20170317-私が五十歳にして高校教師になろうとした理由。(再掲示)

一・決意

「かあさん、今日は福寿草(ふくじゅそう)を買って来たよ。かあさんの好きだった花。どう、いい匂いでしょう?」
 そう言って、私は春の香りをかいだ。母の仏壇には、一足先にお団子が添えられていた。きっと、父だろう。母は、このお団子が大好きだったから。母は、幸せ者だ。天国に行ってからも、父に愛されて。
「おかげさまで、我が家はみんな元気だから、安心してね。生活にも少し余裕がでてきて、ついに私の車を買っちゃったし」
 私はそう言いながら、仏壇の上を雑巾で拭いた。父の老眼では、汚れが見えなかったのだろう。一度では、取れきれない埃をバケツで洗って、もう一度拭いた。
「それからね、次女の澄香は、札幌から少し遠いけれど旭川の高校へ数学で就職が決まったわ。本当に、よかった。これで、娘たちは二人とも就職して肩の荷がおりたわ」
 線香に火を灯すと、煙が目に染みた。その所為か、寂しい気持ちになって、思わず愚痴を口にしてしまった。
「だけど、なんだか張り合いがなくなっちゃった。こんなことなら、小学校をやめなければよかった。せっかく、かあさんが私を短大に行かせてくれたのにね」
 仏壇に手を合わせると、母の写真は幸せそうに笑っていた。その笑顔に甘えて、つい昔の夢を口にしていた。
「でも、本当は高校教師になりたかった……」

 そんなことをボソっと、近所にある実家の母の霊前で言ってしまった。いつまでも根に持って墓に入ってからも愚痴を言われるなんて、さぞ母も悲しいだろうなと思って、自分の言葉に呆然としていた。
 その時、次女の澄香が私の背中を押すように、「かあさんも教育大へ行って高校の教師になれば?」と、さも当たり前のように言った。この時、私の中でなにかがはじけた。女五十にして高校教師を目指そうと。
 もちろん、高校の資格を取ったからと言って、簡単に教師になれるとは思っていない。こんなおばさんの新卒に、大事な子供をあずける親はいないと思うから。では、なぜと思うだろうが、私は高校の教職の資格をとったという満足感がほしかったのだ。そう、言ってみればプライドのために。
 大好きなブルーマウンテンをコーヒーメーカーでドリップして飲む。父と私のささやかな贅沢の時間だ。澄香も、父が墓参りの帰りに寄ったロイズのお菓子を食べて、コーヒーを味わっている。美味しいねと子供のように微笑む。私は、その幸せの中で、夫の懐柔策を練っていた。

 私は自宅へ帰ると、広い台所で腕によりをかけて料理を作っていた。こんな家に住める私は幸せ者だ。一階は十畳の居間と、夫婦の寝室と、キッチンに食卓テーブル。二階には、十畳の子供部屋が二つに、夫の書斎兼客室。だが、私はそれ以上のことを望んでいる。けれど、夫は私の思いを分かってくれるはず。そう信じるしかないのだが。
 夫は、この時期忙しい区役所から遅く戻って、顔をほころばせた。
「お、今夜はハンバーグか」
 そう言って、急いで洗面所へ行って、手洗いとうがいをしている。夫は、私のお手製のハンバーグには目がない。気分をよくしてもらって、承諾してもらう計画だ。
 夕食後、お腹を撫でて満足している夫に向かって、教育大へ行っていいか相談した。相手の目を見て、十分な間を取って、質問したいことがあったら、すぐに対応できるように。夫は、うん、うんとうなずいて、「香さん。それで添削の仕事はやめるの?」と聞いてきた。私は、「少しセーブするだけで、やめないから」と答えた。
 きっと夫の心配は、お金のことじゃない。私がもしも入試に落ちたらがっかりするんじゃないかと言うことと、新しい入試内容についていけないじゃないかと思って心配しているのだろうが、私はそんなにヤワじゃないし、入試科目の確認は当然している。だから、「私の心配はしない」で言って笑った。それに対して夫は、「香さんの思うとおりにトライしたらいいよ」と言ってくれた。
 私は、当然この返事を予想していたのだが、本当に夫と結婚してよかったと思っている。だが、あまりおだてるとあの癖が出るのでやめておく。鼻歌まじりでサッカーのテレビゲームをやる癖。あれは、毎回負ける私にとっては、腹立たしくて仕方ないから。

 次の日から私は大っぴらに受験勉強を始めた。普段、小学生の勉強を添削している仕事がら、頭はまだまだなまっちゃいない。いたって、元気だ。そして、昔からの趣味で古文や歴史など高校の教科書をながめていたから、あの頃よりも今の方がよく分かっているつもりだ。それに、最近はまったサッカーのために必死で勉強して、英検一級とスペイン語の会話をマスターしたのだ。
 だが、不得意な数学と化学や物理などは、夫に教えてくれるように頼んだ。しょうがないなーと言って夫が面目を回復する時だ。そうして、私は夫を立て、その実は私の利益になるのだ。

 今から一年後に合格することを夢見てコツコツと勉強を始めたら、二十歳近くも若い添削仲間から電話が入った。急きょ、飲み会が入って添削ができない。ヘルプと言うことだ。私は、しょうがないなーと言いながら、たぶん婚活だと思い、その仕事を受けた。結婚した方が、仕事のペースに安定感が出るから、私はひそかに応援している。こんなイレギュラーの仕事をこなしながら、受験勉強と添削の仕事を両立させていた。

 順調に仕事と受験勉強をこなし、しばし休憩を入れてコーヒーメーカーをセットし終えてふと思う。
 私は、小さい頃から先生にあこがれていた。それは、高校教師を主人公にしたテレビドラマで、先生が言う言葉が私の心を打った。
『僕の仕事は、生徒たちによりよい人生を歩む手助けをすることだ』
 私は、この時胸が熱くなった。それほど重要な仕事をできる人が、果たして高校教師以外にあるだろか?
 勉強でも、仕事でも、生き方でも、その生徒に合ったよりよい選択肢を提示できるのは、きっとこの時期しかない。その大事な時期に、たとえ影響力が小さいとしても、やる気になったら確実に心になにかを残せるだ。だから、私は高校教師を目指して勉強した。

 しかし、家庭の事情と、女の子だからと言う理由で、短大しか行かせてもらえなかった。確かに、うちが経済的に苦しいことは知っていたが、私の弟は四年制の大学に行かせてもらったではないか。それなら、私を四年制に行かせて、弟を短大へ行かせる選択肢もあったはずだ。私は、この時はじめて女に生まれたことを恨んだ。小学校の教師にしかなれなかった二十二歳の私が、弟の四年制の大学へ進学を知って、はじめてのことだった。
 しかし、私は結婚して、子供ができたら小学校をやめて、家でもできる添削の仕事を選んだ。これは、小中校生向けのテストを採点するもので、不得意なところがある場合などには適切なアドバイスを書き込むのだが、もしもここで理解できなかったら、中学、高校、大学と、引きずっていく、たいへん重要なテストだったから、こちらも真剣なのだ。
 そして、その仕事のかたわら、いつも遅くまで仕事をしている夫を見ていると、男の世界がいかに厳しいものであるかを知り、私の両親に対する恨みもおさまった。
 それでも、小さい頃から高校教師になりたかった私の願望だけはいつまでもくすぶっていた。そして、あの時母の霊前で思わず言ってしまった。『高校教師になりたかった』と。
 私は、この時の次女澄香の言葉、『かあさんも教育大へ行って高校の教師になれば?』に感謝をしたい。私に、もう一つの人生を歩んで行く決断をさせてくれてありがとうと。そして、こころよく大学受験を許してくれた夫に感謝したい。だが、その言葉は教育大を卒業するまで取っておこうと思う。
 そんなことを考えている間に、コーヒーが沸いた。私は、ミルクたっぷりなコーヒーをよく味わって飲んだ。

 私は、コツコツと受験勉強と添削の仕事を両立させていた。子育てが終わって二人の子供も巣立った今、ちょうどいい感じのストレスであるのと同時に、リフレッシュにいい。私は、ちゃくちゃくと勉強をすすめた。
 そして、夏休みに受けた模試の結果が出た。判定はB。思ったよりも悪くない。私は、予備校に行かずに受験することに自信を持った。
 その結果を、めずらしく早く帰ってきた長女の玲香に見せると、「私はA判定でも落ちたわ。ほんと、思いもしないハプニングには気をつけてね」そうアドバイスを受けた。
 長女はかなりレベルの高い大学で、私のような一般人とはレベルが違う。ところが、お腹を壊して国立大学を落ちて、私立の法律関係の大学へ進んだのだが、大学を出て二年もたたないであっさりと弁護士の道をあきらめて、なぜか地方公務員になってしまった。ずいぶん、もったいないと思ったものだが、本人はあまり気にしていないようだ。のほほんとして、テレビやアニメを見ている。ゆくゆくは、脚本を書いてみたいと言っているから、ようやく自分の歩むべき道に気づいたのだろ。だから、なんの心配もしていない。
 その長女のアドバイスに気をつけて、判定には油断しないようにと思った。


二・入試

 とうとう、この日が来た。横なぐりの雪が降る中、私は車を運転して行くのは危ないと思い、バスに乗って教育大の入試へと向かった。不得意科目をセンター試験でどうにかこうにかやっつけて、後は得意科目の試験だけだ。もう、ゴールは目の前だ。落ち着いて行こうと思った。
 教育大学前のバス停で降りると、憧れの教育大学の校舎は、歩いて直ぐの所にある。北海道教育大学と書かれた門を入って広い通りを歩いて行くと、正面に三階建ての講義棟があって、右手には講堂、左手には図書館が見える。正面のエントランスを入ると、私は入試要項に従って、三階の入試会場へ上がって行った。講義室へ入り番号を確認して席に着くと、受験票と筆記用具出して準備をする。時計は、開始の十分前。あとは、落ち着いてやるだけだ。さあ、やるぞ! 私は気合を入れて、頬をパン、パン! と叩いた。

「おかさん。試験どうだった?」
 試験が終わりウキウキ気分でバス停に向かって歩いていると、長女の玲香が心配して、仕事の休憩時間に電話をかけてきた。メールは、言いたくはないが老眼なのでつらい。できたら、電話がいいのだ。私は、バッチリよと言って誰に見せるのかピースサインを出した。これで、澄香の後輩よ。そう言って、私はおどけて、わっはっはっはと笑った。道を歩いている人が、驚いたような顔をしたのに気づき、私は赤面した。
 それから、バスに揺られること三十分、今日は夫の好きなすき焼きにしようかなと思い立ち、近所のスーパーで降りて、夕飯の買い物をした。ちょっと気が早いが、私の好きな抹茶ケーキも買って家に帰った。

 次の日曜日、長女の玲香をともなって実家に報告に行った。弟は、「まさか受かるとは!」と驚いていたが、ふいに私に握手を求めた。「どうだ? 参ったか!」と言って握手に応えた。実に、絵にかいたような和解だった。弟とは大学進学のいざこざに端を発する意地の張り合いから、今日まで満足な会話をしたことがなかった。少し涙が出そうになるのをごまかすために、母の霊前に向かった。
「かあさん。私、教育大受かったよ!」
 ――そうかい、よかったね。さすがわ、私に子供だわ――。そう言ってくれたような気がした。気が付くと、私は涙をボロボロ流していた。
 それから涙を拭いて、丸いケーキや、ちょっと高級なお菓子パンと、取って置きのブルーマウンテン・コーヒーを飲んで、皆でがやがや話をした。もちろん、今日は私が主役だから、食べたいお菓子は、全部父と弟と長女が用意してくれた。ああ、王様の気分だわ。すんごく居心地がいいわ。この夜は、私は世界で一番幸せだった。

 四月吉日。教育大学の体育館で入学式は執り行われた。入学式を羽織袴(はおりはかま)で迎えたのは、私だけではなかった。その中でも、やはり私は目立っていた。五十一のおばさんが、十八の子たちと一緒の列に並ぶ。いや、もしかしたら彼らのおばあさんの歳に近いかも知れない。なんで、ここにいるんだろうと私を見た人は思うだろう。その問いに答えよう。私は高校教師になるためにここへ来たんだ。もちろん、そんなことを言う分けはないし、さも当たり前の顔でここにいる。
 だが、私にも彼らに対して有利な事がある。それは、恋愛を必要としないことだ。普通、若者は異性に対して少なからず好かれたいと思って自分をアピールしたり、好きな相手には緊張していつもの言動ができないものだが、私はそんなことはない。格好いい人はすぐにほめるし、友だちにもなれる。だから、ロスがないのだ。言ってみれば、これはおばさんの特権だ。
 だが、私が若者に好かれて、恋に落ちることも考えられる。その時、私の選択肢は、
一.まったく相手にしない。
二.誘惑だけして楽しむ。
三.不倫する。
四.夫と別れて彼と結婚する。
 と言う、中々魅力的なものがあるが、私は今の安定した生活をすてる気にはなれないし、なによりも夫を愛しているので、せいぜい二の選択肢を楽しむくらいだ。

 そんなバカなことを考えていた私に、声をかけてきた私と同じ世代の女性がいた。
「香!」
 ひときわ大きな声を出して口を押えて目をひんむいているのは、短大時代の同期生、野村翔子だった。思わず、私は手を振った。三十年前の友人は、少しふっくらとしているがあの頃と変わらず赤いプラスチックのフレーム。そう言う私は、ずっと金ぶちのやわらかい印象のフレームなのだが、私たちはそのメガネのフレームでお互いを、赤メガネさん、金ぶちさんと言って、仲良く学生生活を送った中なのだ。
 私たちは、入学式が終わると、抱き合って再会を喜んだ。私たちを遠巻きに見ながら、あ然としているのが翔子の娘の翼だと紹介された。「私は、これから高校の地理歴史を取る予定なの」と言って、「えーー!」と親子に驚かれた。実は翔子の娘も偶然、高校の地理歴史を専攻していたのだ。私は、翼に四年間よろしくと言って、握手を交わした。
 それから私たちは、学内の喫茶店に入って、昔話に花を咲かせた。翔子と私は性格がよく似ていた。なにごとも真剣で、他人任せにはせずに、自分の目指すものをどこまでも追いかけて行く、その姿はきっと皆には奇怪に見えただろう。たかが短大で、なにを真剣に勉強をしているんだと。でも、私たちにはそれが楽しくて仕方なかったのだ。もしも、私たちが男だったら、きっと大学にそのまま残って教授になっていただろう。
 だが、私たちの親は、女の子だから、どうせすぐに結婚するんだから、短大に行かせてもらえることに感謝しなさいよ、そう言う考え方がみえみえだった。しかし、弟たちがいたのだから、強く文句は言えなかった。大人しく短大へ行ったのだった。
 翔子は、頑張んなさいよ。そう言って、真っ赤なスカイラインに乗って教育大の駐車場を後にした。まったく、赤が好きである。あの車を見る限りは、どうやら暮らし向きは悪くないようだ。私は満足して、お気に入りのブルーのインプレッサに乗って、帰路に着いた。

 家に着いてノートパソコンを開くと、添削の仕事が入っていた。私は、羽織袴から着がえてから夫が作ってくれた夕飯を食べて、遅くまで添削の仕事をした。乗っていたのか、思いのほかはかどった。


三・翼のこと

 今日は、授業が早く終わった。はじめのうちは緊張して声が裏返しになってしまうこともあったが、しだいに落ち着て来てまわりの学生たちにも溶け込んだ。もっとも、そう思っているのは、私だけかもしれないが。
 そして、前期の単位も順調にとれて、今日から後期の授業が始まった。一時限が終わって、まだまだ残暑厳しい中、ノートをうちわ代わりにして、多少なりとも涼しい風にホッとしていると、翼が今日授業でやったところを聞いて来た。
 しかし、慣れてくるほど質問が深くなってくる。なるほど、こりゃ翔子の血を確かに継いでいる。それは、教授にしてしまうと、しつこいと言っていやがられてマークさせるに決まってる。だから、同じ匂いを感じる私に質問したのだろう。
 私は、今ふと十八歳になったような錯覚におちいっている。大学に翼がいて心ゆくまで議論していると、まるで三十年前に戻ったような感覚で、不思議な気持ちになる。
 そうして、私の動きが止まると、翼がどうしたの? と言って私に微笑みかける。その表情も昔の翔子のようで、私は思わず表情を崩す。
「ねえ、なに考えているんですか?」
「ふふふ。あなたのお母さんのことよ」
「えー、何ですか?」

 その時、話しかけてきた男の子たちがいた。
「どうも」
「あら、こんにちは」
 私は動ぜずに微笑んだ。かわいい子たちだ。一人は、スポーツ刈りで爽やかなスポーツマン。もう一人は、七三に髪を分けて鼻筋の通った七三くん。でも、耐性がない翼が、私の後ろに隠れるようにして、戸惑っている。そんな彼女の背中に手を当てて、前に押し出す。そして、彼らに翼のこぶりの胸を、かわいい顔を見せつける。ふふふ。どう、魅力的でしょう? 私は、若い翼を自慢したかったのだ。
「あなたたちの目的は、私? それとも、彼女?」
 そんなことは、イジワルなことは言わない。心で思うだけ。ごく、普通に会話をする。
「今日の講義で分からない所があるの?」
「はい!」
 元気あってよろしい! 私たちは、喫茶店に場所を変えて交友を深めた。しかし、さっきからスポーツマンが私にばかり話しかけて来る。まさかね、と思いながらも悪い気はしない。そして、別れ際に携帯番号を聞いて来た。正直、こんな展開になるとを思っていなかった。翼は、予想通りに七三くんに、携帯番号を送っている。まあ、害になるようなことはないと考えて、私も番号を送った。

 少し遅くなって家に帰ると、夫が今日も夕飯を作っていてくれた。心の中で、浮気してごめんね。でも、話しただけだからと言い訳をする。私は、つぐなうように夫に甘えた。これが、夫婦生活をうまくやる私なりの方法。
 今日の夕飯は、ホウレン草のお浸し。それに、白ゴマをまぶした白菜の温サラダ。そして、玉ねぎと豆腐がいっぱいのおみそ汁。このように歳を取ると肉よりも野菜。それも、一度火の通したものでないと胃が受け付けない。私は、良く味わって、おしゃべりもして、長々と食事をとる。
「ねえ、香。今日、なんかいいことがあったの?」
「え? どうして?」
「いや、顔の色つやがいいから」
「ふふふ。実は、今日男の子から声をかけられたの。どう? やける?」
「ま、まさか。この歳でやくなんてことは。あははは」
 あせってる。夫は、やいているんだ。私は、うれしくなって夫の機嫌を取る。
「うれしいわ、やいてくれるなんて。でも、愛してるのはあなただけだよ」
 同時に、肩に手を置き、スキンシップをはかる。目尻を下げて、うれしそうに微笑むあなたの顔が好き。私は、本当に三十歳も若返ったように感じた。

 その日は、ひさしぶりに夫とサッカーのテレビゲームをした。時々、わざと負けてくれて、思いのほか楽しかった。途中で、玲香が降りて来て、黙ってミネラルウォーターを飲んで、再び上がって行った。


四・男友だちのこと

 あの若者たちとは、それからも時々喫茶店でお茶をした。どうやら、七三くんはまだ告白はしてないようだけど、翼を好きなのは見え見え。ここは、あまり突っつかないで、黙ってことのなりゆきを静観した方が無難。うまくいったって、うまくいかなくたって、自己責任。それが、私の長年の経験による答えだ。
 一方のスポーツマンは、私のことを母親のようにしたっているみたい。七三くんの話では、幼いころに母親を事故で亡くしたらしい。だからか、ちょっと段差のある所では、危ないですよと言って、手を差し伸べてくれる。その心配りに、私はうれしくなり、無理やりチョコレートケーキをおごってしまう。でも、おいしそうに食べてくれた。ごちそうさまの言葉が、なんともすがすがしい。誰か、いい子を紹介したいのだが、きっと彼はモテル。あまり、余計なことはオバサンくさくて、やらない方が無難だ。
 もちろん、彼が七三くんのフォローをしてるってことは、はじめから知っている。七三くんが、翼に話しかけている間、私を退屈させないように。
 スポーツマンは話していくと、中々苦労人らしい。高校の頃、ピッチャーをしていたが、無理をしてヒジをこわし、仕方なく教師になろうと思ったみたい。もしかして、今ごろプロになっていたかも知れないのに、どうしても甲子園に行きたくて、と言うか皆を甲子園に行かせるために無理をしてヒジを壊した。損な性格なのだ、彼は。
 それで、後悔してないか聞いてみたら、ヤンキースの田中だって、仲間のために無理をした。だから、それくらいで壊れる方が悪いんだと言って笑った。
 普通の人だったら他人の所為にして、恨んでしまうのに。そのあっぱれな心意気に、ビールをおごりたい所だが、教育大に行くにあたり、夫と飲み会は禁止と言う約束をしたのが、とても残念だ。きっと、彼ならどんな道に進んでも成功するだろう。かげながらエールを送った。

 七三くんは、そんな彼と高校の頃からのつき合いだと言う。スポーツマンの受験勉強を三年の夏から手伝って、どうにか彼を教育大へ押し込んだのだ。だから、スポーツマンは七三くんに頭が上がらないのかと言うと、そんなことはない。なぜなら、七三くんは、スポーツマンを憧れの眼差しで見ていたらしい。それで、どうにかしてスポーツマンを合格させようと、七三くんは必死だったのだ。
 私は、二人の友情に再びエールを送った。そして、この話を夫にすると、それは、ぜひ本にしてもらいたいねと言って、自分の才能がないことを悔しがった。私は、玲香に頼もうかと思ったけれど、本にするなら話を盛らないと小説にはならないと思い、それでは二人のピュアな思いが汚れてしまうと考えやめた。

 こうして見ると、人は誰もが物語をつくっている。それが、決して悪い物語とならないように祈っている。


五・夫と私のなれそめ

 夫は、今日も夕飯を用意してくれた。一か月のうち、実に三分の二もだ。あまり、頼ってばかりだと申し訳ないと、時々作り置きをしていくのだが、続いたためしがない。それでも私の、ごめんねの言葉に、どうってことないよ。そう言って、笑い飛ばしてくれる。本当にありがたい。

 私が、夫と知り合ったのは、みぞれ降る冬の終わりの日。私が、足をすべらして盛大に尻もちを着いた時に、大丈夫ですか? そう言って手を貸してくれた人。痛がって歩けない私を、お姫様ダッコして短大の近くの病院まで運んでくれた。私は、高身長の男性にダッコされたことに舞い上がって、きっと顔が真っ赤だっただろう。それから、応急処置されて、なんと自宅まで運んでくれたのだ。その時に、名前と連絡先を聞いてくれたのが、うちの母。私は、とても聞く勇気はなかったので、母に抱き付いてありがとうと言った。
 あの事件は、きっと神様からのプレゼントに違いない。私は、真剣にキリスト教徒になるかと思ったほどだ。だが、毎週日曜日に教会へ行かなければならないので、断念した。日曜日は、勉強と、お買い物の日と決めているから。

 それから私たちは、まずお友だちからスタートした。二人とも、異性とのお付き合いはしたことがなくて、戸惑うことばかりだったけれど、二人は別れることなく続いて、大学を卒業する年、結婚の約束をした。
 それでも、お付き合いは順調な時ばかりではなかった。半年ぐらい、無視したことがある。ことの発端は、翔子が階段で転んで足をくじいた時、私と同じように抱きかかえて近くの病院まで連れて行ったと、あとになって聞かされたことだ。
 そりゃ、あなたが親切なことはまぎれもない事実だ。けれど、それでもし翔子があなたに好意を持ったらどうするの? そう言って私は、彼に怒ったのだ。私の言い分が理不尽だってことはわかっている。それでも、女としての自信がなかった私の怒りは収まらなかった。
 私は、それから半年間、彼とは口をきかなかった。彼が、それでも私を愛していると言ってくれるのを信じて。もちろん、翔子との勝負は、明らかに私に不利だ。だって、彼女はいつも女の子らしい服を着ているし、なによりもかわいい。誰が見たって、彼女を選ぶに決まってる。それでも、私のことが好きだと言ってほしいかった。

 その結果が、今毎日のように晩ごはんを作ってくれる夫だ。見事、かけに勝った私は、卒業して四年後に結婚をする。あんなに楽しかった小学校もあっさり辞めて。それほど、彼との生活が大事だったのだ。
 あれから、二十六年。小学生の添削の仕事を続け、二人の娘を育てて、無事世の中に送り出し、この人生になにも後悔はないと思っていた。けれど、次女の澄香が教育大で学んで、数学の高校教師になったことが、私に昔の夢を思い起こさせたのだ。そして、今私は、教師になるために学んでいる。あらためて人生は、分からないものだなと思った。


六・娘たちのこと

 教育大に通う生活も、一年がたとうとしていた。今日は、ひさしぶりに長女の玲香をともなって春の装いを買いに来た。この頃、仕事が忙しいみたいだけど、身体は大丈夫? と聞くと、実はシナリオの講座に行っていると言う。今日は、いろいろ聞きたいことがある。それは、なぜ法律の道からシナリオに方向転換したのかだ。
 玲香が、弁護士になりたいと言ったのは、中学三年になった春。好きな子が、弁護士になると言うのを聞いて、私も弁護士になると言ったのだ。そんな単純なことで、自分の進路をきめるのは、よくない。私は、そう言ってさとしたが、聞く耳を持たなかった。しかし、その日から猛勉強をはじめたから、これ幸いにそれ以上なにも言わなかった。
 それで、なぜあっさりと弁護士をあきらめたのか、聞いてみたのだが。
「私が、優秀だった場合、もしかして犯人を無罪にしちゃう可能性があるでしょ? だから、ぜんぜん正義の職業じゃないって思って」

 確かに、事実に玲香のバイアスがかかって、そうなることもあるだろう。そう言われると、なにも言えない。それでは、なぜいきなり地方公務員になってシナリオなんだと聞くと、
「公務員になったのは、生活のため。シナリオを書き始めたのは、大石静にあこがれたから。最近の彼女の作品は、胸にキュンとくるものがある。私も、あんなドラマを作ってみたいなーと思って。まあ、ダメでも公務員になったから、老後も安心だし。でも、今のライターさんは、どこか間が抜けていて、私のほうがうまく書けるって思っているんだよね」

 大石静は、私も好きなシナリオライターだ。ぜひ、そんな作品を玲香にも作ってほしいと思う。
 玲香は、小さい頃から本を読むのが好きで、いつ勉強をしているか分からなかった。物語の中に入り過ぎちゃって、ほかの音は聞こえないこともザラだったし、感情移入し過ぎでいきなり泣き出ちゃったこともあった。ずいぶん心配したが、それでも学校の成績は悪いことはなく、むしろ良すぎるくらいだった。一時期は、他人に影響を受けて弁護士を目指したが、それが今ごろになって感情があふれ出して書きたくなったのかもしれない。シナリオライターの世界は、成功は難しいだろうが、いつか玲香の作ったドラマがお茶の間に届けられる日を楽しみにしている。
 その日は、喫茶店に入りドラマ談議に花を咲かせてしまって、春の服を買うことはできなかった。そこで食べたアイスワッフルが思いのほかおいしくて、おかわりをしてしまって、帰りは一駅歩いて帰った。また、行ってみようと思う。

 春休みになって澄香が旭川から帰省した。いつものお決まりのパターンで父の家に行って母の霊前に手を合わせ、あとはケーキタイムだ。父と、私と、澄香の三人で味わうケーキの味は、とてもおいしい。今ごろは、弟と玲香は、まじめな顔をして仕事をしていることだろうと思うと、よけいにおいしくなるから不思議だ。
 澄香のおいしそうな顔を見て、ふと思う。そう言えば、なんで澄香は教師になったんだろう? 今まで、聞いた覚えがない。
「ねえ、澄香はなんで教師なったんだっけ?」
「かあさん。大丈夫? 私、高校の時に言ったよ」
「ごめんねー。私、歳だから思い出せないのー」
「まったく、へんな時に年寄ぶっちゃって」
「そうだよ。香は、まだ五十二なんだから。わしは、八十になっても、まだボケておらんよ」
「……」

 澄香は、もったいぶって教えてくれた。その理由とは、好きな先生がいたからだった。その先生は、私も知っているが、くせっ毛のどことなく影ある男だった。澄香はあこがれて教育大へ行って、再開を願っていたそうだ。だが、その男は不倫と言う先生にはあるまじき行為で、北海道からいなくなってしまって、今はどこにいるのかも分からない。
「笑いたければ、笑えば?」
 そんなことが、澄香を待ち受けていたなんて知らなかった。私は、同情を禁じえなかった。
「でも、もう過去の話だから。今は、お付き合いしている人も、ちゃんといるから心配はしないでね」
「ええー!」
「ちょっとー、そんなに驚かないでよ。それよりも、姉さんは誰かお付き合いしている人はいるの?」
「さあ、聞かないわね。あの子は、今シナリオを書くことに夢中だから、きっといないわね」
「……」
「おとうさん。コーヒーのおかわりは?」
「うん、ありがとう」
 娘が、二人とも大学を卒業して、あとは結婚式だと待っていたのだが、上の娘はとうぶん結婚はなさそうだ。私は、もう一度母の霊前に向かって頼みごとをした。

 ところで、弟はバツイチだが、離婚してもう十年たったがいまだに再婚をしようとしない。きっと、離婚された理由がショックだったに違いないが、それを話そうとはしない。まさか、ホモじゃないとは思うが、もう今年で四十六になるので、こっちの方が頭が痛い問題だと言える。


七・教育実習

 教育大の日々は忙しくて、あっという間に四回生を迎えた。今日は、教育実習の日。懐かしいはずの高校の風景は、校舎が新築されて、まるで知らない学校になっていた。私は、少しもの悲しくなり、振り返って校門にかかっている高校の表札を見ると、そこだけ昔のままだ。うれしくなり表札をなでていると、声をかけられた。
「あのー、どう言ったご用件でしょうか?」
 これが、警備員にはじめにかけられた言葉だ。不審人物とも、文句を言いに来た父兄とも受け取られ、私は少しあせって言った。
「実習で参りました、多田香と申します」
 警備の人は少し戸惑ったようだが、私を職員室へ案内してくれた。先生たちも、私の年齢にずいぶん驚いていたけれど、私と言えば誰も知ってる先生がいないことに、寂しさを感じた。お世話になった歴史の先生ももういない。あらためて三十数余年の年月の重さを感じずにはいられなかった。
 それで、三十歳くらいの歴史の先生が、私について指導してくれる言う。終始尊敬語で話す先生に、普通に話してくださいとお願いした。気を使わせて悪いと思ったが、はじめから命令口調だとちょっと不愉快になる。これも世の中が年功序列のせいか? 面倒くさいから、それ以降尊敬語で話されても気にしないで、こちらも尊敬語で話すことにした。

 始業ベルと共に一年C組の教室へと歩いて行った。さあ、これから生徒たちの前に立つのだ。こればっかりは、いくら歳を取っても変わらずに緊張する。それを感じ取ったのか、指導教師が言った。
「よろしいですか、なにを言われてもあまり気にしないようにしてくださいね」
 一応、はいと返事をするが、私の歳のことは教育大へ入った時から、ずいぶん洗礼を受けている。この頃は、むしろ相手の反応を楽しんでいるくらいだ。オバサンは精神的に強いのだ。弱いのは、身体だけ。特に老眼が……。
 私が、先生のあとについて教室に入って行くと、やはりざわついた。すみませんね、オバサンがこんな所へ来てしまって、とは言えない。だって、古文の女教師などは定年まじかなのだから。私は、すまして黒板に、名前と、年齢と、それに教育実習生と書いた。
 今日は、授業を見てやり方を学んでくださいねと言われて、おとなしく見ていたら、後ろの席の生徒がスマートフォンでなにかしている。私は、そーっと近づいて肩に手をやり、首を横に振った。生徒は、舌を出してスマホを引っ込めてくれた。
 スマホに夢中になったら、いつでもどこでも出したくなる。私だって、同じだ。でも、それが許させないこともある。涙をのんで電源を切るように言うのだ。私は、ありがとうと言ってもとのイスに腰かけた。

 私は、次の日から授業を開始した。クラスごとに進捗状況が違うので、教科書のあちこちに一C十一月四日などの印が入った。授業を受ける姿勢はみなまじめで、私が注意する機会はあまりない。
 それでも、時々生意気な口をきく生徒がいた。その生徒のために、それがいかに自分にとって生きる上で不利になるかを、A四の紙に印刷して渡した。
 なぜ、私が口のききかたをそんなに気にするのか、言おう。

 場所は、さる専門学校。私は、あるテレビドラマの影響で行政書士の資格を取ろうと通っていたのだが、そこで実際に見た少年が酷かった。その少年は、講師にパソコンであるソフトの使い方を習っていたのだが、生意気な口をきいて、講師のイスを蹴り上げていたのだ。
 そんな人の尊厳をないがしろにする人物を、果たして雇う人がいるだろうか? また、そんな人物がやった仕事に金を払う人がいるだろうか? 私は、この光景を決して忘れることはできない。
 私は、こんな人間を作ってしまった人たちにも失望する。ものを教えるだけが教師の仕事じゃない。まともな会話をすること、相手を尊重すること、それらができてはじめて仕事ができるかが問われると、私は考える。そんなことも教えられないのなら、教師をやめてしまえ!

 生意気な口をきくことを許すことは、もしかしたらそういう化け物を作り出すかもしれないと、私は危惧する。そして、そういう人はきっと他人の話をまともに聞くことができない。だから、紙に印刷して、それがどういうことになるのかを教えるのだ。
 もしかしたら、私が五十歳になって教師になりたいと思った最大の理由は、そう言う人を作らないためかも知れない。
 さいわい、私に生意気な口をきく生徒は、分かってくれたようだ。いつかアイスワッフルをおごろうと思う。

 私は、オバサン先生と言われ、生徒たちからなにかにつけ、質問や相談を受けた。
 一番多かった質問は、私が添削の仕事をしてることに関することだが、大変かとか、給料はいくらくらいなんだとかと、やってみたい気満々で聞いて来る。私は、主婦がパート感覚でやるなら、こんなに時間に自由がある仕事はないから、結婚したらぜひやってみてとすすめた。それに、結構やりがいがある仕事だからとも言った。その中には、私が添削をしていた生徒がいて、握手を求められた。
 二番目に多かった質問は、私がなぜ五十歳になって高校教師になろうと思ったかだ。まさか、間違った人間を作らないためとは言えず、子育てが終わって暇になったからだと言った。もちろん、それも理由の一つである。ほんとうに先生になるのかと問われれば、たぶんどこも雇ってはくれないから、プライドのために資格を取るのだと言った。
 その時、女生徒が言った言葉が「先生、素敵よ!」だった。思わず涙が出そうになったが、その生徒にかろうじて、ありがとうと言えた。私は、今日の日を決して忘れないだろう。高校教師を目指してよかったと思った。
 そして、あっという間に教育実習の期間は過ぎて、みんなにありがとうと感謝を言って母校をあとにした。


八・卒業

 卒業が現実味をおびた十二月。教育大の掲示板に近所の女子高で歴史の教師を募集していたので、一応願書を出してみた。採用されるとは思わないが、出して損なことはないから。
 だが、すぐに女子高から電話がかかってきた。私は、まさか返事が来ることは予想していなかったので、ずいぶんあわてた。その高校は、私立の女子高。いわゆるお嬢様学校だった。私は、きっと落ちるけれど、どういう所なのか見てみるのも話のネタになると思い、面接を受けることにした。

 当日、行ってみると三階建ての白い壁が横に一列あるだけの質素な作りだった。だが、入口はしっかり扉が閉まっていて、侵入者を許さないと言う決意が垣間見られた。その門にあるボタンを押して中に入れてもらった。
 応接室で待っていると、年配の女性の理事長と校長らしき人が入って来た。理事長は、私が面接の部屋に入って礼をすると、にこやかに口を開いた。
「おひさしぶりね。香さん」
「あのー申し訳ありませんが、ちょっと記憶にないんですけど。失礼ですけれど、どなたでしょうか?」
「私は、溝口翔子、旧姓野村翔子の高校時代の友人で、前田鈴音(すずね)と申します」
「まあ、翔子のお友だちでしたか。失礼しました」
「あなたとは、大学時代に学園祭で数回お会いしただけですから、無理もないですわ」
 恐縮していると、私がなぜ呼ばれたのか、前田理事長は話した。

「実は、私たちは困っています。生徒たちは見た目はまじめですが、その裏ではイジメや素行不良が横行していて、私たちは大変頭を悩ましております。できれば、あなたにそれを直して頂きたいと思いまして」
 前田理事長も校長も真剣だ。私は、まさかいきなりそんなことを言われると思っていなかったので、ドギマギしてしまった。正直に、そんな大変なことはできないと言ったのだが、レポートを見せられた。それは、なぜか私が教育実習で提出したレポートで、ナマイキな口きくことがいかによくないか、力説していた。
「お願いします」
 そう言って、二人は頭をさげた。さて、ここで私は高速で考える。
一・できると大きなことを言って教職ありつく。
二・考えさせてくれと言って、時間をかけて考える、もしくは誰かに相談をする。
三・できないと言って教師になることをあきらめる。
 さて、いつもの私なら二を選択するのだが、それほど猶予が無いのは分かっている。女五十四、ここは腹を決めて一を選択した。ずいぶん、期待されているようだけど、自信ははっきりいってない。でも、うまくいかないからって命を取られるようなことはないだろう。悪くても、クビになるだけだ。私は、まかせてくださいの言葉までつけて教職にありついた。

 それから、あわただしくレポート作成の波は去って、ついに教育大の卒業式となった。わざわざ仕事を休んで、弟と夫が駆けつけてくれた。それに、当然翔子も娘の翼の晴れ舞台に駆けつけた。翼と私は、一緒に羽織袴を着て、卒業証書をいただいて、みんなのスマホの写真に仲良くおさまった。
 スポーツマンと七三くんは、いつの間にかいなくなっていた。翼が、あまりに議論好きなのがわざわいしたみたいだ。それでも、彼女はかわいい。きっと、またいい人ができるだろう。それよりも、今は大学卒業を喜ぼう。たぶん、翼には一生に一度のことだから。

 喜びの中、ふと思う。無理して教職に着かなくたってよかったんじゃなかったかと。卒業できてよかったねと、そこで終わりにするほうが、どんなに平穏だったことか。
 だが、もう遅い。サイは振られたのだ。あとは、最善をつくすのみ。私は、卒業できたうれしさと、これから待っている地獄の日々を想像して、盛大に涙を流した。

 今日、長年続けた添削の仕事をやめた。私が、二十五年もつとめた仕事。ずいぶんと、引き留められたのだが、高校教師との両立はさすがに難しい。私は、涙でお別れを言って事務所をあとにした。


九・教職に就いて

 四月一日。教職員はこの日から仕事がはじまる。生徒の始業式は、四月三日から。私は、ポプラの木をながめてからゆっくりと校舎へ入って行った。まずは、朝礼で紹介されてあいさつ。やはり、先生方の驚きはかくせなかったが、それでも皆こころよく迎えてくれた。たいへんありがたい。それからは、おのおの一日の仕事を割り振られる。
 私は、一年生のくつ箱の番号と名前の振り当てからはじまった。A4の紙に名前を印刷して、裏に両面テープをはって、丸いギザギザのついたカッターで一人一人の名前をはがれるようにする。あとは、順番にはっていけばいい。そして、玄関に一年、二年、三年と矢印を書いて方向を示せば入り口の準備は終わり。これで、所要時間はおよそ三時間。
 他の先生はと言うと、出席簿を作ったり、机に名前をはりつけたり、机の数を合わせたりと、なかなかやる仕事は多いのだ。
 仕事に夢中になって、いつのまにかお昼時間になっていた。生徒たちがいる間は購買や学食が開いているが、先生だけの時はパンと牛乳が配られる。パンは、各自二個。アンパンとメロンパン。そして、コーヒー牛乳が付く。なかなか、おいしかった。

 私が、自分の机で食べていると、隣の四十歳の中ぐらいの男性教師が話しかけてきた。
「多田先生どうです、なかなかやること多いでしょう? なにか困ったことはありませんか?」
 名札に伊藤一二三(ひふみ)と書いてある。前もって渡された職員名簿から数学の先生だと分かる。私は、少しうれしくなりつい多弁になった。
「ええ、おかげさまで、伊藤先生。ところで、私の娘も数学の教師なんですよ。なんか、うれしいですね」
「へー、娘さんが。立派に育てられて、すばらしいですね。私の娘も教師にしようと思ったんですが、生き物を扱うのはいやだ。私は、機械を相手にする方がいいと言って、飛行機の整備士になってしまいました」
 そう言って、伊藤先生は頭を掻いた。言葉とは裏腹になんだかうれしそうだ。その時、私たちの会話に二つ隣りの物理教師の中田京子女史が、割り込んできた。
「あらら、また伊藤先生は自慢話ですか? 先生の娘さん、航空会社でジャンボの整備をしてらっしゃるんですよ。機械いじりのエリートですよね。ねえ、伊藤先生」
「いやー参ったなー。実はそうなんですよ」
 と言って、伊藤先生は豪快に笑った。
 私たちの会話をそとまきに聞いているのが、どうやら前田鈴音理事長の娘さんの前田あかり女史、国語の教師だ。大人しく聞いている。
 このお嬢様学校の先生は、男二割女八割。その中で平気で生きている伊藤先生は、よほど奥さんがきれいなのか、女教師たちには目もくれず若くして結婚したそうだ。そう家庭科の横田華恵女史からうかがった。
 この横一列の並びは仲良しで、暇さえあればこうやってじゃれ合っている。他の先生たちが、無言で食事している中、ちょっと特異な関係だ。

「ところで多田先生は、そのお歳で歴史の教師になるなんて、一体なにがあったんですか?」
 ここで伊藤先生が、皆が知りたいだろうと思うことを聞いて来た。こんな質問はなんども答えて来た私は、すぐに答えた。
「実は若い頃、家庭の事情で短大しか行かせてもらえなくて、一応小学校の先生はしたんですが、この歳になって私の人生ってこれで終わるのかと思ったら急にさみしくなっちゃって。そこに娘のだったらかあさんも教育大へ行って高校の教師になれば? の言葉を真に受けちゃって、受験しました」
「へー、そのお歳で大学受験をしたんですか? すごいですね。僕ならよゆうで落ちちゃいますよ」
 そう言って伊藤先生は、はっはっはと笑った。
 実は、履歴書には書いてないが英検一級とスペイン語が少々話せるのだ。これは、大好きなサッカーのため。そう、ベッカム様とメッシ様のためだ。
 そして歴史と古文は、今で言うところのいわゆる歴女と呼ばれるくらい好きでずっとやっていた。だから、大変だったのは数学と理科ぐらいで、大したことなかったのだ。
 だが、このことはあまり言いたくはない。ミーハーだって思われるから。私は、さも大変そうに言った。
「もう、必死でした。おかげでシワとシラガが増えちゃいました。あははは」

 どうやら前田理事長は、先生たちに私が世直しのために雇ったって言ってない。この分だと、生徒にも言っていないに違いない。私は、このホンワカした状態がいつもでも続くように願っていた。そんな分けはないのに。


十一・バトル開始

 今日は四月三日。生徒たちが登校してくる日だ。とたんに、ピリピリした空気が職員室をつつむ。理事長の娘前田女史は今にも泣き出しそうだ。それをなだめるように三つ年上の中田女史が、手をにぎって大丈夫、私がついているわと無理して笑う。さながら、これから戦場に行くようである。伊藤先生が十字架を手に握りなにかブツブツ言っている。よく聞くと、主よ、我を救いたまえ……。
 私は、吐き気がしてお腹がギュルギュルとなった。あわててトイレにかけ込むと、天井からバケツで水をかけられた。したたり落ちる髪で職員室に戻ると、まるでいつものことのように着替えを出してくれた。ジャージの上下を。
 これは相当だ。だからへんに我慢しないで、すぐに対処した方いい。私は、バケツを頭からかぶって先生のあとに着いた行った。

 教室へ入って行くと、生徒たちはさも優等生ぶってにこやかに微笑んだ。じゃっかん口のはしが二ヤついている。
「えー、新年度からこのクラスの歴史の授業を受け持ってもらう多田先生です。先生、あいさつをお願いします」
 いっせいに拍手が起こった。まるで生贄を迎え入れるように。
「多田香です。今年で五十五になります。だから、あと五年で定年です。私は、その短い間、精いっぱい教師を務めようと思っています。それで、私はここで言いたいんですけど」
 生徒たちを、ぐるっと見まわして言った。
「私は、かわいそうな子羊になる気はない! でも、北風になるつもりもない。あくまでも太陽になって、あなたたちの服を脱がすわ!」
 ざわざわざわ。いったい、なにをするのかと戸惑っている。
 いい? これからあなたたちと、バトルするのよ。覚悟しなさいよ!
 私は、頭のバケツをかぶり直して、授業を開始した。
「えー、まず授業に入る前に言っておきます。私は歴史の教師ですが、特技は英語とスペイン語の会話です。それに、歴史と古文のオタクでもあります。興味ある方は、放課後、この教室に集まってください。では、授業を開始します」

 授業は、平穏無事に終わった。どうやら、あからさまな嫌がらせはしないようだ。特に、トイレに注意することにした。案の定、トイレで水をかけられた。私は、傘をかけて入ったので被害は防げた。そして、ついに放課後が来た。
 教室にやってきたのは、二年の田所茜。黒い髪が美しい百七十センチほどある大和ナデシコだった。
「よく来たわね、田所さん」
「先生、スペイン語ができるんですって?」
「ええ、話す程度ですど」
スペイン語「どうせ、サッカーのにわかファンでしょう?」
スペイン語「ええ、そうよ。私、メッシの大ファン。だから、スペイン語を必死で覚えたわ」
スペイン語「それにしても、きれいな発音ね」
スペイン語「実は、スペインのお友だちから習ったのよ」
スペイン語「まあ、スペイン語が流ちょうに話せるのは認めるわ」
スペイン語「ところであなた、もしかしてスペインに住んでたとか?」
スペイン語「ええ、父の仕事の関係で中学まで住んでいたわ」
スペイン語「もしかして、あなたサッカーをやっていた? あなた、身長は高いし、体感がいいみたいだから」
スペイン語「ええ、そうよ。でも、両親に止められて。女の子は、おしとやかにしないと言って、私からサッカーを奪ったのよ!」
スペイン語「まあ、ひどい」
スペイン語「……」
スペイン語「ねえ、あなた成績がいいんだから、塾に通うって言ってサッカーをやれば?」
スペイン語「ええ? でも、バレたらどうしよ?」
スペイン語「その時は、私が無理に誘ったって言って、謝るから。ね?」
「先生!」
 そう言うなり、田所さんは泣き出してしまった。子供の可能性をつんでしまうことが、どれだけ傷つけるか。私は、この若きサッカー選手を応援することにした。
 これ以降、トイレに雨は降らなかった。

 後に、田所茜はアメリカでプロになって、日本女子代表チーム選ばれとか……。


十二・バトルその二

 私が、いつものように放課後の教室でスペイン語の個人授業をしていると、めずらしく古文を教えてほしいと言ってきた者がいた。名前は清水早苗、三年生。あきらかに、挑戦だと分かる不敵な微笑み。私は、心して対処に当たった。

「それで、なにを教えてほしいの?」
「平安時代、ひらがなが普及したころについて」
「九〇〇年頃ね。まず、嵯峨源氏の源順(みなもとの・したごう)が竹取物語を書くのね。それからは、紫式部、清少納言の大御所が出て来るわね」
「その竹取物語ですが、こんなファンタジーを書くなんて、源順って言う人、実はメンヘラじゃないかって」
「そうね、でもあの物語は、実話をオブラートにつつんで書いた物と言う人がいるわね」
「え?」
「あれは源順と清和源氏のお姫様、源香耶(かや)の話を書いた物かも知れないのよ。その証拠に、香耶は一文字足すとかぐや姫になるのよ」
「ええ! 本当に?」
「さあ、真偽のほどは分からないわ。すべては千年の時に呑み込まれて……。あなたも、調べてみたら?」
 そう言うと、清水早苗は考え込んでしまった。来た時はケンカ腰だったのに、いつのまにか剣は取れて素直な生徒になっていた。
 実は、この話は弟が創作したまったくの作り話なのだが、古文オタクには知らないことはない場合が多くてバカにされるから、こんな作り話をはなしてケムにまくのだ。だから、説明の時には気をつけて断言は一切しなかったので、後でバラス時はゴメンねですむ確信犯なのだ。
 のちに知るのだが、この生徒はかつての私の添削の生徒だった。それを知った清水早苗さんは、恐縮していた。もとは、かわいい教え子なのだ。私は、そう思うとより一層かわいく思えた。

 これで生徒たちは、完全におとなしくなって平穏な日々が続いた。前田理事長は、私のことをジャンヌ・ダルクのようにあがめる。なにか、欲しいものはありませんか? こんどごはんを、おごらせてくださいと機嫌を取る。私は、大したことはしていないので、困ってしまって逃げまわる。平和なのだ。

 気になって弟に、あの話は本当に作り話かもう一度聞いた。その話によると、確かにまったくの作り話なのだが、みょうに心に訴えかけてきて一気に書いてしまった。だから、もしかしたら前世の記憶が書かせたんじゃないかと思う。そう言って、寂しそうに笑った。
 私は、もうそれ以上は聞かずに思いをはせた。弟が嵯峨源氏の源順で、私がその姉の源のなにがしで、私は清和源氏の源満仲に嫁に行って香耶を産む。娘と弟は、姪と叔父の関係ではあるが、当時は関係することは許されていた。
 だが今の時代に、娘のうちのどちらかが、もしも弟と関係を持ったら……。そう思うと寒気がした。私は、満仲がしたように二人を引き離すだろうと。やはり二人は、現世でも決して結ばれない関係なのだと。
 私は、娘のうちのどちらかと弟が、二人とも結婚しないのではないかと考えてしまって、その日はなかなか寝つけなかった。


十三・命の大切さ

 いろいろあったが、一年が過ぎて私の定年まであと四年になってしまった。今にして思う。たった五年のために、四年の歳月と、高い学費を払ってしまったのだが、やはりもったいないことをしたと。
 それでも、運よくこの高校でひろってもらえたことは、神の采配としか思えない。もしも、私がキリスト教徒ならば涙を流して感謝して、寄付をおしみなくさせてもらうのだが、前にも言った通り私は日曜日は忙しいので、礼拝にはいけない。だから、キリスト教徒にはなれない。本当に残念だ。

 例によって放課後、教室で個人授業をしていると、迷える子羊が相談があると言って来た。私は、ただならぬ顔色に緊張して冷たい汗をかいてしまった。
「井上さん、なんでしょうか?」
「実は、子供ができちゃって……」
 なにも聞かなったことにしたかった。だが、すでに両の耳で聞いてしまった。仕方なく、私の考えを話した。
「おめでとう。それで、産み月はいつ?」
「え? 退学にしないんですか?」
「そんな冷たいことするわけありません。それに、少子化ですから、子供は大切にしないと。だから、おろすことにも、退学させることにも反対です。それに、私に相談したってことは、産みたいんでしょ?」
「先生……」
 そう言うなり、井上さんは涙をポロポロこぼした。どんなに心細かっただろう。そんな子が、私に助けを求めて来たのだ。私は、全力で立ち向かうことに決めた。

 その晩、前田理事長のお宅へ相談に行った。ずいぶん立派な家で気おくれしたが、勇気を振り絞ってチャイムをならした。夜遅くの訪問にも関わらず、理事長とその娘、前田あかり女史は私を居間に招き入れてくれたが、緊張したのかお茶を出すのも忘れた。
「なにがあったの?」
「理事長。落ち着いて聞いてくださいね」
「はい」
 ツバを飲み込む音がした。私は、慎重に言葉を選んで話した。
「生徒に、子供ができたんですって」
 その瞬間、前田理事長はソファーの背もたれに卒倒した。無理もない。私は、同情を禁じえなかったが、続けて言った。
「その子は、産みたいんです。だから、私たちは応援しましょう」
「な、な、なにをバカなこと言ってるの。退学にするに決まってるでしょ!」
「いいえ、この少子化の時代ですから、妊婦は大事にしないと。だから、退学にはしないで学校で受け入れるんです。たぶん、これからの時代、これがスタンダードになるでしょう」
 前田理事長は、驚いたような顔で私を見る。これで首になったって、定年が四年早まるだけだ。私は、腹をくくって理事長と娘さんの顔を交互に見た。
「少し考えさせて」
「分かりました。では、今夜はこれで帰ります。夜分遅く失礼しました」

 前田理事長は、旦那さんが亡くなって、学校経営を奥さんが引き継いだ。だが、なあなあの問題対処から、いつの間にか生徒になめられ、素行が荒れたのだ。
 それが、よくなってこれからと言う時に突然の妊娠騒動。まったく、ついていない。けれど、生徒は十六歳を越えている。日本の法律では、結婚を許される歳だ。だから、このさい校則を取っ払って、受け入れるという選択肢もある。私は、前田理事長の母親としての采配に期待していた。

 翌日、学校へ行くと理事長に呼び出しを受けた。職員室で話さないのは、きっと妊娠した生徒を認めるが、ほかの生徒には公にはしない方針なのだろう。私は、期待を込めてドアを叩いた。
「多田先生。あなたの方針におおむね賛成します」
「本当ですか? ありがとうございます」
「でも、親ごさんはまだ妊娠のことは知らないですね?」
「はい、これから説得します」
「いいですか、多田先生。あくまでも、私たちは生徒の希望に寄り添うと言うことに気を付けてください。決して、こちらの意見を押しつけて事態を混乱させないように。それからこのことは、生徒たちを混乱させないように決して口外してはなりません。分かりましたね?」
「はい。それはもう心得ております。英断、ありがとうございます」
 私は、深々と礼をして理事長室をあとにした。
 さあ、これからが大変だ。私は、家庭科の横田華恵女子と極秘に相談して、親ごさんを説得する手段を考えた。もちろん、その話し合いには、生徒井上さんも加わった。

 その日の放課後、井上さんの家におじゃまをした。突然の教師たちの訪問にご両親は動揺した。話をすると、妊娠したと言う事実にはじめは怒っていた両親も、娘の産みたいと言う気持ちをようやく分かって、最後には娘の意思を尊重すると言ってくれた。
 それで、子供の親は誰なんだと両親がきくと、相手は十八歳の学生で、その男の子もこの子を産んでくれと言っていると言う。たぶん、これからは両方の両親の保護のもとに、一緒になって子供を育てるだろう。私たちは、できうる限りフォローして、子供の成長と、生徒たちの生活のサポートをしていこうと思う。
 家庭科の横田女史は、実は前から妊娠した生徒を、退学にすることに疑問を持っていたようだ。やはり、子育てをしたもの同士、意見が合う。一杯やって交友を深めたいのだが、飲み会は夫と約束したのでできない。コーヒーで乾杯をした。

 大きな問題を片づけて、夫とサッカーのテレビゲームに興じる。幸せだ、私は。大好きな高校教師をして、帰る家があって、愛する夫がいる。私は、幸せをかみしめながら、あと四年の教師の道をまっとうしようと決意した。


十四・長女の彼氏

 私の教師生活も、あっという間に四年の歳月が過ぎて、残り一年を切ってしまった。夕食を片づけをして、ため息をついていると、長女が話があると言って来た。
「めずらしいわね、玲香が話があるなんて」
「かあさん、私、結婚するから」
 寝耳に水である。私は、驚きのあまりコーヒーをぶちまけた。
「相手は、誰なの?」
「うん、大学の同期生で相手も公務員してるんだ。安心でしょ?」
 そう言って玲香は微笑んだ。よかった、弟じゃなくて。私は、フキンで後始末をしながら言った。
「こんど、うちに連れて来なさいよ?」
「うん、連れて来る。それでね、私公務員の仕事やめて、かあさんの添削の仕事しようと思うの。さいわい、中学の国語の資格はとっているから」
 私は、この時ほどうれしいことはなかった。そして、添削の仕事を娘がついでくれると、声高らかに叫びたかった。
 きっと、娘は小さい頃から私の添削の仕事を見て、親しみを覚えたのだろう。そして、この仕事にやりがいを感じたのだろう。私は、この時ほど添削の仕事をやっていてよかったと思ったことはなかった。涙で前が見えない。
「かあさん、大げさよ」
 玲香はそう言って、自分の部屋に行ってしまった。しかし、私は見た。玲香の目から今にもこぼれ落ちそうなしずくを。今日は、生まれてきて最良な日だった。

 次の日曜日、玲香は家に彼氏をまねき入れた。私は、ちょうど台所仕事で手が離せなかったので、遅れてあいさつをした。
「ようこそ、お出でくださいました。あれ、おとうさんは?」
「まったく、どうせ逃げたんでしょう?」
「これ、玲香! すませんね、えーと」
「斉藤隆明と言います。はじめませて、おかあさん」
「あら、おとうさん以外の男性から、おかあさんなんて言われたことないわ」
 よかった、普通の男性で。ちょっと緊張しているが、言葉使いや所作から誠実さがかいま見られる。ふと見ると、彼の大きい手は左手の指だけツメを深くけずっている。もしかして、弦楽器をしているんじゃないかと思う。
「失礼ですけど、なにか楽器を?」
「ええ、バイオリンを少しかじってます。少しですけどね」
 それからは、青年はもっぱら好きな曲の説明に終始した。もちろん、私が聞き出したのだが。わが家にバイオリンがないのが悔しい。実家にも、安いガットギターがあるだけだ。でも、この人と結婚すると、子供が弾いてくれるかも知れない。私は、もうすでに結婚した後のことを想像して、夢の中にいたのかも知れない。夫にも、このことを話せば、きっとこの次はニコニコして顔を見せるだろう。
 しかし、夫の言うような入り婿は無理だろう。私は、娘たちの幸せのために、それは考えないようにしている。そして、老後のためにちゃんと老人フォームの予約までしている。それでいいではないか。この少子化の時代なのだから。
 私は、お手製のプリンを出した。おいしそうに、そして上品に食べる姿を見て、ますます気に入った。

 プリンの匂いにつられたのか、夫が帰ってきた。私は、夫が逃げ出さないように腕をつかまえて、居間に引き入れた。
「はじめまして、おとうさん」


十五・私の卒業式

 とうとう、この日が来てしまった。私の教師生活は、ひどい緊張をしいられ、一時はどうなることかと思ったが、生徒たちのストレスが外的要因によるものだと分かり、突破口を見出した。もとからのワルではないことが、私の幸運である。問題を起こした生徒たちは、すでに卒業してしまったのだが、私は決して忘れない。愛すべき問題児たちを。
 そして、なによりもうれしいことは、この生徒たちの表情。こんなすてきな学園があるだろうか? ぜひとも、皆さんに来てほしいところだが、この物騒な時代、いかなる事態を引き起こすかと考えると、自重せざる負えないことが非常に残念だ。
 このポプラの木が枯れるころには、きっとこの校舎で巣立った生徒たちは、かならずやまた帰って来るに違いない。その時は、笑顔で迎えよう。何年たってもその思いは変わらない。そのことを胸に、私はこの校舎を去ってゆく。

 私は、静かに学園をあとにした。そして、新たな職場、予備校の生徒たちが待っている。これから、どれくらい講師を続けられるか分からないけれど、命の続く限り……、いや頭と身体が元気なうちは、講師を続けようと思う。
 最後に、私の無謀な夢を、理解してくれた夫と、後押しをしてくれた娘たちに、感謝したい。ありがとう。


(終わり)

20170317-私が五十歳にして高校教師になろうとした理由。(再掲示)

20170317-私が五十歳にして高校教師になろうとした理由。(再掲示)

75枚。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-10-25

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