包帯の女
毎日とまではいかないがほぼ同じ電車に乗る。小川の駅、八時四十六分発の川越行きである。それに乗ると必ず会う女性がいる。もう四十近いか、少し越えているほどの年だろう。
背が高いと言うわけではないし低くもない。すらっとしているようにも見えるし、しかし、足はやせぎすではなく、しっとりと膨らみがある。色もすごく白いほうではないが、どちらかと言うと白いほうといったらいいのだろう。美人ではないが、どこか魅力のある人である。ブティックか何かを経営しているといった落ち着きがある。
魅力的な足をしているが、いつも片足に包帯を巻いていて、ストッキングがもりあがっている。前の席に腰掛けていると必ず足に目がいってしまう。
もう半年も包帯をしたままである。膝の手術でもしたのだろうか。それにしても、歩き方はまともで、骨が故障した人のようではない。包帯が巻かれていないところの皮膚はとてもきれいで、包帯のところだけ湿疹ができているということも考えられない。やけどの痕でもあるのであろうか。
女性の足を気にするようになって、一年ほど経ったころである。その日は電車がずいぶん空いていた。女性の隣の席があいており、そこに座り、チラッと足の包帯に目をやった。かわりはなくいつもの通りである。女性はよく本を読んでいたが、その日も文庫本を開いていた。
東村山の駅についたときである。多くの人が乗り換えのために降りた。女性も立ち上がった。私は所沢まで行くのでそのままである。女性は立ち上がって私を見た。
「私の足に興味がおありですか」
小声でささやいた。
びっくりした私は、ただうなずいた。見ていたことを知っているのだ。
女性は少しばかり微笑むと、ふたたび私の隣に腰掛けなおした。
「どちらまで」
「秋津に」
「所沢で乗り換えですね」
「ええ」
「秋津で足をお見せする場所がありますの」
少し返事に困った。足を見せるということは何を意味するのであろう。ただこの女性、経験上、路上で男を引くようなタイプの人ではないと思える。
私のオフィスが秋津にある。三階建ての小さなビルの二階に探偵事務所を構えている。私一人でやっている事業である。
「そこに行ってよろしいですか」とたずねてきた。
「ええ」私は返事をした。
奇妙な話だが、あまり深く考えて返答をしていなかったような気がする。見ず知らずの女性が足を見せるという。どのような目的があるのだろう。
所沢駅に着き、私が降りると女性も降りて付いてきた。乗り換えの階段を渡り、ホームに下りると調度上りの電車が来た。
電車に乗ると女性も無言で乗り、隣に立った。何をしようというのだろうか、興味もあったが、面倒という気持ちも生じ始めていた。
秋津で降りて三分も歩くと仕事場のビルに着く。
二階にある看板を見て女性が言った。
「あら、探偵さんだったの」
大体はそのように言われことはない。普通のサラリーマンか、どちらかと言うと、商社マンのように見られる。
階段を上がりオフィスの鍵を開けると、来客用のソファーを勧めた。女性はソファーに腰を沈め、足を綺麗な形に揃えた。
私は名刺を出した。
「ありがとうございます」
私がテーブルを挟んで、前のソファーに座ると、女性はいきなり立ち上がって、スカートの中に手を入れ、ストッキングを脱いだ。張りのある足である。
再び座ると言った。
「これから包帯を取ってお見せします」
「すみません、じろじろと見てしまったようです」
私は謝った。見ていたことを気付かれていたのは、探偵として猛省しなければいけない。
「いいえ、私のような年寄りの足に興味を持っていただいたのは嬉しかったのです」
女性は包帯を解き始めた。
すべて解いてしまったが、そこには綺麗な膝が現れただけである。私が不思議な顔をしていたのだろう。女性は立ち上がると後ろ向きになり、スカートをたくし上げた。
私は触りたくなるような少し張りのあるふくらはぎを見た。
そこで、あ、これかというものがあった。左足の膝裏より少し上のところに、真っ赤な茸が浮き出ていた。赤あざとは違うようだ。
なめらかな白い皮膚の上に、赤い茸が盛り上がるように脈打っているのである。
「その茸は」
といい終わらないうちに、彼女は、
「この茸が足に現れてから、一年になります」と私を見た。
彼女は腰掛けなおすと、足に現れた茸について語りだした。
「私は長野で生まれました。寒いところですが、自然には恵まれており、子どものころは野山を駆けまわっていました。特に裕福な家に生まれたわけでもなく、貧しい家でもなく、ほどほどに困らない環境に少しばかりぬくぬくと、一方でのびのびと幸せに暮らしておりました。秋になると山の中に入って、いろいろな茸を採ってきては、植物や茸のことをよく知っている祖父のところにもっていって、その茸の名前や、食べられるかどうかなどを教わるのが楽しみでした」
女性は足の後ろの茸を人差し指で撫でさすった。その時の彼女の顔は、ちょっとほてっているようであった。
「小学生の五年の頃でした。一人で林の中の切り株に腰掛けて、羊歯の間をゆったりと歩いていくザトウムシを見ているときでした。赤い茸がむくむくと土の中から私の目の前に現れたのです。どんどん大きくなって、腰掛けている私の目の高さまで成長しました。そして、その茸が私に言ったのです」
「あたしが面倒見てやるから、安心おし」
「茸がそういい終わらないうちに、私は目が腫れぼったくなって、すべてがかすんで見え、意識が遠のいていきました。暫らくして気が付くと、私の足に一筋、血がながれてきました。足の付け根からです。その時はびっくりして、家に駆け戻りました」
彼女はそこで一息着いた。
「大人のからだになっていたのです。母はいろいろ教えてくれました。その時の風呂に入る仕方、気をつけなければならないこと、私は納得して安心しました、ところが、お風呂に入ったときです。まだ膨らみ始めたばかりの乳の下のところに、そう、一円玉の半分ほどの真っ赤な茸のあざができていたのです。その時はおできだと思って母に見せました。母も体の変わり目にできるおできだと言いました。そのおできはかゆくも無く、外から見えてもなんとも思いませんでした。しかしおできは消えませんでした。そのまま中学生になり、修学旅行に行った時です。その茸がお臍の下に一センチほどの大きさになって移動していたのです」
彼女はちょっと考えたあげく、
「こんなお話をご相談してよろしいかしら、探偵さんならかまわないでしょう」
と言った
私も曖昧にうなずくと、彼女を見た。真剣な目つきであった。
「それでも、まだお風呂に入らなければ目に留まりません。痛くもかゆくもないので心配してはおりませんでした。しかも高校に入るといつの間にか消えていたのです。その頃私はラグビー部のマネージャーをしていました。歳相応に憧れの選手がいて、その選手と二人になる機会がありました。部室の一角で、私はすべてを脱ぎ、彼の前に立ちました。彼は綺麗だといって私を後ろ向きにすると抱きしめ、胸を両手で握ると私のお尻に唇を這わせました。その時彼はいきなり私から離れたのです。
彼は「今なんて言った」
と私に聞きました。
「何もいってない」と答えると、彼は、
「この茸が、おまえはだめだと言ったぞ」、
彼は服をあわてて着ました。
「どうしたの」と私が言うと、
「お前の尻の真っ赤な茸が動いている」
彼は気味悪そうに私を見て部屋から出ていってしまいました。
私は何がなんだか分からず、裸のまま一人にされてむしょうに寂しく、あわてて制服を着ると家に帰りました。三面鏡の前で後姿を見ました。私のお尻に十センチにもなろうとする大きな真っ赤な茸が浮きあがり、しかも動いていたのです。
しかし痛くも痒くもありません。彼に言われなければ気がつきませんでした。そのことは母にも言いませんでした。
高校を卒業して、勤めるようになって、何人かの男性に憧れをもったのですが、どの人も、茸のお許しが出ず、男性とは一度もそのような機会がありませんでした。
ラグビー部の彼は茸が言っていたように、勤めてから詐欺で警察に捕まったり、他の出会いの男性たちも、だれもがよからぬ状態になっています。確かに茸は男から私を守っていたのです。そうこうしているうちに、真っ赤な茸はお尻から足に下りてきました。人に見えるところにです。足の膝裏の膝より少し上にです。私は包帯を巻きました」
女性は私を見た。目が潤んでいる。
「探偵さん、どうしたらいいのでしょう、今、私は四十を少し越えたところです、もう、子どもも作らなくてもよいと思いますが、幸せになりたいと思う気持ちはますます強くなってきているのです。今、上司からプロポーズされています。奥さんをなくした五十を少し越えた方です。とてもよい方です」
彼女がそういったときである、彼女は「あっ」と言って立ち上がった。後ろをむくとスカートをたくし上げた。赤い茸がムクムクと動き出した。見る間に彼女の足から飛び出すと、ぴこんと私の手の上にのった。
それをみた女性は言った。
「茸がいいって言っているのだわ」
彼女は泣いた。
真っ赤な茸は私の手の平の上でくねくねとからだを動かしている。
私は驚くだけでなにもできない。どうして赤い茸が彼女の足から飛び出して私の手のひらにいるのだ。
