明日のこと
きれいなもの、たとえば、夜の海でゆれる月と、あした、という希望的で絶望に近い、ことば。
砂を踏み鳴らしているあいだに、夜はじわじわと、深くなってゆく。月はどんどんと小さくなり、あした、というものが、歩み寄ってくる。
きれいなものといえば、標本になった、きみ。
町はずれのさびれた博物館に、きみはいて、いきているのか、しんでいるのか、いつみても、よくわからなくって、館長は、いきている、というし、標本をつくったひとは、ねむっているだけ、というし、きみのお兄さんは、あれはしんだ、という。きみは、はだかで、ガラスケースのなかで、だれよりもおだやかな表情で、なによりもうつくしいからだで、思わず見惚れて、まつ毛の本数を、かぞえてしまうくらい、それが、彼には、気に喰わないらしい。
「あした、なんてものがこないで、いまがえいえんに、つづけばいいのにねぇ」
と言いながら彼は、ぼくの手を握り、わざと砂を鳴かせて歩く。きゅ、きゅ、という砂の鳴き声が、波間の空白をみたしてく。あした、というものがくることを望んでいない彼と、あした、というものがおとずれることを恐れているぼくと、あした、というものになにを感じているのかわからない、きみと、月の常夜灯のしたで、すやすやと眠っているであろう、海のなかのいきものたちが、交錯して、絡まって、ぐちゃぐちゃになって、はじめて、ぼくらはいきていると、さけんでもいいのかもしれない。
彼の手は大きい。
きみの寝床は深紅で、ガラスケースはつめたい。
海は深くて、夜は海よりも深い。
あしたは、自動的にやってくる。それが、こわい。
明日のこと