車椅子独り旅。『ふれ愛の旅。北海道。』

車椅子独り旅。『ふれ愛の旅。北海道。』

たとえ身は、蝦夷地の島根に朽れるとも魂は東の君を守らん。

★『たとえ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君を守らん』。

文; 森下 善和
 これは、土方歳三の   『辞世の句です。』 

新撰組。 鬼の副長! 土方らしい、真面目で一本気な句ですね。

彼の性格を垣間見る気がします。  

 今年の車椅子独り旅は、土方が『誠』を旗印に戦い、戦死した

場所。 函館の一本木(現。若松町と旧幕府軍が新しく国を創ろう

とした場所。(蝦夷地)北海道の函館。五稜郭を訪ねて来ました。

北海道に行くには、6月?。本州と違い梅雨は、無くて爽やかな

場所。優しく包み込んでくれるような土地と人の優しさに私は、

何度も感動して涙を流しました。  (人間って最高です。)

6月の11日。(日)朝8:08分京都周り(きのさき8号)で京都着。

乗り替えて10:35分新幹線(のぞみ10号)に乗り。 12:57分東京に

着きました。(新幹線早いです。最高時速200キロと記憶していた

ら。車掌さんに320キロと聞いてビックリ。早い筈です。)

周りの建物。 外の景色は、ボンヤリ。そして幾つものトンネルを

抜けて、 (列車が余りにも早くて景色が見えないよ。)

新幹線のトイレを一度。 体験したいと思っていたのですが、
(2,)

次々に人が入り。使用する事が出来ません。(無理矢理入って

利用すれば良いのでしょうが?、気の弱い私は、東京駅まで我慢

しました。) 東京に着くと真っ先にトイレに駆け込みました。

初めての場所でトイレを探して車椅子を漕いでウロ・ウロ人に

聞こうにも外人か中国の人ばかりで聞く事が出来ません。

実を言うと、 今回の旅行ですが、 乗車券(はやぶさ5号)が買

えなくて困っているとキャンセルがあり、 買う事が出来たので

すが、今。中国では、旅行ブームで乗車券も、買い締めをして、

買う事が出来ませんでしたが、JRに勤める友達に買ってもらい、

 悪く言うつもりは、ありませんが、障害者トイレを利用したいと

扉を開けました。  ビショ・ビショに濡れて汚く。臭いです。

凄い臭いです。そこへ丁度。お掃除のおじさんが来て呟きます。

"日本に来てお金を落として行き。日本は、潤っているのだから。

悪く言えないけど。"と  私に前置きして 一言。 呟きました。

【常識を知らないようで???、 旅行先でトイレを見つけて、

ドアを開き。そこで催すようです。 ★ドア開くと小便をする。

(3,)

便器は、大便をする場所です。大便も便座の上に立ちしゃがみ。

用を足するようです。 床は、ビショ濡れで便器の上も汚れて

ウンコ塗れ。スゴい匂いと汚れで大変です。】   【兄ちゃん

我慢が出来るなら。トイレ掃除が終わるまで待ってなさい。】と

言われましたが、

【私、立ち便器が仕えますから。】と普通の便器に行きました。

トイレから出て、浅草に行こうと、地下鉄を探します。改札口

へ向かいます。 (今日は、(日)なので人が多い事。 特に中国人

の団体と・修学旅行の小学生と中学生・高校生。婦人会・老人会。

さすが、日本の都。東京。 人・人の大行進です。 人の大群。

人の大波の中を縫って横断歩道を車椅子で、つっ走ります。

擦れ違う人達は、不思議な物でも見るように振り返り唖然と

していますが、   車椅子でお構いなしに、突っ走ります。 

すると、前輪のキャスターが道と歩道の堺い目の隙間に入り、

それに高い段差があり。 上がるのに困っていると、 外人の

グループの人達が、 【ヘイ。ユー、ガンバッテ下さい。】

(4,)

と車椅子を持ち上げてくれました。 私が【アリガトウゴザイ

マス。】  と言うと 【オケー。ガンバッテとハイタッチ?】

人混みを車椅子で颯爽と進みます。   行き交う人。擦れ違う

人達は、不思議そうに、  私を見ていますが、お構いなしに進み

ます。今日の宿。蔵前の東横innに向かいます。   恐そうな

おじさんに道を訪ねましたが、 (見てくれより親切でした。)

 【すみません。蔵前の東横ホテルまで行きたいのですが、どう

行けば良いのでしょうか、・車椅子で歩いて行けますか、】

徒歩で行けると聞きましたが、

 【前の歩道を渡り、真っ直ぐに1キロチョイ進むとホテルの

看板が見えてくるよ。良いお天気だからゆっくり行きなさい。】

と教えてもらい、 お礼を言って、汗をかきながら進みます。

【少し距離があるけど、車椅子で大丈夫かナー。】と言われて、

一瞬。 不安な気持ちになりましたが???、 

【大丈夫。良いお天気だから。初めての浅草の町を散歩しながら。

ゆっくり見物しながら行くと良い、】と言われて進みます。

(5, )

 【頑張るねー。少し遠いけど、気を付けて行きなさいよ。】

【ありがとう。】周りの景色を眺めながら。東京見物と洒落込み。

楽しんで向かいます。】有難う。と、別れました。途中で擦れ違う

人や出会う人達は、不思議そうに振り返り見ています。 【今日は、

と挨拶をする。】とビックリして挨拶を返す人。叉、恥ずかしそうに、

顔を真っ赤にして笑顔だけ返す人。こんな事がありました。 両親

と3才ぐらいの子供。 3人の家族連れと出会い、子供に【こんにち

は、と挨拶しました。】その時は、挨拶して別れましたが、 お腹が

空いたので、周りを見ると、元祖。天ぷらと書いた。暖簾のお店が

眼に止まりました。4階建てで、お店と言うよりビルのような建物。

それは、食堂です。さすが、東京。勝 海舟も利用した。 店で250年

以上も続く老舗だと教えてもらいました。 朝ご飯を食べていない

ので、お腹が空いて、無心で食べていると、ここに来る途中で出会

った。  家族3人連れが入って来て、私の前の席に座りました。

その家族連れもお昼ご飯を食べに来たようです。【叉、お会いしま

(6. )

した。ご旅行ですか、】と聞かれました。 【車椅子の後ろに独り旅

と書いてありますけど、何処まで行かれるのですか、】 【1人で

気ままに、行きたい場所や自分の興味ある物を見たり、 出会う人達

との何気ない、 “ふれ愛を求めて、”独り旅を楽しんでいます。】

【へーェ。素敵ですね。 何処から何処まで行かれるのですか、】

【兵庫から。今朝。着きまして、 東京・北海道・京都と7泊8日で

独り旅をしています。】  【お一人でスゴイです。知らない土

地で、知らない人達に。?しかも。車椅子で、言葉もご不自由で

不安は、ないですか、?】 私達。五体満足な者でも不安で行け

ません。  【皆さんが助けてくれ、お手伝いしてくれますから。

それに。人は、何処にでもおられますから。】     孫に説明

します。 【おじさん自分の事が出来なくても車椅子で独り旅

しているんだって凄いね。偉いねえ。】  すると、子供が突然、

【おじさん足が痛いの?歩けないの、自分で食べられないの、?】

【自分で歩けないだよ。自分で食べられないんだよ。  でも、
車椅子に乗れば、電車に乗って何処でも行けるし・手が仕えない
(7. )

けど、 自分で食べる事。出来る。誰かに頼んで、お手伝いして、助け

もらえる。優しくして貰えたら。 歩けなくても車椅子でも旅行が

出来るんだよ。 外で生きて行けるんだよ。 自分で出来ない事は、

手伝って欲しいと一生懸命頼むんだ。】 だから。みんなに声かけて

助けてもらい、お手伝いを頼んで旅行しているんだよ。  

【言いなさい。   僕もおじちゃんを助けてあげるよ。】  

【出来る事は、自分でやるから。 出来ない事は、助けて欲しい、

頼むよ。】 【うん。解った。】 話しながら。 親子3人と

昔からの知り合いのように、話しながら昼食を食べる事が出来

ました。 【この店は、幕末の頃から創業しているそうで、幕末

の有名な人達。 ★あの勝海舟も坂本龍馬も西郷隆盛も訪れて

江戸城無血開城の相談をして交渉が成立して一滴の血も流さず

江戸を新政府軍に明け渡す事が出来たのは、勝海舟がこの店で

天ぷらを食べて舌が軽くなり、交渉が、・相談が上手く出来た

とか、】 【そうだったのですか私が、4年前お邪魔した時は、

勝海舟が利用した店だと言う事だけを教えてもらいました。】
(8. )

【じゃー坂本龍馬も維新の志士達も訪れた。  お店なので

すね。】  【そうですよ。想像すると、興奮さえ覚えます。】

【そうですか、何か不思議な気持ちになります。】  

そんな話しをしながら。  穴子の天丼と赤だし。 漬け物。

《セットA》を頂きました。美味しいお茶を頂き。 昼食

が終わりました。 出会った親子3人に別れを告げて1人。

今晩の宿。 東横innのホテルの場所を確認して、授賞式が

が行われる。    藏前の浅草公会堂に向かいます。

擦れ違う人に、【浅草公会堂には、どう行けば良いのですか

】と訪ねます。《実は、(神戸に独り旅)した。時の様子を原稿に

纏め編集社に応募した所。佳作に選ばれ、》招待して頂いた

のですが、賞金では無く。 書状が貰えるそうで、その受与式

が浅草藏前の公会堂であり、 私を迎えに来てくれるのかな

ーと思い訪ねたら。  (独りで旅が出来るなら。 自分の力

で授与式に来た方が、出版社や選考委員へのアピールになり

(9. )

ます。と言われて、)素直な私は、授賞式に合わせ。 今回

の旅を計画したのです。 そして。授賞式に賞金が貰えたら。

ご機嫌な旅行が出来ると、期待してここへ来たのですが、

佳作で頂けたのは、書状だけで、賞金は、貰えません・出ませ

ん。 『私は、ボヤキます。 賞金は、貰えないのです。』

今回の旅の費用にしたくても賞金は、貰えず期待外れです。

(何の為に応募したのか、 解かりません。 賞金をもらって

それを旅費の足しに出来れば、ご機嫌な旅が出来るかもと、

秘かに期待していたのです。   私の期待は、見事に外れ

ました。  残念!。 (私の人生は、こんなものです。)

 グラスにビールを注ぎ。シュワ・シュワと泡が出た感じの

ビル。   黄色い、色のウンコがビルの屋上に見えます。

これが有名な浅草名物。  キリンビールの本社ビルです。

見物しながら。   薄暗い、浅草の町を宿泊先の蔵前東横

目指して急ぎます。  夜なのに、スゴイ人ですが、関係な

しに車椅子を漕いで急ぎます。 (行き交う人・擦れ違う人。 
(10. )

通り過ぎる人達は、 不思議そうに覗き込んで車椅子の私を

珍しい物でも見るように覗き込んで見ています。)

【出版しませんか?、あなたの旅の様子を本にしませんか、】

と言われて私は、舞い上がり喜びました。     そして、

詳しく話しを聞いてみると、『原稿を編集・清書して出版の

協力・相談・お手伝いをするだけで、原稿を本にしたり、出版

するには、総て自腹だと聞かされました。【単刀直入に伺い

ますが最低で幾ら予算が必要ですか、】と訪ねて見ました。

【出版のお手伝いは、当方でやりますが、編集・製本・その

他で最低でも60万ほど必要です。】   と聞かされて、

【私は,即。出版しなくても結構。 辞退します。とお断りし

ました。 60万もあれば、もっとご機嫌な旅が出来る。と

即。辞退しました。】 実は、授賞式の入場券を今晩宿泊する

予定の浅草蔵前東横innのホテルに忘れて、浅草公会堂と

東横まで2キロ少しある距離を汗かきながら車椅子で往復

したので、   足は、パン・パンに張り、 筋肉痛で、痛い。
(11. )

明日。東京見物して、2日後に北海道を旅して最後に京都

まで行くつもりなのに、大丈夫かなーと心配していました

が、大丈夫でした。(日頃の訓練のお陰と感謝してます。)

何度も言いますが賞状だけで、 賞金は,貰えません。 残念!

書状は、車椅子の背中に積んで夕方の浅草の町を宿泊先の

蔵前東横innに向かいます。 受賞パーティーがあり、夕食

をどうぞとコンパニオンのおねーさんに進められましたが

用事がありますと断りました。 10人ぐらいの女の人。

ミス浅草・ミス隅田川・ミス小説・ミス文芸と着物を着て

着飾った女の人が何人かおられましたが、 着てる服。服装

が、ミスコンなのか、 と 吐き捨てるように呟きました。?

夕暮れの町を車椅子でそれもバックで急ぎます。 みんな

不思議そうに、珍しい物でも見るように、私を見ています。

何人もの人と交差しましたが、 3人が車椅子を押してお手

伝いしてくれました。 6人の人は、私に声かけ励ましたり、

応援してくれました。 顔見て笑顔を返す人。 見て見ぬ 
(12. )

ふりをして、ワザと顔を背ける人。ブスッとした顔して睨みつ

ける人。いろんな人がいます。人の表情って、面白いですよ。

3才ぐらいの男の子が、 【おじちゃん大丈夫。何処へ行く

の、】と私の前に来て訪ねてくれました。 【大丈夫だよ。

ありがとう。】 見ると向こう側の歩道に若い夫婦とおばあ

ちゃんが心配そうに覗き込んでいます。 【おじちゃん危

ないから一緒に行こう。】 と車椅子を押してくれました。

歩道を渡り。着いたのは、小さな公園みたいな場所です。 

そこで若い夫婦とおばあちゃんの3人が待っていました。

【パパ・ママ・おばあちゃん。おじちゃんを連れて来たよ。】

 と3人の家族を紹介されました。 【こんにちは、と挨拶

すると、】 【頑張ってますね。どちらから来られてどちら

に行かれるのですか、】 とおばちゃん  【今朝。兵庫から 

東京に来まして、今。ホテルに帰る所です。】  【付き添い

の方は、おられないのですか、】【1人で、今日東京・明後日。

函館・5日後。京都。】 【へーェ。全国を独りで旅をしてい
(13. )

るのですか、 凄い、! ステキですね。 羨ましいです。】

【私は、健常者の人が羨ましいです。 自分で何でも出来る。

あなた達の方が凄いです。 ステキです。 羨ましいです。

自分で何処でも行けて、何でも出来る。人間は、最高です。】

【車椅子のあなたも素敵ですよ。・ カッコいいですよ。】

【私は、独りで旅をしていますが、 出会う人達みんなに、

助けられたり、お手伝いしてもらい、旅行をしています。】

私は、車椅子の重度障害者で、おまけに言語にも障害が 

ありますが周りのお陰で生きて行けます。(感謝してます。

今、幸せです。) 【そんな謙虚な気持ちの人だから。皆が

お手伝いしたり、助けて下さるのですよ。】 【そうで、しょ

うか、 アツカマしいだけで、周りの人は、迷惑しているので

は、ないですか、】  【人が、迷惑かける。 世話になる。助

けたり。 助けられたり。知らない者同志が出会い、 関係を

持ち協力して生きる。  素晴らしい事ですよ。】  私は、

その言葉を聞いて、  こんなふうに考える。人もいるんだと
(14. )

感動して言葉が出ませんでした。   (教えられました。)

近くの喫茶店に入り休みます。   そこで少し話します。

【私達、2日前から。 息子夫婦・孫と私の4人で島根県から。

東京方面に旅行をしています。 あなたの車椅子姿を拝見して

思わず声をかけました。】     (ゴメンなさい。)

【朝の新幹線で東京に着きまして、 明日は、 友達と遊び。

今日から。 東京・北海道函館・京都。と7泊8日の触れ合い、

旅行の途中なのです。】 【まあそれは、スゴイ。お1人りで、

しかも車椅子で、ご立派です。と手を握り。 突然、涙をポロ・

ポロと流して泣き出しました。】私は、ビックリすると同時に

慌ててどうして良いのか分かりません。   話しを聞くと、

【実は、この人に兄がいました。   生まれ付き身体が弱く、

26年間。家で寝たっきりの息子が、 2年前に、亡くなりました。

《私が、毎日24時間。付きっ切りで面倒見ていたのです。

旅行好きの息子でテレビの旅番組が大好きで、何時間でも見
(15. )

ていました。》旅行のやり方は、どうであれ。 あなたのように

独り、 車椅子で何処でも行けたら。 幸せだっただろう。 と

思います。】 と息子さんを思い出して泣いているのです。

私は、納得して、話しを聞いてみると、  (おばあちゃんは、

泣いていましたが、)  息子さんが説明してくれました。

【私の上に2才。違いの兄がいました。 身体に障害があり、

意志はありますが、 立ち上がる事も歩く事も出来ませんが、

テレビの旅番組が大好きで、  旅の番組を見ている時は、瞳

が輝き真剣な顔で、一晩中でも時間を忘れて、真剣にその番組を

楽しそうに見ていました。   2年前に26才で亡くなり、

いつの日か家族で旅行に出かけたい、と 口癖のように言っ

てました。 僕も嫁さんをもらって、 子供も生まれて、 暮ら

しにも余裕が出来て、 やっと家族で旅行が出来るようにな

りましたが、兄は、亡くなり、父も居ない今。母は、あなたが、

(16. )
車椅子で旅をしている姿を見て、兄を思い出して、ウルッと

したのだと思います。】と思い出すように話しました。

私は、近寄り。おばあちゃんに【大丈夫ですか、と聞く、】と 

【すみません。アッチャンの事。 (亡くなった息子。) を思

い出して、】と涙ぐみながら。息子さんの思い出を話してくれ

ました。 暫く話しをして、 今晩の宿。浅草蔵前の東横innへ

車椅子を押して送ってくれました。 藏前東横innへ入ります。

時間を見ると、21時を過ぎていました。

(4人で東横に着きまして、) ホテルの玄関まで送ってくれて

おばあちゃんは私の手を握って、【気を付けて お元気で、】と

別れ、フロントに行きます。 部屋に着き。食べる物が何も無

いので外に出ると、 隣りにコンビニがありましたので食料を

どっさり買い込み。   テーブルに並べて遅めの夕食です。

弁当・蒸しパン・コーヒー牛乳・缶ビール・唐揚げと買った品

物を夕食に無心で食べて、 大満足。   疲れていたのか、?

(17. )

朝までバタンキューで寝ていました。    (目を覚ますと夜中

の2時でした。 まだ。早いので、寝ました。)私が独り旅の時。いつも

利用する。  東横innホテルには、『ハートフル・ルーム』と言

う部屋が2つあり、 障害者が申し込むと優先的に予約が出来て、

宿泊が出来ます。  会員なら。6ヶ月前から。 申し込む事が出来

るのです。 いつも私は、まず行く場所を決めてから。各、目的の

駅に近い、東横の宿を予約。 そして、旅の計画を立てるのです。

(目的地で車椅子の為。宿泊出来なかった事が、ありますから。)

始め、 障害者1人では、泊めてくれずに何度か断られました。

 30年も昔になりますが、    初めて四国に旅した時。

伊野かんぽ保養荘に行き重度障害者で歩けない、車椅子の私を

見て、支配人さんが 【この宿には、障害をお持ちの方が宿泊

出来る設備などありません。】と   断わられました。

 『仕方なく高知県の伊野駅で野宿をする事にしました。』

これは、30年も前の話しです。 『30年前。四国に旅したので

(18. )

 すが、当時の伊野駅長さんに  【君。こんな場所で車椅子の

人に寝てもらっては困る。   事故でも起きたら。責任持てない

ぞ。】と駅長さんに怒られました。

【そんな事を言われても、 せっかく四国まで来て、 今から帰

れません。もう。最終の列車もありませんから。】 

 【君。何処から来たんだ。付き添いの人と はぐれたのか、】 

【今朝。兵庫県から来ました。 独りです。 付き添いはいません。

独りで旅しています。】 【何、君。独りで、車椅子で、 無茶な。

無謀な。事故でもあれば、、、。 独りで宿に行けないのか、?】

【行きましたけど、障害のある人が宿泊出来る設備などありま

せんと断られました。 だから。 この駅に野宿するのです。】

【でも、駅なんかに寝てもらっては、困るよ。 身体に障害を持

っている人で、事故でもあれば大変だよ。 責任持てないよ。】

【考えて、駅なら屋根もある。トイレもあります。駅弁も買えます。

人がいますから。   助けてくれる人も親切な人もお手伝いして

(19. )

  助けてくれる人もいます。 一生懸命お願いしますから。】

【親切な人も助けてくれる人もいなかったら。どうするんだ。】

【大丈夫です。人は、何処にでもいます。みんな独りでは、生き

て行けませんから。】と言うと、     突然涙ぐみながら。

【駅長室においで、そこで休みなさい、 事故でも起きたら大変

だから。】と駅長室に入れてくれ、 私の話しを聞いてくれました。

宿に行き断られた事。重度施設に入所している事。 両親や施設

の反対を聞かずに単独で独り旅を実行した事。  その他すべて

を話しました。『感動して涙を流したり、 そんな人がいるのか、

と怒ったり、 優しい人もいるんだと感動したり、』2時間以上も

私の話を親身に聞いてくれました。  話しが終わると、【俺が

宿に話して宿泊出来るように頼んでやると、】 身元引受人を

してくれて宿泊する事が出来ました。 (渡る世間に鬼はない、)

翌日。支配人さんの配慮で  【朝。お風呂に、入るなら。 夜は、

お客さんが多いので、朝風呂に入れ。と午前中に入浴させてくれ

て、 先に湯船に浸かっていた人達に。 浸からないのかと言わ
(20. )

れたので、無理をして事故でも起きたら。 大変だから。 今回は,

浸かりませんと言うと、】 入浴していた。  近所のおじさん達

3人が代わる。代わる。に、私の身体を支えて、浴槽に浸からせてく

れ、大満足で入浴する事が出来ました。   (大感謝です。)

これは、昔の出来事です。  私の車椅子独り旅の原点であり、

生きて行く私の目標。 これが車椅子独り旅の始まりです。

 旅の話しに戻りますが、   隣のコンビニで買って来た。

お弁当2人前とチーズ鱈・唐揚げをつまみに晩酌。 時計を見

ると、22時50分。時間をかけて自分のペースでゆったり、 と

お風呂に入りました。 この部屋は、障害者も車椅子でも大丈夫。

『ハートフル・ルーム』一つの部屋の中に、私でも簡単に使用出

来るように浴槽とトイレがあり、  時間をかけても気兼ね無く、

自分のペースで入浴が出来ます。  1時間20分かけて何とか、

1人でお風呂に、入る事が出来ました。

(疲れていたのか、気持ち良く浴槽で寝てしまいました。)
(21. )

 AM:0:45分。(嬉しい時間。) ここで晩酌(蒹)軽食です。

6時間前コンビニで買い求めた。 唐揚げとチーズ鱈の残りで

旅の無事を祈り、2度目の乾杯。 最後にアイスを食べて完了。

  (疲れていたのか、気づくと知らぬ間に眠ってました。)

6月12日。朝6時前に目覚めてトイレ・洗面・着替え。叉、朝食を

食べて、玄関脇にある。喫煙所でタバコを吹かします。  宿の

喫煙者の宿泊客・近所の喫煙者・通りがかりの喫煙者などが集まり、

浅草蔵前の東横inn玄関脇の喫煙場所は、大入り満員です。

午前9時過ぎに友人のAさんが来ました。  次回。(東京で会いた

いね。と約束していたので、3年ぶりの再会に、)  手を握り挨拶

しました。  【良く来たねーェ。相変わらず元気だなー。 さあ

何処に行こうか、】と聞かれたので、【昔の職員で私が一方的に

憧れていた。(モト)担当のaちゃんにボランテアを頼んでいます。】

と言うと、【今。9:36分だから。  10時まで待って来なければ、

携帯電話をを入れてみょう。】と言われて、 ハイ。 解りました。
(22. )

 今回の旅と私の近況報告をしまして、 10時を過ぎたので連絡

を入れてみようと話していると、   aちゃんが現れました。

15年ぶり、(少しフヤけてますが、)相変わらず綺麗な人です。

 (もう何年も経ちますが、憧れの人で、 大好きな人でした。)

【お元気ですか、きょう宜しくお願いします。】と挨拶をして、

Aさんを紹介の後。 1、aさんと2人で人力車に乗り浅草の町

を散策します。2、スカイツリーに上り、東京の町を一望する。

3、お昼御飯に、 浅草でaちゃんと(うな重)を食べる。  

の3つっが私の今年のささやかな望み(夢)です。 

 Aさん【なんだ。ちっぽけな夢??。それで良く日本の各地に、

旅が出来るよナー。】と 笑われましたが、

付き添いのaさんに、【それが、森下さんだ。】 と言われます。

Aさんは、もう1人の友達の【Nさんに電話をすると、今から。

人力車の乗り場に行くと、】と返事が来ました。 2人のオッ

サンと年増のオバちゃん。そして、車椅子の変なおっさんの珍道
(23. )

中の始まりです。  東京見物をします。   人力車に乗り、

浅草散策40分コースを予約して、 人力車に、 aちゃんと2人

並んで (夫婦鶵のように、一緒に座ったのです。 こんな日を夢

に見ていました。) 2人で並んで座るのは、20数年ぶりです。 

「昔は、個人ボランテアを良く頼み。いろんな場所に連れて行っ

てもらいました。   《❤》思い出しますと私の青春です。」 

浅草の観音様の前を出発して、  (40分コース)で雷門前で乗車。

私が昔。(憧れていた人と並んで乗車したのです。  ご機嫌です。

(久しぶりに胸キユンです。)  昨日お邪魔した浅草会館の階段

には、往年の人気俳優さんや女優さんの手形が階段の床に押して

ありました。 『長谷川一夫・大川橋蔵。女優さんでは、田中絹代・

美空ひばり・木暮美千代など。』 往年のスターの手形が玄関入り

口の階段に沢山彫ってありました。  右側に曲がると、商店街で

伝法院通り。 昔からの古いお店が幾つか建ち並び。  どの店も

100年以上の歴史があり、  徳川が大政奉還をする前から続く
(24. )

 店だそうですが、 だんご屋さん・レンタルで貸し着物の店。

そう言えば、ある国では日本の昔。  サムライ・日本の着物??

羽織・袴のサムライ・武士。髷を付けた。 江戸時代の職人や野良

仕事をする。 お百姓さんが凄い人気だそうです。  手ぬぐいで

ほっかむりをして、 着物やもんぺを履いて子育てや男の人に混じ

って仕事をする。 日本女性は、スゴイ。?と    男の人も、藁で

作った。  笠をかぶり。 野良着や草鞋を履いて、チョンマゲ姿で

仕事する姿など。  とある国では、日本の昔の人が働く姿がフィ

ギアの人形でスゴイ人気だそうで、 私は、逆に外国の軍人や颯爽

と馬に跨がる。  カーボーイハットをかぶり、革のチョッキを着

て、ズボンには、ガンベルトを付けて拳銃を構えた。カッコ良い

カーボーイのフィギアやインデアン姿のフィギアを集めて見た

いと思いますが???、

 サムライ・武士・チャンバラ・殿様・お姫様・くノ一。女忍者が

ヒーローだ。そうですが、 とにかく日本の昔が外国の人に今。人気
(25. )

だそうです。 そして中国では、日本に旅行して着物を着て、男だ

ったら、髷を付けて・袴を履き腰に刀を差して武士になる。 

女の人は、着物を着てお姫様。 つつましくて艶やかな日本娘や

男に混じり、野良着を着て力強く働く日本女性の姿だそうです。

日本に旅行に来た。 思い出に写真を撮って帰り、それを友達に見

せて自慢して、優越感を感じるそうです。  (変な時代ですが、)

それが中国の若者の間で流行しているそうです。

だから。 外人さん中国の人ばかり、  浅草観音様の前で目に付き

ましたが、   着物・小袖・草履・扇子・帯・足袋・髪結い、 特に

外人の女の人達は、 日本に来て、 着物を着て髪を結う。 それが

人気だそうですが、  昔からある。日本の風習や風土に外国の人達

が何故?。日本の昔。歴史。  昔、使用してた物。今では、使って

いない物。使わない道具に、外人の人達は、興味を示すそうです。

人力車で走る。 40分のコース。 道路は、薄い紅色のジュータン

を敷いたような綺麗な道。「オレンジ通り」 ここが浅草西参道。
(27. )

商店街には、歌舞伎風の薄紫で落ち着いた壁が目に付きます。

平成25年。 お祭りをテーマとしてオープンしたそうです。

諸外国の方も多く訪れるスポットで観光客に人気があり、

最近特に賑わっている。と聞かされました。  

そのコースを40分。    2人で人力車に乗り走ります。

(それも、憧れのaちゃんと並んでいます。まるで恋人同志の

ようです。 もう最高に幸せ。60過ぎまで生きていて良かった。)

「二天門」。 重要文化財に認定もされている由緒正しき門です。

浅草寺内にある門の一つです。       浅草寺内には、雷門

・宝蔵門・五重塔・常香炉・お水舎・本堂があり、そしてここに

「二天門」があるのですが、 ここは、1516年。(元和4年)

に建てられたと言われていますが、 歴史の深い門なんです。

この後。 行く予定の東京スカイツリーが一番よく見える 

場所に人力車を止めてもらい、   ツリーをバックにaちゃん

と2人で25 年ぶりの2ショットの記念写真を撮りました。
(27. )

 (aちゃんと一緒の写真?。私の宝物にします。) 

車屋さんもいろんな場所で写真を撮ってくれたり、  

解説をまじえて、  40分と言う乗車時間は、  アッと言う間に

終わってしまいました。         何度でも言いますが、

私が昔。 憧れていた。  aちゃんと2人並んで人力車に座って、

東京見物をした事を。 私は、死ぬまで忘れないと思います。

浅草の雷門有名ですが、   人力車で巡るコースも体験してほ

しいコースです。  40分間の2人。夢のような世界も終わり、

スタートした地点に戻ると、 Nさんが横浜から到着していて、

Aさんと共に、私達を迎えてくれました。   

それぞれ自己紹介の後。     【せっかく東京浅草まで来たの

だから。 東京で有名な浅草の観音様にお参りしなければ、(人間

じゃない、 バチが当たるよ。)    とNさんに言われて、  

おっさん2人とおばはん1人。    そして、車椅子の変なおじ

さんの4人は、 浅草の観音様。  雷門朱色の大きな門とあの有名
(28. )

 な大きな提灯をくぐり抜けて観音様にお参りしました。 

やっぱりスゴイ人の数です。   私を含めて暇な人がこれだけ

いるのかナーと想像します。  (平和な日本に、感謝します。)

で、 その7割は、 外人で、 その中でも5割以上が、アジア系で、 

中国・韓国からの観光客だそうです。

(アジア系・中国の人達のお陰で日本も観光地が潤っています。)と

屋台のおばさんが言っていました。    観音様へお参りする。

境内の両端に幾つもの店が建ち並び。     その店の前を通る。

と、 変わった呼び声と屋台形式の店が珍しく、   見た事のない

ような茶碗や陶器類。  珍しい商品や品物が目に付き見ていると、

時間が経つのを忘れて、 観音様へのお参りが出来ませんでした。

珍しい店を見つけて、自分の好きな言葉を印刷します。『浅 草』 と

『日 本 橋』と書いた。  丁シャツを1枚づつ計2枚。 購入 

しました。  優しそうな屋台の店のおばさんと世間話をします。

【車椅子で良く来たーね。楽しんで行きなさいよ。】と 
(29. )

言われ、 【観音様にお参りしたのかい、】  【まだです。

これから。お参りします。】 と 答えると、

【おみやげは、後?。ここに、何しに来たんだい、   観音様に、 

お参りに来たのなら。お参りが先。 おみやげなんか後でも買える。

観音様にお参いりに来たんだろう。  お参りするのが、先だ。】 と

注意されました。       【アンタ達。浅草の観音様に何しに

来た。お参りに来たのだろう。】?罰が当たるよ。と叱られました。

(私達は、ハッと気づいて狼狽えました。 ゴメンなさい。)

許して下さい。    誤ります。愚か者です。反省しています。

と直ぐに、観音様の真ん前に設置されている。     『大きな

香炉』の前に行き。 付き添いの友達3人に、左右から。身体を支えて

もらい、 車椅子から立ち上がり合掌して観音様に謝りましたが、】

上体全部に、香炉の煙を浴びながら。

  《 神 様 。 あさはかな子羊を許して下さい。》

と。反省して、   明日からの旅の無事をお祈りしました。
(30. )

私。車椅子の変なおじさんの旅の安全と素晴らしい出会い、

元気に旅が出来るよう祈願してお参りします。  

  そして今度は、観音様がお祀りしてある。

本堂の中で、(スロープ有)観音像の前に車椅子で行きます。

(裏口にスロープが設備されていて、車椅子で行けます。)

観音様にお祈りします。 無事に旅が出来る事を感謝しますと

(私らしく、真面目にシンミリ)とお祈りしました。

Aさんが、【森下さん真剣に何をお祈りしていたんだ。】と

聞いたので、 【勿論。今回の旅の無事です。】と答えましたが、

北海道でアダルトな出会いを期待して?、  観音寺を2時間

ほど見学して、 【遅くなったけど、昼食にしよう。】   とN

さんに言われて、 即。【うなぎが食べたい、】 と本場のうなぎが

食べたい。と 言うと浅草で有名な専門店に案内されました。

(浅草に、来た時から。【うなぎの蒲焼きの店と良い匂いが、眼に・

鼻に付き。 美味しそうな姿とタレの香りが、 私の頭から離れ
(31. )

ません。)と言うと、 即。 4人店に入り、 うな重を注文して。

生ビールで乾杯して再会を祝しました。 無心で食べていると、

突然。   Nさんに、【東京と他県の(うなぎ)の捌き方の違いを

知ってるかい、】 と訪ねられました。  知らないと答えると、

 【関東と関西では、捌き方が違うんだ。】それを詳しく聞くと、

【関西や他の地域では、“うなぎ”は、腹から開いて調理して、 串

に刺して焼くのだけど、江戸前は、? 関東の一部みたいだけど、

同じ。 捌く、(調理する。)・ 焼くにしても、 地域により違うんだ。

侍・武士の世界では、『腹を切る。』(捌く) 開くのは、禁句です。

主に軍人・武士・貴族・何代も続く家系・家では、背中から。 捌く】

食べ終わり。【ご馳走さん。ああーッ美味しかった。】と4人共。

満腹。満足で、(証もない、)話しをしていましたが、 叉。 改めて

再会を祝して2度目の乾杯をしました。

 (勿論。お酒ですが、1人は、ウーロン茶でした。)??、

昼食を済ませて、  これからスカイツリーに行く予定です。
(32. )

5年前東京に来た時は、開館10日前で入館が出来なかった

ので、 5年目で、やっと入館する事が出来ます。

そして、今回は、大切な友2人と憧れの元職員のaちゃんです。

(夢では、??)私は、最高に幸せです。(このまま死んでも、、、。)

そして、待望のスカイツリーに4人で一緒に上りました。

観音様のある浅草駅から。地下鉄に乗り支えて、 男2人と女

1人。 そして車椅子の変なおじさんの計4人は、 颯爽と痛快

に、 早足で向かいます。 私が、一方的に好きだった。

憧れのaちゃんに、 今。 車椅子を20数年ぶりに押して貰い、

進んでいます。私の荷物。(カバン。)と自分の荷物。(ショルダー

バック。) の2っを両肩にぶら下げてるので、車椅子を押してく

くれますが、 aちゃん『車椅子を押して歩く度に、カバンと

ショルダーバッグが、 私の両肩に、 心地よくリズミカルに

当たり。』私の胸は、淡い昔のようにドキ・ドキと弾みます。

昔を思い出して、嬉しく幸せな気分です。  あの人の性格。
(33. )

  (私に意地悪をして、カラカッテいるような。?)

心地よく切ない気持ちになりました。 (こんな気持ちは、34年

ぶりです。 青春が蘇る。そんな気持ちになり、時間よ。止まれ、)

最高に幸せな気分でした。   (大袈裟だけど、生きていて良

かった。)   20分程地下鉄メトロに乗り、  急ぎ足で車椅子

を押してもらい4人で、スカイツリー駅まで行きました。

スカイツリータワー入り口で入場券を買い求めて見学しますが、

まずエレベターに乗り1分で、展望台に上がりました。

周りは、360度ガラス張りでパノラマのように都内。いや他県も?

天気の良い日には、 遙か遠くに 大島。 や 三宅島。・八丈島も

霞んで見えるそうです。  幾つか聳え立つ東京の有名な高い

高層ビルも低く見えて、  上階から見ているとミニチャアで

拵えた模型の工作を見ているようでした。 

そんな地上500メートルの高い場所を車椅子で1周します。  

周りを一望出来る。展望場で aちゃんと2人きりになれました。
(34. )

 (もう最高です。) 照れくさくて、何も話せませんでした。

(23年ぶりに、aちゃんと2人。 あの頃を想い出します。)

東京でaちゃんに20数年ぶりに会い、ボランテアを頼んだ事。

一生忘れないと思います。2人でまだ120メートル上の最上階

展望場まで上りましたが、  さっきの階より少し高いだけな

のに、眺めの違いに驚きました。   20数年ぶりの懐かしさと

おしゃべりに。  20年と言う月日を忘れて、 しばらくの時間

でしたが、話しが弾み。  園の利用者・職員の近況報告や施設の

様子などを話して時間が経つのを忘れていました。

2時間以上も4人でスカイツリーで遊び。  時計を見ると、

午後の16時を過ぎていましたが、      途中、日本で一番

最初に開業した。  浅草でも由緒ある。  有名な遊園地。

(花やしき)を覗いてみました。   閉館30分前でしたが、

いろ・いろと見て回りましたが、 車椅子の私が乗れるような

乗り物は、ひとつもありませんでした。 (私の性格ですから。)
(35. )

いつもならムキになり乗る筈ですが、  北海道へと旅が続く

ので無理は、よそうとグッと我慢しました。)  結局。aちゃ

んと話しをしただけでしたが、 私には、 大切な時間でした。

遊園地。 (花やしき。) には、崖のような場所に (売店) お土産

物の店があり、 即。 付き添いの3人に車椅子を持ち上げても

らい入ったのですが、   私が求める品物は、見つかりませ

んでした。 (ガッカリ。)  3人と変なおじさんは、浅草の町

を移動しますが、 叉。車椅子を押す。aちゃんが肩にかけた。

ショルダーバックの左・右が、    私の車椅子を押す度に、

心地よくリズミカルに、優しくカバンが背中に互い違いに当たり、

私をカラカッテでもいるかのように心地よい、   刺激を与

えてくれ、 久しぶりに熱い気持ち(想い、)が蘇りました。 

時計を覗くと、  まだ夕方の6時過ぎなのに、  道路の両端や

散歩道の少しの空き地。道の前には、テーブル・椅子が並べられて

宴会の準備。集まり、ビヤガーデン・飲み会・宴会の準備が整って
(36. )

います。  仕事を終えた男達。・女達。 仕事人間のつかの間の

憩いの時間が始まります。 まだ。空は、ホロ暗い程度なのに、千

鳥足で歩き。 顔を真っ赤にして、 酔れっが回らず。 ワケの分

からない言葉で叫んでいる人。 ニコニコしながら。 楽しそ

うに微笑みながら。  1人チョビ・チョビ。 ゆっくりと時間を

かけて飲んでいる人。      そこには、普通の人も偉い人も

仕事人も貧乏人も金持ちも遊び人も健康な人も、車椅子の私のよう

な障害者で不自由な者も皆。 一杯飲んで、つかの間の人生の休息

を楽しみ。 鬱憤を晴らしているようで、 可愛くさえも 見えま

した。  日々の自分を忘れて、 酒を飲み酔うと、 素朴で素直

な自分になります。 本来の自分。 素直な自分。 その人の本性を

覗けたような気がしました。  普段は、あんなに、カッコつけて

スーツに見を包み。   有名な会社の役員・社長さん専務さん

の様な偉い、 真面目な人。  普段は、 メガネをかけてスーツで

身を包み。    清楚で生真面目なオフイスレデイーもお酒を飲んで
(37. )

楽しんでいる時は、本当の自分になる。自分に戻る。楽しそうで、

綺麗です。 本当のその人の姿を見た気がします。

子供ように、無邪気に騒ぐ、その人の姿を見たように、思えます。

そして、 名誉も・地位もない、  金持ちも貧乏人もない、

良い人も悪い人も関係なく、仕事している人も遊んでいる人も

健康な人も車椅子に乗った私も関係ない、 唯。素直に酒を飲み。

酔っ払い、束の間の人生の羽目を外していました。 1キロぐらい、

ゾロ・ゾロと歩いて進んでいると、    (綺麗な女の人が呼び込

みをしている。)    炉端焼きのステキな店を見つけて、 迷わ

ず私は、中に入りました。

それぞれに。ビール・ホッピー。テキイーラ・ウーロン茶で、 乾杯。

「お疲れ様でした。」と4人でグラスを合わせました。 

Nさんが、 【みんな食べたい物を一品ずつ注文して、 

それを摘まみに。 お酒を飲めば良い、】と、それぞれ食べたい物

を一品ずつ頼み。注文をしてお酒を飲みます。 
(38. )

摘まみの定番。唐揚げに・餃子・刺身・チーズ・ウインナー入り。

ちくわの揚げ物・貝のチーズ入り野菜巻き・ホタテとハムの野菜

炒めなど。ひとり・一人が好みの一品を注文して、お酒を飲みます。

暫く無心で飲んで食べて、  話題もお酒も回ります。 みんな。

1時間余り。 ご機嫌で、お腹も満腹。 一杯になり、  

私は、ご機嫌な気分で心も体も満足した所までは、覚えています。 

いつの間にか寝てしまい、 気持ち良く酔っ払い、 何も覚えて

いません。 後で聞くと酔った私を。3人が代わる・代わるに車椅子

を押してもらい、宿泊所の浅草蔵前東横innに帰って来ました。

ホテルの部屋に着くと、4人で談義。『障害を持つ人との付き合

い方について、』 と言う題で激論を戦わせて会話が加速して過強

に入っていましたが、     明日、東京発。北海道への新幹線

の発車が早いので午後23:00を過ぎた事もあり、   次の目的地

北海道へ。   明日の朝早く向かうつもりなので、話しは、尽き

ませんが、3人と別れて、急いでお風呂に入り。   明日の列車
(39. )

が、早いので私は、もう寝ます。 と 休みます。 

⒍月13日。アアーッよく寝た。 眼を覚ますと朝の8時過ぎです。

慌てて飛び起きて、 オシッコだけで、 ウンチは、我慢して、  

朝ご飯も食べずに駅に向かいます。 急いで案内所に行き。車掌 

さんに【朝寝坊しました。】お願いします。と乗車券を見せます。

後5分しかないけど、 急げば、何とかなると、   無事に、函館。

行きの新幹線に乗る事が出来ました。  (焦り(@@;)ました。)。

遅れたと思い、慌てましたが、)    一安心です。  無事に次

の目的地。 北海道に行けると思ったら安心しました。

北海道新幹線。    (はやぶさ5号で新函館北斗駅に着き。)

12:22分。 新函館北斗駅に降りると、 さすが新しい最先端の

駅です。 広く、 明るく、 綺麗な駅。  無事着きました。

さすが北の玄関。★函館の。『ここが函館北斗駅です。』 

東京から函館まで、津軽海峡を横断JR新幹線で行けます。

スゴイ時代。函館北斗駅は、新幹線オンリーの駅で、他の場所へは、
(40. )

 函館駅から。ポートライナーに乗り換えないと移動出来ません

それが問題。不便です。 函館北斗駅と言う駅は、新幹線オンリー

の駅なのか、それが定かでないですが、調べてみます。  

函館に着き。  ここからが、私の車椅子独り旅の始まりです。

函館北斗駅に着きました。 立派な駅です。  広場の公衆便所
 
を借りて、一休み。(数年前は、小樽でした。今回は、函館です。)

お昼ご飯食べようと食堂を探します。       駅前通りを

ウロ・ウロしてます。 通行する人。すれ違う人達は、 不思議そ

うに、私を見ています。 車椅子で入れる。スロープ付きの洒落た

洋菓子屋さんを見つけて、 跳びっきりの笑顔で中に入ります。

不思議そうに、みんな注目しますが、 (気にせず私は、ハムサンド

とカフェオーレを注文して、それを運んで来た。   (女の人?)

おねーさんに、お手伝いして貰い、ハムサンドの袋を空けて貰い、

最後に、(ストローを差し込んでもらい、) 頂く事が出来ました。

と。言う事で遅めのお昼を、ご飯を食べる事が出来ました。
(41. )

 周りの人もお手伝いしてくれたおねーさんも私を不思議そうに

覗き込んでいますが、 お構いなしに、 パンにカブリ付きます。

カフェオーレをストローで吸い込んで飲んでいると、店の中にいた。

女学生風の2・3人のお客さんが  【お手伝いしましょうか、】

と聞いてくれましたが、  【何とか自分で食べられますから。

ありがとう。】とお断りしましたが、  こんな?何気ない、

ふれ愛や小さな体験が、外に出たら嬉しく、 新鮮に思えます。

私は、貴重な体験をしているんだと (自分に言い聞かせます。)

食べ終わると何か物足りないので、 後で、ケーキを追加注文。

します。 これで昼食は終わりです。 さあ今晩の宿泊場所。

大門東横innホテルに急ぎ向かいます。 キョロ・キョロしていると、

旅行中なのか、トランクを引いている。 女の人数人とお会いし

ましたので、 【すんませんお尋ねしますが東横inn大門ホテル

には、どう行けば良いのですか?、】 と聞くと【私達。今、東横に

行く所です。 宜しければ、ご案内します。】 と車椅子を押して
(42. )

案内してくれました。  【何処から。いらしたのですか、函館に

は、初めていらしたのですか、】   【北海道は、2回目ですが、

函館は、初めてです。 実は私。車椅子で独り、日本各地を旅してい

ます。】    【まあ。お1人で、しかも車椅子で独り。???、

どちらから。いらしたのですか、】   【兵庫県から。来ました。

函館と五稜郭を見学して、見知らぬ人とも触れ会いが目的です。】

【まあー。兵庫県からお1人で、 しかも車椅子で、 私達。五体

満足な者でも出来ません。  不安は、?恐くは、ないですか、】

【初めて出かけた時は、どうなるんだろうと言う不安と恐怖で

眠れません。 死ぬ思いでしたが、 無事に帰って来られたら。

達成感と言うのか、 嬉しさと満足感。無事成し遂げたと言う。

自己満足と言うのか自信が付き。 年金を貯めて2年か、3年に

1度。5日から7日の旅に出かけています。 

楽しさを知りまして、、、。  平成元年より30年かけて、   

車椅子で日本全国独り旅してます。 私が生きている『証』です。
(43. )

【へーェ車椅子で日本統一スゴイ!  ブラボー素敵です。】

【出会った人達に迷惑かけて好きな事をしているだけなんです。】

【でも、健常者であれ、 障害者であれ、 自分のやりたい事を

やる人。出来る人。羨ましいです。】  【自分でなにも出来ない、

人に助けて貰っている。 旅なんですが、生きてる事を感じます。

】話して。暫く歩くと、東横innホテルに到着しました。

受付に行き。【先日、予約した。兵庫県の森下と申します。お世話に

なります。 お部屋は、何階ですか、?】   【お名前がございま

せんが、】  【ええーっ、兵庫県の森下で3泊予約していませんか

、】  【ございません。 予約を聞いておりません。】 

【確かに予約しました。 予約した時に頂いた。 確認書。ここに

ある。返信メールの写しもあります。】と見せると、 駅の近くでも

そこは、駅裏の大門では、】と大門に電話して貰い、 確かめると、

やはり予約をした。 ホテルは、 駅裏大門東横innで、ここは、

駅前の東横innだそです。  b駅前東横受付のカウンターの可愛い
(44. )

女の娘が、私の車椅子を押して、 付き添い駅裏の東横まで送って

くれて、案内してくれました。 (千葉すず似の可愛い娘です。)

途中その娘と話します。  【函館は、初めてでございますか、】

【函館は、 初めてですが、   北海道は、2度目です。 船で小樽

に行きました。 札幌・真駒内・網走と旅した事がありますが、もう

25年も昔になります。  昨年。北海道新幹線が開通したので、

函館の五稜郭と立待岬・北島三郎記念館を見学して北海道の人達。

との触れ合いを求めて独り旅をしています。】

 【まあ。スゴイ、お1人で、まして車椅子で、 健常者の私

達でも出来ないよ。  おじさんは、強い人ですね。】  

【強くないよ。 みんなに助けてもらい、旅しているだけ、】

【いいえ。おじさんは、スゴイし立派です。】 と その娘は、

大きな声で叫ぶように言いました。 私は、ビックリして、

【なにか変な事でも言ったカナー。ゴメンと誤りました。】

すると、 その娘が、【実は、ね。 私の叔父さんも障害があり、
(45. )

足が不自由で歩けない、 左半身が不自由なんです。 捻くれ者?。

とみんなは、言うけど。 私には、良いおじさんです。 周りの人か

ら。 悪く言われて可哀想なんです。 どうすれば、良いですか、】と

尋ねられました。 【寂しいんだよ。君が外に連れ出して、人と出

会ったり、 人と触れ合う。人と話す事。  人と合うのは楽しい、

自分も変わり、生き方も変わる。 これは、大切な事なんだ。 私が

そうだったから言える事だけど、】   【嘘。おじさん。そんな

風に、見えないよ。】    【俺も12才から25才頃まで外には、

出ないで、人と会わずに15年間。家に閉じこもり、自分の事。障害

者の自分を見られたり、 人に会うのが死ぬ程イヤで、 たまりませ

んでした。 (私は、何の為に不自由な身体で生きているんだ。)と

毎日悩んでいました。  祖母は、いつも側にいて面倒見てくれて、

私を何時も一番にしてくれ、不自由だと感じた事など無かった。

(自由奔放に、いつも私を主人公にしてくれました。) それで

は、 ダメだと自分に気づき。 施設入所を考えて、 今の生き様。
(46. )

新しい人生を知りました。 180度正反対の異なる人生。異なる。

新しい自分を見つけ、素直な生き方をしています。 

 【これがおじさんの生き方です。】変ですか、 と訪ねると、 

 【いえ、幸せな生き方ですね。  羨ましいです。おじさんが、】

すると、函館駅裏の大門東横innに着きました。   

【今日から3泊の宿泊予定で申し込んだ。兵庫県の森下と申し

ます。間違えて駅前の東横innに行き。 名前が無いと言われて、

調べて貰うと、駅裏の東横だと分かり、  駅前東横のフロント

の方に案内してもらい、ここのホテルに来ました。】とチエックイン

車椅子を押して送ってくれた。   駅前東横の娘さんに何度も

お礼を言って別れました。     (ありがとう。(*'▽'*) )

このホテルフロント係り。    受付の女の子も変な娘でした。

(私が、言うのですから。      間違いありません。  

ガマガエル見たいな女の子です。?笑う。失礼。)

【今日から。3日間お世話になります。 兵庫県から来ました。
(47. )

森下と申しますが、食べ物を買って来たいので、 近くにコンビニ

かスーパーかお店ありませんか、   夕食になにか買って来ない

と夜の食べ物が何もないので買って来ます。  お店を教えて下さ

い。】と訪ねると【お客さん。もう少しゆっくりと話して頂けませ

んか、言葉が早口で理解出来ません。】と言われました。【もう一度

同じ言をゆっくりと話して下さい。】と言われて、もう1回話して

解って貰いました。 『この女は、何だ。』とカーッと来ましたが、

(私には、言語障害があります。) 話を中途半端に理解されて、

違う意味に理解されて、悔しい思いをした事が何度もあります。

解ってないのに、解ったように理解される事が度々あります。

それを最初に理解出来るように、ゆっくりと解るように話して

下さい、 と 初めて言われて、 (ムッ) となりました。

複雑な気持ちになりました。相手を少しでも理解して何気なく。

相手を思いやる気持ちが分かり、その娘とは、面白い出会いと

なりました。  
(48. )

このホテルから。コンビニまで 1キロ程あると教えられて急ぎ

ます。 『初めて北海道函館の繁華街を付き添いなしで車椅子が

それもバックで、《 車椅子を足で蹴って移動する》姿を。』みんな

唖然として・不思議そうに、覗き込んで見ています。 普通の人は、

この道は、車椅子ではムリだ。とか無茶だ。 付き添いは、いないのか

と何人か呟く人の声が聞こえて来ますが、 お構いなしに進みますが

、わざと聞こえないふりをして、挨拶して笑顔で進みます。 

長い冬が終わった今。北海道は、歩道を整備して、何処も工事中で

見た事もない、重機が入り、道に大きな穴を空けられて、  歩道を

車椅子で通る事は、大変ですが、  工事をしているおじさん達が、

(優しく・親切にお手伝いして私と車椅子を通してくれました。)

【気を付けて行きなさいよ。】  【ありがとうございます。】 

無事に通る事が出来ました。   外人の女の人とすれ違い、

【ハローと挨拶する。】と変な顔をして1.000円札をくれました。 

私は、『ムカーッ』と頭に来ました。 【俺は、乞食ではない、
(49. )

人と会って、挨拶をしただけだ。】と叫びまして、1.000札を相手に

向かって投げ捨てるように返して、 その場を立ち去りました。 

それを見ていた。  おばさんが【可哀想だから、気の毒だから。

上げるのとは、違うわよ。頑張る。あなたに、私から。応援の気持ち

私からの。エール。】と昆布飴をくれました。 素直に、受け取り。

お礼を言って別れました。 眼の前に、ローソンの文字が見えて

来ました。 20分ぐらいで買い物は終わり。  車椅子に買った

荷物をぶら下げてもらい、 帰りは、工事をしていない道を通り

帰ります。  その道?車は、通行しませんが、道路に4本レールが

惹かれていて、1時間事に電車が通り、 車は、通行しないだけで、

歩行者や人の通りが多い場所でした。     北海道の冬は、

雪が多い、当たり前です。  今。季節は、初夏です。 雪が溶けた。

 この季節?。6月から。道路や溝の修復工事の真っ最中です。

石コロだらけ・穴ボコだらけの道を。車椅子がバックで進みます。

 (車椅子の前のキャスターは、小さくて回らない為。バックで進む。)  
(50. )

進んでいると、穴ボコに前の車輪。(キャスター小さい。)が穴に落ちて

車椅子が仰向けにひっくり返り、 ケガは、無かったのですが、

肩に打ち身とオデコに、擦り傷。 (少し血が出ました。)

側にいた工事のおじさん達が車椅子を起こして、 私を助けて

くれました。 【大丈夫か、向こう。工事が終わった場所まで

連れて行ってやる。】と車椅子を押して、歩道から出してくれ、

そこから大通りまで行き。側を通行していた人を頼み。オデコ

にカットバンを貼ってもらいました。 途中でスポーツマンの

お兄さんと会い、【頑張れ!ファイト。】 と私に、3.000円を差し

出しました。 【叉。私は、頭に来て、乞食では、ないよ。 障害者で

不自由だけど。 一生懸命に生きている。  だから。 お金なんか

いらない、バカにするな。】と叫んでお札を投げつけました。

スポーツマンのお兄さんは、 (ビックリして立ち止まり。) ゴメン

なさい。と何度も誤り、  【そんなつもりではない。僕は、おっち

ゃんが車椅子でも自分の力で一生懸命頑張って旅をしている。 
(51. )

その姿に感動するけど。 僕には、何も出来ない、 このお金で

お茶でも飲んで元気に旅を続けてもらえたらと、、、。 思い、

応援するつもりで、お金を差し出したのです。 ゴメンなさい。

頑張っているおっちゃんに感動した。僕からの感謝状。】と私の

ポッケに詰め込み。 逃げるように、立ち去りました。 私は、

大きな声で、《ありがとう。》と叫びました。 (この青年の気持

ちに感動して、)  熱い思いがこみ上げて嬉しくなりました。

暫く進んで行くとローソンのお店に着きました。   ドアを

足で開き。 入り口が少し坂になっているので、 車椅子に勢いを

つけて入りました。 店にいた人達がビックリして集まって来て、

大騒ぎです。 私がビックリしました。車椅子にカゴをぶら下げて

欲しい物を探して店の中をウロウロします。  買い物していた。

女の人を頼み。 高い場所に陳列してある。商品や手の届かない所

にある。商品・品物などを買い物カゴに入れてもらい、 精算する

場所まで運んでもらいました。   品物を【ホテルまで1キロ少
(52. )

