サークル・ゲーム Ⅰ【注】

璃玖

  1. 徒花【晴親】
  2. 徒花【春】
  3. 徒花【ふたりの道】
  4. 花影【東京】
  5. 花影【広島】
  6. 花冷え【冴子】
  7. 花吹雪【葉月】
  8. 妥協点【徒花】

徒花【晴親】

ほんのちょっとした心の隙間に
『人恋しさ』は棲みつくもの
それが誰かへの思慕なのか 単なる自己愛なのか
確証の無いまま想いは育つ
芽生えた『好き』は何処へ向かって伸びていくのか
人は今日も
曖昧な感情を抱えて誰かを想い、想われる。

    ◆◆

僕には初めから、恋愛感情が欠如していた。
「好き」だったり「愛してる」だったりと言う言葉に揺さぶられる他人の姿を、滑稽なものだとさえ思っていた。
『友達』だった女の子が、ある時を境に『恋人』になろうとしたことがある。
当時の僕に彼女の気持ちを読み解くことは出来ず、結果的に僕も彼女もひどく傷ついてしまった。
だからもう、僕は 他人に深入りしないと決めたはずだった。
     ◆
「こんにちは~! 郵便ですー」
その会社は小さな雑居ビルの三階に陣取り、少ない従業員で切り盛りしていた。
会社名は知っていても、何の類の企業なのかはよく知らない。僕たちの仕事上では特に知る必要も無い事だ。
階段を駆け上がり(エレベーターはあるが、三階くらいなら階段を使う方が早い)会社入口にたどり着く。
いつも通りガラス戸を引いて中に入った。
社内の様子も大体了解している。この時間は誰もが忙しそうで、僕が入って来たのにも気づかない様子だ。
殊更に音量を上げて声を掛ける。

「郵便でーす!
すみませんが、どなたか確認お願いしますー」

いつもなら事務員のおばちゃんあたりがハイハイ、と出てきてくれるんだけど‥
「―‥あ、今行きますんで!ちょっと待ってて貰えますか!」
予想外の位置から声が聞こえた。随分遠くから聞こえた気もするけど、多分僕に言ってくれてるんだろう。
「了解です」
ヘルメットを脱ぎつつ視線を彷徨わせて、声の主を確認した。部屋の奥、中央あたりの席に座っている‥多分あの人だ。
見つけると目が合って、受話器を手で押さえながらこちらに向かって会釈してくれた。
電話中か…
途端に、僕の方が申し訳ない気持ちになった。
こっちにも時間の都合はあるが、郵便を受け取って貰うお客さんにだって都合がある。
多少の待ち時間も仕事のうち。そう言い聞かせて、微かな苛立ちは緩和させる。


「‥いやぁすみません、お忙しいでしょうに待って頂いて!」
声を掛けてくれた人が僕の前に現れる。実際三分かそこらだとは思うが、彼はそれ以上に申し訳なさそうに頭を下げた。
「ああ、いえいえ!こちらこそお仕事のお邪魔をして申し訳ありません」
大脳を通さなくてもするりと出てくる決まり文句だ。
『申し訳ない』態度を装うのもお手のもの。一応、僕もサービス業者の端くれだから。

「書留がいくつかあるので確認と判をお願い出来ますか」
受付のカウンターに広げた郵便を改めて指し示した。
「ああ、はい‥」慣れない様子の彼が、ワイシャツの胸ポケットから慌ただしくペンを取り出す。
「‥じゃぁ、ココにご署名を」
印字された配達証を差し出して促す。
当たり前だけど、彼は躊躇うことなく僕の指示に従ってペンを走らせる。
―と
「あれ、左利きですか?」思わず、聞いた。
「ええ、そうなんですよー」
彼は何処か照れくさそうに笑って答えた。。

その瞬間。
何だろう…。その、ふわりとした雰囲気に僕は飲み込まれてしまった。
少し窮屈そうに左手を動かして書かれた名前は『早坂 春』
はやさか はる‥?

「コレで、大丈夫?」彼の声で現実に引き戻される。彼は僕にもう一度笑みを向けた。
一瞬だけ敬語が抜け落ちていた事がやたらと気になる。何か…かわいいな。
「‥あ、はい‥結構です」
足元に転がしていたヘルメットを持ち上げ、僕は改めてお辞儀をする。
「どうも有難うございました」
「こちらこそ、お世話様でした」
彼もまた再び深くお辞儀して応えた。顔を上げれば
『きちんとした笑顔が保たれて』いる。営業職の典型みたいな人だな。
丁寧で物腰柔らかい応対は多分染み付いているもので、彼自身は特に意識せずに振る舞っているのだろう。

でも‥
そうじゃない内面的な部分で、僕は彼にひどく興味を覚えた。
―駄目だと解っていながら。
階段を降りながら、僕は受け取った配達証をもう一度確認する。
早坂さん 春‥さん
何となく、まとった雰囲気と名前がきれいにシンクロする気がした。
あの瞬間に感じた不思議な感覚が何だったのか、
僕は敢えて気づかないふりをしている。


「チカ!週末空けてあるよな?」
帰局して残務処理をしている所に声を掛けられた。隣の『島』に居る同期の小峰(こみね)
「‥うん?」
何のことかと首を傾げると、小峰は呆れたような顔を向けてきた。
「何だよ忘れたのかぁ?塩原工業さんとの合コン!
お前も大事なスタメンなんだからさ」
―そういえば、そんな話を聞いていたような‥
自分の曖昧な記憶を探りながら「ああ…うん」と生返事をしていると、思いっきり背中を叩かれた。
「‥いって!」
「頼むよぉ晴親(はるちか)くん~。同期イチのイケメン君が居てくれないと、こっちのメンツが立たんのだから‥」
叩いた僕の背中を、今度は気持ち悪いくらい優しくさすってきた。
「ああ、ハイハイ分かった、分かりましたよ‥」

まぁ…僕をダシに使っても結果的にこいつらに幸せがもたらされるなら、それはそれでいいことじゃないかと思う。
合コンでの成功率なんてどんな程度かは知らないけれど、必死で頑張る小峰を応援してやりたい気持ちはある。
―その計り知れない動機の真髄までは理解出来ないとしても。

…そうだ。彼を、飲みにでも誘ってみようかな。
無意識のうちに僕はまた、彼の事を考え始めている。

     ◆

僕と彼が親しくなるまでに、時間はかからなかった。
初めて言葉を交わしたその日から、心の何処かでお互いが気にかけていたから‥かも知れない。
いや、彼について言えばその確信は無い。
けれど僕の方は間違いなく、確実に彼の事を想う時間が長くなっていた。

「‥え、飲み会‥ですか?」
後納郵便の束を抱えた早坂さんが、驚いたように僕を見返した。
あれから何度か応対して貰って、少しずつ業務以外の会話も増えてきている。
でも、やっぱりこの話はいきなり唐突だったかな‥。
「こないだ強制的に配達先の企業さんとの合コンに連れて行かれて‥
初めは乗り気じゃなかったんですけど、意外と面白かったんで」
「ああ、そういうの、何か異業種交流みたいな感じにもなるもんねぇ」
僕の下手な言い訳に早坂さんはうんうん、と頷く。
会話が続くと少しだけ口調がくだけてくることは、とうに気付いている。
「そう、それ」
ほんの少しの同調から、僕は必死に彼との共通項の糸を手繰り寄せる。
「‥で、そこで肝心の〝いいコ〟は居なかった?」
早坂さんの言葉に、瞬間的に心臓が波打った。そういう質問が来るのは必然だろう。…けれど
「うーん‥まぁ‥ハイ」
何だかひどくふらついた受け答えをしてしまう。
すると早坂さんは、少し困ったように苦笑して
「そっかぁ。でもうちと飲んでもあんまり‥かもよ?
ほら、若いコほとんど居ないでしょ」と、小声でカウンターの後方を促した。

―‥あ
そう言えば、この会社に若そうな女性は少なかった。
と言うより、そもそも女性率が低いのか。
「本社なんかは結構女性も多いんだけどね。ココは元々技術屋の拠点だったから‥」

しまった。女の子と一緒に何人かで飲みましょう…みたいな事を言って誘いたかった腹だが、
下手するとうちの社員よりそういうノリの〝女の子〟は居なそうだ。
だからって、若い男性集めて飲みましょう‥なんて言ったらちょっと引かれそうだし。

―でも、そもそも何で
僕はこんなにこの人に執着しているのだろう?

言葉に詰まってしまった僕に、今度は早坂さんの方から提案してきた。
「…良かったら、とりあえず僕と〝サシ〟で飲みません?」
―……え?
白河(しらかわ)さんの本来のご期待には添えないと思いますけど」
…ええ?
「一度飲んでみて白河さんの好みが解ったら、僕も出来る限り〝協力〟しますよ」
「‥え、あ‥あの…」
しどろもどろのまま、僕は少しずれた質問をしてしまう。
「何で、僕の名前‥」
「‥そりゃ、ココ見たら判りますよ。白河 晴親さん」
と、何食わぬ顔で僕のジャケットの胸ポケットに留められた社員証を指さした。
「…あっ」愚問にも程がある。…馬鹿か、俺
「勿論、無理にって訳じゃないから。遠慮なく断ってください」
「いいえ!」
早坂さんの言葉にかぶせるように、咄嗟に声を上げてしまった。カウンター近くでパソコン画面を睨んでいた男性社員がチラリとこちらを見る。
僕は慌てて頭を下げ、謝罪の意思を示した。少し声のボリュームを下げて続ける。
「いいです、全然‥早坂さんさえ良ければ‥是非とも」
「ホント?」
早坂さんは何処か嬉しそうな笑みを携えて応えた。それが社交辞令的なものである事が解っていても、嬉しくなる。
この人は、相手を心地好くさせる事にとても長けている気がする。
勢い込んで、今度は僕が提案した。
「じゃ、今週末とか…どうですか?」
「うん、いいよ」

待ち合わせ場所を最寄り駅に決めて、大体の仕事上がりの時間と連絡先を聞いた。
何だかサクサクと事が運んでしまい、僕自身がついて行けていない。
「それじゃ、よろしくね」
「はい、有難うございます」
業務中だと言う事を思い出し、改めて挨拶をする。
出入口のガラス扉に手を掛けた時、小さい声で彼が僕の背中に言葉を掛けた。
「俺の名前、ちゃんと覚えてくれてたんだね」
「!」
顔が一気に熱くなるのを感じた。僕は振り向く事が出来ずに前を向いたまま会釈して、扉を開けた。

歯車が、ゆっくりと回り始める。


駅は夕方の帰宅ラッシュで混雑していた。
金曜の夜なので、近隣で飲み始めるグループも結構多い。平日よりも人の流れが無秩序だ。
僕は視点を定めないようにして行き交う人を眺めていた。
早坂さんは、週末は少しだけ残業があるだろうから、待ち合わせは19時くらいと指定した。
時間が近づくにつれて、何だか緊張の度合いが高まる。考えてみると、随分と強引な事をしてしまったような気がする。
早坂さんは、無理して僕に合わせてくれたのではないだろうか。

「…やぁ、先越されちゃったかぁ」
‥!
社内で見る時よりもスーツをしっかりと着こなし、外で会う早坂さんは何と言うか‥すごくパリッとした印象だった。
くたびれた感が全然無い。
―ただ、ちょっとだけ違和感がある気がした。

「あれ?白河さん?」
「‥あっ!すみません、ボーっとしてて‥」
ヤバい。つい見惚れてしまった。自分の動揺を隠すようにして、僕は挨拶をする。
「お仕事お疲れさまです。
お疲れのところ、今日はおつき合い有難うございます」
「ああ、いえいえ!白河さんも、お疲れさまです」
彼も応えてペコリとお辞儀をして返した。頭を上げたら目が合ってしまい、決まり悪くてお互いに何となく笑ってしまう。
「‥さて、何処行きましょう?この辺でイイトコ知ってる?」
「うーん‥」
職場の仲間と飲む時はたいてい近所で済ませてしまう。
好い店が無い事はなかったが、知り合いと遭遇する確率が非常に高い。何となくそれは避けたかった。
「‥面倒でなければ、少し場所を変えませんか?」
駅の方を指して提案すると、早坂さんはパッと顔を輝かせて賛同した。
「あーいいねぇ、そうしよう」

最寄駅からはJR線と地下鉄も出ている。お互いの帰路を考慮して、山手線で移動する事を選んだ。
新宿駅の東口方面を出て、食べ物が美味しそうな店を選んだ。
週末だし新宿だし喧騒は覚悟していたけれど、有難いことに個室が空いていた。比較的静かな場所が確保出来て、とりあえず僕はホッとする。

「‥あの」カバンを置いて、上着を脱ぎかける早坂さんに切り出した。
「んー?」
「普段は眼鏡掛けないんですか?」
社内に居る時、彼は銀縁の眼鏡を掛けている。裸眼の姿は初めて見た。
駅で会った時の違和感は、それだ。
「ああ、うん。少しぼんやりするんだけど、ずっと掛けてると疲れちゃうんだよね」
眼鏡を使わなくていい僕には解らない悩みだった。
「そうなんですか」
「眼鏡掛けてないと違和感ある?」
「‥えっ、いえ、そんなことないです」
何と答えていいのか分からず慌てる僕に、早坂さんが覗き込むようにして言った。
そんな裸眼のせいか、会話する時少し距離が近い。
「白河さんこそ、普段着だと雰囲気違うね」
「え!‥ああ…」

僕らの仕事は業務中だけ制服を着るから、通勤時は割とラフな格好をしている。
大手ファストファッションブランドの長袖Tシャツに緩めのジーンズ。
着古したパーカーを着ている自分ときちんとスーツを着こなす早坂さんの姿を見較べて、僕は若干どころでは無く後悔した。
もっとちゃんと格好を選べばよかった。

「制服着て仕事してる白河さんはカッコイイけど、普段着姿は気が抜けててカワイイ感じ」
「‥‥」
女の子みたいな事を言うな、この人。何だか体が熱くなる。
「イケメンさんだもんね。モテるでしょ」
「そんなことないですよ」
「またまたぁ」

―たとえモテたとしても、僕にとっては微塵もプラスになりません。

お決まりとも言える軽めの会話に(僕だけが)何となく気まずさを感じていると、助け舟のようなタイミングでおしぼりとお通しが運ばれてきた。
ついでに飲み物と適当な小皿をいくつかオーダーしておく。

「白河さん、よく気が回るんだねぇ」
おしぼりの封を開けながら、早坂さんが感心したように言う。
「いえ‥職場では下っ端なんで、飲み会の席だといつもやらされるんです。
いつの間にかクセがついちゃって…ウザかったらすみません」
「いや、全然。悪いことじゃないでしょ?」
さっきから会話が全部早坂さん主導だ。ずっと攻め込まれているような気がする。
そして、彼の口調からはよそよそしい敬語がすっかり抜けていた。

「‥あ、ねぇ、白河さん」
「はい?」
「白河さん‥はるちかさん、だよね?」
名前を確かめられただけなのに、痛いくらいに鼓動が跳ね上がった。
「―そう、ですけど…」
「いい名前だね。好きな響きだな」
「…恐れ入ります」
自分の名前さえ褒められてしまうと、どうしたらいいのか分からない。
褒め殺したいのかな‥?
「『晴親』って、呼んでもいい?」
彼の口から発せられる自分の名前が、何とも言えない甘美さを含んで僕の耳に届いた。
何だか、ざわざわとした快感を覚える。
「…勿論です」
ついでにこのままの流れで、僕も彼に聞いてしまえそうだ。
飲み始めてもいないのに、ぼんやりと酔いしれそうな頭を必死で切り替える。
「あの、早坂さんのお名前は‥」
「俺の名前ね、『しゅん』だよ」
あ‥
「俺、ずっと『はる』さんだと思ってました」
「あはは、残念。初見の人には割とそう言われるなぁ。
‥でも『ハル』だったら君とおそろだったね」
またそういうカワイイ事を言う。
仕事中には見えなかった彼の言動が逐一僕の心に引っかかっては、小さな痕を残していく。
「俺の事も名前で呼んでくれればいいよ。その方が楽でしょ?」
「…シュン、さん?」ためらいがちに僕が呟くと
「ハル、でもいいよ」
彼はそう言って、悪戯っぽく笑った。
「…ハル、さん」
頭の中では随分と呼び掛けていたのに、改めて口にすると思わず汗をかいた。
「うん」何処か満足気に頷いた『ハルさん』が、今度は僕に振ってきた。
「晴親は、今いくつ?」
「29です」
「あーやっぱり、俺のが少し上だ。なら、『晴親』でも平気だね」
「ハルさんはおいくつですか?」
こういう時、男同士は気を遣わなくて楽だ。何気無く聞き返す事が出来る。
「32。君より三年早く世の中に出てきてるよ」
「わぁ、おっさんですねぇ」
「言うね、若輩者」
軽口を叩き始めると、次第に緊張もおさまってくる。

そこへ、キンキンに冷やされたジョッキと山盛りの枝豆が運ばれてきた。
オーダーを通して品物が来るまでの間に、一気に打ち解けたような気がする。

この人は、人との距離を詰めるのが上手い。
今の仕事を通して僕も多少の社交性を身につけられたハズだけど、彼のは恐らく天性のものだ。
その振る舞いにはわざとらしさも嫌味も無い。
いつの間にか彼のテリトリー内に引き込まれてしまう。人好きするタイプ‥とも言うか。
もしかしたら僕は、彼のそういう人となりを心地よく思っているだけかも知れない。
単純に、友達になりたかっただけなのかも知れない‥。

「‥じゃ、ひとまずお疲れ様って事で」
「はーい」勢いよく当てられたジョッキがゴン、と鈍い音を立てた。

それならそれで、いいじゃないか
いや、むしろその方が
お互いがずっといい関係でいられるハズだ。



初回の席でだいぶ距離が縮まった僕らは、その後も定期的に飲みに行った。
その度に山手線に乗り、違う街に降りて店を開拓する。
次第にそれがお互いの共通の趣味みたいなものになり、二人で共有できる話題になっていた。

当初言っていたお互いの『思惑』などとっくに忘れて(僕にとってはそもそも単なる理由付けだった訳だし)、
完全に〝友達〟のノリでつき合いが続いていた。僕はその距離感が心地好かった。

その日は、ハルさんのペースがやたらと早くて、店を出る頃にはすっかり足に来ていたようだった。
「…ねぇ、ハルさん今日飲み過ぎじゃない?」
「あはは、そうかもねぇ‥あ、お会計~」
「いいよ、今日は。もう俺払っちゃったし」
店外に備えてある椅子に腰掛けていたハルさんがやおら立ち上がって、瞬間的に真剣な顔をした。
「‥駄目だよ、そういうのはちゃんとしないと…」
とか何とか言う間に、足元がフラフラと揺れる。
「ああ、もう」
僕はハルさんの腕を掴んで、肩にかけた。
「‥大丈夫ですか?」
開けっ放しだった店内から様子が窺えたのだろう、店の人が顔を出して声を掛けてきた。
「大丈夫です。すみません、お騒がせして」
仕事中みたいな営業スマイルを作って取り繕う。
僕の様子を確認した店員さんが、明らかにホッとした表情で「お気をつけて」と再度見送ってくれた。

―でも、
ハルさんがこんなに酔ってるの、初めて見たな‥。
いつもは割としっかりペースを守って飲んでいる。いわゆる大人の飲み方が出来る人だ。
もしかして、今日は何かあったんだろうか。ひどく気になった。

「‥ほらほら、ちゃんと歩いて。もうすぐ駅だから。今日はタクシーで帰りましょ」
微かに駅前のロータリーが見えるくらいまでたどり着き、そう声を掛けると、
それまで大人しく従っていたハルさんの足がピタリと止まる。

「…ハルさん?」
少しの間沈黙が続き、その後
「…晴親、もう少し俺につき合って」
僕の耳元にそんな言葉が届いた。
「…え?何言ってんの、そんなフラフラで」
大通りから一本外れた道には、僕らの他に車も人の影も無かった。
「だから、アレ」
ハルさんが視線で指した先を見て、僕は一瞬で酔いが醒めた。同時に、内臓が鷲掴みされたような衝撃を受ける。

「…本気で言ってる?」

泥酔した人間にこの手の質問は無駄かも知れない。それでも、聞かずにいられなかった。
ハルさんが見ていた先は、僕らが歩いてきた飲み屋街から更にひとブロック外れた歓楽街の奥。
―ホテル街だったからだ。
「‥大丈夫、支払いは俺が持つから。さっきの分も含めて」
「いやいやいや、そう言うこと言ってるんじゃないよ?」
「…‥嫌だったら、一人で帰ってもいいよ」
「は?」
「俺は今日、帰る気ないし」
「なっ…」
やっぱり、いつものハルさんじゃない。
肩が軽くなっていた。
僕に体重を預けて歩いていた彼は、いつの間にか自分の足で立っている。
―さっきまでのは、演技だったのかな‥

ハルさんは僕の正面に立って、しっかりした口調で改めた。
「さっきの質問の答え。俺、本気だよ。
‥酔ってるけど、本気で晴親のこと、誘ってるよ」
「―……」どう答えればいいんだろう。

ある意味で、僕はそれを望んでいたのかも知れないけど
ある意味で
〝そう〟なって欲しくない気持ちもあった。
―過去の傷が、抉り出される

暗がりの道路の真ん中で立ち尽くしたまま、僕らにとってはだいぶ長い時間が過ぎた。
まっすぐ見つめていたハルさんから、僕は視線を反らして言葉を吐き出す。
「…でも、奥さん、待ってるでしょ」
声が、震えていた。
その僕の台詞に、彼は心底驚いたようだった。
「……知ってたの?」
「―指輪の痕」
確認した訳じゃなかったから、本当は否定して欲しかった。
―否定して欲しかったんだ。
僕はそこで、自分の本心を自覚した。

でも、ハルさんの反応は 僕の期待していたものではなかった。
「‥そっか。でも、半分ハズレかな」
「…え?」
「奥さんは実家に帰省中。今、うちには誰も居ないよ」
「…」
「うち、そろそろ離婚の危機だから」
そう言って、ハルさんは僕が今までに見た事の無い自嘲するような笑顔を作った。
ズルいな‥
そんな顔されたらもう、
僕は貴方を放っておけるはずがない。


古びたエレベーターに乗り込んだ後で、僕は頭の中をフル回転させた。

明日の朝、一体どんな顔して出ていけばいいんだろう。
一般的に男女間でも、こういうホテルから出る時はやっぱり人目を気にするだろう。
まして僕らは二人とも男だ。誰かに遭遇すればたとえ見る気が無くても、必然的に目が留まってしまうと思う。

「晴親」
「‥え、はい!」急に呼ばれたので、必要以上に大きな声で返事をしてしまった。
エレベーターの扉が大儀そうに開く。
「大丈夫?」‥大丈夫な訳ないじゃないか
口から飛び出しかけた言葉を僕は無理矢理飲み込んだ。
こんな時でさえ優しくて柔らかな空気をまとう彼を見ると、何だか、抵抗する気も失せてしまう。

これまた旧式な部屋の鍵を開けて、中に入った。
設備は古いけど室内はさっぱりとしてきれいだし、入ってしまえばビジネスホテルの一室のような雰囲気だった。
―ただ勿論のこと、ベッドは一つしかない。
ガラステーブルに鍵を置いて、ハルさんがおもむろに後ろを振り返った。
ぼんやりと後をついて来ていた僕の腕を掴んで引き寄せて、
「…強引なことしてゴメンね」
ふわりと抱きしめる。
酒の匂いに彼自身のものが微かに混じっていた。きつくない、清涼感のある香水の香り。

