婆と爺

山の上の家では…

山の上の家

「勉強、勉強」と口うるさい両親に堪りかねて家を飛び出した。
 飛び出したはいいが、九州地方の山奥の家からはそんなに良い家出先もなく、暗くなると森など特に不気味な様相を呈するし、大体この辺の人たちの情報網も半端じゃないため、息子はどこだと親が聞けば、あそこだ、向こうだと答えが飛び交い、いつもどこにいるか分かられてしまうのだった。

 ならばと思い、山道の続く限り上まで、と力の限り登っていくことにした。そうすると、最後に行き着く先に見晴らしのいい丘と大きな家がポツンとあった。
 さすがにここは分かるまい。
 頂上が拓けていて、とても見晴らしがよく、自分の家がよく見える。近所にまばらに家があって、向こうに谷があるから道は細く、大きな畑を裏庭に持ってる家も少なくない。
家々の並びは大きな階段みたいに段々となっているのも分かった。
 そろそろ動く頃かな、と思うとおかあがやはり慌てて出てきた。村人に聞いて回っているが今日はうまく隠れながら来たんだ、分かるまい、と、とても愉快な気分になった。
 しめしめ、と思いながら観察しているうちに日が落ちてきて、お日様も黄色から段々と赤みを帯びてきた。村の人たちも何事かと家を出始めて、軽い騒ぎの感を呈している。
 流石にまずいかな、でも戻りたくもない。そう思っているうちに、後ろからいきなり

「坊や、なんしよるとね」

と、声がかかり、ビックリして振り向くと、品の良さそうな老婆が立っていた。

「えっと、どうも…」

心に後ろめたいものもあり、しまったばれたと思った。
 その表情を見て察したようで、老婆はしたりがおで、

「あんた、なんか悪さしとっちゃろ。まあ、ちょっと婆がこらしめんといけんね。」

と少し怪訝な顔をしながら言い放つ。
 まずい、逃げねばと思うが、思ったとてするりと捕まり、老婆に手を取られ、ずるずると大きな門の中に引き込まれていった。

中に入ると立派な庭があって、思わず、すげえ、と声に出た。すると婆は表情がゆるみ、

「凄かろう、凄かろう。あんた分かっとるね」

と、少しニヤけたような声が聞こえた。
立派な玄関からまるで猿回しの猿みたいに手を引かれながら家に入り、見渡すと囲炉裏のある小さな部屋だった。

「そこ座らんね」

と老婆は手を離した。囲炉裏の傍に用意された座布団の上にちょこんと正座した僕は、これからガミガミ怒られるのか、おかあに捕まったがよっぽどましだった、と変なところまで逃げてきてしまったことを悔いた。
婆が対面ではなく右隣に座っておっかない顔になってしゃべり始める時、怒鳴られると思って思わず肩を強ばらせ、ぎゅっと膝の上に手を握りしめ、目もまたぎゅっとつぶる。

ああ、怖い……。

そう思っても、婆の声は聞こえない。
あれ、おかしい、とちらっと目を開けて婆を見た。
途端に婆は

「なんばしたとね!!!」

と怒りだした。
ヒエっ、と僕は言って、突然のことに涙が少し出た。タイミングを見計らって、待ってたんだな、ずるいぞ。僕はそう思って恨めしくなった。

「アンタはこのずっと下の家の子やろ!おかあさんに電話するけん、ちょと待っとき!」

そう言って婆は囲炉裏を離れた。
おかあに婆が電話して、おかあが来て、連れて帰られて、ガミガミ言われる。
いつも通りの展開だ。そう思ってた。
ところが、別の部屋に行った婆の笑い声が聞こえる。

えっ、なん話よるんやろ……。おかしい……。

意外な笑い声がずっと続いて戸惑って、戸惑って、そしたら婆が帰ってきて、

「お母さんと話してきたけん。」

と、言った。ああ、余計なことをと絶望していると、

「だけん、今晩は泊まっていきんしゃい」

と言ってにやりとする婆。
ポカン、として正座の上で手を緩めて婆をみた。
白髪で笑顔ジワが幾重にもあり、おかあよりもずっと長身、背中は丸まっておらず、シャンとしている。今まで気づかなかった婆を見て、状況がよく分からず僕は困惑の度を深めた。

婆様

婆がお茶とお菓子を用意してきたので、恐る恐る手に取り口に含む。正座は崩せない。婆はニヤニヤしながら、

「お母さんにはバッチリ叱っといたと伝えたけん。大丈夫よ、よろしく言われたけんね」

と言っていた。確かに叱られた。

「アンタ、勉強が嫌で逃げてきたんやろ?アタシも勉強が嫌で山奥に逃げたことあるけん。ふふ、同志たいね」

なるほど、この婆は同志か、よし、それなら大丈夫やろと思い姿勢を緩めた。
しかし、婆は続けて言う。

「ばってん、苦労したよ、その分ね。やっぱりせんだっちゃいい。生きてもいけるけどね、大人になって、知らんよりは子どもの頃から知っとる方がずっといい。それに、子どもの時は勉強せんやったが、大人になってから勉強したとよ。それもまた苦労やった。子どもの時ほど頭に入らん。やっぱり子どもの時に勉強せやんと」

と言った。こりゃ、同志が裏切ったと思い、身を固くした。

「ごめんなさい……」

素直に謝った。勉強から逃げ出してごめんなさいと。
そしたら、婆が、怒っとりゃせんよ。と言った。
婆がニコニコしてたから、僕はその言葉を信じて一気に話してしまった。

「だってね、家に居ったら勉強しろ、勉強しろておかあが言うけんね、嫌で、嫌でね。それで、今まではこんなところまで来たことなかったけど、ここまで来たと」

と、打ち明けた。婆はそおね、そおねとニヤニヤ聞いていた。

「親のいうことはなるべく聞いた方が良かよ。あんたの為を想って言ってくれとるんやけんね。」
「そんなん分かっとるけど、いつもいつも言われたら嫌やん。うるさいてなるもん」
あーあ、やっぱし、この婆はおかあの味方なんやな、裏切りだ、騙された。そう思って、ぶすーっとしてると、なおさらニヤニヤを増して、婆は、あそこの家の坊はきかん坊やなぁと言ってお菓子を勧めた。
そして、ちょっと待っときと言って、袖の障子をあけて別の部屋へいそいそした。

婆、嘘つきやな、やっぱり大人はずるいな。

そう思ってもう一つお菓子を食べた。
添えられたお茶も飲んだがこれは苦くて、この近くで取れるものだが、この辺のお茶はやはりまずいなと思った。よくも、大人はこれを好き好んで飲むなぁと思った。

さて、婆が戻って来た時、手に持ってたのは遊び道具だった。それも古かったから、知らないものばかりで、最近のゲームとかはなかった。

「坊、婆とあそばんや?」
「遊ぶのはいいけど、そんな古いの面白くない。ゲームとかないの?」
「ゲームとかよりもずっと面白いよ、まあ、やってみらんね」

そう言われて、一応、機嫌損ねられても嫌なので、やってみる。そうすると、これが面白くて、気がついたら日も山の向こうに入りきって、月が面白い形になってでていた。

「しまった、もうこんな時間か。坊、お腹すいとらんね」

言われてみれば、空いている。ペコペコだ。急に元気がなくなって、うん、すいたと言った。
婆はニヤニヤしながら、じゃあ、晩ご飯ば用意するけんテレビでも見とき、と言ってテレビをつけて台所へ出ていった。

テレビを見ながら、この婆の事はよく分からんなぁと思った。「勉強、勉強」と言われたのに、婆は勉強させなかったな。そう思って、不意に左を向くと大きな本棚に本がずらっと並んでいたのに気づく。その量にビックリして、これ全部、あの婆は読んだのかな、と思う。そうこう、待っていると、台所から婆の声が聞こえる。

「そろそろ爺様も帰ってくるけん、坊、手伝っちゃらんね」

そう言われて、ご飯までもらうのに、何もしないわけにもいかず、ととと、と台所へ行って婆の手伝いをした。
おかあに習ったように、ご飯かき混ぜたり何だりしてると、婆は、

「坊、手伝いば、ちゃんと出来るとね、偉かね」

と、ニヤニヤ褒めてくれた。思わず嬉しくなって、もっと手伝った。
目の前にご飯が用意されて、二人で囲炉裏を囲んだ。流石にお腹も随分減って、もう食べたくて食べたくて仕方ないのに、家で飼ってる犬のジロウのように、「待て」をされていた。

「もう少しで爺様、帰ってくるけんねもう少し待っちゃらんかいな」

お腹が空いて仕方ない。しかし、ジロウも出来る待てを人間の僕がしない訳にはいかないと耐え忍ぶ。待ってる間にそういえばと思って、婆、この本棚にある本は全部読んだのか、と聞く。婆は少し苦い顔をしながら笑って、

「読んだのもあるし、読んでないのもある。半分位よ。あと半分はこれから読むとよ」

と、婆は言った。
「大人になってもまだ、勉強するとね、婆はすごかね!」
思わず叫んでしまったくらいだった。
「勉強」するのは学校に行く間だけだと思ってたから、学校が終わったら、大人になったら勉強しなくてもいいと思ってた。そんなものだから、なおさら驚いた。第一、ウチのおかあは勉強したのを見たことがない。
そのまま思ったことを婆に伝えると、