しの距離を車椅子にぶら下げて帰ります。】店の人が大きな袋を2

重に破れないようにして車椅子の後ろに括り付けてくれました。 

買った品物をぶら下げて、宿に帰って来ました。 汗。ブルブルで

疲れた。今日も部屋で昼・夕。兼用の食事を食べます。  一休みし

てから。函館山と五稜郭に出かけます。 午後2時前にタクシーに

迎えに来てもらい出かける事にしました。  フロントの女の娘に

函館で人気のある場所を聞きます。 まず五稜郭と砲台跡に行き。

土方歳三に挨拶して、  生き様を掘り下げて見たいと思います。

ホテル東横から。 タクシーで15分程で五稜郭・現在は、歴史館で、

五稜郭タワーがあります。  記念館・歴史館に入ると決まりの

みやげ物やグッズ。 (想像してみて下さい。) 新撰組や土方・榎本

幕末や維新に関係ない物まで陳列してあり、ビックリしましたが、

江戸で浪士隊を結成した。 近藤・土方。 後の新撰組ですが、 僅か

5年足らずですが、 命を賭けて幕府を守り、  鬼の土方と呼ばれた

訳や?。 (人から嫌われようが、 自分を武士を貫いた人。) 等々。
(53. )

奔騰の武士道。(難しい事だけど、男なら。 各。生きたいです。)

年表・生きざまの記録を読んで改めて、 土方歳三と言う人が 

好きになりました。   私と正反対の生き方です。  だから。

憧れるのカナー。 (人は、自分にない物や出来ない事に憧れます。)

まず、 タクシーを呼んでもらおうと、フロントの女の娘を頼みます。

(その娘に言われます。)  【おじさん。慌てないで、ゆっくりと

話しなさい。で、ないと良く解らないからね。 違う意味に聞いて、

違う事を教えてあげる気がするよ。】と私は、ムカーッとしました。

『こんな事を言われたのは、2回目。自分の気持ちを人に伝えても

言語に障害がある為。違う意味に伝わり、理解されて判断されて、

後で困った事が、 何度もありました。』

この娘は、少しでも私の言葉を理解しようと、 私にゆっくり話せ

と忠告してくれている。私の言葉を正確に聞こうとしている。

(始めは、頭に来ていましたが、この娘には、何か感じるものがあり

ました。) それからです。 なんでも話せるようになりました。  (54. )

(何かオカシナ娘です。) 外は、雨がポロ・ポロと降っています

が、タクシーを呼び函館の町を散策に出かけて来ます。

坂の上をタクシーで走ると近くの高台には、カトリックの函館

元町教会がありました。 そこは、戦時中爆撃を受けなかった為。

開設当時からの綺麗なマリア像が見られると聞き。車を走らせ行き

ました。(礼拝は、日曜日?。)入り口が閉まっていて入れません。

周りを1周して外観だけ拝見しましたが、高い丘の上にある。  

トンガリ屋根に、一際目立つ十字架があり、正面玄関に、元町カトリ

ック教会と書かれた。 看板と真っ白で定礎な十字架が聳え立つ。

教会がありました。 広場に車を止めて貰い、記念写真を撮ります。

前を通り過ぎて行く。 綺麗なお姉さんに声かけカメラのシャッ

ターを押して一緒に記念写真を撮りました。        

 (私の好みでした。綺麗なおねーさんに、 デレーーー。)

話しをすると、【普段は、ヘルパー(介護の仕事。)をしています。

今日は、お休みで、家の商売乳製品の販売・配送を手伝ってい  (55. )

ます。】と自分の店で製造・販売しているソフトクリームを進

められ食べて見ます。  私は、 自分で食べられません。

(腕も不自由なので、)運転手さんが【この人は、自分で食べる事

も出来ないのに1人で旅をしている。スゴイよ。】と言いながら

ソフトクリームを私に食べさせてくれました。お姉さん【へーェ

1人で日本全国に、旅をしているのですか、スゴイ。】  【全国

では、ないですが、自分の行きたい場所や訪ねて見たい土地に独

りで出かけて知らない人達に迷惑をかけています。】

【例え、人に迷惑かけても自分の好きに生きる。それは、ステキ

な事ですよ。人に、迷惑をかける。人と関わりを持つ。それは、人が

生きている証ですよ。  一生懸命生きると言う事は、 それだけ自

分を真剣に生きている事ではないでしょうか、 素晴らしい事。

 素敵な生き方だと、 私は、思います。 羨ましいです。】

【そんなふうに言われれると、恥ずかしいです。】

タクシーの運転手さん   【この謙虚な考えが立派な所。  
(55. )

私は、目から鱗が落ちたよ。】と言いながら。 ソフトクリームの

アイスを介助して私に食べさせてくれました。 それを見ていて

 【不自由で自分で食べる事も出来ないのに、1人旅をする。

本当にスゴイです。】そして、 食べさせていた。 ソフトクリーム

のアイスが、 残り、あと一口になりました。 すると、運転手さん

【もう投げるか、投げても良いか、と呟きました。】 この場所は、

高い場所にあります。    私達は、高い場所の見晴らしの良い

所にいます。 ここから。 アイスの食べカスなど。 投げたら?。

下は、道路で人々が通行しています。    私は、運転手さんに、

【なんで、そんな食べ物を投げるんですか、人に当たりますよ。】

エッ?と ビックリして、 大笑いしました。 【蝦夷地の方言で

捨てる。 ほかす事を(投げる。)と言うのですよ。】と運転手さん

に、教えられて大笑いされました。そんな事もあり、運転手さん

と仲良くなりいろんな函館の名所を見学させてもらいました。

まず最初は、 赤レンガ倉庫のお店です。 何棟ものレンガ作り (57. )

の倉庫が幾つも並列に建ち並び。   平屋建ての百貨店です。

用品店・ブチック・靴。 バック革製品の店。 本屋さん・電気屋さん・

私の好きな甘い物。  洋菓子いろんなフルーツで拵えたケーキ

・土産物屋さん・日本の菓子・お餅・お饅頭の店・レンタル体験

が出来るお店など。 面白そうなお店には、スゴイ行列が出来てい

ますので、覗いてみます。  此所でも日本の着物を着て、数時間

ですが、日本の武家娘に、芸妓さん・舞妓さんを体験と言うのか、

2ー3時間ですが、体験出来るそうです。  武家娘の姿・お姫様・

町娘の格好をして町を歩き。 日本の風習。心・昔を体験する。

(変な時代。変な事が商売になるのですね。)  最後は、ここ函館

のレンガ倉庫のお店をバッグに写真を撮り、記念撮影をしましたが、

結構お客さんが大勢い集まっていました。         

中でも。外人・中国の人達が観光している。 姿が眼に付きました。

中国で今。日本に、遊びに来て、男は、羽織・袴に、刀を差して、武士

の姿。サムライになり。女の人は、髪を結い、着物を着て、足袋・草履 (58. )

を履いて、 綺麗なお姫様の姿で、 2-3時間。 町を散策して思い

出を作り、記念に写真を撮って帰るのが中国の人達に、 (チョー、

人気だそうで、) 何と6割超だと、 (東京だけでは、ないんだ。??)

食料を買おうと、途中コンビニに寄って、お弁当とボスのボトルの

コーヒーを買い、 野菜サラダを部屋で昼飯を食べようと運転手

さんに頼んで買っ来てもらい、  ホテルに帰り、遅めの昼飯を

食べます。  (夜は、夜景を見に函館山へ行きます。)

夕方の7時30分に向かいのバス停で夜景見物のバスが出る。と

聞いて、乗せてもらい、夜景見物ツアーに参加したい、 と思い、

日暮れを待ちますが、 まだ5時間ほどあります。 

暇。つぶしに近くの路地を車椅子でウロ・ウロ散歩してますと、

私を引き寄せる。甘い物?和菓子の店を見つけて、もう釘付けです。

暫く唾を飲み込みながら眺めていましたが、 我慢出来なくなり。

玄関のドアを足でノックして中に入ります。 (店の人は、私の

車椅子に戸惑っていましたが、お構いなしに、注文します。)
(59. )

みかさ饅頭に鶯餅。きんつばに・羊羹。 珍しい、見た事もない、

日本の昔からある。 伝統的なお菓子職人さんが菓子を拵える。 

姿を時間も忘れて覗き込んでいました。 (甘い物を食べると、

糖尿病になると言われますが、  自分の食べたい物を食べられ

るなら。 糖尿病も仕方ないと、今を悔いのないように生きたい。)

合計2袋。買い込んで、精算所に行き。 店番のおばさんに、

【財布がこのカバンの中にありますから。精算して下さい。】と

言うと【他人の財布を空ける事は、私には、出来ない、】 と 

言われて精算して貰えません。 【私、お金を払わないで店を

出ても良いのですかと言う。】と 後ろに並んでいた。

初対面のお客さんが私のカバンから。  財布を取り出して、 

支払いのお手伝いをしてくれました。

【ありがとうございました。】 と、 お礼を言うと

【大丈夫ですよ。出来る者がお手伝いするのは、当たり前の事

です。それよりお1人で旅をしておられるのですか、スゴイ。
(60. )

五体満足な私達でも1人で旅なんて出来ませんよ。不安で、】そう

言いながら。  横断歩道を渡らせてくれて、東横のホテルまで

車椅子を押して送ってくれました。  おやつに。甘ーい、お菓

子を食べてお腹も良くなり、     少しウト・ウトします。

眼が覚めると、17:00時過ぎです。 この前にある。バス停から。

バスに乗り、 函館山に、 100万ドルの夜景を見に行こうと

思います。  午後7時を過ぎると乗客も集まり8割が外人で、

それも中国の人達と老人で車椅子は私だけ、側にいる人に身体

を支えてもらい、 バスに乗ろうとすると。  運転手さんが 

【君。付き添いは、介助する人は、いないのか、 ロープウエイに、

上がっても暗い道。 石ころだらけの道で傾斜もある。 暗くて、

危ないから。 夜。行くのは、辞めた方が良い、 (悪い事。言わない、)

明日のお昼にしなさい。 事故・ケガでもしたら。  大変だ。

《せっかく内地から。遊びに来て事故があったら。》

悪い事は言わないから。 明るい明日。タクシーでゆっくりと。
(61. )

夜景は、ダメでも、  他の道産子の観光を楽しむ方が良い、】と

教えられまして、   昼勤務のタクシーを教えてくれました。

(後・先の事を思い、我慢しました。)1人女の子(中国の娘です。)

が心配して、私に近づいて来て、 何かを言ってますが、言葉が、

分かりません。(心配してくれたのだと思います。)アリガトウ

午後7:30分過ぎ東横innに、  【只今。】と帰って来ると、

フロントの女の娘がビックリして、   【どうなさいました。 

行かれなかったのですか、】 と聞かれて、答えます。 

【付き添いも介助する人もいない、夜は、暗いから事故でも起きた

ら。大変だから辞めた方が良いと言われて、 行けなかった。】と

言うと、【そいで、行くの止めて帰って来たのっさ。おじさん。】

とスゴイ剣幕で叫びました。 その言葉に私は、ビックリして、

【どうしたのかナー?】と聞くと、【私。そんなのイヤ?だって

おじさんが車椅子だヶ-ェ。函館山に行けんと言うのは、ダメさ。】

と怒ってくれました。   【やっぱり。平等とか差別しね-と
(62. )

言っても偏見や差別はあんのさ、】 と本気で怒ってくれました。

【人の出来る事が出来ない、 健康な人間と違い、不自由だから。

仕方ない、 我慢も辛抱もしなければ、誰も助けてくれない、 声を

かけたり、 お手伝いは、するけど。夜は、危ないと明日行くよ。】

【人が、 生きて行くって難しい事なのに、 障害者の人は、スゴク

大変なんですね。】  【障害者・健常者関係なしに生きるって、

難しい事だけど、でも、生きるって楽しいよ。】

【そうなんだ。 そう考えられる。おじさん。 やっぱりスゴイよ。

だから。1人で旅が出来るんですね。】   【好きに生きている

だけだよ。 周りに迷惑をかけながら。】  【でも、ステキです。

自分に自信を持って生きてる人は、輝いていて、カッコいいよ。】

【ありがとう。そんな考え方が出来る。 アナタも素敵ですよ。】

【ね。おじさん。 平等とか差別しないと言っても差別や偏見ば

かりでハンディを持った人や車椅子の人には、住みにくいと思わ

ない、 どうよ。】 【イヤな事、辛い事、悔しい事もあるけど、仕方
(63. )

ない、 人の優しい気持ちや親切な心に助けられて、 お手伝い、

助けてもらいながら。 旅をして、外に出て生きているんだから。

生きる。でも外に出る事は、楽しい事だよ。】と話していると、

泊まり客。今夜宿泊の団体お客さんが来られて、フロントは、

テンテコ舞いの忙しさなので、 私は、表に散策に出かけます。

道を挟んで東横ホテルの前に小さな公園があり、   一休み

出来ます。 一服タバコを吹かし、側のトイレを借りて、町を

ブラ・ブラして叉、大好きなコンビニに入ります。買う物は、無い。

歩道工事をしていた。 おじさん達と遭遇します。 【お兄ちゃん

どこへ行くんだい。】と昨日道を通る時。助けてもらった。道路

工事のおじさん達に聞かれました。  【昨日は、ありがとうご

ざいました。 其所の向かいのコンビニに買い物に行く所です。】

【俺達も仕事が終わり、コーヒーでも買いに行くから。  一緒に

行こう。】と車椅子を押してくれて行きました。 【良いのです

か、】と 言うと【もう時間で仕事は、終わりだ。】と おじさん達
(64. )

5人がゾロ・ゾロと付いて来て、  私の買い物のお手伝いをし

てくれました。  店の中で一休み出来る。 場所で一休みします。

テーブル・椅子が並び。 一休み出来たり、お腹が空けば、 買った

品物を食べる場所が、4階で、食べて、飲んで、 世間話・旅の出来事

を話します。 全員が昔からの友達ように、自己紹介をします。

 【俺達は、皆。県外から出稼ぎで来ているんだ。  俺は、福岡。

彼は、四国の丸亀。 玄さんは、 三重県でこいつは、 香川。おやっ

さんは、千葉県とか、 みんな各地から。 集まり仕事をしている。

しかし。仕事だから。 各。地に、行けるけど、  仕事でなければ、

他の県なんか行けないよ。 おっちゃん。1人で?、 五体満足な俺

達でも1人旅なんか出来ないよ。】   と 1時間あまりいろんな

話をして、   帰りは、ホテル。 大門東横まで送ってくれました。

ガタン。バタン・ドスンとスゴイ音を立てて、1時間かけて、お風呂

に入ります。 入浴も着替えも終わり、  灯りを消して眠りに

着いたのは、        AM0:40分を過ぎていました。
(65. )

 お休みなさい。(-_-)zzzバタンキューで寝てしまいました。

翌日。 朝6時に目覚めてトイレ・洗面・着替えを済ませて、  

午前9時過ぎ。 食堂に、遅めの食事に行きます。今朝の朝食は、

鮭のおむすび。と、とろろ昆布のおむすび。 かにと貝の味噌汁。

大根と人参のサラダ。お揚げ・ネギ入りのマリネ。魚のすり身の

団子と烏賊の塩辛。 日本海。 (浜坂。) 育ちの私は、ご機嫌で、

頂きます。   あまりの美味しさに、おむすび。 4っつと  

お汁をお代わりして頂きました。    (満腹で、満足。)

その日の献立を考えて調理する。  近所の婦人会のおばさんに

美味しかった。 《おかあさんの味を思い出しました。 旅してい

ますが、懐かしい母の味。》 この味は、30年函館に住み着いた。

(ロシアの人で、) 日本人の漁師の家。?函館に嫁ぎ。(苦労して、)

地元で生活して。ここで30年間暮らした。  『漁師の青い眼の

肝っ玉かあさん』 と言う感じのおかあさんの味だ。そうですが、

この日。朝の食事メニュー(献立)は、地元の海産物を利用した。
(66. )

前にも説明しましたが、(生唾ゴクン。)で、美味しく頂きました。 

日本語も堪能で面倒見も良くて、配膳の度に、私を気にかけてくれ、

お手伝いして頂き。 感謝・感謝です。(嫁なら。こんな人が良い。)

束の間の楽しい、 ご飯も終わり、車を呼んで貰い、直ぐ先にある。

『北島三郎記念館』に出かけます。   海沿いの細い道を走

っている。と、 運転手さんが車を止めて、  【これが森 昌子

の歌で有名になった。 立待岬です。】 と 教えられて、車から

降りて記念に写真を5ー6枚撮りました。風が強くて恐いぐらいの

日でしたが、 でも景色の良い場所に石碑が建てられ、 石碑には、

森昌子の立待岬の詩が彫ってありましたが、 そして、本当に歌の

詩のまんまの景色でした。 思わず私は、立待岬の歌を口ずさみ。

運転手さんと一緒に口ずさみ2人で大合唱しました。  合格?。

(鐘。2たつ、?)40分程其所にいました。そこから数分の場所に、

『北島三郎記念館』があり見学します。    本名は、大野稔と

言うそうですが、稔。少年は家の跡継ぎです。地元では、有名な
(67. )

漁師の長男でしたが、歌手になりたくて中学を卒業してすぐに上京。

家出同然に東京に行き。弟子入りしても歌手には、なれず。 3曲で

100 円の流しをして生活。  何年かしてデビューするも売れず。

流しを続けて生活を凌ぎ、  歌手を諦めようと考えていましたが、

何曲目かに出した。 運命の曲。運命の歌。あの『なみだ船』が

大ヒットして、50数年間。映画・役者・テレビ等でも人気者となり、

年末恒例の紅白歌合戦でも最多出場白組のトリも何度も勤めて

出場回数でも日本の男性歌手最多で、 昨年自分から。 『長老は

去るのみ。』と 後進に譲る。  紅白を事実上引退しましたが、

私には、偉大な歌手であり、尊敬する人間のひとりです。

その記念館入り口に。ロウ人形の大御所北島三郎が着物姿で

出迎えてくれました。 あの北島三郎が自分の歌で『まつり』を

踊る。ロウ人形のユニークなセットが入り口にあり、 その姿を

楽しく拝見して、腹を抱えて笑いました。 

遙々と兵庫県から。 車椅子で見に来た甲斐があったよ。
(68. )

 (このユニークな姿に私は、満足して大笑いです。)

歌手になってから。  出したレコードやその歌がヒットして

受賞したトロフィーや楯。 賞状・カップなどが展示してあり

ました。   そして馬主で、レース用の馬を3頭も所有して

いて、 その1頭が数年前に大穴を当てて、 その時の馬。

(キタサンブラック) と 馬主。 大野 稔 (本名) の写真も展示して

ありました。  漁師の網元の家に生まれた。 稔。少年は、

家の家業も継がずに、 中学を出ると家出同然で東京に行き。

作詞家に弟子入りするも 掃除・洗濯・御用聞きと雑用の繰り

返しの毎日で歌手とは、程遠く。 独断でギターを習い、3曲

100円の流しをして生活。 喰いつないで生活したんだ。と

紹介の説明プロフィールに書かれてありましたが、 

『人が望みを果たして夢を果たす。』と言うのは、  スゴイ

事だと改めて感じました。  自分の夢を実現する。自分の

思いを実現する。自分を信じて努力して夢が叶う。と言う事は、
(69. )

素晴らしい事なんだと確信しました。

いろんな困難や苦労を繰り返して歌手になり、   現在では、

大御所と呼ばれて、     日本でも5本の指に数えられる。

国民的な大歌手になりましたが、   その生い立ちから。  現在

までの年表が明記してありましたが、 自分の人生。  悔いの

ないように生きる事が、大事なんだと、私は、感じました。

午後2時過ぎまでお邪魔してました。  訪れた記念に、サブ

ちゃんの数ある歌の中から。有名な人シリーズのcdを見つけて

この『北島三郎記念館』を訪れた記念に買って帰ります。

午後2時30分まで、 見学しまして途中コンビニでボトルのボス 

コーヒーとサンドイッチを3時のおやつに買い求めて帰りました。

ホテルに戻り、 腹ごしらえを済ませて、腹ごなしにホテルの前を

ブラ・ブラと車椅子で1人散策していますと、

擦れ違う人達は、不思議そうに私を見ます。  私も、オドケテ

突然。ニコッと笑い挨拶を返します。 【こんにちは、】と言うと
(70. )

出会った人も決まり悪そうな顔をして、私に、挨拶を返しますが、 

中には返事しないで決まり悪そうに、突然逃げ去る人もいます。

叉、恥ずかしそうに【こ…ん・・に・ち・わ。???】と挨拶を返す人。

【どちらさんでしたか、思い出しませんが、?】 【今日。初めて

お目にかかります。森下と申します。 宜しく。】  初めてです。

【人に、会ったら。挨拶するの、 常識では、ないのですか、】

【君は、初めて会った。知らない僕に、挨拶をしてくれるのか、】 

【ハイ。 人が人と会ったら。 挨拶をするんだと、 教わりました。】

【それは、そうだが、、今の時代。誰も自分が大事で、身内、親子でも

兄弟でも自分の子供にも遠慮して言いたい事も言えない、言葉も

交わさない、こんな時代に、 初めての知らない。 私のような

ジジイーにも挨拶して、声をかけてくれるのかい、】と言われ、

【小さい頃から。人と会ったら。自分の方から挨拶するんだよ。と、

お前は、人に助けて貰わないと、生きられないから。自分から。

声をかけるんだよと祖母に教えられましたから。】
(71. )

【今の時代自分が一番で他人を思いやる事など。 考えない、 気に

もしない、 今の時代にハンディを持つ君の方から声かけてくれるの

か、嬉しいよ。】と言われ、この後もいろ・いろと面倒を見てくれ、

旅から帰り、    改めてお礼の手紙を出すと、直ぐに返事が帰っ

て来て、 その手紙には、 (君に会い、 改めて人の優しさ・素晴らしさ

を知る事が出来た。 挨拶が出来る。素晴らしさをありがとう。叉。

何処かで会いたい、 君が住む。 和田山の施設まで行けないけど。

何処かに旅する時は、《声かけてくれ、》 必ず。会いに行くよ。と

約束しています。 前回。広島に旅した時も、 仕事帰りに宿泊して

いる。ホテル京都まで、《岡山県に住む人ですが、》 (変なおじさん

に会いに来た。)と仕事帰りなのに、旅行先まで会いに来て、始発の

列車に乗り、帰られました。  (ありがたい事です。)

この友も『私が旅先で出会い、 唯。お世話を賭ける。』だけの友。

旅先で、挨拶して、友達になり、それ以来旅の途中宿に、訪ねて来て

意気投合して、気が合うと言うのか、時間を忘れて話して
(72. )

ます。  (前回も旅の途中で会い、一晩中話していました。)

子供の頃に、 祖母が、よく言っていた言葉を思い出します。

 『遠くの身内より。近くの(他人)友を大切にしなさい。』と

本当に困った時に、身内?。いません。(離れていますから。)

頼りになり、 助けてくれるのは、近くにいる人達で、 親切な

他人の人達だけでした。 (私は、周りの人達に助けられていま

す。) 日も暮れて薄暗い中を大門東横innに帰って来ました。

【只今。遅くなりました。】 【お帰りなさい、遅かったですね。】

【コンビニで買い物していると、道路工事をしている。 おじさ

ん達と仲良くなり、お茶を飲んでお話しをしていまして、 帰り

が遅くなりました。 心配掛けてすみません。】

【買い物に出かけると言われて帰って来られませんので、 心配

していました。】   【すみません。 そこの道路工事のおじさ

ん達と仲良くなり、旅の話しや田舎の話してました。 心配かけ

てゴメンなさい。】 【それなら良いのですが、事故でもあったら
(73. )

 と、心配していました。でも無事で良かったです。】  【あり

がとうございます。】とお礼を言うと、 他のお客さんに呼ばれて、

フロントに消えました。   旅は、明日。京都に向かいます。

《ここで、私の心の中の正直な愚痴を書きます。》と、

『今年の独り旅で、』 私が一方的に思いを寄せている。職員さん

の誕生日にボランティアを頼み。  友達が経営する店で、 今。

流行のおしゃれな店を予約して、   その人へ“お誕生日。"

のお祝いをしてビックリさせようと 心。 秘かに作戦を考えて

心に決めていました。 【用事があり、ダメだ。】 と断られて、

(秘かな私の夢は、壊れました。)  無理を言って予約したので、

キャンセルするのに苦労しました、  この件で気分を悪くした。

友達とは、まだ。絶好中です。    (ゴメンなさーい。私が悪い、

私のショックは、大きかったです。)   仕方なく、1人で寂しく、

京都見物をしました。     簡単にお誕生日だと聞いて、

★変わった嗜好で心に残る。お誕生日をお祝いして上げようと、
(74. )

考えていたのです。 誕生日が記念に、なれば良い思い出が出来る。

今。若者に一番。人気のレストランで食事して、誕生日をお祝い出来

たら。 私もこの年。還暦を過ぎた。おっさんに、良い思い出が出来る

と秘かに期待していた。私。バカみたいです。(俺の人生こんな物。)

哀しいけど気を取り直して、車椅子独り旅で京都を楽しみます。

無理を言って頼んだ友達にひら誤りで許してもらい。 

惨敗です。 そして、悪い事は重なるようで、もう一つの願い。京都

駅で待ち合わす。   つもりの友達も旦那さんの仕事の関係で、

祖国に帰り、(綺麗な人です。)会えませんでした。 人生こんな物

結局。京都で私は、1人タクシーで名所めぐりをしました。  

まず。鴨川・河原町を出発。新撰組が名を上げた。 池田屋跡

から始まり、  龍馬遭難の地。寺田屋。 150年が過ぎた。 今も

シャモ料理の看板は、出ています。   (暗殺された龍馬さんが

シャモ鍋が食べたくて開店させたのかナー。) と運転手さんと

話します。  円山・先斗町・裏町通り・昔から続く、職人の町
(75. )

と。ひと通り京都の名所をめぐりましたが、 2時過ぎ、早いので、

今度は、国宝。二条城を見学しました。 城の床には、ブルーシート

が敷き詰められて土足OK。 段差も無くスロープで車椅子が移動

見学が出来ました。   小学校・中学・高校。修学旅行の子供達

や婦人会・老人会の団体。日本・外国のツアーの人達・中国の人達。

そして、外国の変な青年に出会いました。   幕末・維新が大好き

な私は、   (坂本龍馬の丁シャツを着て見学していました。)

外国の青年に突然。 声をかけられました。 その青年は、カナダ

から。 日本を独り旅している。   外国の人で自称 (青い眼の

サムライ。) と称して、チョンマゲ姿で着物に袴を履いて 腰には、

刀。???、イヤ木刀を差して私に近づいて来ました。

話しを聞いて見ると、 日本が好きで特に武士道。 サムライが

大好きで憧れて日本を旅しているそうです。  自国。カナダでも

日本の武士道が大人気でブームです。 中でも坂本龍馬が大好きで

龍馬の足跡を訪ねて日本を旅してる。そこで龍馬の丁シャツを着た。(76. )

車椅子の変なおじさんを見つけたと、 と言ってました。  片言

英語の変なヤツ。その人は、外人オマケに、私には、言語障害がある

為。 言葉も上手く伝わらないのに、どうして私に、付いて来てる。

のか、 車椅子を(タクシーの運転手さんと一緒に。)押して見学します。

(私も変ですが、外人で青い眼の侍も変な人です。)

周りの人も、運転手さんも戸惑う程。 3人の変な珍道中で二条城を

見学します。『あの有名な出来事。250年続く幕府崩壊。 大名を集

めて大政奉還。 大号令の場面がロウ人形で作られていました。』

歴史。特に幕末時代に興味を持つ私は、感動して、いろんな場面を

想像して暫く呆然と立ち止まり感動さえ覚えました。  ここで、

この場所で今から。150年も前に250年余り続いた。徳川の時代に

別れを告げて明治と言う文明開化の時代が生まれた。と思うと感動

を覚えました。 明治・大正・昭和。そして、戦争の辛い時代を経て、

今の日本があるのです。 戦や別れ・苦労・哀しみを乗り越え、 現在

の日本を創り上げました。 (スゴいと思います。人は、日本人は、?)(77. )

違う方向に理解してたら。ゴメンなさい。あの戦争に負けたから。

でも、先の戦争で犠牲者になられた人達のお陰で、今の時代がある。

私達が今を生きられるのだと思います。 私の考え方は、変ですが、

可笑しいですが、(戦争に負けたから。) 現在の日本があると私は、

断言出来ます。 2時間余りの見学も無事終わり、一休みします。

喉が渇いたので近くを見ると、(休憩所。)民芸風のお店を見つけて、

ひと休みします。 若い綺麗な着物姿の女の人が運んでくるお茶と

お菓子に舌鼓。  青い眼の外人ケリーとタクシーの運転手さんと

私の3人は、お互いの顔を見合わせ。  アングリ口から。ヨダレ。

(どうやら3人共。同じ事を考えたようです。)15分休憩してお茶を

頂き。 憩いの一時を過ごしました。 時間が過ぎ、ケリーに又の

再会を約束して、私は、運転手さんに案内され、 今度は、金閣寺

を見学に行きます。   

修学旅行ですか?何ですか?学生の団体。 それにスゴイ観光客で

大勢の人です。 各国。外人の人達。   自分の体重より、重い、
(78. )

 大きな荷物を背負い、 両手には、 大きな紙袋をぶら下げて、

ウロ・ウロとして挙動不審。 中国の人。(一つ感じたのですが、)

その姿。挙動不審。顔見るだけで、 中国の人だと解ります。

 (それほど、中国の人は、個性的なのですよ。 私が負ける程。)

砂利道。車椅子が動きにくいので、タイヤの大きい方向。車椅子を

バックで足で蹴りながら進みます。 (周りの人達は、不思議そう

に覗き込んでいます。) 見学している。  数人の人が、【押しま

しょうか、】と訪ねてくれましたが、 【ありがとう。何とか自分で

行きますから。】と断り、進みます。 【偉い。頑張ってね。】数人の

人達が私と一緒に側を歩き。『ワッショイ・ワッショイと声をかけ、

励まし、応援してくれます。』私は、汗かいてるように見えますが、

嬉しくて顔をクシャ・クシャにして泣いていました。(その優しさに、感動

したのです。)少し広めの場所に行くと柵が貼られて、 前に池が

流れる。 水面に金閣寺の建物が逆さまにコピーをしたように写し

出されて、幻想でも見ているような(ナン)とも言えない景色です。
(79. )   

30数年前にも金閣寺を訪ねた事がありましたが、 唯、京都に来て、

建物を見た。と言うだけで記憶にありません。“円山公園を覗くと

誰かがイタズラしたのでしょうか、 《龍馬さんと中岡慎太郎》

の像の下半身に褌が付けてあるのを強烈に想い出します。 私が、

入所している。施設で(昔は、)毎年恒例の一泊旅行がありました。

現在では、利用者も歳を採り、障害も重度になり、(これが、年を取る。

老いる。 と言う事ですか、) 一泊旅行など、 出来ません。 昔の事。

『利用者皆。(生きる者は、当然の事ですが、老いて不自由な身体に歳

もプラスされて、旅行など出来る状態ではありません。) 施設で生活

する事が生きる事で、今を生きて行くのが総てで、旅行など。 まして

独りで泊まりの旅など、今の僕・私には、出来ないよ。』 と 、

『君は、独りで旅が出来る。ハンデイがある。障害者だと言っても

軽度なんだ。(軽いんだよ。)だから独り旅が出来るんだ。』 なのに

【なぜ。施設にいるのかね。 どうして、自立。1人暮らしをしないの

か、君なら出来るのに施設で生活するなど。 変だ。おかしい間違っ(80. )

ているよ。】 と友達に言われましたが、 私の思いは、(己)です。

1、言語に障害があり。『言葉が上手く話せません。』この頃。自分で

も話しづらい、伝わるのかナーと心配してます。2、歩行が出来ませ

んから。車椅子に乗り、足で地面を蹴って進みますが、急ぐ時や坂道

を上がる時などは、バックで進みます。3、腕は、動きませんが、手首

から先。指が60パーセント動きますが、 右手は、 ダメです。 動き

ません。両手の指握る力は、自分の体をぶら下げる事が出来ます。

言語に障害があり、上手く話す事が出来ません。 こんが私です。

指が動きますが、 肘・肩は、動きません。   何かに捕まれば、

立ち上がり、つかまり立ちする事が出来ますが、歩行。出来ません。

唯。旅行が出来るだけで周りの人達に助けてもらい、旅が出来る。

それだけです。 周りの人を頼りに、旅をしている。それだけです。

障害が軽いんだ。  だから独りで旅が、旅行が出来るんだ。 と

言われましたので、  少し、苦労話を書かせてもらいます。

歩行が出来ませんので、車椅子で移動しています。   旅行は、
(81. )

 車椅子で独りで旅をしています。 時間をかけて、 周りの人達

に助けてもらいながら。 自分に出来る事は、 自分でやり、 出来な

い事や出来ても時間のかかる事を助けてもらいながら。 旅をする。

事が私の人生だと気づきました。  出来る事は、自分で、出来ない

事は、人に自分から。頼む。自分の事です。 自分でお願いをする。

不自由でも重度でも車椅子でも旅が出来ます。ハンデイが有っても

何処でも行けて生きて行けます。      食べる物をテーブル

に運んでもらえば自分で食べられます。  健康な人のように自分

の腕を使い、   自分の手で食べる事・歩く事は、出来ません。

テーブルにセットしてもらえば、カブリ付く、言わゆる。犬食いです。

車椅子も足で漕ぎ進みますが、何でも自分で出来ます。(やるんです。

)自分の出来ない事は、周りの人達みんなに声かけ、お手伝いしても

らいます。(子供の頃は、人の出来る事を他人に頼む事は、いけない

事だと教られました。) でも、生きて見て、自分で出来ない事もダメ

な所もさらけ出して生きて行く事だと、旅をして気づきました。
(82. )

 (初めて会う人や知らない人達には、) 頼めませんでした。

人が当たり前に出来る事を。親・兄弟・知り合いでもない、  他人。

それも見知らぬ人達に、 旅行中は、旅先で声かけて助けてもらい、

お手伝いを頼みますが、 (旅先で初めて会う人達で、もう会う事も無

い人達だから。)頼めるのかも知れませんが、勇気もいりますが、旅

から帰り、お礼の手紙を出すと、【君の住む施設まで行き。お手伝い

出来ないけど、君が叉。近くに来る時は、教えてくれ、顔見に行くよ。】

と仕事帰りに、(岡山県の人が、宿泊先。広島厚生年金会館まで、訪ね

てくれ、 叉、ある友は、10年以上も私が旅する宿に訪ねてくれます。

考えて見ますと、 私は、幸せです。 障害者で不自由ですけど、

この30年。日本全国を旅して皆に、お世話になりました。幸せです。

この紙面を借りて、 一言。大きな声で言いたいです。

車椅子独り旅で私と関わった。総ての人に、 ありがとう。

最終日は、京都場所は、忘れましたが、北山杉で有名な景色の良い、

京都の町が一望出来る場所でした。 確か、記憶では、大文字の
(83. )

真向かいに聳える山に、寺院と公園があり、寺院にお参りして、

今回の旅の安全と無事を祈願して静かに手を合わせました。 

暫く公園を散策・見学した帰り、 お参りした記念に、《お札》を

頂き、記念の土産も買い求めて、 今日一日のスケジュールを

終えて、 無事に。  今日宿泊する予定のホテルへ急ぎます。

PM 15時45分着。 五条大宮東横innに帰って来ました。

【只今。帰りました。】  【お帰りなさいませ。 お客様。 見学出

きましたか、】  【ハイ。いろんな場所を見学して来ました。】

と、 荷物を抱えていると、 【お持ちします。】  と部屋まで運

んでくれました。 【ありがとう。】 と 部屋のテーブルの上に

広げてもらい、 一休みします。   行った場所・場所で買い求

めた記念の土産や見学した場所での記念のスタンプ詳しく説明さ

れた案内のカタログ等。各。場所記念館のチラシ・案内書を纏めて

記念に集めていますが、送ろうと汚い、紙袋に集めて入れました。

小腹が空いたので、 東横そばのコンビニで買い求めた。 ボスの
(84. )

ボトルコーヒーとシュークリームを食べて満腹になったので、

車を呼び。夕方の賑やかな場所を散策します。 路地を進むと赤や

ピンクのネオン街があり、薄暗い店の中に厚化粧した。 (マツコ

デラックス)。人面魚のような顔をした女の人。男性だと一目で解る人

など。 オカマの女の人に、 突然。声かけられ、私は、ビックリ。

【アーラ。おじ様。こんな所に車椅子で遊びにいらしたの?。い

らっしゃい。】 【道に迷い、入って来たのです。 スンマセンだめで

すか、】 【ダメな事は、ないけど。おじさん勇気あるわね。 冒険家。

不自由な人で車椅子で、しかもひとりで普通こんな所に、来ないわ

よ。】と言われました。     そう言うと不思議そうな顔して

車椅子の私を見ています。 【社会見学に来ました。】と言うと、

【遠慮しないで、お入りなさいよ。】 【ダメです俺、お金ないです。】

【まだ。準備中だから。私の知り合いの人が旅の途中。 面会に来た。
 
と他の女の子達に紹介してあげるから。】 【本当に、私がお邪魔し

ても良いのですか、本当にお金ありませんよ。】 【要らないわよ。
(85. ) 

 おじさん車椅子旅行している。 孤独で貧乏な人なんでしょう。】

【その通りハイ。良く言えました。】 【早く、いらっしゃいよ。】

薄暗い部屋に案内されて。入ると、派手な服を着て、厚化粧をした。

女の子。(イヤ、オカマ。)が6人おられました。車椅子の私が入ると、

ビックリして、不思議そうにみんな私に注目して見つめています。

お構いなしに、 【私。今、旅行中で、ここ京都の夜を散策していて

、 道に迷い。 横道に入ると奇抜なネオンの灯りが眼に止まり。

ウロ・ウロしてたら。カワイイ綺麗な女の人に声かけられ、 呼び止

められて来ました。】楽しそうな店に、興味津々。よく見ると、お店の

人達全員が、(オカマの女の人。)でした。入ると、【いらっしゃい、】

私は、訪ねます。『車椅子なんですが、』お邪魔しても良いですか、

【おじさん車椅子で、1人。日本の各地を旅している。】

【障害者で、1人で、旅行。なにも出来ない不自由な人だけど、】

私を 《見てくれ、》 で判断してほしくないです。

私には、障害があり、車椅子で手・足も不自由で、おまけに言語にも
(86. )

 障害があります。      【旅で出会う人達に助けてもらい

ながら。独り車椅子で日本各地に旅をしています。】

【私達。元気な者でも1人で旅行なんて出来ない、まして車椅子

で、】 【みんな助けてくれて、 お手伝いしてくれますから。独り

で何処へでも行けます。】  【アラそうなの、】と泣き出しました。

  (オカマのお化粧した顔が崩れます。漫画のようです。)  

【世の中冷たいとか、自分の事ばかり考えて、自分さえ良ければ、

どうでも良いと言う今の世の中ですが、 出会う人々は、お手伝い

して、助けてくれますか、】 【ハイ。いろんな人がいますから。でも

10人に声かけたら。  2人の人は、立ち止まり。話しを聞いてくれ

ますから。 心配して助けてくれますから。 障害者の私でも旅が

出来ます。 ありがたい事です。】と 言うと (クシャ・クシャの人面魚の

ような顔をした。 オカマのおねーさんが涙を一杯溜めて泣き出

しました。】私は、ビックリして、【ゴメンなさい。 私。何か気に

触るような事を言ったでしょうか、】座っていた。 (マツコ似)の
(87. )

おねーさんが、【大丈夫よ。この子アンタに感動して泣いてんのよ。】 

 【私のように、人の迷惑など考えずに自分勝手に生きている。

車椅子のオッサンに感動して、泣かないで下さいよ。恥ずかしい。

】と言いながら。生い立ちから。旅をする切っ掛け、これまでの旅で

感じた事など。 1時間余り。私の話しを聞いてくれました。

 午後7時を過ぎて、お店を開ける。時間になり、    お店を

『お客で体験しては、?』と誘われましたが、お金もないし、夜も

遅いので、 帰ります。と 1人。ホテルに帰る道で酔っ払いのおじ

さん出会い、 絡まれ、(因縁)を付けられ、大変でした。

詳しく書きますと、     初体験のオカマのバーの帰り道。

私は、京都先斗町をトボトボ車椅子で歩いていました。 薄暗い、

夜道で、【ワーッ。お星様が綺麗と夜空を見上げて独り言を呟きなが

ら。】ホテルに帰る途中で、酔っ払いが声かけて来ました。

【お兄ちゃーん何処へ行くの?大変だねーェ。車椅子押して上げよ

うか、 でも俺。免許持ってないよ。  車椅子には、いらないか。?】(88. )

【今晩は、夜道薄暗いですが、自分で動けますから。大丈夫です。】

【自分で動けるんですか、?うごけるんですか-、余計なお世話で

すかー、素直じゃーないね。】と 絡んで来ました。

(酔っ払いに、絡まれたら。コリャアカンわ。)と逃げようと、 する

のですが、私の後を追いかけて来ます。  【何処へ行くんだー。

逃げるのかー、】と私の後を千鳥足で私に、付いて来ます。 酔っ払

いに捕まると、 (コマッタ事になると必死で車椅子を漕ぎますが、

何処までも付いて来ます。) 可哀想になり、歩道の広い場所で止

まり、酔っ払いを待つ事にしました。 (本音を言うと、急いで息

ゼイゼイで疲れました。)すると近づいて来て、【おっちゃん早いな

ー。】と立ち止まり、(息をゼイゼイ吐いて苦しそうです。)

【車椅子で何処へ行くんだよ。独りで、】 【遅くなりましたが、

今晩。泊まるホテルに帰ります。 急がないと、】と私が、言うと

【どこのホテル。?宿。?旅館。??、】 【下京区大宮の東横です。】

【俺が泊まっているホテルもそこだから。 いっしょに帰ろうと
(89. )

車椅子を押して付いて来ます。】 この酔っ払いのオッサン (同じ

ホテルに宿泊する。) と言う事は、?相手をしないように。 早めに

部屋に帰ったら。直ぐ、寝よう。  まだ。旅は、これからなんだ。

【ただいま。】とフロントのおねーさんから。部屋のカギを受け取り、

部屋に、行こうとすると、 突然。さっきの酔っ払いのオッサンが、

【近頃、やたらと、老人や障害者が、町でチョロ・チョロしてる。邪魔

なんだよ。 迷惑なんだよ。 見たくないし、 関わりたくないんだ。

目障りなんだ。】と叫びながら。玄関のフロアーで暴れ始めました。

フロントの女の人。  ホテルの奥にいた交代勤務の女の子。 そして

支配人も出て来ました。 駆けつけた警備員さん4人で酔っ払いの

オッサンを取り押さえて、交番に連絡しました。 

2分程して、交番から。3人のおまわりさんが来て、叱り、説教を

していました。 常連のようで、【斉藤さん。叉、飲んでるのですか、

もう お酒は、辞める。とこの前約束したのに叉、お酒を飲んだのです

か、】。 おまわりさんと知り合いのように、説教されています。
(90. )

【先生。そんなに飲んでばかりいたら。  奥様も娘さんも心配で

成仏出来ないよ。亡くなられた人に心配かけないようにしなければ、

ダメですよ。】と、諭されながら。  酔っ払って。グデン・グデン

の男をお巡りさん3人で抱えながら。  パトカーに乗せて連行して

行きました。   支配人や女の子達。知り合いの人達が話します。

【お気の毒に、奥さんと娘さんの事が忘れられないんだよ。 お酒

で、辛さを忘れようとしているのが分かるから。余計可哀想で、、。】

と話しています。  私は、奥のテーブルに行き。紅茶を注文

して、飲んでました。   すると、フロントの女の子も休憩時間で

食事を食べに来られて、車椅子の私を見ると、 【先ほどは、ゴメン

なさい。ビックリしたでしょ、】いつもは、ああじゃーないんだけど、

お酒が入ると、ダメなんです。  奥さんと娘さんを亡くしてから。

(忘れようとしても、お酒が入ると、)と訳を話してくれました。

【昨年の2月奥さんと娘さんの2人を事故で亡くしたのです。

ひき逃げ。 車を運転してた人は、車椅子に乗り、障害のある人で (91. )

車椅子の人を見ると、許せないと言うのか、 思い出すみたいで、

最愛の人。2人の事を思い出し?。普段は、優しい人ですよ。】と

教えられました。   【お酒飲むと理性が無くなり、辛いのよ。

憎しみの気持ちだけが強く表に出るのです。】

人は、皆。弱いから。 ひとりでは、生きられない、 寂しいから。

歌にもある?。“人は、皆。1人では、生きて行けない者だから。”】

と、じゃー行きますと向こうに消えました。

お腹も満腹になり、部屋に帰ろうと車椅子を動かします。 すると、

お客さんに食べ物を運んでいた。     女の子とぶつかり、

私の自慢の丁シャツ(東京土産で浅草と、ネーム入りの丁シャツ。)

を汚してしまいました。 (アラ。大変、) と洗面所で着替えを

お手伝いしてもらい、話をしてみると、酔っ払いのオッサンの姪子さん

でした。《あのオッサンには、もったいないような可愛くて感じの良い

娘です。》服を着替えて、   部屋に帰り。暫く一休みします。

私は、缶ビールを飲みながら。 部屋でくっろいでいます。
(92. )

 部屋のドアをノックする音が、 聞こえたので開けると、 さっき

着替えをお手伝いしてくれた。  女の娘が仕事空けなのに、心配

して部屋まで訪ねてくれました。  話すと話しが弾み。これまで

旅した場所や初めて旅した時の不安な気持ち。  知らない人達と

出会い、 触れ合い、 友達になる。 これが、私の仲良くなる。秘訣。

生き方です。こんな事しか出来ませんから。私の自己満足ですが、

こんな出会いもありました。 山口県の萩に旅した時。 どうしても

お手伝いして欲しい事が出来て、 旅先で会った。  初対面の人に、

お手伝いをお願いしました。(始めは、躊躇していたのですが、)私が

何度も頼む物だから。 手伝う事が普通になり、私の手・足。以上に

面倒見てくれます。  先日も東北に旅した時。宿泊している。 宿

福井県まで(岡山県に住む友ですが、)仕事帰りに、君の顔見に来た。

と訪ねて来てくれました。 叉。福島県の人で文通だけで会った事

もない人なのに、訪ねると、喜び。一宿一飯の世話から。 子供達と

お風呂まで共に入り、  翌日。次の旅行先で仙台まで一緒に
(93. )

自分の車に乗せ旅したそんな事もありました。      これは、

私の財産です。(その友とは、30年以上も交流が続いています。)

私の一番大事な宝です。  いろんな事を体験・経験して現在では、

車椅子で旅する事が、 私の総てであり、 生きる証です。

(それが私が生きると言う事なのでしょうか、) 

今回の旅でも酔っ払いのおやじにカラマレた事など、言語障害を忘

れて夢中で話しました。  ★迷惑だったかも知れません。???

『途中で涙を流したり、自分の事のように怒ってくれますので、私も

自然と話しに熱がこもります。  20分程。私の話を喜怒哀楽で聞い

てくれました。』  pm:8時を過ぎたので帰ってもらいましたが、

話しをすると、  《私の心が暖かくなるような娘でした。》

(気持ちの良い娘だナー?。)  時計を見ると、午後11時を過ぎ、

もう寝ますと着替えずそのままベットにバタンキューで、寝てしま

っていました。眼を覚ますと、翌朝6時です。(早いので、もう少し

寝ようと思うのですが、もう眠れません。)  少し早いけど、洗面・
(94. )

歯磨きを済ませて、     (いつもの訓練を40分間します。)

汗が流します。服を着替えて車椅子で朝の食事に部屋を出ます。

食堂に行くと、 ここ、 東横チェーンのホテルは、朝の食事は地元

の婦人会のおばちゃん達が自分家の朝の家庭料理を食べさせる。

サービスが売りで、  私は、それが楽しみの一つで、婦人会のおば

ちゃん達が食べるお手伝いをしてくれる。 スゴク為になる話し

をして、勇気をくれる場所なのです。だから好んで東横に泊まり、

ここで朝食を食べます。  メニューがいろんなおむすびや各。

家庭自慢の味噌汁や自慢料理素朴な素材で、普通だけど、美味しい。

車椅子で利用出来る部屋。 「ハートフル・ルーム」 もある。

私は、決めています。東横innの会員になりました。 今朝の献立。

野菜の漬け物。魚の煮付け。田舎の味。 昔、幼い頃の味を思い出す。

受け継がれた昔からの日本の味だと思います。(やはり、年なのか、?)

朝。ご飯を済ませ。今日は、地元京都五条付近を車椅子で散策します。

今日の予定は、別にありません。帰りの列車京都駅を17:17分です。
(95. )

 それまで近くを車椅子でゆっくりと散策します。予定は、別に無い、

午前10時過ぎまで部屋で休み。ボチ・ボチこれから出かけます。

その前に一服と喫煙室に行き。 タバコを吹かしていると、その日。

宿泊していた。おじさんが達がいました。 【火を点けますか、】

と 【お願いします。ありがとう。このカバンの中にライターが

あります。】と言うと、カバンから。 煙草を取り出して、火を点けて

くれました。 おじさん【変な事をお尋ねしますが、気にさわったら。

許して下さい、】   【珍しいですね。身体がご不自由な人で

煙草をお吸いになられるのは、】  【すいません。?(シャレでは、

ないですね。)ゴメンなさい。 障害者だから。 悪い事をしないとか、

身体が不自由だから。 良い人だ。とか、言われますが、良い人も悪い

人もいます。 障害者だって、悪いヤツもいます。 悪い事もします。

何も出来ないだけなんです。  障害者は、善人だ。なんてウソです。

障害がある為。 良い事も悪い事も出来ない、 唯それだけです。

私が元気なら。女の子を騙したり、嘘をついたり、 しているかも、
(96. )

出来ないだけ。周りを傷つけて、町の嫌われ者に、なっても。やはり、

現実は、障害者で不自由な身体。『可哀想、何も出来ない。』それが普

通です。 自分で行動を起こし外に出る。  それが、独り旅です。

違う自分を見つけました。 私は、今。自分の人生。障害者の人生に

自己満足です。 誉めて上げたい、歩けない、腕も仕えない、言語

にも、障害を持つ私が車椅子で、 日本の各地を旅する事が出来た。

事です。少しですが、思いどうりに生きて、好きに生きた事に敬礼し

ます。  今の身体。今の考え・気持ち、今の現状。自分の生い立ち・

状況・現実・私を取り巻く周りの状況に感謝します。  

出来ない事は、お願いします。と周りの人に頼みます。 それが、

私の挨拶なのです。 人の出来る当たり前の事が出来ません。

周りの人を頼みお手伝いを頼み生きて行く。  だけど、私の見方

・考え方・やり方が違います。 時間がかかります。  でも、

自分で出来ます。  (出来なければ、独り旅など。しませんら。)

旅する事は、いけませんか?私が生きる事は、迷惑でしょうか??、
(97. )

私は、生きて行きたい。周りの人に迷惑かけて嫌われ、嫌がられても

生きて行きたい、そして、人が好きだから。これが私の生きる事で

人生だから。迷惑かける事、生きる事を許して下さい。!!!

私に出来る。私のやり方で生きて見ます。

 タバコも吸い終わり、冒険心のある私は、ホテルの細い路地を抜

けて駐車場を通り抜けて、 裏道から。表通りに出てコンビニに向

かいます。   近所の人が不審者だと思ったのか、私を変な顔

して見るので、(道に迷いました。すんません。)と大きな声で挨拶

を交わします。    1人のおばさんが、車椅子の背中に付けた。

「旅行中」と書いた。ワッペンを見て、【車椅子で独り旅している

のですか、まあスゴイ。何処から。】  【兵庫県です。コンビニは、

何処ですか、】と聞くと【ここの道を50メートル程進み。大通りに

出て歩道を左に300メートル程。そして右に??。チョット待って。

私が連れってあげるワ。】と車椅子を押して、コンビニまで案内し

てくれました。
(98. )

コンビニに行く途中近所の友達のオバ友達に、声かけて、 オバはん

4人と車椅子の変なおじさんの妙な珍道中。ワッショイ・ワッショイのかけ声と

異様な雰囲気に、皆がこちらを見ています。(私は、照れくさくて顔

を上げる事が出来ませんでした。)  そんな行動に、嬉しいやら。

恥ずかしいやら???、ありがたいけど。 (チョット照れくさい。)

そんなでワイワイ・ガヤガヤと不思議な買い物風景です。

(周りの人達。不思議そうに見ています。)買い物をした後も それ・

ぞれに荷物を持ったり、 車椅子を押して、4人のオバちゃんは、

付いて来ました。 近くに公園があり、そこで一休みします。

(喉が渇き。買って来た。カフェーオーレを飲もうとしている。)と

少し太めのオバさんが飲ませてくれたり、   4人それぞれに

手伝う事を決めていて、 (嫌みの無い。親切?)とでも、言うのか、

優しく接してくれました。1人の(渡辺直美。)の体型に似ている。

ダッチワイフのようなオバはんに聞かれました。

【どうして、おじさん車椅子で旅なんかするの??シンドイだけ (99. )

なのに、信じられない、】他のオバはん達も【現在は、福祉の考え方

も変わり家族や地域・地元でヘルパーさんに、お手伝いして貰い、

楽ちんで生活が出来るのに。 どうして外に出て人にジロ・ジロ見

られ、嫌な思いも沢山して、なぜ外に出たいの、】  【答えは簡単

だよ。出たいから。外に出て、人に合わなければ、何も無い、 イヤな

事も、腹の立つ事も、 勿論。 嬉しい事も、楽しい事も何もない、】 

【そうなんだ。 おじさん頑張ってる。 その、考え方スゴイ。】

【スゴイ事でもないよ。 人の出来る。 当たり前の事が出来ない、

それを他人の人に、 助けて貰うのだから。 少しは、我慢したり、

許して上げて、良い人に見てあげなければ、でないと独り旅なんて

出来ないよ。】 だから助けてもらったり、お手伝いしてもらいな

がら。独りでも旅が出来るんだよ。(それだけなんです。) 仕方

ないよ。俺は、自分で出来ないのだから。?】 【そうね。みんな

自分の気持ちを隠して生きている。自分の気持ちを殺して、我慢

して生きているんだよね。】他のオバさん達もうなずいてました。
(100.)

 そこで一言。【健常者だって我慢して生きてる。 障害を持ってる

と、健常者の2倍も3倍も我慢して生きているんですよ。】 笑う。?

【おじさんって本当うにスゴイ人ですね。私、尊敬するワ本当。?】

 友達に土産を買うので、買い物が出来る店がないかナーと言うと、

【今。流行のお店を教えて上げると2人のオバはんが、 (暇です。

やる事無い?、)私の車椅子を押して2人で案内してくれました。】

そこは、京都駅の構内にある。  某。有名なデパートでした。

【16時36分の列車に乗る。16時前までオッサンにお付き合いして、

お手伝いを宜しくお願いします。】と頼むと、【了解しました。】

と2人のオバはんが私に付き合い、 面倒見てくれるそうです。

太めのオオバはん2人は、【用がある。】と途中で帰られましたが、

若い方の2人が車椅子を押して時間まで買い物のお付き合いして

くれました。  2時間と少しデパート内を見て回り、車椅子で

走り回ります。 (還暦を過ぎた。ジジーと孫2人が買い物を楽し

んでいるようで、恥ずかしい。?)アッと言う間に時間は、過ぎて行き(101. )

 16時を過ぎました。 京都駅から。乗り、舞鶴『母は、来ました。

今日も来た。と《二葉百合子》の歌で知られる。 引き上げ鉛の港

がある舞鶴。』  私は、古いです。(還暦を過ぎましたから。)

で、乗り替えて、 福知山。  最後終点。 和田山駅。 竹田。 

そして最後タクシーで真生園。帰って来ました。

 無事に7泊8日の旅を終えて帰って来ました。  

  園に着くとpm:8時を過ぎているので、

 新館で深夜勤務の職員さんにお手伝いしてもらい、

京都駅で買い求めた。  お弁当を食べて満腹になり、

2.017年の東京・北海道函館・京都。車椅子独り旅は、終わり。

自分自身にありがとう。 そして旅でお世話になった総ての人達に
大きな声でありがとう。(*'▽'*) 私は、生きています。


今回の旅。北海道。。。、構想は、4年前から。暖めていました。
自治会の会長の任期が終わり今年は、行けると喜んでいたら。
東日本大震災と言うとんでもない事が起こり、4年目で、やっと
東京方面に出かける。 用事もあり、 北海道新幹線に乗り、函館の
五稜郭へ出かけて来ました。 ★蝦夷共和国榎本武揚・土方歳三
生き方に感動して、出かけました。寄り道。東京スカイ・ツリーに昇り、触れ合いの旅に出かけた。 編集して記念に残します。
その旅の様子を書きました。 2.018年2月13日。 森下 善和

車椅子独り旅。『ふれ愛の旅。北海道。』

車椅子独り旅。『ふれ愛の旅。北海道。』

  • 自由詩
  • 中編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-04-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted