感情を殺すすべを知らないのだ、ほんとうは

 結婚式に行った姉が、赤い目を腫らして帰って来て、よほど感動したんだな、と思いながら、ライオンの、狩りの様子を撮った、ドキュメンタリー映画を観始めたら、となりの、姉の部屋から、啜り泣く声が聞こえてきて、これは、結婚式に感動したのではなく、此度、結ばれた、ふたり、新郎、もしくは新婦に対しての、ひた隠しにしていた、なんらかの想いが、あふれだし、塞き止められず、感情が、決壊したのだろうかと、姉の、然して興味もないが、複雑に、絡み合っているであろう、女子特有の人間関係みたいなものを、想像しながら、ライオンが、ヌーに襲いかかる瞬間を、観ていた。
 人間関係といえば、さいきん、学校、という場所で、必然的に繋がる、生徒、という存在のひとりが、昼休みの生物室に、入り浸っていて、ぼくの、貴重な時間を、奪うのか、と思いきや、彼は彼で、自由に過ごしていて、ときどき、言葉を交わすけれど、いままで、生きてきたなかで、いちばん、わずらわしくない人間と出逢ったように、感じていた。話しかけてくる内容が、現代の高校生らしからぬ、というより、いわゆる、ふしぎちゃん、みたいな子どもで、しかし、授業態度は、まじめで(とはいえ、生物の授業での彼しか、知らないのだけど)、遅刻、欠席もないという、そんな生徒だが、どこか、ふわふわと、からだが、宙に浮いているひとと、話している気分になるときが、あった。
 雨に濡れた街の、妙な寂しさについて。
 テレビのなか、ライオンが、捕らえたヌーの、臀部の肉を、噛みちぎっている。もっと、あかあかとしていると思ったが、意外とピンク色で、ライオンは、よほど腹が減っていたのか、夢中に食っている。姉の泣き声は、まだかすかに、聞こえている。友情だとか、恋だとかは、やはり、面倒な感情だと思う。外は、五月だというのに、真夏のように暑くて、季節がすべて、冬にならないかなと願うのは、でも、生物を学び、教える立場として、いかがなものかと考えながら、氷を入れすぎて、少しばかり薄くなったアイスコーヒーを、ごくごく飲む。
 顔をあげたライオンのくちもとが、血でよごれている。赤かった。

感情を殺すすべを知らないのだ、ほんとうは

感情を殺すすべを知らないのだ、ほんとうは

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-05-26

CC BY-NC-ND
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