シフォンケーキとせんせい
夜のシフォンケーキは、なんだか、ふかふか感がたりないので、さびしいですね。生クリームは、なかにはいっているのより、たべるときにつけたい派です。
貝殻を、ひろったのです。
朝の海岸で。
さかなになったせんせいが、朝の、わずかな時間だけ、にんげんにもどるので、あいにいったときに、ひろいました。なまえのわからない、ぎざぎざした貝殻でした。乳白色で、ところどころが欠け落ちていましたが、ちゃんとした貝殻、でした。空が明るんできた頃で、せんせいは、はだかでした。さかなのときのせんせいは、あたりまえですが洋服を、着ていないので。
さかなの、せんせいが、いつ、博物館のひとたちにみつかって、つかまるか、いつも、はらはらしています。せんせいは、だいじょうぶだいじょうぶと、のんびりした調子でいいますが、ぼくは、ときどき、そのことで、ねむれなくなるほどです。夜のシフォンケーキの、あの、ふかふか感のものたりなさについて、せんせいに相談したいのですが、さかなから、一時的ににんげんにもどったときのせんせいは、うつろで、うけこたえが、ままならないときも、あります。二十四時間のうち、約二十三時間を、さかなとしてすごしているのですから、いくらにんげんにもどれるとはいえ、もう、にんげんらしさというものを、すこしずつ、なくしているのかもしれません。
商店街のパンやさんが、さいきん、テレビで紹介されて、大人気であることや、学校の飼育小屋の、せんせいが、ミミ、と名づけて可愛がっていたうさぎが、赤ちゃんを産んだことや、せんせいのかわりにやってきた生物のせんせいが、重度の恐竜マニアで、ちょっと、いろいろ、やばめなことなんかを、ぼくがぽつぽつと話して、せんせいは、ぼんやりしながらも、
「なにパンが人気なの?」
とか、
「赤ちゃんの名まえは決まった?」
とか、
「やばめの恐竜マニアってことは、あれかな、くわれたい系のひとかな」
などと、ぼくの話を理解しているときもあれば、
「ふむ」
とか、
「ふん」
とか、
沈黙、
という日もあるので、そういう日もある、と思うようにはしています。
ひろった貝殻は、せんせいにあげました。はだかのせんせいは、ぬめっとしていて、ぬるっとしていて、さかなが、そのまま、ヒト型になったような、感じでした。二足歩行の、さかな。うろこっぽいざらつきも、あるような気がする。
学校のなかで、せんせいは、田舎に帰ったことになっています。ご実家の農家を継ぐために。
それをおしえてあげたとき、テンプレートみたいだね、と笑った、せんせいのことを、ぼくは、まもってあげたいと思ったのです。さかなでも、ひとでも、せんせいは、せんせいであるので。
シフォンケーキの神さまが、夜のシフォンケーキを、うんとふかふかにしてくれるといいですね。
シフォンケーキとせんせい