ストックとカルマ

 ある日天使がおりてきた。日常の反復の中で、私が日々見つけうる趣味は、食事、睡眠、それから趣味の時間。音楽や映画の造詣を深めるという事。私はレディーススーツを着込んで、それはいわば戦闘服で、私的な領域、私的な関心事の“ケ”の時間から、平穏かつ緊張感のある、競争の列車へと足を急いでいた。玄関を出て、エレベーターにのっかり、エントランスホールを行き、同じ階層の、違う階層の他の住民とも顔をあわせず外へ向かった。2、3分歩いたとき、ふとそらをみあげた。花瓶がおりてきた、けれどそれは飛び降りのようにすさまじい勢いをもっていなかった。むしろそれは一人でに引力を弱めて、少しずつ私の頭上におりてきて、私はそこで足をとめた。マンションをでたすぐ前の上を見上げた刹那だった。
 危険に面したとき、足を止めることがいいことと悪い事がある。危険な場所が今自分がいる場所なのだとしたら、それは、もちろん後ろにひくか前に進むかでどちらかを選んだほうがいい。決して迷った自覚はなかった、けれど私はまよったのだ。それが平穏な日常と取引が成り立ち、むしろ不穏当な日常をつれてきて、日ごろの趣味の時間のような自由を私のもとにさしだすものなら、私は花瓶に撃たれる痛みを感じてみようかとふと心の迷いを想った。
 【0、12秒】
 その時間は、人が自発的に行動した時間か、それとも偶然的に脊椎が反応した時間か、コンマ数秒の思考が私にとって、意識的な時間か、それともそうでないかといえば、そうではなかった。なぜならそれら、不穏を望む私は、その後、私の余裕ができあがってから、その事件を理解したあとで思いついた一種の自分を納得させるストーリーでしかなかったからだ。
 『やめよう』
 その声が聞えた刹那、私は前にうごいた。そこで私は花瓶を私の後頭部すれすれにかすめていく風と摩擦の感覚を感じた。私があるくと、天使がみえた。 
 『そうだよ、これは“貸し”だからね』
 ようやく意識が私の体を動かし始めたころになって、わたしは背後で割れる大きな、人の頭ほどある花瓶がわれたのを見て、上から悲鳴が聞こえたのを聞いた。詳しい事など何もわからない、けれどいつか、同じ声を聴いたことがある。
 いまから5年ほど前、私は父方の方の実家に帰っていた。祖父が亡くなった直後、私はまだ小学4年生で、この世の中にある別れの秘密や成り立ちについて、図鑑で読んで、小説で読んで、辞書で調べて、ようやく理解したときだった。私は私の生きている感覚が失われつつあり、その時天使は降りてきて、いったのだ。
 『ほら、あなたのために、あなたのおじいさんが、ね』
 渡されたのは紙切れだ。そこにはこう書いてあった。
 『元気をだして』
 広告の紙切れの裏にかかれ、天使から差し出されたそれを、今でも私は記憶の中にとどめている。私は、あの時過呼吸気味で、本当にしにかけていて、死んでしまうと思っていた。けれど、どこかで声がして、今さっきのように、ふと足をとめたときに、そっちはいけない、と声がしたのだ。

ストックとカルマ

ストックとカルマ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-06-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted