上海ハニー 上巻

上海ハニー 上巻

上海ハニー

上海ハニー                著 フランク太宰



彼女のこと覚えている?
 ほら上海の

一章 愛しの李香蘭
私は李香蘭という人が好きで、彼女のアルバムを買ったし、「支那の夜」なんかを北千住の小さな小屋で、映画も観たことがある。
 満映の映画なんて今時、誰もみないし、時々、反日主義者が話題に出したりするのが精一杯だろうね。自分以外で李香蘭を知っていたのは、老人ホームの入居者とW大学映画研究会の学生ぐらい、少なくとも、知る限りは。
 彼女の歌唱法は失われたし、満映も満州帝国も日本の帝国主義も戦争も、そして当時の人々も消えてしまった。
うっすらと戦争の名残の臭いが夏に近づくとするだけ。
全ては失われくべくして消失し、重要な魂の響きも、教科書に諭されなければ、聴こえない。

きっと50年後の人々も今の我々に 同じような、仕打ちめいた仕打ちをするのだろう。我々にとっては当然の仕打ちだ、罪を重ね続ける。


二章 辛辣な日記「愛しているよ、気持ち悪いだろうがね」
彼女と最後にあったのは、9月だった。二年前と変わらず彼女は美しかった。
しかし、確実に大人になっていた。
私は彼女のためにここまで来たのだ。
彼女ともう一度で会うために。でも、どうだい、 全て無駄であった、彼女は私のものにならず 、彼女は私を気持ち悪く思う。彼女には美しい男がいるのだ。であるから、私は何であろう?もう、半年もあっていない。友人ですらない。どうして私たちは言葉が通じないのか。何故人類はバベルの塔を立てようなどと思ったのか。どうして愛は君に届かないのだろう?君よ全てが間違えだ。間違いに間違っている。君は幸せに成れない。君はこんな時代にそんな感じで生まれてしまったのだから。中国女もそれを察したのさ。君は本当に無駄に生きている。

三章 荒野のカウボーイ
深い眠りの中で焚き火に当たるカウボーイを見かけた僕は血だらけの服のまま、彼の方へ向かった。
彼は僕をしばらく眺めていたが、隣に座る僕を、腰の銃で撃とうとはしなかった。
彼の姿は言葉では形容しがたい。まさにカウボーイだった。
互いに言葉ははっさないまま、いく時の時間が過ぎ去った。その間にカウボーイは温まった羊のミルクを僕に差しだし、僕はそれを生臭いともカップが汚れていることにも気がつかずに飲んでいた。
そして、また、いくらかの分が過ぎ、時が過ぎ、日が過ぎた。
しかし、太陽は姿を現さず、焚き火の火も消えなかった。
いい加減に退屈したカウボーイが僕に言った。
「いっそ、生まれ変わったら、荒野で生きてみたいものの、荒野には荒野の掟がある。
それはそれで面倒だ」
そして「坊っちゃん、そういうことだろ」

四章 フランスについてのAの思い
Aの話はだいたい、退屈で人から好かれるものではなかった。抽象的だし深みがありそうでない。まーそういった男だ。
しかし、私は嫌いではなかった。正直に見える人間ほど心の場所によって、浅すぎるほど浅い。
昔、母校の体育教師は不順異性交遊にたいして厳しく、毛嫌いしている様子であったのに、
保険の女性教師と結婚したのだ。
無論、女性教師は妊娠していた。
そして彼は別の学校に移った。
実のところ私は二人の関係を知っていた。
放課後部活中に腰を痛めた僕は誰もいないであろう保健室に湿布を取りに行ったのだ。
ドアを開けようとしたが、ドアの後ろでは、
男女の交合う声が聞こえた。
そのとき私の体は男性にとって当然の働きをしていた。
なんというか全員、自分を含めて"ろくなもんじゃねぇ"
そうであるから学生時代に出会ったAのことは嫌いじゃなかった。
彼は嘘も本当も言わないのだから。
しかし、彼の話は少しも思い出せない。何度もコーヒーか酒と一緒に話したのに、唯一覚えているのは一つだけだ。
「なぁ、お前フランスについてどう思う?
俺はいいところだと思うよ。一生行けなかったとしても、フランスは頭の中を疼かせるんだ」
Aは結局フランスへは行けなかった。白血病で死んでしまった。この話は病院のテラスでAが私にした話だ。でも、彼はフランスへ行かなくて、よかったのかもしれない。フランスにはフランスの掟があるのだ、そう、誰かが言っていた気がする。

・五章 主人公(仮)の書いた、こんがらがった日記。
全ての事柄が過去になっていくのは、不幸だ。皆それに耐えて、死んでいくにしても。
時として"そんな"普通のことに耐えられずにいる、人もいるのだろ。
きっと僕はそうだ。全ての過去が牙をむき出しにして前方にはだかっている。
Aの事に関しても亡霊はいつもすぐ側にいる。
まだ、生きてはいるSでさえ、彼女が誰かと眠りに就いている姿は僕を責める。
しかし、誰も悪くないのだ。
誰しも勝手に生きとし生きているだけ。
包丁をもちながら、僕に迫ってくるやつはいない。でも、彼らは僕に牙を向けるのだ。
そして医者はいない。南北戦争でただ被弾した兵士の脚を切断するだけの医者もいない。    荒野をただ一人さ迷い太陽は上がらず、月は輝かない、この大地でさ迷い続け、
疲れはてても眠れずに、ただ啓治を求めてさ迷い続ける。

六章 魔都 小籠包の思い出
初めて上海に行ったのは、遠い昔遠い昔、街が万博直前で賑わっていた頃だ。
 竹橋を鉄パイプ肩に渡る労働者たちを見て、何だか日本の大道芸が馬鹿馬鹿しく思えた。
街は開発途中で何処もかしこも、埃に道溢れ、労働者の吸ったタバコの吸い殻が建築中のビルから落ちてくるのを、何度か見た。危険で環境は災厄なのだろうけど、一種おおらかな社会であったし、難しいこの抜きに上海の小籠包は絶品であった。
 小籠包屋は三階建てで、一回は赤いフールが下がっていて、手売りしていた、ちょうど浅草仲見世の"雷お越し"屋とか、横浜中華街の甘栗売りの様なさまで、人が雑多に集まっていた。
二階にいけば、丸テーブルのあるレストラン形式で、なんというか少しは金のありそうな、コミュニストの家族連れがいた(注 作者は保守派でも右派でもありません)。
 私は家族の仕事の関係で 、上海に来ていた為、中国の会社の御偉いさんが三階の豪華絢爛な中華レストランに招待してくれた。そこのフロアには中国人よりも白人が多かったように思う、日本人の観光客も団体で小籠包をつついていた。
私は中国人の同輩に注文も委託したので、あの中国式、招待客を満腹にさせ、"もう食べられません"と言ったら鯉の尾頭付きが出てくるスタイルであった。
別に悪いこととは思えない、食材を無駄にすることは、人工増加の一途をたどる世界の貧民街に生きる子供たちを思うと、負い目はあるのだけれど、目の前にある小籠包をメジャーリーガーが遠くに投げた所で彼らの口をすり抜け胃に到達させることは、メジャーリーガーの友人のいない私には不可能だった。
 無論、私は日本人であるから少しは無理して食べようと思ったが、不思議と余りに美味しく多種多様な味の小籠包を、おそらく三人分は平気で平らげた。
あの頃は若かったからできた、芸当だったのだけれど、同輩の中国軍の御偉いさんの、親戚にあたる男が 、流暢な日本語で
「貴方は素晴らしいですね、男はいっぱい食べないといけません、ひょろひょろの男達には国は守れません」と言った。
 悪い気はしなかったよ、彼は私の自尊心を壊さずに、中国的な誉め言葉を言ってくれた、国際社会になろうと、世界から国境がなくなろうと、人種の独自性には魅力がある、悲しいことに日本人にはそれがなくなってしまったのかもしれないけれど。
 食事を終へ三階分の階段を、
下り埃っぽい外に出ると、杖をついた、恐らく浮浪者が話しかけてきた、別に珍しいことにも思わない、私は東京の歓楽街出身で、歓楽街といえども昔のことだが、浮浪者 、ホームレスは珍しい存在ではなかった。
幼い頃、近所で有名だった、比較的若いホームレスが公園のポプラに首を吊って死んでいるのを見たこともあった。何処に居ようと救いなんて殆ど無いのかもしれない。
しかし、驚いたのは、私に声をかけてきた老人の顔が溶けていたことだ、恐らく古いケロイドの痕なのだろうか、鼻は削げ落ちていて、二つの穴が直接頭蓋骨に繋がっているようで、左目は潰れていた。
道徳的な観念から考えれば、恐れることは間違いだが、とっさのことで一瞬、頭が活動を終えた。
恐らく彼は金が欲しかったのだろう、マネーマネーと言ってきた私は金を渡そうと思った、これ以上せびられることはないだろう、私はフォリナーなのだったのだから、二度と出会うこともない。
 しかし、例の同輩は老人を一喝し老人は"とぼとぼと"去っていった。
 「最近上海には、あの手のフリークスが多いんだ」
「戦争の傷跡なのだろうか」
 「わからない、でも、中国はソーディープなんです、あなたの知ったるよりも」
 私は振り返り三階の豪華なレストランを見上げた。
今でも思う、私が食べたものはリアルでないものなんだと、ソウルフードではないのだと、少なくとも当時の中国では。



七章 金山の彼女
上海郊外の金山というところは、昔ながらと言った感じで、
当時日本では何故か満州ブームというものがひそかにあってテレビや映画で見た中国象に金山はぴったりはまっているように感じた。しかし、当時とて金山の町並みは政府があえて観光地として、開発を行わないでいたようだ。しかし、万博に合わせてもっと変わる、少なくとも生活の場としての役割は失われるように感じていた。
 壊れかけの石橋も生活のすべてにおいて依存する濁った川も、自分は好意的とらえていたし、一緒に行動していた日本人が鼻をつまんで使用した水洗でないトイレにしても、日本人の彼が失礼なように見えた。無論、骨髄反射だったのかもしれない。でも"呉に来れば呉に従え"という古い呪文めいた言葉も環境と人生のタイミングによっては、回顧主義的になるものだ。
 そう、そこで、とある画家に出会った。その人物は紫のチャイナドレスを着ていたけれど、男性なのか女性なのか私には解らなかった。しかし、セクシーだとは思ったよ、なんというか性的な良さというか、一つ芯の通った人間に時々感じる敬愛にも似た色気だった。
 彼女(あくまでこの場では)のかいた絵はカラフルに上海の風景を描いていた。実際にはそこに存在しない色彩を加えるという、私にはこの画法の名前は解らなかったけれど。この手の芸術には当時も今も疎いのだ。
当時は素直に彼女の絵に感動をお覚えた。それは時代とシチュエーションが大きく作用した印象だったのかもしれないけれど。
 しかし、今は彼女の絵は派手すぎたように感じてしまう。個人的な感想であるけれど、都会や名所、深い歴史を持った場所は私にはいつも無色に思えるのだ。きっと古い時代には見えない豊かな色彩を持っていたのかもしれないけれど、永い時の流れや人は、少なくとも肝心なところ無関心な人々は色を消ゴムで消してしまうのではないだろうか。バンクシーの落書きは大切にするのにね。
まぁ、余りにも個人的な考えであることは理解しているけれど。
きっと、彼女には私には見えない色が見えていたのだろうし。
 私は彼女の絵を一枚買った、金山の川辺で玉蜀黍を洗う女性の絵。きっと彼女の作品の中では異色の作品だったのだろう。
画廊(というか吹き抜けの小さなコンクリート造りの、なんというか漬物屋みたいな所だったけれど)には、そのような素朴な絵は一枚しかなかった。
彼女は「ありがとう」と釣銭を渡すと同時に言った。私は偽善的に釣銭を貰わなかった。
 彼女の絵は引っ越しの連続で、今は何処にあるかも解らない。知らず知らずのうちに、私も"無関心な人々"の仲間入りをしてしまった。



八章 人工湖畔
上海の人工湖畔の畔に中国式の屋寝付きテラスがある、三角の屋根の上に金色のボールが刺さっていて、四角形の角にも半分の大きさの金色のボールが刺さっている。This is China といったような建物だ、人工湖畔の水は緑色に藻が張っているし、中央の四つ頭の噴水も緑色の水を吐き出していた。
 そう、そんなところで私は彼女と会った。
 Oは父親の部下というか、なんというか、エリートではあったのだろう、今のなって考えると、弱い人だったのかもしれない。でも、とても素敵だったよ彼女は。
彼女と初め出会ったのは、父親の会社の会議室だった、新宿にあるビルの。
私は当時、父親の伝でバイトをしていた。私の通っていた学舎はバイト禁止だったのだけれど、実際のところ大抵の学生は地元でバイトをしていた。
私はバイトをする必要は金銭的にはなかったのだが、学生時分、要するに"ガキ"というのは、周りに流される、自分の囲む環境が世界のすべてだと思っているし、はみ出すのは恐怖に思えるものだ。時がたち食うために働くように成ってからは、無理に若い頃、働くのは馬鹿馬鹿しく思える、アルバイトから学べるものなんて、人間の汚い部分を早めに知れるということぐらい、そして社会人として働くことから学べるものは、正直、(ジョークをこの場では書きたいが)何もない。
それで、当時、唯一学校公認の稼ぎ方というのは"家業の手伝いによる口座を使用しない収入"
であった、要するに"おこずかい"だ。別にまわりとおなじ様に、コンビニなり用心棒なりすればよかったのだけれど、当時の私は教師に良いイメージを持たせて、就職先なり最高学府、何かを紹介、推薦して貰うのが目標であった。当時はJAZZや小説、演劇にはまっていて、勉強などしたくなかったのだ。
馬鹿だったと今は後悔しているが、私は学校公認の出稼者になることができた。
教師の言葉を今でも覚えている。
「君は本当に偉い、俺の息子なんて、髪を金色に染めやがって何がしたいんだか」
先生、今の私には息子さんの気持ちよくわかりますよ、そしてあなた方は、もっと慣用になるべきでした。
 しかし、アルバイトをすることに付随して酒と煙草を覚えた。同じ職場にいた派遣のAさんが、私の事を学生でなく、フリーターにでも思ったらしく、
「酒も煙草も、まだですね」
と言った私に
「いい歳して、お酒童貞、何て情けないよ」と、小バカと言うか、情けない目で私を見てきたので私も自棄になり、彼女に付き合うようになった、あらかじめ、年齢を言っておけば良かったのだろうが、それも詰まらなく感じたのだ。
お陰で酒童貞でない方の童貞も彼女で消失した。
彼女は特に綺麗でもないが、髪が長くて、それをポーニーテイルに何時もしていた、仕事中は眼鏡をかけていたが、プライベートではコンタクトレンズにしていた。そうすることで彼女の膨らんだ頬がチャーミングに強調された。そして、足を組んで煙草を燻らせる姿が、何ともセクシーで幼い私を興奮させた。
彼女のヘアゴムを後ろから外し、髪をたくしあげて、隠れていた耳を触るのは、当時の私には幸福な前技だった。
彼女に私の歳を教えたのは、北千住の小綺麗なホテルのベットの上だった、驚くべき事に半年近く私は真実をいわなかったのだ。
私は特に考えもなく、彼女に告げた、レバノンに行ったことのある友人の話の延長線上で。
「別れた方がいい」彼女はそう言った。私は何も返事をしなかった。そして、ランプの下に置いてあった、赤いタバコの箱を手に取った。
「若いのにタバコなんて、やめた方がいいわ」
それについても、私は何も言い返さなかった。
私達は駅で"永遠のお別れ"をした、私はそのバイトをやめ、学校的には違法の、というか社会的にも違法な"とある運動"を手助けすることで、少ない収入を得るようになった、一ヶ月で辞めたけれどね、そこからは無職になった。
Aと最後に別れるときに、私は一言尋ねた
「本当に何も知らなかった?」
彼女は未だに何も答えてはくれない。
彼女は私に多くの物を残してくれた、きっと客観的に見ればそう言った言葉が相応しいけれど、私が正直に彼女が残してくれた物を思い浮かべると"煙草"
だけになる。
未だに煙草は止められないし、セーブも出来ない。
酒の量は歳と共に減っていっている気もするが。

 それで、そんな最中、私はOと出会った。

 Oと出会ったのは、父に書類を届けに行ったときだった。
バイトのいっかんというよりは、父が家に忘れたものを届けに行ったのである。あの頃は既に電子ファイルという物も有ったように記憶しているが、私が父の書斎の机の上から取り上げた封筒は軽い茶色の封筒であった。
父から電話があり頼まれたわけだが、父の書斎に入るのは二三年ぶりだったように記憶している。特別、プライバシーに敏感な家庭でなく、書斎には鍵は付いていなかった。母の化粧部屋も同じだったし、私の部屋もだ。
 最近、家族内でのプライバシーについての文章を読んだけれど。まぁ、これは私が男であるからだろうか、家族が家族のプライバシーにそこまで興味が有るものなのかと不思議に思った。しかし、その文章(新書の一項目に書いてあった)によると、ある少女は父親が無断で部屋に入り父親の休日の間、自分のベッドに寝ていることがあり、それが苦で精神を病んでしまったらしい。
よく事情が解らないのだけれど、それは父親は娘と添い寝していたのか、はたまた、娘のいない娘の部屋で寝ていたのか、
そこが重要なのではないだろうか。前者だったらプライバシーの問題では片付けられないし、後者なら部屋に外鍵をつければ良いのだ。
少女が気を病む何て余りに悲しすぎる。
貴方の横に寝るべきなのは、貴方の恋人かペットであるべきなのだ。
少なくとも、この事件は私の家庭では起こり得なかった、母は私に性的な好奇心を抱かなかったし、そもそも、私達三人は私達三人に興味がなかった。
ところで何で私がこのようなこの事の書いてある、本を読んだかというと、病院の待合室に置いてあったからだ。心療内科、私はある経験をしてから不安定でこのような種類の病院へ通院している。一向に回復に向かわないのは苦しい事実だが、これは私にとっての当然な仕打ちなのだろう。私の人生にたいしてのね。
 そう、こんな未来を思い描きもしない頃、秋空の下、私は父の会社へ向かい受付で、部署に向かえるよう手配を取り、部署の若い黒いスーツでスラックスを履いた、女性社員に会議室の場所を教えられた。
「部長なら会議室で、Oさんていう女性社員とプレゼンの準備をしていると思いますが、社内電話でお伝えしましょうか?」
Aと違って彼女は随分と年下であろう私に丁寧な敬語を使っていた、しかし、なんというかそれは自己を強く見せる手段に思えて、私は好意的には受け取れなかった、若さゆえに。
「いいえ、驚かせたいので」
私は無意味に彼女に対抗して、
子供ぶった。
 「そうですか、分かりました」と言って、彼女は会議室の場所を教えてくれた。
今思えば彼女は大体の事を知っていたのだろう、しかし、それについて無関心だったのだ。
 私は会議室の二重扉までたどり着いた。しっかりとした重厚な二重扉、余程の会議が行われるのだろうと私は感じた。
まさか、扉の向こうに情事があるとは思いもしなかった。
私は二三回ノックをした、そして素早く両手で扉を開いたのだ。
ノックの効果はなく、真実は露呈した、大抵の黒い真実は(白黒は立ち位置にもよるのだろうけれど)
露呈するべくして、露呈する。いくら隠そうとしても、決められたことなのだ。それに父親も社会的で道徳的考えには、無関心な人だったし、それに単純に"男"という物に正直でもあったのかもしれない、しかし、私は今でも、隙だらけの生き方には同調できない。
 扉の向こうでは、父がOの右足を持ち上げ、互いに口を擦り付けあっていた。
私は一瞬、目が点になっただろうけど、やはり関心がなく、彼らから離れたところにある、長机に書類を置いた。
彼らは同時に私の方を見て、同時に口付けを止め、父はOの右足を床へ落とした。
 「頼まれた書類置いておきますね」
 「ちょっと待て、お前!!」
私は父のその言葉には耳を貸さず、片手で扉を開き外へ出た。
父は私が母親を思い、憎しみを込めて去っていったのだと、思ったのだろうか?
しかし、私は不味い処を見てしまったとは思ったが、母親の顔なんて思い出しもしなかった、
Aの裸体と小さな乳房だけが頭をよぎっていた。
 「ちょっと待ってよ!」
とエレベーターへ向かう、私にそう言ったのはOだった。
Oは名前を名乗り
「ごめんなさい、お父さんあなたが来るの一時間勘違いしてたみたいなの」
ごめんなさい?
「できれば、私達の事、お母さんには内緒にしてくれないかな」
私は笑ってしまった、馬鹿笑いではなかったけれど、役者が違うと思ったのだ。
それに母親に告げる気もなかった、告げたとことで無為な行動なのだから。
「ええ、もちろん。わかってますから」
このとき私はOの姿形を認識した。
長身でヒールを履いているので、私より背が高く、であるから足は長く手も長い、ロングヘアーで顔はフランス人形のようだった、恐らくアングロサクソン系の血が通っているのだろうと感じた。
 そして私の心臓は一瞬、飛び上がった。
もし、Oにたいしての私の気持ちが本当に恋だったのなら、
それは、余りに皮肉で汚くて澱んでいる。
「ありがとう、解ってくれて」
そういった、Oは咄嗟に胸ポケットから小さなメモ帳と使い捨てらしいペンを取り出し、そそくさと何か書き、紙を破り私に手渡した。
「これ私の電話番号」
そう言って、振り返りとぼとぼと疲れを滑稽に含んだ歩き方で、会議室へ戻っていった。

 本当に澱んでいた、人工湖畔の緑色の水のように。底は見えないし、生態系も謎に包まれている。きっと潜り込んだら、
緑色のゼリー状の何かが、まとわりついて、そして一生浮上することはできないのだろう。

Aと"さよなら"してしばらく、経ち私はOに連絡を取ろうと思った。
人肌が恋しくなった?
いいや、単に興味が湧いたからだ、理由なんて無い。しかし、まぁ当時の私は反社会的な活動の後押しするバイトをしていた、そういう活動に本格的にのめり込む人間は何か幼稚で純粋なのだ、だから当時に私にとって父とならんで世俗的に感じていたOとまともな話がしたかったのかもしれない。
 私は自分の携帯電話で彼女の家電であろう番号にかけた。
当時、私は携帯電話を持っていた。だから、推測するにこの物語は然程古い話ではないのかもしれない。しかし、私の中では十分にセピア色に消化され、目の前に当時の写真と浅草レビューの踊り子の写真を差し出されても、どちらが古いのか瞬時には選べない様に思う。
余りにも時間が経ちすぎた、そうとしか言えない。
 この時のOとの会話は、彼女という人間を包括していたと思う。
 「もしもし?」
 「ええ、もしもし」
 「誰だか分かりますか?変な質問で申し訳ないんですが」
 「私の知る限り私の家の電話番号を知っているのは4人ね、それともいたずら?だとしたら大当たりね」
 「いいえ、いたずらではないです、少なくとも僕の中では」
 そして私は名を名乗った
「だと思った。電波で変換されても貴方は特徴的な声をしているし、特徴的な仕草があるわ、お父様とは違うね」
「そうかもしれない」
私は今でも自分の声質が好きでない、仕草も。しかし、彼女の僕の声にたいしての表現は悪くは感じなかった。
「ところで、何で私に電話をかけてきたの?バイトも止めちゃったらしいし、お父様も心配しているわ」
「色々あるんです、父が悪いんじゃない。それに切っ掛けを与えてくれたのは、貴方の方です」
 「確かにね。そうだ日曜はお暇?」
「ええ学生ですから」
 「じゃーショッピングに行きましょう?渋谷の駅で待ち合わせでいい?」
私は断りもしなかったし、疑問を投げ掛けもしなかった。
それが"普通の世界"において間違えであっても。ただ、確認めいた事だけは尋ねた。
 「それはいいですね、僕も渋谷に行きたかったので。でも、随分と不思議だと思いませか?」
 「いいえ、不思議なことなんてなにもないよ人間界では。それに私は人との出会いを大切にしたいの」
 日曜日、私達はある程度混雑した駅で再び出会った。
彼女は青いワンピースの上にベージュのステンカラーコートを着ていた。とても着こなしがお洒落だったし、素敵だった。
もしかしたら、彼女のファッションセンスは当時よりも先を行っていたのかもしれない。
僕はチェックのシャツにジーンズ、上に米軍卸品の緑色のジャケットを着ていた。ちょうど、タクシードライバーのロバートデ・ニーロのような格好、七十年代からある古典的な服装をしていた。
 彼女は始めに言った
「敬語じゃなくていいよ、私おばさんじゃないから」
彼女は渋谷に香水を買いに来たらしかった。なぜ渋谷で香水を買うのか?銀座では駄目なのか?そしてなぜ私が同伴したのか?そんな疑問しかわかなかった。
私は疑問を押し止めて、覚えたての"タメ口"で彼女の提案に答えた。
 「僕は香水は付けないけど、勉強になりそうだね」
「ダメだよ、男でも臭いぐらい気を使わなきゃ」
「親父はどんな香水付けてたっけ」
「意地悪なこと聞くね、君は」
どっちが意地汚いのかは疑問だったけれど、私は彼女に合わせるように心掛けた。少なくとも今日だけはそうするべきだと心で決めていた。
「さっぱりした臭いよね、お父さんは」
確か父親の使っていた香水はpoloの緑の瓶だったと思う。
あとになって私もこの香水を使っていたことがある。なんというか父親の趣向は女性も含めて妙に信用できるところがある、皮肉なことに。
「何処の香水屋に行くの?」
「香水屋?もしかしてジョーク?」
彼女は笑いながら、おちょくったように私に尋ねた。
「君の方がよっぽど意地悪だよ」
世界中の十代の男性にどの程度、香水の知識があるのか解らないが、少なくとも当時の私を囲むコミュニティの中では一般的な知識ではなかった。
 散々私をおちょくったわりに、我々のたどり着いたのは、黒い外観の余り大きくない、香水専門店だった。当時の私の知識では香水はデパートの香水売り場に売っている物だと思っていた。だから、つまりそれぐらいの知識は私にもあった。
 店内にはオーナーと思われる、40代ぐらいの女性が一人いた。Oはこの店がいきつけだったようで、その女性と話をしていた。話の終わりに私の方へ二人が振り向き笑いあっていた。
私は5歩後ろに立っていることしかできなかった。
Oは私にどの香水がいいか尋ねてきて、香水の嗅ぎかたというのも教えてくれた。
色とりどりで個性的な香水の瓶達を見ていると、酒屋のブランデーとウィスキーの棚を眺めているようで、酔いが回るような気分だった。
結局、彼女はオレンジ色の香水を買った。何処のブランドだったかは思い出せない、でも時々、あの柑橘系の臭いが女性からすることがある、その度に私は彼女を思い出す。私にとってあの香水の名前はOのフルネームだ。
その後、私達は今度は私のよく行っていた古着屋に行った。
正直そこに彼女を招待するのは気が引けた。でも彼女はそのての物にも造詣が深かったようで、彼女は私に黒いセットアップを薦めてきた。私は素直にそれを買い、着替えてくれと言われるがままに、その店で着替えた。
店員が気を使い、大きな手提げの紙袋を私にくれた。
それに着ていた緑色のジャケットをいれた。
私達は近くの喫茶店で昼食をとった、そこではじめて私達は私達について、色々と喋った。
「それで、君は今はバイトしてないの?」
 「バイトというか、知り合いのバンドの手伝いをしてるよ、金にはほとんどなら無いけどね」
「カッコいいね、ロックバンド?」
「下らないパンク・バンド、政府とか天皇制に文句言う」
 「ふーん、パンク好きなの?」
「嫌いだよ、耳が痛いだけ」
 「じゃー何が好きなの?」
 「ドリス・デイ」
当時は何故かドリス・デイが好きだった、家にシナトラとの映画のサウンドトラックがあったからなのかもしれない。
今では久しくドリス・デイは聴かなくなってしまった、ローズマリー・クルーニーは変わらず好きだけど、それにパンク・ロックだって嫌いではない。
 彼女とは、その後、三回目に会ったときに体の関係を持った、Aの時よりも品があって情熱的な。

