奇想短篇小説『宮下の知らない』

奇想短篇小説『宮下の知らない』

「男たちは女たちがいつまでたっても変わらないと考えているし、女たちは男たちが常に変わり続けていると考えている。でも実はどちらも間違っている」
(リチャード・フォード『モントリオールの恋人』)

「おれ、死んだろかな思てんねん」
「なんや急に。怖いわ」
「いやな、もう疲れてもうてん」
「なんや、仕事の悩みか?」
「まあ、仕事もそうやけど、人生そのものっちゅうか。もうぜんぶや。ぜんぶ」
「ぜんぶて、なんか雑やなあ。じぶん飲み過ぎちゃう?」
「いや、まだビール二杯しか飲んでへんわ」
「ビール二杯で死ぬ話するんか。しんどいなあ」
「ビール何杯目でも死ぬ話してもええやろが」
「いや、最低でも五杯くらい飲まな無理やわ」
「なんやねんそのライン。そんで五杯でええんかい」

 追加注文した串盛り合わせ(五本)がきた。

「なんで死にたいん?」
「うーん。なんでなんやろ…」
「なんや、理由ないんかい」
「理由とかそうゆんじゃないんよ、これは。理由とかあればもっとわかりやすいんやろうけど……。そやけど、自分も死んだろかなって思うことないんけ?」
「え? 俺?……まあ、あるっちゃあるで」
「あるっちゃあるて、どんなときや?」
「シコったあとや」

 宮下が、シコったあとや、と言った瞬間、宮下の知らない遠い街の駅で宮下の知らないサラリーマンが線路に飛び込んだ。

「おまえ、完全になめとるやろ」
「いや、なめてないよ。シコったあとって絶望的になるやん。あの感じ。わかるやろ?」
「まあ、わからんでもないけど。けど、それはおれが今ゆうとることとは全然次元がちゃう話や」

 宮下の知らない遠い街の駅で宮下の知らないサラリーマンが線路に飛び込んでぐちゃぐちゃになった瞬間、ぐちゃくちゃになったサラリーマンの奥さんは他の男とセックスをしていて、その男が射精した。

「シコるときさ、じぶん何枚ティッシュ使うん?」
「なんやねん急に。きしょく悪いわ」
「俺は四枚」
「聞いてないわ。……三枚や」
「三枚か、エコやな」
「そんなもんにエコもくそもあるかい」

 宮下の知らないぐちゃぐちゃになったサラリーマンの奥さんに射精した男は、ペニスをヴァギナから抜き取ってティッシュを六枚使った。

「話が逸れてもうたけど、じぶんは死ぬとしたらどう死にたいん?」
「老衰」
「いや、きっちり命まっとうしてどうすんねん。まあ、それはそれで健全でええんやけど」
「ボケてみた」
「なんや、ボケる余裕があるんならまだまだ大丈夫やな。心配して損したわ」
「いや、おまえ最初から心配なんてしてなかったやんけ」
「いやいや、こう見えてちゃんと心配しとるよ。じぶんみたいなタイプの人間って、外見はそんなに悩んでそうに見えへんけど、じつは心の奥底ではだいぶしんどくて、そんでそうゆう人ほど、なんの前触れもなく、そのまま、ぽっ、と消えたり死んでもうたりするやろ?」
「そうゆうもんなんか?」
「そうゆうもんやねん」

 射精した男はセックスをした女の家を出て駅に向かったが、宮下の知らないサラリーマンが線路でぐちゃぐちゃになったせいで、電車は遅れていた。

「飛び降り自殺とかはおれ無理やな」
「俺も無理や」
「やんな。なんか、それこそ、ぽっ、と消えてなくなりたいわ」
「ほら。な? 俺が言うたとおりや。それがいちばん危ないねん」
「だって飛び降りてぐちゃぐちゃになるよりかは、ぽっ、と消えたほうがまだマシやろ? これこそほんまのエコや。誰にも迷惑かけへんし、汚れもなし」
「なにがエコや。そんなもんにエコもくそもあるかい」

 宮下が残り一個の卵焼きを残りのマヨネーズをすべてつけて食べた。


 二ヶ月後、宮下が自宅でマスターベーションを終えてティッシュを四枚使っていたとき、宮下の知らないぐちゃぐちゃになったサラリーマンの奥さんは未亡人になっていて、ティッシュを六枚使う男が未亡人に射精した瞬間、宮下の飲み仲間の西川が宮下の知っている近くの街の駅で線路に飛び込んで、ぐちゃぐちゃになった。
 翌日、宮下は西川が線路に飛び込んでぐちゃぐちゃになったことを、近所のうどん屋のテレビで流れていたニュースでたまたま知った。
 それから西川の彼女から電話があって、西川が死んだことを教えてくれた。宮下はうどん屋のテレビで見て西川が死んだことは知っていたが、そのことは言わなかった。西川の彼女は電話越しでたくさん泣いていた。西川の彼女の携帯電話には西川とお揃いのストラップが付いていた。西川の携帯電話に付いていたお揃いのストラップは昨日西川と一緒にぐちゃぐちゃになった。
 宮下は西川の彼女のことが好きだったが、西川の彼女は西川のことが好きだったので、宮下は西川の彼女からその相談を受けたりしていて、複雑な気持ちになったことを思い出した。西川の彼女の電話が切れて、宮下は西川のことを考えて、それから西川の彼女のことを西川のことよりも長く考えた。宮下は西川の彼女のことがまだ好きだった。
 その夜、宮下は西川の彼女を思いながら射精した。宮下はぐちゃぐちゃになった西川に対して申し訳なく思ったが、ぐちゃぐちゃになった西川はもう、申し訳ないとかそういうこととは関係のないところに、いた。


 二年後、宮下は西川の彼女と付き合って同棲していた。西川がぐちゃぐちゃになったあと、宮下と西川の彼女はよく会うようになって、お互いを励まし合っているうちに、西川の彼女は宮下のことが好きになり、最終的には西川の彼女は宮下の彼女になった。
「あんな、じつはおまえに言うてないことがあんねん」
「急に何よ。こわいなあ。浮気とか嫌やで」
「いや、そうやなくて、西川のことや」
「え?」
「おまえに言おうかずっと迷ってたんやけど、やっぱり言うべきやなって思てさ」
「何よ?」
「あんな、西川な、死ぬ二ヶ月前にな、居酒屋で俺と死ぬことについて話してたんよ。そのときは冗談言いながら楽しく話してたんやけど、俺はちょっと心配やってな。あいつ、なんて言うか、あやうい雰囲気みたいなんあったやん? ぱっと見は平気そうに見えるんやけど、じつはそうやなくて、心の奥のほうではめっちゃしんどくて、そんでこっちが気づかんうちにふっと消えてまいそうな、そんな雰囲気や。なんとなくわかるやろ? そんでな、そのあと、なんやかんやお互いに仕事が忙しなって、飲みに行けんかったんよ。そんで、もしあのとき俺がもう一回くらい西川と飲みに行けてたら、西川死なんでも済んだんちゃうかなって思うことが何回もあって。後悔っちゅうか、やりきれん気持ちがずっとモヤモヤあってな。まあ、こんなこと言うても今さら何にもならんのやけどさ……」
「あんたのせいやない。そんなこと言うたら私のほうが責任あるやないの。あの人の彼女やったんやから。けど、死にたいとかそんな話いっさいしてくれんかった。そんなにしんどいなら話してくれてもよかったんに。あの人、結局何にも言わんまま、ぜんぶ自分で抱え込んで死んでもうて。もう、めちゃくちゃや。私にも宮下くんにも迷惑かけて、それから他の人たちにもいっぱい迷惑かけて、そんで今でもこうやってあの人のことで悩みつづけやなあかん。うちらが悪いみたいな、そんな感じにさせとんねん、あいつ。いつまで経ってもあいつがおんねん。記憶とかそういうもんが残ってんねん。残らんでええのに、ずっと残ってんねん。死んだらぜんぶ消えたらええのに。最後の会話とか。あいつ、何て言うたと思う? タバコ買うてくるわ、やで? なかなか帰ってこうへんなって思てたけど、まあそのうち帰ってくるやろと思て先に寝て、けど朝起きてもあいつおらんくて、そしたらあいつの親から電話きて、いきなり死んだ言われて……」

 宮下と宮下の彼女が西川のことを話しているとき、宮下の知らない遠い街で宮下の知らない未亡人とその未亡人に射精した男は結婚していたので、未亡人はもう未亡人ではなくなっていて、射精の結果できた子どもと一緒に川の字で寝ていた。


 五年後、宮下と宮下の彼女は結婚して、宮下たちは宮下の仕事の関係で、宮下の知らない遠い街に引っ越して生活していたので、宮下の知らない遠い街はもう宮下の知らない遠い街ではなくなっていた。それから、その街には宮下の知らない元未亡人の夫婦が住んでいて、宮下たちのご近所だったので、宮下の知らない元未亡人の夫婦はもう宮下の知らない元未亡人の夫婦ではなくなり、彼らは石田夫妻だった。

「石田さん。こんにちは」
「あら、わざわざどうもありがとうございます」
「旦那さんは今日はいらっしゃらないんですか?」
「主人は今出張で、来週末には帰ってくる予定です」
「なるほど。そういうことですか。で、問題の配線ケーブルは?」
「ああ、そうでしたね。こちらです」

 宮下と石田夫人が石田夫妻の家の寝室で愛撫し合っているとき、遠くのほうで電車の音が聞こえたので、宮下はぐちゃぐちゃになった西川のことがよぎって、石田夫人はぐちゃぐちゃになった宮下の知らないサラリーマンのことがよぎったが、二人ともそのままセックスをした。
 宮下と石田夫人がセックスをしていたとき、宮下の妻は宮下の子どもと一緒に実家に帰っていて、実家の縁側に座って外を眺めていると電車が走っているのが見えたので、宮下の妻はぐちゃぐちゃになった西川のことがよぎって、西川のことがまだ好きな気がしたが、ぐちゃぐちゃになった西川はもう、まだ好きな気がしたとかそういうこととは関係のないところに、いた。

奇想短篇小説『宮下の知らない』

奇想短篇小説『宮下の知らない』

〈あらすじ〉 親友の西川が線路に飛び込んでぐちゃぐちゃになった。それを宮下は近所のうどん屋のテレビで知った。自殺の理由はわからない。宮下、西川の彼女、宮下の知らない遠い街の未亡人、そしてぐちゃぐちゃになった西川。謎の死がまわりの人間たちに奇妙な関わりを生じさせてゆく…。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-03-29

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