ジンジャーエール


「今日なに食べよっか?」

目の前にしゃがんでそう言う。
きみのひょろっと長い髪の毛が、ゆれた。
それと同時に、声は響くのをやめて
きみはいる、ことをやめた

ぐぅー

お腹が鳴ったのは、きみのおかげ
もうほとんどなにも食べてない、頬が下に引っ張られる感覚。
ただなにも食べないだけで見えるきみの幻覚
なら、このままなにも食べないで、きみに会いにいこう。という、感覚。


そんなことを言っておきながら、お湯を沸かして、三分待った。
お腹が鳴ったから食べる。時間じゃない。習慣じゃない。
好きになったから愛す。義務じゃない。

ズルズル

美味しい、とかじゃない。生きるため、とかじゃない。
そんな深く考えてない、なにも考えてない
あっという間に、スープまで飲み干した。


あー、明日からバイトか。
仮病、でもないけど、マネージャーに事情を説明したら休みをくれた。
インフルエンザのほうがマシなぐらいしんどいです。って状態めいたことを言ったら休みをくれた。
まあ、冗談ではなかったけど。、、だからか。

でも、このまま休み続けると生活が厳しいから明日からバイトを出ることにした。ちょうど人も足りないみたいだし。って俺のせいか。


最後の休み。じゃないけれど、ある意味最後の休み。仮病、じゃないけれど、このことについての休みの最後。

なに、しようかな

なんだか急に貴重な休みに感じた。

しばらく友達とは連絡をとってない。事情を知ってる友達も、事情を知らない友達も。
既読無視。
読めるけど、返す力がない。

カーテンがゆれた
あー、ちくしょう、天気いいな

カラオケ、、でも行こうかな。、、一人で。

流しで、カップラーメンのカップを洗い流して、
振って、水気を飛ばして、ゴミ箱に捨てた。
この癖はいつからだろうか、。

 たしか家の近くにチェーン店じゃないマイナーな小さいカラオケ屋があったのを思い出した。
一人で行くからそこにしようと思った。
でも、まさか自分が一人カラオケするとか思わなかったな

用意、、しなくてもいいか。
歯をみがいて、マスクして、ユニクロのスウェットの上からダウンを着て。だれかに買ってもらったニット帽をかぶって。
出掛けた


あ、やってる。

心のどこかで、お店が休みだったら一人カラオケしなくて済むと土壇場で思いはじめたけどお店はやっていた。
思った以上に一人でカラオケに行くのは緊張する。マスクしてきてよかった、、。

受付で店員さんから先に一名様ですかと聞かれたのが助かった。僕は「はい。」と言うだけでよかった。

値段がとても安くてびっくりした。だけどそのかわりに飲み放題ではない。ドリンクを一杯頼まなくてはいけなくて、その場で何にしますかと聞かれたので、とっさにメニューを見て、目に入ったジンジャエールを頼んだ。

ジンジャエール。


部屋に案内されて、一人でカラオケの空間にいる違和感に戸惑って、ドサッとソファーに座ったぐらいで店員さんがもうジンジャエールを持ってきた。ごゆっくりどうぞ、と言われた。

ジンジャエールをストローで吸って、しょうがの香りと舌にひっついて、すぐ離れる。この感じがあまり好きじゃない。あと、口の中に残ってはじける炭酸が痛い。

あいつが好きだったから頼んだだけだよ
ジンジャエール


 最初に何を歌うかとても迷った。誰かと行けば、それに合わせて自ずと決まるけど
なんでも歌いたい歌歌ってください。と言われると迷う。

バラードにした。誰かと行ったら一曲目にバラードはまず歌わない。今日は一人だから
あと、そんなアップテンポな歌を歌う心境ではない。


 何曲か歌ってると、喉が疲れた。誰かと行けば、誰かが歌ってる間に休めるけど。

歌うのをやめた。

すると、もう、あいつとカラオケ行けないんだな、って
なみだが

一人でカラオケで、歌も歌わずに泣いて
きもちわるいなー

って、言ってくれよ


 カラオケ屋を出ると、もう夕方だった。
踏切に夕日が差しかかって

あー、明日バイトか、って憂鬱を思いだして

スーパーでなにかを買って
家に帰った。

 久しぶりのバイトは行くのが億劫だった。
みんな事情知ってるのかな、、。
今日はいつもの先輩といつものツーオペで、うなだれた感じで入ってくる僕を見て先輩は、なに休んでんだよ、って笑って言った。
その感じでおそらく事情は知らないんだなって思った。
この先輩はほとんど僕と一緒に働いてる。お互いが仕事をサボれるようにシフトを合わしてる。深夜にシフト入れるヤツは少ないから店も助かってるって感じだ。

