春なんてこない
おとうさん、というなまえの存在の、はっきりしているようで、なんだかあいまいに、にごされているような感じ、世間の、どちらかといえば、おかあさんは肉々しく、おとうさんは骨々しく、ぼくは、血のつながった実の兄をあいしている、おそらく、かっこよくいえば、異端児で、悪口めいていると、変人。
家、とは、地獄。
春だし、春ですし、春ですので、こころあらたに、しんせんなきもちで、生きていこうと思うのですが、ぼくは、兄を、どうしても、兄、としてみることができなくて、おかあさんを、おとうさんを、でも、うらむのはおかどちがいでしょうと、ぼくのなかにいる、正確には、ぼくがつくりあげた、もうひとりのぼく、対話専用の、ぼくが、そう云うのです。部屋のかたすみで、すこしずつ買いあつめた文庫本が、塔となり、カーテンはゆれて、冬の気配は立ち去り、春に染められた空気は、けれど、こころなしかつめたい。インスタントコーヒーを、牛乳でうめて、壁越し、となりの部屋の、兄と、その友人らの笑い声が、こもってきこえる。開いた一冊の文庫本は、七十八ページから先に進まない。
兄は、どうしたって、ぼくの兄で、ぼくは、兄の弟で、兄は一生、兄でしかなく、兄以外のなにものにもならないで、ぼくも、兄の弟以上のなにものにもなれない。
なんだかなぁ、もう。
春なんてこない