ひからびた希望

希望はどこにもないのだよ。
雨が降れば湿気がひどいといって、霧がはればセカイは淀んで見えるといって、太陽がでていれば暑すぎると文句をいった。
だから希望はどこにもなかった、夜がきて朝を迎えると気が付く事だ、誰かあの歌を聞かせてくれないか、誰かあの詩をよんでくれないか、だれかあの物語の続きを語ってはくれないか。けれど絶望と対比することで現れるから、人々はあえて自分に苦痛を与えたり、人に苦痛を与えていたりするけれど、でもそれも、死の束縛を逃れる事はできない。人生は子どもの時代から飽き飽きしている。やがていつか生きている事にも絶望して、対比した希望をどこかの誰かの中にみる。希望がない希望さえも、希望と解釈してしまう事だろう。口ずさむ歌は、流行とともに記憶の中に隠れていく。

暗い、朝日もささない込み入った街頭の探索を忘れているのかい?そこにないものは、誰も知らないし、誰も持っていないんだよ。ただ自分が決意して、自分が名付けたものは、その瞬間から自分の手の中で希望であって、希望でしかないのに、自分にも自分の近いものにもそんなものはないのだと、ただうじうじとした天気にまけて決めつけているだけだ。

唄え、語れ、続けろ、ただその覚悟だけが希望なのに、どうしていいように希望も絶望も解釈しているんだ?

もう一歩だ。過去も未来も存在しない今その瞬間に、自分から生まれる希望に名前をつけ、それによって批判され、それによって保守し、それによって自らの形をつくりかえるあれはもうすぐそこに理屈がある。いや、初めからそこにあったのに、いつもだれかのせいにしてきただけだよ。

そんな想像を思い出した。現実はこれに比べれば、余りにも小さいものだと、誰もが知っているはずのこの想像を。

ひからびた希望

ひからびた希望

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-07-01

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