流行

流行にはきりがない。誰かが身体と精神をすり減らして、血のにじむ努力で形にした代物も流行にとって有用かいなかでその質が変化する。
観測にはきりがある。問題はいつきりがついたかという事だ。日常には俗世間なりの苦痛が伴うものだ。日常の苦痛をあがなうためのものは未来において、さらに何が何だかわからない代物に変化した。
ある球体がある。その球体は子供の知育のために使われたもので、単純な言葉が連なるものだ。あるバーのマスターがそれを、子供との会話に使っているといって客に見せた。だが客たちは、その言葉の理解を争った。自分の時代はこうだった、自分の時代と今は違う。たとえば幼児語の解釈やその言葉のニュアンスが時代によって少し変遷をたどったとして、大人が正確に解釈するすべはないかもしれない。その上酔っ払った客たちはくだらない口論を1時間ほど続けてバーのマスターは飽き飽きとしてしまった。ついに1時間30分、それを客から、閉店間際という嘘を言って取り上げてしまった。客たちは何を想ったか、もうそれで喧嘩はふとやめて、全然くだらない下世話な話で盛り上がり始めた。
まさか子供の遊び道具としてつくられたものが、大人がそしりののしりあうために使われるなだとと誰が予測しただろう。いや、子供にとっていい教訓かもしれない。まあ、控えめに言えば。

流行

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-09-02

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