化石茸
木やシダなど植物の化石は世界のいたるところから掘り出されている。エジプトの砂漠では完成していないような木の化石がごろごろしているし、海洋の生物、海星や貝の化石も珍しいものではない。日本でもエジプトの砂漠のようにはいかないが、その辺の山の斜面にいろいろな化石が眠っている。
化石は死んだ動植物の細胞に珪素、すなわち土の成分が入り込み堅くなって石になったものである。このような現象が起こることで地球は歴史を閉じこめてきた。しかし、構造上の問題なのだと思うが、なかなか化石として残っていない生き物もいる。そのような生き物は全く存在した証拠がなく、幻の生物にすらならない。
そのような生き物の存在の証拠を探ろうという研究を始めた男がいる。私の友人の古生物学者、海尻綾麿である。彼は動物と植物に分かれたところにまず興味を持った。大きく移動して自分にあった環境を見つけて生を全うする動物に対して、環境が適したものになると一気に成長し、本体が移動することはあまりしない植物。そして、人の目に見えないところで自分のすむ領域を広げていき、環境が適したところで花を咲かせる菌類、現在この三つに生命界は分類されているが、動物植物菌類、すべての要素を持った生き物がいても不思議はないのではないかと考えて、彼は探しているのである。
ミドリムシなどという原生動物は植物のように葉緑体をもち、酸素を作り出すことができる、動物と植物の間のような生き物ではある。しかし、もっと高等動物としてそのような生き物はいないかと思案にくれているのである。
彼は酸素を自分でつくり、自分で消耗し、水と養分だけ摂取する動物を想像していた。そこでいろいろな可能性からその接点となる化石を探していたのである。
ところが、ある時、面白い化石を掘り出した。日本の秋田県の山奥である。この地方はいろいろな茸がとれる。そこで茸の化石を見つけたのである。茸の化石はなかなかお目にかかれるものではない。彼はそれを鉱物の電子顕微鏡で解析をした。その結果、少しばかり不思議なものを発見した。まず、細胞内にミトコンドリアと葉緑体の両方が入っているような画像である。
ミトコンドリアは細胞内の呼吸など様々な代謝に関わる酵素を持った、動物には不可欠な細胞内小器官といわれるものである。さらに特徴的なのは、ミトコンドリアはDNAをもっていることである。遺伝子、DNAを持っているということは自分で複製を作ることができるのである。実際にミトコンドリアは自分で増えることができる。
我々の細胞の中のミトコンドリアは母親由来のものである。というのも、卵に精子が受精するときに、精子の頭の核の部分だけが卵に入って、精子の尾と一緒にミトコンドリアは捨てられるからである。そのようなことから、新しく生まれた細胞は卵のミトコンドリアだけが残ることになる。ミトコンドリアの遺伝子構成をたどっていけば、人の祖先に行き着くことができる。そういうことで、明らかにされたのが、人の祖先はアフリカのある女性だということである。
ミトコンドリアにはもう一つ面白い考えがある。科学の世界ではかなり本気で考えられていることであるが、細胞ができたときに、ミトコンドリアは細胞に入り込んだ細菌が変化したものだということである。確かに、細菌は細胞質を持たずほとんどが遺伝子、すなわちDNAである。
一方、植物の細胞の葉緑体も同じように光りに反応するバクテリアが細胞に入り込んでできたものとされている。葉緑体にもDNAがあることになる。植物はミトコンドリアと葉緑体のどちらももっているわけだ。しかし茸類には葉緑体がない。
ミトコンドリアと葉緑体が共存する茸の化石が見つかったことは彼の想像を加速させた。どうして葉緑体があると、動物に近くなるのか、私にはわからないので彼に聞いたところ、こう答えてくれた。
茸は菌糸を張り巡らして、土から栄養をもらう生き物である。まずは栄養分を菌糸ではなく、茸そのものが吸収する仕組みが必要である。その上で、動物と同じ方式で動き回るには、動くための構造をもち、栄養分を運動のエネルギーに変換させなければならない。葉緑体で糖分を作ったり、土から得た物質を使ってアミノ酸、コレステロール系を作るような細胞内器官があれば、すべてがいいのだろう。水分を空気中から吸収する仕組みは難しくないだろう。まさに、自分の体の中ですべてうまくいく。
彼の想像の茸動物はそういうものであった。
「どこに行ったらいると思う」
彼は私に尋ねた。私は専門が動物学であるから、動物、特に哺乳類のいるところは知っている。といっても日本に限られる。彼の想像力は私のはるかに上であることから、私には判断が付かなかった。
茸だから足で歩くことはないが、這っていくか転がっていくことは可能である。菌糸が要らないのだから茸の底のところに繊毛でも生えていて動くことも可能であろう。そこで思い出した。
「海胆は足管を出して海底を歩いていくな」
「そうか、そんな装置があればいいのだな」
「空気中の水分吸収はどうやる」
「これも想像だが、細胞膜には水を通す通路があって、それは必要に応じて開くという仕組みがある。細胞膜にある蛋白の働きだがね、そのような蛋白が茸の表面の細胞膜にあればいい」
「理屈はあるわけだね」
「ああ、だけど、化石では証拠は残らないだろうな」
「それじゃどうするんだ」
「そこまでしか推理できない、後は生きた奴を捜すしかない」
ということで、海尻綾麿は茸動物を探して、秋田の山々を散策しているのである。彼の想像力は大したものだと思うが、まずそんな茸はいないといっていいだろう。しかし、彼は幸せそうでうらやましい。自分の夢の実現を信じている男だ。
その話しをして一年がたったとき、彼から連絡が入った。
茸動物を三匹捕まえた。ということである。
まさかと思いながら、彼の研究室に行くことにした。
彼の研究室は秋田の田舎の一軒家である。もう人の住むことがなくなった茅葺きの農家をかりて、物置と馬屋を改造し、実験室をしつらえたのである。
一度、行ったことがあるが、実験室といっても、茸を培養するためのガラスの容器が並んだ棚のある物置といった様子だった。
東京に住んでいる私にとって、おいそれ行くことはできない。だが、茸動物を捕まえたというなら行ってみるか。彼の頭の健康状態も心配だ。秋田新幹線に乗った。
お昼過ぎに彼の家に着くと、彼は昼飯の用意をしていた。元気そうだ。
「遠いところよく来てくれた、まず茸飯を食ってから、あいつ等に会ってもらうよ」
床の上のちゃぶ台に茸飯が大皿に盛られていた。
「旨そうだな」
「ああ、隣のおばさんが作ってくれたんだ」
「隣って、家がないよ」
「うん、車で十分ほど走った隣だ」
「ずいぶん遠い隣だな」
「このあたりじゃ車で十分はとても近いのさ、この家を管理している家でね、よく世話を焼いてくれるんだ」
「いいところを借りたね」
私は東京で買った「とうきょうばなな」をわたした。
「お、こりゃありがとう、隣のおばさんが好きなんだ、お裾分けをしよう」
「そりゃあよかった、実は僕はまだ食ったことがないんだ」
茸飯は大そう旨かった。
食べていると、真っ白な猫が茶色のネズミみたいなものを追いかけて、居間に走りこんでくると、私の脇でタックルに及んだ。その一瞬、
「あ、やめなさい」
彼は猫を取り押さえ、追いかけえられていたものは逃げていった。
「なんだいありゃあ、野鼠か」
彼は猫を膝の上において、
「またやったのか、悪かったね、がまんがまん」
と言い聞かせている。猫をしかるでなく、なだめている。
「君の飼い猫かい」
「うん、ちょろっていう雄猫だ」
ちょろは大きな目をして僕を見ている。おとなしい雄だ。
「でも、何で、猫に謝っていたんだい」
「あいつ等、結構いたずらでこいつをかまうんだ、こいつが悪いんじゃないんだよ」
「鼠も飼っているのか」
「鼠じゃない、あれが茸動物だ」
そういわれても信じられない、鼠のように走る茸があるわけない。
彼は猫を膝からおろすと、立ち上がって手招きをした。私は食べていた茶碗をちゃぶ台に置くと彼に従った。
彼がガラス戸を開けた。かなり広い農家の庭である。椿の木が植わっており、その下の土から、茶色の茸が二本生えている。見ていたら、さっと何かが走ってきて、茸が三本になった。
「ほら、あいつに追いかけられていたのが今戻った」
手品のようだ。本当なのだろうか。
「そこに下駄がある、そばに行ってごらんよ」
彼が言うので、下駄を履いて椿の下にいった。茶色の地味な茸は静かに立っている。
触ってみようと思い、手を伸ばした。
そのとたん、茸たちがパッと消えてしまった。
「土にもぐったんだ、おい、いち、にい、さん、出ておいで、大丈夫だよ」
彼が声をかけると、茸たちはぴょこぴょこと、土の中からでてきて、ゆらゆらと、彼の方に動いていく。
夢を見ているような心地でいると、
「君もあがってこいよ、こいつらと一緒に話そう」
僕はあっけにとられて部屋にあがった。
床におかれたちゃぶ台の前に座ると、茸たちは綾麿のそばに立った。
「こいつらを見つけたときには驚いたね、まさか本当にいるとは思わなかった」
「そうだね」
おもちゃか何かだと頭の中では思っていた。
「この、向こうの山の奥でね、一週間テントを張って、見張っていたんだ。大きなブナの木の下だったね、この三つのあまり目立たない茶色の茸が並んで生えていた。直線上に茸が立っているというのはあまりないんだよね、ほら、よく輪になっているというのはあるだろう、松茸もそうだろ」
僕はうなずいた。
「だけど、直線上に生えているのだってない訳じゃないのだろう」
「そりゃあ、偶然になることはあるだろう、ところが、次の日になったら、直線の位置が変わっていたんだ」
「別の茸が生えても不思議がないだろう」
「ああ、だが枯れた茸が残るが、そんなものは全くなく、まさに移動したとしか考えられなかったんだ。それで、もしやと思って手を伸ばしたら、あっと言う間に消えちまったんだ」
「さっきのように、土にもぐったんだな」
「そうなんだ、でもそのときにはわからなかったよ、それで、テントをその場所が見えるところに移動させ、双眼鏡で見張っていたんだ。半日ほど経ってからだったよ、土の中から頭がでてきて、また茶色の茸がそこに立ったんだ。それだけではないよ、彼らは移動をし始め、あたりを動き回ると、また直線上にならんだんだ。前のところとは違う場所にね」
「それで、つかまえたんだね、どうやったんだい」
「トラップを作ってね、こいつらなにが好きかわからないので、俺の食料から、毎日違うものをおいたんだよ、三日目に、鯨の缶詰をあけておいたら、簡単にトラップに捕まったんだよ」
「トラップってなんだい」
「ネズミ取りをちょっと工夫しただけさ」
「つかまったときあばれたんじゃないか」
「いや、呆然としていて、膨らんでいた。そう、ふくれっ面といったらいいのかもしれない、怒ったんだな」
「それで、ここにつれてきて、どうしたんだい」
「はじめは閉じこめといたんだが、なれると手の上に乗ったりし始めたので、床においたら、飛び回って喜んで、庭にでたときには心配だったが、あの椿の木の下がお気に入りで、あそこを自分のすみかにしたんだ。好きにしてもらっている」
「だけど、トラップにかかったということは、君の言っていた、なにも食べなくても空気から吸収するというのとは違うようだね」
「いやそうじゃない、鯨の肉は匂いに興味を持っただけのようだ。食べたいと言うより興味を持ったらしいんだな、好奇心の強い奴らなんだ、ここに来てから、何も食べようとしないから、きっと空気からエネルギーを得ているのだろう」
「でも、どうやってあんなに早く走れるんだ」
僕がそういうと、茸動物の一匹がちゃぶ台の上に乗って、寝ころがり、根の方を僕のほうに向けた。
見ていると、底から八本のたこ足のようなものが出てきて、僕に向かってやあっというような挨拶をした」
漫画のようだ。
「彼らは我々の言葉がわかるんだね」
「教えたんだよ、ちょっとまってね」
彼は別の部屋にいき、墨汁と紙を持ってきた。墨汁を皿にいれると、茸動物がそばによってきた。一匹が頭を墨汁に浸すと、紙の上に頭を垂れて、さーっと、何かを書いた。見ると、お初にお目にかかりますと書いてある。
「すごいね」
「草書体だ、とても頭が良くてね、教わることがたくさんあるんだ」
「それで、どうするんだ、これから」
もう玩具ではないとわかった。茸動物は本当だ。
「うん、彼らは、人間と同じでね、だから、見せ物などにされるのはいやなんだ、それで、世間には公表しない」
「でも、僕に会わせたじゃないか」
「君は大丈夫、誰にも言わない人だよ」
確かに、この事実をいっても、証拠がない限り、頭がおかしくなったとしか思われないだろう。
「それでね、僕は彼らと一緒に住もうと思う、彼らの生まれた場所でね」
「山奥かい」
「そう、それでお願いは、人間の世界と全く縁を切ってしまう勇気がないので、時として、君に連絡をさせてもらうけど、許してほしい」
「もちろんかまわないさ、食べ物やいろいろなものが必要だろう」
「いや、私も茸動物に進化させてもらうんだ、彼らはそれができるらしい」
猫のちょろが彼の膝にあがってきた。ほれきたとばかり猫の周りに茸動物が彼の膝にあがり、猫と押しくら饅頭を始めた。
やがて、猫はあきらめて下におり、床で丸くなった。
「明日、僕は発つつもりです。彼らと一緒に。ちょろも」
「どうやって暮らしていくんだ」
「どうも不思議な場所があるらしい、どのようなところか教えてくれないんだが、もし来るんなら、生活は大丈夫だと言うんだ」
「君の親や兄弟にはどういうんだい」
「いないよ、もともと」
「そうだったのか、何かあったら、いつでも俺のところに戻ってこいよ、俺の住所が変わったとき、どうやって知らせたらいい」
「大丈夫だよ、わかる方法があるそうだ、こいつらがそういっている」
こうして次の日、彼は一匹の猫をつれ、私に手を振った。三匹の茸の後をおって、山に入っていった。なにも持たずにである。
私は夢を見ていたような面持ちで、ともかく家に戻った。
そうして、六十年近くが経った。私はもうすぐ九〇になろうとしている。彼も同じ年のはずだ。いつもどうしているか気にはしていたが、とうとうあれから会うことはなかった。
私の誕生日の十月一日のことである。入口の戸をたたく音がした。呼び鈴を押せばいいのにと思いながら、穴から外を見ると誰もいない。戸を開けてみると、なんと、十匹もいただろうか、あの茸動物が上を見上げていた。
彼らはぞろぞろと家に入ってくると、みんなそろっておじぎをした。
一匹が筆のような動きをしたので、墨汁と紙を持っていくと、早速、ささっと、こなれた様子で字を書いた。
「綾麿さんはなくなった、ちょろはもうずいぶん前に死んだ」さらに、
「これは彼からのメッセージです、不思議な世界で元気に楽しみました、どうです、茸たちについてきて、この世界にはいりませんか」
と書いた。
私は、首を横に振った。
茸動物は、
「残念です、心許せる人間はあなたしかおりません」
と書いた。
私はたずねた。
「どうやってここまできたの」
「歩きました」
「秋田からどのくらいかかったの」
「一月です」
「たいへんだったね、ありがとう」
「いえ、綾麿さんがいなくなったので、これからはあの家をでて山の奥にかえって暮らします。綾麿さんのような人間がいるといいのですが」
「彼はどのようにして亡くなったのですか」
「彼は、昨年寿命が尽きやすらかにいきました。死ぬと同時に茸になって分裂をしました、八十人の茸になったのです。彼の意志を持った八十人の茸動物が生まれ、仲間が増えました」
「彼の茸が来てくれれば直接話ができたのに、なぜ来なかったのかな」
「綾麿さん茸はまだ赤ちゃんで、あと一年も経たないと遠くまで歩けません」
「ちょろは茸動物になれないの」
「我々とは違った茸動物になりました。我々は担子菌動物ですが、猫は子のう菌動物になります、猫はアミガサタケの形をした茸動物です、やっぱり分裂して八十匹の茸動物になっています」
「茸動物の寿命はどのくらい」
「年をとったと思ったら、本物の茸の菌糸に接続させてもらうと、元気になります、だから死なないんです」
それを聞いていて、私の決断が鈍った。もうすぐ私も寿命がつきるだろう。そのとき、茸になっていると、また新たな世界に入ることができる。
「お考えが変わりましたか」
それを察したように、茸動物の一人が墨でそう書いた。私はうなずいた。
また綾麿と話が出来る。
茸動物たちに、
「ちょっと待ってくれませんか、すぐ用意します」
旅支度をしなければ。
大きなバスケットも用意しよう。その中に彼らをいれて、新幹線に乗せると、喜ぶだろう。また歩いて帰るのでは大変だ。
化石茸
私家版 第九茸小説集「茸異聞、2021、一粒書房」所収
茸写真:著者: 長野県北安曇郡白馬村 2016-9-12