私はやっと彼女に聞いた。
「確かに貴方の足の包帯が気になり、よく見ていました、それにしても、どうして私にそのようなことを相談しようと思ったのですか」
彼女はそれを聞いて、首を横に振った。
「そ、それも分からないのです、私の足の包帯に眼をやる男性はたくさんいました、でもなぜ今日、話しかける気になったのか、いつものように電車からおりるつもりでした、だけど、足が引っ張って声をかけえていたのです、その茸が貴方の元に行きたかったのではないかと思います」
なんだこの動いている赤い茸は。夢を見ているのか。女性の声が聞こえた。
「ありがとうございます。後でお礼をいたします、本当にありがとうございます」
彼女が私のオフィスから出て行くところだった。茸がまた足に戻ってくるのが心配のようなあわて方であった。
私の手の上にいた真っ赤な茸は、私のデスクの上に飛び乗って、からだをくねらした。茸が私を見た、ように見えた。
「今度は探偵の手助けでもするか」
茸はそう言いながら分裂して二つになると、箕面焼きの真っ赤な置物になって、デスクの一番前にちょこんと座ったのである。
結婚相談に来た女性が真っ赤な茸の焼き物を二つ置いていった。私の頭の中ではそう整理されていた。
それから数日後、その女性が事務所に入ってきた。
「先日はありがとうございました」
彼女はソファーに座ると、ウイスキーをテーブルの上に置いた。
「あれから、私、彼の求婚を受けることができました。なんとお礼を言っていいかわからないのですが、規定の料金を支払わせていただけませんでしょうか」
私は首を横に振った。
「とんでもない、ただお話をうかがっただけですから」
「私にとって、何十年もかかった問題が終わったのです、おいくらでもお支払いします」
「本当に結構です、お役に立てたのなら嬉しいことです。お気遣いはいりません、これは遠慮なくいただいておきます」
私はウイスキーを手元に引き寄せた。
「あの茸はどうしましたでしょうか、ここに来るのに少し勇気がいりました」
「なぜでしょう」
「あの赤い茸が私の足にまた戻ってくるのが怖かったのです、茸はどうしました」
私は嘘を言った。
「あのまま萎びて、干からびると粉々になって散っていきました」
「そうですの、それでは、私に戻る事はありませんのね」
彼女はやっと微笑んだ。
「実はもう一つお願いがあってまいりました。」
「はあ」
「私の同僚の相談にのって欲しいのです」
それは願ったりのことである。ここのところあまり仕事がない。
「どのようなことですか」
「彼女の結婚についてです」
「相手の人を調べるとかですか」
「それに似ているのですが」
「彼女は先ごろお見合いをしました。相手は私どもが勤める会社の親会社の重役の長男ですの、それを聞いたうちの社長は大乗り気、彼女も決して相手をいやな人だとは思わなかったのだそうです、しかしそんな彼女が浮かない顔をしているので、私は聞いてみました。それはここにうかがったほうがよいようなものでした」
「それで、僕に何を調べろと言うのでしょうか」
「彼の仕事です、彼は科学博物館の学芸員をしています」
「ほー、それは高尚な仕事ですな」
「それが、江戸時代の墓を掘って、死んだ人の脳を調べているのです」
「それは確かに変わっているようですが、科学者はいろいろな研究をしている人がいますよ。それ自体余り問題がないとおもいます、去年でしたか、マンションの住人が夜中に出かけておかしいので調べて欲しいと管理組合の責任者から依頼があって、調べたところ、銀座の夜の鼠の生態を調べている人でした」
「それは、わからないでもありませんが、その人は取り出した江戸時代の死んだ人の脳を枕元において、交信をしているということでした、交信の機械を発明し、歴史を正しく認識することをしたいのだそうです」
「ほー」
「現実からかけ離れています、彼女が心配するのはわかるのです」
「そうですね、それでは一度お話をうかがいましょう」
ということで、その女性の婚約者の精神状態を探偵することになったわけである。
それから、数日後、本人が事務所にやってきた。小柄のかわいらしい女性であった。
「よろしくお願いします」
女性は頭を下げるとソファーに腰掛け、いきさつを話し始めた。かなり長い話であったが、このようなことである。
彼と見合いをした後、何度も食事や映画を見に行ったが、とても優しくてよい人だということがよくわかってきたということである。次第に結婚を強く意識するようになり、決心をして彼の自宅に挨拶しに行くことにした。
彼の家は、目白の住宅地にあって、すごく豪華というわけではないが、落ち着いた風情のある家であり、その女性はとても嬉しく感じたそうである。部屋数もそれなりにあり、通された居間はけばけばしさのない、さっぱりとした住人の気質の現れたとても気持ちのいい場所であったそうである。彼の父親、すなわち社長さんも、おごらずえばらずのよい方で、奥さんもそれにも増して気を使う優しい方であったそうである。何もいうことのない家庭で、しみじみ幸運を感謝したそうである。
しかし彼の部屋に通されたとき、彼のベッドの枕元に異様なものが置いてあるのに気が付いて聞いたそうである。
「これ、なんですか」
彼は、真剣な顔になって、
「これは、江戸屋敷跡から掘り出された頭蓋骨に残っていた干からびた脳を、僕が作り出した再生液を加えた細胞培養液につけてあるのですよ」
水槽のような強化硝子の中には黒っぽい干からびたものが液体の中に沈んでいた。部屋の中にへんな匂いがするわけではないが、ちょっと薄気味悪くなったとのことであった。
その後、彼が話してくれたのは、その脳の持ち主は、何らかの原因で殺害されて、屋敷の縁の下に埋められた女性で、つけてある液体によって細胞の一つでも生き返れば、彼の作った機械を通してその女性が夢の中に現れ、その時の様子を話してくれると言うのだそうである。
「その機械というのは、ご本人が作ったのですか」私は聞いた
「はい、本来は人類学や考古学をやっているのですが、もともと理系の人で、機械いじりが大好きで、コンピューターなど自分で組み立てるということです。私には分かりませんが、神経細胞から出る微量な特殊な電気信号があるそうで、それをひろって彼の頭に直接伝える装置だそうです」
「だが、それが結婚されるのに何か支障になるのでしょうか」
趣味や研究の世界のことで、生活にどのような影響があるのか想像できなかった。
「はい、私も問題はないと思っています。しかし、何か感じるのです、もやもやとしたものがあるのです」
「はて、私がどのようなことができるかわかりませんが、科学博物館の仕事場での評判や、通勤途中での振る舞いなど調査はできますが、その程度でよいでしょうか」
「はい、私は、科学の世界は全く分かりませんので、想像ができません。きっと彼の仕事場のことなどを知ることができれば安心するのだと思いますのでよろしくお願いします」
ということで彼の行状を一月観察することになった。
私にとって難しい仕事ではなかった。彼はその二週間の中で、三日間都内の発掘現場にいったが、あとは決まった時間に仕事場に出かけた。目白の自宅から上野は近い、八時に家をでて、八時四十五分には仕事場に入っていた。仕事場には何人かの研究者がいたが、だれとも和気あいあいと研究を進めており、職場としてはこの上もなく環境のよいところである。それは彼らが自分の気にいった仕事をしているからであろう。
自宅に帰る時間はまちまちであるが、遅くとも九時には家に戻っていた。発掘現場に行ったときも同様である。夕食は決まって自宅でとっている。帰宅途中によるのは本屋と、時として秋葉原に回って機械の部品などを買い込んで帰る。彼の評判を聞いても何一つとして悪い話はなかった。
もう、観察期間が終わろうとしていたある日、上野から彼と同じ電車に乗った。目白の駅でおりて、彼の後を付いて改札口をでると、改札口の脇で彼がかがんで何かを探していた。
私が近づいて様子を見ると、床の上を一生懸命目で追っている。
思い切って「探しものですか」と声をかけてみた。
彼はちょっと顔を上げて、「ええ、ICチップを落としてしまって、ほんの一ミリ四方のものなんです。特別に作らせたのです、箱に入れてポケットに入れておいたのですが、ハンカチを取り出すときに一緒に箱を引き出してしまい、下に落ちて箱が壊れてしまたった拍子に飛び出してしまって」
「何色です」
「黒っぽいものです」
私もあたりに目を這わせた。床も黒っぽい石でできており、ちょっと大変である。
ふと彼の黒い革靴の紐のかけてあるところに目をやると、小さな黒いものがひっかかっている。
「靴の上に乗っているのは違いますか」
彼は自分の左足の靴を見た。
「あ、あった」彼は器用に小さなチップをつまむと、かばんの中からビニール袋を出してその中に入れた。
「アー、助かりました。これがなくなったら、また一年待たなければなりませんでした。大事な部品です。これで百万もするんです」
彼は本当に嬉しかったと見えて、見知らぬ私にそんな話までした。
「へー、何に使うのですか」
