巡礼記

祐喜代

巡礼記
  1. 壱番 『巡り廻る』
  2. 弐番 『旅は道連れ』
  3. 参番 『幻の足摺岬』
  4. 肆番 『菩提心』
  5. 伍番 『洗礼』
  6. 陸番 『弘法大師空海の謎』
  7. 漆番 『黒い菅笠の師匠』
  8. 捌番 『今生の別れ』

壱番 『巡り廻る』


2014年、僕は四国八十八か所巡礼を結願(けちがん)した。

1400キロの道のりを約1か月で歩き通した。

沖縄から九州、西日本の聖地を巡る旅の途中で「ついでにお遍路さんもやってみようかな?」と、軽い気持ちでチャレンジした。

北九州の小倉からフェリーで愛媛の今治に渡り、愛媛にある四十六番札所の「浄瑠璃寺」からスタートした。

お遍路さんについてはほとんど何も知らなかった。

とりあえず浄瑠璃寺の向かいにある旅館の売店に入り、お遍路の旅に必要な道具をお店の人に聞いて揃える事にした。

菅笠と金剛杖。

納札と納経帳と勤行本。

蝋燭と線香。

そしてそれらを入れるためのすだ袋。

最低これくらいあれば十分らしく、白装束や足袋などは買わなかった。

本格的にお遍路さんの装備を一式揃えたら結構な額になるみたいだった。

貧乏バックパッカーの聖地巡礼旅はお遍路後も続くので、ここであまりお金はかけられない。

「このお遍路さんの杖はね、八十八か所全部回り終えると15センチくらい縮むんですよ」

金剛杖はお大師さまの分身。

護持すれば旅の安全を守ってくれる。

金剛杖を受け取った時にお店の人にそんな事を教えてもらった。

想像で杖の長さを比較してみたら、お遍路さんがかなりの長旅になる実感が湧いて来た。

もし旅の途中で命を落としてしまっても、この杖が僕の墓標になる。

「お気をつけて行ってらっしゃい」

Tシャツと短パン、足元はKEENのサンダル。

10キロ以上あるキャスター付きのバックパックを背負い、すだ袋を肩から下げる。

被っていたキャップの上に菅笠を乗せ、杖を地面についてみた。

白装束じゃないと、俄かお遍路さんのような感じがした。

でも「絶対に歩き通す!」と誓って、いざ浄瑠璃時から参拝した。

お遍路さんにはいろんなルールや作法がある。

他のお遍路さんたちはみんな大抵公式ガイドブックを持っていた。

僕はそれを持っていなかったので、お寺の参拝は他のお遍路さんの見様見真似で済ました。

あとはスマホで検索したり、親切な“先達(せんだつ)”の人たちに教わりながら徐々に覚えていった。

基本的に札所のお寺についたら、本堂と太子堂の二か所を参拝するようだった。

それぞれにお賽銭、蝋燭、線香、納札を奉納して、参拝が済んだら社務所に寄って納経帳に御朱印をもらう。

お賽銭を10円にして、納経代が300円。

八十八か所全部お寺を回ったらこれだけでもかなりの金額になる。

無職の聖地巡礼だから時間はたっぷりあり、体力的にもまぁまぁ自信はあった。

ただ旅の資金には限界があるので、いかに旅費を安く収められるかが勝負だと思った。

お遍路での寝泊りは基本野宿か、無料で泊めてもらえる善根宿を利用する事が多かった。

市街地であればネットカフェなども利用した。

宿泊代が高くつく民宿やビジネスホテルは、よほどの悪天候か疲労がひどい時以外は、なるべく使わないようにした。

お金に余裕のあるお遍路さんたちよりも多少ハードモードではあるけど、何かと便利な世の中だから、人生を捨てて挑んでいる人や、昔のお遍路さんたちに比べたら超イージーモードなお遍路だろう。

特に強い信仰心があるわけでもなく、ただなんとなくはじめた気ままな旅だ。

それでも不思議と歩いているうちにだんだん信仰心のようなものが芽生えて来て、お経の中にある「十善戒」

不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。

不綺語(ふきご) お世辞を言わない。

不悪口(ふあっく) 悪口を使わない。

不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌を使わない。

不慳貪(ふけんどん) 異常な欲を持たない。

不瞋恚(ふしんに) ねたまない。

不邪見(ふじゃけん) 誤った見解を持たない。

不偸盗(ふちゅうとう) 盗みをしない。

不邪淫(ふじゃいん) ふしだらなことをしない。

それらをなるべく守るように努力していた。

そして旅路の中でこれまでの人生を何度も振り返り、これからの人生についてとことん考えたりもした。

雑念、疑問、葛藤、考察、発想、解答、再考察……。

絶えず感情と思考が揺れ動き、突如投げ遣りになったり、開き直ったりして、お釈迦様や弘法大師もこんな感じで諸国を行脚していたんだろうか?と、思ったりもした。

神仏に何かご利益を期待してバスでお遍路をする人。

精神の修養のために自分の足でお遍路をする人。

四国の人の善意に縋って、ホームレスのようにお遍路する人。

様々なお遍路さんがいる中で、僕は一体何のためにお遍路をしているんだろう?と度々迷った。

何か目に見えない存在に導かれてやっているような気もした。

いくら迷っても答えは出ず、答えても迷いは消えず。

八十八か所のお寺を全て回りきって結願する事が出来たら、自ずと答えが出るんだろうか?

結願した人はみんな感動して涙を流すらしい。

僕もそうなるだろうか?

とにかく歩いてみない事には何もわからない。

先はまだまだ長い。

弐番 『旅は道連れ』


お遍路に慣れて来ると、たまにライバル視してしまうお遍路さんに出会う。

僕みたいな人見知りでも気軽に道行く人に挨拶するようになり、お遍路さん同士だと親近感が湧いて交流をもったりする。

旅は道連れ世は情け。

札所のお寺や善根宿で毎回ご一緒する人なんかも中にはいて、旅の情報交換をしたり、自分の食料をおすそ分けしたりしながら、一緒に次の寺を目指して歩いたりした。

ただそれが僕と同世代で体力があまり変わらない相手なんかだと、だんだん自分のペースが乱れて居心地が悪くなったりもする。

相手もそう感じているだろうな、と察してしまった時にはもう耐えられない。

「足丈夫なんですね、自分は遅いので気にせずお先どうぞ」

「自分まだ歩けそうなので、一足お先に向かいます、またお会いしましょう」

そんな口実を作り、相手が休憩した隙にやんわり離れようと試みるも、次のお寺で参拝しているうちにまた追いつかれたり、遅かれ早かれ結局その日同じ宿に辿り着いて再会してしまう。

翌日からまた一緒にお遍路する事になるのか、と思うと、いよいよウザい。

お互いに笑顔こそ絶やさないものの、口数は少なく、「明日はコイツより早めに出発して、今度こそ出し抜いてやろう」などと思ってしまう。

僕にはそんな隅に置けないライバルがいた。

たった一度、そのライバルと人気の無い山小屋で二人きりになった事がある。

12番札所の焼山寺の途中にある山小屋で、昼過ぎくらいに僕が先に辿り着いた。

焼山寺は勾配が急な山の山頂にあり、片道だいたい6時間くらいの登山を強いられる。

通称「お遍路転がし」と呼ばれる難所で、ここで脱落してしまう人も多いと聞く。

お寺の参拝は夕方の5時まで。

下山する時間も考慮すると、朝早くから一気に山頂を目指すか、昼から登って途中の山小屋で一晩泊まるかしない。

山の中で日が暮れれな遭難する可能性もある。

僕は昼から登って山小屋に泊まる選択肢を取った。

その時ライバル視していたお遍路さんををだいぶ引き離している実感があったので、その日再会する事はないだろうと思っていた。

キレイなログハウスの山小屋には僕一人。

今日は静かに過ごせるな、と開放感に浸って油断していたら、息を切らしてライバルのお遍路さんが来た。

「やぁ……」

お互い、露骨に笑顔が引きつっていた。

「キミとはホントによく会うな。ごめんやけど今日も一緒に泊まらせてもらうな」

旅は道連れ世は情けだから仕方がない。

ただその時ばかりはその情けを一瞬捨ててやろうか、と思った。

お互いの身の上話も散々して来た仲だから、話す事はもうほとんどない。

食事もバラバラ。

パックンチョの一つも恵んでやるものか。

もう僕もライバルも相手に気を遣う事なく、好き勝手思い思いに時間を過ごした。

ライバルは僕の前で靴下を脱ぎ捨て、これまで遠慮していたビールをガブガブと飲んでいた。

「一杯どう?」と勧められたけど、僕はお遍路中には酒を飲まないと決めていたので、断った。

今思えば、あの時一緒に酒を酌み交わしていたら楽しく過ごせたかもしれない。

酒が入ったライバルは一人だけすっかり出来上がって、携帯していたラジオを大音量で鳴らし、自宅にいるような感覚で鼻歌を歌い出した。

コイツとはきっと前世で何か因縁がある……。

僕はそう思ってひたすら我慢しながら、夜はライバルより早く寝た。

ただライバルの様子が気になり、眠りは浅い。

山小屋の電気は決まった時間になると自動で消灯するようになっていた。

ライバルが眠りについたのは小屋の明かりが消えてからだった。

朝方、ライバルの鼾がうるさくてまだ暗いうちに目が覚めた。

まだ点灯時間前なのになぜか小屋の明かりがチラチラと点滅を繰り返していた。

今から山を登れば、ちょうど山頂に着く頃にお寺の開門時間になる。

ライバルが寝ているうちにまた出し抜こうと、一人さっさと身支度を済ませてそっと山小屋を後にした。

それが功を奏し、ライバルとはそっきり二度と再会する事はなかった。

旅は道連れ世は情けでも、やっぱり一人気ままな旅がいい。

ただ後日泊まった民宿の人からこんな話を聞かされた。

「焼山寺の山小屋に泊まったですか?あそこ以前に4人くらいお遍路さんが自殺したところなんですよ」

旅は道連れ世は情け。

一人で泊っていたらと思うと、急にゾッとした。

そしてあの憎いライバルでも一緒にいてくれてよかったな、と心底感謝した。

参番 『幻の足摺岬』


三十八番札所の金剛福寺。

そこを目指して高知の足摺岬を訪れた時、僕はずっと前から一度見てみたいと思っていた景色があった事をふと思い出した。

僕の実家の茶の間に、僕が生まれる前から飾ってある白黒写真があって、その場所をどうしても確かめたかったのだ。

波の荒い海から剣のように真っすぐ尖った岩が突き出ている絶景。

誰が撮った写真かはわからない。

写真の下に小さな字で「足摺岬にて」とメモ書きされていた。

僕が「足摺岬」という地名をはじめて知ったのはその写真のメモ書きでだ。

とても奇妙な風景だったから、僕はその写真を見る度に「こんな岩ホントにあるのかな?」と思っていた。

おそらく観光スポットになっている有名な岩なんだろう。

金剛福寺の参拝を終えてから、足摺岬周辺の観光スポットをあれこれ散策してみた。

足摺灯台から海岸をずっと見渡してみても、真っすぐに突き立っているそれらしき岩はなかった。

岩場の遊歩道を歩きながら眺めてみても、それらしき岩はなかった。

どこだろう?

観光案内の看板やスマホで検索しても、記憶にある風景の情報はまったく出て来ない。

白山洞門。

唯一なんとなくここかもしれないと思う手がかりあったので、足を向けてみた。

そこはハート型の空洞がある断崖で、僕が見たいあの奇妙な絶景ではなかった。

白山洞門の断崖の上に小さな神社が祀ってあり、かなり急ではあったけどそこまで上る細い道があった。

もしかしたらこの白山洞門の断崖の向こう側に、僕が求めている景色があるのかもしれない。

荒波から突き立った剣のような岩は神社の御神体だ。

ようやく辿り着いた予感がしたので、おそるおそる白山洞門の断崖を神社の方まで上ってみた。

しかしそこから先は何もなく、最果てのような海が広がっているばかりだった。

現地の人に尋ねても誰も僕が見たい風景の情報を知らなかった。

幻の景色。

その日は折り返して宿に戻らないといけなかったので、仕方なく諦めて足摺岬を後にした。

それから聖地巡礼の旅を終え、実家に帰った機会にもう一度あの写真を見てみようと思った。

飾ってあった壁を見ると、足摺岬を写した白黒写真がなくなっていた。

「ここに飾ってあった足摺岬の写真はどこにやったの?」

僕が里帰りする度に何かしら茶の間のレイアウトは変わる。

とりあえず母親に聞いてみると「足摺岬の写真?そんなのあったかな?」と首を傾げた。

父親に聞いても「そんなのないぞ」と不思議がられた。

「あったよ、白黒の尖った岩の写真」と食い下がってみたけど、二人ともまったく記憶にないようだった。

祖父がスキーをしている写真とか、他の写真は以前と変わらずそのまま飾ってある。

ただ足摺岬の写真が飾ってあったスペースだけが一か所だけぽっかりと空いていた。

僕の思い違いにしては記憶が鮮明すぎる。

「言われてみると、確かにここにも何か写真を飾っていた気がするなぁ……」

母親も父親も物忘れする歳になったから覚えてないのかもしれない。

でも実際に訪れた足摺岬にはそれらしき景色は見当たらなかった。

そしてあの白黒写真も残っていない。

幻の足摺岬。

あれはもしかして神仏が僕に見せた補陀落渡海の景色だったか?

お遍路の旅路でふと不思議な世界に迷い込んだのかもしれない。

肆番 『菩提心』


菩提心。

悟りを求める心や、人々を救おうという心を起こすこと。


愛媛を巡礼していた時、そんな気持ちになった。

歩き疲れたので、自動販売機でジュースでも買って一休みしようとしたら、地元の人らしきお婆さんが僕に話しかけて来た。

お婆さんは、僕にお接待をしたかったらしく、買おうとしていたジュース代を財布からを出して僕に渡した。

四国には八十八か所のお寺を廻るお遍路さんのために、地元の人が食事や金銭、泊まる場所などを無償で提供する「お接待」という風習がある。

だから地元の人たちは、僕みたいな見知らぬ他人であってもみんなごく自然に、何かと親切に世話をしてくれた。

四国の人にとってお遍路さんはお大師様や仏様と同じ存在。

個人が徳を積むための善行として、お接待には見返りを求める気持ちが一切ないようだった。

一方的に恩を受ける事になる僕としては、慣れるまで少し心苦しかったりもした。

それでもお接待は素直に受けるのが礼儀とされていたから、申し入れがあった時は僕も遠慮せずに有難く受け取る事にしていた。

頂いた缶ジュースを飲みながらそのお婆さんと何気ない立ち話をしていると、「少しばかりお布施をしたいからぜひ家にも寄ってくれ」と、また僕にお接待を申し出た。

「ありがとうございます。でもジュースだけで十分です」

そうやんわり断ってみたけど、お婆さんは「どうしても」と僕の手を引いて家に招こうとする。

仕方がないので僕もまたそのご厚意に甘える事にした。

お婆さんの家は三世帯が十分暮らせるくらいの広い一軒家だった。

玄関先までお邪魔すると、お婆さんが居間の方にお金を取りに行った。

その時玄関先からチラッと覗いた居間の様子がひどく閑散としていた。

「ご家族は?」

戻って来たお婆さんに話を聞いてみると、お婆さんは玄関先に深く腰をおろし、一息ついてから溢れ出すように自分の身の上話をはじめた。

以前はこの家で旦那さんと息子さん、娘さんの四人で暮らしていたらしい。

娘さんが他所の家に嫁いで家を出てから、旦那さんと息子さんが相次いで亡くなり、今はお婆さん一人だけになってしまった。

「……もうすっかり慣れて寂しくはないやけど」

そう言いつつ、「この辺を立ち寄るお遍路さんとの会話が私の唯一の気晴らしですわ」と漏らすお婆さんの表情は強がりと寂しさが交差した複雑な感情を見せていた。

頼れる娘さんも親戚もみんな他所の土地に住んでいて、近所ともあまり付き合いがないみたいだった。

夕暮れ時だったので、あまり長居は出来ないな、と思った。

でもお婆さんから漂って来る孤独の正体がだんだん見えて来たので、本腰を入れて話を聞く姿勢にもなっていた。

お婆さんは若い頃、大王製紙で働いていた事もあったようだ。

「あの人には何かと世話になってね」

一従業員ではあったものの、当時の社長さんとはすごく親しい仲だったと笑いながら話した。

社長さんの人柄を一頻り褒め、同時に少し顔を曇らせながら、当時の会社の事情を皮肉や少し憎しみの籠った感情で語る時もあった。

熱が籠り過ぎたのか、表沙汰には出来ない暴露話も口にした。

お婆さんは感情の記憶をベースにして話すので、話題が急に飛んだり、同じ話を何度も繰り返したりした。

「気弱なくせに酒を飲むと気が大きくなる人でね、よく暴力を振るわれたよ」

亡くなった旦那さんについても、そんな愚痴を漏らした。

お婆さんが本気になって旦那さんに挑みかかっていくと、旦那さんはあっという間にその場にへたり込み、すぐに負けを認めたらしい。

息子さんも旦那さんに似て、勤めていた会社の上司や先輩によく揶揄われたり、言いように使われてしまう気弱なところがあったらしい。

お婆さんは旦那さんの話をする時は陽気な思い出話のように話したけど、息子さんの時は顔が強張っていた。

お婆さんの口から「イジメ」という言葉は一度も出て来なかった。

でも息子さんが会社の人たちから受けた行為に関してはかなり根深い怒りと憎しみを抱いているようだった。

挙句息子さんは相手側の不注意による交通事故で痛ましい亡くなり方をしていた。

「ワタシが守ってやれなかったばっかりにね」

これまでのどの言葉よりもお婆さんから深い後悔の念を感じた。

いろいろお接待を受けておきながら、僕はそのお婆さんに投げかけてやれる言葉が何も思い浮かばなかった。

相槌を打つのも忍びない感じになって、俯いてしまった。

それから娘さんの孫の入学祝にあげようと思って用意した20万ほどのお金を、畑仕事をしている間に紛失してしまった話も聞かされた。

お婆さんは「ひょっとしたら隣近所の誰かが盗んだのかもしれない」と疑っていて、その事をずっと黙っていると、不信感だけが募っていくようだった。

「困った時に散々世話をしてあげたのに、近所の人の顔を見る度に憎らしくなってしまってね。お遍路さんにこんな話をしても仕方ないんだけど、なんてこの世は薄情なのかと思ったわ」

繰り返し何度もそうぶつぶつ呟くお婆さんを見ていると、僕みたいなお遍路さんでも仏様に見えるなら救いたいと思った。

何時間くらいい話を聞いていただろうか?

お婆さんの話が全て終わった頃には、外は完全に真っ暗だった。

何も見返りも求めていない人に対する恩返し。

それがまったく思いつかなかった。

いろいろ考えて唯一出た答えが、お婆さんの想いも一緒に背負って巡礼を続け、代わりに祈る事だった。

それが恩返しになるとは思わないけど、それくらいしか僕に出来る事がなかった。

旅先で出会う人の想いも一緒に連れて歩く以上は、必ず結願しなければならない。

お婆さんとの出会いが、僕がお遍路をやる強い動機付けになった。

この時点で僕のお遍路は僕一人のものではなくなった。

名前も住所も教えてくれなかったので、その後のお婆さんについては分からない。

でもたまに自分でお経や真言を唱えたり、誰かが唱えているのを側で聞いたりすると、玄関先に座って溢れる想いをたくさん話していたあのお婆さんの事を、今もふと思い出す。

伍番 『洗礼』


お遍路のような信仰が文化として根付いている土地などを巡っていると、それまで無神論者だった人でも妙に信心深くなったりする。

四国の人の善意に触れ、苦労して辿り着いたお寺でお経や真言などを唱えたりしているうちに、生きている事に対する感謝の念だとか、災難、幸運を素直に受け取る態度などが身について来た。

