ゆうれいとホットケーキのパンとせんせいの頬のふくらみ

 ゆうれいみたいなの、みえるときってあるし、でも、それ、ゆうれいじゃなくって、結局は、錯覚、だと思うと、錯覚なんだろうなって思い込んで、もしかしたら、ほんとうはみえているはずの、ゆうれいのこと、否定してるのかもと考えたら、すこしだけかなしくなった。定規ではかるところの、一ミリくらいだけれど。三十センチをいっぱいとして、そのうちの、一ミリ。一ミリのかなしみだって、りっぱなかなしみだよと、せんせいはいう。
 冬の、学校の、体育館のうらで、だきあっているふたりをみたとき、ああいうのを、ぼくは、だれとしたいだろうと、まじめに想ったよ。せんせい、でもいいけれど、写真部の、清田せんぱいでもいいような気がしたし、となりの席の山川さんでも、いいような感じだった。じゃあ、だれとでもしたいのかというと、そうでもなくて、たとえば、いつも行く本屋さんの店員さんは、なんかちがうし、予備校で仲のいい中井くんとも、うまくは想像できないし、中学からいっしょの本城は、まったくありえないという気分なのだった。菓子パンの、ホットケーキのやつが好きで、あの、バターと、メープルシロップがはさんであるの、ぼくがそればかり食べているから、せんせいはときどき、野菜ジュースをくれる。れんあいは、だれとでもしていいの、と、せんせいにたずねたら、せんせいは、しばらく宙に視線をさまよわせ、なやんでいる、ようだったけれど、コーヒーをひとくちすすってから、世界にはいろんな考えのひとがいるから、してはいけないって思っているひともたくさんいるけれど、でも、そこに、ちゃんと、きもちがあれば、ぼくはいいと思う、とまじめに答えて、それから、おべんとうのからあげをひとつ、くちにはこんだ。昼休みが、もうまもなくおわる頃の学食は、ひともまばらで、窓際の席は、あたたかくて、ぼくが、ねこ、だったら、このままここにまるまってねむっていたいくらい、心地よかった。ホットケーキのパンはおいしいし、ゆうれいはほんとうにみえたら、ちょっとこわいけれど、すてきだし、れんあいは、どうせなら、いろんなひととしてみたいなって思う。せんせいの、食べものを噛んでいるときの、頬のふくらみとか、ずっとみていたいくらい、好き。

ゆうれいとホットケーキのパンとせんせいの頬のふくらみ

ゆうれいとホットケーキのパンとせんせいの頬のふくらみ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-01-23

CC BY-NC-ND
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