 そしてやっと私は人工湖畔にたどり着く。
 
 父に上海に来ないかと言われたのはパンクバンドのボーイ兼ギターリストのバイトを辞めてすぐのことだった。
普段、父が家にいるのは希というか、私とはタイミングが合わなかった。だから、余り喋る機会などないし、もし、面と向かって母親無しで会話成立するかといえば、生活のタイミングが合わないだけあって、正反対の人間同士だったのだ、したがって伝統的形式にのっとった会話が精一杯だった。
それに、父はOとの関係を私が目撃したことにすら触れなかった。
そういう男だったんだ。
今となっては私は父親にちかずいていると思う、香水の好みだけでなく、きっと内心俗物の彼を許しているのだろう、したがって、今の私も俗物なのだ。
 父が私に話を振ったのは、銀座のとある百貨店のなかにある、蕎麦屋だった。
この蕎麦屋は父と母がよく出向いていた店で、そのときは珍しく私も同伴した。
確か獅子文六の滑稽話を読んで、蕎麦が食いたくなったのだ。
私の申し入れにたいして母親は歓迎的だった。
そして、そのときになって、父は私の耳元で「余計なこと言わないでくれ」と囁いた。
もうとう、そんなつもりもなかったが。
 この蕎麦屋は"蕎麦が"というより個人的には天婦羅が絶品だと思った。後年、知り合いと行く程度にはこの店にはまった。
父はそれとなく
「なぁ一緒に上海に行かないか?
 何かバイトも止めたし、色々とあるんだろ?もしかしたら、それはお父さん達の責任かもしれない。それに世界が広がるだろう、お前それに海外に行ったことないんだし」
と言った。
母親は父の責任という言葉に怪訝そうであった。
「ああ、そうだね。何日間?」
 「10日、学校は少し休ませてもらいなさい」
 「わかった」
 そのときの私は"乗り気だった"不思議ではあるのだけれど、父親との二人旅に同意するなんて。しかし、私は単純に上海に
中国に興味があったのだ、きっと映画の影響だったのだと思う。
 しかし、私は会話を続けた。
「でも、海外旅行は昔行ったんじゃなかった、家族三人で」
そう、当時とて昔に。

 上海に行く6日ほど前、Oから連絡があった
「朗報よ私にとっても貴方にとってもね、私もお父様に同行します」
 「そう、俺も同伴するよ。でも君も親父も仕事だろ」
「そうよ、でも私だけ空き時間があるの」
「Sexのできる空き時間?」
 「残念、そういった時間はないわ、でも会うことはできる。待ち合わせ場所を貴方に送るわ、中心街からそんなに離れていないし、貴方って地図読むの得意でしょ、それに一人でさ迷うの」
「ああ、まぁ怖くはないね。でも君は何故、上海郊外の待ち合わせ場所なんて知てるの?」
 「郊外じゃないよ。それに私上海に居たことがあるのよ、ずっと昔ね」
「知らなかったよ」
「そうね、話していなかったかもしれない。でも、ミステリアスていいでしょ、何か。
 それに貴方は私の正確な年齢だって知らない」

確かに私は地図を読むのも、一人歩きも得意だった。
そして何の苦もなく、人工湖畔の畔にたどり着いた。
たどり着いたとき、屋根つきの建物に彼女が座っているのが見えた、他には誰も座っていなかった。幾多の戦争を乗り越えた、老人達が中華式チェスでもしてそうな建物であったのに。
 彼女は中国柄のチャイナドレスに近いものを着ていた。
私が近づいていくと、きずいて手を振ってきた、私の心は心地よく震えた。
私が席につくと、"はいこれ"と何とか草と書いてある、煙草の箱を差し出してきた。
「お父様もいることだし、煙草を持ってこれなかったと思ったから」
 「まさか、親父は俺の癖を知ってるよ、ちゃんと5箱持ってきたし、市場でも買ったよ」
 「そうなんだ、これ私の好きな煙草なんだけど」
彼女が少量の煙草を吸うことは知っていた、でも中華煙草が好みなのは知らなかった。
「ありがとう、気を使てくれて」
 彼女は微笑みながら青い瞳でウィンクした。
 「それにしても、何故、この場所なの。てっきり本場の中華料理でも食わせてくれると思ったよ」
 「それは、お父様のご友人達がいっぱい食べさせてくれたでしょ」
 「そう、まぁね」
 「それに私、此処が好きなの」
「どうして?」
 「さーあ、どうしてもかな」
 確かに彼女はミステリアスな人だった、きっと感触さえあやふやなほどに。
 「親父には何て言ったの?
 あの人からは例の彼女も行くことになったとしか聞かされてない」
 「適当によ、今日はおやすみ時間だしね私は、それにお父様なにもお気づきになっていないわ。私達の関係も」
「もしかしたら、全部知っているのかもしれない、そんな男なんだよ」
 私達は主に私が上海について質問をし彼女が回答する他愛もない会話をした。
しかし、彼女は最後に私を占った。
 「私、知り合いに中国人の占い師がいるの、それで少し教えて貰ったの、そしたら私には才能があるみたい」
「ふーん、それも知らなかったよ」
「占ってあげるよ、手を出して」
もちろん私は拒否しなかった。
彼女が高額な幸せになれる、幸運の金のブレスレットを売り付けてくるタイプの占い師でないことは知っていたから。
 彼女は私の手を握り、目を閉じた。私は彼女の胸元だけを見つめていた。
 「貴方は相当、苦労する人生を送るわ」
 「ところで何を占っているの?」
彼女は目を閉じたまま
「全てよ」と言った
 「貴方はそう遠くはない未来に上海からの少女に出会うわ、そしてそれから、中国行きの遅い船に乗る」
そのとき私の頭の中に、ビンク・クロスビーとペギー・リーの歌うSlow boat to chinaという古い歌が流れ出した。
 彼女は目を開き私の手から自分の手を離した。
私は尋ねた
「上海からの少女は君じゃないの」
彼女は答えた
「いいえ、たぶん違う。私は貴方の人生の一ページにもならない」
「最後に聞いていい、何で日本では占ってくれなかったの」
彼女は笑いながら
「これは中国でしか使えない魔術なのよ」
 
  

 




九章 飛べない”いそしぎ”
上海から帰ってきてからの数日は比較的なにも起こらない落ち着いた日々だった。
 学校へ行き下手な英語やら数学やらを教えられ、そろそろ将来について決めろと、教師にさとされる。しかたない、向こうも仕事だからね。しかし、やりようというのは他にもあるのだろうとは思っていた。
 そういった中、Smokeという映画を浅草橋で観た。当時その映画館は名画座といった様な、くたびれた外見で中に入っても、勿論、売店もなく酒以外なら持ち込み可能という方式を取っていた。私は比較的にその映画館によく行っていた。多くの場合、古い日活、東映の映画をやっていたけれど。恐らく大手映画館に対抗してのことだろうけれど、日曜の朝十時からは古い洋画名作を流していた。しかし、それもベタで"カサブランカ"や"慕情"、"テレフォン"とか
レンタルで見れば事足りる作品ばかりだった。けれど、スクリーンで見るとなんというか、本質が伝わってくる。製作者サイドはブラウン管向けにもデジタル向けにも作っていなかった、スクリーンでの上映のみを考えて作っていたのだろうし、一人へ屋でひっそりと観られるなんて、思っていなかったのだろう、当然。
私がその映画館で観たものの中で印象深かった作品は
"汚れた血""エピタフ""Smoke"等で"Smoke"は上海から帰ってきた一週間後に観に行った。
煙草と群像に信頼を持てる作品で今でも時々観たくなるが、あのとき以来、観ていない。
そう、そこでは深夜になるとロマンポルノやフレンチポルノが放映されていて、私も何度か観に行ったのだが、見せられてこの場でどうしようか?というのが素直な一番の感想だった。しかし、ポルノ映画のカラフルでチープ、しかし、人間とは生殖器であるというような壮大なスタンスは素晴らしいと思う。それに、60年代の作品には60sの70年代の作品には70sの臭いがするのには好意的だった。"キャンディー"とか"昼顔"とかね。
 で、smokeを観て家路に帰っているとき、Oから電話があった。
 「元気?」
 その走り出しの彼女の声質には悲しさか虚しさか辛さが伝わってきた。 
 その日はひどい雨だった。あの時代の東京を全て流し尽くしてしまうほどに。
けれど、あの時代の人類は既に文明を手にしていたから、人々は幾らでも濡れないことができた。
 しかし、出会った彼女は濡れていた。当然、彼女も傘をさしていたから、無論これは比喩的な表現でもあるのだけれど、本当に彼女が辛辣な雨に孤独に濡らされているように、私は感じた。
 喫茶店の傘立てに、互いに傘をいれ、レインコートを脱いだ。私はごっつい肩パットの入った古いレインコートを着ていた。父親から貰ったもので、父親が若い頃、サンフランシスコで買ったものだったらしい。 彼女は レインコートを着ていただろうか?
あんなに酷い雨だったし、肌寒い日だったから何か上に羽織っていたのだろうけど。それが赤色をしていたのか、青色をしていたのか思い出せない。
私は彼女の裸体だけが好きだったのではない、ファッションや所作も愛していた。でも、そんな事、レインコートの色なんてどうでもいいほど僕らの上に雨は降り注いでいたのだ。
 彼女は一口コーヒーを飲み、メンソールの煙草に火を着けた。その感じは上海のときの彼女とは違う人間を思わせた。痩せ細った子犬のような、雨に濡れて飛び立てない"いそしぎ"の様な印象を受けた。
この世界の何が短期間で彼女をここまで悲しませたのか疑問だった。正確には今でも時々、疑問に思う。
 「何処の大学へ行くの?」
そんな、無色に思える質問を彼女が私に投げ掛け、会話は始まった。
「行かないかもよ」
 「そんな事、お父様は許さないでしょ」
 「未成年の喫煙は許すのにね」
 私も煙草に火を着けた
 「大人は勝手なのよ、貴方は知っているだろうけど」
 「何かあった?」
 私は当然のように、そう投げ掛けた
 「いいえなにも、ただ貴方に会いたかったのよ」

 結果として、私達は抱き合った。SEXという表現は何か違うと思う、Make loveも違う。
私達は抱き合うことで何か作りり出しもしなかったし、大洪水で流されつくされる世界で互いに慰めあったわけでもない。
二人は何かを喪失しあったのだ、結果として重苦しい痼が体を蝕むのを知っていながら。
 彼女は私の胸の中で泣いていた、彼女の涙は雨を余計にひどく降らせた。

十章 感触のない終わり
その日を境にOと会うことはなくなった。
彼女からの連絡が無くなったのだ。初めのときを除いて、基本的に私から彼女に連絡することは殆んど無かった。しかし、長く連絡がないのは心配には感じていた。最後にあったときの彼女のことを思えば尚更に不安に思っていた。
今考えれば連絡をするべきだったのだ、しかし、当時の私は彼女に固執するのが怖かったのだ。正直に彼女を愛していたし、側にいたいとも思っていたのに。きっと私は感触のない彼女に惚れていたのだろう。それは神秘とミステリアスのロマンを助長させていたのだ。
 私は順序が違うのであろうが、父親に彼女のことを尋ねた。
「国へ帰ったんだよ。若い子だからうちの会社に居続ける理由もなかったのだろうよ」
国?違和感のある単語だった。
「彼女は何処の国の人だったの?」
「ルーマニア」
ルーマニア?いったい其は何処であろうか?
父は続けた
「元々彼女はルーマニアのために働きたいと言っていたから、ほら、あの国は混乱しているだろう?元東側の国だからね」
彼女がルーマニアであれチェコであれ国のため、世界のために働いているような人間には私には思えなかった。彼女はあくまでも自分の人生のために生きているのだと私は感じていたのだ。やはり感触もない。私は彼女についてなにも知らなかったのだ。
「もう彼女はルーマニアへ帰ったの?」
 「さーな、でもなんでそんなに彼女のことが気がかりなんだ?」
 「お似合いだったからね」
そう、親父と彼女の不埒な関係は、一定の不純な世界においては完成されていたように思う。
私と彼女の関係はもっと純粋で神秘的なものだと私は祈っていた。
 「バカいうなよ」
親父はそういい、私は最後に気がかりな質問を投げ掛けた?
「彼女はもしかしたら、妊娠でもしてなかった?」
父親は
「そういうのはちゃんとしていたよ、今は便利な時代だろ」
 私は 父親の発言に些か無責任を感じた。
そして、煙草に火を着けた。
「おい、家で煙草吸うなよ。
 お母さんに知れたらどうするんだ」
父親の口調は強めだった。
「もし、彼女が妊娠していたとすれば僕の子かもしれない」
父親は一様驚いた風だった。
 「お前、もしかして?」
「僕は貴方がなにも知らなかったとは思っていませんよ」
 そして私は煙草を灰皿に強く押し潰した。強く強く憎しみとよくわからないものを込めて。




11章 マイアミ・デバイス
Oと会うことがなくなり、私は随分と変わったのだと思う。
普通の生活を送り5流の大学へ入学した。
OやAとの一風変わった関係もあってか、当時の私には普通というものが辛くも感じていた。
古い音楽や映画は変わらず好んでいたけれど、そういった趣味を語り合える友人ともあまり出会わなかった 。ごく少数の例えばjazzのミュージシャンや私と好みの似ている他大学の学生等もいたが、常に学舎で交遊する友人たちからは疎外感を感じていた。でも悪いことではない、自分とはまるで違う人生を送ってきた人々から教えられることも多い。例えばアニメやライトノベル、J-popやK-popについて。
J-popにしろK-popにしろ、学ぶというか感動することも多かった、その頃には音楽種類の毛嫌いという事もしなくなっていたし、最先端を知るというのも重要だと考えていた。ごく時々だけれどアイドルのシングルカットすらされなかった曲に製作者の音楽性深さを感じることもあった。しかし、初めてFrank sinatraの歌声やAlbert kingの弾けるトーンのギターを聴いたときのような、感動はなかった。でも、本当に素晴らしいものはあったよ。ただ眠っている虎を起こすことはなかった、ただそれだけなんだ。
しかし、永遠に眠り続ける虎は死んでいる虎と同じだ。だから当時の私は眠りを覚ますような体験を求めていた。
珍しく私はその事に関して努力したのだ。
 大学へ入った一年後私は所属していた射撃クラブの代表として小さな世界大会に参加した。
大学のサークルでありながら国際的な繋がりのある団体であるのが私が所属した理由だった。
日本全国色々と行ったし数ヵ国海外へも渡航した。
世界大会が行われたのはフロリダで、ちょうど私が行ったときは南国の真夏のようそうであった。ハワイとは違いフロリダは湿っけのある気候で、体から汗の吹き出しながら行う試合はまるで軍隊の軍事訓練のようなものだった。しかし、私は非日常的空間を楽しんでいた。
フロリダというところを想像すると大西洋に面したリゾートであったりアルパチーノがサマージャケットにシャツの襟を出して機関銃を撃ちまくってるようなイメージであったが。
大西洋に面しているのは事実として、海から離れれば静かなところだった。巨大なショッピングモールで余り日本では売っていない、メキシコ製のLevi'sのジーンズを買ったり、シャーマン信仰の御守りを路地裏の怪しい店で購入したりもした。それに湿地帯のクルージングなんかも彼方の主催者の好意で参加させてもらった。日本人が日本でいくら努力したって購入できないようなクルーザーが何隻も停泊していたし、マーヴィン・ゲイとタミー・テレールのデュエットが船内で流れれば、アメリカ人たちは一緒に歌っていた。しかし、日本人やインド人の選手にしてみれば知らない国の文化と言った感じで、皆外の鰐の住む湿地帯を珍しげに見ていた。
 何のこっちゃないただの旅行だった。軍事訓練は太ったアメリカ人とオーストラリア人の体調を伺いながら、昼過ぎには終わってしまうし、美しい大西洋を見たくとも主導権は此方にはなかった。
 試合がなく一中日フリーな日に私は思いきって、同じ日本からの選手であり同じ大学のIという女性に、ビーチまで行かないかと誘った。彼女はしばらく悩んだ末に"いいよ"と快諾した。
「正直私も退屈してるの、初めての海外なのにつまらなくって」
 Iという女性は同じサークルに所属する同級生であり、年も私と同じだった。小柄でずんぐりとした体型だけれど、色が白く鼻が高く二重だった、それに二つの黒目はまるで汚いものなどなにも見てこなかったようだった。
けして美人ではない、しかし、魅力的だったのだと思う、彼女に惚れているという二人の友人もいた。
 私はなんというか、当時、恋愛については"うんざり"としていた、Oの残した傷痕は大きすぎるほどに大きかったのだ。
若葉の時を無駄にしたと言われればその通りであろう。
実際、後輩には私達が付き合っていると思い込んでいた奴もいたし。
同級生の中には私に対する強い妬みから刃物を向けてきた奴もいた。
私は刃物が近づいてきても、怖いとは思えなかった。珍しい出来事だし、素人が包丁で襲いかかるでもなく、のそのそと近づいてきても、殺せるはずがない。刃物(よく見ると其はサバイバルナイフだった)が私の一メートルと少し近づいてきたとき。
私は彼に用件をいい、振り返って彼の部屋を後にした。
その後の彼の事はしらない。
噂では大学をやめたとか、精神病棟に入院したとか聞いたが。
正直今となってみれば、彼は被害者だと思う、別に私が加害者とも思えないけれど。責めるべきは馬鹿馬鹿しい"誤解"や"噂"にある。
私はIとSexすらしたことがないんだから。
 
 
 抜け出してやってきた、マイアミビーチは午後の陽気で暑さは些か影を潜めていた。
 ビキニの美しいブロンドの娘もいれば、ビキニをを着た、豚のようなブロンド女性もいた。
黄色い帽子を被ったビーチボーイは白い櫓から、遠くを泳ぐ子供たちを双眼鏡で覗いていた。空は青く、海はクリーム色の波柱とブルーの海水がカクテルのように交わっていた。私達は情けないことに、共に地味な格好をしていた、彼女はブルーのTシャツ、私は右胸に赤いチェリー、右に日本国旗が刺繍された競技用の白いポロシャツを着ていた。
 海に飛び込むと言ったほどの度胸はなく、波打ち際までいきサンダルで暖かい波を蹴っ飛ばしているだけだった。
彼女は私にかけられた海水に
「冷たい、思ったよりも」
と回答した。馬鹿を言うなよ七月のマイアミの海水が冷たいわけないじゃないか。
九十九里浜で私たち二人が同じ行動をしていたら、回りは仲良い恋人だな、とでも思ったのではないのだろうか。しかし、そこはフロリダのマイアミで特殊な環境であったのだ。回りのアメリカ人からしてみれば陳腐な中国人観光客にでも見えていたのだろう。
 暫くして、私達は誰かが挿したのか、挿しっぱなしのか分からないオレンジ色のビーチパラソルの下に座った。彼女は体育座りで、私はあぐらだったと思う、足の長い外国人様にはきつい体勢であろう"あぐら"
会話を始めたのは彼女の方からだった
「私の知ってる海とは違う、当然だけどね」
彼女は日本海側出身であった、
"田舎者"そんな古臭い差別表現に敏感なところのある娘だった。
口にはしないけれど、数回の飲み会を共にしたことで何となく、彼女の故郷に対する独特な感情が見栄隠れするので私はその事に関して少し気を使っていた。
「どっちの海の方が好き?」
「地元の方がいいわ、だってここは外国だもの、それにあそこの売店のライター見た?言葉にしたくないぐらい卑猥な形していたじゃない」
「確かにね、でも性産業については日本がずば抜けているけどね」
「そうなの?」
「日本ほど大っぴらに売春だの風俗だのが蔓延している国もないと思うよ」
「行ったことあるの?」
 「さぁーね、でもそんなにいいものでもないよ、愛がないしね」
 彼女は笑いながら
 「行ったことあるのね」
 そして「男の子だものね」
 と言った。
私はなにも言い返さなかった。
何を言ってもいいわけじみているし、女性にはなにも言い返さない方が正解のときもあるのだと私は既に知っていた。
「女の人とお付き合いしたことあるの」
 私は苦笑しながら言った
 「童貞かどうかってこと?」
 彼女は少し考えてから
 「お店には行ったことがあるのだから、それはちがうんじゃないかしら」
「違わないかもしれないし、違うのかもしれない」
そして私はOとAという女性に関して短く彼女に話した。
今まで誰かに話したことはなかったが、別に隠していたわけでもなかった。
 「本当の話し?」
彼女は疑わしそうだった。
「信用できない?」
「そうじゃないけど、何だか小説の内容を話しているみたいだから」
「話すのは得意じゃないんだよ、ましてここ数日酒も飲んでいないんだ。素面だと頭が上手く動かない」
「煙草は隠れて吸ってるのにね」
「何処にいたって呼吸はするだろ、同じだよ。少なくとも海の中以外ではね」
「格好つけちゃってさ」
呆れている様子であった。

 そして、次に彼女は突然に自分の話をし始めた。
「私、レイプされたことあるの」
私は何を言い返せばいいのか解らなかった。こんなときなんて言えばいいのか、きっと重要なことであるのに、誰も教えてくれなかったし、誰も知らなかった。
結局、私は何も言えなかったけれど彼女は話を続けた。
「中学の時に、高校生に襲われたの。無免許の運転するハイエースに連れ込まれてね。痛いだけだったわ、痛いだけ...」
そして彼女は黙りこんだ。
「でも、君が無事に今生きていてよかったと思う。あまり何もいうことができないんだ、ごめん」
「ありがとう」
彼女はそう言い、私の方に向き私の唇にキスをした。
その感触はOのときともAのときとも、Oと父親のものとも違った。
唇を離したあと、彼女の顔が見えた。涙目だけれど涙は出ていず、それに彼女はひきった微笑を浮かべていた。
「ごめんなさい」
 「謝ることじゃないよ」
 「きっと、ここが暑すぎるのがいけないのよ」

 海の先の空はそろそろ赤くなりかけていた。

十二章 TOKYO

マイアミから帰ってきてからしばらくのことは、書く必要もないのだろう。しかし、この物語を完結させるためには、必要な作業でもある。
 結局Iと付き合うとか、そういうことには成らなかった。
悲しいことなのだろう、今考えれば彼女が側にいる人生は素晴らしく平凡で何か足りなくとも、気がつかなかったと思う。 人生は映画ではないのだから、トピックスに溢れていても、狭い部屋に閉じ込められている気分なのだ。
その点を考えれば、父と母はうまいことやっていたのだろう。
 この頃になってから私は自分がSEXという行為があまり好きでないことに気づき始めた。
友人の紹介やクラブ(JAZZを流さない)で知り合った娘に、ナンパなんて意気地がなくて出来なかった。しかし、何というか、流れ続ける滝が放つ水飛沫のようにSEXは私の前に比較的頻繁やって来た。体は当然の働きをするがゆえに、無駄に愛いの欠片もない行為に何度か及んだ。相手が愛情を持っているのなら、悪いことをしたと思えるけれど、そんなこともなかったと思う。
 気まぐれで東京タワー(赤い)
にIと行ったことがある。彼女は地方出身であったし、特に身のこなしや、服装に、そう言った面があったわけではないけれど、心の中に故郷を持っているような感じだった。Gipsy in My Soul そんな感じだったよ。
当時、東京タワーは青いほうの
タワーに話題や人を惹き付けられてしまっていたし、電波塔としての役目も終わってしまって久しかった。
都民としては、此方が本物という気持ちでいた。
新しい方は私の実家から近い所にあったし、中の良い友人はタワーの目の前に住んでいたけれど、正直にいって押上なんか昔は何もなかったし、無駄に観光地化されてしまったことに好感が持てなかった。
今でも時々、あの辺りに行くと何だか誰かがPC上で造り出した架空のモニュメントではないかと錯覚する。
しかし、あの辺りにいる若者たちを見ると、何というか彼らにとってはリアルな場所などだと痛感する。今の私にはリアルなものなんて何もない。つまり、リアルさの中にある刺激をつかさどる、心の一部が破損しているのだろう。
 その時、Iは蝋人形館に行きたかったらしい。でも、そんなものはとうの昔に無くなっていると私が言うと
「そう、残念だよ、昔家族で行った時に観たんだけどね」
「俺も相当、昔に観たね」
展望台までのエレベーターは混みもせず、すんなりと僕らは太陽が暮れかかる、オレンジ色の東京の景色を観ることができた。
明るい町、建ち並ぶビル
何だか上海とたいして違わない気がした。
 私は展望台から降り、暫く歩いたところで赤いタワーを見上げる彼女に話しかけた。
「どうだった?」
「何というか東京って感じよね、やっぱり」
「違いない」
 「貴方はつまらなかったでしょ?」
 「いや、そんなことない。確認したいことも有ったしね」
 「確認したいこと?」
 「おもしろい話を聴いたんだよ、東京で死んだ人間は東京タワーを登ってあの世に行くらしい」
「怖い話?」
 「確かにね、眉唾物の怪談に違いないけど」
 「へぇー、何だか不気味、私霊感がないからなにも感じなかった」
 「俺もないよ。ただこの辺りの土地柄が元々良くはないのは本当だよ」
「どうして?」
 「爺さんが色々と言ってた」
 彼女はもう一度、タワーに振り返った。
 「でもさ、どうせ高いところに登らないと天国に行けないんなら、スカイツリーの方、使えばいいのにね」
私は彼女の意見に妙に納得した。
「そうだね....でも、東京タワーの方が東京らしいからかも」
はっきりした回答など、必要なかった、どうせうそ話なのだ。
それに、死んでしまった人間、そして、去ってしまった人間
彼らには何も出来ないし、なにもしてくれはしない。時々、彼らの思い出が胸をいたたましいく、握りつぶしてくるだけ。
 Iは言った
「貴方の言いたいことわかるわ」
私は話題を変えた
「いつか、君の故郷に俺も行きたいな」
彼女は私の方を見ながら言った
「あんな田舎、貴方は嫌がると思うけど」
彼女がそう言うと、初夏の風が吹いた。
風は彼女の春の服を揺らめかせた。 
 
十三章 ドイツ式コーヒー
理由は大したことじゃない。
長く生きるという人生を押し付けられると、勝手になりたいと思うものだ。無論、次の瞬間に死ぬのかもしれないけれど、それを救いの言葉(警告)として投げ掛けられる人は、いつかノーベル賞でも貰うつもりでいるのだろう。
 とにもかくにも私はモスクワ行きのチケットを手にいれたのだ。

"世代"何て言う言葉は好きではないのだけれど、やはり傾向というものはあって、私も回りと同じように大学というものに入った。行かなかった人間も行けなかった人間も居るのだけど、少なくとの私は当時の多数派だったのだ。それに今考えてみても、何というかこの世界において日本の大学を入学卒業することが重要な事だとも思えない。古い哲学者が日本には二度とジョン万次郎のような人物は登場しないだろうと、言っていたけれど、大学を卒業しなければ、みすぼらしいなんて、上部で言うだけの大人に作られた世の中に生を受ける子供も苦労する。
私もそうなんだろうが、私は何というか関心がない、流されていくだけの人生にたいして文句も当時はなかった。
 Iや周囲の人間たち、とは上手いことやっていたと思う。
私を殺そうとした人間もいたけれど、彼は例外として、特に私自身の素性にたいして反感を持つ人もいなかった。むしろ、有り難いことに好いてくれる人が多かった。
Tという教授も、その一人でだった。
無論、彼から声をかけてきたわけではなかった。綺麗な河童ハゲで丸眼鏡を掛けた小柄な男だったけれど。さすがは60年代を学生として実直に体験し、長い年月をかけて事実上作成可能な電力発電装置を考案したことは私からしたら、尊敬や敬愛を感じる他なかった。
きっとそれは彼が講義のなかで、非常に誠実で現実味もあり、そして何より研究者として未来に期待していたからかもしれない。"美貌なれ未来"そんな言葉は人が年齢を重ねるごとに、大抵の場合において消えていくのだ。あの学舎に未来を形造るような学生がいたかは疑問だけれど、少なくとも私は彼の話に感激していたのだ確実に。
物理分野の教授であったから、実のところ私の学びの専門とはかけ離れていたのだけれど、彼はそう言った学生向けにオールマイティーで実論哲学的な授業をしていた。
専門ではないと書いたが。当時の私の専門は海洋学と航海学だった。話の流れとしては、突然なんだろうけれど、当時私は商船員か海上自衛官を目指していた。高校の頃は反社会的な歌詞の曲の伴奏もしていたし、当然ながら今でも保守的な考え方を持ち合わせていないのだけれど、国のために働くことを素直に当時は望んでいた、それに制服というものは素敵だった、子供のころから憧れていたのだ、スーツでない仕事着に。もっとも正直なことを言ってしまえば、父親とは違う人生を送りたかったのだ、父は社用の人であったし、その頃には自分のためにビジネスを始めていた。要領の良い男だから、当時、ある程度の成功を納めていた。しかし、私はそれが気にくわなかったのだ、裏を見れば生臭い世界であったし、やはりOのことを許せてはいなかった。もしかしたらOのことで父親を恨むのは、おかとちがいなのかもしれない。けれど、あの日、東京に雨を降らせOを濡らした責任が父にまるでないとは思えない。
 Tは私に対して「君には期待しているよ、ただ重く受け取らないでくれ、人は誰しも強くないんだ。アリストテレスもそうだし、セネカなんかその代表例だろ。60年代に勢力的な社会運動をしていた奴等も情けない爺になって、今では人間ドックとか行ってるんだからね。僕は社会運動というかマルクスレーニン主義は昔から現実味がないと思っていたけれど、見ての通りの爺さ」
彼はハゲ頭を撫でながら、そう言った。
「ただ、昔より今はだいぶ"冴え"てないような気もしますが」
私がそう言うと
「たいして、変わっちゃいないんだよ、人間なんて 、稲作を始める前からね。ただ君の言いたいこともわかる、現代は妙に変質的なんだ、世界を見てもね」
そして「ところで、君は海を渡ったことはある?」と言った
「いや、海の上にはよくいますが、昔し上海に10日ほどいた程度ですね」
「上海、僕は行ったことがないな。北京には何度もあるのだけれどね」
「そうですか、思い出深い所です。たった10日だけでしたが」
そして私は占いの話をした。
「君は占いを信じるのかい?」
 「いいえ、ただ占った人間が僕にとっては忘れられない人なんです。それに、彼女は占い師じゃなかった、だからかもしれません」
大学近くの喫茶店での教授と生徒の会話は、あの町では特に不思議でもなく、よく見かける光景だった。学生で成り立っている、チェーンでない店、禁煙席と喫煙席は区切られておらず、コーヒーは寝不足の学生のために濃かった。
この店を知っている人もいるかもしれない。
店主は三代目で彼は店のことを、ドイツ式喫茶店と言う。
実際にはドイツ式でもない、アメリカ式でもない(ダイナーには見えない)といって本番イタリア式でもないのだ。要するに戦前に日本人が想像したであろう、海外の様相なのだ、煉瓦式というところも派手なシャンデリアも背もたれの長い椅子も、そして動かないインベーダーゲームにしても。
抽象的な日本での海外像といったところだろう。明治大正期に財閥や華族が建てた豪邸のような。
ところで、何故に店主がドイツ式と決めつけているかというと、戦争が始まる直前に検閲にやって来た憲兵に最初の店主が、この店はドイツ式でドイツコーヒーのみを提供していると言ったことが原因らしい。そして、その気の効いたジョークが伝統になっていたのだ。
私がよくこの店に通っていたときは、カウンタの奥の壁にスペインのサクラダファミリアの写真が飾ってあったけれど、戦中はヒットラーとムッソリーニの写真が飾ってあったらしい。戦中は主にグリーンティーと小さな角砂糖を提供していたようだ。
当時、私は気になっていたのだけれど、ムッソリーニの写真は1943年に取り外したのだろうが(もしかしたら、もう一度、彼が復権した時にはつけ直したのかも)
終戦の年の5月から8月までは、何の写真が飾られていたのだろおか。
この事については店主に訊ねることはなかった。それに、彼にとってはあの店は確実に小さなドイツだったのだろう、西でも東でも連邦でもないドイツ。
 そんな店でTという教授は私に対して提案をしてきたのだ。
「温暖化で北極航路が頻繁に利用されるようになるだろう。君がもし商船員に成るのなら、ロシア語を喋れた方が良いでしょう、無論、英語話者でなければならないが。うちの大学にはモスクワのM大学への留学制度もある、それに私も彼処へは何度か行っているんだ、学会でね、だから知り合いもいる。たしか学生も教授たちも主に寮で暮らしている、だから他の留学先よりは費用はかからないんだよ、物価もまぁまぁ安い。君がよければの話だけれどね、だいいち、ただではないしね」
「良いお話だと思います。ですがなぜロシアなのです?」
彼は答えた
「君から占いの話を聞いたからだね。私もあんなもの信じちゃいないよ。ただ実は私もある占い師に占われた事があるんだ。あれは革命前のリビアだったけれど、言葉も英語通訳をとうしてだったけれど、こう言ったんだ、"貴方は貴方の息子であるところの人物を北へ送る"ってね、よく分からないし、もっとそれっぽくて肝心な事を言えばいいのにと感じたよ、例えば近い将来、髪の毛がなくなるとかね。
しかし、なんというか君は珍しく他学科で私と話をする学生だし、生徒=息子、これはこじつけがましいかも知れないけれど。それに訳の分からない診断をされたもの同士、妙に共感するとこもあるんだ。でも気にしないでくれM大への留学の話は過去何度か他の学生にもしているしね」
「まぁ、面白いお誘い話として記憶にとどめておいてくれ、直ぐに結果に急ぐこともない、はや歩きするには君は"若すぎるほどに若い"」 



十四章 啓示
あの3月11日の震災は、東京の街さえ揺らした。九段会館の天井が落ち、確か看護学生が数人圧死した。何かの研究所で劇薬の入ったビーカーが割れ研究員が中毒死した。
私の記憶が正しければ、この程度の被害が東京を襲った。正直なところ計画停電が起こるまで、多くの東京の人々にとってあの"歴史的災害"は些細なことだったのかもしれない。
私の感覚的には先の北朝鮮の弾道ミサイルの件の時の方が東京は騒がしかったように思う。
九段会館の一件について、変わった考察を彼女は私に話した。
「人間て柔らかいのよね、それに水風船みたい、つまり"潰れる"し"破裂"するの。その様を見てトラウマにならない人は、むしろ医者にかかるべきよ。だから私も病院に行くべきだわ、でもね私はそこまでしない、本当に何も感じなかったから。きっと私は医療系の人間だし、何かと人の死を目にしてきたの、子供の頃から」
「そう。別に何も感じなくとも、いいと思うよ」
当時、震災以降の"絆"絆"ブームは個人的には気持ちが悪いものだった。まるで"絆"さえあれば、死んだ人間が戻ってくるようだった。
「ええ、そうね。でも、今のご時世、私の意見は御法度かもしれない」
そういって彼女はカクテルのグラスに口をつけた
「確かに、タコ殴りにされるかもね」
今考えれば実際のところ、何人が募金したのだろう?何人が被災地にボランティアに本気で赴いただろう?何人が赤の他人の死に涙しただろう?
「本気で悲しんだ人も零ではないでしょうね」
「零ではない、でも多数派でもない、上部だけなんだよ、皆。そして俺もね。だから、君の話を聞いて、妙に安心したんだ」
私はそう言ったあとに、煙草に火を着けた。それはフランス煙草で両切りだった、気取っていると友人に言われた事があった、私は彼に言った「何も気取らずに生きていきたいのなら、お前は坊さんに成ればいい」と。
彼女が誰だったのかは覚えていない。ホタテ貝のピアスをしていて、紫のシャツを黒いスカートにタックインしていた。しかし、肝心な顔が色々な人々のものと重なって虚ろに思い出される。
けれど、震災から三週間目の学生バーでの、この会話は覚えている。震災から三週間目ともなると津波での死者数もはっきりとわかり始めた頃だ。
しかし、数万人の死者は現実味がなかった。数百人と新聞が書いていたときの方が受け止めることもできた、人の死を容易く受け止めることは残酷なのだけれど、数万人の死者は何というか先の大戦での空襲で死んだ人間の数を教科書で見ているようだった。
結局、私はボランティアで被災地にも赴かなかったし。いつも騒がしい学生たちが、少し神妙を装っているのを、
"ざまあみろ"と思っていた。
「君達は毎日を楽しく生きるために努力をしているのだろうが、
今の日本ではそれは御法度なのだよ」と。
振り返ってみれば、そんな私は罪人だったのだ。福島原発を安全だと嘯いた連中よりはましだけれど。
同じような時期に大学内のエントランスにあるセルフで薄いコーヒーが100円で飲める、フロアの椅子に座っていた。
その時は薄いコーヒーでさえ飲みたい気分だったし、目の前の壁でなくガラス張りで、構内の庭園が見える。私はこの学生に優しい施設が好きだった。禁煙というのが私にはネックだったのだけれど、近くに喫煙室があったし、そこに紙コップに入ったコーヒーを持っていけばよかった。
 私が座っていると、顔見知りの学生がやって来た。
 「やぁ」
 「やぁ」
 本当にこんな感じだった。
 「久々じゃないか?」
 と彼が言った
 「ああ、二月に君が俺のバイト先に来て以来か」
 「あのときは悪かったな 、Aが吐いちゃって」
「構わないよ、よくあることだろ」
 「ああ、よくあること」
 彼はフレーズを繰り返した
 「でも、君はあのバイト先が好きなようだね、そう言えば、あの娘とはどうなった、ポニーテールの」
「何も、しかし彼女、ショートカットにしたよ」
「何で?」
「震災の三日後には、髪を切ってた」
 「女が髪を切るのに、地震が起因することがあるのだろうか?」
「さーね、しかし、君は本当に理系だよな」
彼は私の隣の椅子に座った
「こんな時は何の役にもたたないさ、物理学は」
「地質の教授がテレビに出てたね」
「確信の持てないことを、喋るのも苦労だろうよ」
「違いない」
 「ビックリだろ、誰も予想できなかったんだぜ」
 「確か天保の時に作った石柱より上には津波は来なかったようだね」
 彼は苦笑いを浮かべて
 「昔の人は偉い」
 と言った。
暫く私も彼も小春日よりの庭園を無言で見ていた。それは続く余震を待っているようでもあった。
次の会話は彼が始めた
「死んだんだ」
「誰が?」
「昔の彼女、いやSexもしたことがなかったから、初恋の相手というところが正解だろうね」
「申し訳ない、さっきの話」
 「何が?」
 「髪を切った女の話」
 「はぁはぁ、何も気にすることない、気にするのはおかしいよ。女が髪を切るのは気まぐれなんだ、ギリシャの頃から」
私は何を言い返せば良いのか分からなかった。
しかし、彼は続けた
「母方の親戚の娘でね、僕が昔し夏休みで訪ねた時に、知り合ったんだ。僕が12、彼女は11だったかな。笑えるだろ"恋愛おままごと"だ。でも、誤解しないでくれ、今は"おままごと"何てしたくもない、11才の少女となんて」
「知ってる、君のスタイルは彼女が言ってた」
「口説いたんだって」
 「バカ言うなよ、どうせAだろ」
「ああ、だから俺も信じてないよ」
そして、彼は言った
「煙草吸わないかい」
喫煙所は黄色く壁が汚れていて、窓はなかった。camelのロゴのプリントしてあると古代の丸い灰皿が一つ置いてあり、天空には換気扇が回っている。
彼はキャスターを白いシャツの胸ポケットから取り出し、私は白いジャケットのポケットから、青いフランス煙草を取り出した。
 「珍しい煙草だね、いつも思うけど」
 「いつも聞くな」
 「話始めには、いいネタだろ」
 私は煙草に火を着け吸った、彼も続けて同じ行動を取った。
「でも、これは前のとは違う、同じメーカーだけど、全体的にこのメーカーの煙草は好きなんだ 、といっても四種類しかないけど」
「フランス煙草、将来的にはパリ在住か?」
 「さぁ、モスクワかもしれない」
「モスクワねぇ」
彼はモスクワという単語に少しも疑問を持たなかった。
 「俺はとりあえず被災地に行く」
「ボランティア?」
 「まぁ、そんなところだよ、世話になった親戚もいることだし、死んじまったらしいが。
 それに...」
 私はすかさず訊ねたんだ、何故だかすかさずにね。
 「それに?」
 「懺悔なんだ、彼女にたいしての、勝手ながらね」
 "懺悔"私の人生で、この言葉を発したのは、宗教関係の人間を除けば彼だけだった。
 「何時いくんだい?」
 「早ければ明日にでも」
その時、校内放送で私は呼び出された。
 「何か悪いことした?」
 「いや、サークル関係だろうね」
 私は喫煙所を出ようとした、重要な話題を話していたのだけれど、これ以上、私には、私の言葉のストックからは何も出てこないと思った。
彼は最後に私に訊ねた
「気になっていたことがあるんだけど、君の働いているバーのマスターが好きで、よくかけてるグループなんだっけ?」
「テンプテーションズ、あの人はジャスティン・ビーバーなんて死んでも流さないよ」


 私は教務科に向かい、事情を聞いたが、それはサークルに関してではなかった。
 「T教授が貴方を探しています」
あの放送により、私の人生は大きく変わり、大きく狂わされたのだ。そして私の人生の最も重要な"カオス"は既に決められた。

 
 
 

上海ハニー 上巻

上海ハニー 上巻

  • 小説
  • 短編
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-12-27

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