二十三時のカレーライス

 カレーライスに、半熟の、目玉焼きをのせて食べてる、きみの、となりの席のひとが、電話をしながら、けんかをしている。
 ちいさなことと、他人は言うかもしれないけれど、どんなにちいさなことでも、くるしいとか、こわいとか、いたいとか、負の感情が、むっくり顔を出すような言葉を浴びた日は、シフォンケーキが食べたくなる、ぼくに、きみはつきあって、それで、二十三時に、カレーライスを食べてる。スプーンをわりいれて、どろり、と溢れた黄身を、きみは、カレールーとまぜて、食べてる。電話で、けんかをしているひとのことを、お店のひとは、注意しないで、たぶん、うるさくないからだろうが、でも、けんかをしているひとは、スマートフォンに向かって、くるしいとか、こわいとか、いたいとか、もろもろ感じるような言葉を、ぶちまけている。シフォンケーキの、生クリームが、さきになくなってしまった。さいごまで、ちゃんと、いっしょに、食べられるように、調整していたのに。けんかをしているひとの、電話の相手のひとは、傷ついているだろうか。それとも、おたがいさま、相手も、思いつく限りの罵詈雑言を、ならべたてているのだろうか。けんかをしているひとのテーブルには、ハンバーグがあるけれど、もう、鉄板も冷めたようで、食べかけの、それが、空虚、のよう。
 カレーライスを食べながら、きみが、お店のひとを呼んで、食後のデザートを、注文する。わらびもちと、フルーツタルトで、悩んでいたけれど、わらびもちに、したようである。ぼくは、シフォンケーキだけを、もふもふと食べる。生クリームが残っていたならば、もふ、ふわ、という食感だったのだが、いまはもう、もふ、もふ、でしかない。お店のひとは、黒く長い髪をぴっちりまとめて、おだんごにしている。二十三時には、少々似つかわしくない、笑顔で、はきはきと、ご注文をくりかえしている。機械的。しかし、カレーライスのあとの、わらびもちの味は、いかがなものだろう。とは、でも、ぼくは、きみには言わない。もし、そんな、ぼくにとっては、些細な一言でも、きみにとっての、おおきな傷に、なるかもしれないから。カレーライスのあとの、わらびもちを、食べたことがない分際で、なにも、言えるはずがない。
 けんかをしているひとが、たばこを吸い始める。
 たばこを吸いながら、まだ、あれや、これやと、電話の相手に、言い連ねている。
 きみは、かまわず、カレーライスを、食べ続けている。
 ぼくは、シフォンケーキにより失った、くちのなかの水分を取り戻すべく、お冷を飲む。はんぶんくらいまで飲むと、さっきの、二十三時には似つかわしくない、明るく、けれど、どこか機械的な感じの、お店のひとが、すかさず、お冷を注ぎ足しに、やってくる。
 あわただしいな、と思う。
 でも、あわただしいな、と思っているあいだは、不安なことが、ない。
 なにも、感じないので、不安も眠るのだろう、と思う。
(おやすみ)

二十三時のカレーライス

二十三時のカレーライス

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-07-23

CC BY-NC-ND
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