エンディングの音(中編)

このお話は、まあ自殺をテーマにした小説なのだけれど、決して自死を助長するものではありません。
けれども僕は常日頃思うのですが、ただ何となくは生きたくないと思ってペンを取りました。
あ、スマホで書いたのか。

狼になるな、豚になれ!
あ、逆か。

死にたがりの、生きたがり。

 エンディングの音(中編)

 ⑤ベルベット・モス

 早朝五時。桐谷は目覚ましのケータイが鳴るより前に目が覚めて目覚まし機能をオフにした。
 そういう超能力を最近は身につけていた。
 冷蔵庫から牛乳パックを出しラッパ飲み。それからトイレに行く。血尿を期待したが無色だったそれを流し、しばし水流を見つめる。鳴門の渦潮によく似ていて思わず身を投じたかった。

水の、渦巻く音。
音が大事なんだ。
音は、同調すると全てを忘れさせてくれる。

 傷だらけの天使オープニングみたいに朝食を腹に詰め込むと上下黒のカラスの格好で解体会社エンジェルダストに出社するため、駅へと歩く。
 外はまだ四割方、夜のグラデーションを保持していた。なので、黄色い帽子の幼稚園児が集団で佇んでいるのかと思ったらそれはうなだれたヒマワリの群生だったり、街灯に照らされて出来た猫の影がまるで自分を答弁するかの如く混濁としていたり、そんな眼の錯覚を彼は愉しんだ。
 まだガラガラの電車内。桐谷と同じ様な肉体労働者たちが車内には散見出来た。
 据えた匂いが立ちこめている。
 清掃業、内装業、造園業、土木関係、ズボンに白い斑点模様のあるのは塗装業。
 自動車通勤ではない、現地集合現地解散の労働者は全員もれなくゾンビの目で虚空を仰ぎ、各々角度を変えて、絶対に他人と視線が重ならない様にしている。何故なら他人と目が合った途端、本能でバトルしてしまうからである。そんな習性を持つ、動物大集合。

 田端駅を通過した時点で、桐谷は何度も軽い咳をした。タバコだ。一日二箱×十数年のツケ。もしくはアスベスト。COPD一直線だ。もうすぐ着く。今日喘息が出なきゃ良いな。

 上野駅近郊の解体専門会社、エンジェルダストの事務所に到着。
 ロッカールーム。桐谷のロッカーの中に、

 「喧嘩常套手段」

 と書かれたヘルメットが置いてあった。昨日はなかった。
 多分誰か若いやんちゃくれの同僚の仕業だが仕方なくそれを持って現場まで黒のワンボックスで行く。
 今日からは新入りのベルベット・モス君が仲間入りして六人乗る。
 アメリカ人のモス君は今年日本に来たばかりだが、インターネットで日本語を勉強してきていて丁寧な日本語を話し、礼儀正しい。ガタイがでかい。
 身長190センチ。体重105キロの巨漢の黒人だ。
 主任の落合は履歴書も見ずに彼に決めたらしい。
現場に着く。田端の老朽団地。さっき通ったとこじゃねえかよ、現地集合で良かったじゃねえかよ無駄かよと桐谷は一瞬だけ思った。
 築四十年で限界団地となり解体要請が東京都住宅公団機構からあったそうだ。
 今日はその四階部分を解体する。他の業者も来ていた。喧嘩常套手段モードになるかと思ったが、ヌッと現れたモス君を見てみんなペコペコとオカマみたいになった。アニメみたいに分かりやすい顔の表情の変化で。

 作業開始。
 異様なパワーを見せつけるモス君。台所と風呂場周辺の水廻り担当となった彼は、ガシガシとハンマーを振り下ろし破砕していく。廃材を詰めるガラ袋の動きが全然追いつかないほどだ。
 落合が満足げにその様子をにこやかに眺めている。
桐谷は電動ノコギリやスパナを使って細かい建具を分解していく。桐谷は、
 
「今日は俺ハンマーの出番無しだな、まあいい。こちらは、ベテランの技で」

 とかブツブツとマスクの奥で呟く。
 三時間足らずで一室の解体作業が終了した。全てモス君の手柄だと言ってもいい。少し早い休み時間になる。落合はしきりにモス君を褒める。ホモみたく隣に密着して。

 「や~。いいねえモス君仕事っぷりが。特にハンマー持たせたら百人力だ。容赦がねえ。若いっていいねえ。おじさんもよ、若い内はガンガン働いたもんだ。所が四十を境に体力がグンッ、こうグンッと落ちてよお。グンッ。あれなんてんだっけ?更年期?熟年期?どっちだっけまあいいや。とにかく膝やられて今じゃコンドロイチンを一日千円分もあれだよコンドロイチンを飲んでんだよおじさんは。モス君、若さは宝だよ。大事にしなきゃいけないよ」

 桐谷は俺の時と内容全部同じじゃねーかよとニヤニヤ心の中で笑った。
 モス君はその巨体に似合わず人懐っこい笑顔を落合に向けた。落合はホモじゃないのになんかドギマギした。一服しながら桐谷も会話に入る。

 「君は何で日本に来たの?」
 「声優ニナリタークテ来タンディスヨ」
 「声優?」
 「エヴァンゲリヲンガ大好キデ、ネヴァダ州クラーク郡カラ来タンディスヨ。近クニ、フーバーダムガアルダケノ。スゥーゲェー田舎アアア」
 「ほーう」
 「You Know EVA?」
 「あ、アイノウ」
 「Wow、アヤナーミ、最高ネ。ハヤシヴァラ・メグーミ!萌エルディス」
 「ああ、えとあのあれ林原めぐみってそうか、綾波役の声優か」
 「Yes Yes Yes、ハヤシヴァラ・メグーミ」
 「エヴァか。もうあれ十年以上前か。名作だよね」
 「最高ダンヨ。アヤナーミ。ハヤシヴァラ・メグーミ。イツカ会イターインダヨ」
 「そっかそっか」
 「ハヤシヴァラ・メグーミ二イツカ会イターインダヨー!ワッカルカー?オ前ワッカルカー!オ前ホントーニワッカッテンノカーッ!!」
 「わ、分かったから落ち着いてモス君」
 「ハアハア。Sorry」

 休み時間が終了する。労働。六人の解体使徒たちが、各々の獲物を手にし、402号室へ繰り出す。塵、芥のパーティーが始まる。

 帰宅後、シャワーを丹念にぶち浴びて汚穢を落とし、午後六時まで部屋でぼーっとして、近所の大衆演劇の劇場「篠原演芸場」まで足を運ぶ桐谷。
 この小屋は月ごとに劇団が替わる。今月は劇団カジワダだった。
 おしろいで顔や首筋や両の手を白くした俳優たちによる二本立ての芝居、それが終わると舞踊ショー。
 役者の流し目やシナの所作に、客席から万券が飛び交う。この空間だけバブル絶頂期から時が止まったみたいだ。
 桐谷は実はこういった大衆演劇が大好きで、多い時は月に三回は篠原や浅草の木馬館などに行く。世話物人情話よりもドロドロした仇討ち物が好き。
 煌びやかなスポットライトの中で、役者たちは豪華な衣装を着て代わる代わる踊る。あ、花形のカジワダシノブが踊る。こないだ観て以来ファンになった。指先が美しく反っている。しなっている。桐谷も五千円札をご祝儀にシノブの帯に挟んだ。
 曲は八代亜紀の「女港町」だった。
 曲の間奏部分を狙うのが、おひねりのルールだ。決して踊っている時に挟んではいけない。その客はマークされ、いずれ出禁になる。
 全ての踊りが終わり緞帳が降りて幕。劇場に面した狭い道路は観客の百パー老人たちと、送り出しに出て来た役者の面々で埋め尽くされる。自転車が通る度に、若い座員が「はい自転車通りまーす」と声をかけている。その声は枯れている。
 桐谷は花形のカジワダシノブと座長カジワダサドルと握手した。彼らの手に塗られたおしろいはほんのり汗ばんでいて、香りが微かに薫った。

 満足して帰宅。非日常を入場料千五百円プラスおひねり五千円で存分に味わえたのだから安いもんだ。
 夕食をごま油で炒めたチャーハンで簡単に済ませ缶ビールを飲む。ヱビスはやっぱ美味いなー。
 エンディングノートに今日の出来事を書き綴る。新入りのモス君がすごかった事やエヴァで少しウザかった事、大衆演劇は最高だった事などを記す。最近ノートに毒素を吐き出しているせいか、精神が落ち着いている気がしてならない、逆にそれは不安な気がしてならない。
 
タバコを買いに行き少し十条銀座をブラブラする。
 午前中だけ働き、午後は好事家。こんな生活、まるで独居老人のそれだなと彼は思う。ココロは既にして老人のそれなのだろう。
 明日も早い。明日は壊して出来た瓦礫の山を四トントラックに積んで埼玉の産廃置き場に棄てる作業が待っている。
 少し痙攣する右手で、ケータイのアラームをまた五時にセットする。

 篠原演芸場。
 舞台上。
 桐谷は首から下がベルベット・モス君の肉体になっていた。顔は白塗りで、ひとくさり「女港町」を踊ってから解体用ハンマーを手に取り、舞台中央に寝そべっている全裸の上園目がけて振り下ろす。
 何度も。何度も。何度も。
 グチャグチャに破壊されピンク色した肉の塊と化した上園はそれでも、

 「あー。やっぱやめときゃよかった。すっげ痛てーし」

 とか言っている。桐谷は泣いているんだか笑ってるんだか分からない両方の表情のバランスの上に立ちながら上園を見つめ近寄るが、再び「女港町」が流れ出したのですぐさま慌てて踊る。
 眠りながら眠いのでもっと寝ようそして踊ろう。
 今、俺に必要なのは、イノチを蘇らせる眠りなのだ。
 寺社の鐘を撞く音が「女港町」に入り混じって断続的に聞こえる。
 業の音。命燃える音。

 ご~ん。ご~ん。ご~ん。
 ♪おんなっみんなとまっちん。

 ご~ん。ご~ん。ご~ん。
 ♪わっかれのなんみだわん。

 ご~ん。ご~ん。ご~ん。
 ♪だれにんもわっからない~ん。

 ご~ん。ご~ん。ご~ん。

 こうやって人生は、すり減っていく。


 ⑥ナタオ

 六畳の澱んだ空間に似つかわしくない飴色のソファー。
 以前、ゴミ収集会社に勤めていた時に貰ったものだ。ソファーにふんぞり返ってタバコを吸う桐谷。吸い殻はいつもの様に、灰皿に整然と並べる。まるで死体置き場の様に横に四本。
 午前九時。今日は休日でしかも祝日。上園に電話をしてみよう。

 「おはよ」
 「えあ?」
 「俺だよ」
 「はうあ」
 「すげえ声しゃがれてるなお前」
 「ぐんぎょ」
 「おい」
 「げんぎょ」
 「聞いてんの」
 「あちょっぷまうまう」
 「何でそんな凄い声なのお前」
 「ああ。昨日の夜ズブロッカ二本空けちゃったからでしょそれ」
 「何ズブロッカって?」
 「ウォッカのたぐい」
 「ちょっと飲み過ぎだぞ、おい」
 「いいから。あ、進み具合どう?エンディングノート」
 「ん、ああ。順調」
 「やれば出来る子なのねー。昔からそうだったねー」
 「ああ、あれについても書いたわ。エンジェルダストに新人が入ったよ。先月入社したベルベット・モス君の事とか」
 「すげえ。強そう名前」
 「実際強い。身長二メートルぐらいの人間じゃない奴。しかもエヴァンゲリヲンの大ファン」
 「なつい~」
 「綾波に憧れて自分も声優になりたくて日本に来たんだって。んで綾波役の林原めぐみに超会いたいんだって」
 「それは林原めぐみサイドで絶対NG出すでしょ。そんな訳分かんねー外人とかやでしょ本気で」
 「ははは」
 「なんか多いねー。アキバ系外人って最近。政治でも誘致にはしゃいでるし。十年後の2016年とかアキバ系外人だらけになんじゃないの日本」
 「気持ち悪いなそれ」
 
桐谷はタバコに火を点ける。意図的に間を置いた。

 「こないだ夢に出てきた。お前が全裸で……」
 「全裸、エロ」
 「話聞けよ。で俺は何故かそのベルベット・モス君になってて、解体用ハンマーでお前をバラバラにしちゃうんだよ」
 「へー」
 「へーじゃなくて。ああ
例えばフロイトだったらどう分析するかな?この夢」
 「え誰それ。あのーあんま私夢とか詳しくないけど多分それあなたの願望なんじゃないの」
 「俺そんなの思ってないよ」
 「普段はね。でも深いとこでは思ってるんだよ。そしてそれは私の願望でもあるし。前に言ったよね、ハンマーで私を殺してって。私。あなたに。殺されたいなー」
 「おい」
 「そうなんだよ。また近い内にでも会おうよ。じゃねまた眠い」

 一方的に切られた。
 フガフガした感情が押し寄せて落ち着かない。所在なげに何かやるべき事を探す。
 クーラシェイカーの303の入っているアルバムを爆音で流して蛇の様に踊った。
 うねうねうねうねうねうねうねうね。乱れたココロを浄化する為に。
 となりの部屋からドンドンと壁が叩かれる。爆音蛇踊りはやめない。

 「ワしゃアアアアアううウ!!」

シャウトする桐谷。
 となりは壁を蹴る。桐谷も蹴り返す。
何度となく攻防は繰り返される。しばらくして玄関ドアが何回も叩かれる。
桐谷は曲を止めて玄関に立つ。ドア一枚向こうから相手の呼吸音が聞こえる。
ドアを開ける。
となりの住人が立っていた。

 男。
 三十代か四十代。
 よく分からない。
 病的に痩せている。
 髪が肩まで伸び脂にまみれている。
 無精髭。
 マイメロディのピンク色のサンダルを履いている。
 手にはナタが握られている。

 「桐谷?さん?だっけ?えっとねえやめてもらえる?それ」
 「はい、すいま」
 「や謝らなくていんだよね。そこまで求めてない別に。やめてもらえたらありがたいという話なのであるのだから」

 呼吸音が荒く、魚の匂いがする。

 「あ、はい」
 「こっちは全聞こえなんですよ?ネ?壁がネ、薄いでしょ~う?薄いでしょ~う?ネ!お願いしますネ!仲良くやりたいので」

 隣人はナタをペシペシと自分の腿に押し当ててその攻撃力を殊更強調した。

 「宜しくお願いしますネ!」

男はそう言ってフワーッとした動きで自室に帰った。
桐谷はドアを静かに閉め素早く施錠した。

 心臓が鐘を撞いている。
 何者だよあいつ。この部屋にも護身用にハンマー置いておかなきゃな。
 そんな事をエンディングノートに記した。
 男の名前は「ナタオ」にして写実的にイラストも描いて添えた。
 夕食をマックのダブチにした。ナタオはいつも何を食べているのだろう?人肉だな、ナタだし、それでチョップしてミンチにして。人肉百%のハンバーガー。一度食べてみたいな。
 どんな味がするだろう。で、もちろん肉の素は上園で、あの女は無類の酒カスだから多分アルコール臭の強いハンバーガーになるだろな、といった妄想もノートに記した。
 考えてみると、決して他人には見せられない内容のノートになっている。
 まあいいか。このノートが発見される頃、俺は彼岸の住人。

 夜となる。
 夜が来る。

 やがては暴力的な朝の光が訪れる。廃墟の戦場が待っている。なかなか寝付けない。寝返りを打つ。暗闇の中、目を開ける。
 メメントモリ。
 何だよそれ。
 俺の場合はどうなんだ?自ら死を選ぶ事に揺らぎはないが、問題はその死に方だ。
 例えばハンマーを手にして上園を殺す。悔恨を感じるだろうか?俺の乾燥しきった干物みたいなココロはそれを悔やむだろうか?
 よし仮に悔やむとしよう。その後俺も後を追って自死。うーん。でもなぁどんな死に方が俺的に一番ふさわしいのだろうか?
 もう一度寝返りを打ってメメントモリ。
 うっせえしつけえメメントモリ。
 あ、そうだ。死に方は上園に考えてもらおうかな。楽だし。無理矢理瞼を閉じる。光が点滅している。寝付けない。闇と光に縛られる。
 じりじりと残酷な、働く朝が働けともうすぐそこまで近寄ってくるんだ、匍匐前進で俺にバレない様にこっそりと。
 ついでにメメントモリ。 知りませ~ん。分かりませ~ん。メメントモリ工業さんの事一ミリも分かりませ~ん。
 ただ確実なのは簡単に、未来に、追いつかれちまったって事だ。
凄く近くで、こないだ聴いた、あの鐘の音がする。

 こうやって人生は、すり減っていく。

 (エンディングの音
 後編に続く)

エンディングの音(中編)

このお話はあと一話だけ続きます。
どうか最期までお付き合い頂けましたら幸いです。
よろしくです。

エンディングの音(中編)

自殺志願者あるある物語。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-09-10

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