また行く先々で出会う山や海の絶景などを目にし、そこに神や仏の世界を感じたりもした。

四国ではそんな信心深くなっているお遍路さんに擦り寄る新興宗教の勧誘も盛んにあった。

神も仏も根っ子は同じ。

そんな親近感を装いながら、キリスト教系の新興宗教の人たちがよく声をかけて来るのだ。

徳島の海沿いの国道を歩いていた時も、坂道で自転車を押していた小柄な年配の女性が急に声をかけて来た。

どこか幸の薄い印象がある女性で、立ち止まって話を聞くと、あまり馴染みのない名前の宗教団体の信者さんだった。

ちょうど集会からの帰りだったらしく、団体が発行しているチラシを僕に渡し、「すぐ近くなのでよかったらお遍路さんもうちの教会で洗礼を受けていきませんか?」と誘う。

特に断る理由もないし、サンダルが素足に擦れて痛かった事もあり、その女性に言われるまま休憩を兼ねて集会場の教会に付いていく事にした。

その女性は人見知りするのか、恥ずかしそうな素振りで僕より少し前を歩き、道案内をしながら、僕にいろんな質問をして来た。

歩くスピードや会話に変な間が空くと不安になるらしく、たまに僕の方を振り返ってぎこちない笑顔を浮かべ、なるべく会話が途切れないように努めていた。

ひょっとしたら勧誘のノルマがあって、僕を逃さないように気を遣っているのかもしれない。

教会は国道からちょっと外れた静かな森の中にあった。

「ようこそおいでくださいました」

事前に信者の女性から携帯で連絡を受けていた支部長と思われる女性が笑顔で出迎えてくれた。

幸が薄そうな小柄の信者さんとは対照的なふくよかな年配の女性で、僕はさっそく教会の聖堂の方に案内された。

神父が来るまでここで待つように言われたので、信者さんからもらったチラシを読みながらとりあえず待っていた。

チラシの内容によると、この教団の教理はカトリックやプロテスタントなどの正統派と違うようだった。

イエス・キリストを三位一体の“子”であるという位置づけではなく、イエス・キリストその人こそが全能の神の本質であり、キリスト自身に父、子、聖霊の三つの位格が存在すると説いている。

そして救い主イエスキリストの洗礼を受けていない者は皆等しく地獄へ行くらしく、もし死後に地獄へ落ちても、この世で生きている親しい者が死者の代わりに洗礼を行えば、その死者も一緒に天国へ行けるような内容が書かれていた。

しばらくすると、支部長の女性と神父の恰好をした白髪の細い年配の男性が入って来た。

「ようこそおいでくださいました」

二人は夫婦らしく、素足で歩いていた僕の傷だらけの足を見て、絆創膏と靴下、それに紅茶とクッキーを用意してくれていた。

教団の人たちは皆とても穏やかで親切だった。

しばらく世間話をして和んでから、神父さんが再度この教団の教理を僕に説明してくれた。

「要するに洗礼を受け、神を心から信じればみんな天国へ行って救われます」

紅茶とクッキーを食べ終わってから、正面のキリスト像に向かってみんなで一緒に礼拝する事になった。

この教団の礼拝法は聖堂のキリスト像に向かって「ハレルヤ」。

この祈りの言葉をただひらすら連続で唱えるものらしい。

ふくよかな支部長と真面目で神経質そうな神父さんがまず手本を見せてくれた。

「ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ……」

二人とも早口言葉を競うような感じで「ハレルヤ」を連呼した。

だんだんそのスピードが上がっていき、後半は高速の巻き舌状態で、最早「ハレルヤ」ではなく、「レロレロレロレロ、レロレロレロレロ……」としか聞こえなかった。

カエルの鳴き声のような祈りの合唱が教会内に響く。

息継ぎをする暇もないのか、支部長も神父さんも目をひん剥き、すごく苦しそうな顔をしていた。

ヤバいカルト宗教だったかな?

穏やかな印象の二人から急に狂気を帯びた凄みが出始めたので正直動揺した。

「噛んでもいいからとにかく高速で「ハレルヤ」と唱えて続けてくださいっ!そうすれば神に祈りが通じますっ!」

「ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ……」

逆らったら何をされるか分からないので、猛烈に恥ずかしかったけど僕も一緒に「ハレルヤ」を「レロレロ」になるまで必死に唱えた。

息苦しさが極まった支部長と神父さんの顔は完全にイっているように見えた。

おそらく変性意識状態に入っているんだろう。

人がなぜ変性意識状態になるのかはわからないけど、神懸かり的な事象は概ねこの変性意識状態ありきで起こる。

「家族の中でもう既にお亡くなりなった方はいますか?」

祈りを終えた後、神父さんにそう聞かれたので、父方、母方両方の祖父と祖母がもう他界している事を告げた。

洗礼を受けていない者は皆等しく地獄行きという教理なので、この4人を救うには僕が代わりに洗礼を受ける必要があった。

「ではこれから洗礼を授けます。このガウンに着替えてください」

教会の裏手に洗礼用の小さいなプールがあるらしく、神父さんに渡された白いガウンに着替えてから、信者さんにそこまで案内された。

膝くらいまで水を張った浅いプールで、神父さんと二人っきりになった僕は、そのプールの中に跪くように命じられた。

夕暮れ時だからか、プールの水が思いのほか冷たかった。

跪くと、鳥肌が立って全身にぶるぶる寒気が襲って来た。

「私があなたの頭の上に手を置いたら水の中に顔をつけて心の中で「ハレルヤ」と唱えてください。これを三回やれば洗礼を受けた事になります」

かなりきつい洗礼だな、と思ったけど、先祖の供養になるのであれば仕方がない。

神父さんの合図と共に、そんな気持ちで水の中に顔をつけた。

すると突然何を思ったのか、神父さんがそのまま僕の頭を抑え込んで水の中に沈めようとした。

やっぱりカルトかッ!? もしかして殺される?

細身の神父さんの力があまりに強かったので、僕は本気で殺意を感じて背筋が一瞬凍った。

そしてそのまま計三回、無理やりプールに沈められる形で洗礼の儀式を終えた。

「はい、これで洗礼は終わりです。あなたもご先祖様もきっと天国へ旅立てますよ。そしてこの先のお遍路でもイエス様とご先祖様が守護霊となってあなたを守ってくださるでしょう」

さっきの殺意はどこへやら、完全に正気に戻った神父さんが、満足そうな笑顔を浮かべてそう言った。

え、なにこれ?

時折狂気を孕んでいるような教団ではあるけど、その後しつこく入信を強制させられるような事もなく、僕は教会を後にした。

お遍路ついでの洗礼。

僕自身に特に何ら変化があったわけでもなく、その教団ともそれっきりだ。

ただ既にお大師様と一緒に歩いていた同行二人のお遍路に、イエス様と先祖の守護霊まで加わった事を想像すると、それはそれで賑やかで頼もしいから、まぁいいか、とも思った。

その見えざる他力本願に縋って、今後の困難を自力で乗り切る。

そんな気持ちでその日はなぜか無駄に張り切って夜遅くまで歩いてしまった。

陸番 『弘法大師空海の謎』

お遍路をやっていると、四国の行く先々で弘法大師空海が起こした奇跡や偉大な業績に関する伝承や遺構を目にする。

僕にとって空海はただのお坊さんではない。

偉大な宗教家であり、冒険家であり、芸術家であり、事業家であり、衆生救済のために超能力を発揮するスーパーヒーロー。

山で遭遇した大蛇を退治したとか、大岩を念力で持ち上げて遠くに飛ばしたとか、村人のために温泉や井戸を掘りあてたなど、空海には常人ではあり得ない超人的なエピソードが数多くある。

僕は以前からオカルトやスピリチュアルなものに興味や関心があり、この聖地巡礼の旅を通して空海に纏わる超人的なエピソードの真偽を探っていた。

僕は空海が使った超能力的なエピソードに関しては、一部本当の事だと思っている。

その根拠は密教の秘法である「虚空蔵求聞持聡明法(こくうぞうぐもんじそうめいほう)」。

それを空海が室戸岬の御厨人窟(みくろど)での修行で会得している事だ。

虚空蔵とは、アカシックレコード(宇宙開闢からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念)の事で、虚空蔵求聞持聡明法は、そのアカシックレコードにアクセスするための瞑想行のようなものだと僕は考えている。

ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリ・キャマリ・ボリ・ソワカ

空海はこの真言を百日で百万回ひたすら御厨人窟の中で唱え続けた。

この行を修め、アカシックレコードにアクセス出来るようになれば、この世の過去、現在、未来に渡る全ての出来事、知識を知る事が出来る。

空海はおそらくこの虚空蔵求聞持聡明法を使って、現代人の僕たちがスマホやパソコンでネット検索をするように、自分の知りたい情報や必要な情報をアカシックレコードから取り出していたのではないか?

阿含宗の教祖である桐山靖雄さんが書いた『変身の原理』。

この著書には、密教の修行によって人間が超人的な能力を使えるようになる理由が詳しく解説されている。

空海同様、著者の桐山さん自身も密教の秘法を会得して超人的な能力を開花させた人だ。

『変身の原理』はグルジェフの超人思想にも似た内容で、空海や密教の秘密を知るための本としては一読の価値がある。

密教を現代の感覚に例えると、空海が平安の末期に唐から持ち帰ったスーパーコンピューターのようなもので、人間を飛躍的にアップグレードさせる精神科学の最先端技術に当たる。

それを考慮すれば空海が起こした数々の奇跡や偉業は単なる伝説ではなく、密教の秘法によってアップグレードした超人だからこそ出来た事実という可能性も出てくる。

またお遍路(四国八十八か所巡礼)の起源には、弘法大師空海が張った「結界」という説があり、今から千数百年の昔、空海は「やがて本州と四国に黒金(鉄)の橋が架かるだろう。その時、橋を渡って魔物がやってくる」という予言を残しているらしい。

それにリンクするような話で、四国には天皇家にまつわる重大な秘密も隠されていて、天皇家と日本が危機の時には四国から必ず国難を救う英雄が現れるという。

空海の出世地は香川県の善通寺。

他に四国の出身の有名な偉人と言えば、高知の坂本竜馬がいる。

つまり八十八か所霊場は弘法大師空海が何者かから四国と天皇家の秘密を護るために計画された霊的国防事業で、日ユ同祖論を裏付けるような遺構が数々眠る剣山を中心に、大規模に結んだ注連縄(結界)の役目を果たしているのかもしれない。

そして四国八十八か所全ての札所を廻ると、納経帳の御朱印の最後のページが高野山になる。

お遍路さんを結願した者は、和歌山の高野山へお礼参りに行くのが通例らしく、僕もお遍路を終えてから四国を後にし、西日本の聖地をあちこち回ってから、最後に和歌山の高野山へ向かった。

高野山は空海が山の中に拓いた宗教都市。

人気の無い静かな山の中を歩いて山門を潜ると、急に町が広がる。

お寺が幾つもあり、出店や旅館、学校、コンビニ、スナックまであった。

神聖な場所のイメージが強かったので、俗世間に塗れてしまった雰囲気が少し残念だったけど、空海が眠る御廟のあたりはまだ聖域としての威厳が保たれていた。

高野山の聖域であるこの御廟には空海が今も生きたまま眠りについているという伝説がある。

御廟は岩窟の中にある石室で、1000年以上その内部の秘密が守られている。

1日2回、2人の僧侶が空海の食事を白木の箱に納めて御廟へ運ぶ儀式があり、この儀式は1200年間一度も欠かされた事がないらしい。

生ける空海の伝説に対する高野山の強い信仰心の顕れだ。

僕はアトランティス人トートが書いたと言われる『エメラルドタブレット(M・ドリール博士著)』。

この本を読んだ時、地球の内部に“アメンティホール”と呼ばれる地下世界が存在する事を知った。

アメンティホールは、世界中のピラミッドが地下でつながっているネットワークのようなもので、世界の各地にその入口がある。

スピリチュアル界隈の情報によると日本の聖地と呼ばれる場所にも幾つかあるらしい。

僕が訪れた奈良の三輪山、天河神社をはじめ、天皇家の秘密が眠る剣山の山中もアメンティホールとつながっている説がある。

そしてそれらの聖地には奇遇にも空海が訪れた伝説や痕跡が残っていたりもする。

僕はおそらく空海が入定した高野山の御廟もアメンティホールの入口ではなにかと睨んでいる。

高野山の伝説のとおり、空海はその中で不老不死の眠りに入り、まだ生きたまま全ての衆生が救われる弥勒世の到来を待っているのだ。

真言密教には「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」という、肉体を現世に残しながら瞑想を行い、「生きながらにして仏になる」という教えがある。

僕の故郷である山形の真言宗系のお寺には、生きながら入定した僧侶たちのミイラが安置されている。

この「即身成仏」の教えと、自らの肉体をミイラ化させる技術は空海が伝えたものとされていて、ミイラになった僧侶たちは、大日如来と波長を合わせることで「死」や「滅び」の概念を超越し、生きながら仏になれると信じていた。

『エメラルドタブレット(M・ドリール博士著』によると、アメンティホールには不死や復活、輪廻転生を表すフラワー・オブ・ライフ(神聖幾何学・生命の樹)と呼ばれるものの原型があり、トートもそこで不死の知恵を獲得して、5万2,000年前にアトランティスで生まれてから、1991年まで最初の肉体のまま生き続けたと記されていている。

僕は高野山を訪れた時にこのエメラルドタブレットに書いてあった内容をふと思い出し、空海も日本の聖地や高野山の御廟を通じてアメンティホールからフラワー・オブ・ライフの原型に辿り着き、不死の知恵を獲得したのではないか?と思った。

つまり空海もトートと同じように時代を超越して転生するアセンテッドマスター(イニシエーションと呼ばれる一連のスピリチュアルトランスフォーメーションを受けた精神的に啓発された存在)で、平安末期の日本を生きたトートの生まれ変わりかもしれない。

空海が日本の各地の聖地を行脚して残した伝説も、アメンティホールを通じた地下世界のネットワークを駆使した空間移動なら説明可能だ。

御廟の秘密は今後も高野山の僧侶たちによって、来るべき時が訪れるまで決して明かされる事はないだろうけど、そんな壮大なロマンを描きながら聖地を巡礼していると、改めて弘法大師空海の偉大さが身に染みて来る。

そして自分もその壮大なロマンの渦中にいるRPGの主人公のような気がして楽しかった。

空海や坂本竜馬のように、この現代の日本の危機的状況を救う人物もまた四国から現れるのだろうか?

お遍路が終わっても弘法大師空海の謎を追う僕のロマンはまだ続いている。

漆番 『黒い菅笠の師匠』


僕にはお遍路の旅の中で、“師匠”と仰ぐ先達のお遍路さんがいた。

その出会いがあったのは徳島のタクシー会社が提供している善根宿を訪ねた時だ。

「今日はもう一人先にお遍路さんが泊っているからね。今はちょっと出かけてはるけど、帰ったら挨拶しといてな」

タクシー会社の人にそう言われ、二階の休憩室に入ると、僕はそこに折り目正しくキレイに畳んであった先客の装束と旅の荷物を見て、なぜか気持ちが凛とした。

一緒に置いてあった菅笠は、一般のお遍路さんのものとは違う黒色の菅笠で、それがすごく印象的だった。

これまで出会った事のないすごい人のような予感がした。

僕は失礼がないようにずっと正座しながら先客の帰りを待っていた。

そしてしばらく待っていると先客のお遍路さんが戻って来た。

60代後半くらいの、短く刈った白髪に、片方の目が斜視のお遍路さん。

また気持ちが凛とした。

「ここで今晩一緒に泊めさせてもらいます」

僕が頭を下げて挨拶をすると、そのお遍路さんはにっこり笑って「おう、やっと来たか。アンタが来るのをずっと待っておったよ」と言った。

そのお遍路さんと会うのはその時が初めてだった。

「さっきは何かに取り憑かれたような顔して歩いておったぞ」

どうやら数時間前に僕とそのお遍路さんは道で一度すれ違っていたらしい。

言われてみると、確かに道ですれ違って会釈を交わしたお遍路さんがいた。

だけど僕はその時、目指す宿が見つからずに焦っていたので、相手の顔を碌に見もせず、会釈だけしてそそくさと通り過ぎていた。

そのお遍路さんは僕とすれ違った時に、僕が必ずこのタクシー会社の善根宿に来ると確信したらしく、無事にこの宿にたどり着くのを待っていてくれたようだ。

時折白く濁った斜視の目が、僕を射抜くような感じで見つめて来る。

僕はその度に得体の知れない存在に対する畏怖の念のようなものを感じ、それと同時に丸ごと包み込まれるような底知れない懐の大きさのようなものも確かに感じた。

師匠。

出会ったばかりだけどなぜか自然とそう呼びたくなる人だった。

師匠の人生とか人格が全てその斜視の目に集約されているような凄みがあって、師匠との対面は緊張と緩和の連続だった。

この人には嘘がつけない。

師匠と僕は出会ったばかりで何でも話せる関係であり、嘘は全てお見通しである気を抜けない相手でもあった。

そして茶の間のテーブルを挟んでいろいろ話をしているうちに、僕と師匠には前世からの不思議な縁がある事が分かった。

師匠は“宿曜占星術(すくようせんせいじゅつ)”という密教の占いを嗜んでいて、僕の生年月日と家族の生年月日を見ただけで、僕が抱えている人生の問題や家族との関係性を事細かく指摘した。

父親が癌である事も察知して、知り合いが癌を克服した時にやっていた断食行の話を教えてくれたりした。

ついでにトイレに貼ると不浄を払うの効果がある烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)のお札も譲ってくれた。

僕がオカルトやスピリチュアル的なものを邪険に扱わないのは、そういった善意を無碍には出来ないからだ。

特にお遍路の旅では、神仏への信仰を大事にしている人たちの善意に触れる機会がたくさんある。

神様一辺倒でただ盲信するようなカルト宗教も多々あるけど、たとえ非科学的でも、信仰が他人への思いやりや労りの気持ちを促し、高い人格を育む力を持っているのもまた事実だ。

だからそれをないがしろにするような態度は慎むべきだと思っている。

占い、神、仏、心霊、UFO……。

どんな信仰でも付かず離れずの適度な距離感でバランスを保ったものであれば、僕は問題なく受け入れる姿勢でいる。

「これまでお遍路をしてどうだった? 仏とは何かわかったか?」

宿曜占星術で一通り僕の事について占うと、師匠は次に「仏とは何か?悟りとは何か?」という難しい問いを僕に切り出してきた。

そんな事は皆目見当もつかない。

でも僕は師匠に認められたかったので、なんとか正解を出そうとあれこれ頭を捻って考えた。

「すでに悟っているのだから考えなくてもわかるはずだ」

僕が考え込んでいると師匠が唐突にそう言った。

すでに悟っている?

考えなくてもわかる?

僕はその意味が分からず余計に混乱して、さらに考え込んでしまった。

答えに悩んでいると、師匠が続けざまに「般若心経には何が書いてある?」と質問してきた。

「お寺に着くたびにいつも唱えておるのだろう?ならばわかるはずだ。何が書いてあった?」

般若心経はもう何度も唱えていた。

でも僕はそれまでただ書いてある字を目で追いながら漠然と唱えていただけで、その意味についてはあまり深く考えていなかった。

僕が答えに窮していると、師匠はニヤニヤしながら「考えてもわからもんはわからん。仏や悟りについての理解はもっと感覚的なものだ」と僕を諭した。

「人は考えなくてもわかる事を、わざわざ難しく考えようとするもんだ。それをやめる事が出来た時に仏も悟りもすぐに理解できる。ただそれが一番難しい」

そういう師匠の話し方や佇まいを見ていると、なぜか僕もいつか悟りの境地を理解出来るような気がした。

そして師匠に対してずっと以前からの知り合いのような親近感も湧いた。

「ようやく気付いたか? そうだ、ワシとアンタは前世でも一度会うとるよ」

師匠は僕が何かを思ったり感じたりすると、すぐにそれを口に出して言い当てる。

人生経験を経て培った読心術なのか? それとも常人にはないテレパシー的な能力なのか?

とにかく師匠は完璧に僕の心の動きを読んでいた。

師匠が言うには、師匠と僕は前世でも師弟関係だった縁があり、前回出会った時は僕が師匠に仏や悟りについて教えていたらしい。

だから僕にも仏や悟りが理解出来るはずだと期待していた。

僕と師匠はそうやってお互いが悟りを理解するまで輪廻転生を繰り返しながら仏の修行をしている者同士なのだという。

師匠にはその記憶がはっきりとあるらしい。

残念ながら僕にはその記憶がない。

ただありがたい話ではある。

だから師匠は今回の人生も仏の道を極める事に費やして来た。

師匠は神道に関係する家柄の出身で、小さい頃から霊が見えたり、人の死期が分かったりする事があったようだ。

商売の才覚にも恵まれ、40代の頃に始めた古物商で大儲けした事もあったらしい。

「死んだ人間(霊)かどうかは目を見ればわかる。死んだ人間(霊)は瞬きをせんからの」

それから師匠は自分がこれまで体験した不思議な出来事をいろいろ話し始めた。

一番興味深かったのは師匠が入神体験をした話だった。

それは土木の作業をしながら一か月くらい毎日おかゆ一杯で過ごしていた時期に突然起こったという。

朝、師匠が顔を洗おうと鏡の前に立つと、突然鏡の中から爆発したような眩い光が溢れて来て、その光が師匠の中に入り込んで来た。

そして同時に、全てと一体になる多幸感が師匠の中に芽生えた。

「これが悟りだ!」

その時師匠はそう確信したらしく、それまでの人生で背負って来たあらゆる苦悩の原因が明確に分かり、理解した途端に消え去ったという。

「もしワシのこの体験が悟りでなければ、今日と同じ歳に、ワシとアンタはまた出会うことになる」

悟りを啓いた人間はもうこの世に生まれ変わらない。

師匠の話が本当で悟りが本物なら僕と師匠の再会は今回で最後だ。

残りの人生で僕も悟りを啓けるだろうか?

「ワシら先達と呼ばれる連中は何度もお遍路をしておるが、3回廻って悟りを得られなかったら、その後は何回廻っても変わらん。ただの道楽だよ」

仏の顔も三度まで。

師匠は笑いながらそんな事をポツリと言った。

すごく重みのある話ではあるけど、僕に対する期待の言葉でもあるんだろう。

師匠がもしまだ悟りを啓いていなかったら、僕たちはまた再会する。

その時は僕が師匠に「悟りとは何か?」を教えなければいけない。

悟りを啓く自信も、教える自信も正直まったくない。

でももしまた再会したら、僕はそれまでの人生で僕が一番大事だなと思った事をさりげなく師匠に話そうと思う。

捌番 『今生の別れ』


タクシー会社の善根宿で師匠と出会った次の日、僕は半日くらい師匠と一緒に札所のお寺を廻らせてもらった。

師匠はどんな感じで般若心経と真言を唱えるんだろう?

師匠と一緒にお寺を廻る時、僕は常に師匠の一挙手一投足を興味深く観察した。

八十八か所ある札所の寺巡りも半分を終え、恥ずかしさこそなくなっていたものの、僕はまだ自分が唱える般若心経や真言に迷いを持っていた。

テンポ、リズム、ボリューム。

自分のと他人の詠唱を比較して、より様になる唱え方をずっと模索していた。

師匠の唱える般若心経と真言はぶつぶつ呟くような小声の音量だけど、頭の中にずっしりと重く響くような心地が良さがあった。

聴いているうちに意識が浮遊するような感覚さえある。

おそらく変性意識状態に入っていたんだろう。

僕や他の人が唱える般若心経や真言ではそこまでならなかった。

師匠の声は周囲にではなく、自分の内側に向かって発している印象があり、どこか現実を離れ、悦に入っているようにも見えた。

「お賽銭や作法はあまり気にせんでええから、とにかく一心不乱に唱えてみろ」

師匠にそう言われ、僕も師匠の横で唱えてみた。

でも横で師匠に見られていると思うと緊張して、評価を気にするあまり雑念だらけになってしまった。

「そういう迷いがあかん。とにかく何も考えずに唱えてみろ」

映画『燃えよ、ドラゴン』の冒頭のシーンでブルース・リーが弟子に諭した「don’t thinkI feel」

達観した人たちの見解は皆同じなのか、師匠も似たような事を僕に諭す。

「ここにもおらんな。最近は仏の姿が見れる寺がめっきり少なくなった」

師匠はそんな不思議な事も呟いていた。

神仏への信仰が減ると、姿を見れる仏の数もだんだん減るものらしい。

もしかすると般若心経や真言には仏様と交信する信号のような意味があるのかもしれない。

師匠は札所以外のお寺や神社などにも立ち寄り、旧友や知人の様子を伺ったりして、ゆっくりと巡礼しているようだった。

僕は師匠の邪魔にならないように、札所での参拝を終えてから師匠と別れる事にした。

それから何日か後、一日中雨が降り続く徳島を一人で歩いていたら、その日泊まった無人の善根宿で、また偶然師匠と会った。

先に僕が辿り着き、その後に全身をビニール袋で覆った師匠が宿を訪ねて来た。

僕にとっては偶然でも、師匠にとっては必然なのか「やはり先に来てたか」と笑っていた。

薬缶のお湯を沸かして、師匠に「コーヒーでも」と勧めると、師匠は荷物からしょうが湯の袋を取り出して、「これの方が体が温まるから一緒に飲もう」と僕の分も用意してくれた。

それは僕が八十八番札所のお土産屋で買ったしょうが湯で、前回一晩ご一緒した時にお礼として師匠に渡したものだった。

二人で師匠がくれたしょうが湯を飲みながら談笑していると、だんだん腹が減って来た。

でも雨がひどくて途中どこへも寄らずに宿に着いたから、僕も師匠も手持ちの食料があまりなかった。

二人で持っているお菓子やパンを分け合い、一緒に質素な夕飯を食べた。

そんな中、大きいリュック背負った年配のお遍路さんが一人宿に辿り着いた。

「お、先客がいたのか? ひどい雨でね、ご一緒するよ」

「どうぞ、どうぞ」

その年配のお遍路さんは師匠と同じ先達のお遍路さんらしく、この宿には何回も来ているようだった。

「最近はマナーの悪いお遍路さんが増えたから、よくここの宿の備蓄品がなくなるんよ」

先達のお遍路さんは勝手知った感じで宿の中をあれこれ物色しながらそんな事をぼやいていた。

この宿にあるキッチン用具や食器は近所の人が揃えたものらしく、お茶やインスタントコーヒーなどは、入れ代わり立ち代わりここを利用するお遍路さんたちが次の人のために置いていったものだった。

「ひどいのになると、ここで酒盛りをしていく連中なんかもおるらしくてな、近所の人から時々ワシのところに苦情が来るよ」

「それは難儀でしたな」

師匠たちのような先達と呼ばれる人たちは、お遍路さんの指導者的立場の人たちだから、初心者や不慣れなお遍路さんには、道で出会うとお遍路に関するいろんな知識を教えてくれる。

それでも年々観光目的でお遍路をする人が増えると、先達の人たちの目にあまる悪質な行為なども見られるようになり、お接待をしてくれた地元の人とトラブルになるケースも珍しくないらしい。

年配のお遍路さんは自分でもお接待出来るよう、大きなリュックに調理器具や食材などを常に入れて持ち歩いていた。

「一昨日も若いお遍路の兄ちゃんと宿で一緒になってな、ワシが食事を作って接待してあげたら、遠慮もせずに食べれるだけ食べよったわ」

そう言いながら先達のお遍路さんは、リュックから肉や野菜などの食材を取り出して、テーブルの上で料理をし出した。

「遠慮するな」とは言ったけど、あれはホンマにびっくりしたで」

そんな事を言いつつ、この先達のお遍路さんは僕たちにもお接待するだろうと思った。

「疲れたのでちょっと横になります」

僕はこの先達のお遍路さんにお接待されるのが嫌だったので、一人テーブルの輪を離れて布団のある座敷の方に移動した。

席を離れる時、一瞬師匠がこちらを気にしたようだった。

また悟られたか?と思ったけど、気が重かったので座敷の隅で雑誌を眺めていた。

狭い善根宿に肉と野菜の焼ける良い音と匂いが充満する。

「ほら、出来たで。アンタらも分もあるから、遠慮せず食べや」

案の定先達のお遍路さんが僕たちに食事を振舞った。

正直腹が減っていたので食べたかったけど、散々愚痴を聞かされた後に、出会った以上は仕方ないみたいな気持ちで施されるお接待を受けるのは絶対に嫌だった。

「せっかくですが、さっき済ませたので大丈夫です」

波風立たないようにやんわりと断った。

「食わないの?」

「はい。お腹がいっぱいなので」

まさか僕が断るとは思っていなかったらしく、先達のお遍路さんが少し動揺していた。

「これは美味そうだな。それじゃあワシはありがたく頂くよ」

師匠は先達のお遍路さんの愚痴を聞いても意に介さず、素直に振舞われた食事に箸をつけていた。

「せっかく作ったんだから、兄ちゃんも遠慮せずに食べぇや」

先日遠慮しなかった若造の話を聞かされた後に、「遠慮しないで食べろ」と言われても無理だ。

僕はHSP気質だから、昔からこういう本音と建て前がある相手とのやりとりが苦手で、一緒にいると気を使い過ぎてすぐに疲れてしまう。

先達のお遍路さんと師匠が食事している様子を横目にしながら、なるべく気にしないように雑誌に集中した。

それからも何度か先達のお遍路さんと師匠に「食べろ」と誘われたけど、僕は意地を張って頑なに断り続けた。

なんとなく気まずい感じで過ごしていると、また玄関の戸が開いて20代前半くらいの若いお遍路さんがずぶ濡れの恰好で宿に入って来た。

「こんにちわ」

「よう、オマエか、また会ったな。今ちょうど食事作ったとこやったから、食べ。ラッキーやったな」

「えっいいんすか、僕もちょうど腹減ってたんでごちそうになりますっ」

先日喰えるだけ喰った遠慮のない若造とは彼の事だろうか?

若いお遍路さんは挨拶もそこそこに嬉しそうに席に着くと、先達のお遍路さんが作った食事を遠慮なくガツガツ食べだした。

素直ではあるけど、あまりにガサツでアホっぽい彼の振舞いを見て正直驚いた。

先達のお遍路さんが気になって顔を見ると、微笑ましくも苦々しい複雑な表情で若者を見ていた。

「いい喰いっぷりやなぁ。さすが若い人はワシらと違うわ。いっぱいあるから遠慮せんと食べ」

「はいっ。ありがとうございますっ」

若いお遍路さんは先達のお遍路さんの建前にガッツリ乗っかって、まったく遠慮する事なく食べ続けた。

僕はそれをあっけに取られた様子でただ見守った。

そして先日と同じ事を繰り返す二人を見て心底嫌気が差してきた。

師匠だけがただ一人、このおかしな状況を静かに見守っていた。

「アンタもはよ喰わな。この子に全部喰われるで」

食うわけないだろ!

もう断るのも鬱陶しかったので今度ばかりは露骨に無視した。

相手にしていられないので先に寝ようと思い、自分の寝床を整えて早々と寝袋に入った。

本当は師匠と二人でもっと話をしたかったけど、気持ちが苛立ち過ぎて、もう輪に戻れそうになかった。

そんな僕を気にかける師匠の視線を何度か感じた。

それもあえて気付かないふりしてその日は寝た。

次の日、まだ日が昇らないうちに目が覚めた。

みんなまだ寝ているようなので、起こさないように身支度をして外に出た。

師匠に別れの挨拶をしたかったけど、他の人たちを起こすと面倒なので、そのまま一人で先を急ぐ事にした。

小便がしたかったので、宿の外にある公衆トイレで用を済ますと、宿の玄関先に師匠が立っていた。

「もう行くか」

「はい」

「じゃあここでお別れだな。気をつけてな」

「お世話になりました。ありがとうございます」

罪悪感、寂しさ、感謝……。

いろんな気持ちが一度に沸き起こってきた。

「師匠も道中お気をつけて」

それしか言葉が出て来なかった。

ただつまらない意地を張った弟子にどこまでも親身になってくれる師匠の優しさが心底ありがたかった。

おかげで今生の別れになるかもしれない瞬間を後悔しなくて済んだ。

また一人で歩き出し、時折後ろを振り返ると、ずっと師匠が見守ってくれていた。

そして僕の姿が見えなくなるまで師匠はずっと見守ってくれていた。

こういう人との出会いは滅多にない。

この先の人生でもあまりない気がする。

だから師匠との思い出は常に鮮やかで、死ぬまで僕の記憶に残り続けると思う。


そして僕は無事にお遍路を結願する事が出来た。

結願した者はその感動で涙を流すという話を聞いていたけど、僕は果てしない旅から解放される喜びと同時に「こんなものか」という物足りなさも正直感じた。

この旅の何が人間的成長を促すのかは分からないけど、さらなる人間的成長への欲求も芽生えて、いつかもう一度チャレンジしようと思った。

それが僕のお遍路。

巡礼記

巡礼記

2014年に四国のお遍路をした時の自伝小説です。 記憶に残っている思い深い出来事を中心に綴っています。 時系列バラバラです。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-02-01

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