったほっこり茸も萎びてきて、ホットスポットも消えかかっている。
 三月にはいり、この町には雪がほとんど降らない。たまに低気圧がくるとちらちら舞うこともあるが積もるほどではない。東京と比べればかなり寒いが、それでも日の光は春らしくなってくる。裏山に行ってみると、林の中のほっこり茸は雪がなくなっても少しは立っている。ただ茸の暖かさはずい分衰えている。
 その日、坊主が裏山に入っていった。久しぶりである。それで後をついていった。もうどこにもホットスポットはない。半分萎びたほっこり茸が林の下草に混じっておじぎをしているだけである。
 いつもの猫たちが茸の生えていたところに集まっている。狸もいるようだ。
 じゃましないようにちょっと離れたところから写真を撮っていたところ、ぱーっと日が射してきて、林の中がいきなり明るくなった。その時、萎びていたほっこり茸がいきなり膨らんでパンパンになり、傘がぐんと大きくなった。いきな、傘に割れ目ができてぱっと広がった。そこから緑色の煙が立ち始めた。林の中に緑の霧が立ちこめそこに太陽の光が当たって輝いた。
 萎びていた茸が一斉に胞子をとばしたのだ。
 林の中が緑に輝いている。こんなにきれいな光景を見たことがない。写真にとっても意味がない。この情景を写すことは不可能だ。
 猫や狸や兎や、動物たちが一斉に動き出し、胞子を放出した萎びた茸にかじりついた。うまそうに食っている。
 食える茸なんだ。動物たちは暖をとっていただけではなく、この日を待っていたのではないだろうか。
 自分も萎びたほっこり茸を採って生で食べてみた。美味い。こんな旨い茸食べたことがない。噛むと口の中に茸の汁が絞り出される。果物のようでもある。動物たちはほっこり茸は萎びるほど成熟し、胞子を飛ばした後が一番旨いことを知っていたのだ。
 私も夢中になって食べた。そして後は覚えていない。とても気分が良くなって、動物達と遊んでいた。本当に動物たちと手をつないでいたのではないだろうか。自分の手に猫の手の感触が残っている。
 そのあと、いつの間にか自宅に戻って布団の上で寝ていた。目を覚ました時には次の日の朝になっていた。坊主も布団の裾で丸くなっていた。
 まだ口の中に茸のうまみが残っている。
 昨日、3月6日は啓蟄だった。ほっこり茸は啓蟄に胞子を飛ばすようだ。来年も是非その場に立ち会いこの茸を食べたい。
 その日からこの地で一生過ごすことを決めたわけである。一年に一度、ほっこり茸を食べること、それが目的である。他の人にその旨さを説明することができない。その茸を特産品にして輸出などしたくない。独り占め、いや動物たちと一緒に年に一度楽しむのである。
 そのため鹿児島の家を処分し、社宅だった家と裏山を買った。支店に来て五年目のときである。本社には戻らなかった。そのあと一生懸命働いた。途中で退職し自分で茸の商社を興した。茸の栽培をやったり、地元の老人たちが採ってきた自然の茸をネットで売った。採ってきた人にも客にも喜ばれた。
 ほっこり茸はほっこり茸のままである。名前も調べてもらうことをしなかった。
 社宅だったところに新たな家を建て、自分の物になった裏山の一角にロッジを建てた。今家には十二匹の猫がいる。坊主はうちに来て二十二年生きて老衰で死んだ。坊主とは一緒にほっこり茸を何度も食べた。ホットスポットを作るほっこり茸を教えてくれた坊主にはとても感謝してもしたりない。
 雪の季節になるとロッジの方に移り生活をする。猫たちもそっちで生活をする。電気は引いてある。だがあまり電気代がかからない。どうしてですかとよく聞かれるが教えない。あの茸を風呂の中にいれれば十分でわく。雪が降らなくてもほっこり茸は少しだが生えてくる。こうして色々な生き物たちと仲良くなった。自分が動物として受け入れてもらっている。特に啓蟄のその一日、美味しい茸を食べ、猫や狸や兎たちと一緒に手をつないでいる。マジックマッシュルームの仲間か?
 そういうことで、この年まで独り身である。
 今年も啓蟄の日が待ち遠しい。 

ほっこり茸

ほっこり茸

寒い地方に赴任した。家にやってきた猫を飼ってやるが、寒い雪の降る日に裏山にでかける。どこに行くのかとついていくと、ポカポカと温かい場所があった。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-03

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