紙一重その四

紙一重その四

 僕の左まぶたには傷がある。
長さ約一センチ。目尻に沿って横に浅く入っている。
 元々一重のため、ぱっと見は左端だけ軽く二重といったところ。
普段メガネをかけていることもあり、人に気づかれたことはない。
 この傷は幼少期できたもので、未だ痕が残っている。

 僕が三歳、妹が一歳になるかならないかよちよち歩きだった頃。
 両親と車で外出することになった。
 母親が僕を抱え後部座席に乗せようとしたとき、
うっかり手を滑らせ地面へ落としてしまった。
 実家は敷地の入り口から母屋の玄関まで、一面小粒の砂利石が敷かれていた。
落ちた拍子にその硬く尖った角で目尻を切ってしまった。
 ひとつ間違えれば失明、危なかった。

 こんなこともあった。二歳の頃の話。
 近所にある小学校まで、母が自転車をこいで僕を遊びにつれていった。
 前かご後部に取り付けた子供乗せが、幼い僕にとってのサドル。
 子供乗せは母の下腹部に位置するため、
サドルにまたがれば決まってがに股にならざるをえない。
 ペダルを漕ぐ間もその体制をキープしなければならず、非常に乗りにくかったらしい。

 目的地である学校へ到着。
スタンドを立てると、シートから降ろしにかかる。
 その際これまたうっかり、母は手を滑らせ僕は真っ逆さまに落とされた。
 頭部に傷はなく血も出ていない。
しばらくして泣き止んだため、そのままグラウンドで遊ばせたそうだ。
 落下地点が土の上だったため、クッション効果があったのかもしれない。
 とはいえ垂直落下、約一メートルのフリーフォール。
今思えばよくも無事に済んだものだ。

 近頃母は食卓にて、箸でつかんだお米やおかずをこぼすことが増えた。
「てっぱずれしたっけずは、ハハ」
 てっぱずれ、地元の方言で手からものを落とすという意味。
「私は昔からてっぱずれすること多かったからな。
お前ば落としたときもあれ、てっぱずれだわ。ハハハ」
 大切な息子であるはず、もっと繊細に扱ってほしかった。

 幼少期のうっかりは母だけではない。
 このときも二歳、家の中での出来事。
 顔が青く具合の悪かった僕。部屋で横になっていた。
嘔吐の可能性を考慮した母が洗面器を持ってきていた。
 幼児の行動には理解不能で説明不可なものが多々ある。
普段台所や風呂場にあるモノがこんなところに、それが珍しかったのだろうか。

 僕はおむつ替えのため下半身丸出しで、仰向けに寝かされていた。
 それが突然起き上がってトコトコ歩くと、
なぜか床に置かれた洗面器の上にドスンと腰を下ろした。
 慌てふためく母。すぐにお尻を確認する。
洗面器のふちで肛門近くを切ってきた。傷口からドロドロと血が出ている。
 軟膏を塗り応急処置を施したところ、幸いにも出血は治まった。
 ちなみにこの傷痕は残っていない、はず。

 危なかった話は他にもある。
 赤ん坊時代。
 夕方になると、母はおんぶ紐にねんねこ姿で僕を背負い、
隣の地区にある線路沿いの道まで歩いていった。
 夕焼けで山が真っ赤に染まる中、
通りゆく電車を二人で見送っていたと聞かされてきた。
 記憶には残っていない。
 だが話を聞くたび温かく懐かしい気分になる、美しい思い出。
 
 その日も親子は夕刻、憩いの時を過ごすべく玄関を出た。
歩道まであと少しというところで、母が砂利石に足を取られてしまった。
 母は転倒し僕はその背中からすっぽ抜け、
 二人とも勢いで車道まで飛び出てしまった。

 幸い通る車はなく、親子共々無事で済んだ。
 またしても紙一重。ゾッとした。

紙一重その四

紙一重その四

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted