あの夏のジェリーフィッシュ

 夏のことは、もう、忘れてしまったの、きみ、あの水族館で、ふたり、水槽のなかを浮遊する、くらげを、一時間ほど、見つめていた日。
 半透明の、触れたら、刺されるというけれど、いまだ、刺されたことはなく、その痛みを想像してみても、いまいち、しっくりこず、やはり、感触は、ぶよぶよなのだろうかと、ぼくは、想い描いていた気がする。きみは、あのとき、こうなることを、予想していたのだろうか。なんとなく、わかっていたのだろうか。外国に行った先生から、ときどき送られてくる、エアメール。きれいな景色の、ポストカードを、きみは、日がな一日、眺めていることもあった。
 水族館の、ミュージアムショップに、併設されていた、カフェで、飽きるまでくらげを見たあと、飲んだ、カフェオレの味を、思い出すこともある。たしか、きみは、オムライスを、ぼくは、ホットサンドを、おたがい無言で、食べていた、のは、くらげの、あの、ふよふよと、ゆらゆらとした泳ぎを、きっと、反芻していたのであって、決して、つまらなかったとか、なにもしゃべることがなかったのではなく、ふたりとも、くらげのことで、あたまがいっぱいだったのだと、ぼくは勝手に、解釈をしていた。ミュージアムショップで買った、イルカのぬいぐるみを、きみは、どうしただろう。ぼくは、くらげの、キーホルダーを、たいせつなものを入れる箱に、しまっていたのだけれど、引っ越しの際に箱ごと、どうやら紛失してしまったようで、一年経っても、失くしてしまったことを、悔やんでいるよ。ぼくと、きみが、過ごした時間の、証人。
 パソコンの画面に映る、怖いくらいに青く、透きとおった海がある、国。
 国のなまえを知ったのは、ついさっきで、先生が、きみに送っていた、ポストカードに、こんなような海が、写っていたときがあった。
 ぼくは、日々の、ふとしたときに顔を覗かせる、さびしさを、まぎらわせるために、くらげの写真集を見ながら、牛乳たっぷりのカフェオレを飲んで、ドーナツを食べる。一ページ、一ページ、丹念に見ながら、カフェオレをちまちま飲んで、ドーナツをちょっとずつ、かじってゆく。
 明日になって、とつぜん、ひょっこりと現れるかもしれないきみを、あいまあいまに、想像して、そして、ちょっと泣く。

あの夏のジェリーフィッシュ

あの夏のジェリーフィッシュ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-06-10

CC BY-NC-ND
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