「ええ、脳波をひろって増幅し、また発信する装置です」
「こんなに小さなものがそんなことをするのですか」
「ええ、わたしの頭に合わせた波長の発信機なのです」
「何をするものなのですか」
「夢の中に、情報が入るのです」
「え、そんな、大変なものなのですか」
「いえ、遊びで」
彼はしゃべりすぎたと思ったのだろう、話をそこで止めた。その時、私の上着の中で何かがもそもそと動いた。手を入れると、もごもご動くものが手の平に乗ってきた。そいつをつまみ出してみるとあの真っ赤な茸であった。
茸はぴょんと飛び跳ねると、立ち上がろうとする彼のうなじからシャツの中に入っていってしまった。
「ほんとうにありがとうございました、お礼をしないと」
「いえ、お役に立ててよかった」
茸が彼に乗り移ったのは気になったが、私のほうから彼から離れた。
そのようなことで、とりあえず報告書類を整え、彼女の同僚に連絡を入れておいた。それから一週間ほどたって、あの足の包帯の彼女も一緒に依頼者が事務所に現れた。
「遅くなり、すみません、これ、費用の三十万です」
彼女の同僚は、報告書を開けようともせず、私に包みを渡した。
どうぞご覧ください、と私が進めると、その女性は、
「もう、いいんです」とうなだれて私を見た。
女性の代わりに足の包帯の彼女が私に言った。
「言いにくいんですが、この人の胸のところに真っ赤な茸がくっついてしまったのですの」
同僚はブラウスのボタンをはずした。胸のところに真っ赤な大きな茸が張り付いて盛り上がっていた。
「どうしたのです」
「一昨日、彼の家に行ったのです、彼の部屋に入ったら、彼は出来上がった装置を見せてくれました。そして、その日は両親が出かけていたものですから、私を誘いました。私も結婚相手だし、と思って許すことにしたのです。そこで彼が服を脱ぎますと、胸のところに真っ赤な茸が張り付いていていました、でも自分では気がついていませんでした、わたしが服を脱ぐとその茸があっという間に私の胸に乗り移って、赤く盛り上がりました。それを見た彼は私を突き放し、服を着てしまいました。私はびっくりして、服を着ると彼の家を出たのです。その後婚約破棄の連絡がありました」
「どう思われますの」
彼女は依頼の女性の話が終わると、私に尋ねた。私はその同僚に、
「きっと、あなたにとってそのほうがよかったのでしょう、もし、よい人が現れたら私のところにいらっしゃい、その茸が私の手に乗り移れば良縁ということです」
彼女は同僚になぐさめるように言った。
「この探偵さんのいう通りよ、私もそれで助けていただいたのよ、きっと今回の縁はなかったほうがよかったのよ」
まだ納得できないようであったが、彼女と同僚は帰っていった。
それから一月ほどすると、電話があった。例の依頼の女性からであった。
「赤い茸が足に降りてきました。今包帯を巻いています。先生がおっしゃったように、科学博物館の彼は今、神経科の閉鎖病棟にいます、やはりかなりマニアックな人だったようです、私にとってよかったと思います。いい人ができたときには、相談にまいります」
そう言って電話を切った。
机の上の箕面焼きの赤い茸が二つに分裂した。次の依頼者を待っている。
その後、事務所には足に包帯を巻いたいろいろな女性が出入りするようになった。私の事務所は名の知れた結婚相談所になったのである。赤い茸は言ったとおりに、私の手助けをしてくれている。
いい相手が現れると、その女性は足の包帯を解いた。相手が相応しいと、赤い茸は私の手の平に戻ってくる。戻ってきた赤い茸は机の引き出しの中にごろごろしている。もし、赤い茸がすべて出払ってしまうと、机の上の赤い陶器の茸が分裂して、私の手元で待機するのである。
たまに赤い茸と話をする。
「昔の女は、男を見る目がしっかりしていたが、今の女は我々が教えてやらなければならんのだから困る」
私は赤い茸に言った。
「おっしゃるとおりです、どうでしょう、ここに来る女性で、私の相手にとてもいい娘がいたら教えてくれませんか」
当然助けてくれるものと思っていたら、赤い茸が横を向いた。
「仕事の手助けの上に、あんたの相手も探せだと、なんという探偵だ、自分で探せ」
怒られてしまったのである。確かにそうかもしれない。確かにそうかもしれない。だがこういいたいのだ。ここはあんたのおかげで、結婚相談所になっちまった。「がんばる」とだけ、赤い茸に言って仕事に出た。
包帯の女
私家版 第十三茸小説集「珍茸件、2022、一粒書房」所収
茸写真:著者: 茸写真:長野県蓼科 2016-8-4