執着の極限

 今日から僕はこの宿で働くことになった。色々仕事の内容はあるけれど、特に重要なのがお客様の部屋へ行き、何か必要な物はないかを伺いに回るということだ。既に僕が担当する部屋は一通り回ったけれど、特に何かが必要であるとは言われなかった。その旨を報告するために事務室へ向かっている最中で上司に会い、僕がとあるお客様から指名で部屋に来るように言われているという伝言を受け取った。まだ仕事を始めたばかりなのに一体僕なんかに何の用だろうと思いながらも、そのお客様の部屋へと向かった。

 部屋へ着き、ドアをノックすると中から黒い和服に身を包んだ30代くらいの女性が出てきた。室内はカーテンが閉め切られていて、昼間にもかかわらず真っ暗だった。それに、暗くてよく見えないけれど変なにおいが充満していたり、床がべたついていたりと、正直気味の悪い部屋だった。すると女性はおもむろにカーテンを1枚だけ開いた。
 「ふふ…!ようこそ私の部屋へ!さっきロビーの従業員紹介の張り紙でみたけれど、こうして近くで見るとかわいいわね…」
いきなりそう言われたものだから、僕は何が何だかわからず、「は、はぁ…」みたいな応答しかできなかった。
 「あ、あの。ところでぼ…私を指名なさっていたようですが、どのようなご用件でしょうか?」
 「あらあら、そんなに畏まらなくてもいいのに。用件は何かって?ふふ、ちょっとごめんなさいね!」
そういってその女性はいきなり僕のYシャツをめくってきた。
 「ちょっ。お客様、一体何を!?」
 「ふふ。ちょっとした術をあなたにかけるだけよ!」
 「術…?」
女性は僕の右わき腹に手をかざし、何やらぶつぶつと唱え始めた。するとぼくの右わき腹に黒い点がいくつか浮かび上がり、黒い線がそれらを結び合わせ、何かの紋章のようになった。
 「いい?君はこれから私の第一下僕になるの。」
 「え、はい?下僕…?」
 「ええそうよ。あなたは私の第一の下僕になるの。光栄に思いなさい。」
 「いや…はは。お客様、一体何を…」
冗談をおっしゃっているのですかと言おうとしたところで女性は僕の後ろ側、つまりドアの近くを指さし、僕の言葉を遮るようにしてこう言った。
 「いい?君はね、私の第一下僕になったの。そのお腹に浮かび上がっている模様こそが、その何よりの証拠よ。私にはたくさんの下僕がいるけど、貴方はそのトップなの。」
 「は、はあ…」
 「君の後ろにあるのは過去の第一下僕達の抜け殻。私に若い力をちょうだいな!」
僕はその指が指す方を見て驚愕した。5~6人ほどの若い男性の死体が山積みになっているのだ。しかも不気味なことに、女性は「過去の」下僕達の抜け殻と言っていたにもかかわらず、死体を覆っている血液はまるでたった今流れ出したかのように紅く、ドロドロとしているのだ。 
 「君が逃げ出そうとしても、街中には私の下僕達がわんさかいるの。大丈夫、ちゃんと私のそばにさえいてくれればずっと生かしていてあげるからさ!だって君、かわいいんだもん!」
僕はその言葉を最後まで聞かないうちに自分でも信じられないような凄まじい叫び声を上げながら部屋を飛び出し、無我夢中で逃げ出した。人間が出せる声量の2倍くらいは出ていた気がした。

 それから僕は逃げに逃げた。職務中ということなどお構いなしに宿を飛び出し、警察署めがけて全速力で走った。到着すると真っ先に二人で歩いていた警官に助けを求めた。
 「た…助けてください!僕が働いていた職場の一室でたくさんの死体を見てしまったんです!」
 「何だって!?それは一体どこの宿だい?」
僕はパニックになっていたのでうまく説明できているかもわからないまま、宿の名前、住所、その時のシュチュエーションなど、思いつく限りのことを話した。
 「あー。あそこか。ということはきっとコイツも…」
 「だな、間違いない。」
などと警官同士が顔を見合わせて囁いていた。もしかしてあの死体達もここに助けを求めに来たのだろうか、などと思い不安になりながら対応を待っていた。しかし、帰ってきた答えは全く想像していなかったものだった。
 「お前もあのお方のところから逃げ出してきたのか。」
 「悪いが俺らはあのお方の下僕だ。助けることはできない。」
そう言われあまりの展開に頭が真っ白になりかけたが、その瞬間両腕を掴まれそうになったのでなんとか回避し、我ながら信じられない程のスピードで警察署から逃げ出した。走りながら気が付いたが、どういうわけか警察官が追いかけてくる様子はない。僕は当てもなく逃げ続けていたが、ふと女性の言葉を思い出した。彼女は下僕が街中にいっぱいいるとか、逃げようとしても無駄とか言っていた気がした。それが本当だとしら、人目につく場所から離れないと危険すぎる。そこで僕は20キロくらい先にある山々を目指した。きっと山中なら見つかる確率も低いだろう。やがて山に到着し、僕は緊張が解けたのか一気に体が重くなった。なんとか山の中腹くらいまで登ったところで何もかも投げ出して横になりたくなった。倒れ込む直前、誰かに身体を支えられたような気がしたけれど、なんだかもうどうでもよかった。

 それからどのくらいの時間が経っただろうか。僕が目を開けると、木造の小屋の中だった。周りを見渡すと、男女あわせて3名がそれぞれ何かに打ち込んでいた。
 「あの…ここは一体」
 「お、気が付いたか。良かったよかった。」
そう最初に声をかけてくれたのはガタイの良い20代中頃の男性だった。
 「お前3日間も目覚めないから心配したぞ!俺は小林ってんだ。よろしくな!」
彼の話によるとこの小屋にいる人達は、あの女性に危険な目にあわされたということだ。小林達はこの小屋に身を潜め、あの女性を何とかしようと様々な調査、計画をしているようだ。ともかく、あの女性の下僕につかまったわけではないと知り安心した。まあ、僕自身が第一下僕とやららしいのだが。
 「あなたは幸運ね。第一下僕にされるなんて。」
おとなしそうな女の子がそう言った。学生さんだろうか。
 「普通はね、あの女は下僕を作るとその人のことを自在に操れるようになるの。」
 「ああ、だから逃げようとしても無駄とか言われたのか…」
 「けどね、第一下僕の場合は違う。それはあの女のエネルギー供給源ってことなの。」
 「え、じゃあ山中で急に疲れたのももしかしてそのせいなんですか?」
 「いえ、それはただの疲労ね。」
 「疲労って…」
思わず吹き出しそうになった。しかし、彼女は淡々と続けた。
 「エネルギー供給源と言ってもね、その人が近くにいないとだめみたいなの。だから逃げようとしたら普通真っ先に殺されるわ。」
だから僕みたいに第一下僕となった人が逃げられるなんてことはほぼほぼ奇跡のようなものだという。
 「ところであなたのお名前は…」
 「私は華純よ。」
横から小林が茶々を入れた。
 「まあ、それでもいいですけど。好きに呼んでください。」
 「ははは、そっか!僕は玲一と言います。じゃあ華純さん、よろしくお願いしますね!」
 「ええ、よろしくね。玲一君。」
こうして華純さんに一通りあの女の特性について教えられた。まとめると、今は以下のような状況であるとのこと。
 ・第一下僕を新たに作ろうとしたということは、元々のエネルギー供給源を殺してしまった後であるということ。
 ・新たな第一下僕である僕を逃がしてしまったことから、かなりエネルギーは減っていたであろうということ。
 ・その僕を逃がしてから3日たっていることから、すでにあの女の死が間近に迫っているだろうということ。
つまるところ、あの女をどうにかするには今が最大のチャンスということらしい。
 「なるほど。そんな状況になっていたんですか…。でもいくら死に際とはいえ、僕らに一体何ができるんですか?」
 「そりゃあお前、殺すに決まってんだろ。」
 「でもいくら危険人物とはいえ勝手に殺したら色々まずくないですか?」
するともう一人の男性が口を開いた。見た感じ華純さんくらいの年齢だ。
 「その心配はありません。」
 「あなたは?」
 「ああ、すみません。私は工藤才史郎といいます。」
 「あ、初めまして。よろしくお願いします。あの、心配ないとはどういうことです?」
 「我々は特別な命令を受けて、あの女を始末するために結成された組織です。実はあの女は一度逮捕され、裁判で死刑が確定されているにも関わらず、うまく下僕達を操り、何年も前に逃亡して以来居場所を転々として見つかっていなかったのです。」
 「ええ!?そんなヤバい人だったんですか?いやヤバいですけど。」
 「さっき聞いたかとは思いますが、あの女を仕留めるには今しかありません。」
だからあなたも来てくれませんかと言いたげな視線が3人から向けられた。しかし、私には気になることがあった。
 「あの、ちょっといいですか?あの女を殺したとして、第一下僕だとかいう僕の命は大丈夫なんですか?」
 「それに関しては問題ない。」
才史郎が丁寧に説明してくれたことによると、普通の下僕を作る際には彼らを操るために双方向に作用する術をかけるのだが、この場合は女が死ねば下僕も死に、下僕が一部死ねば女も肉体的ダメージを、下僕が全員死ねば女も死ぬというものらしい。一方、僕にかけられた術は女が私から一方的にエネルギーを吸収するものなので、僕の死が女に多大な損失を出すことはあっても、女の死が僕に影響することはないとのことだ。そういうことならと、僕は彼らについて行くことにした。

 小屋を出発し、僕らはあの女がいるホテルの前までやって来た。ホテルへと突入する前に作戦の確認が行われた。
 「じゃあ確認ね。私達が突入してあの女を殺すことについては、ホテル側に連絡済みだわ。」
 「おう!だったら一般客への被害は心配無いな!」
 「それから、あの女がいくら弱っているだろうとは言っても、相手は大量殺人犯。油断は禁物よ。」
 「重ねて言うなら彼女に遠距離から攻撃しても効かないので、ナイフか何かでトドメを刺す必要がありますね。」
 「ちょっと才史郎!先に言わないでよね!」
話している内容が内容だけに、こんなところで笑いが起きるのが何だかおかしかった。
 「ん?でも何であの女に遠距離から攻撃しても効かないんですか?」
 そう聞くと、返ってきた答えは何かのファンタジーかなと思うようなものだった。
 「あら?あなた、あの女が着ていた服を覚えていないの?」
 「服?黒い和和服でしたが、それがどうかしたんですか?」
 「あなた、一番大事なことを見落としているわ。和服の模様、赤色の蜘蛛の巣のような模様があったのに気づかなかったの?」
 「蜘蛛の巣、ですか。いやー、見えなかったですねー…」
何だか今、華純さんにため息をつかれた気がするけど続きを聞こう。
 「蜘蛛の巣はあの女の象徴なの。術を下僕達と自分の間に張り巡らせて、巨大な蜘蛛の巣で緩やかなバリアを作り上げているの。だから…」
 「なるほどなぁ…」
だから出来るだけ近づかないと確実ではない、と。
 「それから、最後になるけど確実に心臓を刺してくださいね。小林君が中心になるから、他の人はあの女の攻撃から彼を守ってくださいね。」
内容確認ができたところで、僕らはあの女の潜む一室へと向かっていった。

 いよいよ部屋の前までやって来て、僕らは顔を見合わせて突入のタイミングを確認した。最初に小林がドアを勢いよく開けた。間髪入れずに僕らも後に続く。女は床に倒れ込んでいたが、突然の出来事に驚きこちらを見てきた。女が咄嗟に立ち上がったところを、華純さんが思い切り蹴り倒した。それを見た僕は、見かけによらず強いんだなぁ、などと思いながら女を抑えつけようとした。ところが、そんな余計なことを考えていたものだから女に下から蹴りを喰らった。
 「うぐっ…」
怯んだ僕を見て女は再び立ち上がろうとしたが、僕に気を取られていたがために、横からの打撃は予想していなかったようだ。才史郎に顔面を思い切り殴られ、涙目になりながら女は叫んだ。
 「お前らぁぁぁ!この私から逃げようと企んで、やっと戻って来たと思ったらこの仕打ちか!」
最初にホテルで見た時の余裕は、女には既に無かった。完全に取り乱しているようだ。どこからか長刀を取り出し、怒りに任せて振り回し始めた。さて困った、これでは近づけないぞと思っているところに、物干し竿が落ちているのに気が付いた。僕はそっと近づいて物干し竿を拾い、何も考えずに女に向かってフルスイングした。やはり女はそうとう弱っているのか、手にしていた長刀を簡単に手から離してしまった。そのことに呆然としているところに、小林のナイフが女の心臓近くに突き刺さった。
 「くそっ、外したか。」
焦った様子で小林は呟いた。
 「おのれ… 私はただ… たいせ…つな人n… きみ自身になりたかっただけなのに…」
そんなようなことを女は必死で話そうとしていた。
 「きみ自身になりたい?それはどういう?」
血を流して今にも命の灯火が消えそうなおんなに私はそう問うた。
 「…ぁ、そうさ… どれだけ一緒に生きていたいと願ってみても、きみも、きみも、きみも、みんな… 離れて行ってしまう。だから必死になって…術を研究して…私と一体化させよ…うと…」
 「もういい、喋るな。」
 「g……っ」
苦しみ悶えながら必死で喋る女の話しを遮り、小林は今度こそナイフを女の心臓部に突き刺した。
 「終わってみると、あっけないものね。」
華純さんがそう漏らした。

 _僕らは後日、警察だかなんだかの表彰式に呼ばれ、表彰を受けた。これで二度とあんな恐ろしい目に遭わずに済むねと、3人と喜び合った。命からがら逃げ出して来たところを保護してくれた3人。命の恩人と言っても過言ではないほど優しくしてくれた3人。表彰が終わり日も暮れ始めていた頃、僕はこの人達とずっと一緒に生きていたいと思った。

執着の極限

執着の極限

2019.06.23に見た夢の内容です。実はこの夢のあとで私はこんな夢を見たと友達に話して回っているのです。ここに書いてある夢のような恐ろしい世界から現実へ近い世界に浮かび上がって行ったかのような感覚になりました。本当に目覚めた後、私は「夢の世界≒死後世界」は多重になっているのかなと思いました、

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-06-23

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