そこにいた僕の回顧録

そこにいた僕の回顧録

この話は妄想日記のようなフィクションです。

ある逸れ者の回想

 人を信じることは難しい。
 おそらく過去には、無心で信じられる相手というものが存在していたんだろうとは思う。

 いまの僕には、人を疑うことしか満足にできない。
 自分も含めた、すべての人を。
 その行為や言葉の裏にある直視しがたい側面を、想像せずにはおられない。

 言葉がありました。

 ありがとう、と。

 顔を見れば、不快を表現していました。
 つまりその意味は、皮肉だったということでしょう。
 僕はどこで間違ったのでしょうか。
 何もするべきではなかったのでしょうか。

 それを問うても赦されるでしょうか。
 誰か正解を、教えてくれますか?

 かけられる言葉のすべてに裏を探して、怯えて過ごすうちに言葉が判らなくなりました。
 本当の意味は一体どれなのでしょう。正しい意味を、僕は伝えられる自信がありません。
 言葉にしても誤解を伝えるだけなのならば、何も伝えないほうが幾分かマシであるような気さえしてしまいます。

 僕は声を忘れました。

 使わないものから忘れてゆくのが記憶というものです。
 思い出すことは難しい。

 いまの僕は声を持っています。
 言葉はぎこちなくしか出てきませんが、会話というものを滅多にしないので、それでも何とかなります。

 疑うために人と過ごすのは苦しいです。人と過ごして、相手を疑わないことはできません。
 誰かを信じていられた僕は、どこかに眠っているでしょうか。そのうち起きてきてくれるのでしょうか。

 もともと、人見知りというモノだったのでしょう。
 初対面の相手と向かい合っての会話は苦手でした。
 顔を見なければ、弾まない言葉のやり取りくらいはできていたのですが。

 いまは、声が出ません。

 声をかけられても、頭を振るのが精一杯です。

 誰彼構わず、すれ違った相手には会釈をするという習慣があります。
 僕の習慣の多くが形成されている小学生時代をすごしていた、田舎の習慣なのかもしれません。
 社交辞令的なものでしょうか、会釈を返してくださる相手が多いです。

 たまに、どなたか知りませんけど、とか反応を受けたりもします。
 それをされると、僕は何も言葉を返せないのです。
 曖昧に首を傾げて、申し訳なくなります。

 多くの時に何を言っていいのか分からないですし、仮に返したい言葉があったとしても、口を開くことができません。顎に力が入り、唇も離れません。舌の根が痛みます。
 時々鼻から漏れる音になり切らない唸りは、不快感を現わすものではないのですが。相手に不快感を与えてしまっていそうで。
 気にすれば気にするほどに、僕は何も言えなくなっていったのかもしれません。

要請

 助けを求めるのは難しい。
 声をかけて迷惑だったら、とか、断られたら、と怯えているのです。

 大丈夫かと訊ねられて、大丈夫、以外の言葉を返すことはできません。
 何か別のことを答えたとすれば、意図しない悪い方向へ転ぶのではないかと不安でなりません。

 人を信じることは難しい。

 助けを求められて、僕にできることならば手を貸します。
 ものをついでに運んでおくだとか、そんなことの返礼に飲食物を奢るという習慣を持つ人がいます。
 僕はそれについてゆくことができません。
 見返りを求めないわけではありません。
 ですが、お金が欲しいわけでも、物が欲しいわけでもありません。
 行為を換金するのはとても難しい。
 僕の場合は不要な物を与えられて処分に困ることも避けたいのです。
 偏食家だという理由もあります。

 ですからどうか、物ではなく行為を返してほしいのです。
 僕が困っているときに、時間を分けてください。

不規則な眠り

 眠れない夜があります。
 起きることが怖くて、眠ることが難しくなります。
 眠くなって、寝てしまうと、起きるのがつらくなります。

 起きた後に待っているものが変わるわけもありません。

 それでも眠りへと向かうことができなくて、回らない頭で過去を絡めて自分の首を絞めるのです。
 自業自得、とはこのことでしょうか。
 眠らないことで、もしくは眠るのが遅くなることで、何もいいことはありません。

 この時期は同時に、長く眠る時期であることがあります。
 一日の半ば以上を不鮮明な意識の中でまどろみ、数時間だけ重たい体を動かして働かない頭で悩むのです。
 予定のない日があれば、夕方まで起き上がらないこともあります。
 指先に力が入らず、体を起こす気になれず、その必要もない時には、僕は横になったままで過ごすのです。

生まれたとき

 僕が生まれたのは、肉体の年齢でいうと10歳ごろのことだったように思います。
 それ以前の僕は今の自分と同じものであるという実感がありません。記憶の中にある物事は、いつかどこかで読んだ本の内容と同じように感じられます。

 その頃の僕は学校へ通っていました。家からさほど離れていない、公立の学校へ。
 教師が黒板の前に立って何か言うのを聞き流して時間をつぶし、休み時間に外へ出ることを楽しみにしていたように思います。
 校庭の芝生の上を駆けたりヤマモモの木の下にひそんだり、池に浮かぶ蓮をつついたり、そんなことをしていました。
 外に出られない掃除の時間だったと思います。ふと窓の外を見ました。
 こちらを向いて、太陽が輝いていました。
 僕の存在が、そこで初めて定まったような気がします。
 それが僕の初めて得た生の実感です。

 どこかはっきりとした視界を得て、物語がそこにあると気付きました。
 書店へ能動的に足を運ぶようになったのは、その頃です。
 それ以前はたまに連れてゆかれることはありましたが、用がないので好んで近づくことはありませんでした。

 以降は暇があれば足を運び、棚を眺めて惹かれたものを求めて物語に触れてゆきました。

はじまり

 そのうち、この目に見える、この体が感じる物語を、外に出そうと思うようになりました。
 誰に見せるでもなくそこにいる彼らの物語をノートに書きつけて、確かに彼らはいるのだと実感するようになりました。

 この世界のどこかにいるのかもしれないし、違う世界にいるのかも、本当はいないのかもしれないけれど、僕にとって彼らはただそこにいて、彼らの生活を営んでいるのでした。
 それをただ描写するだけです。
 僕の作った物語上を彼らが動くのではなく、彼らが動いた軌跡を書き記すだけなのです。

 ピアノが好きでした。
 グランドピアノのある音楽室が好きでした。
 日差しの差し込む窓から外を見ると、そこは校舎の3階なのでグラウンドの芝生が見えました。築山も見えた気がします。少し向こうにある、町で一番高い山も。
 ピアノが日陰にまどろんでいて、イスが整然と並ぶさまは今思い返すとまるで墓石のようです。
 楽器が準備室の棚に押し込められていました。

 授業中に響く歌声も放課後に響く楽器の音色も好きでした。
 その空間でただ一つ、好きになれないのは視線だけでした。

 僕を見ないでください先生。
 名前を呼ばないでください。

 静まった部屋の中で、時々歌うテストがありました。
 人の前に出ると僕は声が出ませんから、先生に困った顔をされました。
 ごめんなさい先生。歌うことは嫌いではないんです。冗談でも貶された記憶が離れないんです。

 誰に告げることもなく、それまでの自分だったはずの何かの行いを真似て過ごしているうちに疲れてしまいました。
 ある日ぷつんと、糸が切れるように何かが変わったような気がします。
 気付けば叫んでいました。
 自分だったはずの何かを呼ぶ呼称を、僕は嫌っていたのです。それを打ち明けてしまいました。
 数人で集まって遊んでいたときのような気がします。
 僕とその人たちの関係は、何と表現すればいいのでしょうか。
 家が近い、クラスメイトやその友人たち。他に適当な言葉は思い浮かびません。

 そこから少しずつ周囲の態度が変わっていったように思うのですが、僕の心境の変化でそう感じるようになったのやもしれません。
 いまも付き合いのある相手はそこにはたしていたのでしょうか。
 ひとりだけ、引っ越していったことは知っています。他の人はいまどうしているのでしょうか。もとより連絡先は知りません。学校の連絡網に記載されていた家の番号が今も変わっていないのなら、連絡を取ることも可能かもしれません。その必要性はありませんが。

 偽ることを諦めた僕は気分が良かった。
 それを受け入れてくれる新たな理解者もいました。
 いまは付き合いがないけれど、その時があったから僕は今こうしていることができます。

みちしるべ

 道を作るのは難しいのです。
 どこに作るか、どこから作るか、何を使うか、どのような形にするのか、多方面から考えねばなりません。
 まず、何のために道を作るのか。作りたいから、でも一応の理由にはなるけれど。
 もちろん作るだけではいけません。作った道は、何に使うのか。使わなければ、ただ地形を改変しただけになってしまいます。
 どう管理して、整備していくのか。そこも考えなければなりません。
 一人で考えていても埒が明かないのですが、僕には相談できる能力がありません。誰ぞかが手を差し伸べてもそれを振り払うことを咄嗟にするような性質を持っているので、難しいのです。
 同じ道を求めている人を見つけることができたなら、共に道を拓くことができるでしょうか。

 道があれば歩ける気がしました。

 どこから作り始めるのかは決められません。
 どの作り方をすれば使いやすいのか、長く保てるのか、考えることは僕には難しすぎました。
 誰かに頼ってもいいでしょうか。
 きっと考えることが得意な人がいるはずですから、お願いしましょう。

 僕はその道を使いましょう。
 しっかりと、道であることを(あか)しましょう。
 その先にあるはずの光景を、見つめましょう。

 僕は考えることが苦手です。
 考えるために必要な知識を持ち合わせていないことは解っているのですが、それを補う行動を起こすことがとても苦手です。
 ない知識は深めようもありません。何の手がかりもない興味をどう表現するべきかもまだ解っていないのです。
 順序立てて探してゆくことが苦手です。そもそもどんな規則に則った順序に並べれば、納得のゆく答えへとたどり着くことができるのでしょうか。その規則はどこにあるのでしょう。自分で作るのでしょうか。
 きっと経験が助けてくれるのでしょう。ずっと考えることを避けてきましたから、僕には経験というものが不足しています。

 声が聞きたくなります。
 けれどいざ、顔を見たら。僕は一目散に逃げてしまうのです。心の準備ができていなくて。

 曖昧に首を傾げるくらいのことがかろうじてできるでしょうか。
 話しかけられると嬉しいのです。
 涙が出るのは、嫌なことが今あったわけでは無いのです。だから心配しないで。
 あなたの曇った顔は、僕の心も曇らせるから。
 この涙は、溜まってしまった凝りがあなたに浚われている証拠ですから。

 話しかけてくれて、ありがとう。
 社交辞令でも、嬉しいのです。
 短い挨拶だけでも、ただそれだけのことが、僕にはたまらなく幸せなのです。

ただ世に不満を述べる

 何かにつけて不満を述べる。
 粗探し、揚げ足取り、そんな風に呼ばれるけれど。
 偽善であるかもしれないけれど、よりよくしたいと思っているだけ。

 貶す意図は無いしむしろ褒めているつもりでも、嫌がっていると誤解を受ける。
 正しく想いを伝えるのは難しい。
 伝えないか、誤解を生むか、どちらも嫌で。
 伝えようとしてもうまくいかない。
 そのうち、伝えようとしなくなってしまった。

まだ

 まだ大丈夫。
 まだ、大丈夫。
 自分に言い聞かせて、竦む足を引きずって進む。

 まだ、大丈夫なはずだ。
 自分に言い聞かせて、重い頭を支えて前を向く。

 まだきっと、どうにかなる。
 希望的観測で、きょうも自分の首を絞める。

 苦しくなった酸素不足の頭では何も考えることはできなくて、腕は持ち上がらなくても。

 まだ、大丈夫なはずだと刷り込んで、きょうを生き抜くことだけを試みる。

 何もできないけれど、それでもよいと思えました。
 それでもよいと言う声が聞こえました。
 誰の言葉だったのかは、もう判然としません。

そこにいた僕の回顧録

ただそこにいただけの誰かのことを、時々思い返してやってください。

そこにいた僕の回顧録

人付き合いが苦手な僕はただそこにいただけの、物語の世界なら脇役の知り合いのご近所さんくらいの脇役でした。 何の波風も経たない日常が、ただ送れればそれでよかった。 作者自身の、過去と妄想の区別がつかなくなった回顧録。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-01-16

CC BY-NC-SA
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CC BY-NC-SA
  1. ある逸れ者の回想
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  6. 要請
  7. 不規則な眠り
  8. 生まれたとき
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  10. はじまり
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  14. みちしるべ
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  16. ただ世に不満を述べる
  17. まだ
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