夜に染まる町

 他愛のないはなしを、しているあいだにも、町は、夜に、むしばまれている。真夜中のあのひとが、町を、夜色に、染めたがっているから。
 ぼくたちは、町が、真夜中のあのひとに、しはいされてゆくのを、ただ、静かに、見守っているしかない。
 無力で、それ以前に、無気力。
 おとなたちは、物分かりがいいようにふるまい、なにもできないことをはがゆい、と言いながらも、ほんとうは、めんどうくさい、と思っているにちがいない。抵抗することを、それから、無力さを痛感し、打ちのめされることを、おそれている。
 
 しんじているものや、しんじようと努めているものに対して、こっぴどく裏切られるかもしれない、という予想は、常に付いてまわるものだと、せんせいは語る。
 眠りが長く、深いのは、着実に、夜に染まっている証拠であると、真夜中のあのひとは、うれしそうに言っていた。きみは、町が、かんぜんなる夜にしはいされても、月の光を浴びて咲く、うつくしい一輪の花であるだろうと、到底、素面では吐けないようなセリフを、ぼくのあごをひとさし指で持ち上げて、ささやいた。
 真夜中のあのひとは、週に三日、ぼくの部屋に、やってくるのだ。
 ぼくの部屋で、漫画を読んで、テレビゲームをして、レイトショーで観た映画の内容や、いま、町が、どれくらい夜に染まっているかを、べらべらとしゃべって、ぼくのとなりで、眠る。真夜中のひとなのに、眠るのか、と思ったとき、真夜中のあのひとは、ぼくのこころが読めるのか、私もちゃんと眠る生き物だよと、あやしく微笑んだ。妖艶、という言葉が、ぴったりなひとだった。町を、勝手に、しはいしようとしている、わるいひと、であるはずなのに、単純に、わるいひと、と決めつけるのは、なんだかちがうような気にさせるひとだ。真っ黒い髪を、腰のあたりまで伸ばしている。あまりにも触り心地が良すぎて、不安になる。夜のにおいもする。いっしょに眠ると、まくらに、シーツに、真夜中のあのひとの、深くて濃い、夜のにおいが残るので、ますます、不安になる。

 町の東にある、ちいさな森から、夜に染まっている。
 夜に染まったところは、朝も、昼も、夜である。夜の闇におおわれて、一日中、夜であり続ける。闇は霧のように、ビルのあいまに、道路に、ひとびとのまわりに、まとわりつき、視界不明瞭となる。不要な外出は避けること。車、バイク、自転車に乗ってはいけない。電車も運行していない。すでに、夜に染まった地域からは、みんな、徒歩で、学校や会社に通っている。おおきくない町ではあるが、歩くとなれば、それなりに時間がかかるため、さいきんでは、パソコンでの在宅授業や、在宅勤務がゆるされ、ぼくの友だちも、何人かは学校に来なくなった。
 せんせいは、次第に増えてゆく空席を、無表情で眺めていることがある。
 かなしいのか、むなしいのか、実はよろこんでいるのか、たのしんでいるのか、まったくわからない眼差しで、昨日まで生徒がいた机を、椅子を、ぼんやりと見つめている。せんせいは、せんせいでありながらも、閉鎖的で、笑顔を浮かべることはほとんどなく、授業も淡々とこなすようなひとで、けれど、一対一の質問には丁寧に答えてくれる、せんせいであった。あれで明るければいいのにねと、三者面談のあとに、母はぼやいていた。
 真夜中のあのひとは、ぼくがする、せんせいのはなしをきいては、苦々しく笑う。きみのような子が、そんなつまらないにんげんに教わっているだなんて。残念そうに、そう呟く。明朗快活でなかろうと、他人につまらないとか、暗いなどと罵られようと、ぼくは、せんせいのことが、きらいではなかった。

「きみも早く、私の色に染まればいいのに」

 真夜中のあのひとが、そんなお芝居のなかでしかきかないような言葉を、うすいくちびるから溢すとき、ぼくはひそかに、せんせいの顔を、思い出している。顔を、立ち姿を、チョークを持つ指を、教科書を持つ手を、ぴっちり整えられた髪を、しわのないシャツを、スーツを、無難すぎる色のネクタイを、数学教員室の椅子に足を組んで座り、ぼくの質問にまじめに答える、せんせいの横顔を、ぼくはひとつひとつ、手繰り寄せるように思い起こしては、どきどきしている。ひとりで、どきどきしている。どうしようもなく、からだが火照り、真夜中のあのひとの冷たい指が、熱さましにちょうどいい。
 とらわれている。あらゆるものに。
 気づいたときには、もう、手遅れで、逃げ出せないところまできている。
 おわりのない夜が。

夜に染まる町

夜に染まる町

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-02-16

CC BY-NC-ND
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