フラミンゴのダンス
いきもののにおいに、みちている、あたりまえだけれど、この星には、ぼくらをふくめて、たくさんのいきものが、いるのだから。
野菜ジュースの色が好きで、グラスに注いでは、飲まずにじっと見つめている、きみが、世の中、というものに漠然とした、あきらめ、を抱いたときに、パソコンから流れてくる動画は、いつわりのやさしさでつくられていた。深夜から朝にかけて、まばゆく光る星は、いつ落下してもおかしくはないと騒がれ始めてから、もう七十年が経つという。市立図書館にいる、司書のひとが好きで、そのひとに選んでもらう本にはずれはないと、きみはいって、司書のひとが、同性、ということに対しては、もちろん、然して問題はないのだと、きっぱりしている。ミルクティーカラーの、セミロングの髪を、ブラシでていねいにとかし、お気に入りの白いブラウスと、フラミンゴ柄のスカートで、土日はかならず市立図書館にいりびたる、きみの姿を見送ったあと、ぼくは、公園のベンチに腰掛け、むせかえるほどの、いきもののにおいにつつまれて、ひなたぼっこなんかを、している。公園には、いろんないきものがいるので、おなじいきものでも、種族によって異なるにおいが、まじわらずに、うまく棲み分けをし、ときどき、ちいさな諍いをおこしながら、漂っているのだ。
「恋とは、なんて、じっくり考えたことはなかったけれど、あのひとと出逢って、わたしは、恋というものを、深く考えるようになりました」
ちょっと、むかつく調子で、そういって、司書のひとが選んだ本を、だいじそうに抱えている、きみが、たとえば、世界、地球規模で、仔細で、綿密な、あきらめ、を感じた瞬間の表情というのを、見てみたい気もする。いきもののにおいに、際限はなく、えいえんにつづいている、どこに行っても、どこまで行っても、いきものが存在する以上、発せられるにおいというものに、おわりはない。
きみのスカートの上で、フラミンゴが、踊る。
フラミンゴのダンス