シフトはいつも一緒だけど特別仲が良いってわけじゃない。利害が一致してるだけの関係。でも、この人にだけは事情を説明しとこうかなと思った。なんか、なんとなく、そっちのがほうが働きやすいかなって思って。


ごめん、なんも言えない。

って言われた。まあ、そのほうが気が楽だ。この人になにかを求めたつもりはない。
いつものようにピーク帯は働いて、それが過ぎたらお互い寸胴に蓋をして、それに座った。先輩はキッチン、僕は前、どっちも客に見えない死角で。

深夜が過ぎて納品を終えたら、先輩は帰った。合算した休憩時間一時間半分早く。
先輩を見送って、あったかいお茶をポットでいれて、飲んだ。
一人になって、客もいない、深夜
ふるえるほど、時間が無駄に感じた


ピロリロリーン


「早く来すぎたから鍵貸してよ、家で待ってるから」

仕事場に来んなよ

「わかったから、早く貸してよ」

うるせーな、ほら

「ありがと。あとさー」

なんだよ

「びっくりするぐらい制服似合ってないね」

早く行けって


ピロリロリーン


目を開けたら客が僕を覗き込んでた。
軽く謝って、接客した。
大変だねー、一人で。って言われた
いや、そんなことないですよ。って言えなかった
はい、大変です。とも言えなかった

それから朝のピーク帯を一人でまわして、朝番と代わって、似合わない制服のまま帰った。

 朝に帰ってきて、寝ても、昼に目が覚める。
カーテンからガンガン太陽のひかりが漏れだしてるし、窓の外はうるさいし、そういう習慣になってるし。深夜、時給が良いのがよく分かる。体に悪い。

一人暮らしだからそれだけしなきゃいけないけど、地元を離れたのは気が楽だ。めんどくさくない。めんどくさいことが起きにくい。
まあー、今は特に。

めんどくさいことがなくなって
めんどくさくなってる


 いつも行くカフェがある。こんな街なのにすごくオシャレな。ウッド調の内装でロフトもある。壁がガラスで外が見える、半オープンな。
なのに値段が安い。ハッピーアワーとかだとワインは百円だ。たまーに飲むけど僕は基本コーヒー。おかわり百円。

そのカフェはいつも映画を流してて、王道の洋画を。副音声で字幕をだしてて、店内BGMがうるさくても観れる。
この日はバックトゥザフューチャーを流してた。

主人公が過去に行ったり、未来に行ったり。
そういえば聞いたことがある。もう今僕らの時代はバックトゥザフューチャーの描く時代に追いついてるって。
それをわざわざスマホで調べるほどではないけど。
そうなんだー、って思って、ぼーっと観てた。

観入ってると、店長がコーヒーおかわりいりますかって聞いてきた。
映画がまだ観たかったから、いりますって答えた。

ちょっとして店長がコーヒーを持ってきて、言った。
いいですよね都合よく時間を行ったり来たりして、って

そんなのできたら生きてる意味ないですよ

って言った



なるほど

って店長は関心していた


嘘ですよ。

戻りたいです



 エンドロールの途中でカフェを出て
なにも知らない
思い入れもない街で
よく行くカフェとよく行くスーパー

地元に帰ろうかな、って思った

カン、カン、カン、カン

踏切がうるさい

死ぬのは簡単で
死なれると難しい

カン、カン、カン、カン

ほら、ぶつかってきてみろ
って
電車がドヤ顔で通るから
ギリギリに立ってやった

カン、カン、カン、カン

めんどくせーな

 その日は最悪だった。うなだれた感じでいつものようにバイトに出勤したら、昼番の女二人が何か言いたげに立っていた。そして、俺がおはよう、と言った矢先にキレてきた。
仕込みをしてないだの、仕事ちゃんとしてないだの。店で一番長いバイトリーダーの女とその手下の女。

俺が、知らねー、って言ったら手下の女が俺の肩をおもいっきり押してきた。
監視カメラで見られてるからやめたほうがいいよ。と言ったら、何言ってるかわからないけどギャーギャー二人でわめきだした。
そしたら話を聞いてた先輩が俺に、それはお前が悪いと言い出した。
そーいうヤツなんだよ。


アホ二人を無視して接客してたら、そのうちいなくなった。先輩と二人になったら先輩は俺に言った。バイトリーダーの言うことは聞いとけよ。と。
絶対聞かねー、と思った。

それからちょっとして店に電話があった。先輩が、だから言っただろ、みたいな顔で子機を渡してきた。マネージャーからだった。
怒られなかった。けど近くのもう一つの店舗に異動しないかと言われた。
もう実家に帰るんで大丈夫です。と言った
そしたらマネージャーは驚いたようなちょっと安心したような感じで、そうか、と言った。


ピーク帯を先輩と二人でほとんど会話することなくまわした。この日は自分が一時間半早く帰る日で、納品を終わらして帰った。
早く帰るのは大体いつも先輩なんだけど、説明めんどいからざっくり言うと、早く帰る方も残る方もどっちも得するようになっていて、シフトの噛み合わせ、組み合わせで二月に一回ぐらい自分が早く帰る日がある。それがこの日、ちょうどよかった。早く帰って寝たかった。

シフト提出日だったからいつもだったらお互いシフト合わせであーだこーだ言ってんだけど、それはなかった。
もう一緒に入ることはないんだろうな。


 家に着いたら、中は暗かった。当たり前だけど。いや、いつもは朝に帰るから明るい。
そんなことはどうでもいい。
この日はとても疲れていて、かなりの脱力感があった。頭もフワフワして、思考もおぼつかない。目もほとんど閉じている状態。
ベッドに背をもたれるようにして座りこんだ。
このまま寝てしまおう

このまま寝てしまおう

なぜだろう

体も、頭も、目も、寝てるのに

心の中の核だけが寝ようとしない


 中途半端にひらけたカーテンの隙間から射す太陽のひかりで目が覚めた。
と同時にバイト先の肉と油の匂いがした。
最悪の目覚め。急いでバイトの制服を脱いで、洗濯機に入れて、シャワーを浴びた。

カーテンを全開にして、窓を二つ開けた。
いたるところに消臭剤を吹きかけた。
そのとき、ブワッと風が吹いた
驚いて、止まってしまった
我に帰る
剥き出しの眼球、合わない焦点

こんなので染み着いたものはとれるのだろうか

 母親に電話した。もろもろは説明した。でも、彼女とは別れたってことにした。
、、別れたってことになるのかな
別にやることもなく、居る意味もないなら帰って来なさい、と言われた。
母親は近くにいるとうるさいけど、離れるとやさしい。
今僕が唯一ありつける、やさしさ

引っ越し代とかその他もろもろも出してくれるみたいだ。母親は僕に帰って来てほしかったのかな、と思った。
お金の面で助かったんでバイト辞められる。
ちょうどシフトのことでメールが着てたからマネージャーに電話した。


了解しました。

って言われた。別に驚くこともなく、予想通りという感じだった。
バイトリーダーの勝ち誇った顔が浮かんだ。
少し悔しかったけど、それが理由じゃない、ということで収まりをつけた。
それよりも今日からバイトに行かなくていい、という解放感とスッキリがあった。
夕方だった。
外はもう静かで、涼しい風が窓から入ってきた。
電気は点けてなかった。

考えなくてはいけない、想わなくてはいけない

もう逃げられない。バイトで掻き回されたことで忘れられていた、少しでも。働くことで忘れられていた、少しでも。
これはほんの少しの一歩。


 でも、やっぱり逃げた。実家に帰ることを挨拶しに行こうと思った。唯一、あのカフェに。

この時間に来ることは初めてで、ただでさえオシャレな店なのに、外が暗くなり、店内がぼんやりと明るいので余計にオシャレに見えた。

外から中を見ると店長がいた。目が合って会釈した。
この時間めずらしいですね、と言われた。
そう、いつもハッピーアワーの時間にしか来ない。だからこの日はいつもより高いのだ。店からしたらいつもの値段なんだけど。

コーヒーを頼んだ。ふと、目をやった。バックトゥザフューチャーがやっていた。続編だ。その時気づいた、そうかバックトゥザフューチャーは続編があるんだ。


店長がコーヒーを持ってきた時に、僕が実家に帰ることを伝えた。
それは寂しいですね。と言われた
でも、僕もこの店辞めるんですよ。とも言われた
なんだか笑ってしまった
一ヶ月後らしい。
バックトゥザフューチャーのエンドロールを観ながらコーヒーを飲んだ。

コーヒーが空いた頃に店長が白ワインのボトルを持ってきた。
祝いです。飲みましょう、と言われた
店長がいるキッチンの前のカウンターに移動させられて、ワインを飲んだ。
そんなにいっぱい喋るわけじゃなく、ちょっと喋った。ワイン、申し訳ないから唐揚げとサラダを頼んだ。


すごく飲みやすいワインだったからあっという間に飲んだ。店長はびっくりしていた
強いですね、と言われた
でも、自分でも酔っ払っているのがすごくわかる。粗相しないうちに帰った。店長にお礼を言って。

街の灯りがぼんやりと光っていた。
こんな街でも良いこともあるんだな、と思った。

家に帰って、ベッドに寝そべった。
涙が流れた、わんわん泣いた
ベッドを何度も叩いた

なんでいないんだよッッッ

って叫んだ

アルコールが目から垂れ流れた

そのまま、眠った


吐き気で起きた。急いでトイレに行って、吐いた。
アルコールが鼻からも口からも垂れ流れた

キッチンで顔を洗った

外の街灯のひかりで見える部屋には

誰もいなかった

 かなしくないわけがない。でも、逃げていた。すぐ受け止めれるほど強くない、すぐ受け入れれるほどかしこくない。

最初はずっと、食欲もなくてほとんどなにも食べなかった。でも、さっき唐揚げとサラダを食べた。全部吐いたけど。
それ以外のものも食べている。いつの間に僕は準備していたんだろう。

あきらかになにかがなくなった

感触がなくなった。前まであった感触がなくなった。その実感がある。
考えないように、逃げて、働いて、逃げて
でも、身体は準備していて

いない、とかどうでもいい
好き、とかどうでもいい
愛してる、とかどうでもいい


もう会えない、がなによりつらい



「結婚したら子ども何人ほしい?」

結婚も、子どもも興味ない

「えー、結婚して子ども産もうよー」

ああー、いつかね



いつだよ。

こんなことならちゃんと言ってあげたらよかった
でも、結婚して子ども産もうよー、なんてよく恥ずかしげもなく言えるよな。

でも、そんなとこが好きだった


ほら、過去形


好きだった


もういない、って


認めてるじゃん

 朝に引っ越し業者が来た。そのインターホンで起きた。荷造りは全部済ませてるから大丈夫。一人暮らしと荷物の少なさであっという間に終わった。
その後、管理会社の人が来て退居の立ち会いをした。マスターキーを渡して、この家にさよならした。

荷物はリュックだけで、軽かった。
なにも思い入れのない街だけど、やっぱり周りを見渡しながら、駅に向かった。


新幹線で飲む物を買おうと思った。指定席なんで慌てなくても大丈夫。
買った飲み物はジンジャエール。
新幹線に乗ってる間に飲み干そうと思った

自分の席を見つけて、座った。
少しして、動きだした。
前の席に付いているテーブルの丸いくぼみのところにジンジャエールを置いた。
じーっと、見つめて、蓋を開けた。
シュッって音がして、飲んだ。

ああ、やっぱり好きじゃない

しょうがの香りと舌にひっついて、すぐ離れる
この感じ
口の中に残ってはじける炭酸が

痛い

ジンジャーエール

ジンジャーエール

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-01-17

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