―この香りを、何処かで知っていた。

「‥ハルさん。ちゃんと、話を聞かせて」
「ん‥」
僕を包み込んでいた腕が外れて、解放された。

「俺が結婚したのは、三年前。今の晴親の歳の頃」
テーブルを挟んでハルさんはベッドに腰掛け、僕はソファに体を沈めた。
「学生時代の同級生で、言われるままに何となくつき合い始めて、そのまま籍を入れた感じ。
今思えば、お互いがそれほど好きだったかどうか‥自信が無いな。ただまぁ、特に不満があった訳でもなかったし」
「…」
そんな曖昧な感情で、結婚なんて出来るものなのだろうか。
ただ、彼の言う『何となくつき合う』というフレーズには僕自身も思い当たる節がある。
学生の頃はそうやって、流されるように何人かの女の子と交際していた経験があった。

「結婚の前後くらいから、仕事上でもそれなりに責任のある立場に就けて、必然的に忙しくなったんだ。
その頃はまだ俺もがむしゃらに働いてたから、会社に泊まり込んだりする事も多かった」
「―今は、だいぶ余裕があるよね?」
僕が言うと、ハルさんは僕に視線を移して苦笑した。
「三年で、手を抜くことも覚えたよ」

「―彼女もずっと仕事をしていたから、家庭内ですれ違いが多くなった。
それに彼女の方で意図的に仕事や予定を詰めて、帰らないようにもしてたみたい」
「―…」
いろいろと良くない方向に思いが走る。そんな僕の考えを読んだかのように、ハルさんは言った。
「おつき合いし始めた人も、居たみたいだね」
「‥それって…」
言葉に詰まったまま、沈黙が流れた。
どちらかの腕時計の秒針の音まで聴こえてくるくらい、部屋の中は静かだった。
今、何時だろう。外も随分静かだな‥

「―俺も彼女も、人恋しかったんだと思うんだ」
やがて、ハルさんがポツリとこぼした。
「…え?」
「当時、田舎から出てきて知り合いも居なくて‥寂しかったんだよ、単純に。
それで偶然知ってる顔に再会して意気投合して…たまたまそれが、俺と彼女だっただけだと思うんだ」
「そんな」
他人事ではあるけれど、何だかひどく辛辣で投げやりな言い方に聞こえて僕はその時、彼女の方に同情してしまった。
「…そんな、簡単な事じゃないと思う」
言葉を止める事が出来なかった。
「ハルさんはそうかも知れないけど。奥さんの方は‥分かんないでしょ?」
僕の意見に、微かだけどハルさんは意外そうな顔をした。その後すぐにいつもみたいな笑顔を作る。
「…そうだね」

「俺も少しずつ仕事に余裕を持たせられるようになって、一度二人で話し合おうって言えたのが
‥今年の春先くらいかな」
‥まだ、三か月くらい前の話。
「それで?」
「うん、お互いにね‥ちょっと独りになって考えましょうって言われた。
彼女、結局去年のうちに仕事辞めちゃったみたいで‥実家に戻るって話になって」
―って事は、浮気相手とも終わっちゃったのかな‥
なんて、僕は何処かで邪推した。

そこで、ふと思い出す。
―…そう言えば、三か月くらい前‥って

「俺が、ハルさんの会社に配達に行くようになったのも‥今年の春だったね」
自分の事だけど、ハルさんにも思い出して欲しくて確かめるように聞いた。彼もそれに応えてくれる。
「うん」心なしか、彼が何かを期待するように身を乗り出して僕の話の続きを促した。
「…俺、その頃に一度 ハルさんと会ってたよね?」

今の今まで忘れていた。
僕が彼と初めて話をしたのは、忙しい中で応対して貰ったあの時じゃなくて
‥もっと前

「‥思い出してくれた?」
そう言ったハルさんの笑顔は、今にも泣き出しそうだった。



春先に昇進した事で配属班の異動を命じられ、僕はそれまでとは違う配達先を覚える事になった。
書き込みだらけのお下がりの地図を持たされ、毎日必死になって走り回っていた。
その雑居ビルは五階建てで、いくつか間借りの会社が入っていた。
春になったと言うのにやたらと寒い日だった。寒の戻り‥と言う日和。
いつも通り上の階から順に配達を終え、一階まで階段を駆け降りようとした時、珍しく階段を上がってくる人影が見えた。

「…あ、お世話様です」
にこやかに声を掛けられたので、きっとココの会社の人だろう‥と僕も挨拶を返す。
「恐れ入ります」
細身のグレーのコートがインテリっぽい雰囲気の男性だった。
同年代だろうか。外着でカバンを持っているし、外回りの帰りかな‥。
「外、寒かったでしょ?」
何故か、そんな事を口走っていた。
「‥ええ、すごく」
相手は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに応じてくれた。
「お疲れさまでした。お部屋で暖まってくださいね」
言い残して立ち去ろうとした僕を、彼は引き留めた。

「…あ、郵便屋さん!」
「‥はい?」
彼は既に昇りかけていた階段を再び降りて僕に近づき、自分のポケットから何かを取り出した。
「あの、コレ‥どうぞ」差し出されたのは缶コーヒー。
彼のポケットから出てきた途端、ほんのりとした熱が僕の手元にも流れてきた。
「…ああ、いえ、お気遣いなく」
すると彼は、僕の手を取って缶をポンと置いた。
寒風に晒されていたのか、瞬間的に触れた彼の手はひどく冷たく、缶コーヒーとの温度差が際立った。
一連の動作で少しだけ、香水の香りがした。嫌味のない香りだった。

「実はさっきね、間違って買っちゃったんです。
僕、ブラック飲めないんで‥良かったら貰ってくれませんか」
「え‥?」見れば、真っ黒のラベルに金色の文字で見事に『ブラック 無糖』と記してある。
「…そうなんですか」まぁ、そういう事なら。
「じゃぁ、遠慮なく。どうも有難うございます」
僕が受け取ると、彼は少しほっとしたように笑う。
「後で捨てちゃっても構いませんから。
とりあえず、ポッケに入れといたら温かいでしょ?」
その時の彼の笑顔が何だかとても寂しそうで、しばらく僕の心に引っかかっていた。

けれど
それがハルさんだったと思い出す事は、今の今までなかった。
僕は、自分の鈍さに辟易し
ハルさんに対して本当に申し訳ない気持ちになった。


「ハルさんは、あの時のこと‥覚えてたんだね?」
「当たり前じゃん」
……ですよね。そりゃね。

「でも、覚えてたのは相手が晴親だったからだよ」
「…ん?」
「あの時、あそこで俺は晴親に会えるって思ってたから」
「……んん?」
怪訝な表情の僕を見て、ハルさんは一人訳知り顔で笑った。
そして、流れるように言葉を乗せた。
「俺はずっとね、晴親のことを見てたんだよ」
彼はゆっくりと立ち上がって、ソファに座る僕の隣に歩み寄る。
僕の中でさっきからどうしようもないくらい、心臓の音がうるさく聴こえていた。
「晴親は」
呼びかけと共に、僕の頬に彼の手が伸びる。顔に似合わず男らしい‥と言う感じの手だ。

僕の神経がざわめく。
本当なら僕はこうやって他人に触れられる事が好きじゃない。
ただ、彼のそれには不思議と嫌悪を感じない。
触れた手が離れると、むしろ幾ばくかの寂しささえ感じてしまった事には自分でも驚いている。

「晴親は、俺の事‥嫌い?」
それこそ、愚問だ
「…嫌いだったら、ココまでついて来ないでしょ」
「ちゃんと言葉にして答えて?」
「… 好き、だよ」

「じゃぁ、俺が今ココで覆いかぶさったら
素直に抱かれてくれる?」

「―…」
あまりにもダイレクトに問われたので、僕は答えに窮した。
まっすぐ向けられた視線から、ハルさんの気持ちが痛いくらいに伝わってくる。

でも‥
その気持ちに 今の僕はきっと、応えられない

「…なんて。急に迫られても困るよねぇ。
そりゃ場所は場所なんだけどね」
真剣な先の表情を崩して、彼はいつも通りに笑った。
「ハルさん…」
と。
彼が僕の顔を引き寄せた。
「っ!」唇が触れる直前で止まる。
「…」早鐘のような自分の心臓の音を自覚して僕は恥ずかしくなると同時に、傷が疼くのを感じた。
「…しないの?」
それでも、敢えて挑むように問いかける。
「―嫌じゃないの?」
質問が返ってくる。距離は保たれたまま。こんなの、一気に襲われるよりもよっぽど心臓に悪い。
「嫌なんかじゃ、ないよ…」
彼はきっと、僕からの答えを聞きたかったんだろう。
僕の言葉を聞いて、確かめたかったんだ。
でも、僕は少しだけ嘘をついた。
―傷が疼いて、吐き気がする

ハルさんの唇には、まだ微かに酒の匂いが残っていた。

「…ごめんね」
少しの息苦しさを感じ 気が付いたら、僕は泣いていた。
ハルさんが、僕の涙を丁寧に指で拭ってくれた。
「―こんなことしちゃって、これからどうすんの」
僕の言葉の中には、いろいろな意味が含まれている。勿論、彼が解っていない訳じゃない事も承知している。
「うん…ごめんね。晴親のこと、巻き込んじゃった」
「俺だって、ハルさんのこと好きなんだよ。友達以上の気持ちってことだよ。
ハルさんがこうやって俺の期待に応えてくれちゃったら‥俺、勘違いするよ」
解りきった事だけど、言わずにいられなかった。
「―それに、俺…男なんだよ?」
「うん‥解ってるよ」
解ってる。ハルさんはもう一度、自分にも言い聞かせるように呟いた。
「―でも、好きなものは‥どうしようもない」
中低音域の柔らかな声でこぼされた言葉に、すべて委ねてしまいたい衝動に駆られてしまう。
言ってみれば、お互いの気持ちはとうに通じているのだ。後は流れに任せても構わないじゃないか。
そんな気持ちとは裏腹な言葉が、僕の口から吐き出される。

「…それが単に寂しいって気持ちから来てるだけかも知れない‥とは思わない?」
正論だけど偽善だ。ホントは、そんな事が言いたいんじゃない。
ハルさんが少しだけ悲しそうな顔をしたのも解っている。
「…そうかも知れない。今の俺に、そうじゃないって否定出来る根拠もない」

その、弱々しく呟くハルさんの姿を見て、
僕は覚悟を決めた。

「ハルさん、聞いて」
「…うん?」
僕だって 彼の事が好きだから
ちゃんと 言わなければいけない

「―俺ね、今まで恋愛感情ってのが理解出来なかったんだ」
「うん」
「他の誰かに特別な感情を持つことなんて‥考えられなかった」
「‥うん」
一つひとつ言葉を繋げる僕に、ハルさんもじっくりと確かめるように相槌を打つ。
僕は呼吸を整えて、改めて口にする。
言葉にする事で、この気持ちを真正面から捉えたい。

「ハルさんは、俺が初めて『好き』って思った人だよ」
「…そっか」
口にして改めて実感する。恥ずかしいような、少し誇らしいような気持ち。
誰かを『好き』になることで、自分にもたらされるものが解ったような気がした。
僕の言葉を受け止めた彼もまた、同じような気持ちになってくれるのだろうか。

「でも俺、『恋愛感情(それ)』以上に‥性的欲求が無いんだ。
―〝誰に対しても〟」
ハルさんが、僅かに眉根を寄せて聞いた。
「―…それは、
男だけじゃなく女の人にも‥ってこと?」
「そう」
「―だから‥ハルさんがそういう風に誘ってくれても‥俺は」
「晴親、もういいよ」
そう言って、ハルさんは僕の言葉を強く遮った。
さっきまでとは違い、今度は強引に僕を抱きしめる。

知らないうちに、僕はまた泣いていた。
―ああ、カッコ悪いなぁ
「そんな事気にしなくていいよ。俺は晴親と一緒に居たいだけだから」
「…ハルさん…」

「嫌だったらちゃんと言って?俺と居る間くらいは、無理しないで」
ハルさんの腕は、子供をあやすように優しく僕を包み、ゆっくりと髪を撫でてくれていた。
―もう、息苦しくはならなかった。

どうしてこんなに優しいんだろう
これが、『恋しい』って気持ちなのかな
確証はないけれど、僕たちは何処かで
とても似たものを持っているのかも知れない。

しばらくして、ハルさんが僕の耳元で囁く。
「ただ、出来ればこうやって触れるくらいはしたいんだけど…それも嫌?」
「ううん、‥平気」
もっと触れて欲しい‥
僕は敢えて言葉の続きを飲み込んだ。
そういう気持ちが芽生え始めたのも初めてだから、僕自身がこの気持ちをどう扱っていいのか解らなかった。

「―ウサギは寂しいと死んじゃう、なんて
確か迷信だったハズだよね‥?」
ポツリと呟く僕を、彼はもう少しだけ強く抱いた。

「本当の寂しがり屋は、そういう風に想像する人間の方だよ」
危うい僕らの関係が、加速度を増して転がっていく。

徒花【春】

子供の頃から、気が付いたら俺は男の子でも女の子でも、自分の好みであれば一様に好きになってしまう。
元来惚れっぽい性格ではあったものの、
それ以上に自分の性質が周囲の人達とは少し違うものだと、時が経つにつれ自覚するようになった。
ある『性的指向』が自分にあてはまるようだった。
勿論、他人から「そうだ」と指摘された訳じゃない。
自分で調べて見つけた程度の情報が何処まで信用出来るかなんて、分かったもんじゃない。
ただ、何か明確なカテゴリーがある方が『変わり者』と言うレッテルを貼られるより
ほんの少し、おさまりが良いだけの事だ。

晴親は恐らく、言わば対極にある性質の指向。
勿論これも確証がある訳ではないし、それが分かったからと言って俺たちの状況が変わる事も無ければ、
俺の気持ちが変わることも無い。

晴親は 晴親だから。
恋愛感情を含めた俺の性的指向と言うのは、つまりそういうものだ。

でも‥何と言うか
自分の現況と今このタイミングで、そういう性質を持った俺たちが出逢ってしまったと言うのは
何と言うか‥随分な皮肉にも思える。
俺が想えば想うだけ、彼を苦しめることになるのではないか‥。
少しずつ、重たい暗雲が俺の中にわき始めていた。

    ◆

結婚後、特に昇進の前後からやたらと忙しくなった。
公私共に変化する生活環境になかなか追いつけず、心神耗弱状態の日々が続く。
ろくに自宅にも帰れない状況の中で、必然的に妻・冴子(さえこ)との距離も離れていっていたようだ。
当時の俺には、そこまで気を遣える余裕が無かった。

研修の為に本社勤務となり、一時的に東京を離れた。その頃、冴子も家を空けていた。
研修期間を終えて今の事務所に戻って来たのが、今年の早春。
出て行ったままだった彼女を呼び戻し、話し合ったのはその頃だ。結果的に彼女は再び出て行く事になる。
考えなきゃいけない事が山積するのに、頭が一向に働こうとしない
そんな時期の事だった。

「こんにちはー、失礼します!」
邪魔にならない、けれど程よく通る声が事務所の入口から聴こえた。
郵便配達か。事務担当の年配女性が応対に出ていた。

「今度来るようになった郵便屋さん、カワイイんですよねー」
カウンター越しに荷物を受け渡しする姿を眺めながら、後ろのコピー機で作業していた(数少ない)女性社員が俺に耳打ちする。
「―へぇ、珍しく若いコだね」
パソコン画面から目を離し、俺もその姿を拝見する。

黒髪に比較的ハッキリとした顔立ちが映え、何処か野暮ったい雰囲気の制服さえスマートに着こなせてしまうスタイルの好さ。
受け渡しのやり取り中、常に〝完璧〟な笑顔を魅せている。
なるほど、カワイイ。
作業着を着たオジサンばかりがウロウロするこの職場で、女性陣が沸き立つのも当然だ。
こういう言い方は申し訳ないが、目の保養にはちょうどいい。

ただ俺は、可愛いと思った以上に彼の笑顔が印象に残った。
このコ、随分と厚い仮面を被ってる‥
微かに自分と似たものを感じて沸々と、彼に興味が湧いた。

彼はほぼ毎日同じ時間帯に事務所を訪れるようになり、
他の女性社員と同じかそれ以上に、俺はその時間を心待ちにするようになっていた。
自分の彼に対する思惑については、よく考えなくても充分に自覚している。
下手に手を出すな‥と、僅かに保たれた理性が警告を発している。
勿論、しばらくはそれに従っていたのだ。

その日は珍しく、午前中に外出の予定が入っていた。
寒の戻りと言うに相応しい日和で、通りは容赦ない北風に晒されていた。
俺はコートの前をしっかり締めて歩いた。帰社前にコーヒーでも飲んで温まろうかとビル脇の自販機に立ち寄る。
小銭を出すのが面倒で、ICカードで会計を済ませ…
「―あ、」
ゴトン、と無造作に落ちてきた缶を見て俺は途端にガッカリした。
―加糖されたものを買うつもりで、思いきり無糖のボタンを押していたらしい。
「…マジかぁ」
ついでに一服でもしていこうか、と考えていた気持ちもすっかり萎えた。
仕方ない‥後で誰かに押し付けよう。

そこまで考えて、一人の顔が即座に浮かんでいた。
「…」腕時計を確かめる。11時半。

―もしかしたら
急いでコーヒーをコートのポケットに突っ込んで、ビルの出入り口に手を掛けた。
しんと静まる建物の中に、声が聴こえる。
「有難うございました。失礼しまーす」
間違いない、彼の声だ。声は二階から聞こえているようだった。予想的中。
必然的に俺の胸が高鳴る。
階段を降りてくる足音を確かめて、俺はエレベーターのボタンを押すのをやめた。階段に足を掛ける。

「―‥」
「あ、お世話様です」
踊り場を歩く彼がこちらに顔を向けた。
瞬間的に表情を変えたのは、恐らく俺が何処の誰なのか思い出そうとしていたのだろう。
―まぁ、考えても出て来ないと思うけどね。
「恐れ入ります」
反射的とも言える笑顔と挨拶が出てきた。けど、その前に一瞬だけ見せた〝素〟の表情を俺は見逃さなかった。

困ったな‥たまらなく可愛い。

思わず顔が緩んでしまいそうだったので、俺は早々にその場を離れようとした。
―のに、
「―外、寒かったでしょ?」
彼はそう言って、俺を引き留めたのだ。
ポケットに入れていた缶コーヒーの熱にも煽られ、俺の体が一気に熱くなった。

やっぱり 黙って見てるだけなんて、我慢出来ないよ。



その日は夕方になって発覚したミスが元で予定が狂ってしまい、珍しく残業する事になった(俺の失態ではない)。
昼から座りっぱなしで作業しているので、流石に眼や腰に疲労を感じる。
パソコン画面から視線を外した瞬間、机の上に置いたままの携帯が振動して着信を伝えてくる。
取ろうとすると、ワンコール分で切れてしまった。

「…!」画面を確認して、胸が高鳴る。
―ちょうどいいや、少し抜け出そう。
「‥悪いけど、ちょっと休憩入れるね」周囲に宣言して立ち上がる。
「行ってらっしゃーい」幾分生気の無い声に送られて、俺は事務所を出た。

建物の外側、通りに面さない壁際に自販機と喫煙スペースが設けられている。
お茶のペットボトルを買った先客が居なくなったのを確かめてから、携帯を取り出して折り返す。
4、5回のコールで出てくれた。

「―あ、ハルさん?ゴメンね、折り返させちゃって」
ああ、晴親の声だ。嬉しいと言うか、安心したと言うか。
「ううん、こっちこそ気遣ってくれてありがと」
終業の時間には微妙だったから、とりあえず足跡を残したんだろうな…と俺は解釈した。
「ああ、いえいえ」晴親は、照れくさそうに答える。

「今、平気?何なら、俺からかけ直そっか?」
「いや、いいよ。どのみちまだ仕事中だし」
話しながら自販機でコーヒーを買う。ボタンを押した後で不安になったが、出てきた缶はちゃんとミルクコーヒーだった。
「え、そうなの?ゴメン!急用じゃないから‥切ってもいいよ」
通話口の向こうの声が少し慌てている。
―こういう所、カワイイな
「今休憩中だし、ちょっとだけなら大丈夫。
―それに、今 晴親の声聴きたかったからさ」
「―…恥ずかしいこと平気で言うなぁ」

苦笑して照れる彼の表情を思い浮かべてニヤけてしまう自分に気が付き、俺はさり気なく通りに背を向けた。
「‥だって今日、来てくれなかったし」
午前中に配達に来たのは、晴親とは別の配達員だった。
「そうそうゴメンね、今日非番だったの伝えそびれてて」
「いいよ。気にしないで」


事務所の自分の席に再び戻る頃には、心なしか体まで軽くなっているような気がした。
何というゲンキンさ。自分でも呆れる。
晴親とは昼に会えなかった分くらいの取り留めのない会話をした後、ついでみたいに来週末の約束をした。
「来週末は日曜が休みだからさ、土曜日に会おうよ。
―って言うか‥もしハルさんの都合が良ければ」
晴親はそこで一度呼吸を置く。
「金曜の夜から‥うちに来ませんか」
「―…え?」
「えっと、土曜は俺仕事だけど、何ならうちに居てくれてもいいから‥あの‥」
しどろもどろする晴親の可愛さも言わずもがな、提案されたプランに驚いた。
彼は何処まで俺の心が読めているんだろう?

「‥俺が行ってもいいの?」
恐る恐る問う俺に、晴親は身を乗り出すような声で答える。
「勿論!ただ、俺の部屋めちゃくちゃ狭くて汚いけど‥それでも良ければ」
「行きたい」―もっとずっと、一緒に居たい
「うん、じゃ、決まり」
喜びを噛みしめたような晴親の様子が、通話口を通して伝わってくる気がする。
俺の思い込みかも知れないけど‥彼も同じように考えてくれているって、思っていいかな。

このまま 彼の優しさに埋もれて生きていけたら
どれだけ幸せだろう
そんな風に考えてしまう
自分の弱さも嫌ってほど実感している


約束をしてからの二週間は、長いようで短いような
早く来て欲しいと思う一方で、いつまでも『楽しみ』のままそこにあって欲しいような‥複雑な心境で過ごしていた。

昼に連絡して、自宅の最寄り駅を聞いておいた。ホームに着いた時点で一報を入れる。
『改札にいるよ』と言う晴親からの返信を読む前に、本人の姿が確認出来た。
「―お待たせ」
「あ、お疲れ様」
いつもと違う場所で見ることが出来た晴親の笑顔が、何処か新鮮に映った。

「ごはん、どうしよっか?どっかで食べて帰る?」
駅を出ると随分と広い通りに面していた。甲州街道だ。晴親は大通りを背にして脇道を抜ける。
その先は商店街。晴親の後について歩きながら、俺は少し考えて提案した。
「‥ねぇ、良かったら俺が作ろうか」
前を歩いていた晴親が、驚いたように振り返る。
「ハルさん、料理出来るの?」
「自炊期間長いからね。簡単なモノなら何とかなるよ」
「わぁすげぇ意外」
「―心外だなぁ。別に、嫌なら外で済ませてもいいけど?」
俺が睨むと、晴親が慌てて
「いやいや、ゴメン!是非とも作って頂きたいです!」
手を合わせて拝む仕草をした。
「―よろしい。引き受けましょう。買い物したいんだけど、何処かある?」
「やった!じゃぁ、こっちね」
俺は晴親の隣に並んで、再び歩き出した。

スーパーを出てふたつ程ブロックを進んだ先で、また脇道に入る。
程なくして現れた小ぎれいなアパートの前で足を止めた。「―ココ」晴親が告げる。
外壁は少し緑がかった白色。珍しい色だな‥
「へぇ、きれいなトコだね」
外観をぐるりと見渡して、素直に感想を言うと
「外側はね、割と新しいから」晴親は少し恥ずかしそうに苦笑した。
アパートの二階の奥が、彼の住まいらしい。
鍵を開けて「―どうぞ。あまり期待しないようにね」と招き入れられた。

「―何だよ、全然狭くも汚くもないじゃん」
1Kだけど、リビングが意外と広い。モノが少ないせいかな。
「そぉ?」
「台所が使いやすそう」
「‥なら良かった。邪魔にならなければ俺も手伝うからさ。‥とりあえず着替えたら?」
そう言って晴親がハンガーを二、三本手渡してきた。
「ああ、ありがと」
受け取った後、俺はもう一つお願いをする。
「―あとね、何か着るもの貸して?」
「え、着替え持ってきてないの?」
「下着は持ってきたから安心してよ」
「何それ。どう安心したらいいの‥」
ブツブツ文句を言いながらも、テキトウな部屋着を見繕ってくれる。

初めは着替えを持って出るつもりだったけど、余計な荷物を持って会社に行く事が少し躊躇われた。
うちの夫婦仲に陰りが見えている事は会社でもうっすら気付かれているから、変な勘繰りを入れる材料を与えたくなかったのだ。
考え過ぎかも知れないけど、そういう些細なほころびからやがて俺と晴親の関係が知られてしまう事が、何よりも一番怖い。

「―ゴメンね、いろいろ」
借りた部屋着に着替えながら、晴親の顔色を窺った。
「え?何で謝るの?」
「いや‥急にわがまま言ったかな‥とか」
俺の言葉に晴親は一瞬きょとんとしたが、すぐに声を上げて笑い飛ばした。
「あはは、全然。俺のもので良ければ好きに使ってよ。
―あ、サイズも問題無さそうだね」
体格が似たような感じだったので、サイズも合うと踏んでいた。
程よくクタクタな長袖Tシャツが肌に心地好い。自分が使うものとは違う、柔軟剤の匂いがした。


何とか形になるメニューをいくつか作り、無事に食卓に並べられる事が出来た。
簡単なものとは言えちゃんと料理するのは久しぶりで、食べてくれる相手が居る事もあって随分と緊張したが、
「―すげぇ美味い」
並べた料理に目を輝かせ、口に運んでそう言った晴親の表情を見てホッとした。
「ホント?良かったぁ」
安堵した途端に喉の渇きを思い出し、黒ビールに口を付けて一気に半分程流し込んだ。
「ハルさんて、何でも出来るんだねぇ」
箸休め用に作ったポテトサラダと俺の顔を交互に見て、彼がしみじみと言う。
「何言ってんの。出来ないことの方が多いよ」

いつもなら、こういう褒め殺し的なことは俺の方が得意なんだけど‥。
自分に矛先が向くと、やっぱり気恥ずかしくて酒ばかりが進んでしまう。

俺に負けないくらいのペースで飲んでいる晴親が、少し呂律が回らなくなった口調で言った。
「知らないハルさんがたくさん見られて、嬉しい」
そういう彼の姿も新鮮で、俺も嬉しい。外で飲む時よりも確実にガードが緩んでいる。
艶っぽくなった彼に欲情するなと言う方が、無理な話だ。

本棚に並べられていたDVDを物色すると、懐かしい特撮映画を見つけたので観させて貰うことにした。
当時大好きだった怪獣たちを眺めながら、久しぶりに何も考えずに好きな事だけを語れた。
エンドロールが流れる頃には、だいぶ意識が途切れかけていた。
「眠い?」「ん…」
晴親の問いかけにぼんやりと頷く。酒のペースと量が暴走気味だったせいで、思いのほか早くに睡魔が襲ってきた。
「ベッド使って、寝ていいよ」
晴親が俺の腕を取って促す。
「俺はこっちで寝るから‥」
「ダメ!一緒に寝るよ!」
俺はその腕を引っ張って、話が終わる前に彼を巻き込んで布団に潜り込む。
「‥ぅわ!」
二人分の体重を一気に抱え込んだベッドが沈んだ。


布団の中で晴親を背後から抱きしめると、ふわりとした空気が俺の鼻孔をくすぐった。
「何処もかしこも、晴親の匂いがする」
「ハルさんてば、くすぐったい」
お互いの体温で布団がじんわりと温まる。気を抜けばすぐに眠りに落ちてしまいそうな程、俺の全部が気持ちいい。
「―晴親」「‥ん?」
首筋に唇をつけ、懇願する。
晴親の体が微かに反応した。
「―ちょっとだけ、いい?」
彼は少しだけ答えに迷って、それから小さく「いいよ」と呟いた。

胸元や足の付け根を思わせぶりにまさぐる。
柔らかな黒髪に指を絡め、軽く耳朶を噛んだ。
「‥っ!」さっきよりも敏感に、彼の体が震えた。
その僅かな反応に、俺の身体は激しく高ぶる。
自分の熱情を自覚すればするほど、彼との確実な温度差を思い知らされる。
気持ちは、同調してるはずなのに
「…ハルさん‥」
「―こういうの‥やっぱり、嫌?」
躊躇いがちに晴親に触れてみる。弾かれたように、彼の全身が震えた。
「―‥晴親?」
そこは、俺の指先に確かに反応していた。
じりじりと熱を持ち始める一方で、晴親の呼吸が不自然に荒くなった。「晴親」
「‥‥っ‥大丈夫」
「大丈夫には見えないよ?‥晴親、ゆっくり呼吸して」
俺は晴親から手を離し、仰向けにした。
「―ん…」

ほったらかしにされていたDVDは本編再生を終え、振り出しのメニュー画面がエンドレスで流れていた。
照明もつけっぱなし。俺は、布団の中で少し汗をかいていた。
晴親の胸の上下が次第にゆっくりと落ち着きを取り戻す。
ふっと大きく息を吐き出して、彼が口を開いた。「―ごめん。もう、平気」

「俺の方こそゴメンね。無理させちゃって」
「違う」殊更ハッキリとした言葉で否定されたのが、やけに気になる。
「‥え?」
「違う‥。いいんだ。
ハルさんに触れられるのは、俺も嬉しいから‥」
俺を見る晴親の目が潤んでいる。それは何だか、今苦しかっただけの理由ではないような気がした。
「―でも、…応えてあげられない…」
彼の悲痛な声が俺の胸を抉るように響いた。零れ落ちる涙を見せないように顔を覆う彼をむやみに抱きしめる事も出来ず
俺はただ、彼の柔らかな黒髪を撫で続けた。



「―俺、中学上がったばっかりの頃‥無理矢理〝された〟事があるんだ」
「―…」
暗い部屋に、枕元の電気スタンドだけが二人を照らす。
修学旅行の夜みたいに、枕を抱えてうつ伏せになって並んでいた。
晴親は淡々と話し始める。
「近所の子で、確か四つくらい年上だったかな。姉さんみたいで、小さい頃から俺はいつも彼女の後を追っかけてた。
小学校の頃から、勉強も見て貰ったりしてたんだ。俺は正直言って、家族みたいな気持ちで接してた。
‥けど、彼女はそうじゃなかった」
お互いの気持ちにズレがある、なんてことはよくある事だ。
まして学生時代なんて、どれもこれも自分の都合のいいように考える。

「その日、いつもみたいに彼女の家で課題をやってた。
でも、何だか彼女の様子が変だな‥って思ってて、
そしたら」
晴親の唇が微かに震えている。思い出したくないことだろう。それを無理に聞き出すつもりは毛頭ない。
「無理に話さなくてもいいよ」と声を掛けると、まだ涙ぐんでいる目が俺を見て、静かに首を振った。
「彼女が‥俺に覆いかぶさってきて‥」
「―…」

俺は、彼にかけるべき言葉を持っていない。彼と俺との唯一とも言える相違点であって
彼がそうであるように、俺も彼の『その時』の本当の気持ちを理解することは出来ない。

―けれど、
それは彼にとって、相当に屈辱的なものだったに違いない。
それは、彼の人間性そのものを否定されたような気持ちがしたんじゃないかと思う。

そうでなければ 
どうして彼は、今もまだ泣いているのか

「―何が起こってるのか解らなかった。でも驚いたよ。
それを理解する前に身体はちゃんと反応してた。‥まるで、俺の中に別な誰かが居るみたいだった」

―こんな怪物が、僕の中に棲んでいるの?
―これは 僕なの? お前は、何をしているの?
―気持ち悪い 吐き気がする 

もう、やめて——
―…

当時の彼の姿が、俺の目の前に現れた。泣いている。怒っている。叫んでいる。
かき乱された彼の肩を、どうにかして抱きしめてやりたかった。

「‥結局〝不完全〟だったけど、最後まで大した抵抗も出来なかった。
何処かで彼女に嫌われたくないって考えてたのかも知れないけど‥
多分『友達』としての彼女を失いたくなかったんだと思う」
「…うん」
「―ただ、彼女は俺を〝そういう〟対象として見てたみたい。
‥結局それから彼女が卒業して上京するまで、俺は彼女と顔を合わせる事は無かった」

晴親がふと、俺を見つめた。俺の前に居た中学生の彼がいつの間にか消え、隣に居る今の彼だけが残っていた。
晴親はゆっくりと手を伸ばして、俺の頬に触れた。
「…晴親」
「『好き』って気持ちは、本当に曖昧で脆いものだよね」

それはとても穏やかに紡がれた言葉だったけれど、悲しみと虚しさを伴って俺の中に浸透していった。
―彼は今なお、傷つき続けている
「―だから‥知らないふりして、遠ざけてきた。
他人に対して何の感情もわかない自分を‥いつの間にか受け入れていた。次第に、身体も反応しなくなってきた。
そうする事で俺自身を保っていたのかも知れない。
それが一番、楽な生き方だったから‥」

俺が 俺なんかが、彼に出来ることなんて何も無い。

「ハルさん、苦しいよ
―俺は今…
こんなに、貴方が好きなのに」

    ◆

翌朝目が覚めた時には、晴親の姿は無かった。

―そっか‥今日は仕事なんだっけ
起き上がると、テーブルの上のメモと鍵が目に付いた。

『冷蔵庫の中のものは好きなように使ってください
出掛ける時は鍵をポストに入れておいて。後で電話します』
郵便屋さんは朝早いんだな‥
昨夜散らかしたままだったはずのテーブルまでしっかり片づけて出勤する所に、彼の几帳面さを見た。
―あの後、彼はちゃんと眠れただろうか

お湯を沸かし、インスタントコーヒーを見つけ出して淹れた。迷ったけど、ブラックのまま口にする。
「―うう、やっぱ苦い」
でも、このくらいしないと起動しない気がする。

彼の言葉が、俺の中で何度もリフレインする。
彼が俺に向けてくれた『好き』の言葉は、俺が想う以上のものだった。
彼は俺に身体的な意味で『応えられない』と言ったけれど、
それ以上に俺は、彼の言葉に完全に応えてやることが出来ない。

こんなに
近づくべきじゃなかったのかも知れないな‥

何だかいろんな意味で、随分知らない所まで来てしまった気がする。
『早坂 春』として対峙しなければいけない問題を置き去りにして
『ハルさん』は、晴親の事だけを考えている。
彼に敢えてそう呼ばせたのは、停滞した『早坂 春』とは切り離して接したかったからだ。
―俺自身が、そこから逃げたかっただけだ。

出逢ってしまったものは仕方ない
好きになってしまったものは、止められない
俺は 俺の出来る限りで、彼の気持ちに応えることしか出来ないけれど

このまま ずっと
晴親の隣に居られればいいのに
何度となく浮かべるフレーズに、俺はまだ酔いしれている。

徒花【ふたりの道】

【晴親】
帰りの電車を乗り継いで、最寄り駅に着く。改札を出た後、我慢出来ずに走り出した。
そんなに時間が変わる訳じゃない。我ながら馬鹿みたいだけど。
それでもやっぱり、早く会いたい
彼の顔が見たい

玄関の前で鍵を探そうとして、今日は持っていない事を思い出した。
ドアノブに手を掛けると、鍵は開いていた。
「―ただいま!」
何だかすごくいい匂いが、僕を包み込んだ。
「…あ、おかえりー」
彼は、ちゃんとそこに居てくれた。昨日までと同じ笑顔で、僕を出迎えてくれた。
「ハルさん!」
急いで靴を脱ぎ、狭い廊下を駆け込んで行く。
背負ったカバンもそのままで、思い切り彼に抱きついた。
「―わっ」
ハルさんからは、僕と同じ柔軟剤の匂いがした。
「ただいま」もう一度、確かめるように僕が言うと
「うん。おかえり」
もう一度律儀に応えてくれて、ポンポンと僕の頭を撫でてくれる。
―良かった。昨日までと変わらないハルさんだ。

彼の作る料理はやっぱりどれも美味しくて、改めてこの人のスキルの高さを実感する。
僕自身は元々料理が苦手だし、作るのも食べるのも独りで済ませる自宅での食事には思い入れが無い。
準備してもらって、誰かと囲む食卓なんていつぶりだろう。
観るでもないテレビを流しながら何てことない会話をしているうちに、
お互いのちぐはぐな気遣いはいつの間にか解消されていった。


「―…?」
深夜、僕は何故か目が覚めた。隣にあったハズの気配が無くなったからかも知れない。
―ハルさん‥?
そっと寝返りを打って目を開けると、彼はベッドから出てこちらに背を向けて座っていた。
真っ暗な室内に携帯画面の刺すような明かりだけが浮かぶ。
「―!」
マズい。この位置からじゃ、画面が読めてしまう。僕は慌てて元の姿勢に向き直る。
―今更遅いかも知れないけど
「…っ」気配に気づいたのか、ハルさんが振り返って僕を見つめた。
背中越しに食い入るような視線を感じて、僕は鼓動が高まるのを抑えきれなかった。
「…」
壁に反射していた携帯の明かりが消えて、部屋が再び暗闇に戻る。
ベッドが沈んで、彼が何も無かったように戻って来たことを悟った。
ふわりと空気が動いたかと思うと、僕の背中が彼の体温に包まれた。
触れるか触れないかの距離で、彼は僕に自分の気配を感じさせている。
「―…」
触られたり、抱きしめられたりするよりも僕に対して効果的であることを知っているかのような
彼の振る舞いが、少し意地悪く思えた。
その心を揺さぶる興奮は、
今の僕の身体にうまく表れない。

「晴親」小さく、そう聴こえた気がした。僕は、返事をするべきか迷った。
彼が続けた次の言葉が「ごめんね」と言っていたような気がして、結局それに応える事は出来なかった。

彼が見ていたメールの相手の名前と内容が、嫌でも僕の脳裏に刻まれる。
やっぱり現実は、そういつまでも甘くない。


翌朝、部屋の中がまたいい匂いに包まれていて目が覚めた。
トーストのバターと淹れたてのコーヒー。理想的な朝ごはんの匂い。
「―あ、起きた。おはよ」
台所で作業していたハルさんが振り返る。見ると、すっかり洗い物まで済ませてあった。
「おはよう‥早起きだね?」
僕の眼はまだ半分も開いていないのに。様子を察したハルさんが苦笑した。
「目が覚めちゃったからさ。晴親も顔洗っといでよ、ごはんにしよ」
「‥あい」

―何か‥うちに奥さんが来たみたいだ
洗面台に向かいながらそんな事を考え、ふと昨日の事を思い出す。
僕の胸がチクリと痛んだ。

何処かへ遊びに行こうか、と提案されたので僕は少し迷ったけど
「水族館に行きたい」と答えた。彼は
「―へぇ、お魚好きなの?」と、またカワイイものを愛でるような視線を寄越してくる。
「好きだよ。海の中みたいでキラキラした雰囲気も好きだね。―カワイイもんでしょ?」
ほとんどヤケになって答えた。
「―‥ゴメン、何か怒らせたね?」
「別にぃ」勿論、本気で怒ってる訳じゃない。
ただ、いろいろな部分で僕が彼に敵わないものがあることを痛感しているだけだ。
それと、彼が僕に肝心な事だけ何も言わないことに寂しさを感じているだけ。
「んー‥何か引っかかるけど、まぁいいや。
晴親の機嫌がなおるような水族館をリサーチしましょう」
「別に怒ってないって言ってるでしょ」
そうやって、少し茶化してしまう事で何か大事なことを隠してるのかな‥とか何とか、僕のマイナス思考が地味に回転している。

結局、その日は穏やかに時間が過ぎた。
別れ際、彼からの「ありがとう」がやけに寂しげな響きを帯びていた事を思えば、彼の胸中が想像出来ない事もなかったけど
僕は敢えて気付かないふりをした。

良くない勘というものは割と当たるもの。
それからしばらくの間、ハルさんは僕の前から姿を消した。

     ◆

個人的に連絡が来ない事は、まぁそういう事もあるだろうと納得させる事も出来たけど。
ハルさんの姿は、彼の会社でも見掛ける事が無かった。
誰かに聞く事も出来ないしな‥
何となくモヤモヤしながら、そろそろ一週間が経とうとしていた。

仕事上がりに局を出た途端、誰かに腕を掴まれた。
「―?」
振り返ると、知らない女の人がじっとこちらを見据えている。
一瞬、胃がすくむ程の焦燥感が僕を襲う。この人、まさか‥
「―白河さん?」
「―…はい」
相手の勢いに気圧されながら発した僕の返事は、思いのほか小さな声だった。
何だか情けなくて恥ずかしい。けれど返答を確かめた彼女は一気に相好を崩し、先の僕の予想は外れていた事を察した。

…多分、ハルさんの奥さんじゃない。
「ああ、会えた!良かったぁ」
「‥??」
とても嬉しそうなその表情を見て、記憶の引き出しが開きかける。
彼女、何処かで会ってる気がするな‥。彼女はハッとして僕の腕を離し、ペコリとお辞儀する。
「あ、いきなりごめんなさい!
私、長沼(ながぬま) 葉月(はづき)って言います。―覚えていませんか?」

セミロングの髪はダークブラウン。意志の強そうなパーツが揃った顔は、ほんのりと色付けしてある程度でも充分に化粧映えしていた。
「―あ…!もしかして、合コンの時の‥」
あの会社何て言ったっけ‥
僕が引き出しの中身をひっくり返す前に、彼女が答えてくれた。
「わぁ!思い出してくれました?
塩原工業の長沼です!先日はお世話になりました!」

ああ、思い出した。彼女の事も、それと小峰から聞いていた話も。


話を聞いたのは、ハルさんが泊まりに来ていたあの日。
「こないだ会った塩原工業のコがさ、お前に個人的に会いたいんだと」
「…どういう事だよ?」
「どういう‥って、気に入ったんじゃないのチカの事。
でもあの時お前だけ連絡先交換してなかったから、俺に連絡が来たんだよ。まったく、ぬか喜びしちまったぜ」
小峰がブツブツ言うのは完全にスルーした。
「―悪いけど、断っといて」
「ええっ?俺がぁ? やだよそんなの」
「だって、俺の方はその子の連絡先知らないんだから」
しかも申し訳無いが、ろくに顔も覚えていない相手だ。
小峰には悪いけど、元々はコイツが勝手に蒔いた種だし、直接会う前に断ってもらう方が後々面倒な事にはならないと思う。

どのみち、その彼女が期待するようなものに発展することはあり得ない。
「一回会って、そん時直接断りゃいいじゃん。
俺が伝えても、そのコ引き下がんないと思うぜ?」
「―そんなこと…」あるだろうか。
だとしたら、もう既に片足を突っ込んでしまっていると言うことか‥

―本当は小峰が悪い訳じゃない。これは完全に、自分の優柔不断が招いた事だ。
こういう事があり得るって、解ってたんじゃないのか。
「な、初回は俺が橋渡しするからさ。一回だけでも会ってやってくれよ」
「―」
あの日はハルさんとの事で頭がいっぱいで、問題を後回しにしていたのだ。


散らばっていた点を繋げるように、恐る恐る確かめてみる。
「‥あの、うちの小峰に話をしてきたのって」
僕の言い掛けた言葉を引き継ぐ(と言うよりひったくる)ように、彼女が言った。
「そう、私です。でもその後、小峰さんから連絡無くって待ちきれなくて‥
実力行使しちゃいました」
―スゴイ行動力だな‥と僕は素直に感心する。

そんなにまでして僕に会いたかった‥のかな‥。
そう考えると、面倒に思っていた事が途端に申し訳なくなった。
それに加えて、小峰の無責任さがやっぱり恨めしい。

「ご迷惑なのは承知してます。でも、あの時白河さんとお話出来てすごく楽しかったから、それだけで終わりたくなくて‥。
一度だけでもいいです、もう少しだけお話出来ませんか?」
何と言うか、すごくストレートだ。
ファーストコンタクトは乱暴だったけど、話す言葉は丁寧で好感が持てる。
これは、逃れようがないな‥
ここまでされてしまうと、僕は彼女を突き放す事が出来ない。
結局はそうやって、流されてしまう。
それに、彼女は少し前の自分を見ているようでもある。

―どうせ、ハルさんとは会えなさそうだし

真剣な眼差しで見つめる彼女に、僕は笑顔で応える事にした。
「―僕なんかで良ければ。
良かったら、これからお茶でもしましょうか」


僕たちは駅の近くにある老舗の喫茶店を選んで入った。
大通りにはいくつか大手のカフェがあるけれど、誰かに見つかって下手に目立つのも嫌だから‥と言う意見が一致した。
ツタが絡まる鬱蒼とした雰囲気の店構えだったが、中に入ってみると割とキレイで明るい。
何組か居る先客が、程よい声量で穏やかに会話していた。
「―意外とイイお店かも」「‥ね」
顔を見合わせて、小声でささやきながら笑う。

あの合コンの席でたまたま隣り合ったのが、彼女だ。
初めのうちはなるべく個人的に話しかけないようにしていたけれど、彼女の方から数合わせに連れて来られたクチだと聞いて多少気が緩んだ。
他のメンバーの騒ぎの輪から少し離れて趣味の話を始めたら、意外なことに彼女が乗って来たのだ。

「―まさかあの場所でガメラの話が出来る人に逢えるなんて、思ってもみませんでしたよぉ」
オーダーした紅茶にミルクを入れながら、彼女は満面の笑みで言う。
「あはは、僕もですよ」
ハルさんはどっちかって言うとゴジラ派だし…
なんて考えがつい浮かんでしまい、目の前の彼女に対しても後ろめたい気分になる。
「私、他のみんなが騒ぐほど結婚とか恋愛とか、興味無いんです。
でもこの歳になると、どうしても周囲がうるさくなって‥。
どうせ誘われるなら合コンも顔出して、テキトウな相手を見つければいいかと思って」

