無償の愛

「人の愛ってどんな感じなんだろう」

殺人鬼が言った。俺はそれになんとなくムカついた。

「それが知りたくて生きてきていた感じだったんだけど。結局のところ僕にそれが何か、わかんなかった」

こいつはつまらないことを言い出した。
「かわいそうな奴だな」
同情。

「かわいそうなのかな? 僕は」
「かわいそうだよ。普通に生まれてりゃ、そんな人生もなかっただろうに」
「君はイライラしてるね」
「するだろうさ。こんなとこで知らねえ奴と話すぐらいしかやることもない。最低さ」
殺人鬼は3秒黙って、心なしか暗い声で言った。

「でも、かわいそうなのも悪くないでしょ。君だってさ、本当はイライラさせられてる自分をかわいそうだと思っていて、僕を恨んで、その実、うれしいと思ってる。まんざらでもない。僕を恨むことで快楽を得てるんだ。謝ってよ」

「はいはいごめんなさいね。俺はふつうの人間だから、そんな物事を深く考えたりしないの。お前は異常者だからそんなこといちいち気になるんだよ。それにお前の論で言ったら、地上にゃ罪人でごった返してるわけか。いったい何人殺したんだ。お前の顔、もしかしたら俺は見たことがあるかもしれないぜ?」

人殺しの顔など、普段から見ないでいる。気分が悪い。
彼はまた3秒黙って、細いため息をついた。
「おい、こんな離れてるんだ。お前、ちゃんとでかく話せよ」
「君もうるさいね。殺してやりたい。こっちにちょっと来てくれない?ねえ」

本当の殺気だったと思う。

「ハン、やれもしないこと言うなよ。全然怖くないぜ、坊主」
「嫌味な古い人間だね。それにもうすぐ会える。隙を見て殺してやる」
「おーおーがんばれ。俺もお奇麗な人間じゃねえんだ、おまえにやられるならそれも悪くない」

奴はまた黙った、今度は5秒。

「君と僕は、そんなに遠くはないのかもしれない」
「こことそこじゃ、6mは離れてるぜ」
「心のありようの話だよ。君って哀れなんだ。でも泣けやしないのさ。そんな奴だ。僕が代わりに、泣いてやってもいいぜ」
「ありがたいねえ。だがその必要はない。お前はお前で俺は俺だ。それに俺は、泣きたくはない。泣きたいのはお前なんだろう。今なら俺しかいないぞ、泣き放題だ、坊主」
「はは。」


今度は黙りこくった。2分間、何の音も聞こえなかった。
上で観客どもが足を踏み鳴らす、それで天井から少しの砂が落ちるのが、2分間で起こった変化のすべてだった。

それから奴は、俺に聞かせるつもりがなかったろう呟きを発した。小さい小さい声だ。
「宇宙。宇宙にとって、僕なんて、ひとつの砂粒。それが失われるだけさ。死ぬってそういうことだ。ああ、くだらない人生だった…」

俺は生まれつき、他人より耳がよかった。だから、糞ほど無意味なこの仕事を上から授かっている。

俺は胸ポケットの高価な懐中時計を引っ張り出して、その針を眺めた。
また沈黙が下りる。3分間。どんな城のどんな高貴な沈黙よりも、尊く美しい時間だった。
「時間だ。」立ち上がる。



殺人鬼を檻からだし、連れ添って上への扉を開ける。古い木の台座がギシギシ音を立てた。観客らは声をそろえて悪魔の処刑を望んだ。鼓膜の振動が感じられるほどのその罵声に、すべてが込められていた。
祭司が声を張り上げる。『これより悪魔を処刑す!』 腹から出た遠い空まで届く合図の声であった。
半円の台を囲む蟻のごとき観客の興味は、台に乗る二人の男のうち、跪き項をさらす華奢な青年にある。いつものことであった。
罵声が膨らみ、普通の耳じゃもうそれ以外聞こえない。
俺は奴に叫ぶように言った。それでも奴に聞こえているかわからなかった。
「よう、坊主よぅ! これは俺しか知らないことなんだが特別に教えてやる。神さんに貰えなかった分の愛は、死ぬと全部もらえるんだよ、意外か? 死は全ての苦痛からお前を救ってくれるんだよ。
安心しろ。大丈夫だ。俺のは、痛くないって評判さ。深く呼吸をしろ。じゃあな。」
殺人鬼が言った。
「うん。ありがとう。」



血のようにこびりついて離れないのが、人の記憶である。
俺は檻前に戻り、剣の血をぬぐい始めた。次が来るまでに研ぎなおしておくのも仕事のうちだった。

水を取りにふと立ち上がり、檻を見る。灰色のコンクリートには、数点のまだらが落ちていた。奴が座っていたあたりだった。
どうもこれは、忘れるのが難しい。本当に、難しい。俺は心の中で溜息をついて、のろのろと椅子に戻った。

無償の愛

無償の愛

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-07-01

CC BY-NC-ND
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