カベドンと宇宙。

 先日、私の住むある家屋の一室のその隣に位置する部屋から物音がして続いて壁をドンドンと叩く激しい物音がしました。私は思わずその壁をたたきかえこうとしました。とても強い物音で深夜だったのでひっくり返るほどに驚いてしまいまして、けれど私はそこで一度とどまり、叩き返すことをやめることにした。それにはわけがあるのです。私はとあるにぎやかな都市のアパートの一室に住んでいるものです。

 随分昔の事です。小さな5畳ほどのスペースしかないアパートで、壁がどんどんと向うから叩かれる経験をしました。それも一日二日のことではなく、一週間、一か月、一年と続きました。私はその時も二階一番右奥の部屋にすんでいました。
 お恥ずかしい話しですがそのころ私には恋人がいました。でも恋人が騒ぐといっても大したものではありません、夜中にこそこそとお話をするくらいの事でした。でも隣はそんな小さなお話や、お湯を沸かす音にさえ敏感で大きな反応をして返すのです。彼がいるとき、私はいいのですが、彼のほうはこらえ性がなく、ときたまその音にどんどんと仕返しをする事がありました。
 ある時を境に、私もその行為に一つの正義を見出したことがありました。丁度私と恋人が付き合いだしてから2ヵ月ちょっと経った頃あたりからだと思います。隣の人は、自分も友人を呼んで深夜に騒ぐ事があったのです。それはもうアパート中に響き渡るのではないかというにぎやかな宴会の様子だったり、テーブルゲームに興じているような、あるいはスポーツ観戦を集団でしているような様子であったり。だから私は、あまりに隣のその行為がうるさいときには、彼の声色を真似して、どんどんと仕返してしまうクセを覚えたのです。私もその癖が時々楽しくなり、つい最近まで続けていました。といっても、その時における最近ですから、最近よりはむしろ随分昔の事ですが。
 こんこん、こんこん
 小さなものですが返事はむしろおおきく、倍になってかえってきます。ときに声もまじりはじめました。
 『おーい、おーい、おーい、おーい』
 おかしな話はこれからです。私は一番右奥の部屋の住人です。しかし、よく考えてみると、音はどうやら、右奥の部屋からしているようなのです。……右奥?私はたしかに左にこつこつと、あるいは彼もまたそうして仕返しをしたわけですが、左には誰か住んでいるのか?大家に確認しました。
 『誰もいませんよ』
 返事は簡単なものでした。……あれ?おかしいな。私はすぐさま彼を呼んでその件を彼に事細かに話ました。けれど彼はそんなわけはない。そんなわけはないと取り合ってくれず、彼はとうとうとなりからの物音を無視するようになったのです。

 彼がいる間は私の心は無事でした。しかし薄暗い部屋で、小さなスペースで、いるはずのない人間たちの音と聞こえるはずのない音に耳をふさぐ生活は容易なものではないのです。私はもうその事実と向き合ってから3週間ともたず、どんどん、どんどんと毎日の様に叩きかえました。隣に人は住んでいないのにです。
 私はノイローゼのようになり、昼夜が逆転し、通っていた大学も休学せざるをえなくなり、あまりにひどいので引っ越しを決意したのですが、それまでの数日間を我慢できず、あるとき夜中に大声でどうやら、呶鳴ってしまったようなのです。その時、隣から聞こえた音声が意味深で、気色の悪いものだったのです。
 『あなたはもう死んでいるのよ!!!』

 それは前世のお話です。ですから今はともかく、私はどんなヘやに住んでいるかという事は私が若者でお金がなく若者が都会に行くしか生きるすべのない世の流れからいって、特に珍しい事でもないですが。しかし、私は物音には極端に気を使っているのです。またあんな思いはしたくありませんから。

カベドンと宇宙。

カベドンと宇宙。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-06-17

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