苦笑いしながら彼女が話した。その気持ちは、解らないでもない。
「長沼さんって、おいくつなんですか?」
思わず無意識に聞いてしまった。
「―‥」
「―あ、いや、すみません!
いきなり失礼な事聞いちゃって‥!」
彼女は慌てる僕をじっと見つめた後、からからと笑って答えてくれた。
「―ぜーんぜん気にしないですよぉ。ちなみに今二十八。
‥あと、私の事は名前で呼んでください。自分の苗字、あんまり好きじゃないの」
「…葉月、さん?」
「全然、呼び捨てちゃってもらっても。白河さん、確かひとつ上ですもんね?」
僕の方の年齢は既に知っていたらしい。
「うん‥」
会った当初、ハルさんとも同じようなやり取りをしたなぁ。こういうのがすぐに打ち解ける人の常套手段なんだろうか。

―って。ダメだ
どうしても、比較して見てしまう。
だからなのか、僕から彼女へ「名前で呼んでいいよ」とは返せなかった。彼女は特に気にしてはいないようだったけど。

彼女が少し改まって聞いてくる。

「―あの‥もしかして白河さんは、今おつき合いされてる方とかいらっしゃいますか?」
「…あ、えと…」

何と答えるべきだろう。彼と僕とは、どんな関係だって言えるのかな‥。
彼としてる事を考えれば、つき合っていると言えなくもないけど。
音沙汰の無い今、僕にはそう言い切ってしまえる程の自信が無い。
まぁ、そもそもがいわゆる不倫関係な訳だし。
でも…彼女は初めから、僕に『相手』が居るって思ってたみたいな言い方をしている。
だとしたら、彼女は何でこんなに僕に執着するのだろう。

ただ彼女の殊更真剣な眼差しを感じると、その場しのぎで誤魔化したくはなかった。
折々で見せる彼女の意思の強さに、僕はその都度気圧される。

「―おつき合いしてる、と言う訳じゃないけど‥
好きな人は、います」
ありのままを答えよう。僕はそう考えた。
彼女は一瞬だけ表情を変えた。
「この先どうなるかは解らない。うまく行かないかも知れないけど‥俺はずっと一緒に居たいと思ってる人です。
―ホントは、こんな気持ち抱えて合コンなんか行っちゃいけなかったんだよね‥」

彼女が下を向いたので、怒り出すか、あるいは泣き出してしまうかと思った。
僕がごめん‥と言葉を続ける前に
「謝らないでくださいね」と、鋭く遮られた。
「…」
言葉に詰まった僕に、改めて顔を上げた彼女
―葉月さんは、笑っていた。
「そっか。何か、そんな気はしてたんです。予想通り」
「…え、そうなの?」
「解りますよぉ。白河さんの雰囲気とか振る舞いとか、お話とか‥。
多分、すごく大事な人が居たか、今も居るんだなって思ってました」

―驚いたとしか言いようが無い。向き合って話したのなんて、ほんの少しの時間でしか無いのに。
彼女個人の洞察力なのか、それとも女性の勘の鋭さなのか‥

と言うより、僕の態度が解りやすいだけなのかも知れない。
「あ。勿論他の人は気付かないと思いますよ。白河さんすごいポーカーフェイスですもん。
私は、単に白河さんの事だけ見てたので解ったんです」
「―…はぁ、…なるほど」
何気無く聞いた彼女の言葉を自分の中で反芻して、無性に恥ずかしくなった。

葉月さんの表情がまた少し柔らかいものになって、今度が彼女の方が照れくさそうに話し始める。
(彼女の言う)僕とは対照的に、彼女の表情はくるくると目まぐるしく変化する。
何と言うか、とても女の子らしい‥なんて言ったら怒られるかな。
「私ね‥ホントは、気兼ねなく話せる友達が切実に欲しいんです。
白河さんなら、いい友達になれるんじゃないかなって思って」
そう言った後、思い出したように慌てて付け加える。
「‥あ! 勿論コレは『テキトウな相手を見つける』とは違いますよ!」
彼女の話は素直で嘘が無い、と思う。着飾った言葉で巧みに誘われるよりも好感が持てた。

けれどその言葉を聞いて、僕の中に眠る『あの時の僕』が声を上げる。
―そんな言葉、信じるな

『いい友達』っていうものは、特に大人の男女間で何処まで成立するものなのだろう。
むしろあからさまな〝アピール〟をされる方がよっぽど解りやすくて、断りやすい。
でも僕は、平気な顔して心とは裏腹の返答が出来てしまう。
僕だってもう、一応、大人だから。
「―そういうお話なら、僕の方こそ嬉しいです」
「ホント?」
勿論、今の僕には何かあればはねのける力が備わっている。何も知らないあの頃とは違うのだ。
それに彼女と同じように、気兼ねしない友達が欲しいと思っているのは嘘じゃない。
「うん。まだまだガメラの話もしたいしね」
「やった、嬉しい!どうもありがとう!」

何より、僕は別に
誰かに義理立てする必要なんて無いのだ。



ハルさんから連絡が来たのは、あれから10日くらい経った後。
連絡はメールで来ていた。
『ずっと連絡しなくてごめん
出来れば近いうちに会いたい。都合のいい日を教えてください』

僕は何処かで何か違和感を感じていた。
簡潔‥と言うか、無機質で乱暴なメッセージと言う印象を受ける。
いつもの彼らしくない一方的な内容。
―何より、僕たちはこういう約束をする時
基本的にメールを使わないようにしている。…なのに、

そこまで考えた時、僕の頭の中にひとつの可能性が思い浮かんだ。

もしかすると、コレは―
言いようの無い不安が僕の内側をせり上がってきた。
重たい吐き気に襲われそうになるのを、午後の始業を知らせるチャイムが救ってくれた。
僕はメッセージ画面を閉じて、休憩室を出た。

「―チカぁ!」
「―っうわ!‥何だよっ」
小峰が思いっきり後ろから飛びかかって来て、僕はたまらずよろけてしまう。
「お前、俺の知らん所で葉月ちゃんに会ったんだってぇ?」
ニヤニヤと笑いながら、僕の脇腹を小突いてくる。
それについてはこっちにも言いたい事があったのを思い出した。
「―そうだよ、お前が無責任に放置してる間にな」
ニヤケ顔を睨み返すと小峰は思い至ったように頭をかいて、申し訳なさそうな顔をする。

「‥ああ、いや、そりゃ悪かったよ。
ちょうど遅番だの飲み会だのが重なって、彼女と連絡取れる時間が合わなくてさ‥」
「言い訳と謝罪は彼女にしろ」
僕が言うと、小峰もそうだな‥と素直に頷く。直後コロッと表情を変えて、
「―で?結局どうなったのよ?」聞いてきた。
「‥彼女から何も聞いてないのか?」
「んー、とりあえず『会えました!』って報告が来たよ。
俺抜きでどうやって会えたのかって聞いたら『詳しくは白河さんに聞いてね♪』って返されたから…今に至るワケ」
「‥あ、そう」
って、こっちに振られても困るけど‥

「何?割とうまく行っちゃった?」
小峰は幾分か期待している節がある。面白おかしい話が聞きたそうだけど、その期待に応えるのこそ面倒だ。
「―いい友達として、な」素っ気なく答えた。
「…ええ~、なにそれつまんない」
「いいだろ別に。俺も彼女も、お前にネタ提供する為に会ったんじゃないし」
「そりゃそうだけどさぁ」
「とりあえず、俺と彼女はいいお友達になれたの。ハイ、おしまい」
「―…うう、何か腑に落ちねぇけど。まぁお前らがそれでまとまったんなら、それでいいや」
半ば独り言のように言った小峰は、何処か満足気に笑った。
「とっとと仕事に戻らないと、班長に怒られるぞ」
「おお、ヤベェ」

小峰は去り際に「じゃぁま、友達としてでも彼女のこと宜しくな」と僕の肩を叩いた。
無責任かと思えば、コイツなりには気を遣ってくれてるのかな。何だかんだ言っても憎めない奴だ。
それに、奴と話したお陰で僕を覆っていたモヤモヤしたものが、ひとまず振り払われた。
気持ちを切り替えて、とりあえず仕事しよう。
悩むのは後回しだ。



―明け方、物音に気付いて目が覚めた。
微かに何か叩く音。少しして止んだかと思うと、間をあけてまた再開する。
隣の部屋からのものかと思ったが、よく聴くと自分の部屋の方から聴こえているような気もする。
部屋の中と言うより、玄関の方‥?

起き上がって、そっと確かめに行く。音は確かに玄関の外から聴こえてきていた。
…誰かがドアをノックしている。‥こんな時間に?
僕は、恐る恐るのぞき窓から〝来客〟を確認して
思わず声を上げそうになるほど、驚いた。

「…っ」鍵を開けようとする手が震えて、なかなかうまく行かない。
ドアはガチャリ、と予想より大きな音を立てて開いた。
明け方の静寂にはどんな物音も響き渡る。開いたドアから夜の冷気が細い渦になって、生温い室内に吹き込んだ。
「―…起こしちゃってごめんね」
ハルさんは、決まり悪そうな笑顔でそう言った。
「―…」
銀縁の細身の眼鏡。ダークグレーのスーツ。仕事上がりに会う時と同じ雰囲気だった。
うちに来た今の時間以外は、何も変わらない彼の姿。
「晴親‥少しだけ、時間あるかな?」
金縛りにあったように動けなかった僕は、その言葉で我に返る。
頷いて、彼を招き入れた。
「―入って」
「‥ありがと」
ハルさんと共にもう一度入り込んで来た冷気に、僕は思わず肩を震わせた。

ハルさんは慣れた風に部屋の奥へ入り、カバンを置いて上着を脱いだ。
「―晴親、今日仕事は?」
「遅番だよ。昼から出ればいいから‥って、ハルさんは?」
「半休取ってる。俺も午後から行くよ」

聞きたい事がある 言いたい事もある
たった十日だけど、何の音沙汰も無かった十日間は
いつ終わるか知れない不安のお陰で、本当に長く感じられた。
なのに いざ彼が現れると、昨日も変わりなくそこに居たかのような何気無さを醸し出す。
ホントにズルいな、そういう所。

―もう、我慢出来ない。
「――‥」
気が付いたら、すがりつくように彼を抱きしめていた。
「…何処、行ってたの?」
「―急な出張でね。一週間くらい金沢に居た」
「何で、連絡くれなかったの?」
「…それは本当にごめん。
ちょっと、予定外の事がいろいろあって‥」
―奥さんとの事?
最後の質問が喉の奥に引っかかって出て来なかった。
聞きたい けど、聞きたくない。
それとハルさんの言葉は、一件でもメールをくれた風に答えてはいなかった。
僕の中で生まれた疑念が、大きく膨れ上がる。
吸い込んだ空気に紛れて、ハルさんの匂いが僕の体に入り込んできた。

よく知った香水の香りでは無く、
…うちとは違う 柔軟剤の。

「…もう、会えないかと思った」
語尾が震えてしまう。ハルさんは応えるように、僕の背中に腕を回した。
「…ごめんね」
「いいよ。もう謝らないで」
ハルさんの体温が、いつもより早く僕の中に浸透していく。
ハルさんの感触が、いつもよりダイレクトに僕に伝わってくる。
彼の肩に、僕の涙が落ちた。
気を許せば子供みたいに泣きじゃくりそうで、そんな気持ちになる自分が惨めで情けなく思えた。
その気持ちがまた涙を誘発する。ひどい悪循環だ。

「出張先からは昨日帰って来たんだ。
―でも、うちには〝今日まで〟って言ってある」
ハルさんの言葉に、少し引っ掛かりを覚えた。
「…え?」
「―時間が欲しかったんだ。晴親と会う為の」
「―…」
微かな引っ掛かりがひとつの確信に変わるまでに、そう時間はかからなかった。
そこには敢えて触れず、僕は出来るだけ口角を上げた。

「―お帰り‥ハルさん」
きっともうこんな事、彼に言えなくなる。
ハルさんは抱きしめる腕を一度離し、僕と顔を合わせた。
いつもの笑顔が、正面から僕を見ている。
「‥ただいま。
晴親、ようやく俺の事呼んでくれたね」

それが僕の中で誘発剤となり
僕は生まれて初めて、〝その〟乱暴な衝動に襲われた。


【春】
抱きしめられた肩に、ポタリと滴が落ちたのを感じた。
晴親が泣いているのは、すぐに解った。

謝ろうと口を開きかけた所に
「―お帰り…ハルさん」
晴親が言った。俺は出かかった言葉を飲み込んで
「…ただいま。晴親、ようやく俺の事呼んでくれたね」
そう言い替えた。

それがきっと お互いの誘発剤だったのだ。
晴親の潤んだ瞳を見つめるうちに、俺の中に場違いな興奮が押し寄せてくる。
―こんな時に

ただ、いつもと違ったのは
押さえられない衝動に襲われたのは、俺一人じゃなかったという事だった。


「―今、何時?」
「…10時半。ハルさん、先にシャワー浴びといでよ」
「―‥ん」

カーテンの隙間から薄明かりが漏れている。あの後、一時間くらいは寝てしまっただろうか。
起き上がろうと腕に力を入れた時、久しぶりに体の痛みを感じた。
ちょっと、無理したかな‥
ベッドから出ようと足をつくと、自分のワイシャツを踏んだ。
よく見なくても、床には足の踏み場が無いくらい俺の服が散らばっている。急に現実を見せられたようで、途端に恥ずかしい。

「―後悔してる?」
晴親が、俺の背中を指でなぞる。
無意識なのだろうけど、そういう行為も彼の声音も、まるで別人のようだった
「何で?する訳ないでしょ」
それこそ、俺が望んでいたことだから。
晴親の柔らかい黒髪を撫でて応えると、彼は猫みたいにうっとりと眼を細めた。

シャワーを浴びて、再びスーツに身を包む。11時少し前。

「ハルさん、コーヒーに砂糖要るでしょ?」
「―うん」
何でも無かったように会話が進んで行く。
程なくして晴親が、薄く湯気の立つカップを二つ持って部屋に戻って来た。
「―何?」その顔が何となく、笑っているように見えた。
「いや‥カワイイなぁって思って」
「…苦いのダメなんだよ、どうしても」
「あはは、別に何も言ってないじゃん。苦いのダメでもコーヒーは飲むんだね」
今は完全に晴親のペースだ。
ミルクも砂糖も入れて貰ったのに、どういう訳かコーヒーがやたらと苦い。


「―出張先で、うちの奥さんから連絡があったんだ」
部屋の中は何の音もしない。晴親は黙って聞いている。
その表情にはまだ何の色も浮かんでいない。大体の予想はついているのだろう
俺は、視線が定まらないまま話を続ける。
「週末、彼女がうちに戻って来た」
「‥うん」
晴親の相槌を確認して、もう一呼吸置く。
「…彼女、妊娠してるらしい」
流石に、今度は晴親が驚いて俺を見つめる。「―え?」
俺は自嘲しながら答えた。
「‥俺の子じゃないよ。―どう時期を計算しても、彼女がうちを空けてた頃だ」

こんな話を聞かされて、彼はどう捉えるのだろう。
俺は彼に、どう捉えて欲しくて話をしているのか。
「彼女自身も認めてる。子どもは独りで産んで育てるって。
だから、別れましょう―って言われたよ」
「―‥」
晴親が何か言いかけて、思いとどまったように口を閉じた。俺は、言葉を繋ぐことにした。
「俺は、今すぐ別れるつもりは無い‥って、答えたよ」
「…!」
彼の眼が訴えていた。何を思っているのか、俺も解っている。

俺が言ってること、俺がやってること
そのどれもがちぐはぐで、矛盾していること

「独りで子どもを産んで育てるなんて、簡単に出来ることじゃない。
彼女の気持ちもよく解ってるけど‥
現実的に厳しい事が目に見えてて、はいそうですかって承諾する訳にはいかないと思う」
「…」
「こんな事態を招いたのは俺にも責任があるからね‥
せめて無事に子どもが産まれるまで、このままでいようって言ったんだ」

「勿論、最終的には彼女の決断次第だけど‥
俺は‥出来れば彼女を支えたいと思う」
晴親は黙って最後まで聞いてくれた。
部屋の中に何とも言えない空気が広がる。時計の秒針の音が聴こえてきた。

沈黙に耐えかねて改めて俺が口を開きかけた時、晴親がポツリと言った。
それは独り言のようでもあった。
「―前にハルさんは、自分は流れで結婚しちゃった‥みたいな事言ってたけどさ。
‥やっぱり、冴子さんをちゃんと愛してるんじゃない」

そこでひとつの違和感を覚えた。
「―晴親‥何で、彼女の名前‥」
「ゴメン。こないだ携帯の画面見えちゃって…見るつもりなかったんだけど‥」
―彼がいつの話をしているのか、すぐに判った。
「…あの時、起きてたんだ?」
「‥うん。黙っててごめん」
「いや‥別に謝ることじゃない」
俺は彼と視線を合わせる事が出来なかった。

「ハルさんがそう考えるなら、もっと二人で話し合えばいいよ。
今は、ちゃんと彼女との事に向き合って」
「―…」
「…だから、俺とはもう
会わない方がいいよ」
「―」
そう、言われると思っていた。そう言おうとも思っていた。
でも実際、先に口にしたのは晴親の方だった。

「晴親」
「ん?」
「ホントに‥俺のわがままに巻き込んじゃって、ごめん」
俺にはそれを言うのがやっとだったのに。
晴親は、慈愛にも感じられる微笑みを浮かべて答えた。

「―違う
俺がハルさんとココに居るのは、俺自身が望んだからだよ」

部屋の外の音が耳に入って来た。少し遠くに車の行き交う音。
部屋の外は、いつもと何も変わらない。11時45分。―タイムリミット。
「―ね、もう行かなきゃ。最後くらい、一緒に行こう?」
晴親が笑って俺の腕を引っ張り上げた。
彼の笑顔が、容赦なく俺の胸を締め付ける。


新宿から山手線に乗り換える。朝ほどではないけれど、相変わらず乗降客は多い。
俺たちは流されるように先頭車両に乗り込んだ。

部屋を出てから、お互い一言も口をきいていない。
この混雑した車両から降りてしまえば、後はお互いの職場に向かうだけ。
一緒に居られるのは、ココに居る間だけだ。

「…」
晴親は、運転席側の壁にもたれるようにして車両の隅に立つ。前方の窓から景色が流れるのを見ていた。
俺は同じように視線を前に据え 晴親の手を握った。
「―」
晴親は振り返らない。ただ、うっすらとガラスに映った彼の視線だけが俺を見ていた。
俺たちを囲むように、周囲にも乗客が詰め込まれている。
誰も、俺たちを気に留めたりはしない。

節は目立つけど、細くて長い晴親の指。
その形を、感触を記憶する為に、執拗なほど自分の指を絡ませた。

彼にとってはこういう方が、より濃密な快感を呼ぶことも
俺はちゃんと知っている。
意地の悪い事をしていると 自分でも思う。

職場の最寄り駅に着くまで、晴親は俺の行為を拒まなかった。

     ◆

冴子からのメッセージを、晴親と一緒に居る時に見てしまったのは俺の落ち度だ。
彼は、彼女の存在を強く意識するようになってしまっただろうし
結果的に彼の方から身を引かせる形になってしまった。
つくづく、自分の気持ちの弱さを痛感する。

冴子が『帰る』と告げてきたのは、俺が晴親の部屋に泊まっていた間だった。
隣の寝息を確認して、そっとベッドから起き上がった。
携帯画面の明かりが彼に届かないように、自分の背中を壁にするようにして画面を開く。
『2、3日のうちにそちらに帰ります』
極めて事務的な文面。そう感じてしまうのは、無機質なフォントで送られてくるせいだろうか。
同じような文面でも、晴親からのメッセージに対してそんな印象は抱かない。
それは勿論、顔を合わせている時間の彼との関係性があるからだ。

そして、俺自身の感情と願望が勝手に色を付けている。

『了解しました』
たった一言を打ち込んで、送信した。
俺の返信を、彼女はどんな気持ちで読むのだろうか。
「―!」
背後の気配が動いたような気がして、慌てて振り返る。
―晴親はこちらに背を向けて寝ていた。
‥単に寝返りを打っただけだろうか。
それとも、〝敢えて寝返りを打ったふり〟をしたのか

まぁ‥もし見られていたとしても、今更どうしようもない。
俺はあれこれと考えるのを止め、携帯を閉じる。
暗闇を刺すような明かりが消え、俺はベッドに戻った。
起きているかもしれない晴親の背中を、もう一度抱きしめて眠ろうか迷った。
ほんの少し彼に近づいてみると、微かに肩が震えた。
―俺を意識しているのは、明らかだった。やっぱり、起こしちゃったか…

俺は彼に触れるのを諦め、仰向けになって呟いた。
「晴親…ごめんね」
きっと、彼が聞いているだろうと思って。


「水族館に行きたい」
翌朝、何処かへ行こうと提案する俺に彼はそう答えた。
その答えが意外であまりに可愛かったので、つい
「―へぇ、お魚好きなの?」と聞いてしまった。
からかったつもりは無いんだけど、彼には幾分か不快なものとして届いてしまったらしい。
「カワイイもんでしょ?」と睨まれてしまう。
そういう反応がますますカワイイんだという事には、きっとまだ気づいていない。

その日は結局、一日かけて二か所の水族館を回った。晴親はどの水槽の前に行っても楽しそうに笑ってくれた。
そんな彼の姿を見て、俺もだいぶ癒された気がする。

日曜夕方の品川駅は、行楽帰りの家族連れで混雑していた。
一日全力で遊んだ子供たちがくったりとして、父親や母親の腕や背中で夢を見ている。
曜日のせいで必然的かも知れないけれど、今日はやたらと親子連れの姿を追ってしまう。

JRの改札口まで来て、二人は同時に足を止めた。
「…送って行こうか?」
俺が聞くと、晴親は困ったような笑顔を見せた。
「ハルさん、ココからはJRじゃないでしょ。
―俺は大丈夫だよ」

その顔が、全然大丈夫じゃないって言ってる。
―そんな顔されたら、離れられなくなるよ

「‥ん。じゃぁ、ココでね」
大人の口から発せられる言葉は、必ずしも本当の気持ちと一致するものではない。
「それが大人だから仕方ない」と言われるのであれば、俺は今すぐその肩書を返上したいと思った。

「ありがとう。またね」
どちらからともなく告げて、どちらからともなく背を向けた。
ほんの少し歩を進めれば、お互いの背中はすぐに雑踏に紛れて見えなくなってしまう。
俺は、彼から掛けられた『またね』の言葉が
叶わぬ夢にならないようにと祈る事しか出来なかった。

―まさか
その時の俺たちの姿を冴子が見ていたなんて
考えもしていなかった。



誰も居ない部屋に戻って、メッセージをチェックする。
『家を出ました。空港へ向かいます』
『これから飛行機に乗ります』
『羽田空港に着きました』
定期的に報告が来ていた。
最初の着信が昼過ぎだから、そろそろココに着いていてもいい頃だけど‥
時計を確認しながら、もう一通の未読メッセージを読んで
息が止まるような思いをする。

『品川に寄って、帰ります』

玄関のドアが開く音がした。
「―あら、先を越されちゃったわね」
小振りなキャリーケースとスーパーの袋を下げた冴子が、薄く笑顔を浮かべて立っていた。

「…お帰り。買い物して来てくれたの?」
無駄な足掻きとは思っていたけど、俺は出来るだけ何気なさを装って話した。
「いろいろと迷惑かけちゃったから、ご飯くらい作ろうと思って」
彼女はそのままキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けて中身を確認する。
「ひとりの間、ちゃんと食べてた?」なんて笑いながら声を掛けていたが、俺にはよく聞こえていなかった。
「…あ、うん‥」
わざとらしい彼女の穏やかな言葉。
それが彼女にとって極めて不愉快な本題に入る前の深呼吸みたいなものだと、俺はよく知っていた。
恐怖にも近い焦りが、俺の中を蹂躙する。

そして彼女は、本当に何気無い感じで鋭い刃を突き立ててくる。
「―それで、カワイイ彼とのデートは楽しかった?」


事実、先に不貞行為に走ったのは彼女の方だ
けれど、彼女をそんな気持ちにさせてしまった原因は俺が作った。
だから、彼女を責めたりはしない。
しばらく離れたいと言うのなら、君の思うようにすればいい
君を引き留める権利など 初めから俺には無いのだから
―ただ、俺にだって 
寂しさで潰れてしまいそうな夜がある事を 彼女は認めてくれなかった

「―私‥妊娠したの」
冴子は静かに告げた。俺も、それほど驚かなかった。
「…そう」
いつ頃からか、こうなる事が何となく解っていたからだ。
俺はあからさまにならないように、彼女の体を見る。
彼女はずっと、俺とは目を合わせないでいる。
「今、どのくらいなの?」
「…もうすぐ三ヶ月目に入るわ」
そう言ってお腹をさすると、彼女は更に視線を外した。
「―春ちゃんの子じゃ、ないの」
その言葉にも、俺は驚かなかった。
それは、俺が一番よく解っていたから。
「‥うん」
俺の返事を聞いた時、瞬間的に冴子がこちらを向いた。
さっきとは一変して、俺の感情を読み取るかのようにじっと俺の眼を見据えている。
しばらくそうして、お互い〝睨み合う〟時間が過ぎた。

「―怒らないのね」
「‥俺には怒る権利なんて無いよ」
「どうして?貴方は‥〝まだ〟私の夫でしょう?」
「〝まだ〟‥ね」
売り言葉に買い言葉と言うか、お互いが相手に火が付くのを待っているような台詞のやり取り。すごく不毛な気がしてくる。
「―そうよね。
私に見切りをつけて、あの彼の元に行くのには願ってもないチャンスですものね」
「―…」
返す言葉が、すぐには見つからない。
「貴方はいつもそう。自分では何も言わない、手も出さない。
周りが勝手に作り上げた状況に乗って、巧く向こう岸に渡り着いてしまうの」
「…冴子」
「いつも誰にでもいい顔して、『好きなようにすればいい』って言って自分では決断をくださない。
―貴方自身が、悪者になりたくないのよ」
「冴子」

彼女の言っている事は、ほとんど事実だ
俺はいつだって 自分では何も決めてこなかった
それを優しさと勘違いされる事が多いけど
時々こうして
俺の本性に気付いてくれる人がいる

「―別れましょう」
冴子が、息を整えて静かに言う。
「別れてあげるわ、貴方の望み通りに」
「…」
「実家に帰って事情を説明したわ。父の方から、貴方の家に謝って貰うように〝仕向けた〟の。
―父からは、もう二度と帰ってくるな‥って言われて出てきたわ」
「―そんな‥」
「でもこれで、春ちゃんは悪者にならなくて済むじゃない」
「っ!」
俺は咄嗟に立ち上がり、右手を振り上げ 思いとどまって立ち尽くす。
ガタン!と音を立てて椅子が倒れ、冴子の肩が大きく揺れた。

「―」一瞬でも、彼女に手を上げようとした自分を悔いた。
彼女が俺を見つめている。複雑な瞳の色をしていた。
俺はひとつ息をつき、椅子を立て直して口を開く。
「別れないよ」
「―え?」
冴子は驚いたように目を見開いた。
ただ、驚いているのは 俺も同じだった。
「‥今はまだ、別れるつもりはない。こんな状態で、君を独りには出来ない」
「―…」
少し前まで、そんな事を言うつもりはなかったはずだ。
今度は、冴子が言葉を失っていた。

「偽善だと思ってもいい。君が嫌なら、ココに居る必要もない。
―けど、今ここで俺と君との縁を断ち切るつもりはないよ」
この言葉に嘘はない。
俺は本当に 彼を想うのと同じくらい
彼女の事も愛しているのだから


【それぞれの】
帰り道で携帯を開くと、メールが届いていた。
「―晴親‥」
差出人を確認して、反射的に鼓動が早くなる。

『―あなたが必要だと思えば、いつでも呼んでください』
曖昧なメッセージは、別れを告げた俺に対する最後の言葉みたいにも取れたが
その後に続く文面を見て、コレが俺に宛てたものでは無い事を悟った。

画面を下にスクロールすると、先にこちらが送っていたメッセージが残されていた。
でも、
―こんなメッセージ、俺は送った覚えが無い。

だとすれば‥
疑いたくなかったが、他に思い当たる節が無い。
俺は、足早に自宅を目指した。


「…ああ、お帰りなさい」
リビングのソファにぼんやりと座っていた冴子が、俺に気付いて声を掛けた。
テレビは騒がしく流れ続け、テーブルの上には雑誌が無造作に放り出されていた。
そのどれにも意識が行っていない事は明白だ。彼女自身、何だかすごく疲れたような顔をしている。
「―ただいま」
俺は隣に腰掛けて目線を合わせ、出来るだけ優しく話しかけた。
「体調は変わりない?」
「―ええ」
「顔色が良くないね‥少し疲れた?」
「‥どうかしら。別に、何もしてないんだけど」
彼女は俺と目を合わせようとせず、ほぼ機械的に返答する。

俺は呼吸を整え、ゆっくりと告げた。
「冴子…コレ、多分君宛てだろ?」
そう言って、携帯画面を差し出す。
彼女の視線が僅かに動き、その眼にじわりと焦りの色がにじんだ。
「―‥」
「このメッセージを送ったの、冴子なんだよね?」
恐らく、晴親も気付いていたはずだ。
俺たちは基本的に、メールで会う約束はしない。
その違和感に気付き、それでもこうして返信を送ってきたと言う事は
メッセージは俺では無く、敢えて彼女に宛てたものなのだろう。俺はそう思った。

「―そうよ」
生気の無かった冴子の声が、途端に気色ばむ。
「私が送ったの。この彼に、直接会ってやろうと思って」
堰を切ったように、言葉が吐き出されて行く。
「会って、罵倒してやるの。
『この、泥棒猫!』って定型文で。―どう、滑稽でしょう?」
「‥冴子…」

そこでようやく、彼女は俺の方を見た。その目が見る間に潤んでいった。
「―どうして‥」
「…」
「どうして春ちゃんは、あの時そうやって来てくれなかったの‥?」
「―」
それは、彼女自身が浮気した あの頃のこと。

俺は何と言って答えたらいいか分からず、
ただ彼女が自分の仮面を破り捨てるのを待っていた。
「どうして、迎えに来てくれなかったの…私、ずっと…寂しかったんだから…」

彼女は俺の目の前で泣き崩れた。きっと、もう随分前からこうやって俺にぶつけたかったんだと思う。
彼女の心は、ずっと壊れたままだったんだ
俺は泣きじゃくる彼女の肩を掴み、しっかりと抱きしめた。
「―ごめんね、冴子」
俺の肩に彼女の涙が染み込んで行く。
今朝方、晴親も同じように泣いていた。

俺は、大切な二人のどちらにも
辛い思いしかさせていなかったんじゃないか
俺は 大切な人に、ただ笑っていて貰う事すら出来ないのか

「ごめん」
小さな子供をあやすように、彼女の背中をゆっくりとさする。
「―もう、遅いよ…」
「…うん」
彼女の腕が俺の背中に回り、力無く掴んだ。
「もう…何処にも行かないで」
「―行かないよ。君のそばにいる」
俺は彼女を、もう一度強く抱きしめる。

―君が必要としてくれるのなら
―君の気が済むまで

「明日、病院に行ってくるわね」
穏やかな声で、彼女は言った。


俺は、彼に向けてもう一度だけ その言葉を口にする。
またいつか
許されるならば
また 何処かで


     ◆


『週末のレイトショーで昭和ガメラやるみたいなんですけど、良かったら観に行きませんか?』
葉月さんからそんなメッセージが届いていた。

真っ暗な部屋の中でうずくまり、僕は解りやすく落ち込んでいた。
それを見透かしたかのようなタイミングで貰ったメッセージ。
彼女の明るい声が思い起こされる。
―すがっちゃおうかな
僕は何かに操られるように、キーを押し始めた。


「―白河さん、こっち!」
縦横無尽な人波にさらわれそうな僕に、葉月さんが手を挙げて呼び掛けてくれる。
良かった。池袋なんて滅多に来ないから、ホントに右も左も分からない。
行き交う人達を何とかかき分けて、彼女の元にたどり着いた。
「やぁ、ゴメン。助かったよ」
「いえいえ、すぐに見つかって良かったです」
にっこりと微笑む彼女の後ろから、もうひとつ見慣れた顔が覗き込んで来る。
「若者多くて気圧されちまったのか、おっさん?」
「―お前だって同い年だろ」
僕が睨み返すと、小峰が大袈裟に怖がってみせる。
「やぁだチカさん、ゴキゲン斜め?
―やっぱさ、俺お邪魔虫なんじゃね?」
葉月さんが小峰に振り返って答えた。
「そんな事ないよ。みんなで観た方が楽しいじゃん」
僕の件があったとは言え、この二人はだいぶ打ち解けている感じがする。
見ようによっては彼らの方がつき合っているみたいな雰囲気だ。

「‥つったって、結局三人でしょ?
こうやって改めて集まると‥何か変な感じだよね」

僕が承諾の返事をした時、「みんなで行きましょう」と言ったのは葉月さんだ。
『友達』と言う関係性を保つ為の気遣いだという事はすぐに解った。
それは、僕にとって別な意味でも有難かった。
―今、二人きりで会えば
きっと本気で 彼女にすがりついてしまう
せっかくいい関係を築けつつあるのなら、一時の感情に流されてしまってはいけない。
何だかんだ言いながらつき合ってくれる小峰にも感謝した。

往年の名作を大画面で観られると言う企画に、映画館は〝当時の〟少年たちで賑わっていた。
むしろ僕たちが若い年代の方みたいだ。普段とは違う熱気の渦に飲み込まれ、僕は純粋に映画を楽しんだ。

「―うへぇ、こりゃ絶対明日夢見るなぁ」
三本立てをじっくり観せられた小峰が、苦い顔をしてぼやいた。
まぁ‥別にガメラを知っている訳でも特撮ファンでもないから、コイツにとったら苦行めいたものだったと思う。
「小峰くん‥大丈夫?」
心配そうに顔を覗き込み葉月さんが声を掛けると、
小峰は途端にテンションを上げて答える。
「全然、余裕!割と面白かったし」
「―ホント?良かったぁ」
映画館自体はオールナイトで上映するようで、これから入場していく客も見受けられた。
時計を見れば、もう日付が変わっている。東京の繁華街は眠らない。それを嫌う人も居るけれど、僕にはその姿が頼もしく映っている。

「―チカ、これからどうするんだ?」
小峰が僕に振り返って聞いた。
「どうって‥?」
「時間的に半端なんだよ、どうせ終電なんて混むしさ。
―どうせならこのまま、オールしね?
葉月ちゃんもいいって言ってるし‥ ね?」
そう言って笑顔で振られた葉月さんも、同じようなノリで応えた。
「うん。ボックスとかなら、寝ちゃっても平気だし
‥勿論、白河さんが良ければ‥ですけど」
ノリが軽くて、気が付くといつも僕を巻き込もうとする小峰
多少強引だけど、素直で正直で、必ず相手の気持ちを考えてくれる葉月さん
二人の優しさが、僕の中にぽっかりと空いた穴を埋めてくれるように染み込んでくる。

僕は、この二人の事もすごく好きで
ずっと大事にしていきたいと思っている

「―いいね。行こうか」
僕の返事に、二人が顔を見合わせて喜んだ。
「やった!」
「よっしゃ、じゃぁとことん遊ぼうぜ!」

先頭を切って歩く小峰から少し離れた時、僕は彼女に密かに告げた。
「俺にも敬語使わなくていいよ」
「―え?‥あ、そう?」
「それと…俺の事も名前で呼んでくれたら嬉しいな」
「―ホントに?」
「うん。
今日は誘ってくれてありがとう、―葉月ちゃん」
二人の内緒話に気付いた小峰が、大声で僕たちを呼んだ。
「おーい、何してんだ二人とも!置いてっちまうぞ!」


―ふと、彼に告げた言葉を思い出す。
「またね、ハルさん」
しばらくは 僕の胸の奥にしまっておこうと
もう一度だけ呟いて、蓋をした。

叶うことならば またいつか。

花影【東京】

「―ちわっすー。郵便でっす!」
社内に元気な挨拶が響き渡り、俺を含めたほぼ全員が声の主を見た。
その中からハイハイ、と事務のおばちゃんが応対に出る。
「郵便屋さん、今朝も元気ねぇ」
カウンターに並べられた郵便と書留を確かめながら会話は続く。
「元気っすよぉ。何たって週末ですもん!」
「あらぁそうね。今日頑張ったら明日はお休みですものね」
「そうそう、皆さんもお休みでしょ?
気合い入れて行きましょうよ!」

―彼の後継で配達に来るようになった子は、いつも元気だ。
元気と言えば彼もそうだったが、この子は何と言うか‥やたらテンションが高くて軽い。
賑やかしいけれど憎めないキャラクターと言った雰囲気で、彼は彼でウケは良さそうだ。

「―んじゃ、失礼しまーす」
出ていく姿を追って、俺もさり気なく立ち上がる。「ちょっと、外すね」
「はーい」周囲からの返事を確認して、事務所を出た。

「―小峰くん」
一階の玄関口で、元気な配達員を呼び止める。
振り返って相手が俺だと判ると、屈託ない笑顔を向けて応えてくれた。「あっ、早坂さん!」
「忙しいのに呼び止めてゴメンね。ちょっと時間ある?」
「―平気っすよ。今日余裕あるんで。何か用すか?」
昼前と言えば会社勤めも配達員も忙しい時間だ。彼の快い返答にホッとする。
思いっきり私的な話なので、申し訳ない事この上ないのだ。
「―あの、キミの前にうちに来てた 白河くんの事‥なんだけど」
「チカ‥ああえっと、白河っすか?」
「彼、最近見掛けないよね‥何処かに異動したの?」
訪問先のいち社員が配達員の所在を気にするなんて、ちょっと不自然なのは解っている。
でも、他に方法が無かった。
―彼の所在を知る方法が

ただ、小峰くんは特に気にする風もなくサラリと答えてくれる。
「あいつ、今広島っすよ」
勝手に関東圏内の異動だろうと軽く考えていたから、それは予想を覆す回答だった。
「―‥広島?」
「うん、何か随分前から異動の希望は出してたみたいなんだけど、場所は特定して無かったらしくて。
まさか広島なんて、本人も予想外だったみたいすけど」
「―…そう…」俺も驚いた。
「でも早坂さん、白河のことよく覚えてましたね?」
―‥やっぱりそう来るか。
俺は汗をかきながらも、テキトウな言い訳を見繕う。
「‥うん、前にちょっと飲んだことがあって」
「へー、そうなの?意外だなぁ」
「最近見掛けないからどうしたのかな‥って思ってね」
「そっかぁ」

―素直でいいコだなぁ
単なる印象だけど、このコにはきっと裏表が無い。

「何なら、俺からあいつに連絡しときましょうか?早坂さんの連絡先教わって、伝えるとかでも…」
素直で親切な彼の提案を、俺は慌てて断った。裏表無いコの言う事は、罪が無いので始末に悪い。

「あっ‥いやいや、そこまで頼る訳にはいかないよ!
どうしてるのか知りたかっただけだし」コレは嘘じゃない。

ただ、彼の連絡先を知らない訳でもない。
「‥そっすか?
じゃ、とりあえず‥早坂さん俺と連絡先交換しません?
良かったら合コンとかお誘いするっすよ」
「―え?!」何でとりあえずそうなるのか分からなかったが
「ああ…、いいよ」俺はつい応じてしまった。
「やったね!俺らのエースが抜けちゃって、弱ってたんすよー」

エース‥って、晴親の事だろうな‥
恐らく、小峰君の勢いに引っ張られて連れて行かれていたクチだろうけど。
当人の意思は置いておくとしても、彼がそういう会合に参加していた事自体が意外だった。
そこに、俺の知らない彼が居るような気がしてしまう。
「あんまり期待しないでね」
苦笑いでやり過ごし、忙しい中呼び止めてしまった事を詫びてから足取り軽い小峰君を送り出した。
―あの底抜けな明るさが、つくづく羨ましい。


晴親の姿を見なくなったのは、俺たちが別れて一年くらい経った後の事だ。
その時どうしても気になって探りは入れたものの、彼の所在を知った所で当時の俺はどうすることも出来なかった。
冴子との約束があったからだ。
彼女が無事に出産を終え、子供が少し大きくなるまで、俺たちは夫婦のままでいようと決めた。
―約束の期間は三年。
晴親と東京で再会したのはちょうどその頃。
それから少し後で、俺は彼女と正式に離婚する事になっていた。

俺たちは既に別居して、お互いになるべく関わりをもたないようにしていた。
久しぶりに連絡を取ると、彼女が部屋に来ると言うので若干慌てた。
俺の方は仕事が忙しいのと気が向かなかったせいで、部屋の掃除なんてほとんどしていなかったのだ。

「―とりあえず、手伝おうかしら?」
見ると、掃除の最中に来たものだから予想以上の惨状に出くわしてしまい、苦笑いする冴子が立っている。
その右手に、更に小さな手を握っていた。
「‥…ゴメン」
「ある程度予想はしてたから気にしないで。―昴流(スバル)もお手伝い出来る?」
彼女が小さな手の主に尋ねる。
くりくりと動く大きな黒目が俺と冴子を交互に見つめて、
「できゆー」舌足らずな言葉で元気よく答えた。
「ありがと、スバル」
純粋に、子供はやっぱり可愛い。
心優しい彼を抱き上げて、感謝の気持ちを伝えた。


冴子の子―昴流が生まれてから、俺たちは数えるくらいしか会っていない。
顔なんて覚えていないだろうから、会った途端に泣かれるんじゃないかと覚悟していたが、
割と友好的な雰囲気を見てひとまず安堵する。
「物怖じしないのよね、この子」
俺の様子に気付いた冴子が笑った。
「物覚えも悪くないみたい。春ちゃんの事も、覚えてるわよ」
「ホントに?スゴイな」
「最近何だかすごくしっかりしてきたの。頼もしいくらいよ」
「―流石、君の子だね」
俺が言うと、彼女は少しだけ寂しそうに笑んだ。

俺たちは彼が生まれてすぐに別居した。離婚する事を決めていたから、俺が中途半端に父親役をする訳にはいかないと思った。
当初冴子は、もっと早い時期に離婚しようと言っていた。
応じなかったのは俺の方だ。子供を抱えた彼女の苦労を考えたら、すぐに応じる気になれなかった。
せめて、昴流が少し大きくなるまで彼女を援助したい‥。
そう申し出た俺を、勿論彼女は受け入れてくれなかったので、半ば強制的に押し付ける形で支援していた。


「いやぁありがとう、とりあえず何とか片付いたよ」
コーヒーとジュースを出して、二人の労をねぎらう。
「助かったよ、スバル」
大人達に交互に頭を撫でられて、昴流は満面の笑みを浮かべる。

「―感謝するのは私たちの方よ。本当にありがとう」
冴子が俺に向き直り、改まって頭を下げた。やたらと気恥ずかしくなって、俺は慌てて首を振る。
「‥いやいや、俺のは余計なお世話だからね」
「でも、本当に助けられたわ。―実際、意地だけじゃ何にも出来ないものね」
「…」

俺の『支援』は彼女にとって、彼女自身のプライドを打ち砕くものだったはずだ。
彼女のそういう人となりは俺も熟知している。
でも、プライドだけで子供は育てられない。
次第に彼女もそれを自覚し、受け入れるようになった。同情でも何でも、利用出来るものは利用する
彼女が自分の意識を変えるのに要したエネルギーは計り知れないし、
自分が築いてきたものを捨て去る事に、どれだけ彼女の心が傷ついたかだって
俺には容易に想像出来ない。

「俺は、小手先で出来る事をしただけさ。冴子はちゃんと、自分の足で歩いているよ」


「―そう言えば、そろそろ帰るんでしょ?」
壁に掛かったカレンダーを目で追いながら、冴子が聞いた。
「週末から一週間。有休の為に今必死で仕事の方を片づけてるよ」
「あはは、お疲れ様」
昴流がウトウトと舟をこぎ出したのに気が付き、冴子がそっと彼の頭を膝の上に乗せた。
少し、頑張り過ぎたのかな‥と微笑んだ。
母親の仕草が板についてきてるなぁ
うっかりすると、そんな彼女に見惚れてしまう。

「‥冴子も、落ち着いたら一度帰ってみたら?―おじさん待ってると思うよ」
俺は迷いながらも、口にした。
「…うん、そうね」彼女も迷いながら、返答する。

言うべきか迷っている事はもう一つある。
―でも彼女の意向はどうあれ、俺自身は伝えておきたかった。
「それと
…晴親の居場所が分かったんだ」
「‥そう、なの?」
「彼、広島に居るみたい」「広島?」
俺の話に冴子は驚いた表情を見せて
そうなの‥と続けた後、視線を伏せて沈黙する。

そしてもう一度視線を上げて、俺を見た。
「―会いに、行くんでしょう?」
「―うん」

「そっか」
彼女が何となく満足気に頷いてみえた‥なんて、都合良く解釈し過ぎだろうか。

やがて冴子の視線は遠くを見据え、切望するように呟く。
「―もし、彼さえいいと言ってくれるなら‥
いつか、彼にもこの子を会わせたいわ」
あれから三年。彼女の中で様々な変化が起こり、崩れかかった自分を立て直し、ようやく言葉に出来た台詞だ。
「きっと会えるよ」
俺は心底からの言葉で返した。


帰り際、彼女から離婚届の入った封筒を受け取る。玄関先で靴ひもを結ぶ彼女の背中に問いかけた。
「ホントに送らなくて平気?」
「平気よ。―いつまでも甘えられないもの」
寝ぼけ眼の昴流を背負って、彼女は俺の部屋を出て行く。
次に昴流に会える時、彼はいくつになっているだろう。
母親の背中で心地よさそうに寝息を立てる幼い顔を、俺は目に焼き付けた。
「―じゃぁ‥気を付けてね」
「うん。どうもありがとう。
―またね」
振り返って見せた彼女の表情は穏やかで優しくて、そして強さをにじませていた。
もう、大丈夫。そう言っているような表情だった。

去り際に、彼女の独り言みたいな言葉が聞こえた気がして
俺は今更、胸が痛んだ。

「―春ちゃんが本当に、昴流のパパだったら良かったのにね」

―俺も、そう思うよ



「あー、早坂さん一週間も居ないんですかぁ」
絶望的な声音でそう言われて、俺も苦笑する。
「大丈夫でしょ。何かあったらいつでも連絡してくれていいから」
「でもでも、居るのと居ないのとでは心強さが違うんですよぉ」
若い女性社員に言われれば、そりゃ悪い気はしないけど。
自分もいつの間にかそういう立場になったんだな‥と改めて実感した。
「他にも頼りになる人いっぱい居るでしょ」
予定表のホワイトボードに一週間後の日付と『休』の文字を書き入れる。休暇前の仕事は、ようやくコレで一段落。

