兎おいしかの山 その三

兎おいしかの山 その三

 僕はヤギのお乳で育った。

 正確には母乳から離乳食を経たのち。
ご飯のお供としてよく飲んでいたと、母から聞かされてきた。
 都会ではまずあり得ない、珍しい食育。
体を作る大事な時期の大変貴重な経験。今振り返り、ありがたく思う。
 
 このヤギのお乳、酪農家から買っていたわけではない。
間を通さず直で手に入れていた。
 なぜそんな芸当が可能だったのか。

 答えはシンプル。
 家で飼育していたのだ、ヤギを。
 おかげで新鮮な搾りたてを堪能し、
大切な栄養成分を余すところなく吸収することができた。

 ヤギが家にいたのは確か僕が幼稚園の頃まで。うっすらと記憶にある。
 母屋と小屋の間に柵があり、その上から首を突き出していた。
長くて真っ白な顔が印象深かった。
 鳴き声までは覚えていないが、おそらくメェーと鳴いていたはずだ。

 僕が小学校に上がったときにはいなかった。
 売られていったか、それとも解体されたのか。両親に聞いてみればわかるはず。
とにかく知らぬ間に、いつの間にかいなくなってしまった。

 母が嫁いで来る前、父方の祖父母によって撮られた家族写真の数々。
 モノクロームの光景の中には向かいのお宅も写っており、その敷地内に牛舎が建てられていた。
 生乳を得るための家畜が、家々により異なっていたことが分かる。
育てやすさや土地の広さ、味の好みなど踏まえ選ばれていたのであろう。

 山間部を車で走っていると、今でもウシをよく目にする。
近代的な牛舎の中に並ぶ白黒の胴体が、パワーウィンドウ越しに見える。

 母の実家でも昔、ウシを飼っていた。
僕が生まれる以前に手放し、今はいない。

 母の生まれ育った集落では、多くの家庭でウシを飼育していた。
僕の知る限りでも、夜ウサギを持ってきてくれたお隣さんや実家斜め向かいの家にいたことを覚えている。
 盆暮れに帰省しているとモーモー鳴く声が、家の中にいても聞こえてきた。
 
 母の幼少期、亡き僕の祖父母は田畑を耕し作物を育て暮らしていた。
 その土地の一部を現在は叔父が継ぎ、冬の間や閑散期に出稼ぎを入れつつ、専業農家として生計を立てている。
 
 ウシの世話は主に祖母が担当していた。
 祖父が田畑で握り飯を頬張っていたお昼時。
 家まで歩いて帰りエサを与えると再び仕事へ戻っていた祖母。
「母ちゃんはいつご飯を食べてたんだろう」
 母はよく呟く。

 ウシの他にも動物を飼っていたそうだ。
 それはネコ。
こちらも祖母が世話をし、それはそれは可愛がっていたらしい。
 ネコの方もよく懐いていたそう。

 ただし、立ち入りが許されていたのは土間まで。
家の中に上がることは一切許されていなかった。
 潔癖症まではいかないがまめできれい好き、
物事の区分をきっちりさせる性分だった祖父が、このルールを制定したとのこと。
 このケースも一種の半ノラと言えるだろう。

 母もネコが嫌いではなかった。むしろ好きな方だった。
ただひとつ。ひとつだけどうしても我慢できないことが。
 それは狩ったネズミを口に加え運んでくるところ。
 いつも可愛がってくれる主に獲物を見せたかったのであろう。
 祖母もまた害獣を駆除してくれるため喜び、その献身ぶりを褒め称えていた。

「それを目にするのは本当に嫌だった」
 そう語る母の顔はいつもしかめっ面だ。

兎おいしかの山 その三

兎おいしかの山 その三

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-14

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