茸束

茸束


 当たり前のことだが、国によって習慣の違いはたくさんある。生活の中で男が女に対して気持ちを表現する方法の違いは大きい。その昔、日本の男は女性に対しておずおずと近寄る傾向にあった。一方多くの女性は受身であったといっても過言ではないだろう。すべてとは言わないが今の日本の男の子たちの動きを見ると、欧米化しているのだろうか、女性に対し直接的である。女の子も然りである。
 若い頃、仕事の関係でハンガリーのブタペストに半年いたことがある。土曜日の夕方、駅の広場にたくさんの花売りがでて、色とりどりの花を所狭しと並べていた。
 日本では花などを家に買って帰るなどということをしたことがない。ところが、ハンガリーでは、夕方になるとむくつけき大男が小さな花束を買って帰る姿を何度も目にした。週末には奥さんに花を買って帰る習慣があるということを、ハンガリー人から聞いた。
 おそらく、そのような習慣は、ヨーロッパでは当たり前のことかもしれない。日本でも感謝の意を花束で表す習慣は昔からあった。母親に先生に、何かの時には花を贈り意を伝える。
 物を相手に贈って、気持ちを伝えるには花は確かに適している。きれいな物をもらった人は女性だろうが男性だろうが気持ちが柔らかくなる。人間の発達している脳の働きは緊張に満ちており、そこに気持ちを安らぐ物が必要になる。きれいな贈り物はその役割をもつ。ストレスを和らげる。
 花の次はなにだろう。食べ物だろうか。バレンタインデーに女性が男性にチョコレートをおくるという宗教から発した西欧の風習は、日本では商売にとりこまれてしまって、本来の意味とは関係なく男女間でやり取りされている。食べ物も幸せ感を生じさせるものだ。
 しかし、こういったことは人間でなくてもやっていることなのである。雄の鳥が雌の気を引くため、食べ物をとってきて前に置く、きれいな家を作り誘う、それに対しこれなら気持ちのよい生活をおくれるとみこんだ相手を雌は選ぶ。それを考えると、食べ物より花は精神的なものに訴える、より人間的な贈り物といえるのかもしれない。
 日本での贈り物は、盆暮れの届け物から始まって、結婚時の結納などの風習、さまざまな社会現象にとして定着している。世界でもそうであろう。
 
 私は日本と海外の人の考え方の違いについて興味をもっているもの書きで、そういったことを雑誌に掲載している。
 数日前、旅の雑誌社から、日本人の男性から女性への贈り物、女性から男性への贈り物について、海外と比較して考察して欲しいと依頼がきたところである。
 海外を旅するとあたらしい考え方に驚くことがある。たとえば、ある花に対し海外と日本、男女での見方の違いであったり、犬猫へ考え方の違いであったり、着るものたいしての思いの違いなどである。育った環境や男女により一つの物に対してずいぶん違った思いを持つものかと、そういった現象に興味をもったことは何度もある。
 世界と日本の男性と女性のお互いのコミュニケーションのとり方はずいぶん違うだろうし面白いテーマである。ただ、まとめるのには相当時間を必要とする。その編集者の話では、いつまででもいい、できたときに、単独で掲載するか、特集を組むか相談するということなので引き受けたのである。

 私は深大寺に住んでいる。その日は、夕食を外で食べるつもりで調布の町中にでた。ありきたりの食堂で定食を食べ、ぶらぶら歩いていると、路地の奥に何軒かの居酒屋が目にとまった。入ったことのない路地である。
 歩いてみると、予想外にこぎれいな店が並んでいる。一番手前の左側にはおでん屋、カウンターには三人ほど腰掛けている。右手前には焼鳥屋である。どちらも定番だ。左側二番目は割烹着の太った女将さんが、カウンターの客と何か話している。お袋の味で一杯といったところである。
 その向かいは逆に、若い化粧の濃い背の高い女が、カクテル風の飲み物を提供している。店の中も、サイケ調の光で満ちている。一番奥には洋酒の店とワインの店が向かい合わせにある。
 私は角のソーダ割りでも飲むつもりで、「森」と書かれた木の看板を掲げた店の木製のドアを押した。入ってみて驚いたのは、カウンターが黒光りのする一枚板でできており、棚からすべて無垢の木で造られていた。暖かい明かりが店の中を満たしており、ウイスキーの香りがほのかに漂っている。棚にはシングルモルト類がきれいに並べられていて、ちょっと見ただけでも相当のコレクションであることがわかった。
 店には客が誰もおらず、そればかりかカウンターの中にも人がいない。
 どうしようかまよっていると、入り口の戸が開いて小柄の女性が入ってきた。客かと思っていると、彼女は私を見ると微笑んで、
 「ごめんなさい、今日はちょっと遅れてしまったの。今食料調達にいってきたのよ」
 そう言いながらカウンターの中に入っていった。
 私が立ったままでいるのを見ると、笑いながら私を見た。
 「どうぞ、お好きなところに座ってくださる、初めてのお客さんね、こんにちわ、よろしく」
 色の白い小さな手で、おしぼりを私の前に差し出した。
 「なにになさいます」
 大きな目で私をみた。年の頃にすると四十ちょっと手前だろう、ショートヘアーのかわいらしい感じのする女性である。
 「のどが渇いているので、最初はビールをいただこうかな」
 そういうと彼女はギネスをだしてきた。
 「これしかないの、よくて」
 「もちろん、ギネスは好きですよ」
 「うちは、ギンギンにひやしてありますの、コールドギネス」
 彼女はコップになみなみとついだ。
 一口飲んだ。冷えたビールがのどを通過する。うまい。
 「いつもビールですの」
 「いや、いつもとはかぎりません」
 「そう、なにが一番お好きなの」
 「そのときの気分かな」
 「ここにいらっしたと言うことは洋酒のほうがお好きね」
 「そうですね」
 彼女は棚から一本の茶色の瓶をとると、何もいわず、すーっと私の前に置いた。
 ラベルは今まで見たことがない。といっても、ウイスキーのことをよくしているわけではないので、見たことがないのも当たり前かもしれない。
 「これ、日本のですの」
 彼女が言った。最近、日本のウイスキーは世界的レベルに達しており、いやそれ以上の評価もあり、いろいろな賞を獲得している。それだけではなく、個人的なブランドで名前を知られているものもある。そんなことを口にすると、
 「イチローのことですか」と彼女は聞いてきた。
 イチローは個人のブレンダーでとても人気がある。私がうなずくと、
 「あれももう有名ブランドね、これは、本当に個人の人が作っていますの、自分で飲むためにね、私の店と、もう一つ、彼の妹が北海道でやっているお店にしかおろしていないの」
 それはいい。
 「それじゃ、ストレートで」
 彼女はなれた手つきで、ショットグラスより少し大きめのグラスに、計りもしないで注ぎ、私の前に置いた。
 ウイスキー用のチューリップ型のグラスではないが、とても優雅な曲線を持った、透明度の高いグラスである。アンティークかもしれない。小金色のウイスキーがきらきら光っている。
 「そのグラスはクオーツよ」
 それを聞いたとき、クオーツが水晶のことだとすぐには頭にひらめかなかった。
 「これも、そう」
 チョーサーを私の前に置いた。
 水晶でできた小さなビーカーをみたことがあるが、透明度が非常に高い。
 ウイスキーを口に含んだ。
 芳醇である。昔、グレン、ユーリーロイヤルと言うスコッチを飲まされたことがある。もう蒸留所の存在しない香りのデパートと評された貴重なウイスキーである。それに似ている。
 「おいしい、いろいろな香りがする」
 「よくおわかりになりますね」
 彼女は、きれいな透明の皿に丸っこいチョコレートを瓶からとりだすと並べた。アーモンドチョコレートのような形をしている。
 「ウイスキーに合いますの」
 「スイスですか」
 「いいえ、日本のです、こちらから、順番に食べてみてください、味がちがいます」
 端のものをつまみ口に入れた。チョコレートの中に入っている物はナッツ類ではなく柔らかい。口の中にチョコレートの香りと、草っぽい香りがただよった。確かに、このウイスキーにあう。ウイスキーを飲み、またチョコレートを口に入れた。今度はどこかで嗅いだことのあるような香りが漂った。味の良いチョコレートである。
 「そのチョコレート、このウイスキーを作っている人が作っているの、そのウイスキーのために」
 「そんな人が日本にはいるんですね、どのような人なのですか」
 「私の兄よ」
 「でもその人の妹さんは北海道でお店をしているとおっしゃってた」
 「私の妹よ」
 そうか、そんなことを聞くまでも無いであろうに、自分の頭のまわらないのに恥ずかしくなる。私は苦笑いした。
 「お兄さん、趣味でウイスキー作っているわけではないのでしょう、二つのお店だけではやっていけないものね」
 「まあ、作った物はみんな、外国の人が持っていってしまいますの」
 「ウイスキーとチョコレートを造るとは、すごいな」
 「チョコの中が何かおわかりになって」
 もう一つチョコレートを口に入れた。おやっともった。まさかとは思ったが、もごっと言ってみた。
 「松茸の香りに似ている」
 「そうよ、松茸が入っているの、杏茸、香茸、編傘茸、松茸よ」
 「茸入りチョコレートとは珍しい」
 「私たちの住んでいるところは、昔のことだけど、好きな人に茸を採ってきて贈るということをしたの」
 それを聞いたときに、私はどきっとした、これだ。これはいい記事になる。
 「そう言えば、ママの名前きいていなかったけど、なんとおっしゃる」
 「私、森女」
 「もりめ、ってどうかくのかな」
 「もりにおんな」
 「珍しい、それで、どこの出身なんです」
 「ここ、新宿よ」
 「その、茸を贈るっていうのも、ここ新宿のことですか」
 「そう、大昔、このあたりは野原でしたのよ、ここに住む者たちは、春と秋に祭りをしました。豊穣を願う祭りと、収穫を祝う祭り、そこで女は茸を探してきて束ねると、好きな男性に贈るの」
 「どうして茸なのだろう」
 「茸は栄養があって、薬にもなるし、相手の健康を祈願する意味があるの」
 「なるほど、新宿にはもうそんな習慣はないのだろうけど」
 「そうね、知っている人もいないわよ」
 「ところで、お兄さんはどこでこのウイスキーを造っているの」
 「檜原よ、山奥で好きなように暮らしています」
 「実は、私は物書きだけど、お兄さんに取材にいけないかしら」
 「さー、それは無理だと思います、人に会うのを極端に嫌うので」
 「そうか、それは残念だけど、記事にこのウイスキーのことを書いていいかな」
 「ええ、でも、売っていないと書いてくださいますか、ここで飲むことはできます」
 「はい、このお店のことを書かしてもらいます。すてきだ、ママもね」
 「あら、はずかしい」
 ママは、大きな目を私に向けて、本当に赤くなった。
 そこへ、二人の男と二人の女が入ってきた。
 「いらっしゃい」
 四人は私の隣に腰掛けた。常連のようである。
 隣に腰掛けた女性が私に軽く会釈した。何となくママに似ている。
 男の一人がママに言った。
 「ママ、昨日、森(もり)良(ら)と会ったよ、久しぶりにね」
 「檜原に行ったの」
 「うん、木材の調達にね」 
 「私たちも行ったのよ」
 私の隣の女が言った。
 「そう、兄は元気だったかしら、久しく会ってないけど」
 「元気だったよ、相変わらず頑固にウイスキーとチョコレート作りに精を出していたよ」
 そのとき、私はママに向かって口を挟んだ。
 「お兄さんと会える人もいるんだね」
 ママは私の方を向いてにこっとした。かわいい。ちょっとドキッとする魅力だ。
 「ええ、この人たちは、兄の同級生なの」
 四人は私を見て会釈をした。似た感じの四人組である。
 「この方は、物書きの方、兄に会いたいとおっしゃるの、でも無理だと思うの」
 「そうですね、あいつに会えるのは我々ぐらいでしょうね」
 「残念だなあ、そのウイスキーとチョコレートを作る現場を見たいと思ったけど」
 「あいつは、イギリスにモルトを買い付けに行って、自分の口に合うブレンドウイスキーを作っているのじゃないのですよ、工場って言うより、高校の化学実験室のようなところで、本当に理科の実験に使うような器具をつかって、蒸留して、それが入った樽を山の穴の奥にしまって、十年経つと瓶に詰めるということを楽しんでいる。それに、奥さんと一緒に、ちょっと変わったチョコレートを造っているのです」
 「それで暮らしがなりたつんですか」
 女の一人がそれに答えた。
 「森良は、そのあたりの地主さんだから」
 ママが「兄はここの土地を売って檜原に越したの」と口をはさんだ。
 「今のお話を書いていいですか」
 「ええ、でも、兄の名前はださないで、そのかわりもう一つお話をいたしますわ、兄の奥さんは、茸の束を兄に贈って求愛したのです」
 「お、それはいいな、すごい話になりそうだ」
 「それで、兄は茸の入ったチョコレートを作りだしたの、兄のウイスキーに合う味のすばらしいチョコレートができたわ」
 「森女さんもご主人に茸の束を贈ったのではないのですか」
 私は冗談混じりにたずねた。彼女はかわいらしいエクボを寄せて私を見た。
 「私はまだ、一人、そう言う人が現れたらそうしましょう」
 その晩はかなり遅くまで彼らと話を交えながら飲んだ。

 あれから一週間がたった。日曜日の朝に私は原稿をしあげた。タイトルを茸束とし、独り身の女性が、茸の束を好きな男性に贈る風習が、新宿にあったことを、聞いた話としてまとめた。それを話してくれた女性の兄のウイスキーとチョコレートの話、その奥さんが茸の束を女性の兄に贈ったことから、茸入りのチョコレートが誕生したことを、半分フィクションで書いた。
 書いたものをインターネットで旅行の雑誌をだしている出版社に送った。
 すぐ返事がきて、こういう面白い記事は、まず単発ものとして雑誌に載せるので、またできたら送って欲しいとあった。
 夕方、また新宿にでた。「森」に行きたくなったからだ。ところが、横丁にはいったのだが、あったのはおでんと、焼鳥屋、お袋の味に、現代女の店があっただけで、「森」がない。
 場所を勘違いしているのかと思い、そのあたりを探し回り、とうとうみつけることができなかった。夜も遅くなり、家にもどるとしかたなく、手持ちのウイスキーを飲んだ。
 明くる朝、新聞をとろうと玄関を開け、門のところにいった。
 門の前にころっとした動物がいる。
 狸だ。茸の束をくわえた狸が私を見ていた。
 狸はふーっと二本足で立ち上がった。
 狸は森女になった。
 手には茸の束があった。それを私に差し出した。
 彼女の大きな目が私を見た。私は彼女の手を取って家に招き入れた。
 今まで独り身だった私に永遠の伴侶ができた。
 今、私はチョコレートを茸にまぶしている。造り方を森女が教わってきた。それに、彼女の兄が造ったウイスキーがある。これから兄の森良、奥さんの森美、それにバー「森」で会った森良の同級生達が我家に遊びに来る。みんなそのままでいいよと言ってある。人間の世界で形を変えて生きるのは疲れるだろう。
 これからテーブルには七人の狸が席について、私と一緒に食事をし、話をし、ウイスキーを飲んでチョコレートを食べるのである。
 夢のようだ。

茸束

私家版 第十三茸小説集「珍茸件、2022、一粒書房」所収
茸写真:著者: 秋田県湯沢市小安 2017-9-19

茸束

新宿の路地の「森」というスナックのママの話では、大昔この辺りで収穫祭が行われるとき、女は茸を束にして好きな男にプレゼントするという風習があったそうだ。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 青年向け
更新日
登録日
2019-08-16

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND