夜明けの六角形

 六角形が、しきつめられたみたいな、床を、じっと眺めたときもあったのだけれど、たぶん、あれは、いつかの夜明けの、どこかの町はずれの、ホテルの一室で、ぼくは、せんせいが、脱皮をするのを、みていたのだと思う。
 記憶は、水の底に沈んでいる感じで、両手で、すくいあげたぶんしか、思い出せない、断片的で、おぼろげで、ちぎれた写真をつなぎあわせるような行為を、あたまのなかでしている。
 動物園のライオンがにげだしたというニュースをみたとき、やった、と思ったのは、ぼくで、せんせいが、ぺりぺりと薄皮をむき、ゆでたまごみたいな、つるんとしたからだをあらわにしたとき、きれいだ、と思ったのも、ぼくで、血はにがてだけれど、たとえば、こころのそこから愛しているひとの血肉になることは、それは、おおげさだけれど、最上級の幸福だと考えるのも、また、ぼくで、ぼく、というにんげんのことを、ぼく自身も、よく、わかっていないもので、でも、さいきんのことばのようにあつかわれる、サイコパス、だなんて括りには、しないでほしいと、ひそかに願っている。
 あのときの、ホテルのかべは、にごった青で、せんせいの、半透明の膜のような皮は、例の、六角形をしきつめたみたいな柄のうえに、するんと落ちて、カーテンのすきまから、あたらしい朝の光がこぼれて、じゃあ、これで、ぼくとせんせいは、ふたり、永遠に幸せになれるかといったら、たぶん、ちがくて、もしかしたら、ものすごい不幸な運命をたどるかもしれない、と想像した瞬間に、せんせいが、何事もなかったように、ふつうにコーヒーを、淹れていたシーンは、鮮明に覚えている。インスタントコーヒー。
 お砂糖がなかったので、ぼくは飲まなかった。

夜明けの六角形

夜明けの六角形

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-01-30

CC BY-NC-ND
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