「そりゃ、アンタが起きとるうちは勉強なんてできんよ。寝とる間にしよるけん。今度見とき」

と言われた。うそだあ、そんなことないよ、と言ったが、今度見とこ、とも思った。

ガラガラと音がして、「ただいま」、と元気な声が聞こえた。
お帰りと婆が立ち上がって迎える。
何やら玄関で少し話してると思うと、

「こらぁ、小さなお客様が来とるやんな」

と、爺様と言われる人がニコニコ声をかけてきた。
飯の時間だ。

爺様

爺様が帰って来たので飯にいよいよあり付けた。古めかしい料理が多くて、ハンバーグとか食べたいなと思ったけど、味気なさそうなものも意外に美味しくて、ぱくぱく食べた。
婆も、爺も、「このお客は小さいのにほんによう食うな」とか、「お母さんも飯の作りがいがあろう」とか言っていた。いや、これは、おかあの作る飯よりもうまい。

「ああ、あそこの家の坊か。あそこの倅もまたいい倅ば育ててから幸せたい」

爺もまた褒めてくれた。
褒めながらも、

「だけんど、勉強はせにゃあならんよ。将来なお前さんもお嫁をもろうて食わせにゃならんてそしたらば勉強が大事なんよ。勉強したらば社会のいろんなことば分かるようになってな、人のお役に立てるたい。そしたら、食うに困らんほど稼げるたいね。お前さんは知恵も沢山持っとりそうやから、勉強したらばいい大人になれるばい。どら、爺と約束せんね。そしたら、面白いもんば見しちゃるけん」

この爺の話は不思議と心にストンと落ちて、婆もニヤニヤしてるし、面白いもんも見たいしで、とうとう爺と婆に勉強を約束してしまった。きっとおかあもしたり顔だろう。

うまい飯も食べ終わり、爺にはいろんな外の話を聞いた。都会の話もあった。
「あそこは賑やかばってん、怖い場所でもあるとたい」と言っていた。外国の話も出て、世界にはいろんな人が暮らしていることを教えてくれた。婆も爺も終始ニコニコで、楽しくて、片付けもまた婆と一緒にした。

片付けて、爺に呼ばれて外に出た。何を見せてくれるんだろうと思うと、空を見上げろと言われた。

「綺麗じゃろ?面白かろう?」

といいながら、星とか星座について教えてもらった。ウチからも見えるや、こんなもん、と言うと、爺が「いやいや、あのお星様たちには、色んな話がつまっとるんよ」と説明とか面白い話聞かせてくれて、普段は気にしない空の星がぐっと近づいてきて楽しくなった。爺はそんな僕を見て、

「これもまた勉強たい。どうね、面白かろう?これは何百年と昔の人が少しずつ糸を紡いでいくようにしてつくった話ばい。知らんのはもったいないたい」

と、しみじみと言っていた。

「楽しくない、楽しくないと思ったらなんでも楽しくなかとよ。楽しもうと思うことが大事なんやけん。覚えとき」

爺に誘われて一緒に風呂に入り、三人並んで寝た。
次の日の朝、婆に「また来んね」と言われて見送られ、爺に送られて家に帰った。

爺に連れられて家に着いたら、おかあが玄関前に立っていて、げんこつを浴びた。爺に丁寧に頭を下げるおかあ。すると爺が、

「あんたのばあ様には世話になったけんね。ははは、お返したい。こちらこそ、ありがとう。楽しかったたい。坊、また来んね」

そう言って、爺は去っていった。

その後

その後、不思議な程に勉強するようになって、中学校、高校でも成績が良くなった。そして、都会の大学に合格した。あの時以来、婆と爺の家には入り浸って勉強したり、遊んだりした。友達を連れていくと、婆様も爺様も喜んで迎えた。

家にいるとある日父が、

「あそこの家の人達は不思議だな。面倒見が昔から良くてな。しかも、大抵の子どもの悪さもあそこに行くとすんなり治って帰ってくる。全く不思議だ。」

と母に話していた。僕もまたその1人だなと苦笑しつつ、すっかり歳を重ねてあまり動かなくなっていた二人を見ていつか来る時を寂しく思いつつ、父に頼まれてたまに車で二人と出かけたりした。
二人を見てこんな生き方をしたいなあと思う。

「坊はほんに立派になったなあ。うれしい」

と本当に孫のように言ってくれて、一人泣いた。

「婆も爺ももうちょい長生きせんね。都会に連れてっちゃるけんね」

と言うと、ニヤニヤしていた二人の顔が忘れられない。

婆と爺

婆と爺

九州地方のド田舎で勉強が嫌で逃げ出した坊主は山のてっぺんに隠れてしまう。そこで知らない婆様に捕まえられた坊主は…

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 山の上の家
  2. 婆様
  3. 爺様
  4. その後