思い出がぼくをずたずたにする

 健やかに、生きているつもりで、ピーナッツバターをぬりたくった、トーストの、角から、齧る。角砂糖を、紅茶に沈めるとき、表面にできる波紋に、ときどき、せんぱいのまぼろしが、見える。寝ぼけているわけでは、ないはず。
 知らないひとは、いないと思うのだけれど、知っていながら、存在をゆるされている、とある博物館があって、せんぱいはそこに、いた。ぼくも、週に一回、逢いにいくけれど、元気そうなので、安心している。まいにち逢えないのは、さびしいけれど。せんぱいの、となりには、テレビのなかのアイドルみたいな、かわいいひとがいて、少しだけ心配も、している。(だいじょうぶ、ぼくはせんぱいのこと、信じている)せんぱいに逢ったあとは、いつも、こころのなかで、そう唱えては、ネックストラップの、入館証を、受付に返して、博物館を出る。いちおう、ミュージアムショップがあるのだが、まだ一度しか、足を踏み入れたことがない。くじらの、おおきなぬいぐるみがあって、ぼくが、抱きかかえて、上半身がすっぽり、隠れてしまうくらいの、おおきさの、くじらのぬいぐるみは、当然、なかなかのお値段が、した。ほしいな、と、一瞬思ったけれど、値札を見て、すぐにあきらめた。せんぱいにまつわる、グッズ、なんてものが作られたら、ぼくは、値段など一瞥し、即座に、レジに、持っていくのだけれど。
 昼の、太陽がまぶしい日に、外で、目をつむると、まぶたが、赤く染まって、柘榴みたい、と思う。週に一回しか、逢いにいけないけれど、せんぱいは、ちゃんと、ぼくのことを、覚えていてくれる。透明な、ガラスケース越しの、逢瀬。
 町の、博物館から向かって左、ケーキ屋さんや、お花屋さんや、カメラ屋さんが立ち並ぶ、ちょっとした商店街を抜けた先に、ぼくたちが通う学校があって、せんぱいは、三週間前までは、いて、いまは、博物館にいるけれど、この町にいることには変わりないことに、ほっとしている。
 せんぱいと、はじめて手をつないだ公園も、あるし、はじめてくちびるを重ねた図書館も、ある。せんぱいの部屋での、こと、ぼくは一生、忘れないかもしれない。せんぱいの影は、あらゆるところに現れる。パン屋さんの前のベンチ。本屋さんの写真集のコーナー。学校の屋上。丸い貯水タンクの、陰。
 ぼくも、博物館で、せんぱいのとなりに、なりたいです。
 お願いしたら、博物館のひとは、きみはちょっと、と云って、目を合わせてくれなくて、ああ、ぼくは、だめなんだ、と思った。かなしかった。くやしかった。むかついた。くるしかった。泣きたかった。
(おまえはぜんぜん、だめじゃないのにね)
 そう、やさしく慰めてくれるのは、せんぱいだけだった。
 ガラス越しにあわせる、くちびるは、いつだって、つめたい。

思い出がぼくをずたずたにする

思い出がぼくをずたずたにする

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-06-01

CC BY-NC-ND
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