『暁蕣花の咲く処』(ある子竜の物語)第3章〈1〉 ~フラットアース物語②

第三章〈(ちゅう)
丑……云果及時。閉殻内充而窮致。内収者之縮集而待発時。


〈1〉

天井に開いた暗い穴の中には、(ゆる)やかな風が吹いていたから、翼をいっぱいに広げて、風に押し上げられるままに上って行った。
そうしている間にも、そこに満ちた濃い精気(エネルギー)を吸収して、身の内の気力(ちから)が少しずつ増えて行くのが感じられた。

洞穴は、進むにしたがって少しずつ狭くなり、そして、突然に行き止まりになった。
けれど、風は、まるで障害物などないかのように、真っ直ぐに行き止まりの天井へ向けて流れていた。
その天井は、周りの壁と少しだけ違う色をしていた。近寄ってよくよく見ると、違うのは色だけではなかった。周りの壁よりも(なめ)らかなその表面には、無数の小さな穴が開いていて、風はその穴を通って、壁の向こう側へと流れていたのだ。

一通り穴の中を探索して、天井にも岩壁にも、小さな隙間ひとつないことが分かった。
そうこうしている間に、風に運ばれた卵が一つ二つと穴の中に流れ込んで来た。卵は行き止まりの天井近くでふわふわと漂いながら、紅い光を(またた)かせていた。中の生き物が動きまわる度に、卵殻は、今にもはち切れそうに伸びたり縮んだりしていた。

(もうすぐ、此処に。はやく……此処だよ。……早く。)
卵の上げる待ちきれないという波動(こえ)に誘われて、次々と卵達が穴の中に入って来ると、辺りはたちまち卵で一杯になった。
このままここにいると、卵に埋めつくされて、身動きが出来なくなってしまいそうだった。
ここに出口がないと分かった以上、この場所に(とど)まる意味はなかった。だから今度は、風に逆らって穴の外を目指した。

しかし、流れに逆行して飛ぶのは、考えていた以上に大変だった。風に運ばれて流れ込んで来る卵達を、避けながら飛ばなくてはならないのに加えて、下に行くにつれてその流れが激しくなり、先へ進むことが難しくなったからだ。
周りに群がる卵達は、楽しげに此処だよ、と(ささや)いていたが、今回ばかりは、それも(いら)々の元にしかならなかった。

何度も風に押し戻されそうになりながらも、ようやく穴の入り口へと辿(たど)り着いた時には、 これでやっと広い洞窟に出られると安堵(あんど)した。
(この穴を出たら、今度は、風の入って来ている場所を探してみよう。)
普段、この洞窟には風が吹かない。だから、風が吹いている今なら、この洞窟が外と(つな)がっているのではないかと思ったのだ。

(風の出口が閉ざされているのなら、風の入り口を探すしかない。)
そんなことを考えながら、穴から洞窟へと一歩出た。と思った、その途端(とたん)、ぐっと後ろから引っ張られる感じがして、身体は穴の中へと戻されていた。
初めは風に押し戻されたのだと思った。けれど、風の合間を見計らってもう一度穴の外へ出ようとすると、丁度、洞窟との境目で、さっきと同じように後ろへ引き戻されそうになった。

なので、そこまでは卵達の邪魔にならないようにと(たた)んでいた翼を、その境目で大きく広げて勢いよく羽ばたいた。すると今度は、無事に洞窟の中へと飛び出すことが出来た。
風は強弱を繰り返しながら、卵の群れを穴の中へと追い込んでいた。その風に向かって、上を目指して飛び続けた。
(それとも、下を目指して、と言うべきだろうか?)

感覚では、上に向かって飛んでいるのだが、実際に向かっている場所は、これまでずっと洞窟の底だと思っていた方向だった。それは、とても奇妙な感じだった。
洞窟へ飛び出す時に感じた引っ張る力の原因は、重力の変り目だったのだ。入って来た時にはなかったはずの力場の境目が、そこに存在していた。
風に運ばれて集まって来た無数の卵の間をくぐり抜けながら、穴の入口の辺りを、気味の悪い思いでそっと振り返った。

集まった卵達は一体どうなってしまうのだろう、一瞬そんなことが頭に浮かんだ。だが、一段と強い風の波が卵と一緒に押し寄せてきて、その考えを押しやった。
(そうだ、この風のある間に、出口を探さなきゃ。)
卵の群れから何とか抜け出すと、後は、何もない暗朱色の空間の中を、ひたすらに風に向かって進み続けた。

ところが、その途中、まだ洞窟の高さの半分にも達していないだろう所で、思いもよらない足止めをくらった。唐突に現れた巨大な壁が、行く手を(さえぎ)っていたのだ。
その壁、それとも天井と言おうか、とにかくそれが、かなりの速さでこちらに近付いて来ることに気がついて、(あわ)てて飛ぶ速度を緩めた。

ぐんぐんと近付いて来るその壁に追い立てられるように、今度は、もと来た方向へ飛ぶはめになった。そうしながらも、壁の向こうへ抜ける道はないものかと、必死に探した。けれど壁には、滑らかな表面に、針先で突ついたような細かな穴が無数にあいているだけで、他には少しの隙間も見つからなかった。
それは、さっき天井の穴の最奥で見た壁とそっくりだった。同じようにここでも、その壁を通って風が吹いて来ていた。

その風に乗って、聞き覚えのある声がもう一つ、壁の向こうから聞こえて来た。
『早く此処においで。閉ざされる前に、はやくここへ。』
それは、洞窟の反対側から聞こえて来る声と良く似ていた。違うのはただ、声の指し示す『ここ』と言う場所だけだった。この声は洞窟の底を示していたし、反対側の声は天井を指してした。

二つの声は、お互いに呼び交わすように響いていた。
『早くここにおいで、此処へ世界の果てへ。閉ざされる前に、早く出口(そと)へ。』
声が呼ぶ度に、動く壁の速度は少しずつ早くなり、それに反比例するように、風は弱まって行った。風が弱まったおかげで飛ぶのは楽になったが、壁の速度が上がった分、出口を探すのは難しくなった。
壁の速さについて行けなくて、危うく接触しそうになったからだ。

とうとう洞窟の天井……今は下にあるから底と言うべきかもしれない……が見えて来た頃には、壁の動く速さは更に増して、全速力で飛び続けていないと追いつかれる状態になっていた。
もう出口を探している余裕なんて全くなかった。頭にあったのはただ、あと(わず)かでも壁の速度が増せば、壁に叩き付けられてしまうという恐怖だけだった。

だが幸いにも、動く壁は、洞窟の底……元の天井近くへ来ると、その速度を緩めた。その代わりに、四方の壁が中心へ向かって、ぐっと縮んで来たのだ。
そうやって追い立てられて、とうとう卵達の集まる穴まで戻って来た時には、迫り来る壁は、半球状になっていた。

大気は、もう全く動かなかった。
卵達と一緒に、次第に穴の中へと追い込まれて行きながら、ゆっくりとした動きになったその壁に取り付いて、それを押し返すことはできないものかと試してみた。
しかし、壁は体の下で、僅かに(たわ)んだだけだった。知覚を拡げて壁を探ってみると、それは、思ったよりも随分と薄いことが分かった。

壁の向こうでは激しい風が吹いていた。けれど、磨かれたように滑らかな表面をしたその壁には、隙間ひとつなく、こちら側には、少しの風も流れて来なかった。
さっき見た時には、無数に開いていたはずの小さな穴も、今はすっかり見えなくなっていた。

そうやって足掻いてみたものの、結局、じりじりとその壁に押し付けられるようにして後退して行く以外に、何も出来なかった。
今や、卵達で満杯になった穴の中は、酷く狭かった。卵達もぎゅうぎゅうに詰め込まれて、不快を(あらわ)にしていた。それでも、壁はまだ動きを止めなかった。

そんな状態で、隣の卵達を潰してしまわない為には、こちらが結界を収縮して体を縮めるしかなかった。次第に迫って来る壁の動きに合わせて、結界を縮め、出来る限りに体を小さくし続けた。けれども、それでもまだ足りなくて、最後には、破裂してしまうと思うくらいまで体を縮めた。

しかし、これほど窮屈な状態なのに、卵は全く大きさを変えなかった。
いや、きっと卵殻に収まっている今の状態でも、卵の中のものは、限界まで凝縮しているのだろう。こうやって限界まで波動(からだ)を小さくしてみると、卵と自分では、ほぼ二倍くらいの気力(エネルギー)の差……あぁ、身体の大きさの話ではなく、あくまでも気力の差の話だ、になることが分かった。

もう、とにもかくにも、そんな暖気(のんき)なことでも考えて、気を紛らわさないことには、苦しくて仕方がなかったのだ。
卵達が、押し付けられる力に耐えきれずに、一斉に、はち切れそうな悲鳴を上げた。
その時、カッとあの澄んだ硬い音が聞こえた。
その音に反応するかのように、穴の入り口を塞ぐ壁の動きが、ようやく止まった。

同じ調子を繰り返すその鋭い音が途切れると、長い沈黙が訪れた。もう、息をする僅かな動きでさえも、身体は、加えられる圧力に耐えきれずに、弾けてしまいそうだった。現に、周辺にいる卵達の殻の表面には、薄いひびが入りはじめていたのだ。
それは、たいして長い時間ではなかったのだと思う。けれどその時は、永遠に続くのかと思われた。


やがて、ティン、トゥンと、雨粒が落ちるような響きが聞こえた。そして、雨が(にわか)に勢いを増すように、音は次々と連なり、たちまち一つの旋律となって流れ出した。
ふっと、風が通り抜けた気がして上を見上げると、岩壁を伝って小さな水滴が(したた)り落ちて来るのが見えた。その水滴からは濃厚な、今までに出会ったことのない濃い精気の匂いがした。
小さな水滴は、見る間に一筋の流れとなり、すぐに大粒の雨となって降り注いで来た。穴の底は見る間に、流れ落ちて来たその水のような精気で埋め尽くされた。

それと同時に、押し付けられていた力が弱まり、上の方から、卵達のあげる歓声が聞こえた。しかし、その歓声の意味を聞き取る前に、あっと言う間に、穴の中に満ちて来た濃い精気の水に押し上げられて、穴の外へと滑り出ていた。

そこは無数の卵達が、それぞれの存在領域(パーソナルエリア)を確保しても余裕があるくらいに、広い空間になっていた。そして、その広い空間全体を、濃い精気の水が満たしていた。
出て来た穴を振り返ると、穴の天井だった場所の上に、浮かぶようにして残っていたあの不思議な壁が、溶けて消えて行くのが見えた。

流れるような旋律は、まだ続いていた。
その音と一緒に、幾つもの花を連ねた長い紐飾りを持った舞い手の映像が見えた。飾り紐の先には、大きな水滴状の紅い玉石がついていた。その玉石を揺らしもせずに、躍り手はゆっくりと舞っていた。
時々、ぴたりと動きを止めた舞い手が、鳥の(くちばし)のように(すぼ)められた手先をくるりと(ひるがえ)すと、水滴状の玉石が大きく揺れた。

突然、その揺れに刺激されたかのように、辺りを埋め尽くしていた卵達が、次々と弾け出した。とっさに体を小さくして結界を強め、身を守る体勢を取った。
けれど、しばらく様子を見ているうちに、それは卵が弾けたのではなくて、卵の中の生物が、卵殻を破って出て来たのだと分かった。

卵から出て来た生物は、はじめ原体(プラズマ)のような淡い朱色の波動(からだ)をしていた。けれども、やがて、洞窟の中に満ちた濃い精気を吸収して、しっかりとした実体を現した。
同族(なかま)だ!)

稲妻のようにその言葉が浮かんで来た途端に、喜びとも恐れともつかない震えが身体を貫いた。卵を見た時に、どうしてあれほど浮き立つような気持ちになったのか、その理由がようやく分かったからだ。それと同時に、全く異なる生まれ方をした目の前のこの生き物と自分が、全く同じ姿、同じ能力を持った同族であると言う事実に困惑もしていた。

口先の長い顔立ちに、紅い炎のように輝く虹彩をした丸い瞳と、小さな尖った耳。頭の冠毛と首を縁取る飾り毛は、まだ発達してなくてちょっと情けない感じだ。
けれど、全身は短くて細かな淡い朱色の毛で覆われていたし、そこから伸びるすらりとした四肢の小さな五本の指には、もう鋭いかぎ爪が生え(そろ)っていた。
加えて、ふさふさとした尾の長い毛の間からは、二本の飾り尾羽の紅い色も見え隠れしていた。

それは、僕達の言葉で『フェリル』(赫炎、瞬く紅き光)と呼ばれる一族の特徴だった。それとは別に、ヒトは我々の種族を指して〈翼竜族〉と呼ぶのだ、と頭の中の声が教えてくれた。
その理由であり、一族の最大の特徴でもある大きな翼は、生まれたばかりの稚竜達の背中に、根元だけ朱色を(のぞ)かせている以外は、まだ透明で、はっきりとした実体を成していなかった。

生まれたての稚竜達は、夢の中でまどろんでいるようだった。時折、目を開けてぼんやりと辺りを見回すような仕草をしたかと思うと、再び身体を丸めて目を閉ざした。
そうしている間にも濃い精気を取り込んで、その身体は生長し続けていた。

その内に、背中の翼がはっきりとした形を持つようになると、稚竜達の様子も変わって来た。目覚めている時間が長くなって、盛んにおしゃべりをするようになったのだ。とは言え、その大半は、意味をなさない独り言のようなものだった。
中には気の早い者もいて、まだ生長しきっていない淡い朱色の翼を広げて、羽ばたく練習を始めたりしたものだから、辺りは急に騒がしくなった。

けれど、そんな光景をのんびりと眺めていられたのは、ほんの短い期間だった。
きっかけになったのは、またもやあの澄んだ硬い音だった。カッと硬い音が響くと、洞窟を満たしていた精気(エネルギー)の水が僅かに揺れた。

カッ……カッ……カッン、カッ。
音は、もはや聞き慣れた調子を刻んで、濃い精気の水に満たされた洞窟の中に響き渡った。
幾度か同じ調子が繰り返されて、いつものように、唐突にその硬質な音が止んだ。稚竜達も静まり返って、事の成り行きをじっと待っていた。

ふわりと体を持ち上げられたような感覚があって、それから、音が聞こえた。
音は今までに聞いたこともない奇妙な音だった。強いて言えば、虫の羽音のような音と言えば良いのか、ファアン、フォオンという音が高く低く、数十も重なり合って響いて来たのだ。

音は強弱をつけて立ちのぼり、それに伴って精気(エネルギー)の水を微細に揺らした。揺れは身体の中を通り抜けて、くすぐったい感情を呼び起こした。泡が弾けるように、稚竜達は、小さな笑い声を上げた。あちらからもこちらからも、笑い声が起こって、洞窟の中に響いた。

『ソハコレ翼、ソハコレ輪、ソハコレ風、ソハコレ波、ソハコレ炎、ソハ律ナリ……。歓天喜地、旋乾轉坤。其充溢坤元、運天行。其湧出萌芽化花、其騰躍閃電照破。』
知らず、稚竜達は背中の翼をいっぱいに広げていた。僕自身も翼を広げて来たる時を待っていた。
音が止むと同時に、大きな波が押し寄せて来て、僕達は一気に洞窟の中から押し出された。

『暁蕣花の咲く処』(ある子竜の物語)第3章〈1〉 ~フラットアース物語②

『暁蕣花の咲く処』(ある子竜の物語)第3章〈1〉 ~フラットアース物語②

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-08-24

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