パソコンを持って街を棄てろ!

ほぼ10年前に書きましたので、その頃はまだスマホがなかったので
「パソコンを持って・・・」という題名にしましたが、ただ再読して
確かに時代遅れのかんは否めませんが、それでも、そんなことを言え
ば過去の小説はすべて時代遅れで読めないかと言えばそんなことはな
いし、自分で読んでみても時代に左右されないと自負していますので
投稿します。

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 シーシュフォスが課された刑罰の様な仕事を終えて、駅東口のネ
ットカフェに入った時は、まだ10時前だった。無駄な出費を抑え
る為に、公園のベンチで新聞を読んで時間を潰していたが、疲れが
背骨あたりから全身に及び、その倦怠から一刻も早く逃れたかった
ので、思っていたより早くいつものねぐらへ入った。馴染みの店員
が手早く個室をくれて、私はそこへ入るなり何も為ずに横になった

 全身の緊張していた細胞が緩んでいく音が耳の奥で「ごおおっ」
と聴こえた。疲れていたが、でも眠れなかった。それはわが身に迫
る将来への不安からだった。一体、何故こんなことになったのだろ
う。私が東京へ来るきっかけは、実家から投稿した漫画が最終選考
まで残り、出版社から専用の原稿用紙をもらい、それまでの貧しい
暮らしに差し込んだ、一条の光に夢を託したことから始まった。勤
めていた会社を辞めて上京し、生活は日々アルバイトに暮れる酷い
ものだったが、漫画家として成功する夢がその辛さも耐えさせた。
仕事をやりながら漫画を描くのは絶望的に困難なことで、アルバイ
トで残した僅かの金で一ヶ月の生活を費やし、仕事をせずに集中し
てマンガに取り掛り作品を仕上げると云う生活を繰り返した。ただ
、いつも最終選考まではいくが、入選の栄光に浴すことは無かった
。つまり一円にもならなかった。ある日、天からの啓示のように突
然アイデアが閃き、その可能性に自分の中で勝手に期待が高まり、
寝る時間も忘れ、仕事のことも忘れ、渾身の想いで作品の下書き(
ネーム)を作り、出版社へ持ち込んだ。担当者に「いい、これで行
こう」と言われて喜んではみたが、さて、すぐに仕事を捜さないと
暮らしていけない。そんなマンガ以外のことに時間を費やしている
と、担当者から信じられない言葉を聞かされた。
「君が描いてこないから、アレ、他の人にやって貰うことにした」
その男は他誌で連載を終えたばかりの新人マンガ家だった。ご丁寧
にその男が描いた下書きまで見せてくれた。そして私が考えた決め
台詞まで一緒だった。私のアイデアは、担当者によってパクられた
のだ。帰りの地下鉄の駅で、かつて経験したことの無い怒りで身体
の震え止まら無かった。しばらく自分の身に起こった事が納得でき
ず、仕事に行く気にもならず部屋の中でボーッとしていた。やがて
大家がアパート代の催促に何度も訪ねて来た。私は、部屋を出て行
くしか無かった。              

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 眠りが遅れて襲ってきた為朝寝坊した。目が覚めた時は、すでに
仕事が始まる時間だった。日雇い派遣はこっちの都合で休むと次の
仕事も溢れるようになる。寝坊したことわりを連絡して散々謝って
許してもらい、シャワーを済ませて日用品の入ったバックを背負っ
てネットカフェをでた。それでも今日一日は自由を得た「奴隷解放
の日」だった。いつの間にか、この国には奴隷制度が復活していた
のだ。
 早春の朝日がまぶしかった。棲家の無い者にとって季節天候は決
定的である。冬の深夜を何処で過ごすかは命に関わる。この冬は温
暖化が言われていたので油断をしてしまった。凍える街の隅っこで
眠ろうとしたが、寒さで眠る事も出来ず散々歩き回った末、肉体的
にも精神的にも限界を超えた。限界を超えると脳が警告を発した後
に「運命に任せろ!」と告げて自ら判断のスイッチを切断してしま
った。そして私の命を支えていた多くの分子たちが私を棄てそれぞ
れ元の物質へ還元し始めた。もはや私は風であり雪であり闇であり
世界そのものだった。世間や社会が消滅して私自身も消滅しようと
していたが、まだ生き延びようとする生命の本能だけが、残された
神経を研ぎ澄ませていた。気がつけば見知らぬ廃墟ビルのレストラ
ンのソファに眠っていた。ホームレスにとって地球の温暖化は有難
い限りだ。このまま熱帯気候になってくれないかとさえ思う。そう
なると外で寝ても苦にならないし寒さに備える必要もない。ホーム
レスが苦にならないときっと皆んな無理して働こうとしなくなって
、その時から先進国のCO2排出量が減り始めるのかもしれない。
熱帯地方の若者に日本人が、
「何故、働かない?」と尋ねたら、熱帯に住む若者が、
「何故、働く?」と聞き返してきて、日本人が、
「楽な暮らしができるだろう」と云うと、熱帯に住む青年が、
「働かなくたって楽に暮らしてる」って言ったという笑い話があっ
たが、日本も熱帯化すればそうなるかもしれない。
 冬の間は廃墟ビルのレストランのソファで運良く寝泊まりするこ
とが出来た。私を棄てた分子たちも人肌を恋しがって又戻って来て
くれた。さらにその厨房の棚には廃業前の缶詰やパスタなどがその
まま放置されていた。さすがにコンロは点かなかったが、さっそく
缶に閉じ込められたトマトやアスパラガスを解放して私の胃の中に
閉じ込めた。それでも何時誰か来ないかが気になって落ち着けない
レストランだった。東京に在るものは全てに所有者がいることを改
めて知った。空き地の雑草一つもその土地の所有者のモノなんだ。
ここで行われているのは所有権の奪い合いなんだ、まだ空気の所有
者までは現れていないが。
 私はすこし歩いて近くの国家が所有する河川敷へ行った。              

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 風が川面を叩いて春を告げ水面は目覚めて軽く波立つ、そんな長
閑な朝の始まりが立つ瀬を失った自分の面にも少しは生きる歓びを
目覚めさせ、鳥のさえずりさえ笑っているかのように聴こえて、私
も心が少しは沸き立って水面へ到る斜面の土手の草むらにバックを
置いて仰臥した。街の喧騒も少し外れるとまだこんなところがある
のだ。
「何が?」
「永遠が!」
遠くに掛かる陸橋に列を切らずに続く車の流れに、今の自分が置か
れた境遇が、まるで先頭集団から離されていく後続のマラソン選手
の焦りに似た不安を感じさせたが、どうすることも出来ないあきら
めが逆に気を楽にさせて、寝転んで両手を伸ばすと欠伸が出た。そ
れからバックの中から一冊の本を取り出した。それは、資源ゴミの
集積場に無造作に捨てられていた八冊の中の一冊で、そのタイトル
を見た時、それまで私の脳血管を閉塞していた血栓が消滅したかの
如く積年の苦悩が一瞬にして解決した。それは「実存は本質に先行
する」、フランスの哲学者サルトルの本だった。そのあとの本文は
私にとってどうでもよかった、というよりこの一文は強烈だった。
実際図書館で「嘔吐」も読んではみたが全く理解出来なかった。翻
訳の難しさもあるのだろうが、なんでアロエだかマロニエだかの木
の根っこを見て「吐き気」を催したのか皆目判らなかった。「存在
と無」は最初のページを繰らずに置いた。「実存は本質に先行する
」、これだけで充分だった。つまり、私はずーっと「実存には本質
が先行している」と思っていたのだ。そもそも実存主義の本を読ん
でいても使われる哲学用語が全然頭に入ってこないし、さらに文化
と翻訳の壁があり、日常の言葉で語れない思想が日常に広まる訳が
無い。突き詰めると「ものごと」は狭義に拘らざるを得ないのは判
るが、突き詰められた真理が深海の海底では光輝いていても引き上
げて見るとただのガラス瓶だったでは見向きもされないだろう。
 つまり存在には「意味がある」と思っていた。しかし「意味があ
る」とすれば意味を与える存在がなければならない。「生きる意味
」だとか「何の為に」とかの問いは、常に自分の外に答えを求める
ことになる。私はサルトルの「実存は本質に先行する」という言葉
から、本質、つまり生きることの意味を問うことの無意味さを悟っ
た。          

パソコンを持って街を棄てろ!

パソコンを持って街を棄てろ!

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-19

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