夜は寝るもの
「夜眠れないとき、何してる?
最近寝付きがわるくてさ」
読書に耽っていたスイは、目をまんまるくして顔を上げた。
「寝付きにいいもわるいもあるもんか」
ぱふ、と音を立て、彼は本を閉じた。表紙には『アンチ・オイディプス』と書いてある。見慣れないタイトルだ。
「夜は寝るもの、そうだろう?」
「……。」
「なぜ寝ない?おまえのお月さんは昇らなくなっちまったのかい」
「遠足の前の晩」
「突然なにを言い出すんだ」
「わくわくして眠れなかったこと、あるだろ?」
「遠足の前の日なんて、ぐっすり眠らなきゃあ、翌日に支障が出るだろう」
「大事な発表の前の晩」
「それこそぐっすり寝なけりゃあ」
……話にならない。
しかし、彼はタバコに火をつけると、機嫌よさそうに口角を上げた。
「夜は寝るもの」
『枕草子』の冒頭かのように、彼は繰り返す。
「寝付きのわるい人間が居ることくらい、知ってら。それでもね、おれにとっちゃあ、いいもわるいも、そんなもんないんだよ」
「へえ?」
くす、とスイは笑った。
「ミキはおれの話にてんで興味を持たないな」
「そんなことはないけど」
「論点がずれるのが気に入らないのだろう?」
分かっているなら、その癖を直しておくれよ。
「おれが眠れるのはね」
すぅ、と煙を吐いた。タバコのにおいが本につくのは、構わないのだろうか。
「夢がおれを待ってるからなんだ。夢のほうからやって来る。目を閉じるとね。
おれは暗闇で手を伸ばして、足を蹴って、ずっとずっと遠くを目指す。どこまでもどこまでも、此処じゃない場所へ行ける。」
「夢はおれを裏切らない。嘘もつかない」
スイはガラスの丸テーブルに置いていた本を再び手に取り、開いた。
「おれの眠りに、『眠り』なんてもんはない。ぜんぶ『夢』なんだ」
「眠っている間じゅう、ずっと夢をみるということ?」
「そう言ってもいいかもしれないが、分からん。とにかく、夢しかないんだよ。おれが知っているのは夢だけだ」
スイは小難しいことが好きだし、鼻に付く言い回しも好んでつかう。それでも彼と話をするのは好きだった。そうさせる感情のひとつは憧れだったし、すこしの憐憫というのもあった。
「お月さんは昇ったり沈んだりするだろ」
「うん」
「だから夜は眠るんだよ」
「月なんて、太陽の光を借りて光ってるだけの、いわば虎の威を借る狐なんだ。だから、月がうろうろしている間は夢をみる。
夢は嘘をつかない。なぜだか分かるか?
すべて出まかせだからだよ。ひとつも真実がない。そこにあるすべてを信じなければいい、そうすれば裏切られることなんてない」
彼はタバコを丸テーブルの天板に押し付けた。ガラスの表面に、灰がぐしゃぐしゃと広がっていく。
「月が美しいとすればね」
彼のひとみが、ギラリと光ったように見えた。
「それは月が嘘をついているからだよ」
夜は寝るもの