斜交

 (ゆらゆらと湖に揺れていた小舟が何か、硬いものにぶつかり、停止する。夜辺は眼を擦り起き上がった。他の小舟にぶつかってしまったのだろうか、と不安を抱いていると不意に、柔い、柔い、この手一つで消せてしまいそうな、煙のような声が聴こえた。その柔い声は胸の中にしいんと溶ける。夜のように、甘く染みるのに、そのくせ、夜のみ咲く花のように切ない。)
 夜辺「月来香を匂わせる声だ、」
 (小舟から身を乗り出して耳を澄ませる。バランスを崩し小舟はガタガタと揺れていた。辛抱強く耳を澄ませていると夜辺の耳にまた柔い声が届いた。)
 夜辺「どうしてこんなにも悲しいのか分からない、」
 (夜辺は自分が泣いているのではないかと思って手の甲でごしごしと目元を拭った。乾いた頬から手を滑らせ夕空のように焼ける胸に当てる。)
 (声の正体を知る為に夜辺は小舟の上に立ち、目を凝らす。そこには穏やかな、午前の湖が広がっていた。)
 夜辺「……これは、」
 (瞬いた目に写ったのは、小さな島だった。突如として現れた小さな島は不思議な、青い花を咲かせる木々に覆われている。)
 (小舟は石造りの階段にぶつかっていた。三段しかない、小舟から島へ上がるのに作られた、小さな階段だ。)
 (湖の水が薄く引かれた一段を飛ばし夜辺は島に降りた。島の地面は青い花びらで埋め尽くされている。)
 夜辺「……声が、」
 (細く、細く、途切れ、途切れ、に聞こえていた声は島に足を踏み入れた途端に鳴り止み夜辺の耳はしんと痛いくらい静かになった。)(それが余計に声を確かにしてゆくようだった。)
 夜辺「美しいのに、悲しい、」
   「あれは何だろう、」
 (木々の真ん中に、青白く、ぼんやりと光る球体が浮いている。急かされるように近づくと、それは球体ではなく、金平糖のような、もしくは球体に花の棘が生えたような、奇妙な形をしていた。)
 夜辺「心が焼け落ちそうだ、」
 (青い光に触れた指先を伝い夜辺の体に痛みが走る。) 
 青火「……だれなの、」
 夜辺「きみは、……その声、」
 青火「眠っていたのよ、わたし、」
 夜辺「ごめんなさい、……ぼくが触れたから、」
 (奇妙な静けさが二人の中を巡っていた。)
 (探していた声を辿るように夜辺は二つの声を重ね合わせる。) 
 夜辺(この声は、ぼくの探していた声だ。)
   (儚い、月来香のような声。)
 夜辺「……きみは。」
 夜辺「……どうしてきみは泣いていたの。」
 青火「これも夢であるのなら、一度くらいは、話してもいい。あなたがメアだというのなら、たった一度くらいは、本当のことを話してもいい。これも夢であるのなら。」
 (苦しそうに口を結び、夜辺は悲しさから空を見上げる。)
 青火「少女だった日に星は願いを叶えてくれた、」
 (青火の声に耳を傾けながらも夜辺は空から目を離せなかった。)
 青火「二度と苦しまないように、外れの星にしてくれた、」
   「こどくは夜よりも優しかった、」
 (奇妙な木々の隙間から春の星が見えていた。)
 夜辺(星だ、星が見える。)
   (此処が暗いのは、夜しか来ないからなんだ。)
 夜辺「ぼくはきみの期待には応えられない。ぼくはメアではないから。」
 青火「決まってメアは自分を否定する。」
   「自分を分からないから、」
 夜辺「どうしてきみは泣いていたの。」
 青火「どうしてあなたは来たの。」
 夜辺(ああ。どうしてあの声を追い求めたのだろう。どうして此処へ来たのだろう。)
 (心に蒔かれた星たちの淡くも美しい煌きは急激に煤けてゆくようだった。)
 (光を沈め、青火は弱く光っている。)
 夜辺「……泣いていたから。……泣いていたから、此処へ来た、」
 青火「あなたは流星を聞いたのよ、」
 夜辺「きみは泣いていた。ナイトメアじゃない、本当のこと。きみは泣いていたんだ。それをぼくは聞いていた。独りぼっちは、減ることも、満ちることもない、枯れた水源のよう。だからきみは泣いていた。」
 青火「あなたはメア。メアは幻だけを運ぶ舟、」
 夜辺「夜はきみを守ることを止めた。だからぼくはやって来た。」
 青火「はやく消えて、」
 夜辺「どうしたら泣き止んでくれるの、」
 青火「本当の夜はもう終わったわ、」
 夜辺「どうか、ぼくを、」
 青火「はやく去って、……はやく、」
 夜辺「ぼくは必ずやって来る。小舟に乗って、」
 青火「泡沫のように忘れてしまうわ、」
 夜辺「なら、次は、次に会えたときは、ぼくを受け入れてほしい、」
   「待たなくってもいいから、忘れてしまってもいいから、」
 青火「わたしは外れの星、」
   「空へも土へも還れない、」
 (青い花弁は風と共に空を飛び交い夜辺の視界をあっという間に埋め尽くした。)
 (花弁が地に落ちるとそこにはもう青火と夜辺の姿はなかった。)

斜交

斜交

夜辺は声を探している内に奇妙な花に辿り着く。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-04-28

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted