僕たちに傘はない

石田大燿

僕は彼に会いに来た。
弁護士でもないし、友人でもない。彼に興味があったわけでもない。
手紙が来たのだ。会いたいと。何故会いたいのか、何も書いていなかった。
僕は生まれて初めて刑務所の中に入った。シマウマの模様みたいに見事なモノクロだった。生活の音もしない。僕の靴が地面を噛む音、すこし前を歩く看守の腰に下がった幾つもの鍵が、じゃらじゃらと音を立てる音、それ以外、何も音はしない。
囚人たちは一様に机に向かって何かを組み立てていた。
ドライバーとピンセットを使って、手術台の上の照明みたいに煌々とライトスタンドが光っていて、まるで何かの蛹のようだった。
看守は立ち止まり、迷うことなく一本のカギを腰から抜き取り、鍵穴に差し込む。
「面会室とかはないんですか」
「独房ですから」
そう言ってドアを開ける。

彼は無心に指を動かし続けていた。
十分間だけ、という説明が、入る前にあった。そこまで話が続くか、僕は不安だった。

シマウマみたいな服を着て、彼は机に向かって背中を丸めていた。

「いや、どうも」
明るく朗らかに、彼は握手を求めてきた。
到底信じられない。
人ひとり殺した男には到底見えない。
もっとこう、何処か根拠のない自信に満ち溢れているのかと思ったら、まるでそんな感じはない。むしろふいに被害者が飛び出してきて、偶然轢いてしまったという塩梅。
しかし、証拠も根拠もあって逮捕されたわけだから、間違いなく犯人なんだと思う。
「初めまして」
 「何故僕を呼んだんですか?」
 「嫌だな、遠い親戚じゃあないですか」
 「僕とあなたが?」
 そうですとも。そうはっきりと言われてしまって、僕は何も言えなくなった。
 なぜそうしなければならなかったのか、そういうことを、こうなれば聞いてみようかとも思ったが、何も言えなかった。
 「そう言えば君は、カブトムシが好きでしたね」
 ええ、と僕は汗をハンカチで拭き、答えた。
 「もう飼ってはいないんですか?」
 「最近は駄目ですね。虫はどれもこれも、すこし怖い」
 僕は少し拍子抜けしてしまった。ハンニバルみたいな諸悪の権化みたいな人なのかと思っていたが、そうでもない。休日には家の前で草を刈っていそうな雰囲気さえあった。
 「あれは、あなたがクワガタをペットショップで買ってきた時の事ですよ。カブトムシの雄を一緒の虫かごに入れて、その次の朝に虫かごを見たら、カブトムシが死んでいたってことがあったでしょう」
 僕はその後、クワガタを山に帰した。それから、どうしても虫が嫌いになった。
 「僕は罪を許してほしいと思った」
 「許すも許さないもないでしょう。あなたに罪なんてないんですから。書面上はね」
 僕は頭をごしごしと擦った。火山から火山灰が吹き出るような溜息が、口から洩れた。
 「お疲れのようですね。長かったでしょう、ここまで来るのは」

 ここではみんな疲れています。
 私も、あの看守も、囚人たちも、あなたのように。
 目的を成すためには、何かにならなければなりません。その何かが、僕にとっては囚人だったんです。
 世界が何かの目的のために動いていくなら、しかたのないことです。

 看守が、こちらに向かって歩いてくるのが分かる。鈴みたいなじゃらじゃらした鍵がこすれ合う音がすぐ近くまで聞こえる。
 「あなたと話が出来て良かった。ご家族の方にも、よろしくお伝えください」
 あなたは自由なんです。
 僕が椅子から立ちあがった時、彼がそう言ったのが聞こえた。
 大人はずるい。聞こえたら都合の悪い事を、溜息だとか、呟きの中に、仕舞いこんでいる。


 「彼と話したことは綺麗さっぱり忘れた方がよいでしょう」
 「彼の罪は軽くなることはないんでしょうか?」
 看守は机の上の種類に目を通して、言った。
 「きわめて模範的な囚人です。反抗もしないし、作業にも勤勉、服役は大分短くなるでしょう」
 私もこんなことは言いたくはないのですがね、と目頭を擦り、看守は軽く会釈した。


 父は、車から顔を出して、僕に手招きした。
 「なんだか、刑期満了で出てきたみたいな顔してるな」
 僕は振り返って、タージマハルみたいな刑務所の時計台を見あげた。

 午後から雨が降るらしい。
 黒くもやもやした雲が、青空に溶け込み始めていた。

僕たちに傘はない

僕たちに傘はない

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-08-13

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