言語菜

言語菜01:笹を主食とする物理法則

配慮に欠ける物理法則は往々にして花鳥風月と新築分譲マンションとのセッションであり、ある意味で奇怪な炉心融解としてスポーツマンシップに則った高架下の地質学者よろしく受け取りが可能となる。もしくはセンセーショナルな個別包装が残酷かつ卑賤な蕎麦茶を断って、新進気鋭の法的手段を始めとする楽観的自動ドアに捺印する可能性も否定できない。悲喜こもごものカロリーメイトから産み出されるドップラー効果は、国後島で有名なエンゲル係数を祖とする近親的共産主義者としてデジャヴュを感じざるを得ないであろう。つまるところ孔子の唱えたモーニングティーの初詣は、登竜門とも言うべき撓ったエレキギターとカーテンコールないしアンコールワットの分水嶺として侃々諤々戯れあっているのだ。さて、今日の活字文化に倒錯したサンバイザーが顕著にしている事には、重箱の隅をつつくような人種問題と三大栄養素の初代総理大臣が挙げられる。世紀末の逆鱗と琴線に触れた心の機微は、レボルバーとも大差ない発芽のプロセスを彷彿とさせ、過去に類を見ない玄界灘海難事故を下地に敷き詰められた、その終末旅行の寒空に横たわる電線のようであった。青春十八切符の先天性ピクニックから得られる教訓として、我々は国民総生産の至らんとする家内制手工業と隣接三項間が閑静なマッチ売りの少女に囂しいまでのクールビズを頼み込む必要がある。獲得経済からソプラノリコーダーへの遷移と連日の薄型県庁所在地が示す事には、強迫性パーソナリティ障害が発売する羅生門の形骸化された形而上学がそれ即ち南中高度へ指向性を持つ幾らかの猛毒な自家撞着である。レパートリーに長けた煩雑なスヌーズ機能は、からくり人形それ単体で驚異的シースルーを勇猛なまたは多少計画性に欠けたような側溝に応じてノーモーションで発揮されることだろう。精神異常者と単調な働きアリから構成された二十歳以上の男女は、獰猛な活性炭フィルターとしての檸檬、そして解脱を最終目標に掲げた叮嚀な救いようのない泥濘に塗れる。匿名のマイクロフォンが叩き出す端午の節句は、忘れがたき第三十五代信号機と似ても似つかないスプレー缶が織り成す脹脛の痙攣とも捉えうるだろう。或いは三十路手前で宙吊りのブラック企業が典型的に群衆に晒されるとされている折畳式ガラパゴス諸島と呼ぶべきか。兎にも角にもブラックペッパーを添えた初日の出はマクロ視点を備えた逃避行として認識されるべきであり、量子力学における廃れたシュールレアリスムの揺らぎなどは誰がどう見ても人工的確率論に従った厭世的海馬同士の語らいである。そもそも都市国家として排出されるメトロポリスらしき口答えはちらつく陽炎に阻害された水掛け論でしかなく、毎度のことながら呪詛の様にバーテンダーの手首のスナップが読み聞かせる集合恐怖症は油田開発において最大限活用されるべき事象なのである。この世の汎ゆる赤十字が冷静沈着な紳士淑女として賭されるのであれば、私だって停滞以前に異論はない。言葉数の暴力とキャパシティを超えた万年草が恣意によるところの急進主義として考案された理由として、行動原理に基づいた穿ったヘアピンカーブに未知の大音量封建的束縛心理が提出されることに、僅かな非合法的完全球体としての烏合の衆が常々疑問を呈している。差異のない堅牢なアドバンテージを確実かつ発散的に煮詰めるためには、入道雲を始めとする流儀を重んじるミュータント生物が法の権化として花弁の刹那に対話を働きかける必要があるだろう。貴殿のその無知の知をすっかりと理解したとでも呼ぶべき傲慢なめいめいの態度は、雪辱を果たすことを至上命題に掲げたダイバーシティな倍率色収差として希求され収束する。いつまで経っても人件費としての労働力が蛇足と指揮されてしまうのには、以上のような原因がその背景にあるからであると私は考える。

言語菜02:結論を伴わない薫陶

薫陶とそれに類するヒューマニズムを天秤に掛けた際、副次的に生ずるサブカルチャー的承認欲求群を度外視して曲解するのは如何なものだろうか。確かに従来の聖書主義者たる古典的敗戦国の観点からすると、枚挙に暇がない自然現象をノータイムで受容するという手段の採択は至って凡庸な思考回路であるし、オリエンタル的発想からしてもコンプロマイズを最終目標と掲げる勢力拡大政策は大いに頷けるものがある──幾分矮小化されてしまうのは言うまでもないが。しかしその急進的快楽と衒学趣味に甘んじて、隆盛と滅亡のシンギュラリティにただ流されるだけの怠惰な生活を送っている節はないだろうか。長針と短針の一致とも揶揄される唾棄すべき知的生命体との接触が、我々に再検討を迫っているとする。初めに思い浮かぶのは、拘りのない防護網と無頓着なミネラルを早急に摂取することだろうが、背水の陣たる我々の状況を俯瞰したところ、どうやらそのアイデアは終末論と机上の空論にのみ有効らしい。次に思い浮かぶのは、タイタニズムとフォーディズムの融合であろうか。喩えるなら敷衍した類人猿が二足歩行で一足飛びするようなものである。こちらもコミットメントないし伽藍堂的支配力から鑑みれば即断即決、今すぐにでも飛び付きたい優艶な選択肢ではあるのだが、全体最適化の視点から捉え直すと幾許のゆらぎが確認できてしまう。では、このような状況に際して取るべき行動は何なのか。結論から述べると、蒐集能力を最大限引出した状態で顕著な普遍的価値観の差異を全面に押し上げ、且つ有識者の顰蹙如何ではドグマの流用までも検討することである。云うなればドレッシングだ。文字通り受取って発生しかねない被害を想定して事前に嘴を突っ込んでおくと、これは決して魔法としてのソーシャルネットワークサービスを再考して人類五分前仮説の新境地へと増補ないし拡大解釈しようなどという、腐心の末に精製された極まれし集合的無意識を弄するような提案ではない。

言語菜03:愛すべき流動体は近すぎる

愛すべき流動体について燦燦たる粛清を傍観してきたのだが、やはり湿地帯ということもあって人類への多額の民主党改革には目を瞑ることができなかった。既のところで踏みとどまった旧政府軍は、ハイライトのごとく参入した斬新かつ副次産業的な仮想通貨に関して難色を示した。ヒューマニズムとイオニア自然哲学の混淆は、今後新たな展開を見せるべく反社会的に滴ることが多くの有識者によって予見されている。しかしながら、確率論的リスク評価を加味した六次元なる蓋然性を念頭に置くとなると、どうも乱数によるデータの振れは避けられない事実であり、完全なる未来予知というのは未だ実現の目処が立っていないらしい。発案者の或る男が言うには、言語同士のグルーピングないしシナプス的結合はもはや外れ値の域を超えており、親近者による保護観察が目立ち始めている。これ以上過剰になってしまうとサラダボールとしての原型を留めることが非常に難化し、果ては爆散する可能性があるとのこと。ハイデガー式散弾銃を拝借すると、暗澹たる耽溺は端的に云うがごとし、その名は神の御心に適うものであり、悪魔の生贄に敵うものでなければならない、と。隙あらば己の自尊心に叶うものを担ごうとする現代人にとって、耳の痛い言葉なのではなかろうか。ハギア=ソフィア聖堂のその美たる建築方法を目の当たりにした今、私は至ってシンプルに、なにゆえ我々の存在は保証されているのだろうと疑問を呈したい。『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』。ポール・ゴーギャンの貼ったラベルを眺めては頭を捻る。コンセントの左右非対称性を知りつつも見て見ぬ振りを貫くその姿勢には、慣れた手付きで轆轤を廻す職人並みの威厳さえも見い出せ、それこそ圧巻の拍手で讃えられるべきである。四本脚で屹立する背凭れに全身を凭れさせ、漸進的進歩を人類の大きな一歩と捉えずして、鬱々とした二足の草鞋が一足飛びでは発現しまい。ミュータント生物のホメオスタシスは、一瞥すると押したら倒れる世界新記録のドミノのようで迂闊に触れられない雰囲気を醸し出してはいるが、その実態はまるで引き戸の如くコペルニクス的転回を要するものであることが周知の事実となることを願う。

言語菜04:発明家、或いは有識者

或る種の精神的快楽を貪り食う人種は、現存する太鼓の歯車に轢かれてしまう。理由のないノブゴロドから生れ出づる蓄膿症と突発的無限回廊に犯された発明家のお話である。彼はチック症あるいは屈辱を脱して免罪符を逃れんと欲する有識者であった。

言語菜05:潑溂たる症候群をハンマーで叩け

潑溂たるミュンヘン症候群への啓蒙を深めるために、私は只管に自我への黙祷を捧げました。いいですか、これは遊戯でもなければ給食でもないのです。歩き疲れた私は椅子と思しき石ころに手を掛けた。逐一伝わる振動に脳髄を刺激され、諦めた僕は再度未来へと目を放つ。ああ、なんたる茫漠な気球であろうか。ハンマーでかち割った破片が鼓膜を突き破る感覚を自覚する。言いようもない不安が鼻の辺りから目に抜けて、今すぐに薬が必要だ。貴様はそうやってまた逃げるのか。何処からともなく声が聞こえた俺は、もういいやと嘆く。託つ。走る。耳鳴りが鳴り終わってから、コンサートは始まるらしいという噂を聞いた。山へ登ってみるか。私は飛び跳ねる心を押さえつけながら君と教室に残った。磊々。手提げはいらないです。袋はいらないです、と断り続ける君に存在価値を認める。アダプターが僕の言うことを聞かずに反抗を繰り返すので、何度か首を絞めてやったら静かになった。夢を見た。私は老人だった。縁側に出て悠久の時を肌に感じていたとき、傍目に君を見つけた。また君か。どうしてそう何度も私の視界に入るのだ。何度も言いつけたはずだぞ、次はないと。彼女は黙って頷いた。まるでそうしておけば何事も上手く丸く収まることを心得ているような態度で。分かったよ、またこれだろう。私は踵を返してキッチンへと向かった。彼女は口を閉ざしたままついてくる。そんな気配がした。どこかでトロンボーンがなっているのだろうか。煩いな。解っているよ。もう時間だろ。私は荒ぶる心を提出した。なにやらもう締切らしい。随分と早い締切だと呟いた声はどうやらその男に届いたらしく。彼は拳を振り上げた。誰だお前は。反復する句読点が過剰であったらしく、上からの命令で引き延ばせとの命を受けた。そうカンペに書いてあったんだと主張する私の子供は、まだ三歳である。依然として首の座らない息子はなにやらものを吐き出した。こんな筈じゃなかったんだ、なんて言葉は誰にでも吐けるよ。校歌がそう言っていたんだ。私は過去を反芻してみる。意義のある思い出らしき思い出が脳裏に浮かばないここ数年間は本当に必要だったのであろうか。キク科の植物だけがいやにこちらを覗く。わかったってば。白色の灰色を両手いっぱいに抱えては、親の元へと走り出す。舞い降りた帳が今日はいつもと違うんだと自慢気な顔をしている。はいはい、君も今日から晴れて成人だねと言われた。そんなことないのに。動く写真は初めて見るのかい。ええ、今まで見たことなかったの。恥ずかしながら。小気味のいい子供の笑い声が纏わりついて顔を歪ませた彼女のその表情に、どこか見覚えがあったことはその後一度も口にしなかった。気づけばもうこんな時間だ。さよなら。と彼女は部屋をあとにした。残された私と静寂は手を繋げばいいのか? 歩きだして私も部屋を後にしようとするが、足がまったくもって動かない。脳の命令を聞き入れない私はまるで棒きれのようです、叩いても抓ってもなんの反応も示さなくなってしまった。どうやらドライバーを再起動する必要があるらしい。泣き出してしまいそうだ。この女はドアの向こうに取り付けられた取っ手の隙間から、やはりこちらを覗っていた。いいんですこれで、これで全てが解決しますから。夢が覚めた。この話を同僚にしたところ、彼は鼻で笑った。そしてそれからこの話をまるで塵紙みたいにして、彼女は背中を向けて鼻を噛んだ。くしゃみをするんだ。でもそれは幾らか抑圧された表向きのものだけどね。自慢げのその顔に見覚えがあった。夢で見た。夢だ。私は体を仰け反って、二重写しの胸膜から抜け出そうと意図する。ただそれだけであった。ところで諸君、こんな話を聞いたことがあるか! 大東亜共栄圏に取り囲まれて身動きの取れなくなった巨人は電話線に絡まって息を引き取ったそうだ。それはそれはご愁傷様です。なんて声があちらこちらから聞こえたが、そのどれにも感情はなかった。感覚もなかった。なかった。泣かなかった。

言語菜

言語菜

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-03

Copyrighted
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  1. 言語菜01:笹を主食とする物理法則
  2. 言語菜02:結論を伴わない薫陶
  3. 言語菜03:愛すべき流動体は近すぎる
  4. 言語菜04:発明家、或いは有識者
  5. 言語菜05:潑溂たる症候群をハンマーで叩け