いかのおすし

いかのおすし

 先日、子どもに人気の『おしりたんてい』を観ていたところ……
 
こう書くとまるで愛しき我が子がいる、
そんな錯覚がしてくるが、実際は四十の坂を越えなお独身。
 元来感受性が強いためか、
幼児向け番組を対象年齢と同目線で面白がる性癖がある。
『おしりたんてい』の場合も然り。
 顔がおしりという点がツボにはまり、欠かさず観ている。
 大人になり切れていない、色々な意味で。
 
 話を戻そう。
 その日観ていた回の中に、
あるキャラがこんな合言葉を叫ぶシーンがあった。
 
 『いかのおすし』
「しらないひとについていかない
 くるまにのらない
 おおごえでさけぶ
 すぐににげる
 ひとにしらせる」
 
 これらの中から一部分切り取って繋げた、
子どもの安全を守るため考案された防犯標語、それがいかのおすし。
 調べてみるとこの標語、警視庁と東京都教育庁が十五年前に提唱、
今や日本全国に広がっているものらしい。
 
 なるほど、最大公約数を第一にやさしい言葉、
キャッチ―なフレーズで当事者となる児童に自衛の意識を持たせる、良い考え。
 一人歩きしている子どもに声をかける怪しい大人は、時代を問わず存在する。
 ゆえに覚えていないだけで、自らの幼少期にも同じようなスローガンはあったはず。
 テレビアニメという親しみ深く、自然と目と耳が釘付けになる媒体で啓蒙する。
 教育テレビ、名称は伊達じゃない。

 そういえば昔、こんなことがあった。

 既に陽は落ち、辺りは真っ暗闇。
 だが幼稚園児の自分が出歩いていた事実、
雪が積もっていた記憶のない点。
 これらから推測するに季節は初冬、宵の口だったと思う。
 
 母と妹と三人、近所のお宅へお邪魔した帰り道。
子連れで歩いても五分かからない距離。
 しかし車同士のすれ違いはやっと、外灯がまばらでどこか物寂しい、
そんな横路地の奥の方にその家はあった。
 
 右手を僕、左手は妹と繋ぎ、母と家路についていた。
歩き慣れているとはいえ夜道、加えて妹はよちよち歩き。
 足がもつれ転ばぬよう、
歩幅を合わせ、ゆっくりと進んでいく。
 大通りが見え始めた。
あと少しで出口、道路を渡れば目の前は我が家。

 するとこちらに向かい、
誰か歩いてくる。大人、男性のようだ。
 互いの距離が縮まり容姿がはっきりしてくる。

 おかしい。何だか変だ。
闇夜の中でも伝わってくる違和感。
 対面するまで数メートル。もう目の前。
そこで判明した、違和感の正体。

 男はズボンのチャックを下していた。
局部が丸見え、変質者だった。

「きゃー!」
 母は叫び、僕と妹の手と強く握り男の脇を駆けていく。
振り返らず猛ダッシュ。
 幸い男は追ってこなかったため、
僕らは無事家までたどり着いた。

 後の話を母に聞いてみたところ、
変質者の件は警察に知らせなかったそうだ。
 近所との兼ね合いから大ごとにしたくなかったこと。
 また祖父母や父、被害者である母でさえも、
警察を呼ぶほどではないと判断したらしい。
 田舎特有の保守色の濃さ、
あっけらかんとした生活感覚。昭和の村社会そのもの。
 いかのおすし、程遠し。

 余談になるが、母の走りについていけなかった妹は、
履いていたピヨピヨサンダルを片方、脱ぎ落してしまった。
 祖父が現場へ出向き、サンダルは無事回収。
 そこに怪しい人影はなかった。

 その後、変質者の噂を聞いたことはない。

いかのおすし

いかのおすし

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-01-02

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