『暁蕣花の咲く処』』(ある子竜の物語)第4章〈1〉 ~フラットアース物語②

第四章〈(いん)
寅……云生命之初発。引伸欲起身、如之稽首申畏敬。


〈1〉

それは、産洞の中腹辺りにあるこの池から、大きな方の仲間達が全員出て行ってしまってから、半年ほどが経った頃だっただろうか。
このところ、池にいる仲間達の様子が少しおかしかった。何と言うのか、その波動が揺らいでいたのだ。残っているのは、もう三百程度だったから、池には仲間達がそれぞれ自分の場所を確保しても、かなりの余裕があった。なので最近は、仲間達の威嚇(いかく)の声を聞くこともなかったのだが、この十日くらい、仲間達は皆、落ち着きをなくしていた。

仲間の誰もがしきりと動き回り、その為に互いに接近しすぎて、度々小競合いが起こった。仲間達のその浮き足立った波動の影響で、僕もそわそわとした気持ちになっていた。
それは、以前にどこかで感じたことのある波動(感情)だったが、それがどこだったのか、なかなか思い出すことが出来なかった。

それを思い出したのは、皮肉にも、争う仲間の姿を見たからだった。それは、以前〈外〉の世界で茶色の虫に変化(へんげ)した時に、その仲間達が盛んに(ささや)いていた言葉だった。
(彼らは晴だ……って言っていたのだっけ?)
それとも、宴だ、だっただろうかと考えていたら、ふと水の匂いが変わったことに気が付いた。どこからか、いつもより濃くて甘い精気(エネルギー)の匂いが(ただよ)って来たのだ。

匂いの原因は、すぐに見つかった。僕のいる場所から程近い岩壁、その上の方にこれまで気が付かなかった隙間が開いていて、そこから甘い匂いのする水が(したた)り落ちていたのだ。
僕はすぐさま、その岩壁を登って行った。隙間から奥を(のぞ)くと、その先は灰色の壁になっている事が分かった。誘うような甘い香りに待ちきれなくなって、僕は身体を縮めて隙間を通り抜けた。

灰色の壁は、表面が滑らかで、針で突ついたような小さな穴が無数に開いていて、以前に見た動く壁と良く似ていた。しかし、同時にその壁は、あの奇妙な穴と同じく、嫌な感じのする波動(ちから)を放っていた。
僕は気力(ちから)を外縁に集め、しっかり守りを固めてから灰色の壁に近付いた。
その間にも、灰色の壁に開いた無数の穴は、少しずつ大きくなっていった。それに伴って、穴から(あふ)れ出して来る水量も増え、辺りには濃い精気の匂いが立ち込めていた。しかしそれは、以前、僕達がいた流れの洞窟の水に比べれば、ごく薄いものでしかなかった。

(この壁の向こうが、あの洞窟だという可能性は低いみたいだ。)
そう考えていたところに、遠くからピィー、ヒョォと風声のような音が、(かす)かに聞こえて来た。聞き覚えのあるその音は、高く低く流れて、先へ進むよう促していた。
それは僕達を、卵の生まれる洞窟から流れの洞窟へ、それから次には、流れの洞窟からあの奇妙な穴に通じる通路へと導いて行った音だった。

その音が止んでしばらく経つと、壁の向こう側の空間にひとり、ふたりと、仲間の波動が集まり始めた。それが百、二百、一千と集まると、壁の向こう側の空間はもう一杯らしく、向こうへ行けと言うような威嚇の声が、しきりと聞こえて来た。
その声に押されるように最初の一群が顔を出すと、灰色の壁に開いた無数の穴を通って、大勢の仲間達が次々とこちら側に出て来た。
僕は仲間達の邪魔にならないように結界()を縮小して、岩陰からその様子を見ていた。

仲間達は穴から()い出て来ると、馴染みのない大気を吸い込んだ痛みに、一様に声にならない悲鳴を上げては、次々と下の池に飛び込んで行った。下からは既に、場所を争う仲間達の怒声が聞こえ始めていた。その仲間達は皆、池に残っている仲間と比べると、半分よりも少し小さかった。つまりそれは、出会った頃の仲間達の大きさだった。
(やっぱり。……大きな方は、池に残っていた仲間達だったんだ。)

残っていた大きな方と新たに入って来た小さな仲間達、この池の二つの群れは、こうやって出来たのだな、と思いながら、僕は続々と姿を現す仲間達を眺めていた。
その時、僕の目に見知った模様()が飛び込んで来て、僕は思わず岩陰から飛び出してその仲間に走り寄った。しかし、突然現れた僕の姿に驚いた仲間達は、恐怖の叫び声を上げて、一斉に逃げて行ってしまったのだ。

僕はそれ以上近付くのを止め、元のように小さくなって穴の片隅に隠れた。
(僕のこと、覚えていないのだろうか……?)
離れた所から仲間の飾り尾羽を確認すると、彼は確かに、僕の率いていた群れにいた中間の気力の仲間のひとりだった。仲間達が僕を恐れる事は、これまでに何度も経験していたけれど、かつて同じ群れにいて、二六時中一緒だった仲間の見せたその反応は、取り分け僕を傷つけた。

それから、穴から出て来た仲間の中に、何名も見知った模様を見つけた。だから僕は、彼らが、あの奇妙な穴を通った時に、別れ別れになった仲間達であるという確信を持った。彼らは、三つの大きさに分かれていた仲間達の内、中間の気力の仲間達だったが、皆、別れた頃と比べると、倍の大きさに生長していた。
(僕達が別れた後、彼らがこの壁の向こうで暮らしていたなら、あの奇妙な穴の出口が、そのどこかにあるに違いない。)

僕は池に下りて、新しく入って来た仲間達の記憶を探った。不慣れな環境に混乱している小さな仲間達の核心(意識)は、僕の波動(意思)と容易に同調させる事が出来た。それに、彼らと僕の間には、それを可能にするだけの十分な気力の差があった。
しかし、この仲間達から得られた情報も、以前に池の仲間から聞いた話と全く同じだった。つまり、彼らが記憶していたのは、この壁の向こう側も、僕達がかつて一緒に暮らしていた洞窟と変わらない場所だ、という事だけだった。
彼らの記憶の中には、洞窟の詳細も、仲間の全体数も残ってはいなかった。それどころか、同じ場所で暮らしていた仲間がいた、という記録さえも、彼らの記憶(あたま)からは消え失せていたのだ。

(そんなはずはない。……だって、今この瞬間にも、壁の向こう側には大勢の仲間達の気配がある。それさえも覚えていないなんて……。)
僕は再び、灰色の壁の前に立った。近寄るな、命を失うぞ、と(ささや)くその結界に逆らって灰色の壁に触れると、ぞわぞわと身体の中を何かが()い回るような嫌な感触がした。
その力の影響を受けないように自身の結界を強め、僕は大急ぎでその穴を通り抜けた。

壁の向こう側は、狭い滝壺になっていた。滝壺には、ここから出て行こうとする大勢の仲間達がひしめき合っていた。その仲間達を避けて、垂直にそそり立つ滝を飛び越えると、そこは暗い通路になっていた。そしてそこにも、順番を待つたくさんの仲間達が集まっていた。

僕は仲間のひとりを掴まえて、この場所のことを尋ねた。けれど、その仲間も、やはり念話を使うことが出来なかった。だから僕は、同調音話を使って、仲間の記憶からこの洞窟の情報を読み取った。
確かに、この場所は、以前に僕達がいた洞窟に良く似ていた。ただ、より水の流れは強く、僕達を捕獲しようとするあの厄介な褐色の植物のようなものも、数多く()んでいた。動く枝のようなやつは更に発達して、壁を離れて泳ぎ回るものもいるらしかった。

(それ以前のことは、覚えていないのか……。)
仲間の記憶は、この洞窟の最奥にある流れの穏やかな大広間から始まっていた。同じ方法で他の仲間に訊いてみても、その始まりは、どこからかその大広間に落ちて来た、という事が記録されているだけだった。
(最も大きな気力の仲間は、どこへ行ってしまったのだろう?)
辺りを見渡してみても、集まっている仲間達の気力は皆、ぴったり同じだ。それに、この洞窟での最初の記憶を確認しても、仲間達の大きさに差は見られなかった。

僕はしばらくそこに留まって、池よりも少しだけ濃いその精気を取り込んだ。その間に、カッンという馴染みのある硬い音と、それに続く雨垂れのような旋律が洞窟の奥の方から聞こえた。
(そうだ。もしかすると、今なら……!)
音は僕に、卵達と閉じ込められた狭い空間のことを思い出させた。その結末は、濃い精気の水の中で溶けて消えた灰色の壁の記憶に繋がっていた。それで僕は、灰色の壁があるもう一つの場所のことを思い出したのだ。
その近くで以前、僕は巨大な仲間に出会っている。今思い返してみても、あの仲間は、今の僕よりも遥かに大きかった。

滝壺の周辺に集まる仲間達の数は、当初の半分ほどに減っていた。一体どれだけの期間、灰色の壁が開いているのか、僕には全く分からなかった。ただ、過去の経験から、仲間達の動きと壁の動きは、ほとんど一致していた。だから、残された時間はそれほど長くはないはずだ。
僕は結界の働きに注意しながらも、急いで壁の穴を通り抜け、池から産洞の谷へと出て行った。

勿論、僕が向かっていたのは、あの行き止まりの穴だった。谷には底の方から濃い(きり)が立ち始めていて、視界は悪くなっていた。けれども、何度も周辺を探索していたおかげで、少し時間はかかったものの、穴には迷うことなく辿り着けた。
穴に入ると、予想通りに行き止まりの壁がなくなり、代わりにその巨大な出入り口には、今までに見たことのないくらい強い力を放つ結界が出現していた。

僕は(はや)る心を抑えて、用心しながら結界に近付いた。すると、その結界が揺らいで、内側から大きな仲間が近付いて来る気配がした。
僕は一旦、様子を(うかが)うことにして、穴の隅の岩陰に身を(ひそ)めた。
結界を通って姿を現したのは、僕より二回りは大きい仲間だった。彼はこちらを気にする様子もなく、すぐに穴から出て行ってしまった。
(間違いなく、この結界の向こうに、大きな仲間達の集まる場所がある。)
そう思ったものの、強い力を持つ結界が恐ろしくて、僕はしばらく躊躇(ちゅうちょ)していた。

そこに、大気を(つんざ)くようなシュエーンという鋭い音が響いて来て、驚いた僕は、思わず結界から飛び離れた。それが、僕達の行く先を分けたあの奇妙な穴、そこへ続く滝口を開いた音と同じ音であることを思い出すのに、さほど時間はかからなかった。
けれども、それは同時に僕を(あせ)らせた。この出入り口は恐らく、この時期にしか開かないものだ。記憶によれば、この後に続く同調音話は、早く出て行けと僕達を促していた。だとすると、次の音が聞こえたら、急いでこの入り口まで引き返して来なくてはならない。

辿(たど)り着けるだろうか。間に合うだろうか。戻って来られるだろうか……。)
そんな思いが、次々と僕の頭の中を駆け巡って行く。
(でも、迷っている時間はない。)
僕は思い切って、身体を限界まで小さくした。気力(ちから)を一点に集中させることで、結界の強い力に対抗しようと考えたからだ。結果、その作戦は上手く行った。

結果は、通るものを押し返す力を持っていた。その上、身体の中へと侵入して来て、隈無く検分するような波動(意思)も感じられた。しかし、気力を凝縮させていたおかげで、その嫌な感触が僕の核心に触れる寸前のところで、それをすり抜ける事が出来たのだ。
結界の先は、半分が水に浸かった通路になっていた。僕の予想に反して、その水は谷に立ちこめる霧よりも精気が薄く、加えて、僕がいた池よりも、大きくて重い粒子で濁っていた。

僕はなるべく水に触れないように、その上の空間を飛んだ。途中、通路が低くなって、どうしても水に入らなくてはならない箇所があったが、厄介なその水を掻き分けながら進んで行くと、やがて通路は広い空間へと繋がった。
すると、そこに突然、ドガーンと激しい衝撃が伝わって来て、僕はすぐさま水から抜け出し、空間の上へ飛び上がった。

その場所は、今までに見た二つの池と、ほぼ同じ構造をしていた。 ただ、池の水(かさ)は極端に少なく、元は池だっただろうと思われる広大な窪地の端の方では、所々に水たまり程度の小池が点在しているような有り様だった。
その池の真ん中で、とてつもなく大きな波動が二つ、今まさに争っていた。その為に池の水は激しく波立ち、幾度となく高い水柱が吹き上がっていた。
池にはその他にも、数十の大きな気力の仲間達がいて、遠巻きにその戦いを見つめていた。

僕は、争う仲間に巻き込まれないように、そして、周りにいる大きな仲間達にも近付き過ぎないようにと気を配りながら、慎重にその池を探索した。
すると、窪地の片隅で、僕よりも小さな仲間達が数百、池に広がる激しい波動に(おび)えたように寄り集まって、きょろきょろと辺りの様子を(うかが)っているのに出会った。彼らは全員が、池で戦いを見ている他の仲間達の半分程度の大きさしかなかった。
(彼らはきっと、この池に出て来たばかりの仲間達だ。)
もう一つの池での出来事から推測して、それは十分にありそうなことだった。

僕は試しに彼らに声をかけてみた。だが返って来たのは、やはり警戒と(おび)えの感情だった。だから、僕はそれ以上話しかけるのを(あきら)めた。
代わりに僕は、その辺りを入念に探索して、狭い岩の隙間の先に、もう一つの池で見たのと同じ、灰色の壁を見つけた。その壁には、もうどこにも穴は見当たらなかったが、脅えて一塊になった小さな仲間達が、時々、その壁の方へ波動(視線)を送って来たので、彼らがそこから出て来たのは間違いがないだろうと、僕は思った。

それから僕は、もう一つ気になっていたことを確かめたくて、池の仲間達を見渡した。けれど、何度確かめてもそこには、見知った波動(模様)は見つけられなかった。
(ここにもいないのか。)
やがて、カッ、カッンと乾いた単調な音がどこからともなく聞こえ、それから少し間があって、ドーン、ドーンと突き上げるような音と、大地を踏み鳴らす遠話映像が届いて来た頃、池の真ん中で争っていた仲間達の決着がついた。

負けた方の核心が勝者の核心へと引き寄せられると、敗者の外縁()は霧のように散逸し、湧き起こった微風と共に一瞬だけ、ほのかに甘い精気の香りが鼻をくすぐった。
『はやく、出口へ。はやく、早く。』
呼ぶ声に促されるように、勝った方の仲間は、悠々と池の出口へと動き出した。

呼ぶ声にはすでに、急かすような響きが加わっていた。だから、僕も仲間の後を追いかけて、急いで出口に向かった。けれど、前を行く仲間の大きさは、僕の二倍を越えていたから、その後を追い掛けるのは、かなりの勇気が必要だった。
向こうはこちらを相手にもしないだろうとは分かっていても、余りにも違いすぎるその気力に気圧(けお)されて、ついつい逃げ出したくなってしまうのだ。

ところが、池の出口の近くで、その大きな仲間は急に足を止めた。そこには別の方向から出口にやって来た仲間がいたのだ。それは、目の前に立つ仲間よりも、ほんの少し小さな気力の仲間だった。
『はやく、出口へ。はやく、速く。』
僕の頭は、ここに閉じ込められてしまったら、という恐怖で一杯だった。ここの薄い精気の量では、もう一つの池にいるよりも、生長が遅れてしまうことになる。

彼らはそこで、お互いに(にら)み合ったまま、しばらくどちらも動こうとしなかった。
(こんなことなら、ここに来なければ良かった。)
けれど、どんなに焦っても、目の前の仲間達が動かない限り、僕が出口へ行くことは出来ない。
じりじりと(あぶ)られるような切迫感に、どうしようもなくなった頃、気力の小さな方の仲間が後退して道を(ゆず)り、もう一方の仲間は、ゆっくりと通路を進んで池を出て行った。先の仲間の気配が完全に消えると、残るもう一方の仲間も池を出て行った。

僕は、ようやく空いたその通路を通って、結界の前まで戻って来た。そして、出口がまだ開いているのを確認すると、やっと少し落ち着くことが出来た。
しかし、安心したのも(つか)の間、予想外の問題が、そこには待っていた。
問題とは、結界の働きだった。入る時には何とか通れたその結界の力は、反対の池から出る方により強く働いていて、僕を寄せ付けなかった。
僕は全力を振り絞って、結界を抜けようとしたが、あと少しという所で押し返す力と拮抗して、それ以上先に進むことは出来なかった。

僕は焦った。だって呼ぶ声はせっつくように、はやく早く、と繰り返していたし、何時(いつ)この出口が閉まってしまうのかと考えると、怖くなったからだ。
だからと言って、僕に出来ることは何もなかった。ただ、もう死物狂いに、結界の前でもがいているだけだった。けれど、結界には、核心(コア)に侵入して来ようとする力も働いていたから、その力が手を伸ばして来ると、急いで結界から離れなければならなかった。

そうやって、空しく結界の前を行ったり来たりしている間に、穴は少しずつ狭くなって来ていた。気が付いた時には、穴の大きさは四分の三ほどになっていて、それは見る間に三分の二に、そして半分にまで縮まって行った。
僕はもう、侵入して来る嫌な力のことも忘れて、結界に取り付いた。持てる気力を振り絞り、身体も極限まで縮小して力を一点に集め、必死に結界を突破しようと試みた。

ところが、結界にばかり気を取られていた僕は、その時、間近に迫った仲間の気配にようやく気が付いた。だが、僕よりも二回りは大きいその仲間は、僕の存在など気にも留めずに、真っ直ぐ結界に向かって突き進んで来た。
(ぶつかる……!)

しかし、突然の出来事に仲間を避けることも出来ず、とっさに僕は、本来外に向かっている波動の一部を内向きに変えて、仲間に認識されないようにした。そうすると、外側からは、僕の持つ気力(ちから)の大きさが分からなくなる。仲間達は、同等の力を持つ仲間には意識を向けるが、極めて小さい者には注目さえしない。その性質を利用して、僕は、仲間と争いになる事を避けようと考えたのだ。

けれど意外なことに、そうやって気力(ちから)の出力を絞った途端、あれほど抵抗を感じていた結界の力が遠ざかり、僕の身体は、仲間の警戒線(外縁)に押し出されるような形で、あっさりとそこを通り抜けることが出来てしまった。

僕が相手の警戒線(身体)に触れたからか、それとも直前で僕の姿が消えたように感じられた所為なのか、仲間は結界を出ると、大きな身震いをして一通り身体を確かめていたが、やがて何も見つからないと分かると、穴を出て谷底に向かって下りて行った。

(谷底へ……?)
仲間のその行動は、僕にとって驚きだった。これまで出会った仲間達は皆、池から出ると、すぐに産洞の谷を出て行ったし、以前にここで出会った大きな仲間も、僕とすれ違った後、真っ直ぐに谷の入り口へ向かって去って行ったからだ。

僕は、先を行く仲間を刺激しないように用心しながらも、その後を追い掛けた。不思議なことに、以前ここを探索した時には、谷の上に向かって押し返そうという力が邪魔をしたのだが、今は逆に、谷底に誘導するような力が働いていて、楽に谷を下ることが出来た。谷底が近付いて来ると、濃い精気の匂いが(ただよ)って来て、僕達の足は自然と速くなった。

辺りに立ち込めていた(きり)が、一瞬すっと途切れると、そこに大きな池が姿を現した。
そこには、結界の奥の池から、僕達よりも先に出て行ったふたりの大きな仲間に加えて、その仲間と同じ大きさの者がもう二名、それ以外に、僕が追い掛けて来た仲間と同じくらいの大きさの者が十数名と、全部で二十くらいの仲間達がいた。
そこに集まった仲間達の中では、僕が一番小さかったから、僕は仲間達の様子を(うかが)いながら、そっとその池に入り込んだ。

池の水は、あの流れの洞窟の水よりは薄かったけれど、僕がこれまで過ごしていた谷の中腹の池とは比べものにならないくらい、濃い精気(エネルギー)が含まれていた。
池の周りには、この精気に満ちた甘い匂いに引かれてか、小さな虫から少し大きな小動物まで、たくさんの生物が集まっていた。それはこの世界に来てから、初めて見るような生物の数だった。

この世界にも、こんなに多くの生物がいるのだな、と思って眺めていたら、すぐ近くで鋭い警戒音(吠声)が聞こえて、我に返った。でもそれは、僕に向けられたものではなかった。
それは、僕より二回りほど大きい仲間達、この池では小さい方になるけれど、その丁度同じ大きさのふたりが、場所を争ってにらみ合いをしていたのだ。けれどもそれは、実力行使の戦いには発展しなかった。

彼らよりも大きな仲間、僕と比べたら二倍を越す大きさの仲間が、彼らのいる方へと移動して来たからだ。(にら)み合っていたふたりは、さっとその大きな仲間に場所を譲って、それきり池の別々の場所に陣取った。

どうやら、僕達がいたその場所は、最も生物が集まる場所のようだった。移動して来た大きな方の仲間は、その生物達を興味津々に眺めていたが、数日すると片端から、その生物に変化(へんげ)して遊ぶようになった。そこに集まっていた他の仲間達も同じように、各々、自分の周りにいる生物に変化しだした。

遊ぶ、と僕が言ったのは、その変化の仕方がでたらめだったからだ。仲間達は、小さな虫になって何日も過ごしていたかと思うと、小動物に姿を変えて一時で元の姿に戻ったり、そうかと思うと、数日間何もしないで池に(もぐ)っていたりした。

そうして一ヶ月、二ヶ月と過ぎ、三ヶ月が過ぎると、池の水に含まれる精気の濃度は最初の半分程度になり、池の周辺に集まっていた生物達も、次第に少なくなって行った。更に二ヶ月が経つと、生物の気配は最初の十分の一に減ってしまった。
けれど、その頃には仲間達は既に、そこにいた生物のほぼ全てに変化したことがあったから、もうお手本はなくとも大丈夫だった。仲間達は、最後の仕上げとばかりに、順々と単純な小さな生物から、複雑な小動物へと変化を繰り返していた。

それがある時、ぴたりと止んだと思うと、今度は人形(ひとがた)になった。
それはかつて、半円形の谷の近くで見た仲間の姿とは違って、ちゃんとヒトに見えた。まぁ、身体や腕に毛が多いのは、この際、目をつぶるとして、顔の造作や手足の長さ、姿勢、動きの(なめ)らかさはヒトに限りなく近かった。
けれど、それだけに、瞳の違いが目を引いた。目は僕の記憶にある父や母の姿と比べて、切れ長でつり上がっていたけれど、それよりも瞳に宿る炎のような揺らめく光が、ヒトとは異なる生物だと示していた。

一度、人形に変化した仲間達は、それで満足したのか、それ以上変化(へんげ)を繰り返すことなく、次々と池から出て行き始めた。
そして、僕がここに来て七ヶ月目に入った頃には、池には大きな方の仲間が残っているだけになっていた。
池の精気の濃度は、もう随分と薄くなってしまっていて、池の周りにたくさんいた生物達も、卵だけを残して大半が姿を消していた。この調子で濃度が減少して行くのなら、あとひと月ほどで、ここでの生長も望めなくなってしまう。
(そうなったら、今度はどこへ行けば良いのだろうか。)

確かにこの半年余りで、僕の気力は随分と増えた。何しろ、それまでの間に中腹の池で生長した量よりも、この半年間に蓄えた気力の量の方が多かったのだから。それでも、僕の器は、まだ半分の半分も満たされていなかった。
(一体、あとどれだけの気力が溜まれば、成竜(おとな)になれるのだろう……。)
僕はこのところ、そればかりを考えていた。しかし、いつもは明確な答えを返す核心(コア)の記録も、この事に関しては、時が来れば分かる、という曖昧(あいまい)なことしか教えてはくれなかった。

それから十日ほどが過ぎると、残っていた仲間達は皆、一斉に池を後にした。
僕は迷ったが、結局、ひとりで池に残ることにした。仲間達がこれからどうするのかにも興味はあったけれど、池の精気はまだ、他の場所よりも僅かに濃くて、僕は少しでも多くの精気を取り込んで生長することを優先したのだ。

更に二ヶ月も経つと、池の水は急激に減少し、含まれる精気も、谷に立ちこめる霧と同じ濃度になった。なので僕は谷底の池を出ることを決め、仲間達を探すことにした。

『暁蕣花の咲く処』』(ある子竜の物語)第4章〈1〉 ~フラットアース物語②

『暁蕣花の咲く処』』(ある子竜の物語)第4章〈1〉 ~フラットアース物語②

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-09-03

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