わにちゃんと春の夜
わにちゃんが、本をよんでいるあいだに、ぼくは、おふろにはいろうかなと思ったのだけれど、なんとなく観ていたテレビがおもしろくって、どこがおもしろいかときかれるとわからないのだけれど、暮らしに役立つ知恵をおしえてくれるような、よくある番組なのに、ふしぎと、なぜだか観ることをやめられなくなってしまって、気づいたときにはわにちゃんに、あなたおふろにはいったの、ときかれて、ぼくは、うう、などと、あいまいな返事をした。べつに、おこられているわけではないのに、ぼくは、わにちゃんに、なにかをたずねられるとすこしだけ、とまどってしまうのだった。もうすぐ、わにちゃんは、ふるさとに帰るというので、こうやってわにちゃんとすごす日々も、あとわずかしかないのだと思うと、でも、やっぱり、さみしいし、かなしいし、まるでじぶんちみたいに、ぼくの部屋で、ぼくの本棚から、ぼくがよみおわった本をよむわにちゃんに、もしかしたら、もう、逢えなくなってしまうのかもしれない、と想像すると、さみしいや、かなしいをとおりこして、からっぽ、という感じだった。本をよみながら飲むワインを、ぼくの部屋においておく、わにちゃん。チョコレートは海外のものにかぎる、わにちゃん。ときどき、夜空をみあげては、星がきれいねとつぶやく、わにちゃん。テレビのなかで、芸能人が、おおげさにおどろいている、その声が、何十人もいるみたいにきこえて、でも、じっさいには、芸能人は六人くらいしかいなくて、テレビ番組ってそういうふうにつくられているのかなと、なんとなく考える。なんとなく観ていて。テレビもいいけど冷めないうちにはいっちゃいなさいよと、おかあさんのようなことをいって、わにちゃんがふたたび本をよみはじめて、春の夜はふけてゆく。
わにちゃんと春の夜