「―そうそう。頼れる上司は早坂さんだけじゃないよー」
同期が横から口を挟んでくる。時々、冗談とも本気ともつかない皮肉を投げてくるヤツだ。
「いいご身分だね。何処か行くの?」
空気が悪くなりそうなのを察し、女性社員は俺に一礼してそそくさと自分の席に戻って行く。
俺は笑いを隠しながらそれを見送った。
「法事でね。地元に帰るんだ」
「へぇ。四国だったっけ? 気を付けて、ついでにゆっくりしといでよ。
―帰ってきたら、自分の席無くなってるかも知れないけど」

‥一週間休むくらいで、そんな事ある訳ないだろ
心の中では悪態をつきつつ、俺は笑ってやり過ごす。
こんな解りやすい喧嘩、買う方が馬鹿だ。
「―そうなっていない事を祈るよ」

くだらない皮肉を言われるまでもなく
とっくに、この会社の自分の席はいずれ明け渡そうと決めている。


仕事上がりに、一本電話を入れてみた。出てくれるかどうかは分からない。
相手はずっと俺の事を嫌っていたハズだ。
予想通り呼び出し音が既定の回数に達し、留守電サービスに繋がった。
「―早坂です。もし、気が向いたら折り返し連絡頂けると助かります」

―と、メッセージを吹き込んで通話を終えた途端に着信する。
「‥わ!」勢い余って取り落としそうになった。「―はいっ」
これ以上ないくらいの不機嫌な声が聞こえた。
「―何の用よ」
「…あ、急にゴメン。聞きたい事と話したい事があるんだけど‥少しだけ時間貰えないかな‥?」
「あたしは聞きたい事も話したい事も無いわ」

…こわい。いくつも年下の女の子に、俺は半ば本気で怯えた。
彼女は何で、こうも凄みがきくのだろうか。
「―確かに‥俺の都合以外の何ものでもないから、断ってくれてもいい、です」
思わずしどろもどろになって、そう言った。
「―」
永遠にも感じられそうな沈黙。取り付く島なし‥と諦めようとした時、
「―渋谷。30分後なら行けるわ」ぶっきらぼうな返事が届いた。
「‥分かった。―ありがとう」

電話が通じれば、彼女がちゃんと応えてくれるだろうと
本当は思っていた。

嫌われていても何でもいい
彼女にも きちんと話がしたかった。
駅に着き、俺は急いで普段とは逆方向の山手線に乗り込んだ。


やっぱり‥この辺りのエリアは苦手だ。街の無秩序さが新宿とは違う。
慣れていないせいもあるけど、派手な若者がたまる場所が多くて何となく委縮してしまう。
「地下鉄で行くから、ヒカリエで待ってて」
JRの改札から人の流れに従って歩いたら、渡り廊下型の連絡通路に出た。
その先にきらびやかな入口が見える―相変わらず、新しい渋谷は何処も敷居が高い。

手持ち無沙汰でビルの案内表示を見ていると、地下鉄の乗り口に直通出来そうだったので、俺はエスカレーターを降りてみた。
宇宙ステーションみたいな雰囲気だな‥なんてぼんやり考える。
どうせなら改札口付近で待っていようかと考えたが、そう言えば彼女、何線で来るかまでは言ってなかったっけ。
ここまで来て、さてどうしようかと思い始める前に強く腕を掴まれた。
「‥?!」
「―ヒカリエで待ってて、って言ったじゃない」
睨み上げる彼女の目が、俺の胃を鷲掴みしたようだ。
「―…ゴメン」
「おじさんは渋谷なんて来慣れてないんだから、下手に動いたら迷子になるでしょ」
彼女が敢えて『おじさん』呼ばわりしたのが、俺には地味なダメージとなって心に響く。既に泣きたい気分だ。
が、「…スミマセン」としか言えない。彼女の言う事は、いちいち最もだからだ。

うちの家族もそうだけど、俺の周りには本当に強い女性が集まってくる。


彼女に先導されて、路地裏の喫茶店に入った。渋い店構えだ。
「よく、こんな店知ってるね」
俺は感心して告げる。彼女は後ろにつく俺をチラリと横目で見て答えた。
「渋谷は好きだけど、新しくてうるさい所は嫌いなの。
そういう人たちが集まれる場所だって、まだいくらでも残っているわ」

少し暗めの店内に通されて、メニュー表を差し出される。
何処もかしこも昭和の匂いしかしない。お陰で、ざわついていた気持ちが落ち着きを取り戻す。
「―で?」
飲み物をオーダーして、彼女は促した。
「あたしに用ってことは、晴親くんの事なんでしょ?」
―核心をついてくる。簡潔だな。俺は、黙って頷いた。

「晴親が、広島の何処に居るのか‥葉月ちゃんなら知ってるんじゃないかと思って」
「それを聞いて、どうする気?」
「勿論‥会いに行くんだ」
もう、ためらわない。俺はまっすぐに彼女の目を見て答えた。

「なら、自分で連絡すればいいじゃない」
「―」
電話するのは怖かった。それは他でもなく、俺の弱さでしかない。

彼女も俺から視線を外すことなく、じっと見つめ返す。
「―奥さんの事は?」
「‥妻とは離婚したよ」
「ふうん。その足で、彼を迎えに行こうって言う訳?」
「…否定出来ないな。って言うか‥その通り、だね」
背の高い男性のウェイターがやって来て、俺たちの前に丁寧にカップを並べる。
会話を邪魔しないよう物音も立てないような所作は、この店の老舗らしい意識と格式の高さを物語っている。

「あれから三年も経ってるのよ?自分勝手だとは思わないの?」
「―解ってる」
「三年も経てば、彼だって新しい生活の中に溶け込んでるわ。
今更会いに行ったって‥受け入れてくれないかも知れない」

「―うん。解ってる。その時は、きっちり諦めるよ。
―でも、今このまま、黙って諦めたくないんだ」

俺の言葉に、彼女はしばらく何も言わなかった。
黙ったまま紅茶にミルクを注ぎ、それが浸透していくのを見つめている。
紅茶とミルクが混ざりきるのを見届けてから、ポツリとこぼすように言った。

「…だから、あたし貴方のことが嫌いなのよ」
「…え」
「誰の事にも一所懸命で、自分と関わる人みんなを大事にして守りたい‥みたいな根性が」
「…根性…?」
「そのせいで、振り回される人が居ることも自覚しなさい」
彼女はひときわ鋭い視線をこちらに向けた。
「……はい」
やっぱり彼女の言う事はいちいち最もで、頷く以外出来ない。

姿勢を正して返事した俺を見ると、彼女は表情を少しだけ緩めた。
「晴親くん、広島の市街に居るわ。―…ココ」
傍らのバッグからスマホを取り出して示してくれる。広域の地図上に一か所ピン型のアイコンが刺さっている。
指で触れて少しずつ拡大させて見せた。
「そうね‥正面から入って行けば会えるんじゃないかしら」
「‥窓口、ってこと?」
そう、と言う返事を聞いて驚いた。てっきり晴親は向こうでも配達してるものだと思っていたけど。
「まぁ、出勤してればだけどね。どうしても会えなきゃ、その時は自分で連絡しなさいよ。
―二人にまだ運命的なモノが残ってるんなら、うまく行くんじゃない?」
彼女はそう言って、悪戯っぽく笑ってみせる。今日初めて見せる笑顔だ。
その顔に、俺はようやく緊張から解かれた思いでホッと息をついた。

「―葉月ちゃん」
「な‥何よ改まって」
持ち上げたカップを取り落としそうになって、彼女も俺も思わず慌てた。
彼女が紅茶を飲み干し、ソーサーに収めたのを確認してから
俺はもう一度改めて口にする。
「―ありがとう」
「―」彼女の耳が少し赤く染まったような気がした。

本当の所、彼女はとても女性らしくて奥ゆかしい。
そういうたくさんの面を持つ彼女の事、俺は好きなんだけど‥
なんて言おうものなら、間違いなく殴られるだろうな。

「‥感謝するなら、ココは奢るくらいしてくれるのかしら?」
やっとのことで発した、彼女らしい言葉。俺は最上級の笑顔で応じる。
「勿論」
「―どうせなら、一番高いモノ食べてやれば良かった」

―とは言え、彼女の言う事は何処までが冗談なのか解らない。

花影【広島】

品川から新幹線に乗って、広島へ向かう。俺の住まいからだと東京駅まで出なくても済むので、西日本に出向く時には便利だ。
手っ取り早く飛行機でも良かったけれど、時間に余裕があれば個人的には陸路の方が気が休まる。
ただ流石に、到着する頃には体のあちこちが固まって、痛みを訴えていた。

改札を出ると、あちこちが赤い。―流石、カープの本拠地。
「えっと‥」
地元がある四国は瀬戸内海を挟んで向こう側だし、まったく知らない土地ではないけれど、それでも何年かぶりに訪れる街だ。
様相もだいぶ変わっている。
起動させたルート案内アプリにくぎ付けになる。

葉月ちゃんから聞いた情報を頼りに、路面電車に乗り込んだ。
路面電車は地元では割と乗る機会も多かったが、東京の、特に俺の生活エリアではあまり縁が無い。何だか無性に懐かしい気持ちになる。
市街の中心を少し通り過ぎて、目的の駅に着く。もう少し行くと原爆ドームがあるようだ。
降りたすぐ目の前の建物に、目当ての文字を見つける。

―あった。郵便局って、探すのにあんまり苦労しなくていいなぁ。

―二人にまだ運命的なものが残ってるなら―
彼女の言葉が脳裏によぎる。
なら、ココまで来て もし会えなかったら?
俺はその時 本当に彼のことを諦められるのだろうか

…迷ってても、仕方ない

俺は大仰に深呼吸して、中に入った。少しひんやりとした空気に出迎えられた。
季節柄、外はじわじわと蒸し暑い。でもまだ室内に入って改めて気付く程度だ。
「いらっしゃいませ―」
窓口に座ってそれぞれの対応をしていたスタッフが、口々に挨拶する。
控えめに見渡してみたが
彼らしき姿は、見当たらなかった。
「―‥」
やっぱり、そんな上手くは行かない‥か。

―と
出入り口の自動ドアが開いて、誰かが入ってくる気配がする。
声は、その気配の方から聞こえてきた。
「―…ハル、さん‥?」
「!」思わず汗をかく。俺はゆっくりと振り返って確かめた。
「…」
制服を着た晴親が、俺の後ろに立っていた。
東京で再会した時とは違い、本当に驚いた顔をしている。
その顔を見つめて、俺は瞬間的に目頭が熱くなった。

―マズい、「―こっち」
咄嗟に晴親が小声で俺を促した。俺の泣きそうな顔に気付いたのだろうか。
カウンターの中から一人だけ、怪訝な顔で俺たちを見ている。俺は目を合わせないようにして、彼の後について行った。

外に出て、建物の脇から裏側に回り込み、関係者の出入口の前まで来た。
周囲は塀で囲まれていて、人目には触れない。
そこで足を止めた晴親が振り返り、俺をじっと見据えた。
「―やっぱり、ハルさんだ」

「…うん」
「‥何で、ココに居るの?」
「えっと‥その説明も含めて、少し時間が欲しいんだけど‥」
すべてを説明する為には、俺たちが別れた三年前から始めなければいけない。
晴親も察して、視線を泳がせた。
「ああ‥そうか、そうだね‥
とりあえず俺あと30分くらいで上がれるから‥何処か近くで待っててくれる?」
「‥分かった」
彼の同僚に見られていたから、早く返してやらないと怪しまれる。
踵を返して歩き出そうとする俺の背中に、晴親が声を掛けてきた。
「終わったら連絡するよ」
俺は思い余って、つい確認してしまう。
「―ねぇ‥連絡先、変わってない?」

一瞬間が空いて、晴親がさもおかしそうに笑って答えた。
「変わってないよ。…ハルさんは?」
それは、俺の今までの不安を溶かすのには充分な表情だった。
「‥そのままだよ」
変えられる訳ないし、消せる訳もない
‥なんて恥ずかしくて言えないけど。


夕暮れ時、川からの風が緩やかで気持ちいい。中洲へ渡って公園を歩いている頃、晴親からの連絡がきた。
「―ハルさん、お待たせ」
「お疲れ様」
通話口の向こうから聴こえる彼の声さえ心地好くて、愛おしい。

いざ会ってみると、全く違和感なく振る舞えてしまう事に驚く。
三年も会っていなかったなんて信じられない。
―そう思っている反面、やっぱり涙腺が緩みそうになる。

五分と待たずに晴親と合流出来た。半袖ポロシャツに緩めのジーンズ、コンバース・ワンスター。
あの頃に見た晴親のスタイルと大差ないけれど、何処か少しだけ雰囲気が違って見える。
そこはやっぱり、三年分の変化だろうか。

風を受けた彼の黒髪が、サラサラと揺れる。
「ハルさん、広島初めて?」
「ううん。学生の頃とか、何度か来てるけど。
もうだいぶ経つし‥駅降りてココまで来られるか不安になったよ」
俺が苦笑いして答えると、晴親が悪戯っぽく言った。
「あはは。―よう来んさったねぇ」
「‥うわ、すっかり広島の子じゃん」
笑って返したけど、途端に彼をすごく遠くに感じてしまい
俺は少しだけ複雑な気持ちになった。

「―で、ハルさんどうしてココに来たの?」
川沿いから元の大通りに戻りながら、晴親が聞いてきた。さっき答えずじまいだったから、彼は俺の事情を何も知らない。
そういう事を忘れてしまう程、ごく自然に並んで歩いていた。
「‥ホントは地元に帰る予定でね、その前に寄ったんだ」
「―へぇ?ハルさんって、この辺の人だったの?」

晴親が驚く。そう言えば、田舎の話なんてしなかったもんな‥
と言うよりお互いのそういう話なんて、あの頃ほとんどしていなかった気がする。
そもそも彼と一緒に居た時間が、考えてみればそう長いものではなかった。
ほんの一時の濃密な時間のせいで、錯覚していた。
「瀬戸内の向こう側。―松山だよ」
「松山って‥温泉とか『坊ちゃん』とかの?」
「そうそう」
「へぇ、何か意外だ。ハルさんって、東京っぽいイメージだったから」
「シティボーイって感じ?」「うっわ、何それ昭和の発想!」
そう言って爆笑する晴親を「うるさい!」と小突いてみたり、あの頃と変わらないやり取りが出来ることが夢みたいに思えて、
じわじわと湧き上がる喜びに押しつぶされそうだ。―けどやっぱり、『おじさん』だな‥


「それから、晴親…あのね」
俺は意を決して、切り出した。「何?」
「冴子の所も落ち着いてね‥、俺たち…離婚したんだ」
「―‥うん」
「小峰君や葉月ちゃんから聞き出して、ココまで追いかけてきた」
「…うん」
「…もし、晴親が迷惑だったら―」
そこまで言い掛けると、晴親が俺の唇に指を当てた。
―黙れって事かな‥
俺は素直に従って、言葉を切った。

「―今日は、これからどうするの?」
晴親が改めて切り出す。
「‥あ、えっと」俺は、途端に言葉に詰まってしまった。
「もう、向こうに渡っちゃうの?」
「いや…」
言いたい事は決まっているのに、どう言えばいいのか迷ってしまう。
いろいろ考えて覚悟して来ても、蓋を開ければそんなものだ。
「まだ‥決めてない」ようやくそれだけ答える。

「―ココに来ても晴親に会えるかどうか分からなかったし、
会えても追い返されちゃうかもって思ってたし‥どうなるか分からなかったから」
「…じゃ、宿泊先とか」
「全然。何にも」
晴親はまた、じっと俺を見据えた。会ってから何度目だろう。
耐え切れず、俺の視線は不自然に泳いでしまう。

いつの間にか、俺が乗って来た電車の停留所まで戻って来ていた。
何ブロックか先の交差点、車の中に並んで信号待ちをする車両が見えた。

「―うちに、来る?」
彼の声音が優しく誘う。勿論、期待してなかった訳ではないけれど。
俺の鼓動が騒がしくなる。
「いいの?」
「だって、行くとこ無いんでしょ」

きっと、俺は拾って欲しいと訴える捨て猫みたいな目をして彼を気遣うフリをする。ズルいのは、充分承知していた。
「―誰か他に、約束してたりとか‥しない?
誰か‥待ってる人が、居たりしないの?」
「…」
晴親はそこで間をあけた。俺を焦らしているのかも知れなかった。

やがて、柔らかく笑って答えてくれる。
「―誰もいないよ。約束もしてない。
俺は、ずっとあなたを待ってたんだから」

差し伸べられた彼の手がぼやけて見えなくなるくらい
気付いたら 俺は泣いていた。
「―春(しゅん)が、大好きだから」

電車待ちをしていた何人かの人が、敢えて気付かない風に視線を外している。
晴親の腕にすっぽりと包まれて
俺は、情けないくらい涙が止まらなかった。

「お好み焼きでも食べて行こうよ。
―聞きたい事、まだ山ほどあるからね」

夕闇に優しい灯りを携えて 電車が俺たちの元に滑り込んで来る。

花冷え【冴子】

『―あなたが必要だと思えば、いつでも呼んでください』

それが、彼からの最初の返信。
「―コレ‥、君宛てだろう?」
夫は既に気が付いていた。隠しておくつもりもなかった。―と言うより
あのメッセージは、彼と夫に宛てたものでもあったのだ。
彼らに、私の存在を知らしめるための

『少し、お話しませんか? ―冴子』
彼からの返信を受け取って何日か後、夫が就寝したのを確認して
夫のアドレスからもう一度、彼にメッセージを送った。
今度は、私の名前とアドレスを明記した。

初めこそ直接会って話をしようかと思っていたが、次第に気持ちは薄れていった。
夫が帰って来てくれたのなら、それでいい。
もうコレは、単なる暇潰しだ。返答が無ければそれでおしまい。
夫の枕元に携帯を戻して、私は台所へ向かった。


少しずつお腹が重くなっていく。自分の中で、自分でない存在の主張が確実に大きくなっていく。
悔恨の情が私の中のほとんどを占めるのに 
少しずつ大きくなるこの命が、微かに、でも確かに訴えかけている。
―生きたいんだ、と。
その声を殺してしまう事は、私にはやっぱり出来なかった。


冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、少し口に含む。
椅子に腰掛けてしばらくぼんやりしていると、持ち出しておいた私の携帯が震えた。
「―」
彼は、まだ起きていたようだ。
『アドレス教えてくださり、ありがとうございます。
お話はいつでも ―白河 晴親』

律儀な子ね。
私は、すぐに返事はせずに携帯を折りたたんで、ベッドに入った。


彼と『会話』したのは、ほんの数回だ。
内容も取り立てて重要なものではなく、今日の天気だったり病院に行った話だったり
言ってしまえば、私の日記みたいなものにつき合わせているような、そんな形だ。
それでも彼は、律儀に答えてくれた。
『―結構まともに降りましたよね。雨だと、配達するのにもひと苦労です』
『―体調、安定されているようで何よりです。大事にしてください』

彼のメッセージは、必ず二言。その中に必ず、『私と彼』が存在している。
私を気遣う内容だけでなくて、時には彼自身の話も含まれている。それを読んで私は、『彼と接している』事を実感するのだ。

その頃の私にとって、彼の存在は
ある意味で 夫よりも重要なものとなっていたのかも知れない。

     ◆

珍しく、彼の方からメッセージが届いた。
『もし良かったら、直接お話出来ませんか? 電話で構いません』
今更彼と直接会うつもりはなかったし、少し体調が良くなかったから初めは断ろうとした。
けれど、そもそもわがままにつき合わせているのは私の方だから、無下に断るのも申し訳ない気がして
『いいですよ。 私の番号は―』
返信した。そのまま、ソファで少し休むことにした。

着信の振動音に気が付いて時計を見ると、メッセージを送ってから一時間くらい経っていた。
寝てしまっていたようだ。相手を確認して、応答する。
「―はい」
『―あ、…初めまして。 白河です』
かれこれ二か月くらいは文字上でやり取りしていたのに、よく考えれば
コレが彼の声を聞く初めての機会だったのだ。何だか可笑しかった。

「初めまして、‥冴子です」
どう名乗るべきか迷ったが、結局は名前の方を口にしていた。
―私は 私でありたかったのだ。彼にも、それを認めて貰いたかった。
通話口が一瞬静かになった後、彼がとても申し訳なさそうに問いかけてきた。
『‥あの、今少しだけお時間頂いても大丈夫ですか?』
「ええ。
ただごめんなさい、今日は少し体調がすぐれないから‥本当に少しだけになるけど」
『‥すみません!それなら、改めます』
「いえ、大丈夫。―私も、今貴方とお話したいから」
『―…』
沈黙の間、彼が何を思っていたのかは解らない。

ふと気づくと 室内が随分暗くなっていた。立ち上がって、明かりをつける。
「お仕事は、もう終わったの?」
もう一度、壁掛けの時計を確かめながら 私の方から切り出した。
『はい。日勤だと、うち上がりの時間早いんです』
「そっか。郵便屋さんって、朝早いのね」
はい、と返事をして 彼は少し笑っていたようだった。
彼のはにかむ表情が見えた気がして、何だかほっこりとした気持ちになる。
文字では伝わって来なかった温もりが、じんわりと染みてくる気がした。

『―俺、転勤する事になりました』
「―‥そう、なの?」
おもむろに告げられて、初めはどう反応していいのか分からなかった。
「何処へ?」
ひと呼吸置いて尋ねると
『広島です』
穏やかな声がそう返答した。
「―そう‥。少し遠いわね」
彼はどうして、私に告げてきたのだろう。
メッセージのやり取りだけなら、別に何処に居たってスタンスは変わらない。
もしかして 夫に伝えて欲しいのかしら‥

そんな私の考えを見透かしたように、彼が話し出す。
『どうして貴女に伝えたいと思ったのか‥正直なところ解らないんです。
ただ、お知らせを後回しにしたくなかった‥って言うか
…ハ…、早坂さんがどうって言うんじゃなくて
貴女に 聞いておいて欲しかったんです』

彼の答えの中には、確かに私が〝私として〟存在していた。
私の望んだ通りに、彼は 私を認めてくれていたのだと思う。
「―そう」


あの時
品川駅で彼の横顔を見掛けた時、私は何処かで敗北感さえ感じていた。
彼に向き合った夫の表情や二人の距離で
彼と夫がどれだけ想い合っているのか理解出来た。

私が寂しさを抱えて過ちを犯してしまったその間
夫もまた、寂しかったのだと ようやく気が付いた。

私の悲鳴は夫に届かなかった けれど、
夫の悲鳴を、私は敢えて聞かなかったのだ。
聞いてくれたのは、彼だ。

「…晴親くん」
『―…はい』
「‥頑張ってね
それと、―‥ありがとう」
『―はい』

彼との会話は、その一度きりだった。
私と彼は、私の夫を挟んだ形で関係が成立する。
夫がいなければ、私たちはこうして話をする事も無ければ、存在を知る事も無かっただろう。
歪んだきっかけだったけど‥私は、彼を知ることが出来て良かったと思っている。

結局、彼の転勤の話を私から夫に伝えることはしなかった。
遅かれ早かれ、夫は彼の居場所を知ることになると思っていたし
彼らは いずれ再会するだろうとも思っていた。

「―春ちゃんが昴流のパパだったら、良かったのにね」
その日夫に離婚届を渡して、部屋を出た。
息子を背負った私の背中に、小さく夫の声が聴こえた。
「うん。俺も、そう思うよ」

でも、もう遅いのだ。


カバンの中から着信の振動音が聴こえる。
発信相手を確認してすぐに応答したい衝動に駆られたが、電車が最寄り駅に到着するまでもう少し。
振動はしばらくして途切れた。

電車を降りて、急いでかけ直す。どうしてこんなに、気が逸るのだろう。
「―もしもし、ごめんなさい。移動中だったものだから」
『‥いえ、こちらこそ。突然電話しちゃって、すみません』

「いいのよ。
久しぶりね、晴親くん」
彼の後ろがやけに騒がしい。外‥と言うより何処かの店内だろうか。
「何処か外に居るの?」
私が尋ねると、彼は何となく照れくさそうに答えた。
『‥あ、はい。お好み焼き屋でご飯食べてます』
「わぁ、いいなぁ」

『―早坂さんに、会いました』
「…そう」
『今、一緒に居ます』
「‥うん」
知ってるわ。だから電話してくれたんでしょう?
『―…いいんですか?』
「‥何が?」
『…俺、今回は ―…諦めませんよ』
「―」

「解ってるわ。‥私、ちゃんと送り出したもの」
『…』
「私がこんな事言えた義理でもないんだけど‥
彼のこと、宜しくね」

きっと、私の声にはまだ少しだけ 棘が残っていたかも知れないけれど。
『‥…はい』


「―晴親くん。私、一度貴方を見掛けたことがあるの」
『‥え?』
「遠くで横顔を見ただけだったけど。ハンサムで、彼が好みそうなタイプだなって思った」
『えええ』
「―って 今どき、〝ハンサム〟なんて言わないか」
『あはは、そうかも』

通話口を通して、彼が少しずつ気を許している部分と
それでもやっぱり気を遣ってしまう部分が、まだら模様になって私に届く。
改めて、優しい子なんだな‥と思った。

「いつか、もう一度 ちゃんと貴方に会ってみたいと思うのは‥ おかしいのかしらね」
『―いえ、全然。 俺も冴子さんに会ってみたい。俺は、貴女の名前しか知らないから』
「そう言えば、そうねぇ」
そういう彼からの言葉が、何だか弟みたいな雰囲気でとてもくすぐったい。

『冴子さん』「―はい?」
『―どうもありがとう』
―最後通牒。コレで、春が私の所に帰ってくることは無い。

でも、思いのほか気持ちは清々していた。

「…お好み焼きかぁ。 うちも、真似しようかな」

花吹雪【葉月】

彼を見送った喫茶店の奥の席で、私は泣いていた。

幸い、他に客は残っていなかった。
店主もスタッフも顔見知りだから「ごめんね」と告げると、みんな了承して気付かないふりをしてくれた。
私が泣いている原因は〝彼自身〟だと、勘違いされているだろうけど
‥まぁいいか。


彼と最初に逢ったのは、晴親君が広島に転勤した後のこと。
小峰君が飲みに誘ってくれた席に来ていた。
「こちら、早坂さん。俺の新しい配達先で仲良くなったんだ」
銀縁眼鏡に細身のスーツ。カバンも靴も、それなりにお洒落で高価なものだった。
「初めまして、早坂です。今日はお邪魔しますね」
そう言って、ふわりと笑う。すごく感じのいい人だ。一般受けはしそうね。
「初めまして、長沼と申します」

ただ、私たちはきっと『初めまして』じゃない。
少なくとも私は 彼のことを知っていた。

     ◆

しばらくして、私のテーブルに新しいティーカップが置かれた。
「…え?」
見上げると、姿勢の良いウェイターが無表情のまま手を動かす。
私の前に、新しい紅茶のポットも置かれていた。
「店長からです」
「…」私は席から身を乗り出して、カウンターの中に居る店主を見た。
白い髭の店主は、穏やかな笑みを浮かべたまま私に言った。
「よろしければ、お口直しに」
‥何と言うか、とても気障な人だ。
無性に照れくさくなって、次第に涙も乾いていった。
「―ありがとう」
温められたティーカップを両手で包み、その優しさを素直に受け入れた。


彼を初めに見掛けたのは、いつだったかの昼休み。
お昼を買いに外に出た時、駅から出てくる人混みの中に晴親君を見つけた。
「―‥」声を掛けようと手を挙げかけた時、彼が一人じゃない事に気が付いた。
―あの人‥、誰だろう

二人は別に会話していた訳でも無く、並んで歩いていた訳でもなかった。晴親君が先に歩いて、少し距離を取った所に彼が歩いていた。
もしかしたら、何の関係も無い他人同士だったかも知れないのに、私は何故か彼らが知り合いだと確信を持った。
彼は一定の距離を保って、晴親君の後についている。その距離が、意図的なものに思えたのだ。

横断歩道を渡った後、二人はそれぞれ反対方向に歩き出した。
晴親君が向かう先には彼の職場である郵便局があるから、きっと彼が向かう先にも職場があるんだろう。
そこでも二人の間に会話は無かった―けれど、

彼は一度だけ振り返って、晴親君を見ていた。遠くて表情までは解らなかった。

ほんの少しの時間の事なのに、彼の姿がやたらと印象に残った。
その事に、何故か私は苛立ちを覚えた。



店主に出して貰った新しい紅茶をカップに注いでいると、カバンの中でスマホが震え出した。
取り出して相手を確認し、迷いながらも応答する。
「―はい」
『‥あ、小峰ッス。葉月ちゃん、今大丈夫?』
さり気なく店内を見渡す。まだ新しい客は入って来ていない。
最後にカウンターに目を移すと店主と視線がぶつかった。白い髭が微笑んで「どうぞ」と促してくれた。

「―少しなら大丈夫。‥何?」
敢えてつっけんどんに応えてしまうのは、涙声を出来るだけ隠したいからだ。
別に、小峰君が悪い訳では無いのに。
『‥えっと、明日とか、何か用事ある?』
「どうして?」
『あー、あのさ、良かったら‥遊びに行かないかなぁ‥なんて』
私の不愛想に気付いているだろう、彼の声音に少しだけ焦りを感じる。
それでもひるまずに誘ってくれる、度胸と言うか勇気みたいなものは認める。
「―ごめんなさい。明日は、ちょっと」
『―そっか。‥うん、分かった』
落胆する色も手に取るように解った。彼は本当に正直だ。
だからこそ私は彼を信頼してもいるし、いい友達でいたいと思っている。
『じゃ、また今度』

最近、彼の気持ちの方向が私に向いて来ているのも、とうに気が付いている。
―晴親君が居なくなってからだ。
「―小峰君」『‥え?』
そして私は、その彼の気持ちを意地汚く利用しようとしている事も
ちゃんと 解っている。

「―あたし、ついに振られちゃったわ」


「早坂さんトコ、そろそろお子さん生まれるんスよね?」
宴席で小峰君がそう言った時、彼は少しだけ答えに躊躇しているようだった。
「―ああ、うん」
もうだいぶ飲んでいると思うけど、彼は一向に変わらない。
顔が少し赤い気もするけれど、特に饒舌になることも無ければテンションが上がっている風でもなかった。
柔らかな笑顔を携えながら、穏やかに話をする。
「へぇ~、そうなんですね!予定日は?」
「‥来月、かな。半ば頃だったと思うけど」

‥随分、他人事みたいな言い方をするわね。
それにしても、まさか彼が結婚していたとは思わなかった。

「名前とか、もう考えてるんスか?」
「いやぁ、その辺は奥さんに一任するよ。大変な思いをして産むのは、彼女だからね」
‥ほら、まただ。どうして彼はこんなにも自分の家族と〝関わろうとしていない〟のだろう。
一度引っかかってしまった疑念は、なかなか喉元を通り過ぎてくれない。
「‥元気に生まれてくれるといいですね」
当たり障りなく私が言葉を掛けると、彼も同じように応じた。
「うん。ありがとう」
その時の私たちの会話に、きっと心なんてこもっちゃいなかった。



「―妻とは、離婚したよ。
彼女の子どもが少し大きくなって、彼女一人でもやっていける時期が来るまで‥って約束だったんだ」

さっきの会話を思い出している。
「‥やっぱり、貴方の子じゃなかったのね?」
「…気が付いてたの?」
「初めから、違和感があったのよ。貴方の言葉は、何だか他人事のようだったから」
「…そっか」
彼と私の会話は極めてドライなものだった。
言ってしまえば、私たちは
特に関わる必要のない間柄だったからだと思う。

「いい人そうに見えて、貴方って一番厄介なタイプね」
「―俺は別に、『いい人』を装ってるつもりもないんだけどね。
‥自分の事は俺自身が一番解ってるよ」

―貴方のそれは、優しさじゃない
自分が悪者になりたくないだけ―

「―同属嫌悪ってヤツかしら。
あたしは、貴方のことが本当に嫌いだわ」

     ◆

二杯目のお茶を飲んで、帰ることにした。
店を出る前に「どうもありがとう」と店主に言うと
「また、いらしてくださいね」と穏やかに返してくれた。いつも通りだ。

早坂さんは、明日広島に行く。
晴親君に会えば、きっと二人はうまくいくだろう。
もう、私が割って入るような隙は 何処にも無い。

自分の部屋に入ると、また鼻の奥がツンとする。さっきあれだけ泣いたのに。
テーブルの上で、スマホが呼んでいた。―また着信。
「―」
私は出る気になれず、そのまま画面を見つめている。けれど、相手も諦めない。
手の中で、スマホがずっと振動を続けている。
やがて、留守電サービスに繋がる。
通話は途切れず、メッセージが録音される画面表示が流れている。
20秒程のメッセージが吹き込まれていた。

そのまま放っておこうかとも思ったけれど、直後気になって再生した。
彼が気になるだろうことを期待して、思わせぶりに布石を投じたのは私の方だ。

『―度々ごめん、小峰です。あの‥』
「―!」
メッセージを聞いて、私は思わず外に出た。


アパートから一番近い児童公園に走る。
ぼんやりとした灯りがいくつか並んでいるだけの公園は、この時間に一人で入るには少し勇気が要る。
ブランコに腰掛けて、彼は私を待っていた。

「―ストーカーみたい」
「…ごめん」
「おまけに、夜の公園に一人で来いって」
「…ごめん。部屋まで押し掛けるのは、もっとマズいかなって思って」
「…もう、いい」
私が踵を返すと、彼が不安そうな声で呼ぶ。
「葉月ちゃん」

小峰君には申し訳ないと思っているけれど
ホントに、私は素直じゃない。

「―来てよ。慰めてくれるんでしょう?」

妥協点【徒花】

最後にもう一度だけ‥と言ったのは、僕の方だ。
ほんの一瞬でも長く、貴方の中に僕を留めておいて欲しくて
あと少しだけ、僕の中に貴方の痕を残しておきたくて

貴方は本気でなかったとしても
僕に話しかける時間 僕と並んで歩く時間
僕と繋がる時間だけは、僕の事だけを考えてくれた
優しさと言ってしまうには、あまりにも罪深い
偽善と言ってしまうには、あまりにも温かい

僕の背中に貴方の汗が零れ落ちる
その一粒ですら、僕にとっては快感なんです。
「―信吾(しんご)
耳元に唇を近づけて、思わせぶりに呼び掛ける貴方の声が
甘ったるい毒薬のように僕の内側を這い回り 痺れさせ
やがて思考を停止させる

ああ もっと
もっと呼んでください

あらゆる貴方の武器を使って、僕を殺してください。

     ◆

「―こないだの『出物』あったろう?アレの再配がさ、そろそろ出そうなんだよ。
うちは間違いなく爆発するからって、夜間に応援頼んであるから」

遅番勤務で昼近くに顔を出すと、班長が僕を呼んでそう言った。
早番の同僚が僕とすれ違いで昼休憩に入った以外、他に帰局している姿は見えない。
周囲の『島』からは、ちらほらと話し声が聞こえて来ていた。
「了解です。‥って、班長じゃないんですか?」
作業机に張り出されていた引継ぎ事項に目を通しながら聞くと、申し訳なさそうな苦笑いが返ってくる。
「あー、悪い。俺、今日定時で上がらにゃいかんのよ‥」
「お迎え当番?」
「うん‥まぁ、うちもいっぱいいっぱいでさ」

共働きで一番下の子が保育園に入ったばかり、と言う班長の家庭の事情は承知している。
僕には分からない部分だけど、恐らく相当大変なんだろう。
仕事をしている時より、休日明けの方が疲れた顔をしている事がある。
「お察しします」
勿論、家庭の事情なんかより仕事を優先しろ‥なんて時代錯誤なことを言う人間はもうほとんどいない。
この職場では、割と定時退社が励行されている。
それでも、比較的残業になりやすい『島』で要領よく個人の融通を通してしまえる班長に、僕は少なからず感心してしまう。

「うちから出すと後々引っ掛かりそうなヤツも多いから、あっちから引っ張って来たよ」
班長以外のメンツはデフォルトで残業してるからなぁ‥と、彼の意図を汲んで考えながら「あっち?」と聞き返した。
その指差した方向にある『島』を確かめて、僕の胸がドクンと大きく波打つ。

「―平良(たいら)がね、出てくれるって」

―マジか‥。
僕の頭の中が一瞬で真っ白になる。懸命にチェックした引継ぎ事項すら、飛んでしまいそうだった。

「まぁ‥アイツも久しぶりだから簡単なトコ預けてやってよ。
お前が上手く振ってやってさ‥大丈夫だよな?」
僕の口が、無意識に相槌を打った。
「―…ええ、はい」
「よし、じゃぁ任せたぜ」班長はそう言って、ポンと僕の肩を叩いて立ち上がる。
追いかけるように、午前の終業を告げるチャイムが鳴った。

人の気も知らないで。‥いや、知られても困るけど。
でも‥ああ、参ったなぁ…
再起動した僕の頭がグルグルと無意味な思考の回転を始める。
「おーい、信吾ぉ!ミーティング始めるぞ!」
大声で呼ばれてようやく我に返った。


平良さんは、僕が採用時研修の時にお世話になった人だ。
元は僕が所属するこの『島』に居たらしく、研修中もさり気なく話を聞かせてくれた。
通常業務に戻ってからも何かと気にかけて貰い、そうやって接している間、彼が他の上司や同僚たちから随分と慕われている様子が窺えた。
漢気があると言うか、兄貴肌と言うか、そう言う〝同性受け〟する性質を持つ彼に対して、僕だってなびかない訳がなかった。

ただ 厄介なのは
僕の彼への想いは、他のみんなとは違うものだということ。



「信吾ぉ。今日、19時『吉兆』ね」
夕方の休憩時間中、食堂でコロッケパンをかじっていた僕に一海(かずみ)が満面の笑みで声を掛けてきた。
備え付けのテレビから垂れ流されるニュースを耳にしつつ、携帯ゲームでテキトウに指を遊ばせる。
「―僕、これから夕方便だけど?」
「何ィっ?!お前、遅番なの?」
「言ったじゃん。ゴメンねって」
僕らの職場の人間が御用達の居酒屋『吉兆』で、晴親の送別会が行われる事は聞いていた。
奴とは同期だし仲も良かったから勿論参加したかったけど、遅番シフトだから仕方ない。
しかも、今日は応援要員を出して貰うくらいの仕事量だ。

シフト制の職場では全員の都合を合わせる事は出来ない。よくある事だ。
晴親には申し訳ないけど、彼には個人的に別日を空けて貰う事にしてある。

「マジか、忘れてたわー」
この一海とも同期で、何だかんだ一番仲が良い。コイツのこういう悪気の無い性格も、よく心得ている。
「‥つか、じゃぁ平良さんが応援するのってお前かぁ」
そして、コイツは平良さんの『島』に居る。
「―‥ん。そう」
何気無く吐き出される一海の言葉に翻弄され、僕の返答が一瞬遅れてしまう。
パンが喉に詰まりそうになるのを必死でこらえ、お茶で流し込んだ。
「二人揃って来らんないのは痛ぇよなぁ。なぁ、終わったら顔出してくれよ」
「‥何時になるか分かんないよ?」
「うん、まぁ次第によっちゃ二次会まで引っ張るしさ。連絡してよ」
「分かった」
ガンバレよー、と僕の背中を一つ叩いて食堂を出る。
その姿を見送った先に、晴親が立っていた。目が合うと、僕に手を振ってくれる。

―晴親、少し雰囲気が変わったなぁ

お互いにもう10年もつき合いが続いているんだから、そりゃ多少の変化はあるかもしれない。
―けど、そういう経年変化とは違う何かが、彼の雰囲気を変えているような気がしていた。
そしてそれは、僕にとってひどく興味をそそられる変化でもあったのだ。

「―遅番なんて、ツイてなかったな」

背後の声に、僕の全身が激しく反応した。
「…あ、平良さん‥」
缶コーヒーを手にした平良さんが僕の後ろに立っている。
奥の喫煙室で一服していたのだろう。少しだけ、煙草の匂いがした。
「よ。今日は宜しくな」
そう言って笑い掛ける彼を目の前にして、僕の顔が一気に熱くなった。
線が太くて強面なのに、笑うとすごくカワイイ
―なんて、絶対に本人には言えないけど。
「お疲れの所すみません。お世話になります」
僕は立ち上がって頭を下げた。「大袈裟だなぁ」と苦笑した平良さんが、下がった僕の頭にポンと手を置いた。
「久々だから、あんまり期待すんなよ。二人で早く終わらせて、チカんトコ行ってやろうぜ」
わしゃわしゃと撫でてくれる手の感触は嬉しかったけど、何処かで少しだけ胸が痛んだ。
晴親の名前が出たからだろうか。だとしたら、僕の心は相当歪んでいる。

解ってるハズじゃないか
この人は 誰にだって優しいんだ



『―おお信吾、お疲れさん!待ってたぜ!』
通話口の向こうから、ゴキゲンな一海の声と更にゴキゲンそうな大騒ぎが聴こえてくる。
僕は少しだけ携帯を耳から離して返事をした。
「とりあえず終わったよ。‥どう、そっちは?」
ロッカー室で着替えをしながら電話している。
時計を見れば21時半くらい。最終便で少し手間取ったけど、それでも思ったより早く片付いた。
間違いなく、平良さんのお陰だ。

『ココはあと30分くらいかなー。メンツが半分くらいになるけど、二次会も行くってさ』
「―ん、じゃぁ二人で合流するよ」
『オッケー。待ってるぜ!』

会話を終えて通話を切ると、途端に辺りが静まり返る。薄暗い照明の中、ココに居るのは二人だけ。
僕のロッカーがある列とは背中合わせで、平良さんのロッカーがある。配置上姿は見えないけれど、音が僕の耳に届いている。
そこに彼が居ることを思い知らされ、見えない姿を想像させられてしまう。
僕は訳も無く赤面していた。
「―どした?」
いつの間にか、平良さんがロッカーの陰から僕を覗き込んでいた。
「‥あっ、いいえ!」僕は殊更に大きな声を出して首を振る。
「‥ふうん?」とまだ怪訝そうに僕を見つつも、話を切り替えた。
「小峰、何だって?」
「えと‥あと30分くらいは『吉兆』に居るみたいです。二次会も行くみたいですけど」
ぎこちなく告げた僕を、平良さんは今度は何処か興味深そうに見ていた。
「おう。じゃ、行くか」
何となく、観察されているみたいな気がして居ずまいが悪い。
あらぬ期待をしてしまいそうな自分に呆れてしまう。
「‥はい」
なるべく、視線を合わせないようにして笑いかけた。


店に着くと、明らかに身内だろうと予測に易い大騒ぎが漏れて来ていた。
あまり大きな店では無いから、下手すると貸し切り状態かも知れない。
よくある事とは言え、素面の仕事上がりで完全に出来上がった酔っ払いの中に飛び込むのは相当勇気が要る。
「‥大丈夫か?」
平良さんが小声で聞いた。
「大丈夫ですよ」
そうだ、今日は一人じゃない。
答えて、店の引き戸に手を掛けた。

「お二人さん、遅くまでお疲れ様っすー!!」
テンション高めに喝采で迎えられるのも、よくある事だ。宴の主役を差し置いて目立ってしまうこの瞬間が、僕はどうしても苦手だった。
人数は20人程。同じ『島』のメンバーや同期の他、奥の方には課長クラスも何人か来ていた。
改めて晴親の人望の厚さを実感する。
件の主役は、既にテーブルの端の方に居た。(酔っ払いから避難したんだろう)

「―二人とも、お疲れ様でした」そう言って、笑顔で手招きしてくれる。
「間に合って良かったよ」
平良さんと僕は並んで晴親の正面に座った。「二人とも、生でいっすか?」一海がすかさず聞いてくる。
僕は少し迷ったけれど手間取らせてしまうのも申し訳なくて、平良さんと共に承諾した。

「平良さん、古巣どうでした?」
「んー、あの辺は基本的に動かねぇから変わんないなぁ。まぁ‥俺の抜群の記憶力を持ってすれば楽勝よ」
「おおお、さすが当局の生き字引」
「言うね、お前」
晴親と平良さんの会話はいつでもテンポがいい。とてもじゃないけど僕にはこんな会話は出来ない。
晴親や一海の性格だからこそ、軽口も笑って許されてしまうと思う。

程なくして、冷えたジョッキが二つ運ばれてきた。
「すんません、食べ物は二次会まで待って貰えますか?」
「いいよ。ここらの残り物さらうから」
「あ、平良さーん、良かったらコレどうぞー」
「何だよ、誰も手付けてねぇの?勿体ねぇなぁ」
「二人の為に取っといてあげたの!」
「ははは、モノは言い様だな」
僕の頭上や目の前を会話が飛び交っている。ココでも、僕はやっぱり出遅れてしまう。
こういう時、平良さんは本当に上手くその場に溶け込めるんだよなぁ‥

「よーし、じゃぁ全員揃った所でもっかい乾杯しましょー」
「もう締めだけどな!」
「チカ、最後に挨拶!」
「えええ‥最初にしたでしょうが…」
「バーカ、今度は平良さんと信吾の為にだよ」
「おお、チカちゃん、頼むぜ」
再び宴の中心に引っ張り込まれた晴親が、酔っ払い達に囲まれて苦笑いしている。
何て言うか‥単純に羨ましい。
晴親は、みんなに愛されてる。それを痛いほど見せつけられてしまう。


「信吾」
ぼんやりしていたら、僕の耳元で名前を呼ばれた。
低い声と絶妙な振動に、僕は肩が震える程反応してしまった。ざわざわと、肌が快感で粟立つ。
「無理すんなよ」
平良さんの言葉は、疲れた僕の体を気遣ってくれてのものだろうけど
僕の中には、もっといろいろな意味を含む言葉として染み込んでいった。
「―大丈夫ですよ」
店に入る前と同じ台詞で僕は応じ、冷えたジョッキを合わせて乾杯した。



結果的に、僕はいつもよりもハイペースで飲んでしまい
いつも以上に酔いが回ってしまった。

「―信吾、大丈夫?」
二次会の店を出る頃、僕の酔いは完全に足に来ていた。
一海の肩を借りて立っているのがやっとと言う姿に、晴親が声を掛けてきた。
「‥ん、平気平気」
「あんまり平気そうには見えないけど‥一人で帰れる?」
「まぁ、俺が送ってやるから心配すんな」
僕の話をしてるんだけど、何となく僕だけが置いてきぼりな会話が進んで行く。今日は、そんなのばっかりだな‥
回転の鈍った頭が、どんどん卑屈になっていく。

―と、
「―俺が送って行くよ」
もう一つ、別な声が加わってきた。

…あれ?
何だか視界がハッキリしない。瞼が重い。
僕の周りの会話が次第に、海の中から聞いているみたいに遠くなっていく。

ただ、声の主はちゃんと解っていたハズだ。
「え、でも平良さん‥」
「チカも小峰も帰る方向が違うだろ。小峰は特に、明日もあるんだから早く帰れ」
「―はっ!そうだった‥」
「平良さんは?大丈夫なんですか?」
「俺は心配要らない。比較的径路が似てるから、送ったついでに俺も帰れるよ」
「うーん‥、じゃぁ申し訳ないですけど‥お願いします」
「おう、任せろ。―二人とも、今日はお疲れさん」
「―お疲れ様でした!」

会話はそこで途絶え、そこから後の事はまったく覚えていない。
次に目が覚めた時、僕は見覚えの無い部屋のベッドの上に居た。

「―…」
一か所だけついている間接照明が、部屋の中をぼんやりと浮かび上がらせている。
明らかに僕の部屋じゃない。よく見ると、ベッドは少し大きめのものだった。

まさか‥とは思うけど…。
次第に五感がハッキリしてくると、今更ながら壁の向こうから聴こえてくる水音を認識した。
シャワーの音だ。僕一人でココに居る訳じゃないのも、明らかだった。

「―お、起きたか」
バスタオル一枚巻いた姿とまともに目が合ってしまい、僕の呼吸が止まりかけた。
濡れた髪や上気した頬がどうしようもなく艶っぽい。
「―平良さん…ココって…」
フェイスタオルで荒っぽく髪を乾かしながら、平良さんは淡々と答える。
「悪いな。ホントはお前んちまで送ってやりたかったんだけど、もたなそうだったから諦めた」
「―え」
「あのまま、タクシーの中で吐かれてもお互い困った事態になっちまうしな」
「えええ」
苦笑する彼に、僕は姿勢を正して謝罪した。
「すみません!とんでもないご迷惑をお掛けしてしまって…」
一瞬間が空いた後、彼は声を上げて笑った。
「気にすんな。ちゃんと、ココまで我慢して来てくれたんだし」

ううう…何て事だ。他の人に被害が及ばなかったのは良しとしても、他ならぬ平良さんに世話を掛けてしまったなんて。
「それより、もう平気か?―ほら、ちゃんと水飲めよ」
「はい‥すみません…」
手渡されたペットボトルがずっしりと重たく感じる程、僕の中は自己嫌悪でいっぱいになった。
一気に水を流し込むと、冷たさが空っぽの胃に染み渡る。
平良さんはベッドの端に腰掛けて、少し言いにくそうに話を続けた。

「‥まぁそんな訳で、とりあえず渋谷で降りて‥部屋探したんだ」
「…」
どういう意図の部屋だっていうのは、雰囲気を見て何となく解っていた。
でも確かに、手っ取り早く入るのには最適だろうと思う。
悶々と考え込む僕に、平良さんは悪戯っぽく言った。
「俺の部屋に連れ込むのと、どっちが良かった?」
「‥な、何言ってるんですか」
「―冗談。俺んちはまぁ、今ちょっと都合が悪くてな。
安心しろ。別に〝他意〟は無いから。朝までゆっくり寝るといい」
そんな事を敢えて言わせてしまったような気がして、僕の罪悪感は更に増していく。
―他の奴に対してもこんな状況の時、彼は同じ事を言うのだろうか。
「…」
「お前が気になるなら、俺はこのまま帰るから」
そう言って立ち上がろうとする彼の腕を、気が付いたら掴んでいた。
「―居て、ください」
気が付いたら、言っていた。
「‥ん?」
「朝まで、一緒に居てくださいよ」
「―信吾‥?」

「こんな広いベッドじゃ寂しいです。独りに‥しないで」

まだぼんやりとした頭で、僕は自分の口が勝手に吐き出す台詞を聴いている。
何で、こんな事言ってるんだろう
こんな事言ったら、絶対に誤解される
僕には そんな気持ちは‥

「―いいよ。ココに居る」
彼はもう一度腰掛けて、大きな手の平で僕の頭を優しく撫でてくれた。
僕の視界が潤んでぼやける。訳も解らず、泣いていた。
みるみる頬を濡らしていく僕の涙を、彼は丁寧に拭ってくれた。
「泣くなよ。ちゃんと、朝まで一緒に居るから」

     ◆

彼に掴まれた僕の腕が痺れるように熱くなった。
僕を握る彼の掌からも 背中越しに感じる彼の呼吸や気配からも
そして、彼と繋がっている部分からも
ビリビリと焼け付くような熱を感じる。

壊れそうだ
いっそ 壊して欲しい
お願い 壊してください



ようやくシャワーを浴びて、僕は裸のままベッドの中央でくったりとしていた。
―4時。もう少しすれば、外は明るくなる頃だ。
遮光カーテンで遮られた部屋の中では、時間も止まってしまっているように思える。

「―風邪引くぞ。せめて布団を掛けろ」
ソファで煙草を吸っていた平良さんが、いつの間にか僕の傍まで来ていた。
「あと、もうちょいそっちにずれてくれ」
「―…はい‥」鉛のように重たい体を引きずって、僕は彼の為に場所を空けた。

「信吾。お前、今日仕事は?」
「…遅番です。今日頑張れば、明日はお休みです」
「そっか」
「…平良さんは?」
「非番。帰ってもう一回寝てやる」
「うわ、ズルいなぁ…」
僕は彼に背を向けたまま、会話を続けていた。
あれから、まだ目を合わせていない。

「信吾」
「はい?」
「お前‥俺の事、好き?」
「…」
平良さんの声が少し遠くに聴こえる。彼も、僕を見ていないのだろう。
「―どう答えればいいですか」
「…ん?」
「嫌いって答えれば嘘になります。
でも、好きって答えちゃったら‥きっと今までみたいには接してくれませんよね?」
僕は、何を言ってるんだろう
ただ回りくどく言い訳しているだけで 本当は‥
「―それって、好きって事じゃないの?」
「……ですね」
多分何て答えたとしても、彼と僕の関係性は昨日までのものには戻らない。
そんな事は解っている。〝あの時〟もそうだった。

もう、彼からどんな仕打ちを受けようと 僕に拒否する権利は無い。

―と。
「‥!」背中に彼の温度を感じ、首筋に唇の感触が滲んだ。
「―ココ、制服着りゃ見えないから」
彼はどうして、僕に痕を残したんだろう。
「‥そこじゃ、僕にも見えませんよ」
皮肉っぽく言うと
「はは、そうだな」彼はちょっと困ったように笑った。

     ◆

「―先輩、四倉(よつくら)先輩っ!」
呼び掛けにようやく気が付き、僕は我に返った。夕闇の住宅街に赤いバイクを停めて、そのままぼんやりしていたみたいだ。
―何やってんだろう
「ああ…、ゴメン」
今日も応援要員を出して貰って、配達をしている。
今日はうちの『島』から一番の新人が出てくれている。サポートして貰う…と言うよりは先導して教えているような形だ。
「向こうの二棟、捌きましたよ」
「…うん、ありがとう。―もう少しで片付くね」
「ハイ、頑張りましょー」

事あるごとに昨夜の‥いや、今朝の事が頭をよぎって集中しきれない。
気を抜けば彼のことを考えてしまい、その度に首の後ろがじんじんと脈打つような気がした。
この子はまだ地域を把握していない。今日は僕がしっかりしなきゃいけないのに‥。

「‥先輩、何処か具合悪いですか?」
何気無く聞かれて、僕は焦った。「…いや、大丈夫だよ」
取り繕うように笑顔を作る僕に、「ふぅん‥?」と首を傾げて
「でも何だかお疲れみたい。自分、頑張りますからあんまり無理しないでくださいね」
そんな言葉を掛けてくれる。優しい子だな‥。
「ありがとう。‥そう言ってくれるだけでも、元気になるよ」


帰局して時計を確認する。21時半を回っていた。昨日よりは少し時間が掛かったけれど、まぁ何とか片づける事が出来た。
帰局後処理をしようと作業机に向かう途中で、足がもつれる。「―っ!」
「‥わっ、危ない!」
ぐいと腕を掴まれ、転ぶのは回避された。その代わりに感触が蘇り、しまいかけた衝動が呼び起こされた。
掴まれた腕は、昨夜彼が掴んでいた場所と同じだった。

「…!」過剰に、体が震えた。
「―先輩‥?大丈夫ですか?」
僕は汗をかいていた。「…平気。ありがとう」
自分で体勢を立て直し、ひとつ息をついた。

若松(わかまつ)は、力持ちだね」僕よりも少し背の低い、しかも女の子が一人で支えてくれた事に驚いた。
彼女は、何処か自嘲するように笑って言った。

「腕力は自信ありますよ。―女子の割には、ね」


待ち合わせの時間の10分程前に到着する。水道橋なんて久しぶりだ。

たくさんのスーツ姿がせわしなく改札を行き来している。
そういう中で余裕を持っていられるのが、平日休みの特権だ。
「―わ、信吾。早いなぁ」
人波をすり抜けて、晴親が近づいてきた。「お待たせ」と言われつつも、実際まだ5分前だ。
お互いの性格がそうさせるのだろうけど、何だか可笑しくて笑ってしまう。「大丈夫。僕も今来たとこだから」

先日の送別会に出られないかも知れないから‥と、無理を言って予め一日空けてもらっていた。
非番日が合えば一海も一緒だっただろうけど、ヤツは今日遅番だったはずだ。

―僕が敢えてこの日を指定した。晴親と、二人で話がしたかった。

「飲めるのは夕方からだし、少し遊んでいかない?」
晴親は目の前を指さした。いくつかあるアトラクションから、楽しそうな声が聴こえてくる。
「―ココで?」
「そ。今日は野球もライブもプロレスも、笑点の収録も無いけどね」
悪戯っぽく笑う彼に、久しぶりに目を奪われた。
―もしかして、僕の為に水道橋(ココ)を選んでくれたのかな‥
無為な期待がじわりと僕の胸に染み出してくる。
「‥いいね」
「よし。じゃ、行こう」
揺さぶられる自分の気持ちに気付かないふりをして、僕は彼の後を追った。

僕たちはジェットコースターに乗ったりバッティングセンターでひたすら剛速球に挑戦したり、クタクタになるまで遊んだ。
すごく、懐かしい気持ちになった。


「いやー、くたびれたー。こんな体動かしたの久々だよぉ」
運ばれてきた瓶ビールを僕のグラスに傾けながら、晴親が言った。
「ホントにね。遊園地だって、いつぶりだったかなぁ」
小さなグラスが黄金色に染まっていく。適度な量の白い泡がパチパチと弾ける。
初めの一杯分だけは、他のどれよりも美味しそうに見える飲み物だ。
晴親が手酌しそうになるのを制し、僕は瓶を受け取って改めて彼のグラスに液体を注ぐ。
「‥ありがと」彼は少し照れくさそうに笑った。

僕はずっと、彼の笑顔が好きだった。
大袈裟に言えば『芸術品』みたいな完成された笑顔。きっと、どんな相手にでも許されてしまうと思う。
けれど、彼がそれを手に入れるまでにはいろいろな苦労や苦悩があったに違いない。
自分の内側の傷を必死で隠している、そういう笑顔だった。

その、彼の外見と内面のギャップに気付いた僕は
いつしか彼の『傷』に興味を持つようになった。

「―ねぇ、どうして今日、この辺を選んだの?」
僕は思い切って聞いてみた。
「ん?だって信吾の地元でしょ?懐かしいかなって‥」
晴親はさも当たり前のように答える。見ないようにしていた期待が再び顔を出して、僕の胸がいっそう高鳴った。
「‥覚えててくれたんだ」
「そりゃそうでしょ。俺たちもだいぶ長いことおつき合いしてるもんねぇ」
他意の無い言葉だって解っている。解っているけど、やっぱり意識してしまう。
「‥あと何か信吾って、秩序の無い街苦手そうだなって思っててさ。
地元だし、この辺の方が少し落ち着くかなぁと思ったんだ」

―まただ
目の前に置かれる毒に、僕は迂闊に手を出してしまう。

「―‥優しいんだね、晴親」
僕の言葉に晴親は、少し恥ずかしそうな顔をして応える。
「‥いや‥まぁ、俺も渋谷とか池袋とか、そんなに得意じゃないし」
そんな彼に対して僕は、少し皮肉めいたことを言ってしまう。
好きな子に意地悪してしまう、子どもみたいなやり口だ。
「―だからあの時、『外回り』に乗ってたの?」
「…え?」
店は次第に混雑して来ていた。地域柄、サラリーマン風情の少人数のグループが目立つ。
宴はまだ始まったばかりで、それほど騒がしくはなかった。
「半年くらい前かな‥、晴親が男の人と山手線に乗ってるの、見たんだ」
「…ああ」
僕は上野のホームで、次の電車を待っていた。その時来た電車に二人が乗っていた。晴親と‥隣は知らない人だった。
朝日を浴びて、二人とも眠っていた。その顔がすごく幸せそうで、僕は彼らを見つめたまま、その場を動く事が出来なかった。

「あの人とは、まだ一緒にいるの?」
僕が聞くと晴親はふっと視線を反らして首を振る。
「―振られちゃったよ」
そう言って笑う彼はやっぱり寂しそうで、
今でもその人を強く想っていることが充分理解出来た。


帰り道、改札を抜けてそれぞれの電車のホームに向かう前、もう一度僕は聞いた。
「‥晴親は、後悔してない?」「‥何を?」
「―その人を好きになったこと」
「…」晴親は少しの間、僕を見つめて静かに答えた。「してないよ」
周囲には、家路を急ぐ人の足音が渦巻いては通り過ぎて行く。
その中で、彼の声はやけにハッキリと僕の耳に届いていた。

「あの人に逢わなければ、俺は 生涯誰かを好きになることは無かったと思うから」
「―」
晴親が、僕の前に右手を差し出す。それに応える僕の右手は、少し震えていた。
「―今日、信吾と話せて良かった」「…」
「またな。今度はまた小峰と三人で遊ぼうぜ」

歩き出した彼の背中に、僕はようやく声を掛ける。
「―晴親!

…またね」

最後に見せてくれた彼の笑顔も、泣きたくなるくらい
僕の胸を打つものだった。

     ◆

平良さんの方から呼び出されたのは、初めてだったと思う。
渋谷で軽く飲むことになった。
初めは仕事の話とか他愛ないものばかりで、けれど普段よりも饒舌な彼の様子に、僕はある程度の〝覚悟〟をしていた。

「―俺な、…結婚するんだ」
「…」
「結婚して、地元に帰るつもりだ」
「…そう、なんですか」
予想通り、僕にとってこの上なく耳にしたくなかった話を、彼は切り出してきた。
珍しく日本酒を飲んでいる。痺れるような甘さが喉を通る時、ヒリヒリと焼け付くような感覚を覚えた。

「コレは俺の自己満足みたいなもんだけど‥
他の奴らに言う前に、お前には俺からちゃんと言っておきたいと思って」
「―はい」
勿論、こんな話を人伝てなんかで聞きたくはない。
けど、本人から聞かされたら
そこにはもう 一片の疑う余地も無いって事だ。
『選ばれなかった方』として、僕は 彼を見送らなければいけない

「おめでとうございます、ですね」
「…ん」
彼の表情は、何処か曇って見えた。僕自身がそう思いたい部分も充分にあるけれど‥
「あんまり、嬉しそうじゃないですね?」
僕が聞くと、彼は苦笑して応えた。「…はは、参ったな。お見通しかぁ」

「―正直、実感が無いんだ。話を進めれば進める程、他人事のように感じてさ‥。
何だか、俺の事じゃないみたいだ」
元々、彼に恋人が居たことは知っていた。つき合いも随分長かったんじゃないかな‥。
「彼女が部屋に来ている」とか言う話は、仕事中に何度か聞いた事がある。
そういう話をする時、平良さんは何処となく他人事のように話していた。
「決定権は俺には無いんだ」なんて苦笑いしながら。

「‥でもきっと、コレが 俺が選ぶべき道なんだと思う」
「―」
「結婚して実家に帰って、家を守る。それを、周囲はみんな期待している。
だから‥俺はそれに従うまでさ」
「…それで、いいんですか?」
「ああ。今までだいぶ好き勝手させて貰ってきたからな。ここいらで潮時‥ってヤツだな」
それは諦めと言うより、彼自身が決めていた事なんだと思う。
この人はいつだって 好き勝手振る舞っているようで
いつだって 周囲の期待に応えてきていただけだった。

そういう風に生きる事を、自分で決めて進んでいるのだ。

「―お前には、迷惑かけた。…ごめんな」
運ばれてきた新しい酒を僕に進めるように、徳利を傾ける。
「やだな。謝らないでください」
僕はそれに応えるべきか迷った。この間みたいに潰れてしまいたくなかった。
逡巡する僕に気付いた平良さんが、不敵に笑った。
「―飲めよ。‥ちゃんと面倒みるから」
「…意地悪ですね」

貴方がそうしろ、と言うのなら
僕には 拒む理由がありません


最後にもう一度だけ‥と言ったのは、僕の方だ。
ほんの一瞬でも長く、貴方の中に僕を留めておいて欲しくて
あと少しだけ、僕の中に貴方の痕を残しておきたくて

「―信吾」
彼は僕の背中に自分の胸をピタリとつけて、覆いかぶさるようにして
僕の耳元に唇を寄せる。
背中に滲む汗と、低く響く彼の声
反応して、僕の肩が大きく揺れた。
「明日になったら、お前は全部無かった事にするんだろ」
「―もちろん。コレは、僕が見ている夢ですから」
「‥なら、聞かせてやる」
ひねくれた僕に合わせて、彼も挑むような声音で告げる。
その毒は これ以上ないくらい甘くて痛い。

「―俺もな、ずっと お前の事が好きだったよ」

ああ
夢の中でも 貴方はなんて
意地悪で優しいんだろう。

     ◆

渋谷の雑踏を、無意識に人混みをすり抜けながら歩いていた。
普段は苦手な秩序の無い街。
今は、僕の真っ黒な膿を隠すのに これ程優しい場所は無いと思う。

「―四倉先輩!」

誰かが僕を呼んでいた。「先輩、こっち!」
声のする方を見ると、女の子が大きく手を振っていた。よく知った顔だ。
「…若松。何、してんの?」
「友達と飲んでたんですよ。今解散したトコで‥、
って言うか先輩こそ何してるんです?」

「―…ああ、」何、してるんだろう

昨日は、平良さんに送って貰ってちゃんと自宅に帰っていた。
朝起きたら、本当にすべてが夢だったんじゃないかと思えた。
今日は非番だったから、特に何をする事も無く部屋でゴロゴロして‥
夕方、何故だか渋谷に来ていた。
呼ばれたような気がしたのだ。


「―先輩、行きましょう」
「‥行くって…何処へ?」
僕の質問には答えず、若松は僕の腕を取って歩き出した。
センター街の真ん中を何の気負いも無く歩いて行く彼女を、僕は純粋に尊敬の念で見つめた。
連れて来られたのは、道玄坂のカラオケボックス。
「―…」あっけに取られたままの僕に、彼女は淡々と告げる。

「フリータイムにしときましたんで、朝まで平気です」
「…?」
「歌ってもいいです、叫んでも構いません。
―先輩、吐き出してください」
「―若松…?」
彼女の表情は、真剣なものだった。
「先輩は、いろんな事を内側にため過ぎです」

「…」

彼女が何を言いたいのか、そして彼女が何処まで気付いているのか
その時、何となく把握出来た。
「先輩は男の人が好きでしょう。
―そして、ご自身が男性であることに、違和感を持っている」
「―…気付いてたんだ」
「解りますよ。―自分も、同じですから」
「‥え」
「自分はずっと、女である自分が大嫌いでした」
「―」
「先輩がご自身に違和感を持っていること
けれど、必死になって周囲に合わせて生きようとしているのが、痛いくらいに伝わってきてました」
「―…」
「先輩のすべてを理解出来る訳でも、簡単に理解するつもりもありません。
―ただ、他の人達よりはほんの少しだけ‥
自分は先輩に近いところに居るんじゃないかな‥って思います。だから、」

彼女の言葉を遮る形で、僕はもう 泣き出していた。
「ああ…

ああああああああ!」

僕は、今まで自分が聞いた事もないくらい大声で泣いていた。


―ココなら、どんなにわめいても 誰も気に留めません
だから、大丈夫。開放してあげてください
そう言って貸してくれた彼女の膝は、とても温かかった。


剣道部の先輩を密かに想っていたのは、中学一年の頃。
些細なきっかけで、その先輩に身体を委ねた。
閉め切った体育用具室は、独特の匂いと蒸し暑さで吐き気すらしたけれど
好きな人の腕に抱かれていると言うだけで、僕は嬉しかった。

想いは お互い同じものだと信じて疑わなかった。

周囲で噂が立ち始め、クラスメイトや部活の仲間たちからも距離を置かれていることに気付いた時には、
もう 遅かったのかも知れない。
あの後、先輩から声を掛けられることも
目を合わせて貰うことすら無かった。

もう二度と、同じような人を好きにはならないと決めたハズだった。
なのに
気になるのはやっぱり、そういうタイプの人ばかり
面倒見がよくて、頼りがいのある、兄貴肌の
彼も、まさに典型と言える人だった。

     ◆

平良さんが地元に帰ったのは、晴親の転勤の少し後だった。
慕われていた二人が立て続けにいなくなってしまい、職場で寂しい気持ちになっているのは僕だけではなかった。
特に一海は二人とも近しい存在だったから、解りやすく落ち込んでいた。


平良さんは職場を去る前、僕の『島』まで挨拶に来てくれた。

「あーあ、お前が居なくなると、俺困るんだよ。上司(うえ)からの風当たりが一気に強くなる」
「今まで俺を盾にして楽してきたんじゃねぇか。まぁ、頑張ってくれや」
「冷たいねぇ、最後に残った同期だってのに」
「今度はアンタが部下(した)の盾になる番さ。
大丈夫、アンタなら出来るよ。同期の俺が保証する」
「…何だよそれ。何も言えないじゃん」

午後便の配達を早々に終えた班長と談笑している姿を
何食わぬ顔で見なければいけないのは、さすがにしんどかったけど

「―お、信吾おかえり~」
班長が気付いて声を掛けたのに合わせて、彼もこちらを向いて笑い掛ける。

―目が合って、少し ホッとした。
「お帰り、信吾」
その顔は、職場の他の仲間に向けるものと変わらない。

「ただいま。―平良さん、お疲れさまです」
「おう」

たったそれだけだけど
僕は、それだけで救われる思いがした。

「先輩~、置いてかないでくださいよぉ」
若松の声が、僕の後ろを追いかけて来ていた。


◆◆◆

サークル・ゲーム Ⅰ【注】

当初の文章より大幅に削っておりますが、性的描写等でご不快に思われる事がありましたら大変申し訳ありません。
尚、一部実際の企業名や地名を拝借しておりますが作品は徹頭徹尾創作です。実際の事情とは異なるものであります事、ご承知おきください。

サークル・ゲーム Ⅰ【注】

※BL要素、若干ですが性的描写を含む作品になります。閲覧の際はご注意ください※ ごく日常にありふれている、少しだけ屈折した『好き』の連鎖物語。

  • 小説
  • 中編
  • 恋愛
  • 青年向け
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